2025/03/20 - 2025/03/20
2位(同エリア77件中)
旅猫さん
三月の飛び石連休を利用して、紀州への旅を計画した。今回は、学生の頃から訪れたいと思っていた醬油発祥の街である湯浅と、かつて日本一短い私鉄と呼ばれた紀州鉄道の終点西御坊、そして、和歌の浦を歩くことにする。初日は、湯浅と広川を訪れる。
(2025.04.08投稿)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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出発当日の朝、ふと指定席券を確認していると、計画とは違う列車の指定席券である事に気付いた。しかも、その列車は、12分早い出発である。驚いて時計を見ると、十分に間に合う。そして、東京駅8時18分発の『のぞみ309号』に乗車した。学生の頃から旅をしているが、指定席券を間違って取ったのは初めてである。旅の最終日にも、驚愕の事実が判明するのだが、それは後の話である。
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新大阪駅で降り、11時13分発の『くろしお9号』に乗り換え、最初の目的地である湯浅駅へと向かう。乗車後すぐに、東京駅で買い込んできた駅弁で早目の昼食とした。その駅弁は、大きな銀鱈の切り身が載った海苔弁である。素朴な内容であるが、魚好きには嬉しい弁当であった。
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湯浅駅には、12時50分に到着。新大阪駅で、入って来る列車の写真を撮る人がやたらと多かった訳が、降りてから分かった。車体正面に、パンダが描かれていたのだ。
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観光案内所で地図をもらい、街歩きを始める。明らかに観光客と分かる人たちが、道標に沿って歩いて行くので、こちらは細い道へと入って行く。すると、小さいながらも、木の塀に庭木まである木造の民家があった。
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その先に、かつては小さな商店街であったろう場所があった。その中に、和菓子屋があったので、立ち寄ってみる。
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醬油饅頭が湯浅の名物だと言うので、一つ買い、近くにあった椅子に座り食べてみる。素朴な味わいであったが、あまり醤油感は無かった。
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すぐ近くには、古風な商店もあった。最近では、あまり見かけなくなった新聞販売店もある。
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その先に、道標が立っていた。天保9年(1838)に建てられたもので、熊野への参詣道が通る辻に立てられている。
立石道標 名所・史跡
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その道標の対角に、立石茶屋と言う建物があった。茶舗であった堀田家の店舗兼住宅で、現在は観光案内所となっていた。
古い商店を利用した休憩所兼観光案内所 by 旅猫さん立石茶屋(旧堀田茶舗) 名所・史跡
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道標から西へと進むと、すぐに深専寺と言う寺が見えてくる。本堂は、僅かに反りのある優美な屋根を持つ。山門の脇には、安政元年11月5日の安政南海地震による津波の体験を記述した『大地震津なみ心え之記』も立っていた。
深専寺 寺・神社・教会
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その先の辻を北へと曲がると、風情のある街並みとなった。しかし、地図を見ると、この界隈は、まだ重伝建の指定範囲外である。次の辻から先が指定範囲となったのだが、かえって街並みが新しくなり風情が無い。
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しばらく歩くと、ようやく古い民家が現れた。旧栖原家住宅である。栖原家は、明治7年創業の山形屋と言う醤油醸造蔵を引き継ぎ、昭和57年まで醸造していたそうである。
かつての醤油醸造蔵 by 旅猫さん旧栖原家住宅(フジイチ) 名所・史跡
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老朽化のため、主屋や蔵を覗いて取り壊されてしまったそうだ。その主屋では、雛人形が綺麗に飾り付けられていた。
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二階は閉鎖されていたが、その階段にも雛人形が飾られていた。
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旧栖原家住宅からは、ようやく重伝建らしい町並みになって来た。千本格子や虫籠窓、漆喰の剥げ落ちた土壁に風情を感じる。
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その先で、町並みは西へと直角に折れていた。そのすぐの場所に、青い漆喰壁の建物があった。江戸時代より、『内伝』と言う屋号で麹製造を生業としてきた津浦家の建物で、明治11年に建てられたものだそうだ。
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その並びにも、青い漆喰を持つ建物があった。昭和11年に建てられたもので、江戸時代に、『竹屋』と言う屋号で醤油醸造を行っていた戸津井醤油醸造場の建物であった。
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東西に走るこの道が、重伝建の要となっている場所のようだ。観光客の姿も急に増えて来た。それでも、ふと人影が消える時がある。すると、風情のある佇まいとなる。
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その道沿いに、老舗の味噌蔵があった。江戸末期創業の『太田久助吟製』と言う蔵で、湯浅に伝来した金山寺味噌を醸している。この味噌を醸造する過程で出て来た上澄み液のようなものが、醤油の起源なのだそうだ。湯浅が、醤油発祥の地と云われる所以である。その金山寺味噌を買い求めたかったのだが、味噌はまだあるので諦める。
太田久助吟製 専門店
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その向かいに立つ太田家の町屋でも、雛飾りが観られた。先日の九州の旅でも、日田や吉井で観られたが、最近、各地で雛飾りを観光に利用しているようだ。個人の家で飾ることがめっきり無くなった今、町ぐるみで展示するのは良いことだと思う。ただ、伝統的な雛人形以外もあり、少々飾り付けすぎているところもある。
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さらに進むと、天保11年(1841)創業の醤油蔵『角長』が見えて来た。最盛期には92軒もの醤油蔵があった湯浅だが、現在は数軒しかなく、その中で最古の蔵が、ここ『角長』である。冬のみの醸造に拘り、すべて手作りだそうだ。機械化されていない、伝統的な製法の醤油を味わいたかったのだが、醤油の消費量が少ない我が家では、無理であった。
角長 専門店
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向かいにあった職人蔵と言う資料館に入る。伝統的な醤油づくりで使われて来た用具などを保存展示している。設備を新しくすると古いものは失われていく中、こうして保存されることにより、後世への文化遺産となり、再現する場合の貴重な資料ともなるのだ。
角長醤油資料館 職人蔵 美術館・博物館
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角長を過ぎると、店も無くなるため、観光客の姿は、ほぼ無くなる。おかげで、落ち着いた佇まいの街並みを観ることが出来た。
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突き当たると、重伝建の外に出た。そこから北へと歩くと、街の北側を東西に貫き流れる山田川の河口に出た。その辺りは、湯浅広港と呼ばれる港となっていて、小型の船が係留されていた。
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川沿いの道を東へと進むと、南側に大仙堀と言う掘割があった。その掘割は、かつて醤油蔵からの醤油の積み出しや原料の積み下ろしに使われた場所だそうだ。大正の頃には、積み下ろしは鉄道に変わったが、物流の変化により、その鉄道も姿を消している。それでも、かつての風情は何とか残されている。
醤油の積み出しなどに使われた掘割 by 旅猫さん大仙堀 名所・史跡
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大山堀から、再び南側の街並みへと戻る。商家の軒下には、古風な鉄製の看板が残されている。中には、右書きの『たばこ』の看板もあった。
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重伝建を南北に走る中町通りと浜町通りの間の細道へと入る。そこには、表通りの立派な商家とは違う、庶民が暮らす町屋が立ち並んでいた。
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その路地裏に、廃業した銭湯を利用した資料館があった。飲食店や雑貨店などになってしまうところが多い中、銭湯の姿のまま公開しているのは嬉しい。
甚風呂 名所・史跡
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湯船なども、綺麗になってはいるが、ほぼ当時のままだそうだ。
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その奥には、かつての経営者の住居も公開されていた。柱には、古風な電話機も残されている。
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部屋は綺麗に整えられ、昭和の道具たちが展示されている。
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中町通りに出ると、本勝寺と言う寺があった。戦国時代末期の天正年間に創建された寺で、本堂や山門、鐘楼などは、江戸時代に建てられたものである。地図には城跡とあったが、説明版などは無かった。
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中町通り沿いに南へ歩くと、立派な虫籠窓を持つ屋敷があった。かつて、広大な敷地を有した醤油醸造家木下家の主屋であった。
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さらに歩いて行くと、本瓦葺きに木瓜型の虫籠窓、幕板、出格子を持つ建物も現れた。江戸時代から漁網を製造していた商家阿瀬家の主屋である。それにしても、店のある北町通りばかりに観光客が溢れ、同じ重伝建地区であるのに、人影はほとんど無い。やはり、観光客は街並みを観に来ているわけではなく、そこにある店が目当てなのだろう。
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重伝建のある湯浅町とその南側に続く広川町の境を流れる広川を渡る。この辺りでは、白魚が名産らしく、もうすぐ祭りも開かれるようだ。広川には、伝統的な白魚漁の網が設置されていた。
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踏切の音が聴こえて来たので反対側を観ると、上流側の鉄橋を列車が通り過ぎて行った。その奥には、たおやかな山並みがあり、長閑である。
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橋を渡って広川町へ入る。すぐの道を西へと少し歩くと、養源寺堀と言う掘割があった。東側に石垣があり、そこには養源寺と言う寺がある。この掘割の成立は分からないが、紀州徳川家と関係があるのかもしれない。
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その養源寺に立ち寄ってみる。紀州徳川吉宗が厚く信仰していた大黒天を祀り、吉宗が将軍まで出世したことから、『出世大黒天』と呼ばれ、江戸時代には、山門から溢れるほどの参詣者があったそうだ。この場所は、かつて、紀州守護畠山氏の守護所があり、紀州藩祖徳川頼宜の広御殿にもなっていたそうだ。本堂裏にある書院は、江戸屋敷の建物を移築したものだそうだが、公開されてはいなかった。
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養源寺から海側に出ると、長い土手のようなものが続いている。広村堤防である。安政元年(1854)に発生した安政南海地震による津波の後、復興事業と津波対策のために築かれたものだそうだ。江戸時代に築かれたものだが、その後の高潮や、昭和に発生した二度の大地震の際の津波を防いだそうである。
広村堤防 名所・史跡
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広村堤防の海側に、コンクリートの堤防がある。その堤防の基礎は、畠山氏が築いた石積みの堤を利用しているそうだ。その堤防の壁には、安政南海地震による津波から、稲むらに火を付けて村人の避難を助け、多くの命を救った濱口梧陵の実話を基にした絵が描かれていた。
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広村堤防から内側に入ると、風情のある建物がいくつも残っていた。その中の一つが、東濱口家住宅である。『稲むらの火』で知られる西濱口家の濱口梧陵と共に、広村堤防の築造に尽力した家である。
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その屋敷の一部が、公園として開放されていた。中へ入ると、思ったよりも広く、日本庭園まであった。昔の豪商と言うものは、現代の成金とは違い、風流を解し、地元の人たちのために私財を投じる度量があった。この国も、随分と変わったものである。
東濱口公園 公園・植物園
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一本東側の道にも、古い商家の建物が残っている。﨑山家住宅もかなりの規模だが、二階に虫籠窓などは無く、一階も千本格子である。
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そのすぐ隣にも、立派な商家があった。浦家住宅である。江戸時代から続く商家で、正面の主屋は明治時代後期のものだそうだが、敷地内に立つ蔵は、江戸時代のものもあるようだ。この界隈は、かつての広村の中心部だが、建て替えがかなり進んでおり、湯浅の街並みのような連続性は無い。
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浦家住宅のすぐ近くにある『稲むらの火の館』に立ち寄る。そこは、津波防災に関する教育施設と『稲むらの火』に関する資料館、そして、濱口梧陵記念館で構成されている。
稲むらの火の館 美術館・博物館
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正直、『稲むらの火』に関しては、知識がほとんど無く、この資料館でしっかりと勉強させていただいた。それにしても、川を挟んで隣り合わせている湯浅町と広川町であるが、湯浅は重伝建に指定されたことで観光客が溢れ、方や広川は閑散としている。歩いても20分と離れていないのだが、ほとんどの人は湯浅の、しかも北町通りだけを訪れる。有名な場所だけの観光は、地域に格差を生じさせるのだ。
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そろそろこの日の街歩きをお仕舞いとする。時計を見ると、16時前であった。駅へと戻る途中、地図にあった旧戸田家住宅の前を通る。すると、そこは宿と喫茶になっていた。地麦酒もあったが、一杯千円以上と書いてあったので、さすがに遠慮した。
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駅に着くと、まだ列車の時間まで45分ほどあったので、隣にあった旧駅舎を利用した『湯浅米醤』で時間を潰すことにする。
湯浅駅の旧駅舎を利用した食事処兼売店 by 旅猫さん湯浅米醤 グルメ・レストラン
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中に入ると、食事処はすでに閉まっていて、飲み物も16時半で終わりだと言う。それならと、はっさくジュースと、湯浅町に隣接する有田川町にある麦酒工房で醸されている地麦酒『オクトパスキング』を買い込み、店の外にあったテラス席でいただく。麦酒は大したことはなかったが、はっさくジュースは美味しかったので、この後、みかんジュースも買い求めた。
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そして、16時49分発の御坊行列車に乗り、宿のある御坊駅へと向かう。
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御坊駅には、20分足らずで到着。宿は、駅前の『ホテルグリーンヒル御坊駅前』である。昔ながらのビジネスホテルであるが、部屋は多少綺麗になっていた。
御坊駅前にあります。 by 旅猫さんホテルグリーンヒル御坊駅前 宿・ホテル
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すでに17時を過ぎていたので、すぐに夕食とする。駅前には、ほとんど店が無かったので、すぐ近くにあった『てんぷら酒場SHIN』と言う店に入る。地酒は二種類で、しかもどこでも呑める酒であった。まずは、そのひとつ『黒牛』をいただく。
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お品書きを見ると、名前のとおり天ぷらで呑む店であった。そこで、いくつか見繕って注文した。出てきたそれらは、かなり残念な姿であった。まあ、天婦羅屋ではないので仕方が無い。
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山盛りチキンカツと言うものが気になったが、量が多そうである。値段はそのままで良いので、少なく出来るか訊くと、出来ると言うのでお願いした。こちらは思いのほか美味しかったが、なかなか食べ応えがあった。お酒は、もうひとつの『紀土』を頼んだが、料理が揚げ物ばかりなので、すぐに店を出た。
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その後、宿で聞いていた店の多い方へと歩いて行く。ところが、店が増えるどころか、人家が減って行く。おかげで、綺麗な夕景が観られた。
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陽が落ち、街が暗くなると、どんな町並みでも、夕暮れ時の風情が醸し出されるのが面白い。
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しばらく歩くと、交通量の多い道に出た。すると、近くに『宝の湯』と言う看板が見えた。もう店を探す気も無くなったので、そこで汗を流すことにする。よくある日帰り入浴施設であったが、やはり広い湯船に浸かるのは良い。考えてみれば、旅先で温泉や銭湯以外の入浴施設に入ったのは、初めてかもしれない。
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宿に戻る途中、ご当地マンホールを見つけた。描かれていたのは、市の花木である浜朴と、市の木である黒金餅、市の花である小菊である。
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宿に戻り、部屋で寛ぐ。今回の旅のお供は、正岡子規の『子規紀行文集』である。芭蕉の『奥の細道』の足跡を辿る『はて知らずの記』の他、『水戸紀行』、『鎌倉一見の記』などが収録されている。ほぼ原文のままであるが、思いのほか読みやすい。明治26年の東北の風景が、鮮やかに浮かび上がって来るようで、とても面白い。
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しばらく読んでいると、喉が渇いたので、湯浅で買い込んできたみかんジュースで喉を潤す。これも美味しく、体にも良さそうであった。明日は、西御坊を散策した後、海南へ向かい、黒江界隈を歩く予定である。
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この旅行記へのコメント (4)
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- pedaruさん 2025/04/23 05:51:05
- 醤油発祥の地はやはり関西でしたか
- 旅猫さん おはようございます。
和歌山の旅は全部読ませていただいて居りますが、まず1からご機嫌をうかがいます(笑)。間違った指定券から始まった紀州旅ですね。旅猫さんらしからぬことですね。
観光客の行かないところにいい物がある、というのは真実です。しかし、このため
肝心な名所を見落として帰ってくることが私の場合多いです。
石の道標、これは立派ですね、こんな大きいのは初めて見ました。「すぐ熊野道」いいですねー、200年前の人たちも見たのですね、旅をしている実感が湧いて来ます。
>角長を過ぎると、店も無くなるため、観光客の姿は、ほぼ無くなる。おかげで、落ち着いた佇まいの街並みを観ることが出来た。
自分以外の観光客を邪魔にするわけではありませんが、こういう気持ちになるのは
皆さん共通の気持ちですね。地域全体の雰囲気も味わいたいですものね。
稲むらの火 は小学校で習いました。ほとんど覚えていない教科書ですが、この
稲の畑を燃やす物語はインパクトがあって、よく覚えています。この地方の防災の原点になっているのですね。
紀州のみかんジュース、おいしそうでした。
pedaru
- 旅猫さん からの返信 2025/04/23 21:53:38
- RE: 醤油発祥の地はやはり関西でしたか
- pedaruさん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
紀州路の旅は、全4冊となっています。
最後は長編なので、少々時間が掛かっています(^^;
出発当日、何気なく指定券を見ると、予定と違う列車のものだったので驚愕でした。
良く間に合ったものだと(笑)
冷や汗ものでした。
有名な観光地は、それだけ昔から人気があった場所ですが、観光地化され過ぎて、その魅力が減っているような気がします。
特に、最近は外国人も多く、さらにそれを感じます。
あの石の道標は、かなりの大きさでした。今のように地図も無く(地図はご禁制ですからね)ので、別れ道に立つ道標が頼りだったので、感慨深いものがありますね。
賑わう観光地も、ふと人波が途切れると、本来の街の姿が垣間見れます。
湯浅も、重伝建地区の一部だけが賑わい、本来の伝統的な街並みを感じるには、その一部だけでなく、指定された地域全体を歩いてみないと。
『稲むらの火』を習ったことがあるのですね!
私は、訪れてみて初めて知りました。
とても興味深く、その意識が今でも続いているのが素晴らしいと思いました。
でも、湯浅と違い、広川に観光客の姿は疎らでした。
紀州は、やはりみかんが美味しいですね。
旅猫
-
- ポテのお散歩さん 2025/04/11 23:45:30
- 湯浅
- 旅猫さん こんばんは!
旅行記を拝見するのが遅くなりました。
旅の途中で 旅猫さんの御用達駅、大宮駅を通りましたよ♪
通り過ぎただけなのですが、交通の要衝なのがよくわかりました(^^)
さて、和歌山は湯浅を歩かれたのですね。
何年も前から行きたい場所のリストに入っているのに、まだ行っていません。
湯浅では醤油に加えて金山寺味噌の買い出しも大切な目的です(^-^;
白魚漁の様子を見たいので、今年の春も行きそびれてしまいました。
旅猫さんは、御自分で歩かれる道に見所や風情を見つけ 旅をされますが、
私はガイドブックやTVで観た観光地を目指して歩きます。
逆に言えば、ガイドブックに載らない道を歩いても その良さを見つける力が
無いのだと思います。
母などは、ツアーで連れて行ってもらわなければ
何処へ行けば良いのかもわからない人でした(^-^;
有名な観光地か そうでないかに拘らず、
自分の心が動く場所を歩く事こそ 自分らしい旅なので、
そんな旅に憧れます(*^-^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2025/04/12 06:50:56
- RE: 湯浅
- ポテさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
大宮駅を観てもらえましたか!
なかなか大きな駅でしょう(^^)
和歌山の旅は久しぶりでした。
初日は湯浅に立ち寄りました。
学生の頃から歩いてみたいと思っていて、ようやく行くことが出来ました。
金山寺味噌を買いたかったのですが、味噌も醤油も余っていて。。。
白魚漁は、訪れた直後くらいに祭りがあったようです。
多くの人はやっぱり、ガイドブックや情報頼りですよね。
私も昔はそうでした。
今は、ガイドブックすら買いませんし、持っていきもしません。
地図のみ印刷して持っていき、それを頼りに適当に歩いています。
私の母も、ポテさんのお母様とまったく同じです(^^;
基本的に、史跡を巡るのが趣味なので、グーグルマップで史跡を検索し、地図上に表示された史跡を目当てに歩いているのです。
その途中で、地図上に無い町並みや景色、食事処に出会うのが楽しいです。
なので、ガイドブックはまったく必要なくなりました。
旅猫
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