2025/02/20 - 2025/02/21
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たびたびさん
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前回の萩は、2016年8月。萩はやっぱり松陰先生。ゆかりの地をいくつか回っている中、松陰先生への感謝の思いがふと溢れてきて涙が止まらなくなってしまいました。今でも忘れられない強烈な旅でしたからね(https://4travel.jp/travelogue/11156687)。それを越える旅なんかもうありえないだろうし、広島から萩もけっこう遠いですからね。とてもまた行く機会はないかなと思っていましたが、萩には「萩城下の古き雛たち」というひな祭りがあるようで。。それなら行ってもいいような気がするし、どうせなら、ほとんど手付かずだった益田と浜田を絡めればさらにいい旅になりそうですよね。ということで、四日間の旅でそれらを回ってみることにしました。
まずは、お目当ての「萩城下の古き雛たち」ですが、旧久保田家住宅、菊屋家住宅、青木周弼旧宅、萩博物館など萩市内の16の施設が会場。江戸時代から現代までのひな人形が豊富に飾られていました。浜崎地区だと御殿雛がけっこう多いかな。それもかなりいいものばかり。互いに競っていた時代があったらしく、保存状態も良好です。
その辺りは、期待通りだったのですが、収穫としてはもう二つ。ひとつは、萩の海の幸。日本海ですから豊かな海の幸に恵まれているのは当たり前のような気もしますが、それでも特に萩が特別というイメージはなかったですからね。ところが、どうしてどうして。萩は年間約250種類もの魚が水揚げされるというさかなの宝庫なんですね。市内の代表的なお店を梯子してみましたが、確かに萩の魚は繊細でバラエティに富んだ豊かな味わい。この後回った益田や浜田とはまた違った特徴があったように思います。もうひとつは、やっぱり松陰先生絡み。「志を立てて以て万事の源と為す」を始め、松陰先生はたくさんの語録を残していますが、萩の小学生は、一年に二つずつそれを暗記する。小学校の間に、2×6で12の語録を暗記するのだそうです。街歩きの途中、ちらりと耳に入って、それをあちこちで確かめると確かにそのようで。もう忘れちゃったけどねとか言いながら懐かしく子どもの頃を思い出したような地元の人の笑顔を見て、また松陰先生への思いがちょっと蘇りました。「志を立てて以て万事の源と為す」。確かにそう。志がなければ、何事も意味を成さない。知識や情報をいくら積み上げていっても、それが何かになることはないですね。高杉晋作も久坂玄瑞もその志のために命を賭して戦いました。長州藩の幕末の志士たちに共通する爽やかさは、この志によるものといっていいかもしれません。ただ、一方で、その死を恐れない気持ちというのが、その後の日本の戦争への道を誘引した要因のひとつであったというのは私の見方ですが、つまり、それは、いつの間にか松陰先生の説いた志が軽んじられていった過程と考えてもいいのかな。翻って、今は民主主義の時代。志よりも民意というべきなのかもしれませんが、やはりそれだけでは足りないような。松陰先生が問いかけているものは、今でも輝き続けているというのが私の理解です。
ということで、久しぶりの萩はやっぱり正解。例によって、思いがどこまでも広がる街だと思います。
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朝イチで広島を出発。新山口駅でバスに乗り換え、9時半に萩バスセンターに到着です。所要時間は2時間半ですが、バスが約1時間半なので、遠く感じますね。
萩バスセンターから旧萩藩校明倫館の西隣りにある萩観光案内所に向かいます。ここは萩の中心部。スタッフは複数いるし、休憩所も兼ねたようなきれいな建物です。レンタサイクルがあるので、それを利用します。ここからだとどこに行くにも便利かな。いいと思います。 -
ひな祭りの前に、まずは萩の市街の南側、涙松跡や道の駅 萩往還を目指します。さすがに郊外なので、まだ行ったことはなかったですからね。
その途中のマイナースポットも寄っていきますよ~
少し西に向かって。奥平家は、大組に属していた萩藩の中級武士(300石)。門は、その奥平家の表門です。寄棟造桟瓦葺、桁行26.65m、梁間5.0m。古びていなくはないですが、ちょっと端正な印象もあって、それなりに見ごたえがありますね。江戸時代末期に作られたもののようです。 -
そのまま西へ。松本川を渡ってすぐ。
品川弥二郎旧宅跡は、小さな公園の敷地の中に石柱と金属の説明板が建っていました。文字は薄いですが、何とか読めますね。
品川弥二郎は、天保14年(1843年)、中原の子として生まれる。15歳の時に松下村塾に入り、期待された人物だったよう。七卿落ちや禁門の変でも常に第一線で活躍したとも。その後、内部大臣も歴任した大物です。 -
さらに西に向かいます。
だらだらと緩やかな上りの道を進んだ先にあるのが山田顕義誕生地。幕末に倒幕の志士として活躍した後は、岩倉使節団に加わって欧米諸国を視察。日本大学の前身である日本法律学校を創設しました。 -
イチオシ
誕生地の石碑がありますが、周囲は石垣で囲まれた顕義園という立派な公園。その奥には氏の立派な銅像も建っています。
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坂を下って、戻ってくると松陰神社。
少し寄っていきましょう。松陰神社 寺・神社・教会
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松陰神社の敷地内にある松陰食堂です。名物は松陰だんご。
松陰食堂 グルメ・レストラン
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ほんのり甘みが加えられただんごには、萩でとれたゆずを使った自家製ゆずみそタレ。すごくおいしいというほどではないですが、
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松陰先生や維新の志士たちを紹介する展示物を眺めながらいただくとまた格別な思いに浸れるように思います。
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境内にある吉田松陰幽囚旧宅。松下村塾の隣りに移築されています。
松陰は安政元年(1854年)に伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗。その結果、江戸の伝馬町の牢から、萩の野山獄に入れられます。そして、釈放後は父杉百合之助の預かりの身となり、ここで謹慎生活を送ります。松下村塾の主宰はこれに続くもの。幽囚室の3畳半の一室は外から拝見。ずっとこの部屋に閉じこもりっきりだったとも思えませんが、再び自らの考えを研ぎ澄まして行った場所だと思うとちょっと感慨もひとしおです。 -
松陰神社本殿の隣りの松門神社。吉田松陰の門下生が祀られている神社ですが、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿以下、伊藤博文や山県有朋などなど。松下村塾で学んだそうそうたる顔ぶれ。松陰と同じく松陰神社に祀られてもおかしくはないのでしょうが、そこに一線を引いたのは、逆に松陰先生への思いの深さ。外観的におとなしい建物なのもいいかもしれません。
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では、改めて、涙松跡を目指して、南に向かいます。
松本川と橋本川にはさまれた地域。通りのあちこちに小川が流れていて、長閑な住宅地です。 -
萩の郊外に出て、萩から防府の三田尻に向かう萩往還を進みます。だらだらとした上り坂です。
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イチオシ
ほどなく、涙松跡に到着。大きな石碑が建っていて、ここは、吉田松陰が安政の大獄で江戸に送られる時も通ったという場所。その時、松陰が詠んだ歌「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしお)ぬるる涙松かな」の紹介もありました。
辛い別れだったと思いますが、松陰はまさか命を取られるとまでは思っていなかったのでは。罪は、下田からペリー艦隊の艦船に乗り付け、海外への渡航を願い出た密航未遂という行為ですからね。ただ、結果は死罪。老中、間部詮勝の暗殺計画を自白したためですが、これは自らの信念の正しさにまったく疑いを持っていなかった松陰の潔さがあってのもの。運命と言えば運命ですね。なお、間部詮勝は、越前鯖江藩第7代藩主。井伊直弼とタッグを組み、開国反対派の弾圧をしていた人物です。後に、井伊直弼とは決裂するのですが、当時、徳川幕府は諸外国の情勢を正確に把握していて、間部詮勝も頭脳明晰。朝廷の頑迷ぶりを嘆いている、実はなかなかの人物です。菩提寺である地元の萬慶寺でそのことを知り、とても印象深かったのを思い出します。https://4travel.jp/travelogue/11088594涙松跡(萩往還) 名所・史跡
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萩往還梅林園は、萩市内からだと涙松跡を過ぎてすぐのところ。通りから少し下ったところにありますが、通りからもよく見えているので迷うことはありません。園内には遊歩道が巡り、よく整備された梅園。雑草なんかもほとんど生えていなくて、気持ちよく回れます。吉田松陰の生誕160周年を記念して開園されたということです。
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この辺りから自転車を下りて、山道を歩きます。
道の駅 萩往還はもう少し先ですね。 -
涙松跡から道の駅 萩往還に向かう林の中の遊歩道沿いを少し行くと大屋刑場跡。山道から少し下ったところに「栗山孝庵女刑屍体腑分之跡」の碑とお地蔵様がありました。ここは、藩医の栗山孝庵が女性の罪人の解剖を我が国で初めて行ったという場所なのだそうです。
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道の駅 萩往還に到着です。
敷地内には、産直の施設のほか、松陰記念館や橙々亭というきれいな食事処があって、これなら少しゆっくりできる感じですね。道の駅 萩往還 道の駅
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イチオシ
敷地内には、松陰先生ほか維新の志士たちの銅像。
左から、高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞。
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左から品川弥次郎、山田顕義。
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左から山形有朋、木戸孝允、伊藤博文。
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まずは松陰記念館に入ります。
松陰記念館 美術館・博物館
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イチオシ
展示室はひと部屋ですが、松下村塾で学ぶ塾生たちの蝋人形などけっこう迫力があるし、在りし日の松陰の姿が素直に想像できてけっこう印象的。
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松陰先生の絶筆他、ゆかりの品々。
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松下村塾の教育。
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吉田松陰の心。
冒頭にも触れましたが、結局、一番大事なのは志。「志を立てて以て万事の源と為す」松陰の言葉は今でも心に響きます。 -
道の駅 萩往還の中にあるうどん茶屋 橙々亭で昼飯にします。
瓦そばをけっこうアピールしていたので、それにしてみました。ここは豚のバラ肉を使っていましたが、牛肉の方が私は好きかな。それでも。まあまあ、こんなもの。元祖 瓦そばのたかせでも、さほどおいしいものではないですからね。話のネタというくらいです。 -
最後に産直の方。
たくさんの伊予柑があって話をすると伊予柑は萩がルーツ。 -
武家屋敷の跡地が荒廃するのを見かねた小幡高政が士族救済のためもあって、そこに柑橘を植えることを広めるのですが、その中で、枝変わりしていた伊予柑が発見されたということです。
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萩市街に戻って、今度はひな祭り。
萩市浜崎伝統的建造物群保存地区の方を訪ねます。
ちなみに、萩市浜崎町は、萩の城下町が作られた時から商人の街だった地区。萩市内は、武家屋敷があちこち残っているのですが、その範囲はかなり広くて、むしろ武家屋敷が見当たらないこの地区は逆に珍しいかも。中心は、山中家、山村家、御船倉の辺りです。 -
ひな祭りの会場、旧山村家住宅へ。ここは昭和初期の町家です。
旧山村家住宅 名所・史跡
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中に入って、
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玄関に置いてあるのは、ちょっと質素なひな飾りですが、明治時代のもの。胡粉が塗られているんだと思いますが、お顔が艶々です。
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座敷に上がると
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あちこちの家から持ち込まれたお雛め雛のひな人形がずらり。
こちらもほとんどが明治時代のものですよ~
それぞれ個性もあるし、自慢の逸品なんだと思います。 -
切れ長の目におちょぼ口。め雛の宝冠もさりげなく豪華です。
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ジャンルとしては御殿雛だと思いますが、明らかに特注品ですね。
源氏物語の世界観を感じます。 -
奥にちらりと見えるお雛に
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め雛も活き活きとしていて、とてもいいと思います。
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床の間に飾ってあるこれも御殿雛。しかし、明治13年というのはかなり珍しいのでは。ちなみに、西日本では明治以降、御殿雛が主流だったのですが、それは戦後の昭和30年くらいまで。そこからは東日本で主流だった段飾りに駆逐されるという流れです。
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これは萩の伝統的な人形「ほうこさん人形」。
生児に災いが及ばないように身代わりになるという意味もあるようです。 -
鶴の襖絵と合わせた御殿雛。これも優雅なものであります。
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入口の方に戻って、ずらりと並んだ御殿雛です。
こちらは、大正から昭和にかけてのものかな。いわゆる御殿雛の最後の時代のものですね。 -
イチオシ
ただ、御殿雛は一見豪華そうに見えますが、段飾りに慣れてしまっている我々から見ると段飾りが場所を取るので、コンパクトにしたものみたいに思ってしまうんですよね。
しかし、段飾りはそういうものではない。ただ、古いものしかお目にかかることがなくて、あんまりピカピカなのは見ていないような。そういう意味だと、これらの御殿雛はちょっと違う印象。ピカピカで、保存状態もすごくいい。 -
この頃、萩では家々が競争していいものを買い求めていたともお聞きしましたが、さもありなんという感じ。ちょっとレベルの違う御殿雛のように思います。
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旧山中家住宅の方の会場も拝見します。
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入ってすぐのひな飾り。
こちらも御殿雛がメインですね。旧山村家住宅で拝見した御殿雛と同様になかなかしっかりした御殿雛です。 -
ここに来る前にちょっと目に留まって、気になっていたお店がこちら。
百茶一芯というお店なんですが、舸子176の方が通じるかな。ギャラリーとかもある舸子176のレストラン部門が百茶一芯という関係です。 -
古民家を有名建築家に依頼してリノベーションしたという店内がとても素晴らしくて、これだけでもこのお店は訪ねる価値が十分あるでしょう。灰色のしっくい壁に床のコンクリート。灰色で統一されていますが、この灰色がとてもおしゃれ。椅子テーブルのデザインともマッチしています。
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ティータイムだったので、注文したのは御主人がフランスで修業していた時と同じレシピというカルネ。カルネは名店がそれなりにありますから、驚くようなものではありませんでしたが、ちょっとサイズが大きいのが特徴と言えば特徴かな。島根県の無農薬のほうじ茶と併せていただきました。
食事の方はどうなんでしょうね。それもすごく期待ができそうなお店です。 -
自転車を返して。
明倫小学校本館の方を訪ねます。 -
なお、建物が明倫小学校本館。施設名としては、萩・明倫学舎ですね。
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建物は、本館、2号館、3・4号館とあって、とても大きいです。
時間があまりないので、建物をざっと拝見するしかないですね。
本館の入り口から -
一階の廊下とか。
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二階に上がって、堂々とした大会議室や
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イチオシ
校長室とか。
豪華ではないですが、明治人の気骨のようなものを感じる雰囲気があると思います。 -
では、ここから晩飯です。
割烹 千代は、萩では大人気のお店のようで、予約をして伺いました。割烹 千代 グルメ・レストラン
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カウンターの席の店内の雰囲気もさすが。抜群ですね。
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さっそくコースが始まります。
前菜から -
イチオシ
地物を使ったお造りは繊細な味わい。
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名物の石焼きのイカもなかなかおいしいです。
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焼き物から
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茶碗蒸しをはさんで
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揚げ物。
さすがという感じではあるのですが、 -
敢えて言えば、この締めの吸い物と
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最後のデザートのお菓子はちょっと気になる出来かな。
正直、レベルに達していないようなものもちょっと混じっていて、もう少し完成度は高められるような気はしました。
ただ、萩の魚のおいしさは新発見。ふぐは真ふぐでしたが、それ他の組合せは十分。味のメリハリが付いていたと思います。 -
今夜の宿のビジネスホテル長谷川は、萩バスセンターのはすむかい。萩市街の中心で大通りに面していて、周辺には飲食店もそこそこあるし、萩市内ではこれ以上ないベストポジションだと思います。外観はあんまりホテルには見えませんが、表側に「ビジネスホテル長谷川」とはっきり書いてあるので分からないことはないですね。
部屋は至ってシンプル。ある意味何にもない感じですが、ごちゃごちゃしているのより余程いいと思います。 -
二日目も自転車です。
萩のお宿 花南理の庭は、老夫婦がやっている1日1組限定のお宿。ひな祭りの期間中はひな飾りとかを拝見できるというので訪ねてみました。 -
なんでも、ここは毛利家の家臣だった家のお屋敷。
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100年以上経つ自慢のお庭は、近々、登録有形文化財か何かに指定される予定だとかおっしゃっていましたが、
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池を中心にした堂々たる日本庭園。確かに、それらしい雰囲気はありますね。ひな飾りが目的でしたが、まずはこの庭の見事さに感服です。
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ひな祭りは蔵の方ということでしたが、
むしろその他の美術品の方がなかなかのもの。 -
武家の家に伝わる品々は、毛利家との関連もあるようで、
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馬に乗っているのは源義家ですが、後三年の役のこと。雁の群れが乱れたのを見て、敵が潜んでいると義家に告げたのは、毛利家の祖先にあたる大江匡房。義家が名将であることは知られていますが、大江匡房の智謀もまた優れたもの。毛利家の自慢とするところなんですね。
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少し南に下がって、山田亦介旧宅地。
崩れ落ちそうな石碑とバックのコンクリートブロック塀に説明板がありました。
山田亦介は、幕末の兵学者で吉田松陰も入門したのだとか。平成改革では洋式に改めたりもしています。一方で、甲子殉難十一烈士のひとり。元治元年(1864年)、第一次長州征伐によって長州藩内の主導権を握った俗論党のもと、萩の野山獄で処刑されました。 -
北に戻ってきて。
素水園は、第26代内閣総理大臣 田中義一の生誕地。ただ、名前のような公園とかという雰囲気ではなく、ちょっとした広場のようなスペース。萩博物館に行く途中、田中義一銅像が建っていて気が付く感じ。その周辺のことを指しています。 -
そこから西へ。萩城の方に向かいつつ。。
堀内重要伝統的建造物保存地区のエリアに入ります。ここは、大きな屋敷ばっかりの上級武士の街です。 -
萩学校教員室は、明治20年頃、萩学校教員室として明倫館の敷地内に建てられたもの。木造一部2階建て、寄棟造桟瓦葺きのこじんまりとした洋館。化粧軒裏天井のデザインが印象的です。現在地には、昭和44年に移転してきました。
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少し西に進んで。
旧福原家萩屋敷門は、永代家老だった福原家の萩上屋敷の表門。門の形式は腕木門。少し傷みが目立たないこともないですが、意匠としては、瓦や彫り物など豪華な印象です。
なお、幕末の当主は福原越後。元治元年(1864年)、第一次長州征伐によって長州藩内の主導権を握った俗論党のもと、萩の野山獄で処刑されました。甲子殉難十一烈士のひとりであり、幕府への謝罪のため徳山に幽閉されていた三人の家老(ほかは益田右衛門介、国司信濃)のひとりです。 -
堀内重要伝統的建造物保存地区の橋本川にも近い辺り。
堀内の鍵曲は、藩政時代の城内三の丸にあたる場所。毛利一門や大身の武家屋敷が並んでいた場所だけに、通りの幅は広くて残る石垣もそれなりに立派です。 -
その通りが直角に曲がっていているのは町の防衛のため。萩の街並み散策でも必見ポイントの一つとなっています。
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萩城跡です。
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お堀と石垣だけの城跡。
ちょっと寂しい感じもなくはないですが、幕末、藩主は山口市の方に居を移しています。動乱の時代ですから、そちらの方が指揮がしやすいという判断だったようですが、つまり、萩城の意味は軽かったのかな。それとの関係もなくはないかもしれません。 -
萩城跡を西、海の方に進んだ外れの外れには妙玖寺台場跡。海を見下ろす寂しい場所です。
妙玖寺というのは、毛利元就の正室、妙玖の菩提寺だったようですが、その跡地に台場が作られたようです。ここだけではないようですが、ここからなら広く海を見渡せるし、大砲を撃っても遠くまで届くでしょう。攘夷のためのもの。幕末の長州藩の慌ただしさが窺われます。 -
萩城跡から戻ってきて、また堀内重要伝統的建造物保存地区を抜けて東へ。
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昼飯は、あじろで、刺身御前をいただきます。
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こじんまりとしたカウンターに座って、さっそく始まりましたよ~
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お造りは、
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イチオシ
トラフグにたまたま入荷していたという幻の白アマダイも入っていて。特に白アマダイはあること自体が珍しいのとそれを刺身で食べるというのがまたなかなかないことらしく、もう今後食べることはないだろうという説明でした。水分を多く含んでいるので、日持ちがしないのだそうです。ちょっとねっとりした舌触り。旨味も濃いような気がしました。
ただ、そうした食材の幸運さもあったのですが、ここの大将の刺身は紙塩とか下処理の基本がしっかりしていて、味わいに深みがあります。ただ単にきれい系の味の刺身は割とあるのですが、こうして自分の舌で出来栄えを確認しているようなお店は稀有なような。 -
茶碗蒸しや最後のデザートにもそうした大将の舌の存在がちゃんと感じられる。ちょっとすごいお店。昨日の割烹 千代とはまた違った凄味があるような気がしました。
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では、久しぶりに萩博物館にも寄ってみます。
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堂々とした構えの博物館は、中も悠々とした広さです。
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自然科学の展示もそこそこでしたが、
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もう一度、明治維新の原動力となったこの街が何を訴えてくれるのか楽しみですよね。
町割りの地図や -
毛利藩の財政の立て直し。
毛利重就、坂時存の宝暦改革から -
毛利敬親、村田清風の天保改革へ。
雄藩としての力が徐々についていく基本です。 -
そして、幕末の動乱。
尊皇と佐幕が激しく揺れ動きますが、毛利家は、水戸藩を別とすると、藩主自らが尊皇という実は稀有な藩だったんですよね。 -
そして、その中心に座っているのは、松陰先生。精神的な支柱としての存在は並ぶものはありません。
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明治に入ってからの萩の乱。
時代には反動も付き物です。 -
高杉晋作の関係は、特別室です。
ほか、萩が排出した英雄たちの偉業を整理して展示はしていましたが、ただ、何か物足りないような。萩だとそうなるのでしょうが、山口や中国地方全体の歴史として、大内文化や広島時代も含めて毛利氏がどのような歴史があったのかとか、もう少し広い視野で語ってあるとよかったかも。大内氏と尼子氏の間で揺れ動いた国人の一人という立場から中国地方の覇者に上り詰めた毛利元就の系譜が幕末の毛利家の矜持につながっているのは明らかですからね~
また、一度は関ケ原で敗れた徳川にリベンジ。最終的には倒幕で撃ち破る。ちょっと単純過ぎるかもしれませんが、そんな対比もドラマチックでいいと思います。 -
ここからは、ひな祭りに戻って。
菊屋の向かい側、旧久保田家住宅。
呉服商や酒造業を営んでいた豪商の屋敷は、 -
幕末に建てられたという日本家屋です。
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座敷に上がるとこちらも豊富な雛飾り。
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ズラリと並んで圧巻です。
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御殿雛もあって、
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それはそれなりに豪華ですが、
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イチオシ
こちらのメインは段飾り。
昭和の古今雛で揃えています。 -
明治期の有職雛。
ちょっと珍しいものかなと思います。 -
続いては、菊屋です。
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菊屋は毛利藩の御用商人を勤めた豪商。
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また、大内氏の時代には武士として仕えたという歴史も持ち、この住宅も400年の年月を経ていいます。
高い天井の広間から -
庭を眺めるこの開放感は菊屋ならでは。
萩に来たら、この開放感に浸らずにはいられません。 -
広間の床の間と
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控えの間には、ちょこっとした雛飾り。
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切れ長の目が特徴の享保雛は、
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さすがの存在感ですね。
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商家に残るいろんな道具類もきれいに保存されているので
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どうかすると雛祭りの道具類みたいです。
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イチオシ
菊屋の御殿雛。
特注の御殿は立派ですが、雛道具がそれと同じくらい素晴らしい。これぞ本格的なひな飾りという感じですね。 -
あとは、手び練りの萩焼。
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見応えありますね。
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短冊の掛け軸に
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京人形。
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こんな掛け軸もしっかりしています。
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表に出るともう日が暮れかかっていました。
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最後の時間を使って、もう一軒。
キモノスタイルカフェは、木戸孝允邸の向かい側。着物のレンタルもやっているので、それでキモノスタイルカフェですね。 -
店内は悠々としたスペースがあって、テーブル席とかおしゃれ。大正ロマンのような雰囲気があっていいですね。
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いただいたのは、萩の夏みかんジュース。武家屋敷と夏ミカンは深いつながりがありますからね。こちらもきちんとおいしいジュースでした。
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そして、晩飯はお食事処 こづちへ。
こちらは、夜はお酒を飲みながらの地元の人が集う社交場的なお店。大人気でこの日も予約でいっぱいということでしたが、予約時間までの少しの時間ならということで滑り込ませてもらいました。 -
急いでかつ丼をいただきましたが、少し甘めの味付けに、しっかり揚がったカツの方もうまみがあっておいしいですね。これは人気の理由がよく分かります。大将もとっても快活。お客さんの話に積極的に参加して、和気あいあい。こちらも楽しい気分になれました。
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今日の宿は、パーク・インまるふく。昨日のビジネスホテル長谷川と同じ並びです。ただ、こちらのお部屋は和室。やっぱり和室は楽ですよね。一方で、建物の制約もあってか妙な形の部屋。気になると言えば気になりますが、和室で楽なことの方がありがたいかなと思います。
これで、萩はおしまい。
明日は、早朝、JRで益田に向かいます。
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