2015/11/28 - 2015/11/28
51位(同エリア354件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35301件
- Q&A回答420件
- 5,367,028アクセス
- フォロワー666人
今日のコースは鯖江と武生。鯖江の方は鯖江市ですが武生の方は越前市です。
蛇足なんですが、越前市は武生市が今立町と合併してできた名前なんですが、非常に残念なこと。地名は地元の歴史やアイデンティティの源ですから、武生市という立派な名前がなくなって、越前市というわけのわからない名前になったのは、福井県にとっても大きな損失ではないかなあと思います。鯖江に対しては武生。鯖江市に対して越前市というのはないでしょう。
いきなり変な話になってしまいましたが、言いたかったのは鯖江も小藩ながら鯖江藩という藩があったし、武生も元は越前国の国府があった場所。それぞれが福井市とは異なる歴史を持った街なんですね。こういう多層的な県であることも、福井県のイメージにはあまりなかったことなので、そのあたりを特に感じてもらえたらなあと思います。
近松門左衛門と間部詮勝(まなべ あきかつ)。ボルガライスだって、福井市にはない文化の象徴です。さあ、どんどん紹介していきますよ~
PR
-
勝山から移動して、鯖江市に到着。今夜はここで泊まります。
-
駅前に近松門左衛門の案内。あれれ、ここは近松門左衛門ゆかりの地なんですね。ちーとも知りませんでしたというか、ちょっと違和感もある。
そういえば、唐津に近松寺というのがあって、近松は幼少期にそこで学んだはず。故郷に帰りたいという遺言により、そこにお墓もあったんですよね。けっこう具体的な話だし、その印象が強かったんですが、どうしたんでしょうかね。(後で調べると、出生地についてはいろいろ説があったようですが、今ではこの鯖江の地であると定まってきたようです)
いずれにしても、これは、また明日の街歩きが楽しみになってきましたよ〜 -
宿泊するホテルアルファーワン鯖江は、鯖江駅から目と鼻の先。暗くなって到着したのですが、大きなビルでもあり迷うことはありませんでした。
部屋は、ごく普通のビジネスホテル。レンタサイクルもやっていて、雨だったので利用しませんでしたが、これは使えると思います。 -
翌朝の街歩きは、小雨の中です。
観光案内の地図を頼りにまずは、萬慶寺です。 -
この寺は、鯖江藩主、間部家の菩提寺。山門から本堂や
-
境内の隅々まできちんと手が入っていて、やはり格式もあるのですが、清潔な感じのするお寺です。
-
越前鯖江藩第7代藩主で、幕末に老中首座を務めた間部詮勝の描いた本堂の天井墨絵が見どころというので拝観を申し込みました。
実は、ダメモトのつもりだったのですが、住職さんが出てきて、どうぞどうぞと本堂に案内してくれました。 -
イチオシ
天井絵は「風神」「龍神」「雷神」。勢いがあって、それが圧巻なんですが、なんともユニーク。この作品は、作者が自分の見た記憶を辿ったり、何かを参考にしたりした感じが全くしない。もしあったとしても、そんな呪縛からは完全に解放された、自由な精神があふれているように思います。テーマは想像上の生き物ですから、自由に想像するのはできることなんですが、江戸時代の伝統的な気風もあったでしょうし、それは今では想像もできないくらい困難なことだったはず。生半可な心得ではできるものではないでしょう。
-
住職にも少し説明してもらいましたが、住職も自由で奔放な描き方について力説されていました。本当にその通りです。
これは、雷神ですが、自分の思うまま腕を振るって迷いがない。 -
こっちの風神もなんて自由なんでしょう。風の袋に縫い目があったり、雲の形もなんという形でしょうねえ。作者の気持ちがひしひしと伝わって来るようです。
とにかく、自由自在。間部詮勝は殿さまですが、そのとてつもない精神構造が垣間見られるように感じました。風神・雷神の方は少し雨漏りに冒されて傷んでいるようで少し心配ですが、鯖江にはこんなお宝がありましたか。って感じです。
寝っ転がってみていいよという勧めもあって、しばらく本堂に寝っ転がって、天井画を楽しみました。ただ、楽しい一方で、何か、この桁外れの奔放さには不思議さも募ってきますが。。 -
と、それもそのはず。間部詮勝は老中という立場で井伊直弼とタッグを組み、開港への舵を切った中心人物でもあった人なんですね。
-
これは墓碑に書かれた間部詮勝の功績だそうで、住職が丁寧に読みながら、解説してくれます。住職もなんか興が乗ってきたようですね。
ところで、開国については、当時、天皇はじめ朝廷は絶対反対。開港が決まった後でもしつこく幕府を攻め、最後は勅許をえずに開港した幕府の不手際を口実に討幕への動きが始まるというのが流れなのですが、
この時、間部詮勝は開港に頑迷に抵抗する朝廷に理路整然と幕府の考え方を伝えていて、敢然と立ち向かう。その理屈は堂々とした正論であり、少しも間違っていない。世界の情勢を正確につかんでいたのは幕府の方であり、その判断力も抜群。その中心にいたのが間部詮勝だったのですね。
つまり、政治家でもあり、芸術家でもある。ともに超一流であり、これだけ傑出した人物。なぜ、それほど知られていないのか。不思議な感じもしてきました。
ただ、いずれにしても、いいものを見せてもらいましたよ〜。たびたびさん、いきなり絶好調です。 -
萬慶寺のすぐ裏手にあるのは、王山古墳群。
高さ66mの王山という小山一帯に、49基の古墳があって、出土した副葬品から東海や近江地方と交流があったことが分かったという国の史跡。
周辺を歩きましたが、墓地が広がっていて、山の上にはどこから登っていいのかよく分かりません。まあ、こんな感じです。 -
少し歩いて、これは車の道場。正式には「上野別堂」というのだそうですが、親鸞上人が当地で初めて教えを説いた念仏道場だそう。親鸞が乗った輿(こし)に車がついていたので、車の道場と言われるようになったということです。
-
奥に本堂のような建物が一つ建っていますが、人けがなくてひっそりとしていました。観光地という感じではありません。
-
少し進んで、今度は舟津神社。この辺りは、崇神天皇の時代、北陸地方を平定した大彦命(おおひこのみこと)が、沼地だった鯖江の平野部一帯で舟を着けた場所。
-
そこに、その大彦命を祀ったのが丹津神社の始まり。気が遠くなるような昔です。
境内は、一直線に参道が続いて社殿に至る。ひなびた赤鳥居と灯籠が何個もぶら下がった本殿がちょっと特徴的です。 -
さて、市街中心部に帰ってきて。
-
松阜神社は鯖江藩邸内にあって、甲府藩主・徳川綱豊(後の6代将軍・徳川家宣)の側用人から相模国内で1万石の大名となった実質的に間部家の初代、間部詮房を祀る神社だったもの。
-
ちなみに、間部詮房は側用人の前は猿楽師であったということで、特異な経歴が際立っていますが、神社はあくまで大名を祀る神社。覆いがあって分かりにくいと思いますが、威厳はあります。
-
その通り沿いの植田家は、代々鯖江藩家老の家柄。その屋敷の遺構として、長屋門が残っています。
白い漆喰や黒ずんだ木の壁などしっかりしていて、そんなに長い間、風雪に耐えてきたようには見えませんが、姿恰好は確かに幕藩時代のもの。鯖江市文化財となっています。 -
弁天堂の周辺は駐車場になっていて、お堂の前だというのに車がそれを気にせず止められていて、ちょっとぞんざいな扱いかなあという感じの建物です。
-
このお堂には、弘法大師が作られた3体の霊像の一つである弁財天が安置されていて、これは、江戸幕府将軍家の宝物だったのを6代将軍徳川家宣から間部詮房が拝領したものということですが、本当にこの中にあるのかどうか。どれだけちゃんと伝えられているのかはかなり心配です。
-
ここから、例によって少しスイーツチェック。
これは、ヨーロッパン キムラヤ。 -
店の前に、「軍人の夢の味、軍隊堅パン」というレトロな看板がありまして、ヨーロッパンの名前と違って、お店の歴史は古いんだぞということでしょうか。
-
そうはいっても、中は今風のおしゃれなパン屋さん。
-
しかし、ふと気づくと大福アンパンというのがあって、これが売出し中のよう。それをいただきましたが、名前の通りのパン。パンはパンの味だし、中は普通の大福というか、けっこうでかい大福。それぞれの味を楽しむというパン。コラボの効果があるかと言われれば、それぞれで味が成り立っていますから微妙です。
-
大黒屋もすぐ近くにある立派な構えの和菓子屋さん。きっと老舗なんでしょう。
-
ちょこっと寄って、お勧めの栗きんとんをいただきました。栗きんとんは、時々、どえらくうまいのに当たることがあるのですが、ここのもまさにそれ。栗の香りが強くて、甘さも絶妙。お見事でした。
-
これも近くにある誠照寺。真宗誠照寺派の本山だということで、当時この地の豪族だった波多野景之の屋敷で親鸞が法を説いたのが始まり。
-
その後、柴田勝家の保護を受けたり、江戸幕府から朱印状を与えられたりと
-
鯖江を代表する大寺院です。
-
その門前にあるのが、あめや呉服店。二階建ての店舗兼主屋が国の登録有形文化財となっていて、この黒漆喰塗りの外観も悪くはないのですが、
-
イチオシ
本当の見どころは、店内に飾ってある横2.4m、高さ96?の「呉服」の大看板。北大路魯山人の彫ったもので、これはいいものを見せてもらいました。長浜にも大きな看板がいくつか残っていますが、これも魯山人の代表作と言ってもいいくらいの立派さです。
-
ここからしばらく歩きまして。
のだや餅舗は、鯖江市街といっても、もう西山公園も近い辺り。 -
店内に入るとお菓子類も置いてありますが、やはりここの看板商品の安倍川もちを食べないと話になりません。
-
イチオシ
店内のテーブル席でいただきましたが、いやー、めちゃめちゃうまいですねえ。平たくうすく延ばしたきめの細かいお餅に、きな粉と黒蜜がよく絡みます。今思い出しても、生唾ごっくんって感じです。ごちそうさまでした。
安倍川は、静岡の名物なんですが、京都下鴨がルーツのみたらしだんごと同じで、今やそれぞれの土地で根付いているのが面白いところです。 -
さらに進むと、これは地蔵橋。
-
ただ、実際の橋ではなくて、石地蔵の記念碑。この石地蔵は、織田と朝倉の戦いで朝倉勢を攻める織田勢が橋の路傍にあったこの石地蔵を川に投げ込んで埋めて、進軍したというのです。さらに、後になって、ある僧が「我が体を踏ませて、通る衆生に功徳を与えん」と夢のお告げを受け、これを掘り返し旧北陸道の小川の橋にしたという石地蔵さんです。
-
とうとう西山公園までやってきました。鯖江の中心部からだとやはり少し距離がありました。今日、雨が降っていなければ自転車で来たんですが、まあ、仕方ありません。
-
ここは、日本海側では最大規模のツツジの名所だそう。園内には約5万株のツツジが植えられているといいます。
-
道を挟んで、嚮陽庭園というエリアがあって、これは鯖江藩7代藩主、間部詮勝が領民とともに楽しみたいと作った庭なのだとか。歴史的な経緯もある一帯です。
-
で、実はこれが主目的だったまなべの館。
-
ここに、鯖江ゆかりの近松門左衛門の関連資料が展示・解説された「近松の部屋」があるんです。
-
近松門左衛門の生い立ちに作品それぞれの解説があって、
-
コンパクトだけど見やすい内容です。
-
イチオシ
入ってすぐには、曽根崎心中。
平野屋の手代、徳兵衛と遊女お初。平野屋の主人に縁談を進められ、支度金も受け取っていたのですが、お初と添いたい気持ちは変わらない。しかし、返そうとしたその支度金をだまし取られ、追い詰められていく。主人への義理とお初への人情の板挟みというおきまりのストーリーです。 -
主人公の景清は、源平合戦で敗れた平家の武将で、仇の頼朝を付け狙います。しかし、熱田神宮の娘、小野姫に匿われ結婚もしていた景清ですが、身が危なくなると息子をもうけた仲だった阿古屋のもとへ逃れます。阿古屋の兄がそれを知り、恩賞目当てに阿古屋をそそのかし、幕府に訴える出る。
阿古屋は小野姫への嫉妬もあっての行動だったのですが、やはり心は景清にある。悔い改め許しを請いますが、景清は頼朝への復讐を邪魔した阿古屋を許さない。窮した阿古屋は息子とともに自害してしまうのでした。 -
紙屋治兵衛と遊女小春との心中もの。これにもうひとりの主人公とも言うべき治兵衛の妻・おさんが絡みます。
紙屋治兵衛と遊女小春は道ならぬ恋の果てに心中を誓い合う仲でしたが、おさんは治兵衛が死んではならじと小春に心中の翻意を約束させます。しかし、そのことは小春の心変わりと受け止め、悲嘆にくれる治兵衛。そうこうするうちに治兵衛と別れた小春に別の身請け話が持ち込まれ、おさんはこれで小春が死ぬものと予感します。それでは、自分の約束を守ってくれた小春に申し訳ない。おさんは小春を身請けするための金の工面をするのでした。しかし、それを目の当たりにし、治兵衛の女道楽に怒り心頭の父親はおさんを連れ戻す。
おさんを失い、また小春とおさんの約束を知った治兵衛は、結局、小春との心中しか道はない。しかし、おさんとの約束も保護にはできない。二人は別々の場所で自害するのでした。
近松門左衛門は、東洋のシェークスピアといわれるのですが、まさに天才。登場人物のそれぞれが人間味があって、現代人の我々でも他人事とは思えない。細部は知らなくても、仕立てた筋書きを噛みしめるだけでじんわり思いが沁みてくるんですよね。日本の誇るスーパースターの一人であることは間違いありません。 -
そして、今朝ほどのお殿様。幕末に幕府の中枢で活躍した間部詮勝の行動や考え方の紹介なども的確です。
ここで、鯖江の二人のヒーローが揃いました。
ほか、鯖江市出身のアニメーション作家、久里洋二氏の「久里洋二の部屋」もあるのですが、これはたまたま休館中。ちょっと残念でした。 -
再び、市街中心部に帰ってきて、これは恵美写真館。
-
イチオシ
明治38年築の擬洋風建築物で、国の登録有形文化財ともなった洒落た建物です。
-
たまたまご主人がいらっしゃいまして、内部の方も見せてもうことにしました。
-
玄関先のレトロな電球の傘などもうっとりするような美しさですね。
-
これが入ってすぐの部屋。
-
なんかいろいろ置いてありますけど、いずれにしても、外観と違って、普通の和風の造りです。
-
脇から階段があって、二階に上がります。
-
イチオシ
二階は写真のスタジオになっていて、今でも使えそう。
-
ここで写真を撮ったことのある人もたくさんいて、それぞれの人の思い出の場所となっていたりするのかも。ここにきて、物語もある建物だということを感じました。人に歴史あり。建物に歴史あり。。ですね。
-
今日は武生もあるし、ちょっと時間が気になってきました。駅の方へ急ぎましょう。
-
ただ、市内には少しまだ気になるお店もあって、チェックしながら帰ります。これは、栄進堂。
-
和洋菓子のお店で、季節イチオシの「いちご餅」をいただきました。いわゆるいちご大福のことですが、お餅が羽二重餅になっているのが福井らしいということでしょう。瑞々しいいちごもいいと思います。
-
続いては、萬年堂。
-
水ようかんが看板商品ですが、最近、チョコレートの水ようかんを作ったというので、それを試しにいただいてみました。食べていると奥からご主人が出てきて「いろいろ試作をしているんですが、どうですか?」。
やっぱり、チョコレートは質がよくないとおいしくない。水ようかんにする技術もあるけど、まずは質のいいチョコレートを使わないと話にならないんじゃないかと思います。いろいろ探してみてくださ〜い。 -
最後は、昭和堂。
-
ここも和洋菓子の店なのですが、メインは洋菓子の方でしょうか。大福餅をいただきましたが、ちょっとふんわり系。敢えて言えば、洋菓子の技術があるのにそれを活かしていないような。パンチ力が少し弱いかなあと思いました。
私が食べるのをじっと見られたりしましたが、そんな対応がなにかアットホームな印象。地元で頑張っているお店だと思います。 -
鯖江市観光案内所は、鯖江駅ビルに入っています。鯖江は、鯖江の眼鏡とか限られた知識しかなくて、そんなに観光地というイメージはなかったのですが、細かな観光スポットはそれなりに多い。ここでじっくり情報を仕入れることをお勧めします。ただ、近松門左衛門の関係は、ここから遠いので、レンタサイクルを利用する必要がありますので。
-
予定していた時刻の列車で、武生駅に到着。まずは、ここでも観光案内所で情報を仕入れます。
これが越前市観光案内所なんですが、武生駅前のビルの中にあるので、ちょっと分かりにくいかもしれません。武生駅周辺のそば屋や名物グルメの情報を聞きました。 -
で、まずは予定通り、あめこに直行です。ここは、黒糖風味の安倍川もちが有名な名物店なんです。創業は、天明期(1782年)だそうで、けっこうな老舗ですね。
-
武生駅から歩いてもそう遠くないはずだったんですが、道がちょっと分かりにくくて、てこずりました。
-
竹の皮に包んだお餅です。
事前に電話をして取り置きしてもらっておいたんですよね。 -
イチオシ
本日の最後、武生から長浜に向かう列車内でいただきました。
これが一番小さな包みなんですが、開くとけっこうな量。一見した時、一人では容易には食べれそうにないとも思ったのですが、食べだすとそうでもない。無事に全部胃に収まりました。めちゃめちゃうまいという感じではないのですが、食べるにしたがってじんわりと良さが分かってくるというようなお餅です。地元の人が時々食べたくなるんだろうなあという感じです。 -
で、これから越前陶芸村に向かうんですが、バスの時間まで少しあるので、ここは御清水庵に行くしかないでしょう。
いずれにしても、こちらは、武生を代表するお蕎麦の名店なんです。 -
イチオシ
ちょっと辛いですよという注意もありましたが、辛くてもどうでも。。とにかくこのそばうまいです。キレもあるし、そばのうまみもある。辛い出汁はあくまでそれをさっぱりといただくためのものであって、その役割を出過ぎることなくちゃんと果たしています。
-
器もなかなかいいし、センスありますね。
武生に行ったら、ここに寄らない手はないでしょう。ごちそうさまでした。 -
越前陶芸村は、武生駅からバスで30分近くかかったかも。
-
バス停からしばらく坂道を上がっていくと、
-
山全体を開発したような広大なエリアに、越前陶芸公園という公園が整備されていました。
桜やつつじが植えられていて、季節には美しい花を咲かせるようです。 -
あまりにも広いので、目当ての陶芸館がなかなか分からない。取りあえずこの建物に入ってみましたが、
-
休憩スペースがあるだけ。ここで陶芸館の場所を聞いて、やっと場所が分かりました。
-
これが陶芸館です。
-
イチオシ
ちなみに、越前焼は日本六古窯の一つ。とはいえ、これまであまりその特徴など判然としなくて、いつかはその内容を確認しないといけないと思っていた焼き物です。
その歴史は古いのですが、特徴を端的に表す言葉は「炊事場にも入れん」。焼かれたのは瓶や鉢の類が主で、野外に置かれたりするもの。茶器などは論外で、いわんや食器として使われることさえなかったというのです。今ではそんなことはありませんが、参考になる視点を教えてもらった気がしました。 -
なので、古いものはどうかすると誰も見向きもしないようなものばかり。
-
したり顔で、ふむふむとか見ているとしたら、
-
それはきっと分かっていない人でしょう。
-
しかし、作り手はその状況でも勝手に考えたり、工夫をしてしまう。もの造りっていうのはそういうことでしょうからね。
-
陶芸の実演なども拝見して、いろいろお話を聞きました。見るとこの器はけっこう薄造り。妙なことだなあと思ったら、今では紙のように薄い器もできましたとおっしゃっていました。
ちょっと、付言すると。。
こうした場所は、一回ポッと行ってもなかなかコミュニケーションはとれません。陶芸館の人に「越前焼きってどんなものですか?」と尋ねると「この地方で広く焼かれていた焼き物でそれを総称した焼き物。これというものではないんです。」という答え。はあ?これでは話にならないじゃないですか。そんなの唐津焼でも備前焼でもどこでも同じですよ〜
例えば、古い陶片を見ると唐津焼も高取焼も上野焼も区別はつきません。ほとんど同じで、特徴なんかないんです。しかし、そこから、それぞれの特徴がだんだんと出来て行くんですね。始めはそうは思っていなくても、小さな方向性が焼き物の特徴を作って行くものなので、少なくともそれにつながるヒントが欲しかったんですよ。
ちなみに、敢えて誤解を恐れずに言えば、日本海側で独自の文化度を持つと評価されているのは金沢を筆頭にして、酒田、松江だと思います。個人的に、私は福井はそれに次ぐのではないかと思われる気持ちがあって、越前焼に携わる人たちにもそんなところがあるのではないかと思っていたんです。ただ、そうしたことは、一回くらい来ただけで分かるものではない。私ががっかりしているのを見て、きょとんとしていましたが、逆に申し訳ないことをしたかなあと思います。 -
最後は販売所である越前焼の館にも立ち寄りましたが、これも離れた場所にあるので、ちょっと疲れます。
-
越前焼はツボやカメなどの生産が主で、食器さえ作られたものではなかったという話を聞いた後ですが、さすがに今はそんなところはない。
-
むしろ、ここの販売所では、
-
この食器はこうやって使ってくださいという感じで、食材を載せたディスプレイが随所にある。
-
食器は、使ってみるもの。こうじゃなくっちゃいけません。これだけでも、越前焼の今後が楽しみになったような気がします。
-
さっき話の合った紙のように薄い杯。試行錯誤でやっとここまでになったということですが、これをどうやって売って行くのかも興味があるところです。
伊万里では卵殻手というのがありましたが、「びっくりさせてやろうという遊び心ですよね」といった私に女将さんが「いいえ。機能性なんです。ワインを注いだグラスは薄くないと温度が変わってしまうでしょう。それと同じことです。」とおっしゃっていました。そんなことも思い出してしまいました。 -
陶芸村から、武生市街に戻ってきて。
正覚寺は、武生の市街中心部。 -
総社大神宮の隣りなんですが、境内や建物など、こちらの方が立派ですね。
説明板によれば、この場所は、南北朝時代、越前国守護の斯波高経が築いた新善光寺城のあった場所だそう。城は新田義貞との戦いで焼失したのですが、その戦いで戦死した人々の霊を弔うため、寺が建立されたということです。 -
武生の市街に渡辺洪基生誕の地というのがあります。商店街の途中の壁面にプレートがはめ込まれているだけのものですが、この渡辺洪基というのは、衆議院および貴族院議員、元老院議官、東京府知事、初代帝国(東京大学)大学総長、学習院次長、太政官法制部主事、駐オーストリア公使、日本建築学会会長等を歴任したという華麗なキャリア。郷土の誇りという存在なのだと思いますが、これといった突出した特徴がある方がインパクトはあるかもしれません。
-
総社大神宮は、武生市街の中心部。
-
ちなみに、総社とは大化の改新の頃にさかのぼる歴史。越前国の国府にあった国司は管内の神社を巡拝する必要があったのですが、その労を省くために一か所に神霊を合祀して、総社を建てたものです。鳥居から出てまっすぐ行けば武生駅。武生の街の軸となっているような気がします。
-
国分寺もその一角。聖武天皇の詔勅によって、越前の国府にも建てられた国分寺ですが、周囲を囲む塀もないし、今ではざっくりした構えです。
-
本尊は行基の作とされる天拝薬師如来座像(秘仏)だそうですが、それでも外観からすると、そのような格式のある寺という感じはないように思います。
-
総社大神宮から、その奥の引接寺に向かって行くと、道端にちょっとした灯りがあったりして雰囲気のある石畳の道が現れます。その道の両側にはいくつかの寺もあって、これが寺町通り。そんなに長い距離があるわけではないのですが、十分に存在感がある通りだと思います。
-
引接寺は、総社大神宮からさらに奥の方。雰囲気のある石畳の通りのどん詰まりに、天台宗真盛派別格本山の見事な総けやき造りの山門が現れました。ちょっと頭でっかちのような重々しい姿ですが、十六羅漢や滝のぼりの鯉、獅子なども彫刻されています。
-
境内は、もう薄暗くてどうにもならないのですが、
-
今は丈生幼稚園となっている旧福井県警察部庁舎は、引接寺の境内を入ってすぐの右手。想像していたよりも大きな建物だったので、逆にすぐには気が付きませんでした。移築して幼稚園とした発想がとても面白い。擬洋風の建物が単に保存されるだけではなく、きちんと活用されているのも良いことだと思います。
-
ところで、武生にはボルガライスというB級グルメがありまして。その名店がヨコガワ分店と聞いて訪ねました。場所は、総社大神宮の参道。日が暮れて、ここだけが明るく灯がともっています。
-
さて、ボルガライスですがオムライスにカツが乗っているいかにも洋食と言った感じ。
-
イチオシ
味の決めてはソースでしょう。ウスターソースのようですが、いずれにしても手を掛けて作ったオリジナルソースだそう。大きくジャンル分けするなら、長崎のトルコライスなどにも似ていますが、このさわやかな酸味が全体の味をさっぱりした印象にしているように思います。
-
栄雲堂の「みっくす大福」というのをいただきました。
-
いちごからパイナップルから柑橘類、バナナ、チョコレート、栗、チーズまで、なんでもかんでもぎっしり詰めて、生クリームもてんこ盛り。
-
350円を高いとみるかどうかはあるにしても、これだけ豪華な大福は他には絶対にないと思います。
-
最後に、武生駅に向かう途中の蔵の辻へ。大通りから少し脇に入ると、白壁の蔵が立ち並ぶエリアです。
武生は、関西から北陸方面への物資の中継地であったこともあり、かつては商人たちの蔵がたくさん並んでいたということ。
今では再開発というか活性化によって、日が暮れかかった中でレストランの灯りが漏れていたり、ちょっといい雰囲気でした。
さて、これで、福井はおしまい。今夜は長浜に泊まって、明日の最終日は、高月の観音巡りです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- koikeiさん 2016/05/18 00:31:04
- ただただ感服しました。
- こんばんは!
福井の旅行記を拝見し、ただただ感服しております。
本当に素晴らしい。
武生市民だった私ですので、表紙のお言葉からその通りと声をあげたくなりました。
萬慶寺はお隣の鯖江では大変有名なお寺ですが、私の聞きかじりでは到底行こうなんて思わなかった所です。でも、旅行記を拝見してご一緒させていただいているつもりになり、ぜひ自分でも行ってみたいと思いました。他にも感心することが随所にあり、感謝、感謝です。
ただ、武生を語るならば、まだまだご覧いただきたいところも多しなので、ぜひ、またいらしてください。
福井の素晴らしい所を再発見させていただき本当にありがとうございました。
koikei
- たびたびさん からの返信 2016/05/19 11:34:12
- RE: ただただ感服しました。
- 今回の旅は、私としては福井の卒業旅行的な位置付け。それにふさわしい味わい深い内容だったかなと思います。全国的には金沢の方に注目が集まるのですが、福井もいいよというのが少しは発信出来ていたら、うれしいです。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
111