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三浦梧楼 誕生地

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三浦梧楼 誕生地 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~4件(全4件中)

  • 堤防の道の傍らに

    • 3.0
    • 旅行時期:2025/02(約11ヶ月前)
    • 0

    三浦梧楼 誕生地は、中津江地区の堤防の道の傍らに古びた石碑と説明板が立っていました。かなり地味な感じです。
    説明板によれ...  続きを読むば、弘化3年(1846年)生まれ。奇兵隊に入隊し、幕長戦争、戊辰戦争で各地を転戦。明治9年、広島鎮台司令官となり、萩の乱を鎮圧。長州出身ながら藩閥政治に反対する立場とも。朝鮮の閔妃殺害に関わったこととかも目に留まりました。  閉じる

    投稿日:2025/10/28

  • 大変な重責を担った人物だったのですね。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/05(約5年前)
    • 0

    三浦梧楼誕生地の石碑は、萩で最古の建物といわれる竜蔵寺観音堂の近くにありました。三浦梧楼は明治から大正に掛けて活躍した方だ...  続きを読むそうですが、今一つ名前は知られていないと思います。1877年(明治10年)から1878年(明治11年)に掛けて、維新の三傑と呼ばれた方々が亡くなっています。その後の政府は長州からは井上薫と伊藤博文が、薩摩からは黒田清隆と松方正義が中心となり、軍部は山県有朋と三浦梧楼が、薩摩は大山巌と西郷従道が中心となっています。従って、大変な重責を担った人物だったのですね。   閉じる

    投稿日:2021/09/01

  • 学習院院長を4年ほど務めていました。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/05(約5年前)
    • 0

    三浦梧楼誕生地は、阿武川が松本川と橋本川に分かれる中津江にありました。阿武川の東河畔近くとなります。萩藩士の陪臣の子として...  続きを読む生まれ、藩校・明倫館で学んでいます。奇兵隊に入隊して第二次長州征伐(長州では四境戦争と呼ぶ)で闘い、その後、戊辰戦争に従軍しています。維新後は兵部省に入って、目覚ましい昇進を果たしています。合理的・論理的な性格で、情実的な同じ長州出身の山県有朋とは何かと衝突したそうです。学習院院長も4年ほど務めたそうです。   閉じる

    投稿日:2021/07/06

  • 阿武川沿いの側道は萩市内の道が混んでいる時に渋滞回避の迂回路として利用しています。
    いつもその道すがらにある石碑が気にな...  続きを読むっていました。
    今回、思いついてその石碑を見てみると、明倫館に学び幕末は奇兵隊に入隊し、明治維新後は陸軍中将として名を馳せた三浦梧楼の誕生地であることがわかりました。
    三浦梧楼は奇兵隊時代から不仲であった山縣有朋と反目し、何度も左遷の憂き目に会い、更には乙未事変を指揮して李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃を暗殺したとして投獄されたりと波乱に満ちた人生を送りました。
    そんな人生の中にあっても常にアグレッシブで挑戦し続けた三浦梧楼の根底には長州魂が赤々と燃えていたのではないでしょうか。
    誕生地には石碑が残るのみですが目の前を流れる雄大は阿武川を見て自身も川の流れのように流転を繰り返したのでしょうか。  閉じる

    投稿日:2015/08/19

1件目~4件目を表示(全4件中)

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基本情報(地図・住所)

施設名
三浦梧楼 誕生地
住所
  • 山口県萩市椿東516
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
風待人 さん

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