2026/03/07 - 2026/03/07
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名古屋のmisakoさん
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八事霊園の親戚の伯父伯母の墓参りに従姉妹と出かけて来ました
従姉妹の夫の墓も隣にありました
なごみ家でランチカニクリームコロッケとイカフライ定食ごちそうになりました
八事イオンで少し買い物して、スガキヤの半額デーのラーメンセットいただき、浄昇寺で神馬水遊号の御朱印いただきました
日清、日露戦争の戦場から生還した神馬なんて凄いですね
西光院、徳林寺参拝しました
名古屋市史跡散策路
八事山・五重塔コース
新しい感覚の町になりつつある八事かいわいは、かつて飯田街道沿いの宿場であり、興正寺の門前町として栄えた。八事山を中心に興正寺五重塔や周りの寺院などを訪ねるコース。(約5.0km)
八事山・五重塔コース
https://www.city.nagoya.jp/showa/miryoku/1021511/1021516/1021522.html
日蓮宗 妙見山浄昇寺
愛知県名古屋市昭和区妙見町110番地
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八事霊園管理事務所
新しくなってトイレもきれいになりました -
八事駅近くのなごみ家の日替りランチCカニクリームコロッケとイカフライ定食980円
日替わりランチ4種類有りました -
イオン八事店のスガキヤ半額デーのセット360円
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八事第2日赤病院のスズカケノキ
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スズカケノキ
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北辰妙見菩薩
当山にまつられている北辰妙見菩薩とは北極星を象徴とした、つまり北極星を神格化した菩薩です。星の中でもっとも優れているといわれており、また、妙見とは『妙なる視力』つまり事の善悪や真理をよく見通すという意です。その為か、眼病守護の菩薩として、また学問の菩薩としてまつられております。国土を擁護し、災いを除き、幸を得せしめる開運の菩薩である。わが日蓮宗では日蓮聖人が宗門隆盛を祈っているとき、天から大きな明星が降りてきたといったいわれから、日蓮聖人との関わりが深く、妙見菩薩をまつられている日蓮宗寺院が多くあります。
当山にまつられている妙見菩薩(通称妙見さん)は同じ日蓮宗の『日本三大妙見さん』として知られている能勢の妙見さんと同じ木で彫ったものが能勢に三体安置されており、そのうちの一体を授かり、妙見堂というお堂を建立し、『川名の妙見さん』と親しまれたのが浄昇寺の始まりとなっています。(浄昇寺HPより) -
寺だけど鳥居が有り
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妙見山 浄昇寺(みょうけんざん じょうしょうじ(川名の妙見さん)(かわなのみょうけんさん)
参道の階段に「妙見宮」と書かれた鳥居があり、神社と思われがちですが、日蓮宗のお寺です。神と仏は同じであるという「神仏習合」の様子がはっきりと残る興味深いところです。天保3年(1832)摂津国能勢の妙見山から御神体(妙見大菩薩)をいただき祀ったのが始まりです。本堂には2つの破風を持つ入り口があり、「北辰殿」「浄昇法堂」という額がかかっています。妙見大菩薩は、この北辰殿に祀られていますが、「北辰」とは北極星をさし、天帝の星と考えられ、仏教にとりこまれたのが、妙見大菩薩です。また、「妙見」とは、世の中の善悪や真理を見抜くということから、眼病治癒にもご利益があるそうです。
境内には、「白馬」も祀られています。日清・日露戦争をともに戦った馬と一緒に凱旋した中沢中尉が、別れるのを惜しみこの寺へ神馬を寄進したのが由来です。
(名古屋市史跡散策路昭和区八事山・五重塔コースHPより) -
縁起
妙見山浄昇寺の始まりは鈴木文七という禅宗の信者さんがおりました。若いころに眼病を患い、ついに両目とも失明してしまいました。そこで鈴木文七は禅宗の信者ということもあり、ある人に勧められ、八事の奥の谷間にあった御場の滝(現在の八事火葬場周辺)のこもり水をかぶり三十七日間水行祈念することをきめ、その三十七日目の満願前夜、夢枕に旅の僧が現れ、「摂津の国、能勢の妙見堂(大阪府)にいって御分身を頂いてこの地で供養しなさい」とのお告げを受けました。その次の日鈴木文七が滝にうたれているとき、太陽が飛び込んだように両目に衝撃が走ったとともに眼が開き見えるように回復されました。
鈴木文七はさっそく旅立ち、能勢の妙見山で妙見大菩薩の御分身を頂きました。(この御分身というのは身延山第二十一代住職の日乾上人が能勢の妙見大菩薩と同じ木で刻んだものである。)その後、鈴木文七は高さ十五センチ程の小さなお像を妙見堂正面に納め、天保三年二月妙見堂を建立しました。
その後鈴木文七が開祖の日諦上人で二代目を上人の妹が継ぎ、それ以降、現在の住職になるまで、尼僧によって住職が受け継がれています。そして昭和五十六年四月十三日、日蓮聖人第七百遠忌を記念して、本堂と庫裡が建てられた。
土地の方々は川名にあるため「川名の妙見さま」と親しみ、今では町名にもなっております。
(浄昇寺HPより) -
神馬水遊号
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日清日露戦争の戦火から無事帰国した神馬水遊号
この神馬は、日清日露戦争で二度にわたり大陸に派遣され、その戦火の弾丸の雨から無事帰還したお礼として、一緒に戦火をくぐりぬけられた中区入江町の中澤中尉が、その愛馬である水遊号を奉納されました。その水遊号が亡くなった後もその木像をまつり境内に今も遺影が残されています。その戦火をくぐりぬけ、生き抜いてきた水遊号だからこそ、災いを避ける神馬として親しまれております。(浄昇寺HPより) -
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永照山 西光院(えいしょうざん さいこういん)
山手通4丁目のバス停前に建つ、浄土宗の寺院で、立派な朱色の山門が目印です。永正・大永年間(1504年から1522年)に清州に創建され、この赤門も織田信長から寄進されたと伝えられています。
清州越しの先駆として慶長9年(1604)に白川町へ移転。さらに、太平洋戦争が始まると、白川町を防空公園にする計画が持ち上がり、昭和18年(1943)、現在の地に移ります。清州時代からのご本尊は500年以上経っている仏様です。
墓地には、頂部が三角形になった武家の墓がたくさんありますが、これらも清州の頃からのものではないかと推測されます。
(名古屋市史跡散策路昭和区八事コースHPより) -
亀松山 徳林寺(きしょうざん とくりんじ)
500余年以前より今の白川公園に建立され、戦時中に強制疎開で現在の場所に移転した浄土宗の寺院です。小高い雑木の自然林の中、正面参道には、鎌倉期のものと言われる不動明王、その側には、明治時代に活躍した相撲力士、初代高砂浦五郎の碑があります。本堂前には、名古屋城築城の時に堀川から現れたと伝えられる別の不動明王があり、その柔和な姿から「童顔不動」と言われています。
玄関脇には、国文学者で万葉集研究者の高木市之助の歌碑、境内の墓地には、尾張勤皇派として活躍した田宮如雲の墓があります。
(名古屋市史跡散策路昭和区八事山・五重塔コースHPより) -
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