根來寺
寺・神社・教会
3.39
根來寺 クチコミ・アクセス・周辺情報
岩出・紀の川 観光 満足度ランキング 2位
クチコミ・評判
3.39
(45件のクチコミ)- アクセス:
- 3.23
- 最寄り駅となるJR和歌山線・岩出駅からタクシーで10分程度です。 by hiroさん
- 人混みの少なさ:
- 3.85
- 平日の午前中に参拝しましたが、参拝する方は他にいませんでした。 by hiroさん
- バリアフリー:
- 2.81
- 根來一山の広大な敷地は高低差があります。 by hiroさん
- 見ごたえ:
- 4.19
- 広大な境内には、国宝・重要文化財などの建造物が多い歴史のある寺院です。 by hiroさん
1~20件(全45件中)
-
国内最大の木造・多宝塔(国宝)などの建造物とあわせて歴史を学び楽しめました!
- 4.5
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 3
『根來寺』は、現在の和歌山県北部の岩出市に位置する山号を「一乗山」、院号を「大伝法院」と称する「新義真言宗」の総本山であり... 続きを読む「大日如来」・「金剛薩埵」・「尊勝仏頂」の三尊を本尊として祀る寺院です。
『根來寺』の開創については、平安時代・後期の1132年(長承元年)に「空海」上人(諡号:弘法大使)が平安時代・初期の816年(弘仁7年)に真言密教の聖地となる修禅の道場として開山した高野山において「空海」上人以来の学僧さらに真言宗中興の祖といわれ諡号を「興教大師(こうぎょうだいし)」と称する「新義真言宗」の始祖でもある「覚鑁(かくばん)」上人が高野山に建立した「大伝法院」が始まりとされています。
「覚鑁」上人については、1095年(嘉保2年)に肥前国藤津荘(現在:佐賀県鹿島市)で誕生したとされ、13歳のときに京都「仁和寺」で出家得度し仏門に入り、17歳の頃から本格的な真言密教の修行を始め、1114年(永久2年)に「東大寺 戒壇院」で受戒し正式な僧侶として「覚鑁」の名前を授かるとともに高野山に登っています。
1132年(長承元年)になると高野山「大伝法院」座主に「覚鑁」上人が就任、さらに1134年(長承3年)には「金剛峯寺」座主も兼ねるようになったことで、周囲の嫉妬などから不和・対立を招く結果となり、高野山内部での紛争に発展することを避けるため、1140年(保延6年)に「覚鑁」上人が自ら身を引き高野山を離山しています。
離山後の「覚鑁」上人の新たな活動の場となったのが現在の『根來寺』がある場所であり、かつてあった草庵を新たに「豊福寺」として建立したほかに学問所となる「円明寺」および居住の場となる「密厳院」などを建立していますが、1143年(康治2年)に「円明寺」で49年間の生涯を閉じており、現在の『根來寺』境内にある「奥の院」霊廟に埋葬されています。
また、鎌倉幕府・第3代将軍「源 実朝」の時代である1205年(元久2年)頃になると現在の『根來寺』の名称が成立したとされ、高野山「大伝法院」については十三堂塔が建立されるまでに発展していましたが、鎌倉幕府・第4代将軍「藤原頼経」の時代である1242年(仁治3年)に焼失、鎌倉幕府・第7代将軍「惟康親王」の時代である1288年(正応元年)頃に「頼瑜(らいゆ)」僧正により高野山「大伝法院」の教学の拠点が『根來寺』に移されることで「新義真言宗」の教学の基礎が『根來寺』に築かれています。
さらに室町時代・後期の『根來寺』は、僧侶を育てる学山として寺領:72万石、堂舎・伽藍:2,700余におよび数千人の僧侶を有するまで発展し、戦国時代には「根來衆」と呼ばれる僧兵を擁することで戦国大名と肩を並べるほどの勢力を誇るようになっています。
しかし、桃山時代になると「羽柴秀吉」が豊臣の姓を賜り関白となる年の1585年(天正13年)に「羽柴秀吉」軍による紀州攻めが実施され、ほぼ無抵抗状態で『根來寺』が「羽柴秀吉」軍に制圧されましたが、その日の夜に詳細不明の出火により『根來寺』境内の「大伝法堂」・「大塔」・「大師堂」など一部の建造物を残したものの根來一山の殆どの施設が焼失しています。
その後の『根來寺』は、しばらくの期間にわたり復興が許されず衰微していましたが、江戸時代になると「紀州徳川家」の祖となる紀伊和歌山藩・初代藩主「徳川頼宣」の外護などにより徐々に復興し、現存する建造物では室町時代・前期となる1391年(明徳2年)に建立の「弘法大師・空海像」を安置している「大師堂」が1941年(昭和16年)に国の重要文化財に指定、国内最大の木造・多宝塔(高さ40メートル)として室町時代・後期となる1547年(天文16年)に建立の「大毘廬遮那法界体性塔(通称:大塔)」が1952年(昭和27年)に国宝に指定、江戸時代・後期となる1827年(文政10年)に建立の「大伝法堂(本堂)」および根來一山の総門として江戸時代・末期となる1850年(嘉永3年)に建立の「大門」がそれぞれ2019年(令和元年)に国の重要文化財に指定されるなど歴史のある見どころの多い寺院となっています。
今回は、和歌山市在住の方の案内で『根來寺』に立ち寄りましたが、限られた滞在時間内で広大な『根來寺』境内を見学して廻ることが難しかったためメインの「大伝法堂」・「大塔」・「大師堂」のみのエリアに絞り参拝して廻り、「覚鑁」上人および「羽柴秀吉」軍の紀州攻めにまつわる歴史を学び楽しむことができました。
機会があれば、今回立ち寄ることのできなかった「大門」・「覚鑁」上人が埋葬されている「奥の院」などのエリアも散策してみたいと思います・・・ 閉じる投稿日:2022/04/10
-
新緑の季節に初めて参拝。 広くてとても風情のあるお寺でした。 紅葉の時期に再訪したい!
- 4.0
- 旅行時期:2021/07(約4年前)
- 1
新緑の時期に和歌山を訪れた時に初めて参拝しました。 和歌山駅周辺からカーシェアして行きました。 下道を走って片道40分ほど... 続きを読むです。 高速で行く場合は、岩出根来ICを降りたらすぐの場所にあります。
根来寺は、開山以来約900年の伝統を誇ります。
根来寺の本堂で、1827年に再建された大伝法堂。 約200年前の建造物が今でもそのままの状態で見学できるって凄い! 大伝法堂の隣に建つ、国宝の大塔もとっても立派でした。 正式名称は、大毘廬遮那法界体性塔というそうです。 木造の大塔で日本で唯一、国宝指定の大塔内に入ってお参りができます。
1547年に完成した大塔は、日本最大の木造多宝塔で、明治32年に国宝に指定されたそうです。 ちなみに、この大塔は、豊臣秀吉の紀州征伐の焼打ちから残ったもので、その頃の戦乱の弾痕がはっきりとみられるようです…。
新緑の時期もとても素敵ですが、桜や紅葉の時期もとても素晴らしいようなので、その時期にまた再訪したい場所として覚えておきます! 閉じる投稿日:2022/02/13
-
見ごたえのある伽藍が素晴らしい
- 5.0
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
- 0
-
-
県指定の文化財
- 3.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
-
見ごたえあり!
- 3.5
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
-
歴史のある寺院です
- 4.0
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
- 0
-
川沿いに沿った境内
- 4.5
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
- 0
-
-
圧巻の多宝塔
- 5.0
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
- 0
加太の帰りに根來寺にお参り、以前から訪れたい場所でした。
南海樽井駅前からバスで岩出図書館へ、参道を行きます。
大門(... 続きを読む国重文)は、威厳のある立派な門です。
根來寺を開創されたのは覚鑁(かくばん)上人。
戦国時代、大きな勢力を備えた根來寺。
根来衆は僧兵たちの集団で、雑賀衆と同様に鉄砲で武装しており、傭兵集団としても活躍しました。
強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は天正13年(1585)3月に紀州根来に攻め入り、大塔・大師堂などの2~3の堂塔を残して全山焼失してしまいました。
広い境内には、光明真言殿(国重文)・行者堂(国重文)・聖天堂(国重文)・大師堂(国重文)・不動堂・奥の院などが点在。
見所満載です。
圧巻なのが大塔、日本最大の木造多宝塔で国宝に指定されています。
高さ40m・横幅15m、こんな巨大で美しい多宝塔は初めて見ました。
堂内に入って参拝できるのもいいですね。
大伝法堂(国重文)は根來寺の本堂、ご本尊の三尊(国重文)は光り輝く美しい仏様でした。
閉じる投稿日:2020/07/17
-
広々としたお寺に迫力の大塔(根來寺 )
- 4.5
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
-
紅葉が最高にきれいでした
- 4.5
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 0
-
紅葉と大塔
- 4.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 0
-
栃の木が咲いている、これがきっかけでした
- 5.0
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
- 14
-
大塔が見事!ゆっくり歩いて見て回ると、1時間半は滞在できます。
- 5.0
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
- 1
-
意外と早く行ける古刹です
- 5.0
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
- 0
-
圧倒的な迫力の「大塔」
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 0
-
中世の繁栄に思いを馳せる「根來寺」
- 4.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
「根來寺」は12世紀 覚鑁(かくばん)上人によって開かれた新義真言宗の総本山、15~16世紀には広大な敷地に堂宇や子院が建... 続きを読むち並び大寺院として繁栄しましたが、秀吉と対立し紀州攻めによって僅な堂宇を残し 大半を焼失しました。
戦火を免れた「大塔」(国宝)は木造建築の多宝塔としては日本最大で、内部を拝観させて頂くと ちょうど高野山の根本大塔に似た存在であると感じられ、よくぞ残ってくださったと感動しました。
ほかにも「大師堂」(重文)が、根來寺の中で最も古い14世紀の建物です。
後の復興により「大伝法堂」「光明殿」など江戸時代以降の立派な堂宇や名勝庭園もあり 現在も見所は多く、丁寧に歩くと1~2時間はかかりますが、繁栄した中世の頃と比べるとすっかり規模は小さくなってしまったようです。
先に 離れた所にある根來寺一山の総門である「大門」を訪れましたので、その距離から中世にはどれ程の大寺院であったかを想像することができました。
閉じる投稿日:2019/11/20
-
見応えある堂宇が数多くある新義真言宗の総本山
- 4.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
-
秀吉による紀州攻めの弾痕を触るとご利益があるそうです
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 1
-
圧倒的な美しさの大塔がある大寺院です
- 5.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 0
五木寛之の百寺である観心寺、粉河寺を参拝後、番外で根来寺を参拝しました。JR岩出駅からバスで22分、根来寺に着きました。受... 続きを読む付で入山料500円を払い深い緑の中、橋を渡り石段を上ると広い緑地に出ます。正面に大傳法堂(本堂)そして左に有名な大塔が建っています。大塔は1547年の建立で1585年の豊臣秀吉の焼き討ちから残った木造多宝塔で日本最大です。青空の下、そびえ立つ様は言葉を失う程の圧倒的な存在感と美しさでした。塔は真言密教の教義を形の上で示したもので内部の密教空間も拝むことができました。大傳法堂は秀吉による焼き討ちで焼失した為1827年の再建です。大変立派なお堂で大塔と並び立つ様には威容を感じます。御本尊は大日如来で大きな金色の慈悲深いお姿を直接拝むことができました。大塔の左には空海像を本尊として祀る大師堂があります。1391年の建立で大塔ともに焼き討ちから残ったお堂です。根来寺の境内は大変広く光明殿、行者堂、聖天堂、奥ノ院(行き忘れました)など多くの堂宇が点在しています。美しい庭園もあります。参拝を終え、鐘楼門を出て大門を目指します。鐘楼門から大門まで10分程かかり往時の寺域の広大さがよく分かります。根来山の総門である大門は1850年の再建で見上げる程の大きな門です。門をくぐり大門正面にまわると左右に見事な仁王像が睨みをきかせています。上層には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されているようです。大門の先を道なりに進むと岩出図書館のバス停があります。根来寺参拝で行きは岩出駅から根来寺、帰りは岩出図書館から岩出駅へのバス(10分)を使いましたがルートが異なり本数も限られるので事前に時刻表を調べることをお薦めします。 閉じる
投稿日:2018/04/15
-
根来寺
- 3.5
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 0
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
- 施設名
- 根來寺
- 住所
-
- 和歌山県岩出市根来2286
-
- 大きな地図を見る
- 電話番号
- 0736-62-1144
- アクセス
- 根来下車 徒歩 25分
岩出駅 バス 10分
紀伊駅 バス 10分
根来下車 徒歩 25分
和泉砂川駅又は南海樽井駅 バス 30分
根来下車 徒歩 35分 根来寺を経由するバスは1日に3便あり
民俗資料館前下車 徒歩 5分
岩出駅(駅前ライブラリー) バス 15分
- 予算
- 【料金】 大人: 500円 入山料 備考: 団体30名以上400円
- 公式ページ
- 詳細情報
- 登録者
- yumikong さん
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。
このスポットに関するQ&A(0件)
根來寺について質問してみよう!
岩出・紀の川に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
たいきさん
-
hiroさん
-
Juniper Breezeさん
-
EuropeanTravelerさん
-
ママは旅好きさん
-
keiponnさん
- …他