
2024/10/24 - 2024/10/24
33位(同エリア298件中)
唐辛子婆さん
アルマトイの国立中央博物館でとても興味深い世界地図に遭遇しました。
それは14世紀につくられた「中世におけるもっとも重要なカタラン地図」ださうで。
レトロで楽しい図柄のためインテリアとして好まれているのか
ネット検索したらすぐさまAmazonさまが嗅ぎつけて
「買え買え買って」と何回もお邪魔されてます^^。
ホンモノ持ってきたら買ってやらあ。
10月22日(火)①成田→仁川→アルマトイ(カザフスタン)
10月23日(水)②アルマトイの街あるきサービスアパートのまわりだけ
10月24日(木)③アルマトイ 3000m級の山へ行くはずが
④博物館の興味深いカタラン世界地図←ここ
⑤博物館からアパートまで
10月25日(金)⑥アルマトイ→タシケント→モスクワのアパートへ
10月26日(土)⑦アパートまわり、27日(日)モスクワ大学そばの公園、
28日(月)フランス系ショッピングモール、
30日(水)バーブシカ達、31日(木)ショッピング
10月29日(火)⑧モスクワ音楽院のコンサート
11月1日(金)⑨ダニーロフスキー修道院と市場→タシケント
11月2日(土)⑩サマルカンド行きの列車にスマホを忘れる
⑪シャーヒズィンダ霊廟群とレギスタン広場
11月3日(土)⑫アフリシャブ博物館ソグド人の歴史
⑬ソグド人のフレスコ画
⑭サマルカンドの天文学者ミルゾ・ウルグベク
11月4日(日)⑮タシケントのベシュ・コゾン(大釜プロフ)と散策
11月5日(月)⑯アルマトイのコクトベの丘
11月6日(火)仁川→成田
カタラン地図をウィキったら数ある言語の中に日本語が見当たらず(涙)
https://en.wikipedia.org/wiki/Catalan_Atlas
「」書きはウィキから抜粋して訳しました。
フィーコさんオススメの「航海と探検の世界史」マリアノ・クエスタ・ドミンゴ著にもカタラン地図が載ってました。でもカタラン地図のほかにも面白い地図がたんとあるものだなと目を見張ったのに、内容はもうすっかり忘れてしもて。フィーコさん、せっかく教えてくだすったのにごめんね。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ウズベキスタン航空 アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
-
博物館に到着です。
リュックはロッカーに、コートはフロントに預けます。
うれしいことに写真撮影ぜ~んぶ可。 -
壁にカザフスタンの地図。
北側は全部ロシアに面する日本の7倍の面積の国。
人口はたったの1980万人。まわりは以下の国々が取り囲んでいます。
東:モンゴルと中国
西:カスピ海
南:トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス。 -
ここで見た古い地図がとても面白くて楽しくて。
6枚からなる地図なんですけど最初の1枚は人体図。 -
「2枚目は宇宙・天文・占星術。潮の満ち干や夜間の時間の読み方に関する情報を記載。」(ウィキより抜粋)
-
四隅に東西南北の神様?がいらっしゃるやうですが引き延ばすとこんなにボケてしまうのであと3名は省略。
あっ、無視したわけぢゃないので罰あてないでくださいまし。 -
そしてあとの4枚がこれ!
すでに地球は丸いと知ってるい人が描いたらしいヨーロッパ、北アフリカ、アジアまでの世界地図、カタラン地図(Catalan Atlas)
縦69cm幅390cm。オリジナルは羊の皮でできているさうです。
1375年作成。
本物はフランス国立図書館にある。
アラゴン(スペインのカタルーニャ地方:フランスのお隣で地中海に面している)の王様がフランス王シャルル6世へプレゼントしたものだから。
製作者はマヨルカ島のユダヤ人アブラハム・クレスケスとその息子。
「クレスケスは世界地図の達人と評されていた。」
「エルサレムは中央近くに配置され左側2枚にはヨーロッパと西・北アフリカ、右側2枚には東洋が描かれている」
・・・と言われてもいったいどこなのかさっぱりわかりません・・・。
「キリスト教の都市には十字架、その他の都市にはドームが描かれ、各都市の政治的立場は旗で示されている。」
「海は波打つ青い線で表し重要な港は赤で、その他の港は黒で示されている。」 -
世界は丸いと知っていもどんな風に描き表していいかわからなくて上の方は逆さまに描いたんでせうか?
←「イラストとテキストの大部分は地図の端に向いており、平(たいら)に置いて歩き回って使うことを想定していた。」
そして4枚全体の右側の一部を丸く取り出してるからにはこの辺りがカザフスタンなんでせうか?
確かに現在の世界地図を見るとアルマトイは左右上下(東西南北)とも世界の真ん中に位置しているやうに思えます。でもカタラン地図だとこの丸はずいぶんと極東寄りです。
スペイン南部で作成された世界地図のコピーがどうしてアルマトイの博物館に展示されているのでせう?
←それはアルマトイがモンゴルのおさめる中央国(チャガタイ王国)の公的教育・歴史的センターの一つであったから。(説明書の字がかすれて読みにくいのを無理やり翻訳。)
ヨーロッパの航海図をもとにして80年前にマルコ・ポーロが書いた東方見聞録やジョン・マンデヴィルがもたらした外国情報などを足して完成させた。という話なのでアジア地域は大雑把に描くしかなかったのかも。ジパングは家も道も黄金でできている、なんて話は嘘っぱちですよね? -
それで、コピーはどの時代にどうやって作ったんでせう?
機械で?手書きで?
ガラス越しなので良くはわかりませんが相当にボロボロのやう。
ホンモノは1990年代に修復されたさうですが。
アルマトイの博物館でこの地図を見られたのは幸運なことだったかも。
フランスの中央図書館とは日本の国会図書館と同じやうに、国内で出版されたものは必ずここに納められるシステム。蔵書数はハンパないことでせうし、博物館ではないので常設展示しているとは思えない(推量です)。急に訪れて見せてくださいと言ってもすぐには無理かも。
地図は4枚に分けられています。
①枚目から詳しくみていきませう。上の方の黒っぽい所が英国でせうか? -
一番下の右にいらっしゃる王様から。
「マリ帝国
砂金を手にするマリ帝国の王マンサ・ムーサー。
この黒人の領主はムセ・メリーと呼ばれ、ギネヴァ(ガーナ)の土地の君主である。この王は採掘される金が豊富にあるため最も裕福で高貴である。」
この王様がどれだけお金持ちかというと
「現在の価値にして約4000億ドル(約40兆円)という人類史上最高の総資産という記録を長年保有していたが、2024年12月にイーロン・マスクの純資産が4470億アメリカ合衆国ドルに達したため、約700年間破られなかったこの記録は破られることとなった。」◎◎!(ウィキより)
ラクダに乗っているのはモスレムの商人、上の石垣みたいなのはアトラス山脈ださうです。 -
下がアトラス山脈のつづき。
上は地中海で右上の黄色いのはサルディーニャ島? -
左上の黒っぽいのが英国なのでその下はフランス。
右側に見えるのは何山脈でせう?
左下の緑色の線はスペインの何でせう? -
英国の右上に山に囲まれたスカンジナビア半島が見えます。
絵を見るとものすんごく堅固な要塞に囲まれたバイキングのお城みたいに見えちゃいまするが。その右下にデンマーク? -
テント村と帆船はカサブランカあたりでせうか?
-
「西側の部分は当時のポルトラン海図に似ているが、羅針盤が記載されたのははじめてである。」
-
②枚目
右下の赤いものは紅海ださうです。
だとすると紅海の左の人はエジプトの王様?
←ナースィルという名前のやうです。(ウィキ) -
ナースィル王らしい人の膝上には緑色の鳥が乗っています。
「1324年頃、メッカ巡礼の途上だったマリ帝国のマンサ・ムーサ王がカイロに立ち寄り、ナースィルに大量の金の贈り物をしたことでカイロの金の相場が下落したと伝えられている。」(ウィキより) -
地図上では逆さまの王様アナトリア。
「トルコ系公国群であるアナトリア・ベイリクもトルコと名付けられた地域に描かれている。多くの都市や城がある。アルメニアのキリスト教国は緑の壁で厳重に要塞化され、港と旗がはっきりと見える。」 -
だとすると下は黒海でせうか?
左上にブルガリアとロシアの文字が見える。 -
「イフェ帝国
イフェ帝国の王オゲネ(オルガナ)らしい。」
牙のするどい象をはさんで右端にも影の薄い(?)王様がいらっしゃいます。上にアトラス山脈が見えるのでアルジェリアあたりでせうか?
←ナイジェリアかも。 -
海には大きな島があるやうです。
-
イタリアとギリシャ、かな?
-
-
③3枚目。
四半世紀にわたって旅をしたマルコ・ポーロ御一行様がみえます。
東方見聞録をざざっと読んでみましたら
マルコ・ポーロの旅には前座とでもいうべきものがありました。
はじめに父ニコロと叔父マテオがヴェニスを発ち(1260年)黒海経由でブハラ(ウズベキスタン)に到着し3年逗留するうちフビライ・カーンの家来に「王にラテン人を見せたいので来ないか?自分が同行するので安全だ。」と誘われた。
1年かかって二人は北京の王城に到着し、フビライに大変気に入られた。
なかなか帰国させてもらえなかっがカーンの使節として以下の命を受け、ローマ教皇の元に派遣されることとなった。
①キリスト教が他の偶像教よりも優れていることを証明する高僧など文化人100名の派遣。
②エルサレムの聖墓にともされているランプの聖油を持ち帰れ。(フビライの母親がクリスチャンのため)
フビライは領内の各宗教(キリスト教、イスラム教、仏教(偶像教)、ユダヤ教)の主要聖節を重んじ儀式に参加していた。それは安全な統治のためである。
二人が3年かかって故郷に戻ったら教皇が亡くなっていた上、ニコロの妻も亡くなり15歳の息子マルコが残されていた・・・。(前座終わり)
下の方はインドのやうです。
「インド亜大陸の西部ははっきりと描かれており、いくつかの地名は正確である。」 -
「南インドの先端にはキリスト教の旗を掲げたコロンボの王が描かれている。」
-
-
「当時のデリー・スルタン朝の統治者であるレイ・デ・デリ。
インドの王様?
インドの産物:コショウ、ショウガ、シナモン、ナッツ、亜麻布 -
多数の都市に旗を掲げて描かれている。」
-
700頭の象と10万人の騎兵、数えきれないほどの歩兵もいる。
-
この土地では金や宝石が沢山とれる。」
-
マルコ・ポーロ御一行様
「17年もフビライ・カンに重用され、なかなか帰国をさせてもらえなかった。」国を出てから4半世紀も旅をした記録が東方見聞録。いつか読んでみたいです。
←ざっと読みました。(ここからが本編あらすじです。)
新しいローマ教皇からの親書・信任状(キリスト教徒の海路の安全確保要請と高い権限を持つ説教僧2名の同行等)を携えマルコ・ポーロと父・叔父の3名が出発したが危険地帯通過の際に高僧は帰国してしまい(何のこっちゃ)3年を費やして北京に到着。フビライ・カーンは40日行程の出迎えの使者をだしたというからとても嬉しかったんでせうね。
フビライの使者として雲南、インドなど様々な地方に旅しては情報を提供し、重宝がられて17年も北京に滞在。なかなか帰国が許されなかったが、近東タルタール領主アルゴン王の後添い姫の護衛が必要となり3名は大喜びで引き受けた。
符牌(通行の自由、食料の支給)とローマ教皇・キリスト教諸国の王あての親書、重臣3名、14隻の船、水夫600名を与えられて海路をジャワに進め、18ヶ月でインド海を横断して目的地に到着したが、嵐や海賊に行く手を阻まれ水夫は18名、重臣は1名、姫のおつきの者も1名になっていた上、嫁ぎ先のアルゴン王もすでに亡くなっていた。
姫はアルゴンの王子に与えられることになりペルシャ国境アプリ・ソルまで送り届け、マルコたち3名は故国を出てから26年目にようやくベネチアまで戻ることができた。
と書きたいところですけど、ジェノバでの戦争にまきこまれて監獄に送られ、獄中で作家がマルコの物語を口述筆記したのが「東方見聞録」。作家はほかの人から聞いた話もついでに載せちゃったみたいです^^。 -
上に見える海はペルシア湾みたいに思えます。
となるとこの林檎を持つ女王様のいらっしゃるところはアラビア半島?
シバの女王ってこと? -
イル・ハン国?
-
アラル海?
-
じゃーこれはどこの王様?ああもうわけわからん。
誰か教えて~~! -
④枚目は中国
これは極東のやうです。
日本は海の上の丸いツブツブとしておぼろげに存在している・・・。 -
この人は海で大きな魚を2匹捕まえたのでせうか?
それとも足先が魚になっている人魚でせうか?
←mistralさんから有力な情報をいただきました。
「女性の下半身はお魚、しかも下半身が二つ、
この形はロマネスク様式の教会堂の彫刻で時々見かける二股の人魚
と思われます。」
このあとフィーコさんからもビックリするやうな情報が。
「スタバのロゴも二股の人魚ぢゃ。」
ヨーロッパの海から回遊して南洋にたどりついたって思ってたら全世界をさまよっていたのね。 -
そのお隣の陸地には象を従えた王様がいます。
インドネシアのマジャパイト王じゃないかと思います。
フビライ・ハーン群の攻撃を受けたやうですがかろうじて独立を保ったとか。
魅力的な香辛料(ナツメグ、コショウ、ウコン、クローブ、キャラ、カンショウ、シナモン、インディゴ、樟脳、麝香)がヨーロッパ人の垂涎の的の地でした。 -
-
フビライ・カーン(モンゴルの第5代皇帝)(←逆さまなのを助け起こして掲載)
35年在位し4名の正妻との間に21人皇子をもうけた。
馬乳酒の飲み過ぎで痛風を患っていて、80歳で亡くなった。
広大なユーラシアの大地統括のため必要な紙幣を発行していたさうですね。
コウゾの繊維と膠を混ぜて紙状に引き延ばし裁断した紙幣。造幣局長官の署名と捺印をされて厳重に管理され、偽造したものは死刑!
古くなって敗れた紙幣は3%の手数料で新紙幣と交換されたさうです。
年に数回、宝石・真珠・金銀の所有者は造幣局にそれらを納め紙幣を受け取る。
そして飢饉の起きた地方は税金免除とか食料配布とかしていたやうです。
特に家畜や船に落雷被害があった場合は3年間税を免除した。落雷は紙の怒りに触れたからなので被害者からの税を国家に納めたくはなかったから。(かわいそうだからじゃないのか?!)
「30マイル毎に300~400頭の馬を準備した宿駅を作り住民を移住させて耕作させている。我々(キリスト教徒)は一夫一婦制だから人口が増えないが偶像教徒やイスラム教徒は多妻だから30人以上の息子を持つことも可能で宿駅を運営するに足る人口を確保することが出来るのだ。
各宿駅間の3マイルごとに40個の集落(税をとらず給料を支給)があり、飛脚人が住んでいる。急を要する時は多数の鈴を鳴らして馬を飛ばし次の宿駅に近づくと角笛を鳴らして継馬の準備をさせる。飛脚は次の馬に飛び乗り全速力で走り続ける。」
「占星術師が5000人もいた。天体観測儀を用いて毎月の天気予報、悪疫、などを予測した小冊子を売り出し、最も確率の高かった人が尊敬される。起こした事業が成功するか否かも星座をみて占う。」(東方見聞録より) -
フビライ・カーンの上にはサタンがいます。
アレクサンダー大王がサタンの協力でゴグとマゴグを北東の地域に閉じ込めているところださうです。 -
「偽キリストは、万里の長城のむこう、ゴグとマゴグの領土の隣に現れる。彼は自分が神の生ける子キリストであり、神殿を再建すると宣言した。」偽キリストの周りには聖職者や信者がいて話を聞いています。
中国の東の海(マレ・オセアニス)にはジパングがあるはずですがまだ特定できず。 -
インドシナあたり?
-
どなた?
-
「チャガタイ・ハン国
チャガタイ・ハン国のモンゴル人支配者ケベク・ハンはエマレク(アルマリク)に住んでいる。」そばにチャガタイの旗が見えます。
←東方見聞録によるとチャガタイはフビライ・ハーンの実兄でサマルカンドに住みキリスト教に改宗したのでイスラム教徒との戦いに苦労したやうです。 -
「みぐるみ脱いで置いていけ!」とぶん殴ってる?
-
交易の図?
帽子がとんがってるからソグド人かしら? -
「ゴグとマゴグの国。
ゴグとマゴグの国は右上隅に描かれている。王様は馬に乗っており行列が続いている。」ゴグとマゴグは悪い人のやうです。 -
これはなんだかショッキングな場面?
奴隷を大鍋で煮るところ?をれとも競売にかけるところ?
でも左の3人は楽器を楽しく演奏してるやうにも見えます。
(つづきは地図以外の展示品です)
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