2024/08/12 - 2025/05/17
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砂布巾さん
スリの手口(自分史)
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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5時に目が覚めて寝不足なのに随分歩いて疲れたので、Eis Teeを買おうと思ってスタンドに寄ったら、財布がない! 「どうして、何で」と頭が混乱する。冷静になって考えてみたら、インフォボックスから
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居並ぶクレーンの数々を写真におさめようとした際に数秒間、レンズを覗きながら焦点を絞っていた時しか考えられない。カバンの覆いはしていたけど、チャックは開けたままだったから…。被害は80DM(ドイツ・マルク ¥5,000強)とクレジットカード2枚。カードはすぐに日本に電話して止めてもらった。それにしても観光客が比較的多く集まる場所とは言え、一瞬のスキを狙い、的確に財布だけを奪うスリの鮮やかな手口には、怒りを通り越して感動すらしてしまう。
これまで何もなかったのとダンケルクで買ったカバンを体に密着させていて油断を招いてしまった。「最初と最後に被害に遭いやすい」とも言われるが、正にそうだ。カードが不正使用されなければ実害はそんなに無かったし、「授業料」と諦めるしかない。
翌日は警察署に盗難証明を貰いに出向く。ドイツ語に身振りを加えて説明すると、女性警察官は「ドイツ語が上手だね」と褒めてくれた。ただ貰った書類は紛失証明のようなものではなく届け出したことを示すような書類。説明してくれるのだけどよくわからない。食い下がったら相手も怒りだした。込み入った話になるとお手上げだ。 -
5章で少し述べたように、この時ベルリンで獣医学部学生井上氏とオフした。後に彼と知り合ったniftyの掲示板にこの時の日記を投稿したのだが、失礼な言葉遣いで不快にさせてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
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さて1989年親友と一緒に韓国慶州に行った際、遭ったスリについて付け加えておきたい。バスの中でズボンのポケットに入れていた小銭を取られた。スリに遭っているイメージが浮かんだ時に違いない。ただ人の好さゆえ、手を押さえるなどの方策がとれなかった。
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なおこの時、釜山に帰るバスが高速道路で追突事故に巻き込まれたハプニングも。
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*1990年
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*ベルリンの壁記録センター
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*チェックポイントチャーリー
東西ベルリン間に何か所かあった検問所の1つ 西ベルリンから東ベルリンに短期間で入るには、25(西)ドイツマルクの強制両替が求められ、往復とも近くには壁博物館がある -
*かつての東西ベルリン検問所のRudow
ミュンヘンで一緒だった人が「是非行ってください」と教えてくれた -
*旧東ドイツを旅行するためには、ソ連をお手本にしたのかホテルの予約を済ませ(格安ホテルなど宿泊不可能)てからビザを申請しなければならず、特に貧乏旅行者には旅行しにくい国だった
*東ベルリンで起こった暴動の日付を留めた通り 壁崩壊後も残っているのに驚いてシャッターを切った -
*陸の孤島旧西ベルリンのさらに孤島だったソ連軍兵士の慰霊碑
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*カラヤン・サーカスとも言われたフィルハーモニーホール 気球の下のドームはソニーセンター(ポツダム広場)
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*カイザー・ヴィルヘルム教会(旧西ベルリン)
ヴィルヘルム皇帝記念教会 寺院・教会
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*東のシンボルだった大聖堂とテレビ塔
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*今や時代の遺物マルクスとエンゲルスの像
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*松岡外相が日ソ中立条約に調印し、モスクワから到着したアンハルター駅の遺構
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*旧テンペルホーフ空港跡地にあるベルリン空輸記念碑
1949年ソ連は西ベルリンへ新ドイツマルク通貨が導入されることに反発して西べルリンへ通じる鉄道路、道路を封鎖した これに対抗して西ドイツから西ベルリンへ空路で様々な生活物資が運ばれた それを記念したモニュメント
*付け加えると、分断時代は西ドイツから西ベルリンへ向かうにはハンブルク方面、ハノーファー方面、フランクフルト方面からの3本しか設けられていなかった しかも西ドイツのルフトハンザの就航は不可能で、パンナム、エールフランス、英国航空による運航だった -
*西ベルリン、ポツダム間にあるグリーニッケ橋 東西ドイツ間でスパイ交換が行われた
*橋の向こう側の旧西ベルリン側にはポツダム市の飛び地がある 詳しくは2023年のベルリン訪問記をどうぞ -
*ポツダムのサンスーシー宮殿
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*ポツダム会談の場ツェツィーリエンホーフ 1990年
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*裏手から
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*検討されたドイツ分割案
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*シャルロッテンブルク宮殿(1982年)
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*旧東ベルリン博物館島にあるペルガモン・ムゼウム(1986年)
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*おまけ
2023年ベルリン訪問記
壁の残滓と東ドイツ博物館 https://4travel.jp/travelogue/11858558
ベルリン街歩き https://4travel.jp/travelogue/11863203
宿、食べ物のご紹介 https://4travel.jp/travelogue/11864198
さようならベルリン https://4travel.jp/travelogue/11858442
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