2014/05/27 - 2024/04/24
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砂布巾さん
1945年4月25日 エルベの誓い(ドイツ、トルガウ)
ドイツを東から押し返したソ連兵と西のノルマンディーから進撃してきたアメリカ兵が橋の上で握手している、「エルベの誓い」の写真。教科書でもよく見掛けたこれは、大戦の終結を印象づけると同時に、新たな戦争である冷戦が終わる前に米ソが心から笑顔で握手する最後の瞬間だったに違いない。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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米兵の中央で握手しているデルバート・フィルポット氏によると、写真は翌26日に撮影されたという。実際には25日にエルベで出会う3時間前に、アルバート・コツビュー中尉率いるパトロール隊が30キロ南の地点で出会っていた。
部隊の一員として参加したジョセフ・ポロウスキー氏は、戦後シカゴでタクシー運転手として働く傍ら、エルベで誓い合った米退役軍人会を組織し、大統領、議員、マスコミ、国連に何千通もの手紙を書く一方、「エルベの誓い」を出版した。東ドイツが健在だった、1983年10月17日に亡くなると、遺言によってトルガウに埋葬された。そこでの記憶が余程鮮烈だったに違いない。 -
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ソ連兵と対面するために川を渡ろうとした時、兵士がためらっていた。近付いてみると約50メートルにわたって、死体で覆い尽くされていた。特に片手に人形を持ち、もう一方の手で母親にしがみついていた、5歳ぐらいの少女の姿が脳裏に焼き付いた。居合わせた米ソ両軍の兵士が二度とこのようなことが起きないよう厳かに誓った。これが真の「エルベの誓い」だった。
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ルターシュタット、ヴィッテンベルク(トイレで失敗した)でタッチの差で列車を乗り逃がして2時間待ちにならなければ、じっくり探せた。本を持って行かなかったのが悔やまれる。
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ルターのお墓は前述のようにヴィッテンベルクにあるが、妻カタリナのお墓は、ここの聖マリーズ教会にある。(2003年8月14日訪問)
もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693 -
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*宗教改革の先駆者チェコのフス コンスタンツの宗教会議(公会議)で火刑に処せられた
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*ルター・シュタット、ヴィッテンベルクにあるルターゆかりの教会
既に述べたように3階はユースホステルになっており、泊まれる -
*以下、参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC から
*1517年にヴィッテンベルク大学の神学教授であったマルティン・ルターは、いわゆる「95か条の意見書(論題)」を発表します(但し扉は後世に復元されたもの)。当時腐敗していたカトリック教会、特に贖宥状(免罪符)に対する疑問点を書き並べたものです。最初はラテン語で書かれましたが、すぐにドイツ語に訳されます。 -
*(中略)
1521年 ルターはヴォルムス(写真は大聖堂)の帝国議会に召喚され、自説の撤回を求められますが、それを拒否。ルターは法律の保護外に置かれます大聖堂(ヴォルムス) 寺院・教会
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*ヴォルムスにあるルター像
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*そのルターをヴァルトブルク城に匿ったのがザクセン選帝侯フリードリッヒ3世でした。1年余に及んだ生活で新約聖書のドイツ語訳を完成させます。これは広くドイツ国内に普及し、ドイツ語の発達に大きな影響を与えます。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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*ルターの部屋もあったが、写真を撮らなかった。残念!
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*1526年シュパイエルで開催された第1回帝国議会において、ルター派は事実上認められます。
シュパイヤー大聖堂 寺院・教会
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*ところが3年後の帝国議会でこれが取り消されます。これにルター派諸侯が抗議(Protest)します。プロテスタントの語源です。
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(中略)
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*1555年いわゆるアウグスブルクの和議が結ばれ、最終的にルター派は認められることになります。但し、諸侯の宗派に領民が従うという内容で、個人の信仰の選択権を認めたものではありませんでした。
*写真はアウグスブルクのウルリッヒ・アフラ教会。カトリックとプロテスタントの教会が一緒に共存している珍しい教会。 -
*和議に先立つ1546年2月18日、(生まれ 1483年11月10日)故郷でもあるアイスレーベン(残念ながら訪問していない)で亡くなります。
手前右の小さい箱のようなものがルターのお墓
http://4travel.jp/travelogue/10184525 より -
*スイス宗教改革の先駆者ツヴィングリ ルターとの共闘には失敗する
*前述のようにジュネーブで活躍したのがカルヴァン(カルビン)
カルヴァン派はオランダではゴイセン(乞食)、フランスではユグノー、スコットランドではプレスビテリアン(長老派)、国王の離婚問題を機に国教会が成立していたイングランドではピューリタン(清教徒)と呼ばれた。マックス・ウェーバーは、カルヴァン主義が近代資本主義の成立に大きな役割を果たしたとしている。 -
*「音楽の父」とも称されるヨハン・セバスチャン・バッハ(音楽一族のため大バッハとも)は、アイゼナッハの家で生まれます。
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*生家前の像 ライプツィッヒよりもイメージに近い
数多くの作品を残します。「バッハに駄作なし」とも言われます。詳しい話は省略。参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F -
*ライプツィッヒと言えばゲヴァントハウス(織物会館)管弦楽団
昔、クルト・マズア指揮の「第九」CD=4レコードを持っていたゲヴァントハウス 劇場・ホール・ショー
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*聖トーマス教会
聖トーマス教会 寺院・教会
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*バッハのお墓
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*教会前の像 ポケットが出ているのは「金がない」
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*教会前のバッハ・ムゼウム
バッハ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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*ルターとバッハという砂布巾にとっても、歴史・音楽愛好家にとって物凄いコラボによるカンタータ第80番「我らが神は堅き砦」のCD。カール・リヒター指揮
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*こちらは宗教改革三百周年に合わせて作曲されたメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」(カップリングは第4番「イタリア」) ルターの「我らが神は堅き砦」のコラールが高らかに演奏される イタリアでは絶対演奏されないだろう
指揮はワルター、フルトヴェングラーと並んで20世紀前半のカリスマ、トスカニーニ 録音はもちろんモノラル -
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