2014/05/30 - 2023/11/09
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砂布巾さん
戦後の東西分断とベルリンの壁(戦後史)
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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ここで壁崩壊までのドイツ戦後史を概観しておきたい。
朝鮮半島と同様、ドイツ分断の起源は米ソ冷戦に求められる。ドイツの場合は米英仏ソに占領された。西側3か国の占領地が西ドイツとなり、ソ連占領地区が東ドイツとなった。
地域的にはソ連占領地区にあったベルリンは、首都としての特殊性から全ドイツ同様4か国が占領した。従って形式上西ベルリンは西ドイツに属することになり、東ベルリンは東ドイツの首都となった。西ベルリンは東ドイツという海に浮かぶ「陸の孤島」になった。
*「社会主義の20世紀~東ドイツ」
https://www.youtube.com/watch?v=o5L3wJ--qa8 -
早い段階で国境地帯を封鎖していたソ連・東ドイツだが、さすがにベルリンには手が出せなかった。しかし西を目指す人々が今度は西ベルリン経由で逃れることになり、再び多くの国民の流出に悩まされることになる。こうして1961年8月13日に西ベルリンをぐるりと囲む壁が建設された。これで本当の意味で西ベルリンは「孤島」になった。
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右は全ドイツ、左はベルリン
赤がソ連占領地域→後の東ドイツ
黒がアメリカ占領地域
灰色がイギリス占領地域
白っぽい色がフランス占領地域→後の西ドイツDDR博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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*東ベルリンから
ブランデンブルク門 建造物
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西ベルリンは法的には米英仏の占領下であり、国際的には西ドイツが代表するものの、西ドイツ連邦議会では議員に首相任命権などがなかった。またパスポートの国籍は西ベルリン市民で、西ドイツの徴兵制も適用されなかった。
東西は厳しく対立したが、1972年に基本条約を締結。以後、東ドイツは経済的には西ドイツに大きく依存した。また東ドイツの政治犯の「自由」を西ドイツが買い取った。 -
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*赤いレンガが壁の跡
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東ドイツは秘密警察シュタージを中心とする監視・密告社会を形成していた。
*ここから3枚はシュタージ博物館の写真シュタージ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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*シュタージ内にあるいかにも社会主義的な「芸術品」
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*監獄
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ゴルバチョフ登場から4年目の1989年夏、チェコやポーランドの西ドイツ大使館に大量の東ドイツ国民が亡命を求めて避難。こうした中、ハンガリーのショプロンで1989年8月19日に開催された「ヨーロッパ・ピクニック計画」以後は、オーストリアとの国境経由で西ドイツに脱出できるようになり、この段階で壁は無意味となった。
国内ではゴルバチョフがホーネッカー書記長を事実上見放した建国40周年式典の2日後の10月9日以後、ライプツィヒで恒例となっていた月曜デモが大規模化し、国内は更なる混乱状態に突入。11月9日、政治報道局長シャボウスキーの会見を受けて半信半疑で国境に殺到した国民の圧力にいわば押される形で壁は崩壊した。
*写真は月曜デモが始まったニコライ教会ニコライ教会 (ライプツィヒ) 寺院・教会
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最初西ベルリンに行った時、ドイツ人ばかりか日本人に対しても東ドイツの国境警備隊員の人間性の欠片も感じられない機械のような冷たい目で、パスポートの写真と本人を見比べていたのが忘れられない。マインドコントロールの恐ろしさだ。
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*上の写真と同じ場所
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*1990年のベルリン
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*ベルリン空輸記念碑
ソ連が西ベルリンへの陸路を封鎖したベルリン封鎖期間中、西ドイツから西ベルリンには空輸で大量の物資が運ばれた
空路に関して付け加えると、西ドイツから西ベルリンへ旅客機は西ドイツのルフトハンザの就航は認められず、ミュンヘンなど旧アメリカ占領地区からはパンナム、旧フランス占領地区からはエールフランス、ハンブルクなど旧イギリス占領地区からは英国航空が就航していた また設定された空路はハンブルク方面、ハノーファー方面、フランクフルト方面からの3本のみだったので、ミュンヘンからの空路は迂回する遠回りルートをとらざるを得なかった -
テロのトポグラフィー 博物館・美術館・ギャラリー
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スリの手口(自分史 1999年8月24日 「鮮やかな手口に脱帽」より)
5時に目が覚めて寝不足なのに随分歩いて疲れたので、アイステーを買おうと思ってスタンドに寄ったら、財布がない! 「どうして、何で」と頭が混乱する。冷静になって考えてみたら、インフォボックス -
イチオシ
から居並ぶクレーンの数々を写真におさめようとした際に数秒間、レンズを覗きながら焦点を絞っていた時しか考えられない。カバンの覆いはしていたけど、チャックは開けたままだったから…。被害は80ドイツ・マルク(¥5,000強)とクレジットカード2枚。カードはすぐに日本に電話して止めてもらった。それにしても観光客が比較的多く集まる場所とは言え、一瞬のスキを狙い、的確に財布だけを奪うスリの鮮やかな手口には、怒りを通り越して感動すらしてしまう。
これまで何もなかったのと、ダンケルクで買ったカバンを体に密着させていた安心感が油断を招いてしまった。「最初と最後に被害に遭いやすい」とも言われるが、本当かも知れない。カードが不正使用されなければ実害はそんなに無かったし、「授業料」と諦めるしかない。
翌日は警察署に盗難証明を貰いに出向く。ドイツ語に身振りを加えて説明すると、女性警察官は「ドイツ語が上手だね」と褒めてくれた。ただ貰った書類は紛失証明のようなものではなく届け出したことを示すような書類。説明してくれるのだけどよくわからない。食い下がったら相手も怒りだした。込み入った話になるとお手上げだ。 -
5章で少し述べたように、この時ベルリンで獣医学部学生井上氏とオフした。後に彼と知り合ったniftyの掲示板にこの時の日記を投稿したのだが、失礼な言葉遣いで不快にさせてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
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さて1989年親友と一緒に韓国慶州に行った際、遭ったスリについて付け加えておきたい。バスの中でズボンのポケットに入れていた小銭を取られた。スリに遭っているイメージが浮かんだ正にその時に違いない。ただ人の好さ故、手を押さえるなどの方策がとれなかった。
路東洞 路西洞古墳公園 史跡・遺跡
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なおこの時、釜山に帰るバスが高速道路で追突事故に巻き込まれたハプニングも。
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*ベルリンの壁記録センター
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*東西ベルリン間で最も有名だった旧チェックポイント・チャーリーの壁崩壊後
かつて外国人観光客が西ベルリンから東ベルリンの入るには、実勢レートよりは大幅に低い25西ドイツマルクを同額東ドイツマルクへと強制両替させられ、出入国時同じチェックポイントを通らないといけないなどの制約があったチェックポイントチャーリー 散歩・街歩き
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*かつての東西ベルリン検問所のRudow
ミュンヘンで一緒だった人が「是非行ってください」と教えてくれた -
*旧東ドイツを旅行するためには、ホテルの予約を済ませ(格安ホテルなど宿泊不可能)てからビザを申請しなければならず、特に貧乏旅行者には旅行しにくい国だった
*東ベルリンで起こった暴動の日付を留めた通り 壁崩壊後も残っているのに驚いてシャッターを切った6月17日通り 散歩・街歩き
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*陸の孤島旧西ベルリンのさらに孤島だったソ連軍兵士の慰霊碑
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*カラヤン・サーカスとも言われたフィルハーモニーホール 遠方はソニーセンター(ポツダム広場)
ベルリン フィルハーモニー 劇場・ホール・ショー
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*カイザー・ヴィルヘルム教会(旧西ベルリン)
ヴィルヘルム皇帝記念教会 寺院・教会
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*東のシンボルだった大聖堂とテレビ塔
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*今や時代の遺物マルクスとエンゲルスの像
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*松岡外相が日ソ中立条約に調印し、モスクワから到着したアンハルター駅の遺構
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*西ベルリン、ポツダム間にあるグリーニッケ橋 東西ドイツ間でスパイ交換が行われた
グリーニッカー橋 建造物
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*ポツダムのサンスーシー宮殿
サンスーシー宮殿 城・宮殿
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*ポツダム会談の場ツェツィーリエンホーフ 1990年
ツェツィーリエンホーフ宮殿 城・宮殿
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*検討されたドイツ分割案
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*シャルロッテンブルク宮殿(1984年)
シャルロッテンブルク宮殿 城・宮殿
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*旧東ベルリン博物館島にあるペルガモン・ムゼウム(1986年)
ペルガモン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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*おまけ
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