2024/08/16 - 2025/04/28
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砂布巾さん
1945年4月28日 ムッソリーニの処刑(イタリア)
「イタリア社会共和国」(サロ政権)首脳として形の上だけ権力の座に返り咲いたムッソリーニにとって、最初にすべき重要な仕事が逮捕されるきっかけとなったファシスト大評議会に参加し、「統帥権の国王への返還決議」に賛成した「反逆者」を裁くことだった。注目を集めたのが、偽造旅券でスペインへの逃亡中に身柄を確保され、ドイツに拘束されていた娘婿チアーノ元外相の処遇だった。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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逃れるか地下へ潜って欠席した13人を除く6人の裁判は、1944年1月8日から3日間、ヴェローナのヴェッキオ城で開かれた。彼らは体制内での政権の改善を求めたことを強調したが、判決は筋書き通り「死刑」。刑は11日9時に執行された。背後にはヒトラーの意向があったと言われる。内心助命嘆願書を待っていたムッソリーニは、知らせを聞いた後、「これでわが家庭も終わった、いまは俺の死が始まっているよ」と語ったという。一足先にスイスへ逃れていたムッソリーニの娘でもある妻エッダは、戦後チアーノの日記を出版した。
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*ヴェッキオ城への道
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*ヴェッキオ城の内部
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各地でパルティザンの活動もあって、イタリアは徐々にドイツ軍とファシストから解放され、遂にムッソリーニもスイスへの逃亡を決意。1945年4月27日にコモ湖畔で逮捕され、翌日の午後処刑が実行された。遺体は29日にミラノへ運ばれ、ロレート広場で一緒に処刑された十年来の愛人クララ・ペタッチとともにさらしものにされた。
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*少しだけ離れたこちらもロレート広場 場所は特定出来ずじまい すぐ前を警察官が歩いていたので、聞けば良かった
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*ベルモンテ荘の裏手
2000年6月には「百人の20世紀」テレビ版で取り上げられた。最後の家となったガルニャーノ脱出前に大工を呼んで丈夫な木箱を4つ作らせ、重要文書を納めてガルダ湖に沈めたという。中身は大戦末期にイギリスとの反ソ共同戦線結成に関する秘密交渉の文章が納められており、戦後チャーチル自身が湖を訪れたこともあるという。話としては面白いが、チャーチルが大戦末期に死に体のムッソリーニと手を組んでスターリンと戦おうとしたとは思えない。 -
本項目でも参考文献とした木村裕主氏の著書にも出会い、この時期はムッソリーニがブームだった。番組と本で処刑された場所が特定できたので、2000年7月末に訪問した。コモ湖畔メッツェグラ村のベルモンテ荘(写真)。コモから水中翼船で30分少々乗ったLennoから歩いて15分。十字架に書かれた‘Benito Mussolini 28 Aprile 1945’が見える。現場に立つと、本に書かれていた処刑の場面を思い出した。愛人と最後の一夜を過ごしたデ・マリアの家にも行きたかったが、住所が書かれておらず、探すことは出来なかった。
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*トイレを借りたこちらのレストランLennoで昼食をとりベルモンテ荘に向かう ラビオリがとても美味しかった。
2002年にはガルダ湖に突き出す半島のシルミオーネに宿泊して、2年振りにヴェローナ、ガルダ湖を訪問した。前回は、ヴェッキオ城は見学していた(係員はチアーノを知らなかった)が、古代ローマ帝国の遺跡の円形野外劇場、「ロミオとジュリエット」ゆかりのジュリエットの家は見学していなかった。今回は後二者も見学できた。前回ガルダ湖は眺めただけだったが、 -
ガルニャーノやサロまで足を延ばすことができた。夕方エアー・ドロミティを利用したウィーンへの移動が控えていたので、時間的余裕がなく、ガルニャーノの船着き場から離れた最後の家が見学できなかった。
ムッソリーニが北イタリアでもミラノやヴェネチアのような大都市ではなく、人里離れたガルダ湖周辺にいわば幽閉されたのは、大戦後半以後ヒトラーにとってムッソリーニが重荷であったことを物語っている。(2000年7月30日,2002年7月31日訪問) -
*この辺りが別荘かな?と思いシャッターを切った でもピンボケ
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*もう一丁
もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693
関連項目
「ベニート・ムッソリーニの生誕地と墓地を訪ねて」http://4travel.jp/travelogue/10940231
「逮捕、休戦、そして救出」http://4travel.jp/travelogue/10921060 -
*ここからは北イタリアの風景です
*船から眺めるコモの町 -
*2泊したコモのYH
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*船から眺めるシルミオーネ
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*下船後、歩いてシルミオーネの先端へ
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*一番安かったシルミオーネのHotel Gardenia。値段なりのホテル。日本人3人家族も泊まっていた。
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*ここから8枚はヴェローナの風景
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*イタリア統一(1861)時の国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の像(確か)
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アレーナ ディ ヴェローナ 劇場・ホール・ショー
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*劇場からの眺め
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*ジュリエットの家。バルコニーに特にご注目。やや判りにくいけど、下にはジュリエットの像も。右胸に触ると幸せな結婚が出来るそうで、皆が触るためかテカテカ光っている。
ジュリエットの家 建造物
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*ヴェローナの青空市場
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