2014/06/05 - 2023/08/19
55位(同エリア185件中)
砂布巾さん
1989年8月22日付中国新聞にオーストリア、ハンガリー国境で500人の東ドイツ市民が集団脱出した記事が載った。この出来事、実はベルリンの壁崩壊へ向けて仕組まれたトリックだった。この「ヨーロッパ・ピクニック計画」について、1993年12月19日にNHKで放映された番組を参考に紹介する。
(写真はウィーンからショプロンに向かう途中に見かけた一面のひまわり畑)
めざせ「国際ジャーナリスト」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 自転車
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
1988年11月ハンガリー新政権は、東欧で初めて共産党の一党独裁放棄を決定した。そして翌年5月、オーストリアとの国境地帯の「鉄のカーテン」を撤去した。前年には国民の海外旅行自由化を実現していたので、存在そのものが無意味だった。ネーメト首相はソ連の出方を心配したが、事前にゴルバチョフの暗黙の了解も取れた。
舞台にはハンガリーのショプロンが選ばれた。ここはハンガリー領がオーストリア側に突き出しており、冷戦時代には東西のスパイが相手方に潜入した町でもあった。 -
戦後一度も開かれたことがない国境の門を開くため、幹部は早速ポジュガイ政治改革担当相に協力を求めた。ポジュガイは催し物を装いながら東ドイツ人を白昼堂々大量に脱走させ、「壁」を意味のないものにする絶好の機会だと考えた。集会は別の意味を持ち始めた。
ピクニックは8月19日午後2時に始まった。しかしやがてそれは東ドイツ市民の脱出劇へと変わった。 -
ある女性が転んで子どもを落とした。警備隊の兵士が駆け寄り現場に緊張が走った。しかし兵士は子どもを抱き上げ母親の手に渡した。
ピクニック以後、オーストリアへ脱出できると信じた東ドイツ市民が国境地帯へと殺到した。不法出国を試みる東ドイツ市民は逮捕されたが、国境警備隊の兵舎で穏やかにブダペストのズグリゲット教会へ行くように指示された。教会にはハンガリー政府の関与をカモフラージュするため、民間団体のキャンプが張られていた。そして神父の事務所では、西ドイツの大使館員が東ドイツ市民のため西ドイツのパスポートを作成していた。
(再現された鉄のカーテン) -
(訪問のヒントを与えてくれた新聞記事)
-
ハンガリーは人道の見地から東ドイツ市民を自由に出国させることを決断していた。8月25日、ネーメト首相らは西ドイツを訪問しコール首相と会談した。出国の方針を聞いたコールは、「ドイツ国民は、あなたがたとハンガリーの勇気を永遠に忘れることはないだろう」と泣いて語った。一方31日にホルン外相は東ドイツを訪問し、フィッシャー外相にハンガリー政府の決定を「通告」した。そして「何千もの国民が国を棄てる決意をするような、そんな国を造ったあなたがた自身の罪の重さを考えるべきだ」と付け加えた。
9月10日、ホルン外相はテレビに出演し、その場で午前零時以後、東ドイツ市民が自由に出国できることを発表した。こうしてハンガリー経由で東ドイツ市民は西ドイツへ逃れられるようになり、ベルリンの壁は無意味なものとなった。 -
10月7日の東ドイツ建国40周年式典に出席したゴルバチョフは、ホーネッカーを見捨て、10日後ホーネッカーは解任された。各地では民主化を求める集会が公然とかつ大規模に開かれるようになり、東ドイツは正に内乱寸前のような状況だった。
-
新書記長クレンツは、出国を求める国民を直接出国させる政令を出すことを決めた。原案では2度と戻れないことになっていたので修正を加え、11月9日の社会主義統一党中央委員会で諮られた。混乱の最中にあった中央委員は十分中身を読まないまま承認した。
政治局広報担当委員シャボウスキーは、プレスセンターへ急いでいた。記者会見が始まる午後6時が迫っていた。彼は車の中で初めて見る政令に目を通した。だがプレスセンターまで車で5分、十分な準備ができなかった。記者会見も終わりに近付いた頃、翌日発表されるはずの原稿を読み始めた。「個人の国外旅行は、理由を問わず、申請次第短時間で許可される」。 -
「出国は西ドイツ、西ベルリンのどこを通っても可能である」。こうして東ベルリン市民は、半信半疑のままベルリンの壁に集まり始めた。「このままでは流血の事態になる」と判断したクレンツは、ただちに国境を開けることを軍と国境警備隊に指令した。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
これがその国境 ハンガリーがEUに加盟し、シェンゲン協定が適用になった現在、ゲートも開かれていることでしょう
-
これまで紹介してきた写真はこのように草原の中にポツリと置いてあるボードに展示されている
「ヨーロッパピクニック計画~ベルリンの壁はこうして崩壊した」 とても興味深い番組です 是非ご覧ください
https://www.youtube.com/watch?v=aHkUfeNkwbQ -
向こう側はオーストリア ここから密入国していた? さすがに試してみる勇気はなかった
-
ショプロンから現場までは約6キロ 徒歩は辛い バスもあるようだが、よく分からなかったので、レンタサイクルを借りる 店の名前はボロゾ!
-
ベルリンの壁崩壊記念コンサート バーンスタイン指揮ベートーヴェン第九
東西世界のオーケストラ、独唱者による
https://www.youtube.com/watch?v=IInG5nY_wrU -
ウィーンのシンボル、シュテファン大寺院
-
ホーフブルク(王宮)
-
定番!
-
女帝マリア・テレジア像
-
ユースホステル(Myrthensgasse)
-
出発前にはYHでボヤ騒ぎ?があったようで、何と5時から起こされてしまいました。低血圧の身には辛かった?
-
アムステルダムまでの飛行機
-
関空までの飛行機
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
-
1945年2月4日~11日 ヤルタ会談(砂布巾のLW 終章1)
2014/05/20~
ブラウンシュヴァイク
-
ポーランドの「領土」と「政権」(砂布巾のLW 終章2)*戦後のドイツ人追放と教科書共同研究
2014/05/21~
その他の観光地
-
チェコでのドイツ人追放(砂布巾のLW 終章3)
2014/05/22~
その他の都市
-
1945年2月13日 ドレスデン爆撃(砂布巾のLW 終章4)
2014/05/23~
ドレスデン
-
1945年3月7日~17日 「レマゲン鉄橋」(砂布巾のLW 終章5)+ライン川流域(ローレライほか),ネアン...
2014/05/25~
その他の観光地
-
1945年4月15日 ベルゲン・ベルゼン収容所解放~アンネの死(砂布巾のLW 終章6)
2014/05/26~
ツェレ
-
1945年4月25日 エルベの誓い(砂布巾のLW 終章7)+宗教改革者ルター、バッハゆかりの地訪問記
2014/05/27~
その他の観光地
-
1945年4月28日 ムッソリーニの処刑(砂布巾のLW 終章8)+ヴェローナの風景,独裁者チャウシェスクの残...
2014/05/28~
コモ
-
1945年4月30日~5月8日 ヨーロッパ戦争の終結(砂布巾のLW 終章その9)
2014/05/29~
ベルリン
-
戦後の東西分断とベルリンの壁 *付 スリの手口(砂布巾のLW 終章10)+ベルリン名所めぐり
2014/05/30~
ベルリン
-
戦後の南北分断と北朝鮮訪問 その1(砂布巾のLW 終章11)、韓国旅のハイライト
2014/05/31~
その他の観光地
-
戦後の南北分断と北朝鮮訪問 その2(砂布巾のLW 終章12) 金剛山と開城
2014/06/01~
その他の観光地
-
「ハングゲオモニ(韓国の母)田内千鶴子」(砂布巾のLW 終章13)
2014/06/02~
木浦
-
砂布巾のLW番外編 ヨーロッパ・ピクニック計画 それはベルリンの壁崩壊へ向けたトリックだった(動画付き)
2014/06/05~
その他の都市
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
その他の都市(ハンガリー) の人気ホテル
ハンガリーで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ハンガリー最安
567円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 終章 始まりと終わり+ホームステイについて、最後にほか
0
33