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この日は、旅の最終日です。<br />以前エジプトに行った際には、ピラミッド観光が最終日でした。<br />旅のクライマックスにはいいのですが、冬とはいえピラミッド内は結構暑く、その後シャワーを浴びたかったと思いました。<br />今回は、その点ではいいスケジュールかな・・・・と思ってこの日を迎えました。<br /><br /><br />【旅程】<br /><br />7月28日(日)<br />NRT 成田発 20時30分→CAI カイロ着 7月29日 4時20分<br />(MS965便 エジプト航空) <br />7月29日(月)<br />CAI カイロ発 10時10分→ATH アテネ着 12時10分<br />(MS747便 エジプト航空)<br /><br />アテネ市内観光 <br />・シンタグマ広場付近 <br />・パナシナイコスタジアム <br />・プラカ地区 <br />・パルテノン神殿 <br />・夕食 <br />・ホテル <br />↓<br />7月30日(火)<br />アテネ発→ピレウス港 <br />エーゲ海1日クルーズ <br />・イドラ島 <br />・ポロス島 <br />・エギナ島<br />ピレウス港→アテネ<br />・プラカ地区で夕食<br />↓<br />7月31日(水)<br />アテネ発→カランバカ<br />・カランバカにて昼食<br /><br />カランバカ→メテオラ<br />・ビュースポット<br />・ヴァルラーム修道院<br />・アギオス・ステファヌス修道院<br />メテオラ→カランバカ→アテネ<br /><br />8月1日(木)<br />・リカヴィトスの丘の公園<br />ATH アテネ発 13時10分→CAI カイロ着  15時05分<br />(MS748便)<br /><br />・ハンハリーリ・バザール<br />・夕食<br />・ホテル<br /><br />8月2日(金)<br />ギザ→ダハシュール<br />・赤ピラミッド<br />・屈折ピラミッド<br />ダハシュール→メンフィス<br />・メンフィス博物館<br />メンフィス→サッカラ<br />・階段ピラミッド<br />・絨毯屋<br />・ランチ<br />↓<br />サッカラ→ギザ<br />・クフ王ピラミッド<br />・ビュースポット<br />・河岸神殿<br />・スフィンクス<br />・パピルスの店<br />・香水と香水瓶の店<br />・夕食<br />・ホテル<br /><br />8月3日(土)<br />ギザ→カイロ<br />・モハメドアリモスク ●<br />・ランチ ●<br />・考古学博物館 ●<br />・夕食 ●<br />↓<br />カイロ空港<br />CAI カイロ空港 23時30分発<br />↓<br />8月4日(日)<br />NRT 成田空港 17時30分着<br />(MS964便)<br />

Cairo 2024 ⑩(Greece - Egypt)

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2024/08/03 - 2024/08/03

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noel

noelさん

この旅行記のスケジュール

2024/08/03

  • アラマンテ・ミラミッズ・ホテル:9時25分→モハメッド・アリ・モスク:10時05分頃

  • モハメッド・アリ・モスク:11時頃→11時20分頃

  • レストラン:13時20分頃→カイロ考古学博物館:13時55分頃

  • 考古学博物館:16時45分頃→レストラン:17時10分頃

  • レストラン:18時30分頃→カイロ空港:19時頃

  • カイロ発:23時30分→成田着:8月4日17時30分頃 (エジプト航空MS964便)

この旅行記スケジュールを元に

この日は、旅の最終日です。
以前エジプトに行った際には、ピラミッド観光が最終日でした。
旅のクライマックスにはいいのですが、冬とはいえピラミッド内は結構暑く、その後シャワーを浴びたかったと思いました。
今回は、その点ではいいスケジュールかな・・・・と思ってこの日を迎えました。


【旅程】

7月28日(日)
NRT 成田発 20時30分→CAI カイロ着 7月29日 4時20分
(MS965便 エジプト航空) 
7月29日(月)
CAI カイロ発 10時10分→ATH アテネ着 12時10分
(MS747便 エジプト航空)

アテネ市内観光 
・シンタグマ広場付近 
・パナシナイコスタジアム 
・プラカ地区 
・パルテノン神殿 
・夕食 
・ホテル 

7月30日(火)
アテネ発→ピレウス港 
エーゲ海1日クルーズ 
・イドラ島 
・ポロス島 
・エギナ島
ピレウス港→アテネ
・プラカ地区で夕食

7月31日(水)
アテネ発→カランバカ
・カランバカにて昼食

カランバカ→メテオラ
・ビュースポット
・ヴァルラーム修道院
・アギオス・ステファヌス修道院
メテオラ→カランバカ→アテネ

8月1日(木)
・リカヴィトスの丘の公園
ATH アテネ発 13時10分→CAI カイロ着  15時05分
(MS748便)

・ハンハリーリ・バザール
・夕食
・ホテル

8月2日(金)
ギザ→ダハシュール
・赤ピラミッド
・屈折ピラミッド
ダハシュール→メンフィス
・メンフィス博物館
メンフィス→サッカラ
・階段ピラミッド
・絨毯屋
・ランチ

サッカラ→ギザ
・クフ王ピラミッド
・ビュースポット
・河岸神殿
・スフィンクス
・パピルスの店
・香水と香水瓶の店
・夕食
・ホテル

8月3日(土)
ギザ→カイロ
・モハメドアリモスク ●
・ランチ ●
・考古学博物館 ●
・夕食 ●

カイロ空港
CAI カイロ空港 23時30分発

8月4日(日)
NRT 成田空港 17時30分着
(MS964便)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
エジプト航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
エイチ・アイ・エス
  • エジプト最後の朝食です。<br />こちらで卵料理など作ってくれます。<br />目玉焼きをお願いしました。<br />ちょっとレトロですが、鉄板になっています。

    エジプト最後の朝食です。
    こちらで卵料理など作ってくれます。
    目玉焼きをお願いしました。
    ちょっとレトロですが、鉄板になっています。

  • 言い忘れたら、目玉焼きがターンオーバーになってました。(-_-;)<br />

    言い忘れたら、目玉焼きがターンオーバーになってました。(-_-;)

  • こちらはお部屋です。<br />ベランダからプールサイドを眺めます。<br />

    こちらはお部屋です。
    ベランダからプールサイドを眺めます。

  • Amarante Pyramids Hotel<br />(アマランテ・ピラミッド・ホテル)

    Amarante Pyramids Hotel
    (アマランテ・ピラミッド・ホテル)

  • ホテル前の通りです。ちょっとだけ朝の散歩に出かけます。<br />1人で出かけます。<br />

    ホテル前の通りです。ちょっとだけ朝の散歩に出かけます。
    1人で出かけます。

  • 大通りに出ました。<br />King Faisal Street(キング・ファイサル通り)<br />この通りを左にしばらく行くとピラミッドや大エジプト博物館等があります。<br />この通りはバスも走ってます。<br />実はエジプトのバス停は、バス停らしき所はありますが、はっきり定まっていません。最初はバスで大エジプト博物館に行こうとも考えましたが、これではハードルが高すぎです。<br />しかもアラビア語は全然わかりませんし。<br />しかも、信号機がないので、このような大通りを渡るのは、かなり難しいです。<br />車がなければいいのですが、途絶えることはありません。しかも通りは広いのに車線もないような状態です。現地の人はタイミングを見ながら上手に渡っていますが、私は恐ろしくて横断できません。(-_-;)(-_-;)(-_-;)<br />しかも人が横断していても、車は止まることなく、クラクションが絶えず鳴っています。<br />ガイドさんによると、エジプトでは信号機を設置しても、誰も守らないので設置しないのだそうです。<br />そして、交通整理をする方の仕事を守る必要があるのだそうです。<br />なかなか理解できない話ですが、そんなわけで、ツーリストポリスの方もいないので、この通りを横断するのはやめました。<br />慣れれば横断できるのかもしれませんが。<br />結果的に、渡る事はせずに路地に入ってみました。<br /><br />※ この日の前日は大エジプト博物館に行くのに、Uber Taxiを予約しました。<br />ただ、残念ながらマッチングできませんでした。<br />仮に行きはタクシーに乗れても、博物館からの帰りに予約なしにタクシーに乗るのは困難なようでした。しかも夜の11時頃です。<br />やはりリスクを考えると、博物館行きを断念せざるを得ませんでした。<br />(´;ω;`)ウッ…<br />

    大通りに出ました。
    King Faisal Street(キング・ファイサル通り)
    この通りを左にしばらく行くとピラミッドや大エジプト博物館等があります。
    この通りはバスも走ってます。
    実はエジプトのバス停は、バス停らしき所はありますが、はっきり定まっていません。最初はバスで大エジプト博物館に行こうとも考えましたが、これではハードルが高すぎです。
    しかもアラビア語は全然わかりませんし。
    しかも、信号機がないので、このような大通りを渡るのは、かなり難しいです。
    車がなければいいのですが、途絶えることはありません。しかも通りは広いのに車線もないような状態です。現地の人はタイミングを見ながら上手に渡っていますが、私は恐ろしくて横断できません。(-_-;)(-_-;)(-_-;)
    しかも人が横断していても、車は止まることなく、クラクションが絶えず鳴っています。
    ガイドさんによると、エジプトでは信号機を設置しても、誰も守らないので設置しないのだそうです。
    そして、交通整理をする方の仕事を守る必要があるのだそうです。
    なかなか理解できない話ですが、そんなわけで、ツーリストポリスの方もいないので、この通りを横断するのはやめました。
    慣れれば横断できるのかもしれませんが。
    結果的に、渡る事はせずに路地に入ってみました。

    ※ この日の前日は大エジプト博物館に行くのに、Uber Taxiを予約しました。
    ただ、残念ながらマッチングできませんでした。
    仮に行きはタクシーに乗れても、博物館からの帰りに予約なしにタクシーに乗るのは困難なようでした。しかも夜の11時頃です。
    やはりリスクを考えると、博物館行きを断念せざるを得ませんでした。
    (´;ω;`)ウッ…

  • さて、路地に入りました。<br />果物屋さんのようです。バナナは宙づりです。<br />熟して落ちるのではないかと、勝手に心配してました。<br />

    さて、路地に入りました。
    果物屋さんのようです。バナナは宙づりです。
    熟して落ちるのではないかと、勝手に心配してました。

  • 「アルザハラ・クリニック」<br />内科、消化器系・・とのこと。<br /><br /><br /><br />

    「アルザハラ・クリニック」
    内科、消化器系・・とのこと。



  • 樹々が繁っています。<br />公園でしょうか・・・・。<br />

    樹々が繁っています。
    公園でしょうか・・・・。

  • シーシャ(水たばこ)をしてる方々です。<br />

    シーシャ(水たばこ)をしてる方々です。

  • 突き当りの通りに出ました。<br />Al Haram通りです。工事をしているようです。<br />特に面白そうなものもないようなので、来た道を戻ります。<br /><br />

    突き当りの通りに出ました。
    Al Haram通りです。工事をしているようです。
    特に面白そうなものもないようなので、来た道を戻ります。

  • 公園らしき場所ですが、覗いて見ると、池のようなものが見えます。<br />

    公園らしき場所ですが、覗いて見ると、池のようなものが見えます。

  • マンションのようなビルもたくさんあります。<br /><br />

    マンションのようなビルもたくさんあります。

  • 鶏屋さんがありました。<br />籠に入れられてますが、外に出てる鶏もいます。<br />寄って来られたり、飛んで来られたら怖いので、反対側を歩いて帰ります。<br />

    鶏屋さんがありました。
    籠に入れられてますが、外に出てる鶏もいます。
    寄って来られたり、飛んで来られたら怖いので、反対側を歩いて帰ります。

  • 短い散歩でした。無理は禁物です。<br />ちなみに、この近辺を歩いていた外国人は私だけでした。<br /><br />

    短い散歩でした。無理は禁物です。
    ちなみに、この近辺を歩いていた外国人は私だけでした。

  • National Museum of Egyptian Civilization<br />(エジプト文明国立博物館)<br />ちょっと見えにくいのですが、遠目に見えます。<br /><br />2021年に考古学博物館にあったミイラたちが、こちらに移動しました。<br />コロナ禍ではありましたが、ファラオのミイラがファンファーレが鳴り響く中、荘厳にパレードで移動しました。<br />ラムセス2世やハトシェプスト女王のミイラもパレードに加わりました。<br />オンラインで見ましたが、古代エジプトを思わせる厳かなパレードでした。

    National Museum of Egyptian Civilization
    (エジプト文明国立博物館)
    ちょっと見えにくいのですが、遠目に見えます。

    2021年に考古学博物館にあったミイラたちが、こちらに移動しました。
    コロナ禍ではありましたが、ファラオのミイラがファンファーレが鳴り響く中、荘厳にパレードで移動しました。
    ラムセス2世やハトシェプスト女王のミイラもパレードに加わりました。
    オンラインで見ましたが、古代エジプトを思わせる厳かなパレードでした。

  • モスクが見えてきました。<br />以前、エジプトに来た時は、シタデルにも行かずに、離れた所から眺めただけでした。

    モスクが見えてきました。
    以前、エジプトに来た時は、シタデルにも行かずに、離れた所から眺めただけでした。

  • 今回は行きます。

    今回は行きます。

  • シタデルの城壁です。<br />シタデルは、1176年にアイユーブ朝の創始者サラーフ・アッディーンにより建設されました。十字軍の侵攻に備えて造営されました。<br />十字軍との戦いは、1192年に休戦条約が結ばれ、役割は終了しました。<br />その後、1218年に王宮が建てられてからは、エジプトの中心地となっています。

    シタデルの城壁です。
    シタデルは、1176年にアイユーブ朝の創始者サラーフ・アッディーンにより建設されました。十字軍の侵攻に備えて造営されました。
    十字軍との戦いは、1192年に休戦条約が結ばれ、役割は終了しました。
    その後、1218年に王宮が建てられてからは、エジプトの中心地となっています。

  • 高さ10m、厚さ3mの城壁に囲まれています。<br />防御用の円形の塔や長期の籠城に備えて、巨大な井戸なども造られました。

    高さ10m、厚さ3mの城壁に囲まれています。
    防御用の円形の塔や長期の籠城に備えて、巨大な井戸なども造られました。

  • Muhammad Ali Mosque(ムハンマド・アリー・モスク)<br />Sulayman Pasha Mosque(スレイマン・パシャ・モスク)<br />軍事博物館などが敷地内にあります。

    Muhammad Ali Mosque(ムハンマド・アリー・モスク)
    Sulayman Pasha Mosque(スレイマン・パシャ・モスク)
    軍事博物館などが敷地内にあります。

  • この日もかなりの暑さです。

    この日もかなりの暑さです。

  • National Military Museum(国立軍事博物館)

    National Military Museum(国立軍事博物館)

  • シタデル・フォトグラフィ・スタジオ<br /><br />色々なコスチュームで写真を撮れるようです。

    シタデル・フォトグラフィ・スタジオ

    色々なコスチュームで写真を撮れるようです。

  • この方こそ1176年にアイユーブ朝の創始者サラーフ・アッディーンでしょうか。<br />この城内の建物は、ほとんどがオスマン朝時代に建設されました。

    この方こそ1176年にアイユーブ朝の創始者サラーフ・アッディーンでしょうか。
    この城内の建物は、ほとんどがオスマン朝時代に建設されました。

  • このモスク建設にあたって、建材としてピラミッドの石などが使われたようです。<br />巨大なドームと2本のミナレットが特徴的です。<br />実はエジプトではこれは珍しいのだそうです。<br /><br /><br />

    このモスク建設にあたって、建材としてピラミッドの石などが使われたようです。
    巨大なドームと2本のミナレットが特徴的です。
    実はエジプトではこれは珍しいのだそうです。


  • では、いよいよモスク内に入ります。<br />その前に、服装をチェック!<br />肌の露出が少ないもので。<br />靴は脱ぎますので、それを入れる袋があると便利です。<br /><br />※今までモスクには色々行きましたが、基本的には靴を脱ぎます。<br />そのまま履物を置いていけるモスクもありますが、持ったまま中に入ります。<br />また、中にはカバーをくれるモスクもあります。<br /><br />ちなみに、右の奥に見えるのはSultan Al Nasir Muhammad ibn Qalawun Mosque(スルタン・アル・ナセル・ムハンマド・イブン・カラウォン・モスク)です。

    では、いよいよモスク内に入ります。
    その前に、服装をチェック!
    肌の露出が少ないもので。
    靴は脱ぎますので、それを入れる袋があると便利です。

    ※今までモスクには色々行きましたが、基本的には靴を脱ぎます。
    そのまま履物を置いていけるモスクもありますが、持ったまま中に入ります。
    また、中にはカバーをくれるモスクもあります。

    ちなみに、右の奥に見えるのはSultan Al Nasir Muhammad ibn Qalawun Mosque(スルタン・アル・ナセル・ムハンマド・イブン・カラウォン・モスク)です。

  • ムハンマド・アリーの命によって、1830年から27年の歳月をかけて建設されました。<br />ムハンマド・アリーはエジプト最後の王朝で「ムハンマド・アリー王朝」を興しました。<br />ナポレオンの侵攻からエジプトを守りました。

    ムハンマド・アリーの命によって、1830年から27年の歳月をかけて建設されました。
    ムハンマド・アリーはエジプト最後の王朝で「ムハンマド・アリー王朝」を興しました。
    ナポレオンの侵攻からエジプトを守りました。

  • 当時、オスマン朝は絶大なる勢力にありましたが、その支配下にあってアラブ諸国内で、ムハンマド・アリーはいち早く近代化の礎を築きました。<br /><br />

    当時、オスマン朝は絶大なる勢力にありましたが、その支配下にあってアラブ諸国内で、ムハンマド・アリーはいち早く近代化の礎を築きました。

  • このモスクはトルコのアヤソフィア、ブルーモスクなどを模して建設されました。<br /><br />ただ、建設時にはピラミッドの石などを使って造られました。<br />ムハンマド・アリーにとっては、古代の建築物はたいして意味のある物ではなかったようです。

    このモスクはトルコのアヤソフィア、ブルーモスクなどを模して建設されました。

    ただ、建設時にはピラミッドの石などを使って造られました。
    ムハンマド・アリーにとっては、古代の建築物はたいして意味のある物ではなかったようです。

  • とにかく暑いです。

    とにかく暑いです。

  • 美しいアラビア文字です。<br />回廊部分を撮影しました。<br />なお、モスク内も撮影はできました。

    美しいアラビア文字です。
    回廊部分を撮影しました。
    なお、モスク内も撮影はできました。

  • モスクの中庭です。<br />画面右に見える時計台は、ルクソールにあったルクソール神殿のオベリスクと交換にフランス王ルイ・フィリップからこの時計台をいただきました。<br />ちなみに、この時計はもう動いてません。<br />ムハンマド・アリーにとっては古代エジプトの遺跡は価値のないものだったのでしょう。フランス王はラッキーでした。<br />交換したオベリスクは、現在もパリのコンコルド広場にあります。<br /><br />実はこのオベリスクについてですが、ちょっと面白い話があります。<br />それはシャンポリオンについてです。<br />彼はロゼッタ・ストーンを解読し古代エジプトの象形文字、ヒエログリフを解明したフランスのエジプト学の研究者として有名ですが、エジプトに1年以上滞在していました。その際の1828年の夏、自分の兄に宛ての手紙に下記のように書いてます。<br />『もし、政府(フランス政府)が、パリにオベリスクを欲しているのであれば、ルクソール神殿の入口から見て右側の物を手に入れる事が国家的名誉にかなっていると思う。高さ20mの、これ以上美しい物はないと思われるようなモノリス(1本石(1枚岩)でつくられた柱)だ。見事な状態で保存状態もいい。この事を伝えて、パリをこのような驚異で飾ることによって自分の名を不滅にしたいと思うような大臣に伝えてほしい。』<br />・・・・そして実際にこの進言は受け入れられました。<br />そして現在はオベリスクはコンコルド広場に美しい姿で立っています。<br />広場を象徴するようなモニュメントになっていると言っても過言ではありません。<br />ただ、シャンポリオンが、墓泥棒の片棒を担いだと思うと、とっても残念です。<br />(-_-;)<br />彼はエジプト人ではなく、フランス人だから仕方ないのかもしれません。<br />こうして数々のエジプトの財宝や遺物が海外に流出してしまいました。<br /><br />ユリウス・カエサルの真似ではありませんが、「シャンポリオン、おまえもか!」と言いたいです。

    モスクの中庭です。
    画面右に見える時計台は、ルクソールにあったルクソール神殿のオベリスクと交換にフランス王ルイ・フィリップからこの時計台をいただきました。
    ちなみに、この時計はもう動いてません。
    ムハンマド・アリーにとっては古代エジプトの遺跡は価値のないものだったのでしょう。フランス王はラッキーでした。
    交換したオベリスクは、現在もパリのコンコルド広場にあります。

    実はこのオベリスクについてですが、ちょっと面白い話があります。
    それはシャンポリオンについてです。
    彼はロゼッタ・ストーンを解読し古代エジプトの象形文字、ヒエログリフを解明したフランスのエジプト学の研究者として有名ですが、エジプトに1年以上滞在していました。その際の1828年の夏、自分の兄に宛ての手紙に下記のように書いてます。
    『もし、政府(フランス政府)が、パリにオベリスクを欲しているのであれば、ルクソール神殿の入口から見て右側の物を手に入れる事が国家的名誉にかなっていると思う。高さ20mの、これ以上美しい物はないと思われるようなモノリス(1本石(1枚岩)でつくられた柱)だ。見事な状態で保存状態もいい。この事を伝えて、パリをこのような驚異で飾ることによって自分の名を不滅にしたいと思うような大臣に伝えてほしい。』
    ・・・・そして実際にこの進言は受け入れられました。
    そして現在はオベリスクはコンコルド広場に美しい姿で立っています。
    広場を象徴するようなモニュメントになっていると言っても過言ではありません。
    ただ、シャンポリオンが、墓泥棒の片棒を担いだと思うと、とっても残念です。
    (-_-;)
    彼はエジプト人ではなく、フランス人だから仕方ないのかもしれません。
    こうして数々のエジプトの財宝や遺物が海外に流出してしまいました。

    ユリウス・カエサルの真似ではありませんが、「シャンポリオン、おまえもか!」と言いたいです。

  • 中央のキオスクです。<br />マイダアー(清めの泉)があります。<br />礼拝前に手足を清めます。<br /><br />モスクの外壁や内壁には、アラバスター(雪花石膏)が使用されているため、アラバスター・モスクとも呼ばれています。

    中央のキオスクです。
    マイダアー(清めの泉)があります。
    礼拝前に手足を清めます。

    モスクの外壁や内壁には、アラバスター(雪花石膏)が使用されているため、アラバスター・モスクとも呼ばれています。

  • 美しいドームです。<br />繊細な幾何学模様の装飾が目を見張ります。<br />また、アラビア文字のカリグラフィも芸術的な美しさです。<br />ドームの4隅には初代の4人のカリフの名前が刻まれているそうです。<br /><br />正統カリフの名前は以下のとおりです。<br />アブー=バクル<br />ウマル<br />ウスマーン<br />アリー

    美しいドームです。
    繊細な幾何学模様の装飾が目を見張ります。
    また、アラビア文字のカリグラフィも芸術的な美しさです。
    ドームの4隅には初代の4人のカリフの名前が刻まれているそうです。

    正統カリフの名前は以下のとおりです。
    アブー=バクル
    ウマル
    ウスマーン
    アリー

  • このモスクには珍しいことに絨毯が敷かれていませんでした。<br />ただ、昔は敷いてあったそうです。<br />絨毯はなくても土足禁止です。<br /><br />

    このモスクには珍しいことに絨毯が敷かれていませんでした。
    ただ、昔は敷いてあったそうです。
    絨毯はなくても土足禁止です。

  • モスク内には豪華なシャンデリアがあります。<br />とても華やかです。

    モスク内には豪華なシャンデリアがあります。
    とても華やかです。

  • このシャンデリアも、時計台と同様、オベリスクと交換でフランス王ルイ・フィリップから贈られた物です。<br />また、周囲のランプもそうです。<br />

    このシャンデリアも、時計台と同様、オベリスクと交換でフランス王ルイ・フィリップから贈られた物です。
    また、周囲のランプもそうです。

  • このランプが、モスクをより幻想的にしているように思います。

    このランプが、モスクをより幻想的にしているように思います。

  • 円状に規則正しく並べられたランプだけでなく、上部にはステンドグラスもあり、そこから漏れる光も美しいです。

    円状に規則正しく並べられたランプだけでなく、上部にはステンドグラスもあり、そこから漏れる光も美しいです。

  • この明かりが少ない箇所は、確か女性用の祈りのスペースだったように記憶してます。<br />他のモスクだと2階部分になっている事などがよくありますが。

    この明かりが少ない箇所は、確か女性用の祈りのスペースだったように記憶してます。
    他のモスクだと2階部分になっている事などがよくありますが。

  • 聖地メッカの方角を示すミフラーブがあります。<br />また、その右横には説教壇であるミンバルが設置されています。

    聖地メッカの方角を示すミフラーブがあります。
    また、その右横には説教壇であるミンバルが設置されています。

  • この先からはカイロの街並みが一望できます。

    この先からはカイロの街並みが一望できます。

  • シタデルは絶景スポットとしても有名です。

    シタデルは絶景スポットとしても有名です。

  • 全景を撮るためには、かなり離れないと撮れませんでした。<br /><br />建築家はイスタンブールのユースフ・ボシュナです。<br />このモスクは、オスマン様式の建築物に倣って設計されています。

    全景を撮るためには、かなり離れないと撮れませんでした。

    建築家はイスタンブールのユースフ・ボシュナです。
    このモスクは、オスマン様式の建築物に倣って設計されています。

  • エジプト最後の王朝時代の物です。

    エジプト最後の王朝時代の物です。

  • Cairo Antiquties Police Station(カイロ遺跡警察署)<br />この他にも、シタデルには牢獄博物館などもあります。

    Cairo Antiquties Police Station(カイロ遺跡警察署)
    この他にも、シタデルには牢獄博物館などもあります。

  • 犬が6匹、ぐったりと寝ています。

    犬が6匹、ぐったりと寝ています。

  • シタデルは周囲を高さ10m、厚さ3mの城壁に囲まれています。<br />十字軍の侵攻に備えて建設されました。

    シタデルは周囲を高さ10m、厚さ3mの城壁に囲まれています。
    十字軍の侵攻に備えて建設されました。

  • シタデルの城壁

    シタデルの城壁

  • 水道橋です。

    水道橋です。

  • MAMLUK(マムルーク)<br />エジプトのマムルーク朝と同じ名前です。(*^-^*)<br /> <br />※ マムルーク朝は奴隷身分の騎兵が出自とする軍人とその子孫から出たため、このように呼ばれています。

    MAMLUK(マムルーク)
    エジプトのマムルーク朝と同じ名前です。(*^-^*)
     
    ※ マムルーク朝は奴隷身分の騎兵が出自とする軍人とその子孫から出たため、このように呼ばれています。

  • Cresta(クレスタ)<br />ルーフトップのレストランです。

    Cresta(クレスタ)
    ルーフトップのレストランです。

  • このレストランは眺めのいい場所にあります。

    このレストランは眺めのいい場所にあります。

  • 窓からの景色ですが、また何か建設されそうな土地が見えます。

    窓からの景色ですが、また何か建設されそうな土地が見えます。

  • こちらの席は暑いのですが、眺めはいいです。<br />ちなみに私たちは、少し奥の涼しいお席でした。

    こちらの席は暑いのですが、眺めはいいです。
    ちなみに私たちは、少し奥の涼しいお席でした。

  • コシャリです。<br />エジプトのソウル・フードです。

    コシャリです。
    エジプトのソウル・フードです。

  • 実はこの日は不調で、ほんの一口しか食べれませんでした。<br />コシャリは好きなのですが。<br /><br />実は私だけでなく、他にもお腹の具合が悪い人が数人いました。<br />他の人は、私よりも症状がひどいようでした。<br />何が原因なのか、なかなか思い浮かびません。<br />歯磨きもミネラルウォーターにしてました。<br />氷も口にしてません。生野菜も食べていません。<br />ただ、ピラミッドに入り、かなり疲れがたまっていました。<br />免疫力が落ちていたからでしょうか・・・。

    実はこの日は不調で、ほんの一口しか食べれませんでした。
    コシャリは好きなのですが。

    実は私だけでなく、他にもお腹の具合が悪い人が数人いました。
    他の人は、私よりも症状がひどいようでした。
    何が原因なのか、なかなか思い浮かびません。
    歯磨きもミネラルウォーターにしてました。
    氷も口にしてません。生野菜も食べていません。
    ただ、ピラミッドに入り、かなり疲れがたまっていました。
    免疫力が落ちていたからでしょうか・・・。

  • アイスですが、写真に撮るだけで食べません。<br />やめておきます。<br />結果的にお腹の調子は、帰国後も回復しなかったため、病院に行きました。(-_-;)

    アイスですが、写真に撮るだけで食べません。
    やめておきます。
    結果的にお腹の調子は、帰国後も回復しなかったため、病院に行きました。(-_-;)

  • CRESTA(クレスタ)<br /><br />なかなかいい感じに撮れました。

    CRESTA(クレスタ)

    なかなかいい感じに撮れました。

  • 先ほどのモスクが見えます。<br />モスクからも一望できましたが、こちらは、もう少し高い場所にあります。

    先ほどのモスクが見えます。
    モスクからも一望できましたが、こちらは、もう少し高い場所にあります。

  • エジプト文明国立博物館が見えます。

    エジプト文明国立博物館が見えます。

  • Egyptian Museum(エジプト考古学博物館)<br /><br />2度目の訪問です。<br />前回来たのは、2017年12月27日でした。<br />つまり冬でした。<br />今回は2024年8月3日の真夏です。<br />入場料は450エジプトポンドでした。<br /><br />以前は120エジプトポンドでした。<br />ただ、ミイラ室150エジプトポンド<br />カメラ券50エジプトポンドでした。<br /><br />2017年の旅行記<br />↓<br />https://4travel.jp/travelogue/11340676

    Egyptian Museum(エジプト考古学博物館)

    2度目の訪問です。
    前回来たのは、2017年12月27日でした。
    つまり冬でした。
    今回は2024年8月3日の真夏です。
    入場料は450エジプトポンドでした。

    以前は120エジプトポンドでした。
    ただ、ミイラ室150エジプトポンド
    カメラ券50エジプトポンドでした。

    2017年の旅行記

    https://4travel.jp/travelogue/11340676

  • 2024年6月21日は<br />父の日のようです。<br />エジプトでは、父の日は6月21日に祝われます。<br />この日は、エジプトの夏至にあたる日で、家族が集まり、お父さんに感謝の気持ちを伝える特別な日のようです。<br />ただ、この日は8月3日なのですが・・・なぜ、これが出てたか不明です。

    2024年6月21日は
    父の日のようです。
    エジプトでは、父の日は6月21日に祝われます。
    この日は、エジプトの夏至にあたる日で、家族が集まり、お父さんに感謝の気持ちを伝える特別な日のようです。
    ただ、この日は8月3日なのですが・・・なぜ、これが出てたか不明です。

  • Funerary Stela of the Scribe Sobek Di-di<br />(書記官ソベク・ディ・ディの葬儀石碑)<br /><br />父親の主な責任は家族を経済的に養うこと、家計の支出と資産の管理をすること、重要な決定を下すこと、妻や子どもその他の扶養家族を守ることで家庭の安全と安定を確保することなどがありました。<br />更に父親は家族の精神的、感情的なリーダーとしての役割も果たしました。<br />また、妻の家事の手伝いをしながら、子どもを養育する上で重要な役割を果たしました。<br /><br />古代エジプト人は父性や子どもへの愛情を葬儀の遺物にも表現しました。<br />例えばソベク・ディ・ディは、娘のルン・スンブ・クスを膝の上に座らせた姿で描かれています。興味深い事に、父と娘が座っていた椅子の下には、家族のペットである犬が描かれています。<br /><br />石灰岩 アビドス 北の墓地遺跡<br /><br />・・・なるほど、父の日、わかりました。

    Funerary Stela of the Scribe Sobek Di-di
    (書記官ソベク・ディ・ディの葬儀石碑)

    父親の主な責任は家族を経済的に養うこと、家計の支出と資産の管理をすること、重要な決定を下すこと、妻や子どもその他の扶養家族を守ることで家庭の安全と安定を確保することなどがありました。
    更に父親は家族の精神的、感情的なリーダーとしての役割も果たしました。
    また、妻の家事の手伝いをしながら、子どもを養育する上で重要な役割を果たしました。

    古代エジプト人は父性や子どもへの愛情を葬儀の遺物にも表現しました。
    例えばソベク・ディ・ディは、娘のルン・スンブ・クスを膝の上に座らせた姿で描かれています。興味深い事に、父と娘が座っていた椅子の下には、家族のペットである犬が描かれています。

    石灰岩 アビドス 北の墓地遺跡

    ・・・なるほど、父の日、わかりました。

  • ハトシェプスト女王のオシリス柱頭部<br /><br />顔料 石灰岩 <br />テーベ(現在のルクソール) ディル・エル・バハリのハトシェプスト葬祭殿より出土

    ハトシェプスト女王のオシリス柱頭部

    顔料 石灰岩 
    テーベ(現在のルクソール) ディル・エル・バハリのハトシェプスト葬祭殿より出土

  • 古代と現代<br /><br />ここでは古代エジプトと現代エジプトが一緒に見られ、生者と死者が互いに触れあっています。<br />ハワード・カーターのアーカイブにおけるエジプト人の役割と限界とエジプト人の声の欠如は、社会と学問の世界の両方における力の不平等をはっきりと示しています。<br />バートンの写真シリーズ(この3枚)には、宝物庫の箱から見つかった重い宝石のネックレスをつけたエジプトの少年が写っています。彼の名前は記録されていません。

    古代と現代

    ここでは古代エジプトと現代エジプトが一緒に見られ、生者と死者が互いに触れあっています。
    ハワード・カーターのアーカイブにおけるエジプト人の役割と限界とエジプト人の声の欠如は、社会と学問の世界の両方における力の不平等をはっきりと示しています。
    バートンの写真シリーズ(この3枚)には、宝物庫の箱から見つかった重い宝石のネックレスをつけたエジプトの少年が写っています。彼の名前は記録されていません。

  • かなりぼけてますが、ツタンカーメンの財宝の発見時の様子です。<br />

    かなりぼけてますが、ツタンカーメンの財宝の発見時の様子です。

  • ツタンカーメン王のカーの像<br />(パピルス船に乗るツタンカーメン王像)<br /><br />顔料・しっくい・金・青銅・木製<br /><br />ルクソール西岸 王家の谷ツタンカーメン王墓(KV62)<br />H・カーター発掘(1922年)<br />お墓の玄室の入口にありました。

    ツタンカーメン王のカーの像
    (パピルス船に乗るツタンカーメン王像)

    顔料・しっくい・金・青銅・木製

    ルクソール西岸 王家の谷ツタンカーメン王墓(KV62)
    H・カーター発掘(1922年)
    お墓の玄室の入口にありました。

  • 厨子型カノポス櫃とカノポス容器の栓(四女神)<br /><br />櫃:アラバスター製<br />女神:アラバスター製<br /><br />ルクソール西岸 王家の谷ツタンカーメン王墓(KV62)<br />H・カーター発掘(1922年)<br /><br />以前より女神の数が減っていました。<br />おそらく新しい大エジプト博物館に移動したのでしょう。

    厨子型カノポス櫃とカノポス容器の栓(四女神)

    櫃:アラバスター製
    女神:アラバスター製

    ルクソール西岸 王家の谷ツタンカーメン王墓(KV62)
    H・カーター発掘(1922年)

    以前より女神の数が減っていました。
    おそらく新しい大エジプト博物館に移動したのでしょう。

  • ツタンカーメン王の黄金の玉座<br /><br />金、銀、ねりガラス、準貴石、木製

    ツタンカーメン王の黄金の玉座

    金、銀、ねりガラス、準貴石、木製

  • 横からの写真です。

    横からの写真です。

  • アヌビス神像の厨子<br /><br />樹脂・しっくい・銀・金・石英・黒曜石・木製<br /><br />ルクソール西岸 王家の谷ツタンカーメン王墓(KV62)<br />H・カーター発掘(1922年)

    アヌビス神像の厨子

    樹脂・しっくい・銀・金・石英・黒曜石・木製

    ルクソール西岸 王家の谷ツタンカーメン王墓(KV62)
    H・カーター発掘(1922年)

  • だちょうの羽の扇子

    だちょうの羽の扇子

  • シャブティ<br /><br />金、青銅、木製<br /><br />ルクソール西岸 王家の谷ツタンカーメン王墓(KV62)<br />H・カーター発掘(1922年)

    シャブティ

    金、青銅、木製

    ルクソール西岸 王家の谷ツタンカーメン王墓(KV62)
    H・カーター発掘(1922年)

  • Statue of King Akhenaten with his wife Kiya(?)<br />(アクエンアテン王とその妻キヤの像(?)<br /><br />この像は未完ですが、この時代の傑作の1つです。<br />アクエンアテン王が2番目の妻、キヤ(?)を膝に抱いている様子が描かれています。王は青いケプレシュを被って玉座に座り、妻はかつらを被って夫の方を見ています。<br /><br />実はキヤは、異国ミタンニの王女だったと推察されています。<br />イクナートン治世下の宮廷でのキヤは、イクナートンの娘を出産してからずっと、重要人物とされていたことがわかっています。<br />以前は、彼女こそがツタンカーメンの母親だったと考えられていましたが、最新のDNA鑑定の結果、その可能性は否定されたようです。<br /><br />ちなみに最初の妻は、美しいネフェルティティです。

    Statue of King Akhenaten with his wife Kiya(?)
    (アクエンアテン王とその妻キヤの像(?)

    この像は未完ですが、この時代の傑作の1つです。
    アクエンアテン王が2番目の妻、キヤ(?)を膝に抱いている様子が描かれています。王は青いケプレシュを被って玉座に座り、妻はかつらを被って夫の方を見ています。

    実はキヤは、異国ミタンニの王女だったと推察されています。
    イクナートン治世下の宮廷でのキヤは、イクナートンの娘を出産してからずっと、重要人物とされていたことがわかっています。
    以前は、彼女こそがツタンカーメンの母親だったと考えられていましたが、最新のDNA鑑定の結果、その可能性は否定されたようです。

    ちなみに最初の妻は、美しいネフェルティティです。

  • 彩色小箱<br /><br />木、象牙、黒檀、ガラス、ファイアンス、金、方解石、顔料

    彩色小箱

    木、象牙、黒檀、ガラス、ファイアンス、金、方解石、顔料

  • 彩色小箱<br /><br />木、象牙、ガラス、ファイアンス<br />ふたの部分31×20cm<br /><br />ツタンカーメンとアンケセナーメン

    彩色小箱

    木、象牙、ガラス、ファイアンス
    ふたの部分31×20cm

    ツタンカーメンとアンケセナーメン

  • Ceremonial Chair of Tutankhamun<br />(ツタンカーメンの儀式用の椅子)<br /><br />新王国第18王朝 (BC1336-1327)<br />黒檀 金 象牙 ガラス<br />王家の谷KV62 ツタンカーメンの墓<br />

    Ceremonial Chair of Tutankhamun
    (ツタンカーメンの儀式用の椅子)

    新王国第18王朝 (BC1336-1327)
    黒檀 金 象牙 ガラス
    王家の谷KV62 ツタンカーメンの墓

  • ヤグルマギク(矢車ギク)<br /><br />ツタンカーメン王の墓から発見された副葬品の中には、青い花「ヤグルマギク(矢車ギク)」が含まれていました。<br />この花は、古代エジプトの王であったツタンカーメンに捧げられたもので、「永遠の愛」を象徴しています。

    ヤグルマギク(矢車ギク)

    ツタンカーメン王の墓から発見された副葬品の中には、青い花「ヤグルマギク(矢車ギク)」が含まれていました。
    この花は、古代エジプトの王であったツタンカーメンに捧げられたもので、「永遠の愛」を象徴しています。

  • カノポス壺<br /><br />臓器収蔵の器です。<br />古代エジプトにおいてミイラを作る際、魂が宿るとされていた心臓を除き、特に重要と考えられていた臓器を取り出し、保存するために使われていたと考えられています。<br />

    カノポス壺

    臓器収蔵の器です。
    古代エジプトにおいてミイラを作る際、魂が宿るとされていた心臓を除き、特に重要と考えられていた臓器を取り出し、保存するために使われていたと考えられています。

  • 死者の書のパピルス

    死者の書のパピルス

  • 棺です。

    棺です。

  • Papyrus of Yuya(ユヤのパピルス)<br /><br />ユヤ(イウヤ)はツタンカーメン王の曾祖父にあたります。<br />彼は紀元前1400年頃に生きており、妻のトゥヤと共に「王家の谷」に埋葬されました。<br />

    Papyrus of Yuya(ユヤのパピルス)

    ユヤ(イウヤ)はツタンカーメン王の曾祖父にあたります。
    彼は紀元前1400年頃に生きており、妻のトゥヤと共に「王家の谷」に埋葬されました。

  • ユヤのミイラ<br /><br />ユヤとトゥヤはエジプトの新王国第18王朝時代の大貴族夫婦でした。<br />司祭だったと推定されています。<br />王族ではありませんが、娘のティイ(Tiye)がアメンホテプ3世と結婚したため巨大な富と権力を持つようになりました。

    ユヤのミイラ

    ユヤとトゥヤはエジプトの新王国第18王朝時代の大貴族夫婦でした。
    司祭だったと推定されています。
    王族ではありませんが、娘のティイ(Tiye)がアメンホテプ3世と結婚したため巨大な富と権力を持つようになりました。

  • トゥヤのミイラ<br /><br />ユヤとトゥヤの墓は古代に3回も略奪されていました。

    トゥヤのミイラ

    ユヤとトゥヤの墓は古代に3回も略奪されていました。

  • ダミーの石の花瓶<br /><br />文字がボケて読めないのですが、アラバスターのようです。<br />蓋には牛やカエルや山羊などが描かれているようです。<br />

    ダミーの石の花瓶

    文字がボケて読めないのですが、アラバスターのようです。
    蓋には牛やカエルや山羊などが描かれているようです。

  • ユヤとトゥヤの墓<br /><br />以前はツタンカーメンの厨子など、関連したものがたくさんありましたが、ないということは、大エジプト博物館に移動してしまったのでしょう。<br /><br />それでも、黄金のマスクはここにあります。<br />撮影できませんが。<br /><br />そのため、ツタンカーメンの家族関連のものが多いように感じました。<br />

    ユヤとトゥヤの墓

    以前はツタンカーメンの厨子など、関連したものがたくさんありましたが、ないということは、大エジプト博物館に移動してしまったのでしょう。

    それでも、黄金のマスクはここにあります。
    撮影できませんが。

    そのため、ツタンカーメンの家族関連のものが多いように感じました。

  • トゥヤの宝石箱とたぶん鏡

    トゥヤの宝石箱とたぶん鏡

  • 金メッキのトゥヤのマスク

    金メッキのトゥヤのマスク

  • ホルス神に守られている子ども時代のラムセス2世<br /><br />

    ホルス神に守られている子ども時代のラムセス2世

  • アマルナ時代(紀元前1352~1336年)

    アマルナ時代(紀元前1352~1336年)

  • アクエンアテンの象嵌が施された木製の棺<br />

    アクエンアテンの象嵌が施された木製の棺

  • アクエンアテンと家族がアテンを信仰している姿

    アクエンアテンと家族がアテンを信仰している姿

  • 「アクエンアテンとその家族」、アクエンアテン(現在のテル・エル・マルナ)から。<br />

    「アクエンアテンとその家族」、アクエンアテン(現在のテル・エル・マルナ)から。

  • 牛の姿をしたハトホル女神の像<br /><br />ハトホル女神は、愛、豊穣、女性、出産などを司る女神です。

    牛の姿をしたハトホル女神の像

    ハトホル女神は、愛、豊穣、女性、出産などを司る女神です。

  • 女神ハトホルの神殿<br /><br />ハトシェプスト神殿、ディル・エル・バハリ 西テーベ(ルクソール)<br />第18王朝(紀元前1450~1400年頃)<br />エジプト探検協会の発掘調査<br />1906年 彩色石灰岩<br />高さ225cm 幅157cm 長さ404cm<br /><br />これはメンチュホテプ2世とハトシェプスト女王の神殿の間の岩の崩落により小さな隙間ができた場所です。すると神殿の中に牛の像がはっきりと見えました。<br /><br />この神殿はトトメス3世(紀元前1479~1425年頃)の治世中に建てられ、その息子アメンホテプ2世によって完成されました。この神殿は神殿が彫られたテーベの西の山と結びついたハトホル女神(牛の動物の姿)の崇拝に捧げられました。まるで牛が冥界を表す山から現れたかのように彫られています。これに加えてパピルスの植物が刻まれておりました。

    女神ハトホルの神殿

    ハトシェプスト神殿、ディル・エル・バハリ 西テーベ(ルクソール)
    第18王朝(紀元前1450~1400年頃)
    エジプト探検協会の発掘調査
    1906年 彩色石灰岩
    高さ225cm 幅157cm 長さ404cm

    これはメンチュホテプ2世とハトシェプスト女王の神殿の間の岩の崩落により小さな隙間ができた場所です。すると神殿の中に牛の像がはっきりと見えました。

    この神殿はトトメス3世(紀元前1479~1425年頃)の治世中に建てられ、その息子アメンホテプ2世によって完成されました。この神殿は神殿が彫られたテーベの西の山と結びついたハトホル女神(牛の動物の姿)の崇拝に捧げられました。まるで牛が冥界を表す山から現れたかのように彫られています。これに加えてパピルスの植物が刻まれておりました。

  • Pillar of Senwosre Ⅰ(センウォレス1世の柱)(センウセレト1世?)

    Pillar of Senwosre Ⅰ(センウォレス1世の柱)(センウセレト1世?)

  • ラーへテプとネフェルトの座像<br /><br />顔料・石灰岩製<br />メイドゥム、ラーヘテプのマスタバ墓より出土<br />A・マリエットの発掘(1871年)

    ラーへテプとネフェルトの座像

    顔料・石灰岩製
    メイドゥム、ラーヘテプのマスタバ墓より出土
    A・マリエットの発掘(1871年)

  • セネブと家族の像<br /><br />顔料・石灰岩製<br />ギザ・セネブ墓あより出土<br />Hコンカーの発掘(1926-1927年)

    セネブと家族の像

    顔料・石灰岩製
    ギザ・セネブ墓あより出土
    Hコンカーの発掘(1926-1927年)

  • 2つの家の長老であり、神殿の監督者であったイテティ・アンキリスの偽の扉<br /><br />第6王朝紀元前2323~2150年頃<br />サッカラ、石灰岩<br /><br />Mastaba of Mereruka (宰相メレルカのマスタバに似てるのですが・・・)

    2つの家の長老であり、神殿の監督者であったイテティ・アンキリスの偽の扉

    第6王朝紀元前2323~2150年頃
    サッカラ、石灰岩

    Mastaba of Mereruka (宰相メレルカのマスタバに似てるのですが・・・)

  • 書記座像<br /><br />顔料・石灰岩製<br />サッカラ出土<br />エジプト考古局の発掘(1893年)<br />第5王朝初期(BC25世紀頃)<br /><br />ちなみに書記は人気のある職業でした。<br /><br />Papyrus Lansing(ランシング・パピルス)はセンウレト3世の治世に書かれた古代エジプト文書ですが、これには面白いことが書かれています。<br /><br />この巻物は紀元前18世紀、アメン神の王室書記官(牛の飼育主任でもありました)のネブマレ・ナクトによって書かれ、弟子のウェネムディアメンに宛てられたものですが、書記以外の職業をけなしています。<br /><br />たとえば、陶器師は泥だらけ。<br />靴屋の手は真っ赤で悪臭がします。<br />神殿の守衛は夜寝られません。<br />商人は忙しく、出張しなければならず、税金を取られます。<br />船員は故国に帰れないかもしれないし、船大工はノルマに追われます。等々。<br /><br />そして最後に「書記だけはこれらすべての生産高を記録します。」と誇り高く述べているのです。<br />またエジプトでもっとも重要な産業だった農業については、その悲惨さを強調しています。<br />農夫は、洪水が引くと耕作のための牛を借りに行きます。ところが牛はジャッカルに食べられてしまい、また、種をまけば蛇に食べらてしまいます。<br />収穫期になると書記がやってきて税を徴収します。納める穀物がなければ拷問され、妻は縛られ、子供には足かせがかけられます。近所の人は助けてくれず逃げてしまいます。それでも納める毅物はありません。<br />そこで最後に「もしお前に頭があるなら、書記になりなさい。百姓がどんなものか分かればそれにはなれないだろう。」と。<br />兵隊のことも書いています。兵隊にはたくさん上官がいます。シリア遠征に連れ出されれば着物もサンダルもなくなってしまいます。<br />山に登らされ、水は三日に一回、それも悪臭がする塩水。病気にはかかるし、敵は攻めて来るし、故郷の家族には会えず、除隊して帰るにしても遠征で消耗してボロボロになったあとです。脱走すれば家族は投獄されます。<br />でも書記になれば楽で豊かな生活が出来、税金も納めなくて良いのです。<br />もっともそうなるには昼も夜も寝ないで学び、背中に先生の鞭を受けなければならなりません。<br />ラッシング・パピルスがいうように書記の生活だけがよく、ほかの職業がそれほど酷かったのかどうかは分かりませんが。<br />ただ生徒に勉学の気を起こさせるために、多少は誇張したと思います。<br />ところでこのパピルスにはスペルの誤り、文法的間違いが多くあり、生徒の習作であるらしいのです。<br />これを筆写して後世に伝えてくれたこの無名の生徒は、あこがれの書記になれたのでしょうか?<br />ちょっと面白い余談でした。<br />

    書記座像

    顔料・石灰岩製
    サッカラ出土
    エジプト考古局の発掘(1893年)
    第5王朝初期(BC25世紀頃)

    ちなみに書記は人気のある職業でした。

    Papyrus Lansing(ランシング・パピルス)はセンウレト3世の治世に書かれた古代エジプト文書ですが、これには面白いことが書かれています。

    この巻物は紀元前18世紀、アメン神の王室書記官(牛の飼育主任でもありました)のネブマレ・ナクトによって書かれ、弟子のウェネムディアメンに宛てられたものですが、書記以外の職業をけなしています。

    たとえば、陶器師は泥だらけ。
    靴屋の手は真っ赤で悪臭がします。
    神殿の守衛は夜寝られません。
    商人は忙しく、出張しなければならず、税金を取られます。
    船員は故国に帰れないかもしれないし、船大工はノルマに追われます。等々。

    そして最後に「書記だけはこれらすべての生産高を記録します。」と誇り高く述べているのです。
    またエジプトでもっとも重要な産業だった農業については、その悲惨さを強調しています。
    農夫は、洪水が引くと耕作のための牛を借りに行きます。ところが牛はジャッカルに食べられてしまい、また、種をまけば蛇に食べらてしまいます。
    収穫期になると書記がやってきて税を徴収します。納める穀物がなければ拷問され、妻は縛られ、子供には足かせがかけられます。近所の人は助けてくれず逃げてしまいます。それでも納める毅物はありません。
    そこで最後に「もしお前に頭があるなら、書記になりなさい。百姓がどんなものか分かればそれにはなれないだろう。」と。
    兵隊のことも書いています。兵隊にはたくさん上官がいます。シリア遠征に連れ出されれば着物もサンダルもなくなってしまいます。
    山に登らされ、水は三日に一回、それも悪臭がする塩水。病気にはかかるし、敵は攻めて来るし、故郷の家族には会えず、除隊して帰るにしても遠征で消耗してボロボロになったあとです。脱走すれば家族は投獄されます。
    でも書記になれば楽で豊かな生活が出来、税金も納めなくて良いのです。
    もっともそうなるには昼も夜も寝ないで学び、背中に先生の鞭を受けなければならなりません。
    ラッシング・パピルスがいうように書記の生活だけがよく、ほかの職業がそれほど酷かったのかどうかは分かりませんが。
    ただ生徒に勉学の気を起こさせるために、多少は誇張したと思います。
    ところでこのパピルスにはスペルの誤り、文法的間違いが多くあり、生徒の習作であるらしいのです。
    これを筆写して後世に伝えてくれたこの無名の生徒は、あこがれの書記になれたのでしょうか?
    ちょっと面白い余談でした。

  • カフラー王座像<br /><br />閃緑岩<br />古王国第4王朝 BC2550年頃<br />河岸神殿より出土

    カフラー王座像

    閃緑岩
    古王国第4王朝 BC2550年頃
    河岸神殿より出土

  • クフ王の像<br /><br />高さ7.5cm 幅2.5cm 奥行き2.9cm<br />1903年アビドスにて発掘 象牙製<br />古王国時代 第4王朝<br />改めて見ても小さいです。

    クフ王の像

    高さ7.5cm 幅2.5cm 奥行き2.9cm
    1903年アビドスにて発掘 象牙製
    古王国時代 第4王朝
    改めて見ても小さいです。

  • メンカウラー王の三柱神像<br /><br />硬砂岩製<br />ギザ、メンカウラー王の河岸神殿より出土<br />G・ライスナーの発掘(1908年)<br />第4王朝メンカウラー王の時代 (BC2490-BC2472)

    メンカウラー王の三柱神像

    硬砂岩製
    ギザ、メンカウラー王の河岸神殿より出土
    G・ライスナーの発掘(1908年)
    第4王朝メンカウラー王の時代 (BC2490-BC2472)

  • 昔の働く農民

    昔の働く農民

  • Statue of King Djoser(ジョセル王の像)<br /><br />階段ピラミッドの北にある寺院内で発見されました。<br />目はかつて半貴石がはめ込まれており、上唇には塗装された口ひげがまだ部分的に保存されています。<br />ジョセル王が階段ピラミッドを建設させました。<br /><br />第3王朝、サッカラ<br /><br />

    Statue of King Djoser(ジョセル王の像)

    階段ピラミッドの北にある寺院内で発見されました。
    目はかつて半貴石がはめ込まれており、上唇には塗装された口ひげがまだ部分的に保存されています。
    ジョセル王が階段ピラミッドを建設させました。

    第3王朝、サッカラ

  • Narmer Palette(ナルメルのパレット)<br /><br />上エジプトと下エジプトのシンボルを示すナルメルが描かれています。<br />紀元前31世紀の古代エジプトのファラオです。<br />エジプト第一王朝の創始者と考えられています。<br /><br />従来は、Menes(メネス)が最初の統一王とされてましたが、メネスとナルメルは同一人物という説等々あります。<br /><br />パレットの上部はハトホル女神でしょうか。<br />実はこの雌牛の間のヒエログリフにより「ナルメル」と呼ばれてます。<br /><br />中央にはナルメル王が棍棒をふるっている様子が描かれています。<br />エジプトでは、よくこの構図を見ました。<br />ラムセス2世などのファラオなどの強さや力を表していました。<br />そして右の上にはホルス神が描かれています。<br /><br />パレットの下部に描かれているのは、逃げている2人の人のようです。<br />左の人の顔の横にはパレスチナの都市の周壁が、そして右の人の顔の横にはヨルダン川東の放牧した牛等を追い込むカイトでは・・・と言う説があるようです。<br />いずれにしても、当時のパレスチナまで影響を及ぼしていたようです。<br /><br /><br />

    Narmer Palette(ナルメルのパレット)

    上エジプトと下エジプトのシンボルを示すナルメルが描かれています。
    紀元前31世紀の古代エジプトのファラオです。
    エジプト第一王朝の創始者と考えられています。

    従来は、Menes(メネス)が最初の統一王とされてましたが、メネスとナルメルは同一人物という説等々あります。

    パレットの上部はハトホル女神でしょうか。
    実はこの雌牛の間のヒエログリフにより「ナルメル」と呼ばれてます。

    中央にはナルメル王が棍棒をふるっている様子が描かれています。
    エジプトでは、よくこの構図を見ました。
    ラムセス2世などのファラオなどの強さや力を表していました。
    そして右の上にはホルス神が描かれています。

    パレットの下部に描かれているのは、逃げている2人の人のようです。
    左の人の顔の横にはパレスチナの都市の周壁が、そして右の人の顔の横にはヨルダン川東の放牧した牛等を追い込むカイトでは・・・と言う説があるようです。
    いずれにしても、当時のパレスチナまで影響を及ぼしていたようです。


  • パレットの裏側です。<br />上部は表側と同様のようです。<br /><br />中の上部の左の大きな人がナルメル王です。<br />赤冠を被っています。<br />旗竿を持っているのは、ナルメル王の部族の人のようです。<br />また、その前の横になった10人はナルメル王が倒した敵の死体です。<br />しかも首を切って足元に置いてます。<br /><br />中の下部は首の長い豹の顔をもつ獣だそうです。<br /><br />下部は王の化身の雄牛のようです。<br />角で街の周壁を破壊し、リビア人かアジア人を踏みつけています。<br /><br />ようやく、このパレットにお目にかかれました。<br />前回、見逃してしまい、どうしても見たかったのです。<br />

    パレットの裏側です。
    上部は表側と同様のようです。

    中の上部の左の大きな人がナルメル王です。
    赤冠を被っています。
    旗竿を持っているのは、ナルメル王の部族の人のようです。
    また、その前の横になった10人はナルメル王が倒した敵の死体です。
    しかも首を切って足元に置いてます。

    中の下部は首の長い豹の顔をもつ獣だそうです。

    下部は王の化身の雄牛のようです。
    角で街の周壁を破壊し、リビア人かアジア人を踏みつけています。

    ようやく、このパレットにお目にかかれました。
    前回、見逃してしまい、どうしても見たかったのです。

  • ロゼッタストーンの複製<br />(本物のロゼッタストーンは、エジプトではなく大英博物館にあります。)

    ロゼッタストーンの複製
    (本物のロゼッタストーンは、エジプトではなく大英博物館にあります。)

  • Offering to the Buchis bull<br />(ブキス雄牛への供物)<br /><br />この石碑はプトレマイオス5世によって、戦争の神モントゥに捧げられた雄牛ブキスに捧げられたものです。<br />中央の彫像には金メッキの胴体と角の間に2つの羽飾りが付いた太陽の円盤を持つブキスが描かれています。<br /><br />この遺跡は発見された上エジプトのアルマント遺跡には、モントゥ神に捧げる石造りの神殿があります。<br />神聖なブキス牛が埋葬された地下墓地は、後期王朝時代からギリシャ時代まで600年以上にわたって使用されていました。<br /><br />ローマ時代

    Offering to the Buchis bull
    (ブキス雄牛への供物)

    この石碑はプトレマイオス5世によって、戦争の神モントゥに捧げられた雄牛ブキスに捧げられたものです。
    中央の彫像には金メッキの胴体と角の間に2つの羽飾りが付いた太陽の円盤を持つブキスが描かれています。

    この遺跡は発見された上エジプトのアルマント遺跡には、モントゥ神に捧げる石造りの神殿があります。
    神聖なブキス牛が埋葬された地下墓地は、後期王朝時代からギリシャ時代まで600年以上にわたって使用されていました。

    ローマ時代

  • A triad representing Horus and Seth crowning King Ramses III.<br />(ホルスとセトと戴冠しているラムセス3世の3人組を表してます。)

    A triad representing Horus and Seth crowning King Ramses III.
    (ホルスとセトと戴冠しているラムセス3世の3人組を表してます。)

  • アメン神は特に重要な存在です。アメン神は、テーベの守護神であり、後に太陽神ラーと結びついてアメン=ラーとして崇拝されました。<br />

    アメン神は特に重要な存在です。アメン神は、テーベの守護神であり、後に太陽神ラーと結びついてアメン=ラーとして崇拝されました。

  • アメン神の像や彫刻の中には、子どもの姿をしたものもあります。<br />これらの像は、古代エジプトの芸術的表現の一部であり、時には非常に独特で、宇宙人のように見えます。<br />特に、アメンホテプ4世(アクエンアテン)の時代には、独特な芸術スタイルが採用され、神々や王族の像が異様に細長く描かれることがありました

    アメン神の像や彫刻の中には、子どもの姿をしたものもあります。
    これらの像は、古代エジプトの芸術的表現の一部であり、時には非常に独特で、宇宙人のように見えます。
    特に、アメンホテプ4世(アクエンアテン)の時代には、独特な芸術スタイルが採用され、神々や王族の像が異様に細長く描かれることがありました

  • ハトシェプスト女王のスフィンクス<br /><br />

    ハトシェプスト女王のスフィンクス

  • 横から見た様子<br /><br />実は、この日はこの後、夕食を食べた後は空港に向かうだけです。<br />そのため、この考古学博物館はかなりゆっくり見ることができました。<br />ただ、夏でかなりの暑さですが、この博物館は冷房が効きません。<br />冬は結構快適に見ることができたのですが、入った瞬間むっとした暑さでした。<br />古い博物館なのでしかたがありませんが。<br />ちなみに新しい博物館、文明博物館そして、私が行きたかった大エジプト博物館は勿論、このようなことはありません。<br /><br />この後は、暑すぎて、扇風機のあったミュージアム・ショップにいました。<br />カフェも屋外のため、屋根はあるものの暑いのです。<br />しかもお腹をこわしています。(-_-;)

    横から見た様子

    実は、この日はこの後、夕食を食べた後は空港に向かうだけです。
    そのため、この考古学博物館はかなりゆっくり見ることができました。
    ただ、夏でかなりの暑さですが、この博物館は冷房が効きません。
    冬は結構快適に見ることができたのですが、入った瞬間むっとした暑さでした。
    古い博物館なのでしかたがありませんが。
    ちなみに新しい博物館、文明博物館そして、私が行きたかった大エジプト博物館は勿論、このようなことはありません。

    この後は、暑すぎて、扇風機のあったミュージアム・ショップにいました。
    カフェも屋外のため、屋根はあるものの暑いのです。
    しかもお腹をこわしています。(-_-;)

  • エジプト最後の晩餐です。<br />ただ、お腹の調子が悪くて食べれませんでした。

    エジプト最後の晩餐です。
    ただ、お腹の調子が悪くて食べれませんでした。

  • 日が暮れてきました。<br />今回の旅も終わりです。<br />ギリシャもそうですが、エジプトはかなりの暑さでした。<br />今回はなぜか湿気もかなり感じました。<br />エジプト旅行、やはり夏はお勧めできません。<br />冬場の方が断然観光しやすかったと思います。<br /><br />空港の写真や機内の写真は、体調が悪いため撮れませんでした。m(__)m<br />それでもいい思い出です。<br /><br />エジプトには、「ナイルの水を飲む者は、ナイルに帰る。」という諺があります。<br />よくよく考えれば、私もその1人でした。<br />もっとも、ナイルの水は怖くて飲めませんし、今回はお腹を壊しました。<br />さて、3回目のエジプトはあるのでしょうか・・・。

    日が暮れてきました。
    今回の旅も終わりです。
    ギリシャもそうですが、エジプトはかなりの暑さでした。
    今回はなぜか湿気もかなり感じました。
    エジプト旅行、やはり夏はお勧めできません。
    冬場の方が断然観光しやすかったと思います。

    空港の写真や機内の写真は、体調が悪いため撮れませんでした。m(__)m
    それでもいい思い出です。

    エジプトには、「ナイルの水を飲む者は、ナイルに帰る。」という諺があります。
    よくよく考えれば、私もその1人でした。
    もっとも、ナイルの水は怖くて飲めませんし、今回はお腹を壊しました。
    さて、3回目のエジプトはあるのでしょうか・・・。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • sanaboさん 2025/05/25 22:02:40
    ミイラのパレード
    noelさん、こんばんは~

    エジプトではバス停の場所がはっきり定まっていないとか、
    信号機を設置しても誰も守らないから設置しないとお聞きし
    国民性の違いを感じました。
    ドイツやイギリス、日本だったらまず信号機を設置して、それから
    守らせる努力をしますよね?(笑)
    そういえば、サントリーニもバス停がなくて、観光地なのに
    ありえないと思った記憶があります。

    考古学博物館にあったミイラたちをエジプト文明国立博物館へと
    移すとき、ファンファーレが鳴り響く中、荘厳なパレードが
    行われたというお話がとても印象的でした。
    私などは博物館の展示品はたとえどんなに重要で貴重であっても
    あくまでも「展示物」として考えてしまうけれど、
    パレードという行為からミイラを魂のある人物として扱い
    敬意を払う対象として捉えていることに感銘を受けました。

    前回のツアーでは行けなかったシタデルに今回は行くことができ
    心残りが払拭されて良かったですね。
    モスクのお写真を拝見した時、イスタンブールのモスクと似ているなと
    思ったら、やはりアヤソフィアやブルーモスクなどを模して
    造られたものだったのですね。
    ただ、ピラミッドの石を使ったとはビックリ!
    ヨーロッパでも城壁を壊して建物に転用したとか、その時々の
    権力者によって価値観も様々ですね。
    パリのコンコルド広場のオベリスクを交換で貰ったフランス王の
    ルイ・フィリップ、ほんとにラッキーでしたね。
    ただ彼はそれを分かっていたのかどうか、どうなのでしょう…

    ところで今回のご旅行ではnoelさん以外にもおなかを壊した方が
    何人かいらしたそうですね。暑さやお疲れからきたものなのか、
    それともやっぱり食べ物のせいだったのか、氷や生野菜も気をつけて
    らしたのに不思議ですね。
    最終日のお食事もほとんど召し上がれなかったなんて
    どんなにお辛かったことでしょう(涙)

    エジプト考古学博物館は2度目の訪問だそうですけど、noelさんだったら
    また行きたいと思っていらっしゃるくらいかしら? 
    もっとベストの体調でね(^_-)
    今回も博物館等の解説が詳細で素晴らしい内容の力作でした☆彡
    エジプト訪問時にはガイド本よりも何よりもnoelさんの旅行記を
    参考にさせていただきますね。

    sanabp

    noel

    noelさん からの返信 2025/05/27 20:02:32
    Re: ミイラのパレード
    sanaboさん、こんばんは!

    いつもありがとうございます。

    「エジプトではバス停の場所がはっきり定まっていないか、信号機を設置しても誰も守らないから設置しないとお聞きし国民性の違いを感じました。」

    本当にそのとおりです。
    思考回路そのものが違うようです。
    古代エジプト人が壮大な建築物を建設したと思うと、不思議です。

    「そういえば、サントリーニもバス停がなくて、観光地なのにありえないと思った記憶があります。」

    確かに。
    この辺と言われて、バスを待ってました。
    そして急にこっち、こっち、などと言われました。
    心配で、運転手に行先を確認したことを思い出しました。

    「考古学博物館にあったミイラたちをエジプト文明国立博物館へと移すとき、ファンファーレが鳴り響く中、荘厳なパレードが行われたというお話がとても印象的でした。
    私などは博物館の展示品はたとえどんなに重要で貴重であっても、あくまでも「展示物」として考えてしまうけれど、パレードという行為からミイラを魂のある人物として扱い敬意を払う対象として捉えていることに感銘を受けました。」

    私も単にネットで見ただけですが、驚きでした。
    荘厳で美しいパレードでした。
    ミイラには敬意を払ってるようです。
    それと邪推ですが、ミイラの金銭的価値を考えると、なおさらです。

    「前回のツアーでは行けなかったシタデルに今回は行くことができ心残りが払拭されて良かったですね。
    モスクのお写真を拝見した時、イスタンブールのモスクと似ているなと思ったら、やはりアヤソフィアやブルーモスクなどを模して造られたものだったのですね。」

    そうなんです。以前は離れた所から見ただけで、気になっていました。
    ただ、やはりアヤソフィアには負けるかな~というのが正直な感想です。エジプトの方と関係者の方には申し訳ありませんが。

    「ただ、ピラミッドの石を使ったとはビックリ!
    ヨーロッパでも城壁を壊して建物に転用したとか、その時々の権力者によって価値観も様々ですね。
    パリのコンコルド広場のオベリスクを交換で貰ったフランス王の
    ルイ・フィリップ、ほんとにラッキーでしたね。
    ただ彼はそれを分かっていたのかどうか、どうなのでしょう…」

    本当に交換できてラッキーでした。価値を理解してたかどうかも不明です。
    そてにしても、ただの石にしか見えなかったのでしょうか。

    「ところで今回のご旅行ではnoelさん以外にもおなかを壊した方が何人かいらしたそうですね。暑さやお疲れからきたものなのか、それともやっぱり食べ物のせいだったのか、氷や生野菜も気をつけてらしたのに不思議ですね。最終日のお食事もほとんど召し上がれなかったなんてどんなにお辛かったことでしょう(涙)」

    ご心配いただき、ありがとうございます。
    実際のところ、機内でひたすら成田到着を待ってました。
    疲れと暑さも入り混じったのかもしれません。
    前回は軽度で、すぐに回復しました。
    年齢も関係してるかもしれません。
    ただ、お若い方も私以上に苦しんでました。
    そして夫は、なんでもありませんでした。

    「エジプト考古学博物館は2度目の訪問だそうですけど、noelさんだったら、また行きたいと思っていらっしゃるくらいかしら? もっとベストの体調でね(^_-)」

    そうですね。ちょっと行きたい思いもあります。
    ただ、もう2度と夏には行きたくありません。
    こりごりでした。

    「今回も博物館等の解説が詳細で素晴らしい内容の力作でした☆彡
    エジプト訪問時にはガイド本よりも何よりもnoelさんの旅行記を参考にさせていただきますね。」

    そんな、お褒めいただき、ありがとうございます。
    でもsanaboさんには負けます。(・_・;(・_・;
    今回も力作でしたね。
    いつも私の方こそ参考になってます。

    まずは、ありがとうございました。


    noel
  • kiyoさん 2025/05/18 08:05:01
    力作ですね!
    noelさん、こんにちは。

    noelさんの旅行記は解説がとても詳しく書かれていて、毎回、すごいと思います。
    ブルックリン博物館所蔵特別展の旅行記も、永久保存したい内容でした。
    昔、NYのブルックス博物館へ行って目にしたものが、
    たくさん展示されていて、しかも詳しい解説付き!
    じっくり読み込んでしまいました。

    私がエジプトに行ったのはコロナ禍前の2019年なのですが、
    今回の旅行記でも最新のエジプト情報がわかり、
    またエジプトに行きたくなりました。

    ルーフトップのレストラン「Cresta(クレスタ)」、良い眺めですね。
    このレストランの近くにある「モカッタムの丘」は、
    昔、麻薬中毒者もいるから近づくなと言われていました。
    それが、今はこんな素敵なレストランができて
    開発が進んでいるとは驚きです(@@

    King Faisal Street(キング・ファイサル通り)。
    懐かしい!
    昔、この通り沿いに1年間、住んでいました。
    当時は小さな運河が流れていたのですが、
    2019年に行った時、埋め立てられて舗装道路になっていました。
    noelさんがご覧になった池は、その運河の名残ではと思います。

    体調を崩されて、大博物館にも行かれず残念でしたね。
    エジプトでは、暑さにやられる人が多いです。
    そこに慣れない食事が重なるので、
    おなかを壊す人も多いとか。
    私も2019年のエジプト旅行では最後の最後におなかにきました…。
    でも、「ナイルの水を飲む者は、ナイルに帰る」。
    きっとnoelさんもリターンされるのではないでしょうか(^^)
    kiyo

    noel

    noelさん からの返信 2025/05/18 13:42:30
    Re: 力作ですね!
    kiyoさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。
    ニューヨークのブルックリン博物館、実際に行かれてるんですね。凄い!kiyo さんのエジプト愛には負けます。
    六本木で観た時は、解説を撮りまくり、それに自分の思いをちょっとプラスしました。
    忘れやすいので、備忘録の意味もあるのですが…。

    それにしても、King Faisal Street(キング・ファイサル通り)を懐かしいと言える日本人は、なかなかいないと思うのですが。
    さすが現地で生活されたからこそです。
    運河まであったんですね。
    カイロは工事ラッシュでした。
    新たな電車も建設中でしたし。

    ルーフトップのレストラン近くの「モカッタムの丘」、危険な場所だったんですね。開発した結果なのですね。
    ちなみに下を見ると、また何かが建設されそうでした。

    kiyoさんでさえお腹壊してしまったんですね。
    私は前回も少し調子悪くなりました。
    今回の方が酷かったです。年もあるのかも‥。

    kiyoさんは、ウナス王のピラミッド等々も中に入ってるんですね。羨ましい。
    エジプト大地の下には、まだまだ知られざる遺跡等々が隠されていそうですので、目が離せません。

    お互いにまたの機会があるといいですね。
    ありがとうございました。

    noel

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