2024/05/21 - 2024/05/21
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/05/21
この旅行記スケジュールを元に
「ガイランゲル(Geiranger)」を昨晩の午後8時に出港したクルーズ船は一度北海に出て、時間を調整して「オーレスン(Alesund)」に戻ってきたようです。ミニチュアのジオラマのような景色の中を船は進み、しばらくすると大きなクルーズ船が停泊しているのが見えました。ここがオーレスンなのだとすぐに分かりました。今日は終日自由行動の日なのでゆっくり朝食を食べて、デッキの上から美しい町並みを見渡します。この町は1904年1月23日に大火に見舞われ、街の中心部が焼失した際にノルウェー国内のみならず、外国からも多大な援助を受けました。特に頻繁にフィヨルドエリアへ休暇で訪れていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はドイツ国内に於いて大々的にオーレスンへの支援を呼びかけ、復興の最大の貢献者となったそうです。街は当時の最先端のユーゲント・シュティール建築の建物に建て替えられ、現在ではこの街並みがオーレスンの最大の観光資源となっています。同じように大火に見舞われてレンガ造りの美しい町並みに変わったコペンハーゲンのストロイエ地区と違い、この町は美しいアール・ヌーヴォーの木造建築で統一されています。旅行前にグーグルマップで町中のストリートを見て、美しい建物は地図にチェックを入れてありました。後はデッキから目視でどれくらい時間がかかるかを確認しておきます。朝食の後は船を降りて運河沿いにある「ユーゲントシュティールセンター(Jugendstilsenteret og KUBE)」を見学します。船のエクスカーションもあり、当然フリーで歩いている人もいるので混雑していると思っていましたが、博物館の見学に来ていたのは我々ぐらいでした。美しい館の博物館は調度品も収蔵品も素晴らしく、アクセサリーなどは女性用にもかかわらず欲しくなってしまいます。ここで街について学んだあとは街歩きに移ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
早朝に目が覚めて部屋のバルコニーに出てみると周囲の景色は開放的なものでした。フィヨルドの風景はどこへ行ってしまったのでしょう。
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部屋のモニターを確認すると「ガイランゲイルフィヨルド」を戻った船は一度北海に出て、近海を航行しながら「オーレスン(Alesund)」に向かうようです。
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天気は快晴で海面は鏡のように静まり返っています。「コスタディアデマ」の航跡波だけが船が航行しているのだと感じさせてくれます。
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再び海岸線に近づくと緩やかな斜面にジオラマ模型のような村が広がっています。
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海岸線には船を収納しているのであろう倉庫が並んでいます。どれも同じようなデザインなのが面白いです。
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穏やかな5月の朝はただただ美しいだけですが、屋根の勾配を考えると冬にはかなりの積雪があるのだろうと感じます。
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港も冬は凍り付いてしまうので倉庫が必要なのだろうと思わせます。
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フィヨルドの一番海に近い島は切り立った岩壁も削り取られて穏やかな海岸線が続いています。そんな住みやすそうな地形が集落になっています。
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1つ1つが子供の頃に遊んだレゴブロックのように見えてきます。
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小さな岬を周り込むと大きな客船が見えてきました。そこが「オーレスン(Alesund)」であろうことは簡単に想像できました。
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停泊していたのは昨日「ガイランゲル(Geiranger)」で沖泊めされていた「メインシフ1(Mein Schift1)」だと気が付きました。
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入り江のようになった「オーレスン(Alesund)」の港は天然の良港のようです。
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旋回してきた岬の向こうには雪を頂いた山々が連なります。
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天然の良好とはいえ氷河が削り残した岩は海中から頭をのぞかせています。
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「メインシフ1(Mein Schift1)」と船尾を合わせるように「コスタディアデマ」は着岸します。
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着岸作業が進むと目の前に広がる「オーレスン」の町並みの美しさに目を奪われます。旅行前にいろいろ調べてはありましたが、これほどアール・ヌーヴォー様式の建物が軒を並べているとは思いませんでした。
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そして、クルーズ船でこの港に着岸していることでこの美しい風景を眺められていることを感じます。
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クルーズ船のデッキの高さでなければこのような俯瞰した風景は絶対に無ることが出来ません。
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「オーレスン」のこのように美しい町並みが出来たのには理由があります。
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1904年1月23日の夜にこの町は「オーレスン大火」の現場となり、大部分が木造で建てられた町が受けた大火の中で最も恐ろしいものの1つでした。強風が炎を助長したことにより町全体が夜の間に延焼し、住民は真夜中にわずか数分の間に町を去らなければなりませんでした。この火災で亡くなったのは76歳のアネ・ヒーンさん1人だけでしたが、1万人以上が住むところを失いました。
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ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世はしばしば休暇で「オーレスン」のスンモーレを訪れていました。火災後に彼は一時的な避難所と兵舎を建設するための資材を積んだ4隻の軍艦を送りました。
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計画期間の後に町は当時の建築様式であるユーゲントシュティール様式(アール・ヌーヴォー)で火災に強い石とレンガとモルタルで再建されました。建物は約20人の棟梁と30人のノルウェーの建築家によって設計され、そのほとんどがベルリンのトロンハイムとシャルロッテンブルクで教育を受け、ヨーロッパ中からインスピレーションを得ています。
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ヴィルヘルム2世に敬意を表して町で最も頻繁に訪れる通りの1つは彼にちなんで名付けられています。
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火災で全焼した町は同じ時期に再建されていることから同じ建築様式の建物が立ち並び、1904年から1907年の間の時代がそのまま残されています。
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そんな美しい町を目の前にして、これから1日散策できるのが楽しみになっています。これまでパリやブリュッセル、ウィーンやバルセロナ、ブダペストなどの都市の建物を見てきました。ラトビアのリガは規模が大きすぎてツアー旅の中では見切れなかったのが残念ですが、今日は存分に街歩きが出来ます。
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天気も良く5月のさわやかな風が吹き、イタリア共和国の「商船旗」も元気にたなびいています。
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船尾同士が向かい合った「メインシフ1(Mein Schift1)」を初めて間近にいることが出来ました。こちらはマルタ共和国の船籍なので真っ赤なマルタ十字の旗がたなびいています。
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大型船の岸壁の近くにも港があるようで、近隣の町を結ぶ船が行き交っています。
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こちらは遊覧船なのかデッキにはたくさんの人の姿が見えます。巨大なクルーズ船が2艘停泊しているので物珍しいのかもしれません。
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こちらも遊覧船のようです。1900年初頭の町を眺めているとこんな遊覧船も同じような時代に建造されたのかもしれないと思えます。
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「オーレスン」については事前にいろいろと調べてありました。その中で「アクスラ展望台(Aksla utkikkspunkt)」にも行ってみたいと思っていました。ただ、目の前にしてその階段を見てしまうと、妻が絶対に登ると言わないであろうことが分かったので予定を変更することにします。
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「オーレスン」は氷河に削り取られたフィヨルド地形の最終端なので、周囲にも同じような小さな島や半島が数多く残されています。この風景もクルーズ船でなければ見ることが出来ないものです。
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目的地の1つである三角屋根の「オーレスン教会(Alesund kirke)」や尖塔を持った「アスポイ学校(Aspøy school)」も見えています。
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こんな水路をカヤックで眺めるのも楽しそうです。運動などしない妻ですが、ハロン湾や釧路湿原や奄美大島など何度か乗っているので誘ってみようかと思います。
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一度部屋に戻って2人で朝食を食べにビュッフェレストランへ上がります。
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定番の朝食メニューですが、こんな絵のような風景を眺めながらだとより美味しく感じます。
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イタリア船なので船内にはこんな写真が壁一面に貼られています。1956年のモナコグランプリのフェラーリD50です。パイロットはフアン・マヌエル・ファンジオ(
Juan Manuel Fangio)です。アルゼンチンのレーシングドライバーで、F1レースの最初の10年間を支配してドライバーズチャンピオンシップを5回獲得しています。 -
さらにフェラーリ312Tの写真も。1975年から1980年まで使用された車体で、11番はニキ・ラウダ(Niki Lauda)で、1975年、1977年、1984年のF1チャンピオンです。中学生の頃にF1がブームになり、その後の1990年前後の再ブームではイタリアのモンツァまでレースを観に行ったこともありました。
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ようやく妻もデッキに上がりました。実際の町並みを見て大体の歩くルートを説明しておきます。
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この時は運河(実際は海ですが)の左側の島になっている町がユーゲントシュティール様式(アール・ヌーヴォー)の建築群が集まっていると思っていました。これは後で立ち寄ったアンティークショップの主人に教わって、ほんの半分くらいだと分かりました。
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袈裟は時間が早かったせいか「アペロール・バー」は開いていませんでした。
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「オーレスン」の隣の島は全くの自然のまま残されているようです。子供のおもちゃのようなシルエットの船が横切っていきます。
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準備が出来たので「オーレスン」の町の散策に向かうことにします。
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停泊中は船の外装の塗装はよく行われる作業です。大体クルーズ中に1回は日中にバルコニー廻りのメンテナンスが入ります。長い柄のペンキ用のローラーを初めてみたのはイタリアのバーリの港だったでしょうか。面白くてずっと見ていたことがあります。
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船のエクスカーションツアーの参加者はすでに出発している時間なので、岸壁は閑散としています。
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お尻を突き合わせた「メインシフ1(Mein Schift1)」の乗客も出掛けた後のようです。
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港の運送会社の建物はビビッドなオレンジ色でした。冬の寒さへの抵抗のように思えました。
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細い通路を通って町の中に入ります。船の下船口でのクルーズ・カードのチェックはありますが、それ以外は拍子抜けするほど何もありません。
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一応エクスカーションのブースもありますが、今回は町中の散策が目的なので遠くには行きません。
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分かりやすい地図があるのと小さい島の中を歩くだけなので特に地図は必要なさそうです。
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まずは運河に向かってみます。船のデッキからも見えたところですが、波1つ無い海面に建物がきれいに映りこんでいます。
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近くの公園には「ハラルド・グリッテン像(Harald Grytten Statue)」がありました。ハラルド・グリッテンはオーレスン博物館の館長を務め、オーレスンとスンモーレの歴史に関する専門家として知られていて、その業績は1904年のオーレスン大火をきっかけに再建された街のユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)建築と芸術の再発見の鍵となりました。
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水路を挟んだ対岸には「アール・ヌーヴォー・センター(The Art Nouveau Centre)」の建物が見えます。オーレスンではここの見学が一番のポイントでした。
アールヌーヴォー センター 博物館・美術館・ギャラリー
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その建物を見上げるように建つ銅像は「フィスカーグッテン(Fiskergutten)」という作品で、1967年に彫刻家のクヌート・スキナーランドによって制作され、若者の未来への期待を象徴しています。
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運河に架かる橋を渡って「アール・ヌーヴォー・センター(The Art Nouveau Centre)」まで歩いてきました。5000人ほどの観光客がクルーズ船でこの小さな町に入っているので博物館も混雑していると覚悟していました。
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ところが内部は拍子抜けするほど誰もいません。薬局の受付カウンターで料金を支払い、一緒に冊子も買い求めます。
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この建物は薬剤師のウーレ(Øwre)の自宅兼店舗でした。彼は市議会のメンバーで市の議長でもあり、1909年と1910年に市長を務めました。
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彼は建築家としてハグバルト・マルティン・シッテ・ベルク(Hagbarth Martin Berg)を選びました。彼はハノーヴァーで19世紀のネオゴシックの最も重要な建築家であるコンラート・ヴィルヘルム・ハーゼ(Conrad Wilhelm Hase)に学び、ベルリンではプロテスタントの教会の建築で知られたヨハネス・フォルマー(Johannes Vollmer)の弟子になっています。
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学業を終えた後はノルウェーに戻り、スキエンで教師になりました。1895年から1904年まで彼は主にクリスチャンで働き、1904年にオーレスン市がほぼ全焼したときに彼は再建に大きな役割を果たした主要な建築家の1人になりました。
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地下にはこの建物の歴史や1904年の大火の後の復興から現在に至るまでの歴史が紹介されています。
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この建物は街の中央広場にあり、薬局としての役割と生活の2つの機能を目的としていました。建物は細かく荒削りな花崗岩でできており、塔と切妻屋根と出窓があります。建物の形状はロマネスク様式の建築とスターヴ教会に触発されています。骨壺風の飾りやフクロウをモチーフにしています。
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薬局のインテリアはエクステリアデザインと同じスタイルです。ウォールキャビネットはスペースを最適に利用するために壁面全体に設置されています。インテリアは明るく快適な内装です。
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ここでは屋外と同様にフクロウのモチーフと五線譜の教会の装飾を見つけることができます。このようにノルウェーの古い建築要素を使用することで心理的な認識が生まれ、先住民族であるバイキングの生活を感じることが出来るようです。
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建築家のハグバルト・マルティン・シッテ・ベルク(Hagbarth Martin Berg)はドイツで学んだことや、街の復興を助けたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の影響もあるのか、優雅なアール・ヌーヴォー様式ではなくドイツ的なユーゲントシュティールを感じさせます。
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地下の展示内容は購入した本に準じているのでここでは足早に見学を済ませます。じっくり見学していたら先へ進めません。
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ついでに地下にあったトイレもお借りします。北欧のトイレのハンディキャップ対応はどうなのだろうかという興味もあったので覗いてみました。やはり手摺りなどのデザインとか機能的です。
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是もまたじっくり見ていると時間がかかるので写真を数枚撮るだけにしました。
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荷物や上着を収納するロッカーのデザインもなるほどなと思えます。北ヨーロッパでは冬の対応が必要で必ずクロークや大型のロッカーが必要になります。今まですごいと思ったのはロッテルダムの「ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館」のセルフクロークでした。この博物館のロッカーは荷物と上着を限られた高さの中でうまく収納出来るようになっていました。
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1階に戻ってから博物館の見学を始めます。この外部に繋がるドアは薬局ではなく自宅へ直接アクセスできる玄関扉です。オレンジ色の花をあしらったステンドグラスが温かみを感じさせます。
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見事な木製の螺旋階段です。ここには1900年代のこの町の造船業の技術が感じられます。
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外観にもあしらわれているフクロウのデザインが手摺りに施されています。フクロウは森の賢者や物知りのイメージがありますが、これはローマ神話のミネルヴァ(ギリシャ神話におけるアテナ)という女神に由来します。ミネルヴァは知恵を司る女神で、その肩には英知の象徴としてフクロウがとまっています。このハム物館でも美しいフクロウの陶器が置いてあったのですが、安い値段だったので裏側を見たらタイで造られたものでした。買うのを止めてしまいましたが、買っておけばよかったなのと後悔しています。
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ノルウェーにおける鉄製ストーブの需要は1660年頃から本格的に始まり、全盛期は1800年代半ばまででした。ここにも美しい鋳造のストーブが置かれてありました。
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エントランスホールの衣装に目が留まってしまいなかなか2階へ上がることが出来ません。
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ノルウェーの木造技術の高さを感じます。ノルウェーには「スターヴ教会 (樽板教会)」と呼ばれる美しい木造の教会があったことを思い出しました。いつか行ってみたいと思っていたことさえ忘れていました。
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ようやく2階まで上がってきました。ここにも玄関と同じようなデザインの扉がありました。防犯の意味もあるのでしょうが、冬の寒さの中ではここに扉が無いと暖房の効果がなさそうです。
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扉を入ったホールには大きな暖炉が設けてありました。5月のさわやかな季節の中では感じませんが、かなり暖房にこだわった建物なのだと思います。
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1900年に造られたベルハルト・ベルガー(Bernhard Hoetger)女性像の彫刻も見事ですが、壁に張られた花模様の「金唐革(きんからかわ)」も見事です。
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日本では江戸時代前期の17世紀半ばにオランダ経由でスペイン製の「金唐革」が輸入されて人気でしたが、非常に高価だったことから伊勢国で完成した和紙で造られた製品が「金唐革紙」(「擬革紙(ぎかくし)」)でした。上野の「旧岩崎家住宅 洋館」で見たことを思い出します。
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説明文を呼んで驚いたのはこのステンドグラスのデザインは日本の影響があるということと、「金唐革」だと思っていたものは日本で造られた「金唐革紙」でした。横浜に工場があったイギリスのロットマン社で1903年に造られたもので、スコットランドにある英国王室の城にちなんで「バルモラル」という名前が付いています。
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エントランスホールから続く小部屋から博物館の展示が始まります。ここでは「
オルフ・トストラップ(Oluf Tostrup)」と「トロルフ・プリッツ(Toroif Prytz)」と「ヤコブ・トストラップ(J.Tostrup)」という作家の作品が並んでいます。 -
オルフ・トストラップは家業の金細工会社を引き継いだ後に新しいエナメル工房を設立しフィリグリー技法とシャンルヴェ技法を組み合わせた実験を始め、中世とノルウェーの郷土芸術に触発された革新的なデザインを模索しました。建築家のトロルフ・プリッツはオルフのエナメル工房を引継ぎ、プリカジェール技法を採用した最初の金細工師とされます。初期の作品は「ドラゲスティル(ドラゴンスタイル)」でしたが、すぐにアール・ヌーヴォー様式を取り入れます。
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紹介しきれませんがアクセサリー類の美しさは、実際に使うことのない男性が見てもほれぼれとするものでした。これが元で後で実際に買い求めることになってしまいます。
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「ヴァイキング・シップ(Viking Ship)」
「プリカジュール(Plique-à-jour)」はフランス語で「「日光を取り入れるの意味で、七宝焼きと同様にエナメル質を細胞に塗布するガラス質のエナメル加工技術です。最終製品に裏打ちがないために透明または半透明のエナメル質を通して光を差し込むことができます。これはステンドグラスのミニチュアバージョンであり、技術的に非常に困難であると考えられています。 -
窓際に吊られたこのランプも美しいデザインですで、欲しいなと思えました。
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「インク壺」
「ギョーシェ(Guilloché)」は非常に正確で複雑で反復的なパターンをエンジンの回転によって下地の材料に機械的に彫刻する装飾技術です。ここでは蓋の部分のエナメルの下地模様で使われています。 -
このような高度な工芸品が19世紀末から20世紀初頭にノルウェーに存在したこと自体初めて知ったのは大きな驚きでした。
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光の差し込むダイニングルームの美しさはパリの「オルセー美術館」に納められた「エイドリアン・ベナール (Adrien Benard)」のダイニングルームを思い出させました。
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スズランのような小さなボール球が可愛らしいシャンデリアも華美過ぎなくて良いです。天井に施されたモールディングのデザインとも調和しています。
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この部屋の壁も「金唐革紙」のパネルが嵌め込まれています。
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シンメトリーに継がれたデザインは横方向にリピートも可能なようです。
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セットされたテーブルウェアもリアルなので、これから食事会が始まりそうです。
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グリーンのグラスがとてもきれいです。チェコを旅していると各地でこのような緑色の美しいグラスに出会うことがあります。1回目はプラハの美術館で作家物に出会い、2回目の旅ではチェスキー・クロムロフのガラス店で美しいフォレスト・ガラスに出会いました。思わずローマ時代以降の復刻グラスを10個ほど買ってしまったことがあります。
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「鋳鉄オーブン(Cast Iron Oven)」
1901年にトルヴァルド・ヨルゲンセン(Thorvald Joegensen)によって造られたもので、もともとこの家にあったものです。 -
ニスで仕上げられた木製の食器棚にはハンガリーのジョルナイの陶器が納められています。美しいエオシン釉の花瓶に銀製のカバーがデザインされています。
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ブダペストではレヒネル・エデンをはじめハンガリーのアール・ヌーヴォー建築や工芸を1週間かけて巡り、ジョルナイの店にも行きました。ところが1900年初頭のエオシン釉と現代に造られたものでは輝きが全く違い、アンティークショップで古い物を買うことになりました。
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そんなエオシン釉とノルウェーで再会できるとは思いませんでした。
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「花瓶(Vace)」
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「花瓶(Vace)」
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「花瓶(Vace)」
マラカイト(Malachite)は孔雀石の意味で、このようなガラス技法を表します。デザインはフランティシェク・パズレク(Frantisek Pazourek)で、1930年頃にボヘミアで造られたものです。 -
1900年初頭の有名なガラス作家の作品が並んでいます。キャプションの番号がいくつかまとまっているので写真と説明文が合致していないものもあるかもしれません。その中にはティファニーやエミール・ガレなどの名前も並んでいます。
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「花瓶(Vace)」
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「花瓶(Vace)」
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「カメレオンの乗ったボウル」
1919年頃にナンシーのアマルリック・ワルターとアンリ・ベルジェによって造られたものです。カメレオンを成型した「パテ・ド・ヴェール(Pate de Verre)」の製法は粘土やワックス等の素材で作品の原型となる塑像を作り、それをもとに耐火石膏などで鋳型を作り、そこに様々な色のガラスの粉に糊を加えて練ったもの(ヴェール)を詰め、窯の中で焼成して冷えたあと鋳型から取り出し、表面を研磨して仕上げるもので、陶磁器とガラス双方の長所を備えた中間的製法とされます。 -
「ボウル(Boul)」
1903年にヨーゼフ・ホフマン(Josef Hoffmann)によってデザインされ、ウィーンの工房で造られたものです。 -
「花瓶(Vace)」
アンドレアス・オレスタッド(Andreas Ollestad)の作品です。彼はエゲルスンドのファイアンス工場で彫刻家および製図技師として働きました。その後、彼は会社のセラミック製品のデザインを担当します。エゲルスンドのファイアンス工場で彫刻家および製図技師として働きました。 -
その後、彼は仕事をセラミック製品のデザインに切り替えました。日本の陶芸の釉薬に倣って光沢のある粘性のある鮮やかな色のアール・ヌーヴォー様式の作品で知られています。日本の陶器の釉薬に魅了された西洋の陶芸家は多く、パリのプティ・パレで初めて出会った陶芸家のジャン・カリエスは薩摩焼の釉薬に魅了されていました。
プティ・パレ:https://4travel.jp/travelogue/10624898 -
「ヴァレンティン・キーランド(Valentin Kielland)」はノルウェーの彫刻家、木彫り師、画家、デザイナーです。パリでの修行の後にキーランドはスタヴァンゲルに戻り、1891年から1899年までスタヴァンゲル・テクニカル・イブニング・スクールで教師を務めました。キーランドはアール・ヌーヴォー様式の家具の彫刻に取り組みました。
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アール・ヌーヴォーの理想は空間芸術が全体として心地よいものを形成するということだったために家具は非常に重要な意味を持つようになります。マリー・カルステン(Marie Karsten)はノルウェーで初めて専門的な家具デザイナーとなりました。
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「ランプ(Lamp)」
パウル・アイヒェレ(Paul Aichele)によって1900年に鋳造されたブロンズ製のランプです。 -
最後の部屋はノルウェーにおける日本美術の影響についての展示がありました。ジャポニズムとは19世紀の西洋諸国で日本の美意識が培われたことを指します。ノルウェーでは日本文化への熱狂がアール・ヌーヴォー様式と重なり、そのデザインに大きな影響を与えました。
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「木版画 烏瓜図」
渡辺 省亭(わたなべ せいてい)の版画が展示されていました。明治時代から大正時代にかけての日本画家で、洋風表現を取り入れた洒脱な花鳥画を得意としました。図案家として働いていた起立工商会社の嘱託社員としてパリに派遣されましたが、これは日本画家としては初めての洋行留学でした。この時期の省亭は印象派周辺のサークルに参加して、エドガー・ドガに鳥の絵をあげたという逸話が残っています。 -
「美人と鍾馗」河鍋暁斎
暁斎は鍾馗の絵を数多く描いていますが、ノルウェーのこの地の小さな博物館で日本の木版画のかなりマニアックなものを見るとは思いませんでした。 -
「雪中美人」作者不詳
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「高山検校ノ霊 (四代目市川小団次)」
化け猫の話は全国各地にありますが、中でも有名なのが佐賀・鍋島の化け猫騒動です。鍋島藩の相続争いを題材にしており、この作品が取材した「花野嵯峨猫魑稿」はそれを歌舞伎狂言にしたものです。1853年の嘉永6年に江戸の中村座で上演されました。奸臣によって傷を負わされたまま壁に塗り込められた高山検校が幽霊となって夜な夜な壁から現れる場面です。 -
「有田焼 鯉大鉢」
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「有田焼 鯉大鉢」
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テオドール・キッテルセン(Theodor Kittelsen)はノルウェーで最も人気のある画家の1人です。主に自然を描いた風景画と、伝説や説話の絵画、特にノルウェーの伝承に登場する妖精やトロールを描いた絵画が代表的な作品です。
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博物館は地下から隣接する「KUBE」という美術館にアクセスすることが出来ます。こちらは現代美術を展示しています。
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その窓から見えた裏通りにある古いタイプの消火栓がきれいだったので写真に撮ってみました。ウェス・アンダーソン(Wesley Anderson)ぽくしてみたいと思いましたが。1904年の大火からの戒めなのか、このタイプの消火栓は町のいたるところで見掛けました。
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博物館もほとんど訪れる人はありませんでしたが、こちらの美術館に至っては誰もいません。元々興味があって見に来ているのではないので早々に見学を切り上げることにします。
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マレット・アン・サラ(Maret Anne Sara)のネックレスはトナカイの皮とトナカイの骨から作られたようです。骨を使った作品や工芸品は個人的に好きなので写真に撮っておきました。
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美術館側から表に出て、一度「アール・ヌーヴォー・センター(The Art Nouveau Centre)」の入り口に戻ります。
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これから1903年以降に建てられたアール・ヌーヴォー建築巡りを始めますが、歩いているうちにいろいろな情報が入り町巡りはどんどん範囲が広がっていきました。
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