2024/03/21 - 2024/03/21
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kojikojiさん
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「クアンシ―の滝」から戻ってランチののちは「ワット・ヴィスンナラート」の参拝からスタートします。その名の由来となるヴィスンナラート王の時代の1512年に建てられた寺院は、ルアンパバーンに現存する最古の寺院です。当時は王国の結束の象徴として地元の人々に愛されていましたが、1887年に木造の寺院は火事遭い、1896年に再建されています。現在は敷地内にお土産物屋が並んではいますが、閑散とした雰囲気が漂っています。また見た目からラオス語でスイカ寺を意味する「ワット・マークモー」と呼ばれる白い仏塔が印象に残ります。続いては「王宮博物館」に移動します。博物館は旧王宮の建物を使用し、王宮はラオスとフランスの友好の象徴としてルアンパバーンがフランスの保護領となるわずか数年前の1904年から1909年の間に建てられました。 建物は当初フランスとラオスの伝統的な建築様式を混ぜてデザインされましたが、シーサワンヴォン王の時代に王座の間のちょうど真上に位置する屋根の上に尖塔を付けるデザインに改良され、現在のラオス式のデザインが完成しました。館内には王族が使用した刀や装飾品、家具や食器などのランサーン王国時代の調度品や外国からの贈答品が展示されています。残念ながら館内は写真撮影が禁止とされていました。またルアンパバーンの名前の由来になったパバーン仏が鎮座する黄金の祠にも参拝しました。ここで博物館の閉館後にラオスの伝統舞踊パーラック・パーラムが上演されていると知りましたが、時間が合わずに見学できないのが残念でした。以前プノンペンのツアーではツアーを離団して、国立博物館の敷地内で毎晩開催されるプラエ・パカアという伝統舞踊を観に行ったことを思い出します。「王宮博物館」の見学の後は自由時間になったので、行きたいと思っていた旧市街に点在する雑貨店を巡ることが出来ました。コロナ前に買い集めたラオスに関する本数冊から調べ上げたマップを作ってきていましたので効率よく訪ねることが出来ました。素敵なものは数多くありましたが、思っていたよりも高いことと以前の旅でチェンマイあたりで見たことがあるものも多かったので特にほしい物はありませんでした。意外に早く周り切ってしまったので集合場所の近くの「Gelato Del Lao」という店でシェイクを飲んでクールダウンしました。再集合後は全員で「プーシーの丘」に登るのですが、妻がもう歩きたくないというので我々は行くのを止めました。ここでも再び再集合時間が決められ、2時間ほどあったのでマッサージ店に行くことにします。ガイドさんお薦めの「ジャスミン・マッサージ(Jasmine massage)」に入ります。フットマッサージを含んで全身マッサージ1時間で7ドルと安いです。しかも1階の椅子席ではなく2階のベッドの上での施術です。東南アジアではマッサージは欠かせないのでようやく旅を実感することが出来ました。体が軽くなったところで残りの1時間をナイトマーケットを歩いてみます。ルアンパバーンのナイトマーケットは有名なのでもっと少数民族の雑貨などがあるのかと思いましたが、それほどでもなくラオスの伝統衣装の「シン」もかなり高いので、買い求めたのはTシャツくらいでした。全員集合したところでバンに乗って少し郊外にある「キリダラ・ホテル(KIRIDARA HOTEL)」のレストランに向かいます。ここではラオス風フレンチのディナーです。これが気どりも無くとても美味しい料理でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「クアンシ―の滝」から戻ってランチののちは「ワット・ヴィスンナラート」の参拝からスタートします。その名の由来となるヴィスンナラート王の時代の1512年に建てられた寺院は、ルアンパバーンに現存する最古の寺院です。
ワット ヴィスンナラート (すいか寺) 建造物
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境内には小屋が立ちお土産物屋になっていました。何となく子供の頃に父といった鬼子母神を思い出しました。やはり境内にあった小屋のような店で「すすきみみずく」を買ってもらったのを思い出しました。
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当時は王国の結束の象徴として地元の人々に愛されていましたが、1887年に木造の寺院は中国の黒旗軍の襲撃で焼失しましたが、レンガや漆喰で同じように再建されています。
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本堂を護るようにヤックという門番神がいました。前の月に行ったインドのエローラ遺跡でさんざん見てきたヒンドゥー教の門番神のヴァジュラパーニ(Vajrapani)を起源とするものです。
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これらの門番神は日本にまで到達すると金剛杵(仏敵を退散させる武器)を持つものを意味する金剛力士に変わっていきます。バンコクの空港ターミナルには巨大なヤックが12体並んでいるのが壮観でした。
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苔むした塔門の雰囲気が良いので妻を呼び止めました。水木しげるの貸本時代の漫画の一コマを見たような気がしました。
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土産物屋では聖霊の「プーニュ・ニャーニュ・シィン」が並んでいました。木材と麻紐で作られたラオスの正月に登場する精霊人形の「プーニュ・ニャーニュ・シィン」です。諸説があるようですが、人間が作り出した精霊が「プーニュ」と「ニャーニュ」で、その遣いが獅子の「シィン」とのことです。ミャンマーでも同じようなものを見ましたが、雑司が谷の「すすきのみみずく」にも通じるものを感じました。
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ヴィスンナラート王の王妃が1514年に建立した「タート・パトゥム」という仏塔があり、スイカを半分にした形に似ていることからスイカ寺とも呼ばれています。実際はこの形はスイカではなく蓮の蕾を表しています。
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ラーオ族による統一国家の出現は1353年のラーンサーン王国からですが、それ以前から民族としての活動は活発でした。ラーオ族の発祥はアルタイ山脈の麓あたりとされていて、年代を経るにつれて南下をしています。これはタタール族に追われ、周に攻められたことに依るようです。
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その後の南詔王国の滅亡により各地へ拡散してムアンを形成していったラーオ族は各地でそれぞれ独自の発展を遂げ、タイ北東のチェンセーンでは後にチェンマイ王国やスコータイ王国を建国し、今日のタイ王国を形成していったタイ族の父祖グループと位置づけられ、メコン川上流のスワーではラーンサーン王国を建国し、今日のラオス人民民主共和国の父祖グループと位置づけられて民族の分化が始まります。
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ラーンサーン王国の時代の1500年から1520年まで治世を行っていたのがヴィスン・ナラート王でした。彼の治世は繁栄し平和で、1359年からビエンチャンにあったルアンパバーンのパラディウム、プラバンを収容するために建てたワット・ヴィスーンのマハヴィハラなど、数多くの神社やモニュメントが建設されました。彼の治世中に多くの重要な宗教書や文学作品がラオス語に翻訳されました。彼は1520年にビエンチャンで亡くなりました。
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参拝の前に皆さんお土産物屋に向かってしまいました。
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打っているのは機械で刺繍されたものなど欲しいと思えるような手工芸品は見掛けませんでした。インドでは細密画や先住民族の絵画が面白いように見つかったこともあり、ちょっとがっかりです。
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涼しい音色の風鈴もいいなとは思いましたが、中国の貴州省や雲南省で本物の銀製品や刺繍を買い求めた後では手が出ませんでした。
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ラオスでは息子を出家させることもまた、女性が徳を積む方法の1つとされるようです。今朝の托鉢でも小学生くらいのお坊さんをよく見かけましたが、僧伽(そうぎゃ)に属してはいますが、僧侶見習いまたは沙弥(しゃみ)ということになります。
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大きすぎる草履をはいているのでパタパタという音を残して寺の外へ行ってしまいました。子供のころの自分と5歳違いの三男の姿に重なって見えました。母が弟を甘やかしたので、娘がため息をつくほど人の言うことを聞かない大人になってしまいました。
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本堂の参拝に移りますが、我々のツアー以外に観光客の姿を見ることはありません。
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この寺院も今までラオスで参拝した寺院や北部タイで参拝してきた寺院と同じような造りになっています。
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昨日参拝した「ワット・タート・ルアン」では六牙の白象に乗って出現し仏教の教化にあたる騎象の普賢菩薩と青獅子に乗った文殊菩薩の扉絵を見つけましたが、ここでは新たな発見がありました。
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ガルーダに乗るのは日本では孔雀の背に乗る孔雀明王だと思われます。また二十八部衆の迦楼羅天(かるらてん)はインド神話に登場するガルーダが仏教の守護神となったものとされます。牛に乗るのは大威徳明王で、神の使いである水牛にまたがっている姿で表現されます。
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ツアーの皆さんが中を見学した後に本尊と対峙します。カンボジアでは僧侶の方がいて、お経を唱えてフサエ・セイマーという赤い紐を手首に結んでくれました。タイでも同じ体験をしましたが、ラオスではそんな光景も見掛けませんでした。
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以前北部タイを2週間旅して、手首にいくつもの赤い紐を巻いてもらい、帰国した翌日に友人が担当してオープンすると、タイ人のスタッフの人にびっくりされたことがありました。
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「ワット・ヴィスンナラート」では屋根瓦を寄進できるというので、祖父母と両親の成仏と弟たちとその家族の安寧を願いました。
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脇にあったドネーションの箱にビール2本分くらいのキップを入れておきます。
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黄金に輝く本尊のまわりには穏やかな表情の立像が並んでいます。
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これらの同じスタイルの立像は両手を脇に下げた姿で、ルアンパバーン特有の「雨乞い」の姿勢と言われます。この「雨乞い」のスタイルは田畑を耕すための水が無かった時代に始まったと考えられています。手の長さは「正立手摩膝相(しょうりゅうしゅましっそう)」と言われる、膝まで届くほど長いとされます。
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日本ではなかなか本尊の真裏に行けることが少なく、行けても光背などで背中は見えないので見ておきます。
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ガイドさんによるとこれらの仏像の衣の合わせ方にはクメールの影響があるということでした。穏やかな顔にミャンマーのインレー湖で見た仏像のことを思い出しました。そこは僧侶が猫に芸をさせるということで有名でしたが、並んでいる仏像の素晴らしさに魅せられました。
ガベチャウン僧院:https://4travel.jp/travelogue/10943515 -
「三十二相八十種好」とは釈迦の姿の32の特徴を言語によって数え上げたもので、三十二相を詳述したものが八十種好相であり、見てすぐに分かる三十二相と微細な特徴である八十種好を併せたものを意味します。先の「正立手摩膝相」もその1つです。この頭部を見ていると身体手足全て黄金色に輝いている「金色相」や頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している「頂髻相(ちょうけいそう)」が見てとれます。
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ここに並ぶ仏頭は14世紀のクメール王国のファ・グム王の時代に持ってこられたと考えられています。
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この像はクメール王のジャヤヴァルマン7世の座像で元々は7匹のナーガが彫られていました。シェムリアップにあるクメール王国を統治した仏教徒の王で、アンコール遺跡にタ・プロム寺院とバイヨン寺院を建立しました。この坐像はそれらの寺院のレリーフ彫刻に見られるスタイルを彷彿させます。
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アンコール遺跡のライ王のテラスに置かれたじゃやバルマン7世像(レプリカ)
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プノンペンの国立博物館に置かれたジャヤバルマン7世像(オリジナル)
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モーニングマーケットでも売られていたマリーゴールドがバナナの葉で飾られています。
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隣接するボットと呼ばれる祠堂にも参拝してみます。ラオスの仏教に由来するナーガや孔雀や鳥たちが扉の枠を飾っています。
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内部は修復工事中のようで、本尊の周りには竹の足場が組まれていました。
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最上段の1番から始まる物語は釈迦の生母の摩耶夫人についてです。摩耶夫人は釈迦族の王であるシュットーダナ(浄飯)の妃となってから、ながらく子供に恵まれませんでした。しかしある日の事、天から白象が降りてきて、自分の右脇から胎内に入る夢を見て懐妊したのだといわれます。そ4月8日8日に王子を出産します。王子はシッダールタ(悉達多)と名付けられました。画中では7枚の蓮の葉の上を歩いています。「天上天下唯我独尊」といった場面ですね。その名には一切の願いが成就したという意味がありましたが、摩耶夫人は悉達多を産んで7日後に亡くなってしまいます。仏教国のタイやラオスでは象を神聖化して、中でも白い象は釈迦の化身とされています。
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本堂に入って左側の壁面には釈迦の前世の物語であるジャータカ(本生譚)が描かれています。仏教がインドから各地へ伝播されると世界各地の文学に影響を与え、「イソップ物語」や「アラビアンナイト」にもこの形式が取り入れられたといわれます。また「今昔物語集」の「月の兎」などもこのジャータカを基本としています。
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境内には大きな菩提樹の木が植えられていました。スリランカのアヌラーダプラで参拝した「スリー・マハー菩提樹」のことを思い出します。
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それは紀元前3世紀にインドのアショーカ王の王女サンガミッタがブッダガヤの菩提樹の分木を運び、デーワーナンピヤ・ティッサ王が植樹したとされる聖なる木です。観光客の参拝は日中だけのようでしたが、ガイドさんと白い服で正装して夜遅くに参拝しました。拾った菩提樹の葉は今でも残してあります。
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菩提樹の根本にはとぐろを巻いた9頭のナーガの上で、片足のみを太ももの上に置いた半跏趺坐(はんかふざ)の状態で禅定印を組み瞑想している仏陀の姿があります。通常は7つの頭で表現されることが多いですが、インドではナーガラージャと呼ばれ1000の頭を持つという意味があるので数にこだわりはないのかもしれません。仏陀が菩提樹の下で7日間の瞑想に入っているとき、風雨がひどい日がありました。菩提樹の葉がナーガの王・ナーガラージャに変身し、その大きな体で仏陀を取り巻いて7つの頭で仏陀の頭上に大きな傘を作って守ったという伝説から来ています。
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「ワット・ヴィスンナラート」からバンに乗って「王宮博物館」まで移動しました。脇には長い階段があり、これを上ると「プーシーの丘」だということです。これを見た妻はもう登る気が無くなっています。
プーシーの丘 山・渓谷
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低い塀の向こうに「王宮博物館」の中にあるプラバン仏陀を納めたポッド(祠堂)が見えます。
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ここを見学するとルアンパバーン市内の観光の予定のほとんどが終わってしまいます。アンコール遺跡やチェンマイを旅した10数年前はガイドブックに載っているほとんどの寺院を参拝しないと気が済みませんでしたが、最近はそんな気力もなくなってきました。
王宮博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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入り口を入ると正面に国立博物館の建物が見えます。
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まずは左手にある荷物預かりに行って大きな荷物を預けます。博物館の館内は写真撮影が出来ませんが、外観の写真は撮れるのでカメラバックは持っていきます。ここでガイドさんがチケットを買っている間に博物館の閉館後に敷地内にある国立劇場でラオスの伝統舞踊「パーラックパーラム」の公演があることを知りました。
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公演は週4回行われて伝統的な楽器を使った生演奏に合わせて、インドの叙事詩ラーマーヤナが元になったラオス独自の「ラーマーヤナ」やタイの「ラーマキエン」が上演されているそうです。ラオス独自のラーマーヤナはインドから東南アジアに伝わった際に「パーラックパーラム」として踊りに合わせてアレンジされています。
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プノンペンの国立博物館で観たプラエ・パカアの伝統舞踊が素晴らしかったのを思い出し、何とかならないか思案しましたがちょっと無理なので諦めました。
プノンペン国立博物館:https://4travel.jp/travelogue/11343038 -
まずは黄金のパバーン仏を納めたボットを参拝します。
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パバーン仏と対峙するようにシーサワーン・ウォン王の像が建てられています。この旧王宮は彼の知性ちゅうの1909年に完成しています。建物はラオス語でトーンという名前で、フランス人建築家によって設計されました。ラオスの伝統とフランス様式が融合した特徴があり、建築資材はほとんどがこの地のものでまかなわれました。フランス政府はこの王宮を王への贈り物として建てました。
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その後の1930年にこの中央部分の尖塔はラオスの文化芸術になじむように改修されました。
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三角形のペディメントには傘の下に立つ3つの頭を持った象とその周囲には15のナーガ族の姿が表されています。象は人間界に降りるパ・イン神の乗り物です。ナーガ族の15部族のためにパ・ラッシとその兄弟がプー・スアンに都市を建設し、この都市をムアン・スアと名付けました。そんな意味がこのレリーフにはあります。
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1905年にはラオス全領域が保護国化されフランス領インドシナが完成しますが、第2次世界大戦開始後の1940年11月、タイとフランスとの間で仏印国境紛争が起こり、1945年3月9日に日本軍が明号作戦でフランス軍を撃破した後、日本軍はルアンパバーン国王シーサワーン・ウォン王にラオス王国の独立を宣言させます。同年8月日本政府のポツダム宣言受諾後にあってシーサワーン・ウォン王はラオスの独立宣言を撤回したものの、独立派はラオ・イサラ(自由ラオス)を結成し、臨時政府を樹立しました。
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1946年4月には再びフランス軍がラオスを制圧し、第1次インドシナ戦争が起きると1949年に成立したベトナム国の正統性を強調し、かつインドシナ全域に影響力を残すためにフランス連合内の協同国としてラオス王国を独立させます。ここにルアンパバーン王国は新生ラオス王国に含まれることで消滅しました。この独立は名目に過ぎず、外交権や軍事権はフランスに握られたままでした。
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旧王宮の儀式の間や接見の間などラオスらしい調度品が並んでいます。王や王妃に家族の居室は意外にシンプルだったのが驚きでした。王族が使用した家具や調度品や各国使節からの贈答品も並べられ、その中には日本からのものもありました。庭先に植えられていたマクナムタオプンという木には大きな実が生っていました。これはバリ島でも見たことがあったので懐かしく眺めました。
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「王宮博物館」の見学が済むと1時間30分ほどの自由時間になりました。ルアンパバーンの市内のホテルにこだわっていたのはシーサワンウォン通りとサッカリン・通りの周辺に点在する雑貨屋さんを周りたいからでした。
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ここで急に自由時間が与えられたので、夕食後にホテルに戻る際にドロップアウトするかホテルで車を呼んでもらう必要がなくなりました。これでルアンパバーン郊外のホテルでも問題がなくなったわけです。逆に広々としたカントリーサイドの美しさを楽しめたので結果は良くなりました。
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通りに並ぶ雑貨店はコロナ禍前に買い求めた本の数冊から行きたい店を抜粋して、グーグルマップに落とし込んでありました。どこかで沈没しない限り1時間もあれば一通り巡ることは分かっていました。
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通りにはフランス領インドシナ(仏印)時代に建てられたであろう建物が軒を連ねています。その中のいくつかが雑貨店や衣料店になって営業しています。
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雰囲気はチェンマイのターぺー門から東に延びるターぺー通りのようです。ただ、タイは植民地になったことはないので単純に建築的要素が残されているのだと思います。
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おしゃれな雑貨店は何軒もあるのですが、ハンディクラフト風の雑貨は少なく、ピューターだったりどこか工業製品としてデザインされた雑貨ばかりに思えました。そしてとても高いです。衣料にしても女性用が多いのは仕方ないとしても、西洋風にアレンジし過ぎていたり…。
ブルーハウス アナカ 専門店
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本当は宿泊するはずだった「ヴィラ・サンティ」の前も通過しました。少しくらい中を覗いて来ればよかったなと思います。オリジナルの19世紀のフランス植民地時代のヴィラで、かつてはシーサワーン・ウォン国王の妻の邸宅でした。
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ホテルには6室のロイヤルスイートと2室のジュニアスイート、12室のデラックスルームがあるそうです。そう考えるとオーバーブッキングで郊外のホテルに振り替えられたのだと思います。
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「Nagini by 3 Nagas」というMギャラリーのホテルが近くにあります。こういうところを見ると夜遊びに街に出たくなってしまいます。伝統的な建物はかつて王室の葬式のアイスクリームショップがあったと案内板に書かれてありました。
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通りには3ナーガのナンバープレートを付けたシトロエン・トラクシオン・アバンが停まっていました。1934年から1957年まで製造していた前輪駆動の乗用車です。トラクシオン・アバンはフランス語で前輪駆動を意味します。
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フランス領インドシナの時代にこの車が存在していたと考えるとこの通りが余計に魅力的に感じてきます。大好きな映画に「インドシナ」というカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画があります。
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あまりにも好きでサイゴンのコンチネンタル・ホテル、ペナン島の張弼士古宅(チョン・ファッツイー・マンション)、ベトナムのフエ郊外の嗣徳帝廟(トゥドゥック帝廟)などロケ地を訪ねたこともあります。エンディングのハロン湾とレマン湖の風景が重なるシーンは何度観ても感動します。
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ルアンパバーンはユネスコの世界遺産に登録されていることから建造物も611軒が登録されています。そのうち168件の宗教施設と住宅や公共施設が443件になります。
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本をそのまま持って来ると汚れたり不便なこともあるので必要なページをコピーして持ってきています。なおかつB5サイズ程度の本はA4 まで拡大してきています。若い頃は拡大する必要はありませんでしたが、老眼鏡をかける必要がないので拡大は必須になりました。
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だんだん買い物に向けていたベクトルは建物の写真を撮ることに集中しています。
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通りの片ることにしました。側を歩いた後は反対側を戻ることにしました。
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妻はまだまだ諦めていませんが、こちらはすでに買い物をする気分は無くなりました。頭の中にはナイトマーケットで1枚2ドル程度のTシャツを何枚買うかになっています。
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見たいショップは一通り見終わりましたが、買い物をしなかった分早く終わってしまいました。
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早朝は全ての店が閉じられ托鉢をしていたとは思えないです。
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通りを歩いていても歩いている人も少なく、思っていたルアンパバーンとは印象が違います。
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再集合場所の近くまで戻って、一休みすることにします。
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入ったのは「Gelato Del Lao」という店で、マンゴとワイルドベリーのシェイクが50,000キップでした。
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再集合の時間になって「プーシーの丘」に向かうことになりますが、妻が登りたくないというので2人でドロップアウトすることにします。丘に登るのもフリーになるので、再び再集合時間が設定されます。
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2時間時間が出来たので集合場所にもなっていたガイドさんお薦めの「ジャスミン・マッサージ(Jasmine massage)」に入ることにします。
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フットマッサージだけだと1時間5ドルですが、フットマッサージコミノ全身マッサージが7ドルというのでそちらをお願いします。全身マッサージは2階の個室のようなスペースで、施術着も貸してもらえます。
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準備が出来るまでしばらく待ちます。インドでは宿泊したホテルで2晩マッサージにハマりましたが、東南アジアでマッサージを受けない手はありません。中国にハマっていたころは町を移動する度にマッサージ屋を探していました。陽朔という町ではマッサージにハマって広州行きの夜行バスに乗り遅れて、タクシーで100キロほど走って桂林に戻ったという失敗もあります。タクシー代2,500円は痛かったです。
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1時間みっちりマッサージをしてもらい体が軽くなりました。あまりの気持ち良さに担当してくれた若者たちに1ドルづつチップをあげました。
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表に出るとすっかり暗くなっていました。
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残り1時間ほど時間があるので、ナイトマーケットに向かうことにします。
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改めて東南アジアを旅していることを実感しています。これまで数々のナイトマーケットを遊び歩いた記憶が蘇ってきます。
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夜になると昼間はくすんでいた商品が輝いて見えてくるのが不思議です。
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ナイトマーケットのエリアに入りました。売っている商品はモーニングマーケットで見たものと同じようです。
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ラオスの伝統的なスカート「シン」が売っています。かなりタイニーなシルエットなので妻は全く興味を示しません。その気持ちもわかるのであえて勧めません。
ナイトマーケット 市場
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タイの北部でもよく見掛けたスカートも実用性はありません。ナイトマーケットは観光客棟だとばかり思っていましたが、実際は現地の方も利用しているのだと思えてきます。
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スタートしたばかりの時間ですが、これだけ空いていると気分は高揚してきません。
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竹細工や木製の調理器部なども売られています。ヘラやしゃもじなどはカビが生えるからと妻に却下されるので手を出せません。
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ベトナムのサパでよく見掛けた少数民族の布で作られた動物たちのぬいぐるみも並んでいます。タイのチェンライやチェンマイでも見掛けたので、実際はどこの国で作っているのかは分かりません。
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傘やカードはミャンマーでも見たことがあります。これらもどこか人件費の安いところで作っているのでしょう。ただ、値段を尋ねてみるとかなり高いのにびっくりです。
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ということで朝から考えていた1枚2ドルのTシャツを買うことにします。10枚買うので値段交渉してみましたが、全く値引きしてくれませんでした。
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何となく気になったベトナム・ゴングと呼ばれる銅鑼です。ネットで買おうとすると2万円から4万円くらいします。家では叩けないので諦めることにします。
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「プーシーの丘」から戻った人たちと合流してバンに乗り、夕食のレストランに向かいます。かなり町中から離れた高級ホテルに入っていきます。「キリダラ・ホテル(KIRIDARA HOTEL)」のレストランです。
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ラオス風フレンチというのがツアーの売りになっていました。ドレッシングの効いたツナサラダからスタートします。
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ビア・ラオの大瓶が80,000キップで4ドルでした。この日はかなり歩いて疲れたのもあるのでビール2本の大盤振る舞いです。
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濃厚なトマトスープも疲れた体に沁みます。ガーリックの効いたパンも美味しいです。
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メインはチキンのグリルです。スパイシーなソースが食欲を増します。
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最後にコーヒーとカスタードクリームとアイスクリームとメレンゲ。甘いものも疲れた体に効きます。
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おいしい食事を楽しんだ後はホテルに帰って部屋で冷やしてある檸檬堂やラオスのビールを開けます。そして荷造りもしなければなりません。あっという間の3日間でしたが、思ったよりも充実しています。
キリダラ ルアンパバーン ホテル
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