2023/10/02 - 2023/10/03
273位(同エリア319件中)
gianiさん
- gianiさんTOP
- 旅行記195冊
- クチコミ355件
- Q&A回答0件
- 725,333アクセス
- フォロワー15人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
地元が推している3つの歴史テーマ
原の辻遺跡/古墳群/元寇関連を回ってみました。
各々が固まって分布する傾向にあるので、意外と回り易いです。
大陸およびヤマト政権とのかかわりが、トップクラスの古さです。
路線バスは循環路線をベースに、港や市街地/観光地を目指して脇道を経由するので、非常にわかりにくいです。
(郷ノ浦を基点に見て)左回りと右回りに分かれます。路線図↓
https://iki-kotsu.com/pdf/rosenzu.pdf
- 旅行の満足度
- 5.0
-
10:00 博多港第二埠頭を出発。
9:30までに2階の売り場でチケットを買う必要があります。
約2時間の船旅です(ジェットフォイルなら時間半分/料金2倍)。
WiFiはないですが、携帯電波はほぼ全区間通じます。
博多/天神から徒歩圏、かつバス移動も可能な便利な港です。 -
12:25 郷ノ浦港着。
壱岐島の南西部に位置し、島内で一番の都会です。
連絡バスに乗らず、ぶらぶら市街地を目指します。郷ノ浦港フェリーターミナル 乗り物
-
港の観光案内所で情報を仕入れ、街の中心まで歩いてみます。
道なりで2つ目の信号を右折すると、バス停だと教わりました。
頭上を大きな橋が横断します。 -
奥は漁港になっていました。
-
鬼退治の伝説
壱岐には5万の鬼が棲む「鬼ヶ島」でした。都から鬼退治に派遣された百合若大臣は、激戦の末に勝利し、最期に鬼の首領である悪毒王の首を刎ねて壱岐に平和をもたらしたという内容。元寇を暗示しています。 -
市街地には由緒ある神社。
祭神は、猿女君(猿女命)。
天宇受売命(女神)が猿田彦命(男神)と結ばれた際に、一体神になりました。合体後(三位一体ならぬ二位一体)の女神部分が猿女命です。塞神社 寺・神社・教会
-
社殿左手前には、巨大な男根が。日没後は、ライトアップされるそうです。
彼女は道中安全の神で、郷ノ浦に入港した男性は女神を好物である男性のシンボルを見せて祈願していたそうです。参拝者が軽犯罪法に問われないよう、現在は木像を設置して代用しています。 -
バス案内所(写真左)で一日乗車券1000円を買い(車内でも買えます)、室内でバス待ち。
12:55初の芦部行バス(右回り)に乗車します。壱岐の古代史を学べる博物館を目指します。壱岐島 自然・景勝地
-
13:18三河校バス停で下車。正規運賃は710円です。
「島の駅壱岐の壱番館」の奥の辻を右折します。 -
海へ向かって15分ほど歩くと、こんな景色。
-
江戸時代の書物にも、図解付きで登場します。
-
小島は波の静かな内海湾にあり、古代船が停泊する場所でした。
-
干潮時だけ歩いて渡れる小島には、湾の守り神(航海安全)が祭られています。
ここから海岸沿いを時計回りに歩きます。 -
壱岐七名水:お手水
沿道にありました。 -
丘を登って博物館を目指します。
実りの秋です。 -
ちょっと南国風
-
こうした溜池が、谷の流れを堰き止めます。大事な農業用水です。
-
弥生時代に特化した博物館に寄り道。
離島には似合わない立派な施設です。一支国博物館 美術館・博物館
-
眼下には、諫早平野に次ぐ県下第二の面積を誇る平野が。
深江田原平野といいます。 -
深谷田原平野には旗鉾川が流れ、
写真のように谷を越えて内海湾に注ぎます。
一支国博物館が、左の山の上に小さく写っています。 -
川沿いには、弥生時代の遺跡があります。
国特別史跡:原の辻遺跡
史跡は1800程あれど、特別史跡(※)は62しかありません。
※弥生は、登呂/吉野ヶ里/原の辻遺跡の3件です。原の辻遺跡 名所・史跡
-
外洋を航行する船は内海湾に停泊し、交易品は小舟に移し替えて旗鉾川を遡り、遺跡沿いの港跡まで運びました。遺跡では紀元前2世紀の、国内最古の船着き場が見つかりました。
-
遺跡横にはガイダンス施設があり、展示もあります。
-
魏志倭人伝
一支(いき)国に関する記述は57文字で、島内の3000世帯を養うには水田が不足し、島外から食料を買い付けているとの記載があります。
※実際には「一大国」と記載されており、一支国の誤表記とされます。 -
遺跡からは、穂先の穀粒を摘み取るための石包丁が発掘されています。
より新しい時代のものは、鉄器に代わっています。 -
麦は石鎌で根元から収穫していたことがわかります。
壱岐は、国内の麦焼酎発祥の地です(後述)。 -
遺跡は濠に囲まれた「環濠集落」で、南北750m東西350m面積16haに及びます。環濠外は道路/水田/墓地/船着き場等で、100haに及びます。期間は、紀元前3~紀元4世紀です。
-
発掘結果を元に、17棟が再現されます。
左手前より順に、交易の倉庫/交易司の家/物見櫓/使節団の宿舎です。
枠外の対角には、王の居館があります。
魏志倭人伝によると、王を補佐する長官の職名は卑狗、副官は卑奴母離といいます。 -
一支国博物館には、原の辻遺跡のジオラマが展示されています。
-
準構造船
当時の船は専ら(丸木をくり抜いた)丸木舟でした。丸木舟は継ぎ目がないので、浸水リスクが低い反面、沖の高い波を被るとアウトです。
準構造船は、底部は丸木舟、上半分は板を繋いで作(構造船)っているゆえのネーミングです。前後に竪板と呼ばれる大きな板が張り、側板と併せて波除け効果を発揮します。 -
船床の板は取り外し可能で、交易品を収納しました。
-
武器
環濠集落は多重の濠で囲まれて、物見櫓には警備兵を配置しました。剣や鏃、盾や簡素な胸当て等が発掘されています。クニの誕生は、戦闘の誕生でもあります。 -
土器
左:高坏…器の脚が高いのは、高貴さを表します。賓客用/祭祀用にのみ使用。
中:壺…注ぎ口が小さいので、液体の保管/輸送に適します。
右:甕…煮炊きに使用。古いものは棺として再利用。 -
青銅製の武器型祭器
大きさ重さ共に非実用的。青銅製の矛は、祭祀用に用いられました。
祭儀場へ入れるのは王をはじめとするごく少数の人物だけで、豊作/豊漁/国の将来を占ったり、航海の安全等を祈祷しました。 -
人面石(1-3世紀)
日本で他に例のない発掘物。
先祖の霊を鎮めるために使用したと推測されます。当時は、体系化された宗教が確立されていませんでした。 -
龍線刻絵画土器
正面から左側面にかけて丸まった龍、稲妻、天に上る龍が描かれます。 -
拡大
他にも、捕鯨線刻絵画土器などが発掘されています。
1世紀の中国の銅銭も発掘されていますが、当時の一支国は物々交換だったため、決済通貨としてではなく、宝物として物々交換されました。 -
日本最古の文字線刻土器(3世紀:カラカミ遺跡)
壱岐の中西部の遺跡より発掘。 -
拡大すると、周の字と思われる線刻が。
中国との交易を物語る品です。 -
埋葬
高貴な人物は、副葬品として中国製の青銅鏡を棺に入れました。 -
立派な施設のメインは、県の埋蔵文化財センター。市立一支国博物館はおまけです。
-
中国の歴史書に登場するヤマト政権以前の国名は、対馬/一支/伊都/末蘆/奴/邪馬台国です。
-
一支国博物館および原の辻遺跡周辺をうろつくと夕方になります。
一支国博物館17:14、原の辻遺跡17:17発のバス(左回り)で、本町(郷ノ浦)へ17:42に戻れます。
もしくは原の辻遺跡17:03、一支国博物館17:10発のバスで、芦辺17:22着(乗換)17:30発、芦辺港フェリーターミナル17:39着、勝本入口18:05着のバスが利用できます(共に右回り)。
写真は、乗換場所の芦部バス停。 -
壱岐古墳群
原の辻遺跡に次いで推しているのが古墳。
長崎県下の古墳の相当数(260基以上)が、壱岐に分布します。概して関西~北九州より1世紀ほど遅れて造られていますが、中へ入れたり色々と楽しめます。
最も古い大塚山古墳は5世紀後半のものですが、グーグルマップの案内が間違っていて入り口を見つけられませんでした。 -
双六(そうろく)古墳
長崎県最大の前方後円墳。全長91mです。
※以下の古墳は、すべて6世紀末のもので、7世紀前半まで追葬されました。双六古墳 名所・史跡
-
後円部は直径21m、高さ10m。
樹木など上に覆い被さるものがないので、わかりやすいです。 -
石室入口。
-
内部を覗くと、こんな感じ。
-
国道の脇道に入ると、こんもりとした円い丘が。
-
笹塚古墳
出土品のうち162点が国の重文指定。幾つかは、先述の一支国博物館で展示されています。笹塚古墳 名所・史跡
-
直径44m高さ14mの円墳で、石室の中へも入れます。
-
分かりにくいですが、明るく写っている部分が石棺です。
-
石棺の左半分
-
後ろを振り返ると、入り口から3つ目の仕切りに石室があるとわかります。
-
掛木古墳
見学の環境が最も整備されている古墳。
観光用駐車場近くです。
最寄りバス停は鬼の岩屋で、郷ノ浦からは一日7本運行(左回り)、勝本からは一日7本(右回り)、芦辺からは一日5本(左回り)です。掛木古墳 名所・史跡
-
直径30mほどの円墳です。
-
いざ石室へ。
-
前室/中室/玄室の3間構造。
-
県下唯一の「くり抜き式家形石棺」です。
-
24時間開放でない代わりに、このようにセンサーでライトアップされ、細部も観察しやすいです。天井部もよくわかります。
-
横には、2023年3月いっぱいで閉鎖した古墳群のガイダンス施設。
実は扉が開いていて、覗くと展示室も展示パネルも往時のまま。しかも、職員が詰めています。なぜ見学できないかは???
※委託職員さんは、古墳入口の開け閉めやトイレ駐車場管理業務を行っています。壱岐風土記の丘 名所・史跡
-
横の民家園もチェーンで封鎖。
-
百合畑古墳群
4基の前方後円墳(首長)と19基の円墳(首長の親戚等)から成ります。全体的に小ぶりです。百合畑古墳群 名所・史跡
-
15号墳は前方後円墳なので、円墳よりもグレードが上です。
-
石室も形だけ残っています。
-
こんな感じで林立しています。
-
横には、16世紀のお城もありました。こちらは、水汲み場。
-
県道沿いの駐車場脇にある鬼の窟古墳。
直径42mの円墳。鬼の岩屋 名所・史跡
-
石室に入れます。
全長16.5m。 -
床は板敷きで整備されており、3室構造がよくわかります。
前室/中室は身を屈めて歩きますが、玄室は一辺3mの立方体です。 -
続く時代の遺跡も、隣接します。
-
国分寺跡
律令体制では、壱岐島は単独で壱岐国と位置付けられました。
聖武天皇は741年に各国に国分寺を建てるように通達し、徐々に整備されます。壱岐国分寺跡 名所・史跡
-
国分寺には特別な柄(格式)の瓦が使用されました。
殊に壱岐国分寺跡からは、平城京で使用されたのと同じ柄の瓦が出土し、60余国の中でも朝廷と特別な関係にあったことがわかります。
また、壱岐では寺を新設せずに、壱岐氏の氏寺を848年に国分寺へ改名しているのも特徴です。 -
へそ石
国分寺跡の前にあります。道しるべの役割も果たしました。
名前の通り、ここが壱岐の中央に位置することをあらわします。
※道路工事で、通りの反対側から移動。へそ石と顎掛け石 名所・史跡
-
顎掛け石
大男が海岸で拾った石柱を運び、自分の顎が載せられるように設置たという伝説が。上に載っている仏塔を差し引いても、2mは超えています。
国分寺跡/へそ石/顎石の最寄りバス停は国分寺で、芦辺から一日5本(左回り)。 -
國片主神社
壱岐七社の一つで、少彦名命を祀ります。國片主神社 寺・神社・教会
-
600m先には、月讀神社が。
延々と階段を上る参道。横には、自動車の通れる参道も。月読神社 寺・神社・教会
-
天照大神の兄弟神である月讀尊を祀っています。
オリジナルは壱岐で、京都は分祀(487年)です。 -
社殿の左奥には、知る人ぞ知るパワースポットが。
-
おまけ
亀石交差点から歩いて20分ほど坂を下ります。 -
眼下には湯本港と集落が。湾の入り口を島々が塞いで、天然の良港。蒙古軍が上陸した浦海はこのそばです。
-
壱岐で屈指の温泉です。
湯ノ本温泉 温泉
-
海老(かいろう)館にお世話になります。
客室名は、壱岐の麦焼酎のブランドで統一されています。
壱岐は、大陸伝来の技法を取り入れ、16世紀に日本初の麦焼酎を造り始めました。 -
夕食
一の膳 壱岐特産の鮑/イカ/ブリ等が登場。
このあとは西京焼きの切り身、茶わん蒸し、ひきとおしと呼ばれる壱岐の伝統的鍋、壱岐牛のステーキ等が登場。一度箸に手を付けたら、写真撮影なんて忘却の彼方でした。
※壱岐は日本に最初に牛が伝来した土地。そう考えると和牛は、すべて壱岐の子孫。 -
個室食堂の先には、バーカウンターが。
古い建物ですが、リノベしているので清潔で魅力的な宿です。 -
早朝の内湯。
このお湯が素晴らしいです。8時間歩き通しの身体を湯に沈めて夕食に臨んだら、身体も軽く、朝もすっきりです。
源泉かけ流しで、薄い塩味がします。 -
朝食
壱岐のローカル納豆付き。
壱岐は、ほとんどの食糧が自給自足です。 -
客室からの眺め
-
バスは、郷の浦と勝本を結ぶのがメインです。
-
商業高校行のバスは、全員高校生。
-
壱岐牛が!
-
こんなレトロなバスです。
ふそうが三菱傘下だった頃の車両。
次は、中世(元寇)以降の歴史と港町勝本めぐりです↓
https://4travel.jp/travelogue/11857939
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
92