マダバ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旅程にはありませんでしたが、マダバへの途上で、アイン・ムーサ(モーセの泉)に立ち寄りました。<br />ホテルを出て、すぐでした。<br />現地ガイドさんの計らいで、ペトラの街の入口付近の泉に行きました。<br />その後はネボ山へ。<br />こちらは、モーゼ終焉の地です。<br />そしてその後はマダバへ。<br />マダバには、有名なモザイクの地図があります。<br /><br />ちなみにモーゼについて、記しておきます。<br />長いので、興味のない方は、飛ばしてください。<br /><br />【モーゼ以前】<br />話は昔に遡ります。<br />ヤコブには4人の妻と、12人の息子と1人の娘がいました。<br />(ヤコブはイスラエルの祖です。)<br />ヤコブは11番目のヨセフを特に可愛がったため、他の異母兄にヨセフは妬まれました。<br />そして兄たちは、親のいない所で、ヨセフをミデヤン人の隊商に売り飛ばしてしまいました。そして両親にはヨセフが亡くなったと告げました。<br />ヨセフはエジプトに連れて行かれ、エジプトで奴隷となりました。<br />その後、エジプトの侍従長の下僕となりました。<br />ヨセフは夢を解き明かす事ができ、ついには、ファラオの夢を解き明かし、それをファラオに認められ、最終的に、ヨセフはエジプトの宰相にまでなりました。<br />その後、時が流れ、ヨセフは大飢饉のため画策し、自分たちの兄弟たちをエジプトに呼び寄せました。<br />これがイスラエルの民がエジプトに住むようになったきっかけです。<br /><br />その後、長い年月の経過で、ヘブライ人の人口は増えました。<br /><br />※  ちなみに、ヤコブの12人の息子は、イスラエル12部族の祖となったと言われています。<br /><br />【モーゼの誕生】<br />モーゼはこうして、エジプトの地で繁栄したヘブライ人の末裔として生まれました。<br />ただ、この頃、エジプトではヘブライ人の繁栄を恐れたファラオによる弾圧が行われていました。<br />それはヘブライ人の新生児を全て殺害する、という残酷なものでした。<br />モーゼの母はパピルスで編んだ籠にモーゼを入れて、ナイル川に流しました。<br />それを、たまたまファラオの娘がナイル川で水浴びをしていて発見しました。<br />憐れに思ったファラオの娘(王女)は、この幼子を拾って育てることにしたのでした。<br />ちなみに、名前をモーゼと名付けました。<br />※  モーゼとは、ヘブライ語で「川から引き揚げられた子」という意味です。<br /><br />その後、モーゼは宮廷で育てられ、やがて大人になりました。<br />そして、モーゼは自分が本当はヘブライ人であることを知りました。<br />また、エジプト人によって自分と同じヘブライ人が奴隷として働かされている現実に思い悩みました。<br />そしてある日、誤ってエジプト人を殺してしまいました。<br />実は、同胞がエジプト人によって鞭打たれるのを目のあたりにし、助けようとして誤って殺してしまったのでした。<br /><br />モーゼは、砂漠に隠れましたが、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受けました。<br />モーゼはファラオに許可を求めましたが、応じません。<br /><br />そして、神は10の災害をエジプトにもたらすことにしたのです。<br />1 ナイル川の水を血に変えて魚を殺し、水を飲めなくする<br />2 カエルの異常発生<br />3 ブヨの異常発生<br />4 虻(あぶ)の異常発生<br />5 疫病を流行らせ家畜を殺す<br />6 膿の出る腫物を流行らせる<br />7 雹を降らせ作物を全滅させる<br />8 イナゴの大量発生<br />9 3日間エジプト中を暗闇で覆う<br />10 家畜を含め長子を全て殺す<br /><br />そして神はこの災いをエジプト中にもたらしました。<br />最後の10の災いを起こす前、神はモーゼに言いました。<br />「子羊の血が塗ってある門柱の家は長子を殺さず通り過ぎていく」<br />モーゼの忠告を守ったヘブライ人の長子は無事でした。<br />ただ、ファラオの息子を含め、全てのエジプトの長子が無差別に殺害されました。後継者を失ったファラオは、神の力を恐れ、ようやく出エジプトの許可をしました。<br /><br />エジプト出発の夜、人々は神の指示通り、子羊の肉とたねなしパン(酵母を入れないパン)を食べました。そして、この出来事を記念として行うよう命じました。これが、今もユダヤ教徒が祝う「過越祭」の起源です。<br /><br />そして、エジプトから200万人とも言われる民を率いて脱出し、カナンの地をめざしました。<br />その事を知ったファラオは怒り、モーゼを追いました。<br />そして、逃げる途中、葦の海が2つに割れて、ヘブライ人は渡っていく事ができました。追撃したエジプト兵は、海が閉じてしまい、海に呑み込まれてしまいました。<br />その後、モーゼは、シナイ山で、ヤハウェ神から、「十戒」を授けられます。<br /><br />【十戒】は次のとおりです。<br /><br />1  汝は私の他に、何者をも神としてはならない<br />2  汝は自分のために刻んだ像を造ってはならない<br />3  汝は、汝の神・主の御名をみだりに唱えてはならない<br />4  安息日を覚えて、これを聖とせよ<br />5  汝の父母を敬え<br />6  汝殺すなかれ<br />7  姦淫をしてはならない<br />8  汝盗むなかれ<br />9  隣人について偽証してはならない<br />10  汝の隣人の家をむさぼってはならない<br /><br />その後も、モーゼは石版を入れた「契約の箱」を先頭にシナイ山を出発し、カナンの地を目指しました。<br />そして、モーゼはヘブライの民とともに40年にわたって荒野を彷徨いました。<br />そして、最終的モーゼが辿り着いたのが、このネボ山でした。<br /><br />長い話を読んでいただき、ありがとうございます。<br />これが、モーゼのこれまでの足跡です。<br /><br /><br />【旅程】<br /><br />8月2日(水)<br />NRT 成田発 22時30分→DXB ドバイ着 <br />8月3日 4時10分着(EK0319便 エミレーツ航空)<br />↓<br />8月3日(木)<br />ドバイ空港 5時20分<br />ジュメイラ・パブリックビーチ 5時50分<br />ブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ 6時15分<br />ドバイ・フレーム 6時45分<br />ドバイ・モール 7時10分<br />ブルジュ・カリファ(ハリファ) 8時00分<br />ドバイ・モール 9時00分<br />ドバイ水族館 10時15分<br />↓<br />ドバイ国際空港 11時00分<br />↓<br />DXB ドバイ 14時05分発→AMM アンマン 16時00分<br />(EK903便 エミレーツ航空)<br />↓<br />アンマン国際空港 17時15分<br />ペトラ(エドム・ペトラ) 20時10分<br />エル・ハズネ(ペトラ・バイ・ナイト) 21時00分<br />ホテル 22時30分<br /><br />8月4日(金)<br />ホテル発 9時00分<br />ペトラ遺跡 <br />シーク 9時30分<br />エル・ハズネ 10時20分<br />ローマ遺跡 11時10分<br />ランチ(Basin Restrant)12時00分<br />エド・ディル 13時40分<br />カフェ 13時45分<br />ビューポイント 14時10分<br />ペトラ博物館 16時10分<br />ホテル 17時15分<br /><br />8月5日(土)<br />ホテル発 7時30分 ●<br />モーゼの泉 7時45分 ●<br />ネポ山 11時25分 ●<br />マタバ 聖ジョージ教会 12時40分 ●<br />ランチ Haret Jdoudna Restaurant &amp; craft shops 13時00分 ●<br />アンマン アブドラ一世モスク 15時15分<br />ヨルダン博物館 16時05分<br />シタデル 17時15分<br />リージェンシー・パレス・ホテル 17時45分<br /><br />8月6日(日)<br />ホテル発 7時00分<br />サルト旧市街 7時35分<br />ジェラシュ遺跡 9時10分<br />↓<br />ヨルダン出国 11時45分<br />イスラエルへ入国 13時00分<br />↓<br />ティベリア ランチ 14時05分<br />山上の垂訓教会 15時05分<br />パンと魚の奇跡の教会 15時45分<br />シナゴーグ 16時10分<br />カペナーム 16時40分<br />プリマ・ガリル・ホテル 17時10分<br /><br />8月7日(月)<br />ホテル発 7時30分<br />ナザレ<br />カナの婚礼教会 8時00分<br />マリアの井戸 8時55分<br />受胎告知教会 9時20分<br />聖ヨセフ教会 9時45分<br />ヨルダン渓谷 12時00分<br />ランチ エリコ Temptation Restaurant 12時45分<br />死海 14時35分<br />エルサレム プリマ・パーク・ホテル 17時20分<br /><br />8月8(火)<br />ホテル発 7時00分<br />神殿の丘 7時30分<br />岩のドーム 7時50分<br />嘆きの壁 8時30分<br />シナゴーグ 8時55分<br />ヴィア・ドロローサ 9時10分<br />聖墳墓教会 10時15分<br />アルメニア教会 10時45分<br />シリア教会 11時15分<br />ランチ Armenian Restaurant Bar「Bulghourji」11時45分<br />シオン門 13時00分<br />ダビデの墓 13時10分<br />鶏鳴教会 13時25分<br /><br />ベツレヘム<br />生誕教会 15時10分<br />ホテル 17時00分<br /><br />8月9日(水)<br />ホテル発 9時00分<br />オリーブ山 9時40分<br />主の泣かれた教会 10時00分<br />ゲッセマネの園 10時20分<br />万国民教会 10時25分<br />ベドウィンのテント 11時05分<br /><br />テルアビブ<br />ランチ 13時10分<br />港 14時00分<br />バウハウス時代の建築 14時35分 <br />↓<br />TLV テルアビブ空港 19時50分発→<br />DXBドバイ空港 23時59分着(EK932便 エミレーツ航空)<br />↓<br />8月10日(木)<br />DXBドバイ空港 2時40分発→NRT成田空港 17時35分着<br />(EK0318便)<br /><br />※  本来はペトラ博物館の旅行記③を先にアップロードするつもりでしたが、少し時間がかかりそうなため、ネボ山とマダバの旅行記を④として、先にアップロードさせていただきました。

Mt.Nebo & Madaba 2023 ④ ネボ山とマダバ 2023年夏 モーゼの足跡を辿る(Dubai~Jordan~Israel)

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2023/08/02 - 2023/08/10

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noel

noelさん

この旅行記のスケジュール

2023/08/05

  • エドム・ホテル発:7時30分→モーゼの泉:7時45分

  • モーゼの泉8時05分→:休憩 9時20分

  • 休憩所:9時20分→ネボ山:11時25分

  • ネボ山:12時10分→マダバ:12時35分

  • 聖ジョージ教会:13時→ランチ

  • マダバ:14時00→アンマン:15時15分

この旅行記スケジュールを元に

旅程にはありませんでしたが、マダバへの途上で、アイン・ムーサ(モーセの泉)に立ち寄りました。
ホテルを出て、すぐでした。
現地ガイドさんの計らいで、ペトラの街の入口付近の泉に行きました。
その後はネボ山へ。
こちらは、モーゼ終焉の地です。
そしてその後はマダバへ。
マダバには、有名なモザイクの地図があります。

ちなみにモーゼについて、記しておきます。
長いので、興味のない方は、飛ばしてください。

【モーゼ以前】
話は昔に遡ります。
ヤコブには4人の妻と、12人の息子と1人の娘がいました。
(ヤコブはイスラエルの祖です。)
ヤコブは11番目のヨセフを特に可愛がったため、他の異母兄にヨセフは妬まれました。
そして兄たちは、親のいない所で、ヨセフをミデヤン人の隊商に売り飛ばしてしまいました。そして両親にはヨセフが亡くなったと告げました。
ヨセフはエジプトに連れて行かれ、エジプトで奴隷となりました。
その後、エジプトの侍従長の下僕となりました。
ヨセフは夢を解き明かす事ができ、ついには、ファラオの夢を解き明かし、それをファラオに認められ、最終的に、ヨセフはエジプトの宰相にまでなりました。
その後、時が流れ、ヨセフは大飢饉のため画策し、自分たちの兄弟たちをエジプトに呼び寄せました。
これがイスラエルの民がエジプトに住むようになったきっかけです。

その後、長い年月の経過で、ヘブライ人の人口は増えました。

※ ちなみに、ヤコブの12人の息子は、イスラエル12部族の祖となったと言われています。

【モーゼの誕生】
モーゼはこうして、エジプトの地で繁栄したヘブライ人の末裔として生まれました。
ただ、この頃、エジプトではヘブライ人の繁栄を恐れたファラオによる弾圧が行われていました。
それはヘブライ人の新生児を全て殺害する、という残酷なものでした。
モーゼの母はパピルスで編んだ籠にモーゼを入れて、ナイル川に流しました。
それを、たまたまファラオの娘がナイル川で水浴びをしていて発見しました。
憐れに思ったファラオの娘(王女)は、この幼子を拾って育てることにしたのでした。
ちなみに、名前をモーゼと名付けました。
※ モーゼとは、ヘブライ語で「川から引き揚げられた子」という意味です。

その後、モーゼは宮廷で育てられ、やがて大人になりました。
そして、モーゼは自分が本当はヘブライ人であることを知りました。
また、エジプト人によって自分と同じヘブライ人が奴隷として働かされている現実に思い悩みました。
そしてある日、誤ってエジプト人を殺してしまいました。
実は、同胞がエジプト人によって鞭打たれるのを目のあたりにし、助けようとして誤って殺してしまったのでした。

モーゼは、砂漠に隠れましたが、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受けました。
モーゼはファラオに許可を求めましたが、応じません。

そして、神は10の災害をエジプトにもたらすことにしたのです。
1 ナイル川の水を血に変えて魚を殺し、水を飲めなくする
2 カエルの異常発生
3 ブヨの異常発生
4 虻(あぶ)の異常発生
5 疫病を流行らせ家畜を殺す
6 膿の出る腫物を流行らせる
7 雹を降らせ作物を全滅させる
8 イナゴの大量発生
9 3日間エジプト中を暗闇で覆う
10 家畜を含め長子を全て殺す

そして神はこの災いをエジプト中にもたらしました。
最後の10の災いを起こす前、神はモーゼに言いました。
「子羊の血が塗ってある門柱の家は長子を殺さず通り過ぎていく」
モーゼの忠告を守ったヘブライ人の長子は無事でした。
ただ、ファラオの息子を含め、全てのエジプトの長子が無差別に殺害されました。後継者を失ったファラオは、神の力を恐れ、ようやく出エジプトの許可をしました。

エジプト出発の夜、人々は神の指示通り、子羊の肉とたねなしパン(酵母を入れないパン)を食べました。そして、この出来事を記念として行うよう命じました。これが、今もユダヤ教徒が祝う「過越祭」の起源です。

そして、エジプトから200万人とも言われる民を率いて脱出し、カナンの地をめざしました。
その事を知ったファラオは怒り、モーゼを追いました。
そして、逃げる途中、葦の海が2つに割れて、ヘブライ人は渡っていく事ができました。追撃したエジプト兵は、海が閉じてしまい、海に呑み込まれてしまいました。
その後、モーゼは、シナイ山で、ヤハウェ神から、「十戒」を授けられます。

【十戒】は次のとおりです。

1 汝は私の他に、何者をも神としてはならない
2 汝は自分のために刻んだ像を造ってはならない
3 汝は、汝の神・主の御名をみだりに唱えてはならない
4 安息日を覚えて、これを聖とせよ
5 汝の父母を敬え
6 汝殺すなかれ
7 姦淫をしてはならない
8 汝盗むなかれ
9 隣人について偽証してはならない
10 汝の隣人の家をむさぼってはならない

その後も、モーゼは石版を入れた「契約の箱」を先頭にシナイ山を出発し、カナンの地を目指しました。
そして、モーゼはヘブライの民とともに40年にわたって荒野を彷徨いました。
そして、最終的モーゼが辿り着いたのが、このネボ山でした。

長い話を読んでいただき、ありがとうございます。
これが、モーゼのこれまでの足跡です。


【旅程】

8月2日(水)
NRT 成田発 22時30分→DXB ドバイ着 
8月3日 4時10分着(EK0319便 エミレーツ航空)

8月3日(木)
ドバイ空港 5時20分
ジュメイラ・パブリックビーチ 5時50分
ブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ 6時15分
ドバイ・フレーム 6時45分
ドバイ・モール 7時10分
ブルジュ・カリファ(ハリファ) 8時00分
ドバイ・モール 9時00分
ドバイ水族館 10時15分

ドバイ国際空港 11時00分

DXB ドバイ 14時05分発→AMM アンマン 16時00分
(EK903便 エミレーツ航空)

アンマン国際空港 17時15分
ペトラ(エドム・ペトラ) 20時10分
エル・ハズネ(ペトラ・バイ・ナイト) 21時00分
ホテル 22時30分

8月4日(金)
ホテル発 9時00分
ペトラ遺跡 
シーク 9時30分
エル・ハズネ 10時20分
ローマ遺跡 11時10分
ランチ(Basin Restrant)12時00分
エド・ディル 13時40分
カフェ 13時45分
ビューポイント 14時10分
ペトラ博物館 16時10分
ホテル 17時15分

8月5日(土)
ホテル発 7時30分 ●
モーゼの泉 7時45分 ●
ネポ山 11時25分 ●
マタバ 聖ジョージ教会 12時40分 ●
ランチ Haret Jdoudna Restaurant & craft shops 13時00分 ●
アンマン アブドラ一世モスク 15時15分
ヨルダン博物館 16時05分
シタデル 17時15分
リージェンシー・パレス・ホテル 17時45分

8月6日(日)
ホテル発 7時00分
サルト旧市街 7時35分
ジェラシュ遺跡 9時10分

ヨルダン出国 11時45分
イスラエルへ入国 13時00分

ティベリア ランチ 14時05分
山上の垂訓教会 15時05分
パンと魚の奇跡の教会 15時45分
シナゴーグ 16時10分
カペナーム 16時40分
プリマ・ガリル・ホテル 17時10分

8月7日(月)
ホテル発 7時30分
ナザレ
カナの婚礼教会 8時00分
マリアの井戸 8時55分
受胎告知教会 9時20分
聖ヨセフ教会 9時45分
ヨルダン渓谷 12時00分
ランチ エリコ Temptation Restaurant 12時45分
死海 14時35分
エルサレム プリマ・パーク・ホテル 17時20分

8月8(火)
ホテル発 7時00分
神殿の丘 7時30分
岩のドーム 7時50分
嘆きの壁 8時30分
シナゴーグ 8時55分
ヴィア・ドロローサ 9時10分
聖墳墓教会 10時15分
アルメニア教会 10時45分
シリア教会 11時15分
ランチ Armenian Restaurant Bar「Bulghourji」11時45分
シオン門 13時00分
ダビデの墓 13時10分
鶏鳴教会 13時25分

ベツレヘム
生誕教会 15時10分
ホテル 17時00分

8月9日(水)
ホテル発 9時00分
オリーブ山 9時40分
主の泣かれた教会 10時00分
ゲッセマネの園 10時20分
万国民教会 10時25分
ベドウィンのテント 11時05分

テルアビブ
ランチ 13時10分
港 14時00分
バウハウス時代の建築 14時35分 

TLV テルアビブ空港 19時50分発→
DXBドバイ空港 23時59分着(EK932便 エミレーツ航空)

8月10日(木)
DXBドバイ空港 2時40分発→NRT成田空港 17時35分着
(EK0318便)

※ 本来はペトラ博物館の旅行記③を先にアップロードするつもりでしたが、少し時間がかかりそうなため、ネボ山とマダバの旅行記を④として、先にアップロードさせていただきました。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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  • Edom Hotel<br />エドム・ホテルです。<br />こちらには2泊しました。お世話になりました。

    Edom Hotel
    エドム・ホテルです。
    こちらには2泊しました。お世話になりました。

    エドム ホテル ホテル

  • ホテルの前です。<br />メインストリートから、少しだけ中に入っています。<br />

    ホテルの前です。
    メインストリートから、少しだけ中に入っています。

  • ホテルのお庭です。<br />ゆっくりくつろぐ時間はありませんでしたが。<br />

    ホテルのお庭です。
    ゆっくりくつろぐ時間はありませんでしたが。

  • ホテルのロビーです。

    ホテルのロビーです。

  • ホテルにあった絵です。<br />おそらく女性が持っているのは、Oud(ウード)ではないかと思います。<br />マンドリンやリュートに似ています。<br />特徴としてはネックの先が曲がっています。

    ホテルにあった絵です。
    おそらく女性が持っているのは、Oud(ウード)ではないかと思います。
    マンドリンやリュートに似ています。
    特徴としてはネックの先が曲がっています。

  • こちらもそうです。<br />トラの皮を身にまとって、兜らしき物をもっています。<br />強さを誇示してるのでしょうか。

    こちらもそうです。
    トラの皮を身にまとって、兜らしき物をもっています。
    強さを誇示してるのでしょうか。

  • ペトラの風景のようです。

    ペトラの風景のようです。

  • 朝食です。少な目に・・・。<br />品数はたくさんありました。私が食べていないだけです。<br />いつも写真を撮ってから、もっと綺麗に盛り付けすれば良かったと後悔してます。

    朝食です。少な目に・・・。
    品数はたくさんありました。私が食べていないだけです。
    いつも写真を撮ってから、もっと綺麗に盛り付けすれば良かったと後悔してます。

  • 猫ちゃんがいました。<br />ペトラにもお別れして、マダバに向けて出発します。<br />7時30分です。

    猫ちゃんがいました。
    ペトラにもお別れして、マダバに向けて出発します。
    7時30分です。

  • ホテルを出発して10-15分で到着しました。<br />到着したのは、モーゼの泉でした。<br />予定には入っていませんでした。<br />道路の反対側に駐車しましたが、目の前に横断歩道がありません。<br />ツーリストポリスらしき人の誘導で横断しました。

    ホテルを出発して10-15分で到着しました。
    到着したのは、モーゼの泉でした。
    予定には入っていませんでした。
    道路の反対側に駐車しましたが、目の前に横断歩道がありません。
    ツーリストポリスらしき人の誘導で横断しました。

  • Ayn Musa(アイン・ムーサ)<br />こちらが、モーゼの泉です。<br /><br />*「アイン」は泉、「ムーサ」は、モーゼのことです。アラビア語です。

    Ayn Musa(アイン・ムーサ)
    こちらが、モーゼの泉です。

    *「アイン」は泉、「ムーサ」は、モーゼのことです。アラビア語です。

  • 中に入ってみると、真っ白で綺麗です。<br />そして窓から光が入ってきます。<br />ドーム状の屋根も印象的です。

    中に入ってみると、真っ白で綺麗です。
    そして窓から光が入ってきます。
    ドーム状の屋根も印象的です。

  • そして、この建物の中央には貯水槽のようなものがあります。<br />

    そして、この建物の中央には貯水槽のようなものがあります。

  • これがモーゼの泉です。<br />水は澄んでいました。

    これがモーゼの泉です。
    水は澄んでいました。

  • この水は今でも飲めるそうです。<br />現地の方が飲んでました。<br />

    この水は今でも飲めるそうです。
    現地の方が飲んでました。

  • 私は飲みませんでしたが、さわってみました。<br />思ったより冷たかったです。<br />そして、このような泉は、ここだけでなく、これから行くネボ山の近くにもあります。

    私は飲みませんでしたが、さわってみました。
    思ったより冷たかったです。
    そして、このような泉は、ここだけでなく、これから行くネボ山の近くにもあります。

  • モーゼは、杖でこの岩を2回たたきました。<br />すると岩から水が激しくほとばしり出てきました。<br />そしてヘブライ人の民と家畜は、水を飲むことができたのです。

    モーゼは、杖でこの岩を2回たたきました。
    すると岩から水が激しくほとばしり出てきました。
    そしてヘブライ人の民と家畜は、水を飲むことができたのです。

  • 【出エジプトについて】<br /><br />モーゼはエジプトのファラオの迫害を逃れ、ヘブライ人を率いて、エジプトを発ちました。<br />そしてシナイ山で十戒を授かりました。<br />そしてヨルダン川の東側を北上したことになっています。<br /><br />モーゼはじめヘブライ人の民は、荒野を彷徨い続けました。(40年も彷徨ったことになっています。)<br />すると民はモーゼに不平不満をいいました。<br />これなら、エジプトで奴隷でいた方がましだった、と。<br />エジプトでは、食べるものには困っていませんでした。<br />そこで、上記のようにモーゼは杖で、この岩をたたいて水を出したのです。

    【出エジプトについて】

    モーゼはエジプトのファラオの迫害を逃れ、ヘブライ人を率いて、エジプトを発ちました。
    そしてシナイ山で十戒を授かりました。
    そしてヨルダン川の東側を北上したことになっています。

    モーゼはじめヘブライ人の民は、荒野を彷徨い続けました。(40年も彷徨ったことになっています。)
    すると民はモーゼに不平不満をいいました。
    これなら、エジプトで奴隷でいた方がましだった、と。
    エジプトでは、食べるものには困っていませんでした。
    そこで、上記のようにモーゼは杖で、この岩をたたいて水を出したのです。

  • 場所はここかと思います。<br />Mousa&#39;s Springと表記されています。

    場所はここかと思います。
    Mousa's Springと表記されています。

  • 赤いポイントから北上します。<br />青い道です。砂漠の道です。

    赤いポイントから北上します。
    青い道です。砂漠の道です。

  • モーゼの泉に立ち寄り、マダバに向かってる途中です。<br />休憩のために立ち寄りました。<br />ホテルを出て、約1時間です。<br />Mid way Castle<br />レストラン、お土産、ハンドクラフト、死海製品などがあります。

    モーゼの泉に立ち寄り、マダバに向かってる途中です。
    休憩のために立ち寄りました。
    ホテルを出て、約1時間です。
    Mid way Castle
    レストラン、お土産、ハンドクラフト、死海製品などがあります。

  • 私はリップクリームをスーツケースに入れてしまい、この日使う物がないため購入しました。<br />1個だけでよかったのですが、お店の人は2個の方がお得という常套句で上手に営業してきます。時間もあまりなかったので、1個はお土産にすることにして、慌ただしく購入しました。<br />2個とガム1個で18JDでした。日本円にして3,705円でした。<br />円安ですので、仕方ありません。

    私はリップクリームをスーツケースに入れてしまい、この日使う物がないため購入しました。
    1個だけでよかったのですが、お店の人は2個の方がお得という常套句で上手に営業してきます。時間もあまりなかったので、1個はお土産にすることにして、慌ただしく購入しました。
    2個とガム1個で18JDでした。日本円にして3,705円でした。
    円安ですので、仕方ありません。

  • お店には、JDS(Jordan Degital Security)の表示があります。<br />その名のとおり、ヨルダンのデジタル・セキュリティの会社です。

    お店には、JDS(Jordan Degital Security)の表示があります。
    その名のとおり、ヨルダンのデジタル・セキュリティの会社です。

  • 車窓です。<br />どのあたりかは不明ですが、ホテルを出てから約1時間半が経過しています。

    車窓です。
    どのあたりかは不明ですが、ホテルを出てから約1時間半が経過しています。

  • こちらも車窓ですが、建物の建築方法が、エジプトと似てるように思います。

    こちらも車窓ですが、建物の建築方法が、エジプトと似てるように思います。

  • 小さすぎて良く見えませんが、遠くに放牧しているのが見えます。<br />

    小さすぎて良く見えませんが、遠くに放牧しているのが見えます。

  • 右の端に塔が見えます。モスクでしょうか。<br />この時は、バスにwifiが入っていることに気付いていませんでしたので、現在地を確認してませんでした。<br />

    右の端に塔が見えます。モスクでしょうか。
    この時は、バスにwifiが入っていることに気付いていませんでしたので、現在地を確認してませんでした。

  • この中央にあるのもモスクでしょうか。<br />周囲には何もありません。

    この中央にあるのもモスクでしょうか。
    周囲には何もありません。

  • 手前の塀に有刺鉄線が張られています。<br />そしてビルの上に針のような鉄の棒らしき物があります。<br />たぶん上に増設するのでしょう。<br />奥にはモスクが見えます。

    手前の塀に有刺鉄線が張られています。
    そしてビルの上に針のような鉄の棒らしき物があります。
    たぶん上に増設するのでしょう。
    奥にはモスクが見えます。

  • こちらもモスクのようです。<br />今は、使われていないのかもしれません。<br />アザーンの呼びかけのためのスピーカーもあります。<br />それから、窓に網のようなものが張りめぐらされています。

    こちらもモスクのようです。
    今は、使われていないのかもしれません。
    アザーンの呼びかけのためのスピーカーもあります。
    それから、窓に網のようなものが張りめぐらされています。

  • ようやく街中に入ってきました。<br />看板が結構派手です。

    ようやく街中に入ってきました。
    看板が結構派手です。

  • 先ほどまで、ずっと荒野だったため、街が新鮮に見えます。<br />

    先ほどまで、ずっと荒野だったため、街が新鮮に見えます。

  • 少し立派なモスクです。

    少し立派なモスクです。

  • ヨルダンに来て、初めて信号機を見ました。<br />ただ、信号機はありますが、横断歩道がありません。<br />ちなみにヨルダンは左ハンドル、車は右側通行です。

    ヨルダンに来て、初めて信号機を見ました。
    ただ、信号機はありますが、横断歩道がありません。
    ちなみにヨルダンは左ハンドル、車は右側通行です。

  • モスクはいたる所にあります。

    モスクはいたる所にあります。

  • なんだか、遠くに荒野以外の景色が見えてきました。<br />緑も見えます。

    なんだか、遠くに荒野以外の景色が見えてきました。
    緑も見えます。

  • 到着しました。<br />Jebel en Neba(ネボ山)です。<br />何もない山かと思っていたのですが、意外に立派です。<br />ツアーなので、事前に確認してませんでした。<br />あまり調べると、楽しみが半減してしまうので。

    到着しました。
    Jebel en Neba(ネボ山)です。
    何もない山かと思っていたのですが、意外に立派です。
    ツアーなので、事前に確認してませんでした。
    あまり調べると、楽しみが半減してしまうので。

    ネボ山 史跡・遺跡

    死海が見えます。 by noelさん
  • そしてバスを降りたら、ジリジリした暑さです。<br />40度ありました。<br />

    そしてバスを降りたら、ジリジリした暑さです。
    40度ありました。

  • こちらは標高802mあります。<br />死海が海抜マイナス400mですから、約1200mの差があります。

    こちらは標高802mあります。
    死海が海抜マイナス400mですから、約1200mの差があります。

  • モニュメントがあります。

    モニュメントがあります。

  • これは2000年にイタリアの彫刻家Vincenzo Bianchi(ヴィンチェンツォ・ビアンキ)によって作られました。<br />このモニュメントは2000年3月20日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪問を記念して造られました。

    これは2000年にイタリアの彫刻家Vincenzo Bianchi(ヴィンチェンツォ・ビアンキ)によって作られました。
    このモニュメントは2000年3月20日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪問を記念して造られました。

  • UNUS DEUS PATER OMNIUM SUPER OMNES<br />1つの神、万民の父が、万民の上にいます

    UNUS DEUS PATER OMNIUM SUPER OMNES
    1つの神、万民の父が、万民の上にいます

  • 入口の石標です。

    入口の石標です。

  • ネボ山についての記述があります。<br /><br />ネボ山には遠い古代から人が住んでいました。<br />申命記34章に記されているように、この地で起きた聖書の出来事、預言者モーゼの死に由来している場所です。<br /><br />モアブの低地からネボ山、エリコから東のピスガの頂上まで、主は彼に全土を示されました。<br />そこで主のしもべであるモーゼはモアブの地で、主の言われたとおりに亡くなりました。

    ネボ山についての記述があります。

    ネボ山には遠い古代から人が住んでいました。
    申命記34章に記されているように、この地で起きた聖書の出来事、預言者モーゼの死に由来している場所です。

    モアブの低地からネボ山、エリコから東のピスガの頂上まで、主は彼に全土を示されました。
    そこで主のしもべであるモーゼはモアブの地で、主の言われたとおりに亡くなりました。

  • 1 ローマ街道<br />2 メモリアル・モーゼ<br />3 ワディ・アイン・アル・カニサーのテオトコス修道院<br />4 アイン・ムーサ渓谷<br />5 ネボの町<br />6 ワディ・アル・ジャディイダ

    1 ローマ街道
    2 メモリアル・モーゼ
    3 ワディ・アイン・アル・カニサーのテオトコス修道院
    4 アイン・ムーサ渓谷
    5 ネボの町
    6 ワディ・アル・ジャディイダ

  • 外にあったモザイク画

    外にあったモザイク画

  • こちらもモザイク画です。<br />動物が描かれています。

    こちらもモザイク画です。
    動物が描かれています。

  • 孔雀のモザイクもあります。

    孔雀のモザイクもあります。

  • 真っ白な建物が見えました。<br />

    真っ白な建物が見えました。

  • こちらの方向にはAyn Musa(アイン・ムーサ)<br />つまり Mose&#39;s Spring(モーゼの泉)があります。<br /><br />渓谷です。自然豊かな地域です。<br />古代人がこの渓谷に居住していたことは、巨石と鉄器時代の要塞によって証明されてます。<br />ビザンチンの巡礼者によって記された巡礼記(特に384年のAetheria(エゲリア)の巡礼記)と考古学調査の記録によると、洞窟内に居住していた事や修道院で共同生活をしていた事がわかりました。<br />カヤノス教会、ディーコン・トーマスの教会などが発見されました。<br /><br />申命記によると、神はモーゼをBeth Peor(ベト・ペオル) に近いモアブの地の谷に葬られましたが、その墓を知る人はいません。(申命記34章6節)。<br />ただ、ベト・ペオルは、一説にはネボ山の山麓で知られるAyn Musa(アイン・ムーサ)であるとされてます。

    こちらの方向にはAyn Musa(アイン・ムーサ)
    つまり Mose's Spring(モーゼの泉)があります。

    渓谷です。自然豊かな地域です。
    古代人がこの渓谷に居住していたことは、巨石と鉄器時代の要塞によって証明されてます。
    ビザンチンの巡礼者によって記された巡礼記(特に384年のAetheria(エゲリア)の巡礼記)と考古学調査の記録によると、洞窟内に居住していた事や修道院で共同生活をしていた事がわかりました。
    カヤノス教会、ディーコン・トーマスの教会などが発見されました。

    申命記によると、神はモーゼをBeth Peor(ベト・ペオル) に近いモアブの地の谷に葬られましたが、その墓を知る人はいません。(申命記34章6節)。
    ただ、ベト・ペオルは、一説にはネボ山の山麓で知られるAyn Musa(アイン・ムーサ)であるとされてます。

  • 地図の右上にあるのが、モーゼの泉です。<br />左下にあるのが、ここです。<br /><br />先ほどワディ・ムーサの泉には行きましたので、こちらには行きません。

    地図の右上にあるのが、モーゼの泉です。
    左下にあるのが、ここです。

    先ほどワディ・ムーサの泉には行きましたので、こちらには行きません。

  • 十字架のような物が見えます。何でしょう。<br />ここはモーゼの終焉の地ですが。

    十字架のような物が見えます。何でしょう。
    ここはモーゼの終焉の地ですが。

  • 死海が見えます。<br />少し霞んでいますが、死海の先のイスラエルの地も見えてます。<br />今見えてるのは、エリコ付近かと思います。<br /><br />* イスラエルのエリコですが、エリコの戦いで有名です。<br />ただ、昔は「エリコ」ではなく、「ジェリコ」と習いました。<br />

    イチオシ

    死海が見えます。
    少し霞んでいますが、死海の先のイスラエルの地も見えてます。
    今見えてるのは、エリコ付近かと思います。

    * イスラエルのエリコですが、エリコの戦いで有名です。
    ただ、昔は「エリコ」ではなく、「ジェリコ」と習いました。

  • カナンの地です。<br />モーゼは、目の前にあるカナンの地を見ながら、おそらく涙を流したことでしょう。<br />エジプトを出発して、40年間も彷徨いました。<br />多くの同胞が亡くなりました。<br />自分の兄、アロンは、メリバの泉で神を怒らせたため、約束の地に入ることは許されませんでした。ホル山の上で亡くなりました。<br />そしてモーゼは自分の後継者としてヨシュアをたてて亡くなりました。<br />ヨシュアはその後、約束の地に入ることができました。<br /><br />神がイスラエルの民(アブラハムの子孫)に与えると約束した「約束の地」<br />「乳と蜜の流れる地」<br />ちなみに、今まで誤解していたのですが、この乳というのは牛の乳ではありません。<br />山羊の乳です。<br />そして蜜というのは蜂蜜でがありません。<br />なつめやし(デーツ)のことです。<br /><br />モーゼは約束の地であるカナンに、偵察のために何人かを送りました。<br />ただ、偵察してきた者たちは、カナンを攻略するのは無理であると報告しました。<br />また、中にはエジプトに戻るべきだと言った者までいました。<br />そんな中、ヨシュアは言いました。偵察して来た土地は、とても素晴らしい土地で、もし主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導いてくれるでしょう。<br />あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるでしょう。<br />主に背いてはなりません。彼らを恐れてはならない・・・と。<br />

    カナンの地です。
    モーゼは、目の前にあるカナンの地を見ながら、おそらく涙を流したことでしょう。
    エジプトを出発して、40年間も彷徨いました。
    多くの同胞が亡くなりました。
    自分の兄、アロンは、メリバの泉で神を怒らせたため、約束の地に入ることは許されませんでした。ホル山の上で亡くなりました。
    そしてモーゼは自分の後継者としてヨシュアをたてて亡くなりました。
    ヨシュアはその後、約束の地に入ることができました。

    神がイスラエルの民(アブラハムの子孫)に与えると約束した「約束の地」
    「乳と蜜の流れる地」
    ちなみに、今まで誤解していたのですが、この乳というのは牛の乳ではありません。
    山羊の乳です。
    そして蜜というのは蜂蜜でがありません。
    なつめやし(デーツ)のことです。

    モーゼは約束の地であるカナンに、偵察のために何人かを送りました。
    ただ、偵察してきた者たちは、カナンを攻略するのは無理であると報告しました。
    また、中にはエジプトに戻るべきだと言った者までいました。
    そんな中、ヨシュアは言いました。偵察して来た土地は、とても素晴らしい土地で、もし主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導いてくれるでしょう。
    あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるでしょう。
    主に背いてはなりません。彼らを恐れてはならない・・・と。

  • 死海をはさんで左側がエルサレムです。<br />その手前にエリコがあります。<br />そして右側がここ、ネボ山です。

    死海をはさんで左側がエルサレムです。
    その手前にエリコがあります。
    そして右側がここ、ネボ山です。

  • 出エジプトからカナンの地に入るまでの経路(推定)<br /><br />Rameses→ Succoth→Pi-hahiroth→ Marah→ Elim→ Wilderness of Sin→ <br />Rephidim→Mount Sinai→Sinai Wilderness→Wilderness Camps→ <br />Ezion-geber→Kadesh-barnea→ Eastern Wilderness→ Arnon River→<br />【Mount Nebo】( Moses viewed the promised land . Moses delivered his last three sermons.→Plains of Moab→Jordan River →Jericho <br /><br />ラメセス(ラムセス)→スコテ→ピハヒロテ(紅海を渡りました。)→メラ→エリム→シンの荒野→レピデム→シナイ山(ホレブ山またはジェベル・ムーサ) ここで主は十戒を啓示されました。→シナイの荒野→荒野の宿営地→エジオン・ゲベル→ カデシ・バルネア→東の荒野→アルノン川→ネボ山 (モーゼは約束の地を見ました。)→モアブの平野 →ヨルダン川→エリコ(イスラエルの子らはこの町を奪い、滅ぼしました。)<br /><br />参照<br />https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bible-maps/map-2?lang=eng

    出エジプトからカナンの地に入るまでの経路(推定)

    Rameses→ Succoth→Pi-hahiroth→ Marah→ Elim→ Wilderness of Sin→
    Rephidim→Mount Sinai→Sinai Wilderness→Wilderness Camps→
    Ezion-geber→Kadesh-barnea→ Eastern Wilderness→ Arnon River→
    【Mount Nebo】( Moses viewed the promised land . Moses delivered his last three sermons.→Plains of Moab→Jordan River →Jericho

    ラメセス(ラムセス)→スコテ→ピハヒロテ(紅海を渡りました。)→メラ→エリム→シンの荒野→レピデム→シナイ山(ホレブ山またはジェベル・ムーサ) ここで主は十戒を啓示されました。→シナイの荒野→荒野の宿営地→エジオン・ゲベル→ カデシ・バルネア→東の荒野→アルノン川→ネボ山 (モーゼは約束の地を見ました。)→モアブの平野 →ヨルダン川→エリコ(イスラエルの子らはこの町を奪い、滅ぼしました。)

    参照
    https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bible-maps/map-2?lang=eng

  • 白亜の建物は教会のようです。十字架があります。<br />その手前には遺跡の石があります。<br />これはモーゼの記念教会です。<br />フランシスコ会によって建てられました。<br />そして最近、新しくなりました。

    白亜の建物は教会のようです。十字架があります。
    その手前には遺跡の石があります。
    これはモーゼの記念教会です。
    フランシスコ会によって建てられました。
    そして最近、新しくなりました。

  • スラリと伸びた糸杉です。

    スラリと伸びた糸杉です。

  • ロープの中には入れません。<br />遺跡の石です。

    ロープの中には入れません。
    遺跡の石です。

  • 教会はモーゼの亡くなった場所を記念して、4世紀後半に建設しました。<br />そして5世紀後半に再建し拡張しました。<br /><br />フラシスコ会は1932年にこの場所を購入し、教会と修道院の遺跡を発掘し、大聖堂を再建しました。<br />この期間中、考古学的遺跡を保護するために保護シェルターが設置されました。<br /><br />また、2016年から2019年頃に改装されました。

    教会はモーゼの亡くなった場所を記念して、4世紀後半に建設しました。
    そして5世紀後半に再建し拡張しました。

    フラシスコ会は1932年にこの場所を購入し、教会と修道院の遺跡を発掘し、大聖堂を再建しました。
    この期間中、考古学的遺跡を保護するために保護シェルターが設置されました。

    また、2016年から2019年頃に改装されました。

  • The Brazen Serpent Monument(青銅の蛇のモニュメント)<br /><br />

    The Brazen Serpent Monument(青銅の蛇のモニュメント)

  • ヘブライ人の人々がモーゼに不平を言った時、<br />主なる神は「 炎の蛇」を民に向かって送り、蛇は人々をかみ、多くの人が亡くなりました。<br />これは民数記21章に記されています。<br /><br />人々は後悔してモーゼに言いました。「私たちは主とあなたを非難して、罪を犯しました 。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」<br /><br />すると神はモーゼに言いました。<br />「炎の蛇を造り、旗竿の先に 掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」と。(民数記21章8節)<br />モーゼは青銅で「炎のような蛇」を造りました。<br />そしてそれを旗竿の先に掲げました。<br />すると「蛇が人を かんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命は救われた」と聖書は伝えます。

    ヘブライ人の人々がモーゼに不平を言った時、
    主なる神は「 炎の蛇」を民に向かって送り、蛇は人々をかみ、多くの人が亡くなりました。
    これは民数記21章に記されています。

    人々は後悔してモーゼに言いました。「私たちは主とあなたを非難して、罪を犯しました 。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」

    すると神はモーゼに言いました。
    「炎の蛇を造り、旗竿の先に 掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」と。(民数記21章8節)
    モーゼは青銅で「炎のような蛇」を造りました。
    そしてそれを旗竿の先に掲げました。
    すると「蛇が人を かんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命は救われた」と聖書は伝えます。

  • モーゼが砂漠で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。<br />それは、信じる者が皆、永遠の命を得るためです。<br />ヨハネによる福音書 3章14-15節<br /><br />これは、十字架に掛けられるイエス・キリストをも象徴しています。<br /><br />怒りの中にあっても、憐れみを施される神を覚えさせるモニュメントでもあります。

    モーゼが砂漠で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。
    それは、信じる者が皆、永遠の命を得るためです。
    ヨハネによる福音書 3章14-15節

    これは、十字架に掛けられるイエス・キリストをも象徴しています。

    怒りの中にあっても、憐れみを施される神を覚えさせるモニュメントでもあります。

  • うっすらとですが、目の前に死海が見えます。<br />

    うっすらとですが、目の前に死海が見えます。

  • 教会の中に入ります。<br />列柱が並んでいます。

    教会の中に入ります。
    列柱が並んでいます。

  • 1933年、山頂部でシャーガ(Syagha〈ラース・エ・シャーガ〉)教会と修道院の跡が発見されました。<br />教会は4世紀後半にモーゼの亡くなった場所をしのんで建てられました。<br />教会の構造は典型的なバシリカ様式でした。<br />教会は5世紀後半に拡張され、597年に建て直されました。<br /><br />前述しましたが、エゲリアと言う一人の女性の巡礼記に記されています。<br />モザイクの教会の床下から、天然の岩をくり抜いたお墓が6基発見されました。<br />モザイク画は修復されて、モザイクの床の断片を見ることができます。<br />

    1933年、山頂部でシャーガ(Syagha〈ラース・エ・シャーガ〉)教会と修道院の跡が発見されました。
    教会は4世紀後半にモーゼの亡くなった場所をしのんで建てられました。
    教会の構造は典型的なバシリカ様式でした。
    教会は5世紀後半に拡張され、597年に建て直されました。

    前述しましたが、エゲリアと言う一人の女性の巡礼記に記されています。
    モザイクの教会の床下から、天然の岩をくり抜いたお墓が6基発見されました。
    モザイク画は修復されて、モザイクの床の断片を見ることができます。

  • ディアコニコン洗礼堂のモザイクです。<br />ライオン、トラ、クマ、イノシシ、シマウマ、ひもにつないでいるダチョウ、ラクダの形をしたキリンなど、さまざまなアフリカの動物が・・・狩猟と放牧のシーンも描かれてます。<br />

    ディアコニコン洗礼堂のモザイクです。
    ライオン、トラ、クマ、イノシシ、シマウマ、ひもにつないでいるダチョウ、ラクダの形をしたキリンなど、さまざまなアフリカの動物が・・・狩猟と放牧のシーンも描かれてます。

  • 最初の教会は、おそらく2本の柱によって、身廊と2つの側廊に分かれて、内陣に3つのお墓がありました。<br />また考古学的調査に基づいて、教会とモザイクは5世紀後半のものと推定されます。<br />身廊の軸に沿って、まさに山の頂上で見つかった空の墓は、おそらくこの最初の段階で建てられたものと思われます。装飾された大理石を再利用して作られた質の高さと、完全に空の状態で発見されたという事実は、この埋葬が特別な崇拝の対象であったことを示唆しています。

    最初の教会は、おそらく2本の柱によって、身廊と2つの側廊に分かれて、内陣に3つのお墓がありました。
    また考古学的調査に基づいて、教会とモザイクは5世紀後半のものと推定されます。
    身廊の軸に沿って、まさに山の頂上で見つかった空の墓は、おそらくこの最初の段階で建てられたものと思われます。装飾された大理石を再利用して作られた質の高さと、完全に空の状態で発見されたという事実は、この埋葬が特別な崇拝の対象であったことを示唆しています。

  • 根本的な変革は明らかに6世紀の40年間に起こりました。<br />墓は放棄され、内陣の後ろの3つの部屋と3つの通路が取り壊され、3つの通路が延長されました。<br />さらに、洗礼盤を備えたディアコニコン礼拝堂が、身廊より1m低いテラスに建設されました。フロアは極上のモザイクで覆われました。

    根本的な変革は明らかに6世紀の40年間に起こりました。
    墓は放棄され、内陣の後ろの3つの部屋と3つの通路が取り壊され、3つの通路が延長されました。
    さらに、洗礼盤を備えたディアコニコン礼拝堂が、身廊より1m低いテラスに建設されました。フロアは極上のモザイクで覆われました。

  • 旧約聖書 申命記34章<br />1節<br />モーゼはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行きました。そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示しました。<br />2節<br />ナフタリの全部、エフライムとマナセの地およびユダの全地を西の海まで示しました。<br />3節<br />ネゲブと低地、すなわち、棕櫚の町エリコの谷をゾアルまで示されました。<br />4節<br />そして主は彼に言われました。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれです。わたしはこれをあなたの目に見せますが、あなたはそこへ渡って行くことはできません。」<br />5節<br />こうして主のしもべモーゼは主の言葉のとおりにモアブの地で亡くなりました。<br />6節<br />主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られましたが、今日までその墓を知る人はいません。<br />7節<br />モーゼは死んだ時、120歳でしたが、目はかすまず、気力は衰えていませんでした。<br />8節<br />イスラエルの人々は、モアブの平野で30日間モーゼのために泣きました。そしてモーゼのために嘆き悲しむ日はついに終りました。<br />9節<br />ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちた人でした。モーゼが彼の上に手を置いたからです。イスラエルの人々は彼に従い、主がモーゼに命じられたとおりに行いました。<br />10節<br />イスラエルには、この後モーゼのような預言者は現れませんでした。モーゼは主と顔と顔を合わせて選び出されました。<br />11節<br />主はエジプトの地で彼をパロとその全ての家来、その全地につかわして、諸々のしるしと奇跡を行いました。<br />12節<br />モーゼはイスラエルのすべての人の前で大いなる力をあらわし、大いなる恐るべき事をおこないました。

    旧約聖書 申命記34章
    1節
    モーゼはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行きました。そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示しました。
    2節
    ナフタリの全部、エフライムとマナセの地およびユダの全地を西の海まで示しました。
    3節
    ネゲブと低地、すなわち、棕櫚の町エリコの谷をゾアルまで示されました。
    4節
    そして主は彼に言われました。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれです。わたしはこれをあなたの目に見せますが、あなたはそこへ渡って行くことはできません。」
    5節
    こうして主のしもべモーゼは主の言葉のとおりにモアブの地で亡くなりました。
    6節
    主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られましたが、今日までその墓を知る人はいません。
    7節
    モーゼは死んだ時、120歳でしたが、目はかすまず、気力は衰えていませんでした。
    8節
    イスラエルの人々は、モアブの平野で30日間モーゼのために泣きました。そしてモーゼのために嘆き悲しむ日はついに終りました。
    9節
    ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちた人でした。モーゼが彼の上に手を置いたからです。イスラエルの人々は彼に従い、主がモーゼに命じられたとおりに行いました。
    10節
    イスラエルには、この後モーゼのような預言者は現れませんでした。モーゼは主と顔と顔を合わせて選び出されました。
    11節
    主はエジプトの地で彼をパロとその全ての家来、その全地につかわして、諸々のしるしと奇跡を行いました。
    12節
    モーゼはイスラエルのすべての人の前で大いなる力をあらわし、大いなる恐るべき事をおこないました。

  • 祭壇です。(フランシスコ修道会の教会)<br />ステンドグラスから日差しが差し込んできて綺麗です。<br />アロン、ミリアム、青銅の蛇の下に立つモーゼが描かれています。

    祭壇です。(フランシスコ修道会の教会)
    ステンドグラスから日差しが差し込んできて綺麗です。
    アロン、ミリアム、青銅の蛇の下に立つモーゼが描かれています。

  • こちらにも蛇の十字架があります。<br /><br />聖書の一節によると、紀元前6世紀、バビロニア人が、エルサレムを攻撃した時、契約の箱は、ネボ山に隠されました。その侵攻中に、ソロモンの最初の神殿は完全に破壊され、契約の箱は消えて、2度と見ることができませんでした。

    イチオシ

    こちらにも蛇の十字架があります。

    聖書の一節によると、紀元前6世紀、バビロニア人が、エルサレムを攻撃した時、契約の箱は、ネボ山に隠されました。その侵攻中に、ソロモンの最初の神殿は完全に破壊され、契約の箱は消えて、2度と見ることができませんでした。

  • 祭壇へのステップで、ここまでは立ち入ることができます。<br />そこから下を写しました。

    祭壇へのステップで、ここまでは立ち入ることができます。
    そこから下を写しました。

  • 十字架のモザイクです。<br />十字架に蛇が巻き付いているように描かれているのだと思います。<br />モーゼの杖と十字架・・・。<br /><br />青銅の杖は、後にミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描いています。<br />モーゼ自身は描かれていませんが。<br />ルーベンス、ヴァン・ダイク・・・なども、この青銅の蛇を描いています。<br /><br />モーゼの青銅の杖は、モーゼの石板とともに重要な持ち物でした。

    十字架のモザイクです。
    十字架に蛇が巻き付いているように描かれているのだと思います。
    モーゼの杖と十字架・・・。

    青銅の杖は、後にミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描いています。
    モーゼ自身は描かれていませんが。
    ルーベンス、ヴァン・ダイク・・・なども、この青銅の蛇を描いています。

    モーゼの青銅の杖は、モーゼの石板とともに重要な持ち物でした。

  • Theotokos Chapel<br />聖母マリアに捧げられ、604年頃、増築されました。<br />出口のドアの隣りにあり、以前は修道院の3つの部屋があった場所に増築されました。<br />その後陣には、チボリウム(聖体の器)または、祭壇の天蓋と思われる四角い物体のモザイクがありました。<br />また、礼拝堂の床には、植物や花のモザイクが敷き詰められています。

    Theotokos Chapel
    聖母マリアに捧げられ、604年頃、増築されました。
    出口のドアの隣りにあり、以前は修道院の3つの部屋があった場所に増築されました。
    その後陣には、チボリウム(聖体の器)または、祭壇の天蓋と思われる四角い物体のモザイクがありました。
    また、礼拝堂の床には、植物や花のモザイクが敷き詰められています。

  • このモザイクではありませんが、中には、ライオンと格闘しているシーンもあります。<br />また、植物が多く描かれてます。ぶどうがはっきりわかりました。<br />他には魚の絵もあります。ちょっと可愛いお魚です。

    このモザイクではありませんが、中には、ライオンと格闘しているシーンもあります。
    また、植物が多く描かれてます。ぶどうがはっきりわかりました。
    他には魚の絵もあります。ちょっと可愛いお魚です。

  • Syagha Ninastery(シャーガ修道院)<br /><br />修道院の複合施設は、大聖堂を囲んでいくつかの部屋がありました。<br />最も古いのは大聖堂の南側の部屋と、ファサードの前の北側の部屋でした。<br />6世紀に改築された後、新しい複合施設が、西と南に沿って建設されました。<br />同じ時期にアトリウムは巡礼者のためのホスピスとして長いアーチのある物に建設されたようです。また、隠者のための孤立した建物も発見されています。

    Syagha Ninastery(シャーガ修道院)

    修道院の複合施設は、大聖堂を囲んでいくつかの部屋がありました。
    最も古いのは大聖堂の南側の部屋と、ファサードの前の北側の部屋でした。
    6世紀に改築された後、新しい複合施設が、西と南に沿って建設されました。
    同じ時期にアトリウムは巡礼者のためのホスピスとして長いアーチのある物に建設されたようです。また、隠者のための孤立した建物も発見されています。

  • その後、南東の棟を除いて修道院の建物が周囲の壁に組み込まれました。<br />ファサードに隣接する2つの部屋の床はモザイクになっています。<br />修道院のいくつかの部屋はアッバース朝の時代以降に再建された可能性があるようです。

    その後、南東の棟を除いて修道院の建物が周囲の壁に組み込まれました。
    ファサードに隣接する2つの部屋の床はモザイクになっています。
    修道院のいくつかの部屋はアッバース朝の時代以降に再建された可能性があるようです。

  • オリーブの木です。<br />2000年3月20日、ヨハネ・パウロ2世は、聖地への巡礼のため、アンマンに上陸しました。彼はネボ山から、預言者モーゼに約束された地を眺めました。<br />この機会に彼は、この土地に住んでいる人々に敬意を表し、平和の象徴として、オリーブを植樹しました。

    オリーブの木です。
    2000年3月20日、ヨハネ・パウロ2世は、聖地への巡礼のため、アンマンに上陸しました。彼はネボ山から、預言者モーゼに約束された地を眺めました。
    この機会に彼は、この土地に住んでいる人々に敬意を表し、平和の象徴として、オリーブを植樹しました。

  • この聖地を管理しているのは、マイナー修道会(フランシスコ修道会)<br />ネボ山のモーゼの記念碑<br /><br />ジャン・バティスタ・マッソリーニを偲んで(1940-1996年)<br /><br />資金提供<br />マッソリーニ・ファミリー、イタリア聖公公会議、イタリアの協力、カナダ基金

    この聖地を管理しているのは、マイナー修道会(フランシスコ修道会)
    ネボ山のモーゼの記念碑

    ジャン・バティスタ・マッソリーニを偲んで(1940-1996年)

    資金提供
    マッソリーニ・ファミリー、イタリア聖公公会議、イタリアの協力、カナダ基金

  • 集合時間になってしまい、とりあえず展示物を撮りましたが、解説を撮れなかったため、何であるのか不明です。<br />基盤になった石だとは思います。

    集合時間になってしまい、とりあえず展示物を撮りましたが、解説を撮れなかったため、何であるのか不明です。
    基盤になった石だとは思います。

  • エルサレムからネボ山までの巡礼者の道

    エルサレムからネボ山までの巡礼者の道

  • おそらく遺跡のジオラマだったと思います。<br />解説がないため、間違ってたらごめんなさい。

    おそらく遺跡のジオラマだったと思います。
    解説がないため、間違ってたらごめんなさい。

  • 762年のギリシャ語のモザイクの碑文<br />「アレクシオスとテオフィロスの司祭の時代のカエサリオンの捧げ物

    762年のギリシャ語のモザイクの碑文
    「アレクシオスとテオフィロスの司祭の時代のカエサリオンの捧げ物

  • カヤノス教会のモザイク

    カヤノス教会のモザイク

  • アルムカヤット修道院のモザイクの床<br /><br /><br /><br />

    アルムカヤット修道院のモザイクの床



  • 小さいのですが、ミニ博物館でした。<br />あわただしく猛スピードで見ました。<br />もはや見ている内に入りませんでした。(-_-;)

    小さいのですが、ミニ博物館でした。
    あわただしく猛スピードで見ました。
    もはや見ている内に入りませんでした。(-_-;)

  • 後ろ髪を引かれる感じのまま、モーゼ終焉の地、ネボ山を後にします。<br />綺麗に舗装されて歩きやすく、モーゼが訪れた時とはだいぶ違うでしょう。

    後ろ髪を引かれる感じのまま、モーゼ終焉の地、ネボ山を後にします。
    綺麗に舗装されて歩きやすく、モーゼが訪れた時とはだいぶ違うでしょう。

  • 入場ゲート横のショップです。<br />こちらも気になりつつもスルーしました。<br />きっと一人で来たら、このネボ山の観光だけでもダラダラと半日はかかっていたでしょう。

    入場ゲート横のショップです。
    こちらも気になりつつもスルーしました。
    きっと一人で来たら、このネボ山の観光だけでもダラダラと半日はかかっていたでしょう。

  • さて、バスを下車して、マダバの街にやってきました。<br />ヨルダン王国フセイン皇太子とラジワ妃のポスターが至る所に貼られています。<br />2023年6月1日のご結婚で祝賀ムードです。<br />世界中のVIPや王族が祝福に訪れました。<br />日本からも高円宮家の久子様、承子様が参列しました。

    さて、バスを下車して、マダバの街にやってきました。
    ヨルダン王国フセイン皇太子とラジワ妃のポスターが至る所に貼られています。
    2023年6月1日のご結婚で祝賀ムードです。
    世界中のVIPや王族が祝福に訪れました。
    日本からも高円宮家の久子様、承子様が参列しました。

  • マダバのビジターセンターです。<br />この左下に駐車場があります。<br /><br />マダバとは、新鮮で穏やかな水を意味します。<br />マダバ市は首都アンマンの南西 30 km に位置しています。<br />人口は 65,000 人です。<br />

    マダバのビジターセンターです。
    この左下に駐車場があります。

    マダバとは、新鮮で穏やかな水を意味します。
    マダバ市は首都アンマンの南西 30 km に位置しています。
    人口は 65,000 人です。

  • King Hussain Mosque(キング・ハッサン・モスク)の先に教会があります。

    King Hussain Mosque(キング・ハッサン・モスク)の先に教会があります。

  • こちらにも皇太子とその妃を祝うポスターが掲げられてます。<br />この通りはキング・ハッサン通りです。

    こちらにも皇太子とその妃を祝うポスターが掲げられてます。
    この通りはキング・ハッサン通りです。

  • こちらから教会に入ります。

    こちらから教会に入ります。

  • 木々の奥には教会のファサードが見えます。<br />そして鐘楼が真正面に見えます。

    木々の奥には教会のファサードが見えます。
    そして鐘楼が真正面に見えます。

    聖ジョージ教会 寺院・教会

    修復中でしたが、精巧なモザイク画は見られました。 by noelさん
  • St.George Church(聖ジョージ教会)<br />こちらはギリシャ正教会です。

    St.George Church(聖ジョージ教会)
    こちらはギリシャ正教会です。

  • マダバのモザイク地図のコピーです。<br />教会の敷地内には教会の歴史や地図を開設する部屋があります。<br /><br />この地図にはエルサレムは勿論ですが、地中海やシナイ山、ナイル・デルタまで描かれています。<br />特に面白いのは、画面中央付近の死海ですが、④のヨルダン川から③の死海に向かった魚が、塩分濃度の濃い死海に吃驚して、すぐに戻っているところです。(笑)<br />

    マダバのモザイク地図のコピーです。
    教会の敷地内には教会の歴史や地図を開設する部屋があります。

    この地図にはエルサレムは勿論ですが、地中海やシナイ山、ナイル・デルタまで描かれています。
    特に面白いのは、画面中央付近の死海ですが、④のヨルダン川から③の死海に向かった魚が、塩分濃度の濃い死海に吃驚して、すぐに戻っているところです。(笑)

  • 死海部分を拡大しました。<br /><br />中央が死海ですが、船が見えます。<br />上記のように死海には魚はいませんが、実は天然資源があります。<br />これは死海文書に書かれていました。<br />ナバテアでは湖の底から吐き出されたビチューメン(天然アスファルト)が独占的に産出されていたようです。<br />ビチューメンは船体の継ぎ目をふさぐ艤装(ぎそう)業者や、ミイラを作るエジプトの死体防腐処置人との間で売買されました。<br />死海の水に豊富に含まれる塩や硫化物は、ローマにまで運ばれました。沿岸ではバルサムモミが栽培され、その樹皮からとられたエッセンスがエリコの有名な香水製造業者の手に渡ったそうです。<br /><br />ちなみに死海周辺の交通事情に関しては、古代の歴史家たちの証言によって、かなり明らかにされています。<br />ナバテア人とギリシア人は小舟で死海に出て、ビチューメン(天然アスファルト)の塊を採取しました。<br />またローマ軍は、死海の沖合に逃げた第2次ユダヤ戦争時の反徒たちを湖上に追跡しました。

    死海部分を拡大しました。

    中央が死海ですが、船が見えます。
    上記のように死海には魚はいませんが、実は天然資源があります。
    これは死海文書に書かれていました。
    ナバテアでは湖の底から吐き出されたビチューメン(天然アスファルト)が独占的に産出されていたようです。
    ビチューメンは船体の継ぎ目をふさぐ艤装(ぎそう)業者や、ミイラを作るエジプトの死体防腐処置人との間で売買されました。
    死海の水に豊富に含まれる塩や硫化物は、ローマにまで運ばれました。沿岸ではバルサムモミが栽培され、その樹皮からとられたエッセンスがエリコの有名な香水製造業者の手に渡ったそうです。

    ちなみに死海周辺の交通事情に関しては、古代の歴史家たちの証言によって、かなり明らかにされています。
    ナバテア人とギリシア人は小舟で死海に出て、ビチューメン(天然アスファルト)の塊を採取しました。
    またローマ軍は、死海の沖合に逃げた第2次ユダヤ戦争時の反徒たちを湖上に追跡しました。

  • エルサレムの市内を拡大しました。<br />こちらには「カルド」と呼ばれるローマ帝国が築いた円柱の並ぶ道です。はっきり描かれています。<br />2007年の発掘調査で、この遺跡が見つかっています。<br />実際に、エルサレムで見てきました。

    エルサレムの市内を拡大しました。
    こちらには「カルド」と呼ばれるローマ帝国が築いた円柱の並ぶ道です。はっきり描かれています。
    2007年の発掘調査で、この遺跡が見つかっています。
    実際に、エルサレムで見てきました。

  • Greel Orthodox Church MADABA St.George<br />ギリシャ正教会 マダバ<br /><br />

    Greel Orthodox Church MADABA St.George
    ギリシャ正教会 マダバ

  • 聖ジョージ(ゲオルギウス)<br /><br />元々はギリシア系ローマ軍の将校でした。<br />彼はカッパドキアでギリシャのクリスチャンの両親のもとに生まれましたが、キリスト教の信仰を撤回することを拒否し、死刑宣告されました。<br /><br />伝説では、聖ジョージはドラゴンを退治します。<br />ただ、ドラゴンが村人に賛辞を強要したからです。村人がドラゴンのための家畜と装身具を使い果たし、年に一度人間の賛辞をあきらめ始め、次の供物として王女が選ばれることに・・。そこでごドラゴンを退治し、王女を救います。

    聖ジョージ(ゲオルギウス)

    元々はギリシア系ローマ軍の将校でした。
    彼はカッパドキアでギリシャのクリスチャンの両親のもとに生まれましたが、キリスト教の信仰を撤回することを拒否し、死刑宣告されました。

    伝説では、聖ジョージはドラゴンを退治します。
    ただ、ドラゴンが村人に賛辞を強要したからです。村人がドラゴンのための家畜と装身具を使い果たし、年に一度人間の賛辞をあきらめ始め、次の供物として王女が選ばれることに・・。そこでごドラゴンを退治し、王女を救います。

  • 残念ながら改装中でした。<br />ビニールごしに見ます。<br />通常の教会とはだいぶ違います。

    残念ながら改装中でした。
    ビニールごしに見ます。
    通常の教会とはだいぶ違います。

  • これこそが、地図モザイクです。<br />このほぼ中央の少し上がエルサレムです。<br /><br />このように断片的にではありますが、560年頃のビザンチン時代のパレスチナと周辺の国をモザイクで描いています。最古の物です。<br />こちらにあるのは、16m×5mぐらいです。<br />オリジナルは21m×7mでした。

    これこそが、地図モザイクです。
    このほぼ中央の少し上がエルサレムです。

    このように断片的にではありますが、560年頃のビザンチン時代のパレスチナと周辺の国をモザイクで描いています。最古の物です。
    こちらにあるのは、16m×5mぐらいです。
    オリジナルは21m×7mでした。

  • 上部はシナイ山です。<br />教会いっぱいに敷き詰めらえたモザイク画は凄いです。<br />このオリジナルは約200万個のピースで構成されていたようです。

    上部はシナイ山です。
    教会いっぱいに敷き詰めらえたモザイク画は凄いです。
    このオリジナルは約200万個のピースで構成されていたようです。

  • 教会は全体的に修復中でしたが、とりあえずこのモザイク画が観られて良かったです。かなり精巧に描かれています。

    教会は全体的に修復中でしたが、とりあえずこのモザイク画が観られて良かったです。かなり精巧に描かれています。

  • 中央の絵はキリスト昇天の場面のようです。<br /><br />このモザイクは、たまたま19世紀の後半になってから、偶然に発見されました。<br />家を作っている最中にモザイクが出てきたようです。<br />この偶然に感謝します。<br />

    中央の絵はキリスト昇天の場面のようです。

    このモザイクは、たまたま19世紀の後半になってから、偶然に発見されました。
    家を作っている最中にモザイクが出てきたようです。
    この偶然に感謝します。

  • 本来は祭壇には立ち入ることができないはずですが、このような状態のため、中に入れました。<br />ただ、ここにあるべきイコンはなく、残念でした。<br />左は聖ジョージでしょうか・・・。

    本来は祭壇には立ち入ることができないはずですが、このような状態のため、中に入れました。
    ただ、ここにあるべきイコンはなく、残念でした。
    左は聖ジョージでしょうか・・・。

  • Feast of Transfguration(主の変容)<br /><br />イイスス・ハリストスが高い山に使徒3人を伴って登り、モーゼとエリヤと語り合いながら白く輝く姿を使徒たちに示したと福音書に記された出来事です。<br /><br />主の変容祭、または顕栄祭・・正教会の12大祭の1つの祭りです。<br />修復中のため立ち入れない箇所もあり、正面から撮れませんでした。<br /><br />※ イイスス・ハリストスとは、イエス・キリストのギリシャ語読みです。<br />

    Feast of Transfguration(主の変容)

    イイスス・ハリストスが高い山に使徒3人を伴って登り、モーゼとエリヤと語り合いながら白く輝く姿を使徒たちに示したと福音書に記された出来事です。

    主の変容祭、または顕栄祭・・正教会の12大祭の1つの祭りです。
    修復中のため立ち入れない箇所もあり、正面から撮れませんでした。

    ※ イイスス・ハリストスとは、イエス・キリストのギリシャ語読みです。

  • Resurrection of Jesus(イエスの復活)

    Resurrection of Jesus(イエスの復活)

  • イサクを捧げるアブラハム(旧約聖書 創世記22章1節から19節)<br /><br />愛する息子に刃物を振り上げてる場面です。神の使いがそれを制止させてます。<br /><br />旧約聖書の創世記22章1節から19節にあるアブラハムの話です。<br />不妊の妻との間に、高齢になってから生まれた一人息子イサクを、生贄に捧げるよう神に命じられました。そして愛するイサクの上に刃物を振り上げた瞬間、神の使いが現れて、その行為を止めました。<br />アブラハムの信仰心は、その後もユダヤ教徒のみならず、キリスト教徒、イスラム教徒によっても讃えられてます。<br /><br />信仰心のない私にとっては信じがたいのですが、そんな純真な信仰する気持ちを持ちたいものです。(・_・;<br />ちなみに、現在の世の中で、これを行ったら殺人罪になります。<br />神の使いが止めてくれたら良いものの、間に合わなかったら、刑務所行きです。<br />何とも微妙です。(・_・;(・_・;(・_・;

    イサクを捧げるアブラハム(旧約聖書 創世記22章1節から19節)

    愛する息子に刃物を振り上げてる場面です。神の使いがそれを制止させてます。

    旧約聖書の創世記22章1節から19節にあるアブラハムの話です。
    不妊の妻との間に、高齢になってから生まれた一人息子イサクを、生贄に捧げるよう神に命じられました。そして愛するイサクの上に刃物を振り上げた瞬間、神の使いが現れて、その行為を止めました。
    アブラハムの信仰心は、その後もユダヤ教徒のみならず、キリスト教徒、イスラム教徒によっても讃えられてます。

    信仰心のない私にとっては信じがたいのですが、そんな純真な信仰する気持ちを持ちたいものです。(・_・;
    ちなみに、現在の世の中で、これを行ったら殺人罪になります。
    神の使いが止めてくれたら良いものの、間に合わなかったら、刑務所行きです。
    何とも微妙です。(・_・;(・_・;(・_・;

  • ちなみに、このマダバの南西約18キロには、Mukawir(ムカウィル)<br />またはMachaetus(マカエラス)があります。<br />悪名高いヘロデ王が紀元前1世紀に築いた城塞です。<br />ヘロデ・アンティパスです。<br />サロメがヨハネの首を取ったとされる場所です。<br />この近隣は歴史の舞台になった場所の宝庫です。

    ちなみに、このマダバの南西約18キロには、Mukawir(ムカウィル)
    またはMachaetus(マカエラス)があります。
    悪名高いヘロデ王が紀元前1世紀に築いた城塞です。
    ヘロデ・アンティパスです。
    サロメがヨハネの首を取ったとされる場所です。
    この近隣は歴史の舞台になった場所の宝庫です。

  • ランチタイムです。<br />Haret Jdoudna Restaurant &amp; Craft Shop

    ランチタイムです。
    Haret Jdoudna Restaurant & Craft Shop

    ハーレット ジュドゥードゥナ 地元の料理

    開放的なパティオは心地良かったです。 by noelさん
  • お店のパティオの中央のテーブルに案内されました。

    お店のパティオの中央のテーブルに案内されました。

  • 大皿料理です。<br />少し暑いのですが、気持ちのよいレストランでした。

    大皿料理です。
    少し暑いのですが、気持ちのよいレストランでした。

  • 2階にも席がたくさんあります。

    2階にも席がたくさんあります。

  • 大型の冷風機が私の横にありました。<br />助かります。

    大型の冷風機が私の横にありました。
    助かります。

  • みんなで取り分けていただきました。<br />美味しかったと思います。

    みんなで取り分けていただきました。
    美味しかったと思います。

  • お店の入口付近の様子<br />古い写真が展示してありました。

    お店の入口付近の様子
    古い写真が展示してありました。

  • 通りに面した様子です。

    通りに面した様子です。

  • お店から出てきて振り返った様子です。<br />お店がたくさん並んでいて賑わっていました。

    お店から出てきて振り返った様子です。
    お店がたくさん並んでいて賑わっていました。

  • 見覚えのあるアニメのキャラクターのリュックも並んでます。<br />どこの国も似ています。

    見覚えのあるアニメのキャラクターのリュックも並んでます。
    どこの国も似ています。

  • 衣類からモザイク画、土産物がたくさん並んでいます。<br />

    衣類からモザイク画、土産物がたくさん並んでいます。

  • モザイクで有名なマダバの街です。<br />モザイクのお店がたくさんありました。<br />1つ欲しかったです。(・_・;(・_・;(・_・;

    モザイクで有名なマダバの街です。
    モザイクのお店がたくさんありました。
    1つ欲しかったです。(・_・;(・_・;(・_・;

  • さすがはモザイクの街です。<br />駐車場の壁画には、ヨルダンの北から南まで様々な名所の地図が描かれています。

    さすがはモザイクの街です。
    駐車場の壁画には、ヨルダンの北から南まで様々な名所の地図が描かれています。

  • 次は首都アンマン向かいます。<br />この付近は、歴史上の要衝地の地であると感じました。

    次は首都アンマン向かいます。
    この付近は、歴史上の要衝地の地であると感じました。

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この旅行記へのコメント (10)

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  • hot chocolateさん 2023/11/14 16:58:29
    モーゼの足跡を辿る旅
    noelさま

    こんばんは。
    2008年にヨルダンとシリア(ツアーで)、2014年にはヨルダンとイスタンブール(個人旅行)に行きました。
    ツアーで行った時は、ヨルダンの北から南まで、旧約聖書の世界も巡りました。
    旧約聖書の世界は、断片的に知っていたのですが、こちらの旅行記で15年前の旅行を思い出すとともに、旧約聖書の世界も思い返せました。

    モーゼが杖で叩いたといわれる岩と今もわく泉、モーゼの泉では、奇跡のような信じられない出来事が起こりました。
    ツアーメンバーの一人が(結構高齢の方ですが、中東の歴史が好きな、とても美しく素敵な姉妹の妹さんの方が)モーゼに気に入られたのか(!?)泉に落ちてしまったのです。
    それも、普通、水に落ちる時は、ばしゃ~んとか早い速度で落ちるものですが、この時はまるでスローモーションを見るように、ふわ~っとゆっくりと落ちて行ったのです。
    周りにいた人たちは、一体何が起こったのか、わかりませんでした。
    私の目に映ったのは、ゆっくりと落ちていく彼女の姿でした。(わずか50センチぐらいの高さからですけど・・・)
    今でもその様子が目に焼き付いています。モーゼの奇跡!?

    モーゼの「十戒」や「出エジプト記」、昔、昔、映画で何度も見ました。
    私は奇跡を信じることが出来ない無信心者ですが、信者の方たちは信じられるのでしょうね~。

    今週、ヨルダンではありませんが、中東の旅に出ます。

    急に寒くなってきましたので、ご自愛くださいね。

    hot choco

    noel

    noelさん からの返信 2023/11/14 20:58:11
    RE: モーゼの足跡を辿る旅
    hot chocolateさま

    こんばんは。
    いつもありがとうございます。
    hot chocolateさんの旅行記、参考にさせていただきました。

    モーゼの泉、不思議なことが起きたんですね。
    落ちてしまった方、お気の毒です!
    でも、これこそが奇跡かもしれません。
    お陰で忘れられない旅になったんですね。

    > モーゼの「十戒」や「出エジプト記」、昔、昔、映画で何度も見ました。

    映画館では観てないのですが、テレビで何度も放映されているので、よく見ています。(笑)

    今週、旅行ですか・・・。
    お忙しい時にありがとうございます。
    楽しみですね。
    どうぞお気をつけて、楽しんできてください。

    旅行記、楽しみにしてますね。
    どうぞお気をつけて、行ってらっしゃ〜〜〜い!!!

    noel
  • sanaboさん 2023/11/12 22:51:25
    モーゼ終焉の地
    noelさん、こんばんは~

    今回も素晴らしい力作でしたね☆彡
    モーゼの「十戒」や「出エジプト記」という言葉は聞いたことがあっても
    断片的なことしか知らなかったので、イントロ部分のnoelさんの解説を読み
    初めてその全容を知ることができました。とても興味深かったです。
    現在のガザ地区の紛争もこの頃のお話から理解していないと
    分かりづらいですよね。
    出エジプトからカナンの地に入るまでの経路を示した地図を、興味深く
    拝見しました。(グーグルマップと照らし合わせながら拝見しました)
    私はクリスチャンではないし、正直、海が二つに割れるとか
    ノアの箱舟のお話とか、聖書のストーリー自体を信じてはいなかったのですが
    出エジプトのお話は事実なのでしょうし、現在の情勢へも繋がっているのですよね。
    ディアコニコン洗礼堂のモザイク、とても美しいですね~☆彡
    葡萄やお魚が描かれているモザイクもご覧になったそうですけど
    キリスト教ではどちらも重要な意味を持っていますから
    古くから描かれていたのでしょうね。
    「炎の蛇」のお話も興味深かったです。
    青銅の杖をテーマに、ミケランジェロやルーベンスなども
    絵を描いているのですね。
    聖書のお話を知らないと有名な絵画やフレスコ画を観ても
    その意味を理解できないことが多々ありますけど、noelさんのお蔭で
    一つ物知りになりました。青銅の杖の絵をどこかで見られるのが
    楽しみになりました。
    ギリシャ正教会 マダバでは聖ジョージ(ゲオルギウス)が
    祀られているのですね。
    聞き覚えがあると思ったら、ザグレブ市内で銅像を見たのでした。
    改装中だったのは残念でしたね。でも床の見事なモザイクに
    目を見張りました。
    地図モザイクを見たのは初めてでしたけど、精巧で美しいですね~☆彡
    「イサクを捧げるアブラハム」がテーマのモザイクを
    私もラヴェンナで観ました。
    キリスト教の不変のテーマの一つだけれど、noelさんが仰るように
    我が子を殺めるなんて私たちには到底信じがたい行為。
    でも敬虔なクリスチャンの方々は理解されるのかしら?
    それが信仰心…なのかは、無信心者の私には分からないわ~^^;
    ところで、旅行記中の人物のお顔を隠すピカピカマーク(?笑)が
    印象的でした。これはどのようにして(どこから)持ってこられたのですか?
    皆さんでいただくお食事もとても美味しそうでした。
    中東に行ったことがないのでお食事にも興味津々(^^♪
    マダバは流石モザイクの街。お土産屋さんに並んでいたモザイクを
    noelさん、ご覧になりたかったでしょう? お土産にもね。
    内容の濃い~素晴らしい旅行記を大いに楽しませていただきました。
    続きも楽しみにしていますね♪

    sanabo

    noel

    noelさん からの返信 2023/11/13 21:06:57
    Re: モーゼ終焉の地
    sanaboさん、こんばんは~!

    いつもありがとうございます。
    今回は、死海の対岸のイスラエルにも行きましたので、本当に微妙な気持ちです。
    イスラエルの人々が、これだけこの土地に固執するのもよくわかります。
    そしてパレスチナの土地を奪われた人々の気持ちもわかります。

    出エジプトからのモーゼの足跡、グーグルマップまで見ていただき、ありがとうございます。m(__)m

    旧約聖書、新約聖書の奇跡の物語は、確かに昔の人々は信じたでしょうが、現代人にとっては、信じられませんよね。
    科学的な根拠があれば別ですが・・・。
    ただ似たようなことがあったのかも・・・という思いは残ります。

    そして今回はなんといってもモザイクに感動しました。
    また、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ルーベンスルーベンス・・・・世界の巨匠が様々な宗教画を描いていて、いつかは、その舞台を見てみたいという思いがありました。

    「イサクを捧げるアブラハム」がテーマのモザイク、sanaboさんもラヴェンナでご覧になっているんですよね。
    「イサクの犠牲」とか「イサクの燔祭」などとしても、よく描かれてます。
    sanaboさんも、あの気持ちはわかりませんよね~。

    ピカピカマークはPerfect Imageというアプリのスタンプにあったものを使いました。
    それと、ピカピカマークのお店は美味しかったのですが、他にも色々なお店に行きましたが、お料理はどこも似たり寄ったりのため、飽きてしまいます。
    やはりヨーロッパの方が美味しいですよ。

    最後のモザイクは本当に買いたかったんです。
    たくさん見かけましたが、スルーされてしまいました。
    ツアーのため時間に余裕がないので、モザイクは何一つ買えませんでした。残念でした。

    読むだけで大変なのに、ありがとうございました。
    また、sanaboさんの続きも楽しみにしています。
    よろしくお願いします。


    noel

    noel

    noelさん からの返信 2023/11/13 21:06:57
    Re: モーゼ終焉の地
    sanaboさん、こんばんは~!

    いつもありがとうございます。
    今回は、死海の対岸のイスラエルにも行きましたので、本当に微妙な気持ちです。
    イスラエルの人々が、これだけこの土地に固執するのもよくわかります。
    そしてパレスチナの土地を奪われた人々の気持ちもわかります。

    出エジプトからのモーゼの足跡、グーグルマップまで見ていただき、ありがとうございます。m(__)m

    旧約聖書、新約聖書の奇跡の物語は、確かに昔の人々は信じたでしょうが、現代人にとっては、信じられませんよね。
    科学的な根拠があれば別ですが・・・。
    ただ似たようなことがあったのかも・・・という思いは残ります。

    そして今回はなんといってもモザイクに感動しました。
    また、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ルーベンスルーベンス・・・・世界の巨匠が様々な宗教画を描いていて、いつかは、その舞台を見てみたいという思いがありました。

    「イサクを捧げるアブラハム」がテーマのモザイク、sanaboさんもラヴェンナでご覧になっているんですよね。
    「イサクの犠牲」とか「イサクの燔祭」などとしても、よく描かれてます。
    sanaboさんも、あの気持ちはわかりませんよね~。

    ピカピカマークはPerfect Imageというアプリのスタンプにあったものを使いました。
    それと、ピカピカマークのお店は美味しかったのですが、他にも色々なお店に行きましたが、お料理はどこも似たり寄ったりのため、飽きてしまいます。
    やはりヨーロッパの方が美味しいですよ。

    最後のモザイクは本当に買いたかったんです。
    たくさん見かけましたが、スルーされてしまいました。
    ツアーのため時間に余裕がないので、モザイクは何一つ買えませんでした。残念でした。

    読むだけで大変なのに、ありがとうございました。
    また、sanaboさんの続きも楽しみにしています。
    よろしくお願いします。


    noel

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2023/11/14 23:40:11
    RE: Re: モーゼ終焉の地
    noelさん、

    ピカピカマークのことを教えて下さり、ありがとうございました^^
    Perfect Imageというアプリなのですね。
    今はいろんな便利なアプリやソフトが沢山ありますね。
    今度参考にさせていただきますね。  sanabo
  • Siniさん 2023/11/12 14:45:06
    ステキな旅でしたね
    noel さま

    旅行記とてもステキでした。

    死海とペトラとジェリコ!歴史的に非常に興味深いところですね。

    Sini

    noel

    noelさん からの返信 2023/11/12 20:37:03
    Re: ステキな旅でしたね
    Siniさん

    いつも、ありがとうございます。
    この後、イスラエルにも行きました。
    歴史上重要な地域に行き、肌で感じることができました。
    現在も争いが続いているのが残念ですが・・・・。

    ありがとうございます。
    急に寒くなりましたので、どうぞ御身お大事に。

    今後ともよろしくお願いいたします。

    noel
  • たびたびさん 2023/11/10 23:11:05
    モーゼの足跡を辿る すごいですね!
    キリスト教のことあまり詳しくはないですが、キリストは例えば神がいるということを示す必要はなかった。つまり、ゼロからのスタートではなくて、旧約聖書の存在があって、そこからスタートしていますよね。
    しかし、その関係はとても不思議な感じ。旧約聖書は神と約束をした民が限られたりしているのに対し、キリスト教はすべての人に対する愛を説いていますが、キリストは旧約聖書をまったく否定していませんね。むしろ、旧約聖書に極めて従順だったようにも感じます。
    この辺りのところから先は、たぶん、もう理解不能な世界なんだと思いますが、いずれにしても、モーゼの足跡を辿るはすごいと思います。

                                たびたび

    noel

    noelさん からの返信 2023/11/11 16:48:26
    Re: モーゼの足跡を辿る すごいですね!
    たびたびさん

    ありがとうございます。
    私たち日本人にとっては、わかりにくいですよね。
    元を辿れば、旧約聖書から派生してます。
    キリストもユダヤ人でしたし。
    ただ、キリストが生まれた頃のユダヤ教は、形骸化していて、ユダヤの人々は、救世主を待ち望んでいました。
    そんな中、キリストが生まれ、圧政に苦しむ人々に寄り添いました。

    また、受胎告知で有名な大天使ガブリエルは、キリスト教の天使であるだけでなく、ユダヤ教の天使でもあり、イスラム教では、ジブリールと言いますが、同じガブリエルの事です。預言者のムハンマドにコーランを伝えました。

    この他にも、三大宗教はアブラハムに宗教とも言われてます。アブラハムは旧約聖書に登場します。

    旧約聖書の中で、モーゼは重要な存在で、もし自分がモーゼと同時代に生きていたユダヤ人なら、モーゼについて行ったことでしょう。
    そして、時代が下って、キリストの時代に生きてた普通のユダヤ人だったら、キリストを信じたと思います。

    宗教の捉え方は時代によって、またその時の指導者によって変異してると思います。

    なんだか長くなり、かえってわかりにくくなりました。
    失礼しました。

    急に寒くなりましたので、どうぞお気をつけてください。
    今後ともよろしくお願いします。

    noel

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