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「インディジョーンズ 最後の聖戦」で有名になったペトラ遺跡。<br /><br />かつては交易の要衝の地として発展し、ナバテア王国を築き上げましたが、最終的にローマの属州となり、大地震が発生し、大洪水に見舞われ、今度は巨大地震に襲われ、街のライフラインである水の供給システムに甚大な被害が及び、人々は去って行ってしまいました。そして、そのまま廃れてしまいました。<br />西洋諸国の人々からは十字軍の時代以降、忘れさられてしまいました。<br /><br />それを発見したのは、1812年スイスの旅行家でした。<br />ヨハン・ブルクハルトがこの遺跡を目にしたとき、いったいどのように思ったことでしょう。<br />元々彼はペトラを目的地とはしてませんでした。<br />シリア、レバノンと周辺国からヨルダンに入り、途中で素晴らしい遺跡がある事を聞いたのです。<br />ただ、地元民たちから、ペトラの財宝狙いと思われるのを恐れて、モーゼの兄のアーロンの墓に羊を捧げるために来たと偽り、遺跡に入りました。<br />ただ案内人に言われるまま、実質ペトラには2日しか滞在せず、その後はエジプトに向けて発ちました。<br />そこで、アブシンベル神殿の一部を発見しました。<br /><br />ペトラ遺跡は1985年に世界遺産となりました。<br /><br />また、中東3大遺跡の1つです。<br />・パルミラ遺跡(シリア)<br />・バールベック(レバノン)<br />・ペトラ遺跡(ヨルダン)<br /><br />他にも中東3P遺跡の1つでもあります。<br />・パルミラ遺跡(シリア)<br />・ペルセポリス(イラン)<br />・ペトラ遺跡(ヨルダン)<br /><br /><br /><br />【旅程】<br /><br />8月2日(水)<br />NRT 成田発 22時30分→DXB ドバイ着 <br />8月3日 4時10分着(EK0319便 エミレーツ航空)<br />↓<br />8月3日(木)<br />ドバイ空港 5時20分<br />ジュメイラ・パブリックビーチ 5時50分<br />ブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ 6時15分<br />ドバイ・フレーム 6時45分<br />ドバイ・モール 7時10分<br />ブルジュ・カリファ(ハリファ) 8時00分<br />ドバイ・モール 9時00分<br />ドバイ水族館 10時15分<br />↓<br />ドバイ国際空港 11時00分<br />↓<br />DXB ドバイ 14時05分発→AMM アンマン 16時00分<br />(EK903便 エミレーツ航空) ●<br />↓<br />アンマン国際空港 17時15分  ●<br />ペトラ(エドム・ペトラ) 20時10分 ●<br />エル・ハズネ(ペトラ・バイ・ナイト) 21時00分 ● <br />ホテル 22時30分 <br /><br />8月4日(金)<br />ホテル発 9時00分 ●<br />ペトラ遺跡 ●<br />シーク 9時30分 ●<br />エル・ハズネ 10時20分 ●<br />ローマ遺跡 11時10分 ●<br />ランチ(Basin Restrant)12時00分 ●<br />エド・ディル 13時40分 ●<br />カフェ 13時45分 ●<br />ビューポイント 14時10分 ●<br />ペトラ博物館 16時10分 ●<br />ホテル 17時15分 ●<br /><br />8月5日(土)<br />ホテル発 7時30分<br />モーゼの泉 7時45分<br />ネポ山 11時25分<br />マタバ 聖ジョージ教会 12時40分<br />ランチ Haret Jdoudna Restaurant &amp; craft shops 13時00分<br />アンマン アブドラ一世モスク 15時15分<br />ヨルダン博物館 16時05分<br />シタデル 17時15分<br />リージェンシー・パレス・ホテル 17時45分<br /><br />8月6日(日)<br />ホテル発 7時00分<br />サルト旧市街 7時35分<br />ジェラシュ遺跡 9時10分<br />↓<br />ヨルダン出国 11時45分<br />イスラエルへ入国 13時00分<br />↓<br />ティベリア ランチ 14時05分<br />山上の垂訓教会 15時05分<br />パンと魚の奇跡の教会 15時45分<br />シナゴーグ 16時10分<br />カペナーム 16時40分<br />プリマ・ガリル・ホテル 17時10分<br /><br />8月7日(月)<br />ホテル発 7時30分<br />ナザレ<br />カナの婚礼教会 8時00分<br />マリアの井戸 8時55分<br />受胎告知教会 9時20分<br />聖ヨセフ教会 9時45分<br />ヨルダン渓谷 12時00分<br />ランチ エリコ Temptation Restaurant 12時45分<br />死海 14時35分<br />エルサレム プリマ・パーク・ホテル 17時20分<br /><br />8月8(火)<br />ホテル発 7時00分<br />神殿の丘 7時30分<br />岩のドーム 7時50分<br />嘆きの壁 8時30分<br />シナゴーグ 8時55分<br />ヴィア・ドロローサ 9時10分<br />聖墳墓教会 10時15分<br />アルメニア教会 10時45分<br />シリア教会 11時15分<br />ランチ Armenian Restaurant Bar「Bulghourji」11時45分<br />シオン門 13時00分<br />ダビデの墓 13時10分<br />鶏鳴教会 13時25分<br /><br />ベツレヘム<br />生誕教会 15時10分<br />ホテル 17時00分<br /><br />8月9日(水)<br />ホテル発 9時00分<br />オリーブ山 9時40分<br />主の泣かれた教会 10時00分<br />ゲッセマネの園 10時20分<br />万国民教会 10時25分<br />ベドウィンのテント 11時05分<br /><br />テルアビブ<br />ランチ 13時10分<br />港 14時00分<br />バウハウス時代の建築 14時35分 <br />↓<br />TLV テルアビブ空港 19時50分発→<br />DXBドバイ空港 23時59分着(EK932便 エミレーツ航空)<br />↓<br />8月10日(木)<br />DXBドバイ空港 2時40分発→NRT成田空港 17時35分着<br />(EK0318便)<br /><br />

Petra 2023 ② ペトラ2023年夏(Dubai-Jordan-Israel )

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2023/08/02 - 2023/08/10

2位(同エリア588件中)

noel

noelさん

この旅行記のスケジュール

2023/08/03

  • ドバイ空港 14時05分発→アンマン空港 16時00分着(エミレーツ航空)EK903便

  • アンマン空港17時15分発→ペトラホテル20時10分

  • ホテル20時10分発→ペトラ遺跡エル・ハズネ21時着

  • エル・ハズネ21時40分着→ホテル22時30分着

2023/08/04

  • ホテル9時発→ペトラ遺跡入口9時10分着

  • エド・ディル14時20分→土産物屋(香料)15時30分

  • 土産物屋15時30分→エル・ハズネ15時55分

  • エル・ハズネ15時30分→ペトラ遺跡入口16時10分(カート)

この旅行記スケジュールを元に

「インディジョーンズ 最後の聖戦」で有名になったペトラ遺跡。

かつては交易の要衝の地として発展し、ナバテア王国を築き上げましたが、最終的にローマの属州となり、大地震が発生し、大洪水に見舞われ、今度は巨大地震に襲われ、街のライフラインである水の供給システムに甚大な被害が及び、人々は去って行ってしまいました。そして、そのまま廃れてしまいました。
西洋諸国の人々からは十字軍の時代以降、忘れさられてしまいました。

それを発見したのは、1812年スイスの旅行家でした。
ヨハン・ブルクハルトがこの遺跡を目にしたとき、いったいどのように思ったことでしょう。
元々彼はペトラを目的地とはしてませんでした。
シリア、レバノンと周辺国からヨルダンに入り、途中で素晴らしい遺跡がある事を聞いたのです。
ただ、地元民たちから、ペトラの財宝狙いと思われるのを恐れて、モーゼの兄のアーロンの墓に羊を捧げるために来たと偽り、遺跡に入りました。
ただ案内人に言われるまま、実質ペトラには2日しか滞在せず、その後はエジプトに向けて発ちました。
そこで、アブシンベル神殿の一部を発見しました。

ペトラ遺跡は1985年に世界遺産となりました。

また、中東3大遺跡の1つです。
・パルミラ遺跡(シリア)
・バールベック(レバノン)
・ペトラ遺跡(ヨルダン)

他にも中東3P遺跡の1つでもあります。
・パルミラ遺跡(シリア)
・ペルセポリス(イラン)
・ペトラ遺跡(ヨルダン)



【旅程】

8月2日(水)
NRT 成田発 22時30分→DXB ドバイ着 
8月3日 4時10分着(EK0319便 エミレーツ航空)

8月3日(木)
ドバイ空港 5時20分
ジュメイラ・パブリックビーチ 5時50分
ブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ 6時15分
ドバイ・フレーム 6時45分
ドバイ・モール 7時10分
ブルジュ・カリファ(ハリファ) 8時00分
ドバイ・モール 9時00分
ドバイ水族館 10時15分

ドバイ国際空港 11時00分

DXB ドバイ 14時05分発→AMM アンマン 16時00分
(EK903便 エミレーツ航空) ●

アンマン国際空港 17時15分  ●
ペトラ(エドム・ペトラ) 20時10分 ●
エル・ハズネ(ペトラ・バイ・ナイト) 21時00分 ● 
ホテル 22時30分 

8月4日(金)
ホテル発 9時00分 ●
ペトラ遺跡 ●
シーク 9時30分 ●
エル・ハズネ 10時20分 ●
ローマ遺跡 11時10分 ●
ランチ(Basin Restrant)12時00分 ●
エド・ディル 13時40分 ●
カフェ 13時45分 ●
ビューポイント 14時10分 ●
ペトラ博物館 16時10分 ●
ホテル 17時15分 ●

8月5日(土)
ホテル発 7時30分
モーゼの泉 7時45分
ネポ山 11時25分
マタバ 聖ジョージ教会 12時40分
ランチ Haret Jdoudna Restaurant & craft shops 13時00分
アンマン アブドラ一世モスク 15時15分
ヨルダン博物館 16時05分
シタデル 17時15分
リージェンシー・パレス・ホテル 17時45分

8月6日(日)
ホテル発 7時00分
サルト旧市街 7時35分
ジェラシュ遺跡 9時10分

ヨルダン出国 11時45分
イスラエルへ入国 13時00分

ティベリア ランチ 14時05分
山上の垂訓教会 15時05分
パンと魚の奇跡の教会 15時45分
シナゴーグ 16時10分
カペナーム 16時40分
プリマ・ガリル・ホテル 17時10分

8月7日(月)
ホテル発 7時30分
ナザレ
カナの婚礼教会 8時00分
マリアの井戸 8時55分
受胎告知教会 9時20分
聖ヨセフ教会 9時45分
ヨルダン渓谷 12時00分
ランチ エリコ Temptation Restaurant 12時45分
死海 14時35分
エルサレム プリマ・パーク・ホテル 17時20分

8月8(火)
ホテル発 7時00分
神殿の丘 7時30分
岩のドーム 7時50分
嘆きの壁 8時30分
シナゴーグ 8時55分
ヴィア・ドロローサ 9時10分
聖墳墓教会 10時15分
アルメニア教会 10時45分
シリア教会 11時15分
ランチ Armenian Restaurant Bar「Bulghourji」11時45分
シオン門 13時00分
ダビデの墓 13時10分
鶏鳴教会 13時25分

ベツレヘム
生誕教会 15時10分
ホテル 17時00分

8月9日(水)
ホテル発 9時00分
オリーブ山 9時40分
主の泣かれた教会 10時00分
ゲッセマネの園 10時20分
万国民教会 10時25分
ベドウィンのテント 11時05分

テルアビブ
ランチ 13時10分
港 14時00分
バウハウス時代の建築 14時35分 

TLV テルアビブ空港 19時50分発→
DXBドバイ空港 23時59分着(EK932便 エミレーツ航空)

8月10日(木)
DXBドバイ空港 2時40分発→NRT成田空港 17時35分着
(EK0318便)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
3.5
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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  • ドバイからヨルダンの首都アンマンに向かっています。

    ドバイからヨルダンの首都アンマンに向かっています。

  • 短いフライトですが、ミールサービスです。

    短いフライトですが、ミールサービスです。

  • Queen Alia International Airport(クィーンアリア国際空港)に到着しました。<br />ヨルダンの首都、アンマンにあります。<br />ドバイ(UAE)とは時差が1時間あります。<br />また、日本との時差は6時間です。<br />この時季はサマータイムです。<br /><br />

    Queen Alia International Airport(クィーンアリア国際空港)に到着しました。
    ヨルダンの首都、アンマンにあります。
    ドバイ(UAE)とは時差が1時間あります。
    また、日本との時差は6時間です。
    この時季はサマータイムです。

  • 空港からペトラに向かいます。<br /><br />国旗が見えます。<br />ヨルダンは正式には<br />Hashemite Kingdom of Jordan(ヨルダン・ハシミテ王国)です。<br />人口の90%がイスラム教徒です。(スンニー派)<br />10%がキリスト教徒です。<br /><br />隣接する国は、サウジアラビア、イラク、シリア、イスラエルとパレスチナ暫定自治区です。<br /><br />2023年6月1日、ヨルダン王国のフセイン皇太子とラジワ・アル・サイフ(サウジアラビアのリヤド出身の実業家の令嬢)が結婚されました。<br />ヨルダンの街のあちこちで、2人の結婚を祝う街頭フラッグを見かけました。<br />

    空港からペトラに向かいます。

    国旗が見えます。
    ヨルダンは正式には
    Hashemite Kingdom of Jordan(ヨルダン・ハシミテ王国)です。
    人口の90%がイスラム教徒です。(スンニー派)
    10%がキリスト教徒です。

    隣接する国は、サウジアラビア、イラク、シリア、イスラエルとパレスチナ暫定自治区です。

    2023年6月1日、ヨルダン王国のフセイン皇太子とラジワ・アル・サイフ(サウジアラビアのリヤド出身の実業家の令嬢)が結婚されました。
    ヨルダンの街のあちこちで、2人の結婚を祝う街頭フラッグを見かけました。

  • ペトラに向かうまでの車窓ですが、延々とこのような景色が続きます。<br />たまたま木が写ってますが、木もない所がほとんどです。<br />まさに、Desert Road(砂漠の道)です。<br />この道に並行するようにKings Road(王の道)もあります。<br />それにしても砂漠と言っても、ここは砂の砂漠ではなく、乾いた荒野と言った方がいいかもしれません。<br /><br />ヨルダンは、他のアラブ諸国のように石油の資源はなく、鉱物資源としてリンが貴重な資源になっています。リンは鳥の糞です。<br />ヨルダンにおける農業収入は14%程度で、リン鉱床の収入が約21%だそうです。<br />同じヨルダンでも北部には農業のできる土地がありますが、ご覧のようにこの付近は何もありません。

    ペトラに向かうまでの車窓ですが、延々とこのような景色が続きます。
    たまたま木が写ってますが、木もない所がほとんどです。
    まさに、Desert Road(砂漠の道)です。
    この道に並行するようにKings Road(王の道)もあります。
    それにしても砂漠と言っても、ここは砂の砂漠ではなく、乾いた荒野と言った方がいいかもしれません。

    ヨルダンは、他のアラブ諸国のように石油の資源はなく、鉱物資源としてリンが貴重な資源になっています。リンは鳥の糞です。
    ヨルダンにおける農業収入は14%程度で、リン鉱床の収入が約21%だそうです。
    同じヨルダンでも北部には農業のできる土地がありますが、ご覧のようにこの付近は何もありません。

  • Ooooooh!<br />Wadi Musa(ワディ・ムーサ)に入ったら、こんな景色が!<br />以前、トルコのカッパドキアに夕方到着した際にも、背筋がゾクゾクっとするように感動しましたが、今回も同じようにAmazing!<br /><br />この日の午前中に訪問したのがドバイだったためか、落差を感じたのかもしれません。<br />・・・とはいえ、この街の灯りは、心がほっこりするような明るさです。<br />LEDの無機質な光に比べて、人々の日々の営みを目にして、本当に感動しました。<br /><br />* Wadi Musaとは、モーゼの谷という意味です。<br />ヨルダンの南のマーン県のペトラ遺跡のある街です。

    イチオシ

    Ooooooh!
    Wadi Musa(ワディ・ムーサ)に入ったら、こんな景色が!
    以前、トルコのカッパドキアに夕方到着した際にも、背筋がゾクゾクっとするように感動しましたが、今回も同じようにAmazing!

    この日の午前中に訪問したのがドバイだったためか、落差を感じたのかもしれません。
    ・・・とはいえ、この街の灯りは、心がほっこりするような明るさです。
    LEDの無機質な光に比べて、人々の日々の営みを目にして、本当に感動しました。

    * Wadi Musaとは、モーゼの谷という意味です。
    ヨルダンの南のマーン県のペトラ遺跡のある街です。

  • さて、感動に浸るのも束の間、ホテルに到着してチェックインもしないまま、荷物をロビーに預けて、即向かいます。<br />この時、風もあり涼しかったため、上着を持って出かけました。

    さて、感動に浸るのも束の間、ホテルに到着してチェックインもしないまま、荷物をロビーに預けて、即向かいます。
    この時、風もあり涼しかったため、上着を持って出かけました。

  • 旅行前、添乗員の方から連絡があり、その際に、手荷物に懐中電灯を入れておいてください・・・と言うことでした。<br />なるほど、このためだったんですね。<br />キャンドルライトは、とても素敵な雰囲気ですが、足元がほとんど見えません。<br />足元を照らしながら、気をつけて歩きました。

    旅行前、添乗員の方から連絡があり、その際に、手荷物に懐中電灯を入れておいてください・・・と言うことでした。
    なるほど、このためだったんですね。
    キャンドルライトは、とても素敵な雰囲気ですが、足元がほとんど見えません。
    足元を照らしながら、気をつけて歩きました。

  • 1500本のローソクでともされたシークを抜けて到着しました。<br />なんだかとてもロマンティックな明かりです。<br />これから何が始まるのでしょうか。<br />この時間が午後9時です。

    1500本のローソクでともされたシークを抜けて到着しました。
    なんだかとてもロマンティックな明かりです。
    これから何が始まるのでしょうか。
    この時間が午後9時です。

  • Petra by Night(ペトラ・バイ・ナイト)<br />これからショーが始まります。<br />ちょうどいいタイミングで到着したようです。<br />

    Petra by Night(ペトラ・バイ・ナイト)
    これからショーが始まります。
    ちょうどいいタイミングで到着したようです。

    ペトラ バイ ナイト 祭り・イベント

    エル・ハズネまでの道は蝋燭の明かりだけ。 by noelさん
  • このショーは毎週、月・水・木に行われます。<br />今回のツアーに入ってましたので、添乗員さんは、この時間に間に合うように、かなり時間を気にかけていました。<br />ビジターセンターのオープン時間は、午後8時30分から午後10時30分となっています。開門の時間に向かうと丁度いい時間です。<br />入場料は17JDです。<br />10歳未満は無料です。<br /><br />1JD=201.81・・<br />この時は日本円で3400円を超えてます。

    イチオシ

    このショーは毎週、月・水・木に行われます。
    今回のツアーに入ってましたので、添乗員さんは、この時間に間に合うように、かなり時間を気にかけていました。
    ビジターセンターのオープン時間は、午後8時30分から午後10時30分となっています。開門の時間に向かうと丁度いい時間です。
    入場料は17JDです。
    10歳未満は無料です。

    1JD=201.81・・
    この時は日本円で3400円を超えてます。

  • キャンドルに包まれて綺麗です。<br />笛の演奏が始まりました。演奏してるのは、地元のベドウィンの方のようです。<br />そして、宝物殿が様々な色に変わっていきます。

    キャンドルに包まれて綺麗です。
    笛の演奏が始まりました。演奏してるのは、地元のベドウィンの方のようです。
    そして、宝物殿が様々な色に変わっていきます。

    ペトラ バイ ナイト 祭り・イベント

    エル・ハズネまでの道は蝋燭の明かりだけ。 by noelさん
  • 座席は前方が、シートを敷いた直接座る席、そして後方には椅子がセットされています。<br />私たちは後方の椅子の席に着きました。

    座席は前方が、シートを敷いた直接座る席、そして後方には椅子がセットされています。
    私たちは後方の椅子の席に着きました。

  • 甘いチャイがふるまわれました。(小さな紙コップ入り)<br />暑いですが、チャイも熱いです。<br />近くの人が冷たいものはないか尋ねる声がしました。<br />夜は涼しいとは言え、ずっと歩いて来て、確かに暑いです。<br /><br />ただ、アラブ圏のチャイ(シャイ)は、熱いです。<br />私は結構これが好きです。普段は紅茶に砂糖を入れて飲みませんが、時々この味が懐かしくなって、自宅でも小さなグラスで、たまにチャイを飲みます。<br />

    甘いチャイがふるまわれました。(小さな紙コップ入り)
    暑いですが、チャイも熱いです。
    近くの人が冷たいものはないか尋ねる声がしました。
    夜は涼しいとは言え、ずっと歩いて来て、確かに暑いです。

    ただ、アラブ圏のチャイ(シャイ)は、熱いです。
    私は結構これが好きです。普段は紅茶に砂糖を入れて飲みませんが、時々この味が懐かしくなって、自宅でも小さなグラスで、たまにチャイを飲みます。

  • ショーはまだまだ続いていましたが、それぞれ自分の好きなタイミングで帰路につきました。<br />たぶん私たちが一番早かったのではないでしょうか・・・。<br />何しろ主人がもう十分だと言うので。<br /><br />でも、私自身も一応これには同意しました。<br />翌日の遺跡巡りに体力を温存しておきたかったのです。<br />遺跡を明るい時間帯にしっかり見ることが真の目的ですので。

    ショーはまだまだ続いていましたが、それぞれ自分の好きなタイミングで帰路につきました。
    たぶん私たちが一番早かったのではないでしょうか・・・。
    何しろ主人がもう十分だと言うので。

    でも、私自身も一応これには同意しました。
    翌日の遺跡巡りに体力を温存しておきたかったのです。
    遺跡を明るい時間帯にしっかり見ることが真の目的ですので。

  • ホテルに戻りました。<br />もう時間も遅く、お部屋で食事をすることになりました。

    ホテルに戻りました。
    もう時間も遅く、お部屋で食事をすることになりました。

    エドム ホテル ホテル

    ペトラ遺跡に近くて便利です by noelさん
  • Edom Hotel(エドム・ホテル)です。<br />このホテルはペトラ遺跡に徒歩圏内で、とても便利です。<br />街中でもあり、立地に恵まれてます。<br /><br />ところで、この「エドム」という名前は、おそらく昔ナバテア人がこの地に来る前から住んでいたエドム人から名前をとったのではないかと思います。<br />詳細は後ほど。

    Edom Hotel(エドム・ホテル)です。
    このホテルはペトラ遺跡に徒歩圏内で、とても便利です。
    街中でもあり、立地に恵まれてます。

    ところで、この「エドム」という名前は、おそらく昔ナバテア人がこの地に来る前から住んでいたエドム人から名前をとったのではないかと思います。
    詳細は後ほど。

  • お部屋は可もなく不可もなくと言ったところです。<br />

    お部屋は可もなく不可もなくと言ったところです。

  • 洗面所です。バスタブは付いてました。<br />ただ、ドライヤーがありませんでした。(-_-;)<br />もう眠いし連絡するのも面倒なので、自然乾燥させました。

    洗面所です。バスタブは付いてました。
    ただ、ドライヤーがありませんでした。(-_-;)
    もう眠いし連絡するのも面倒なので、自然乾燥させました。

  • 近くのミニスーパーでビールを3本買いました。これともう1本同じ缶ビールです。<br />お勧めを聞いたら、左の瓶のものが有名だというので買いました。<br />ただ、・・・・今一つでした。(-_-;)<br />Non Alcoholic Premium Carbonated Malt Beverage。(・_・;(・_・;(・_・;<br />これらはビールではなく、ノンアルコールでした。<br />イスラム教の国ですから仕方ありません。<br />ホテルもノンアルコールでした。<br />この近くで本物のビールが買えるのは、モーベンピック・ホテルの下のお店です。<br /><br />ちなみにこのお値段は、ノンアルビール3本で、14ドル支払い、お釣りは現地硬貨で。

    近くのミニスーパーでビールを3本買いました。これともう1本同じ缶ビールです。
    お勧めを聞いたら、左の瓶のものが有名だというので買いました。
    ただ、・・・・今一つでした。(-_-;)
    Non Alcoholic Premium Carbonated Malt Beverage。(・_・;(・_・;(・_・;
    これらはビールではなく、ノンアルコールでした。
    イスラム教の国ですから仕方ありません。
    ホテルもノンアルコールでした。
    この近くで本物のビールが買えるのは、モーベンピック・ホテルの下のお店です。

    ちなみにこのお値段は、ノンアルビール3本で、14ドル支払い、お釣りは現地硬貨で。

  • これがお釣りの硬貨です。<br />ヨルダンの観光地では、USドルが使えます。<br />ただし、お釣りは現地硬貨です。<br />あとはクレジット払いです。

    これがお釣りの硬貨です。
    ヨルダンの観光地では、USドルが使えます。
    ただし、お釣りは現地硬貨です。
    あとはクレジット払いです。

  • 午前4時頃<br />静寂の中にアザーンの声が聞こえてきました。<br />「アザーン」とはイスラム教徒の礼拝の呼びかけのことです。<br />1日に5回あります。<br />久々に聞きます。<br />もう気になって、眠っていられません。<br />私は特に朝1番のアザーンが好きです。<br />静かな街の様子を撮りました。<br /><br />* アザーンはコーランを読んでいるのではありません。お祈りの呼びかけです。

    午前4時頃
    静寂の中にアザーンの声が聞こえてきました。
    「アザーン」とはイスラム教徒の礼拝の呼びかけのことです。
    1日に5回あります。
    久々に聞きます。
    もう気になって、眠っていられません。
    私は特に朝1番のアザーンが好きです。
    静かな街の様子を撮りました。

    * アザーンはコーランを読んでいるのではありません。お祈りの呼びかけです。

  • 昨夜が遅かったため、この日は少し遅めに出発することになりました。

    昨夜が遅かったため、この日は少し遅めに出発することになりました。

  • これはエレベーターです。<br />シースルーエレベーターです。<br />G階(グランド・フロア)は、外が見えませんが、上に登ると、ご覧のように外がよく見渡せます。<br />陽があたり過ぎるため、いささか暑いのですが、それは我慢です。

    これはエレベーターです。
    シースルーエレベーターです。
    G階(グランド・フロア)は、外が見えませんが、上に登ると、ご覧のように外がよく見渡せます。
    陽があたり過ぎるため、いささか暑いのですが、それは我慢です。

  • レストランです。<br />奥の席は洞窟っぽくなっていました。<br />

    レストランです。
    奥の席は洞窟っぽくなっていました。

  • 朝食です。<br />ここではホットケーキを温めてくれます。<br />笑顔でポーズしてくれました。

    朝食です。
    ここではホットケーキを温めてくれます。
    笑顔でポーズしてくれました。

  • ドリンク類

    ドリンク類

  • ピタパンはじめ、パンの種類は思ったよりありました。

    ピタパンはじめ、パンの種類は思ったよりありました。

  • 昨夜が遅かったので、あまり食欲はありません。<br />ただ、この日は丸一日かけてペトラ遺跡を歩きます。

    昨夜が遅かったので、あまり食欲はありません。
    ただ、この日は丸一日かけてペトラ遺跡を歩きます。

  • いざ出陣です。<br />I LOVE PETRA

    いざ出陣です。
    I LOVE PETRA

  • ペトラの入口です。<br /><br />

    ペトラの入口です。

  • いきなりですが、犬が3匹ほどいて、皆だるそうにゴロゴロ寝ていました。<br />

    いきなりですが、犬が3匹ほどいて、皆だるそうにゴロゴロ寝ていました。

  • この広場の、この付近には階段状のベンチのような物があります。<br />少しだけ日影になるので、集合場所でした。<br />また、右斜め前方にはトイレがあります。<br />ただ、ヨルダンのトイレ事情はあまりよくありません。<br />トイレットペーパーを流してはいけないタイプです。<br />トイレットペーパーがないのも、しばしばです。<br />水の出も良くありません。<br />この貴重な水は、隣国イスラエルから購入しているそうです。<br />水の問題は深刻です。

    この広場の、この付近には階段状のベンチのような物があります。
    少しだけ日影になるので、集合場所でした。
    また、右斜め前方にはトイレがあります。
    ただ、ヨルダンのトイレ事情はあまりよくありません。
    トイレットペーパーを流してはいけないタイプです。
    トイレットペーパーがないのも、しばしばです。
    水の出も良くありません。
    この貴重な水は、隣国イスラエルから購入しているそうです。
    水の問題は深刻です。

  • 周囲の景色です。<br />進行方向左側の景色です。

    周囲の景色です。
    進行方向左側の景色です。

  • チケット・オフィスです。<br />思ったほど人はいませんでした。<br />もう皆さん、既に行ってしまったのでしょうか。<br /><br />実は昨年の旅行博の際に、ヨルダンのブースで、色々確認したのですが、夏と冬はお勧めされませんでした。<br />確かにもっといい時期はあります。<br />特に夏は暑すぎます。<br />平地を歩くだけでも暑いのですが、エド・ディルに行くのには、800-950段くらいの階段の道を登る予定ですから、覚悟が必要です。<br /><br />* 階段の数については、だいたいは800段説が多いようです。ただ、実際には私も数える余裕はありませんでしたので、不明です。<br />

    チケット・オフィスです。
    思ったほど人はいませんでした。
    もう皆さん、既に行ってしまったのでしょうか。

    実は昨年の旅行博の際に、ヨルダンのブースで、色々確認したのですが、夏と冬はお勧めされませんでした。
    確かにもっといい時期はあります。
    特に夏は暑すぎます。
    平地を歩くだけでも暑いのですが、エド・ディルに行くのには、800-950段くらいの階段の道を登る予定ですから、覚悟が必要です。

    * 階段の数については、だいたいは800段説が多いようです。ただ、実際には私も数える余裕はありませんでしたので、不明です。

  • ペトラの案内です。<br />地図を見るとウキウキしてきます。

    ペトラの案内です。
    地図を見るとウキウキしてきます。

  • ドローン禁止です。

    ドローン禁止です。

  • Petra Guest House Hotel<br />ここが一番、遺跡に近いホテルです。

    Petra Guest House Hotel
    ここが一番、遺跡に近いホテルです。

  • ゲートです。<br />ここでチケットを見せます。<br />

    ゲートです。
    ここでチケットを見せます。

  • チケットです。<br /><br />ペトラは入場料が高いと言われてますが、次のとおりです。<br />1日 50JD<br />2日 55JD<br />3日 60JD<br />1日チケットで、日本円で1万円を越えます。<br />ちなみに12歳以下は無料です。<br /><br />このチケットには博物館も含まれています。<br /><br />* 2014年に行った方の入場料も同じでした。当時は1日券で約7500円だったようです。円安の影響は大きいです。<br />

    チケットです。

    ペトラは入場料が高いと言われてますが、次のとおりです。
    1日 50JD
    2日 55JD
    3日 60JD
    1日チケットで、日本円で1万円を越えます。
    ちなみに12歳以下は無料です。

    このチケットには博物館も含まれています。

    * 2014年に行った方の入場料も同じでした。当時は1日券で約7500円だったようです。円安の影響は大きいです。

  • 馬乗り場<br />昨夜もここを通りましたが、真っ暗で何もわかりませんでした。<br />今日はしっかり見えます。<br />奥の方には厩舎らしきものがあります。<br />

    馬乗り場
    昨夜もここを通りましたが、真っ暗で何もわかりませんでした。
    今日はしっかり見えます。
    奥の方には厩舎らしきものがあります。

  • 馬がいます。<br />乗らないか声をかけてきます。<br />インディ・ジョーンズのように馬を疾走させて行ったら、遺跡の様子が見られません。頑張って歩きます。

    馬がいます。
    乗らないか声をかけてきます。
    インディ・ジョーンズのように馬を疾走させて行ったら、遺跡の様子が見られません。頑張って歩きます。

  • Djinn Blocks(ジン・ブロックス)<br /><br />中央の箱型の岩です。<br />精霊の宿る岩です。<br />古代のナバテア人は神々の精霊が宿っていると考えていたようです。<br />神を崇めるために、造られたモニュメントです。<br /><br />ジンというのは中東などのアラブ世界の精霊のことです。<br />アラビアンナイトのアラジンの魔法のランプなどにも登場します。<br /><br />これは「ドゥシャラー神」のジン・ブロックです。<br />ドゥシャラー神はナバテアの主神です。<br /><br />※ ペトラ遺跡を作ったのは、ナバテア人です。

    Djinn Blocks(ジン・ブロックス)

    中央の箱型の岩です。
    精霊の宿る岩です。
    古代のナバテア人は神々の精霊が宿っていると考えていたようです。
    神を崇めるために、造られたモニュメントです。

    ジンというのは中東などのアラブ世界の精霊のことです。
    アラビアンナイトのアラジンの魔法のランプなどにも登場します。

    これは「ドゥシャラー神」のジン・ブロックです。
    ドゥシャラー神はナバテアの主神です。

    ※ ペトラ遺跡を作ったのは、ナバテア人です。

  • 女神「アル・ウッザー」<br />ナバテアの女神のジン・ブロックスです。<br />左の箱型の岩です。<br /><br />ちなみにドゥシャラー神のジン・ブロックの手前に「アッラート」のジン・ブロックもありました。<br />ドゥシャラーとウッザーの子ども(娘)です。<br /><br />

    女神「アル・ウッザー」
    ナバテアの女神のジン・ブロックスです。
    左の箱型の岩です。

    ちなみにドゥシャラー神のジン・ブロックの手前に「アッラート」のジン・ブロックもありました。
    ドゥシャラーとウッザーの子ども(娘)です。

  • Πέτρα(ギリシャ語)<br />ペトラというのは、ギリシャ語で「岩」「石」という意味です。<br />まさに、そのものです。

    Πέτρα(ギリシャ語)
    ペトラというのは、ギリシャ語で「岩」「石」という意味です。
    まさに、そのものです。

  • ペトラの遺跡には、このような洞窟のような穴がたくさんあります。<br />以前は住居の跡だと思われていました。<br />実はほとんどがお墓です。<br />こんなことからナバテア人の宗教観が、垣間見れます。<br />

    ペトラの遺跡には、このような洞窟のような穴がたくさんあります。
    以前は住居の跡だと思われていました。
    実はほとんどがお墓です。
    こんなことからナバテア人の宗教観が、垣間見れます。

  • なにやら気になるものが見えてきました。

    なにやら気になるものが見えてきました。

  • Bab al Siq Triclinium &amp; Obelisk Tomb<br />(バーブ・アル・シーク(アッシーク)・トリクリニウムとオベリスクのお墓)<br />

    イチオシ

    Bab al Siq Triclinium & Obelisk Tomb
    (バーブ・アル・シーク(アッシーク)・トリクリニウムとオベリスクのお墓)

  • ご覧のように上段と下段の2層になっています。<br />

    ご覧のように上段と下段の2層になっています。

  • これは上の部分で、オベリスクの墓になっています。<br />古代エジプトのオベリスクに似ていることから、このように呼ばれました。<br />4つのオベリスクがあります。<br />そして中央には人の像のようなものがあります。<br /><br />このお墓は霊的な意味合いをもっています。<br />埋葬されているのは「ネベジュ」(魂・聖霊・自身)を表しているようです。

    これは上の部分で、オベリスクの墓になっています。
    古代エジプトのオベリスクに似ていることから、このように呼ばれました。
    4つのオベリスクがあります。
    そして中央には人の像のようなものがあります。

    このお墓は霊的な意味合いをもっています。
    埋葬されているのは「ネベジュ」(魂・聖霊・自身)を表しているようです。

  • 下の方の層はトリクリニウムです。<br />この部分の方が先に作られました。1世紀後半に作られたようです。<br />元々紀元前3世紀頃から、この地にやってきたナバテア人によって作られた古いナバテア様式になっています。<br />ただ、柱はドリス様式になっています。<br /><br />ちなみにトリクリニウムとは、古代ローマ建築のダイニングで、映画などでも見られますが、ゴロリと横になって食事をしたりする場面で、コの字型の三方に寝椅子があるダイニングです。<br /><br />現地のガイドさんの話によると、実際にこの中に集まり、お墓で死者を偲んで、会食等が行われたようです。<br />確かメキシコでも死者の日に、親族がお墓に集まり、同様のことが現在も行われているはずです。<br />日本ではお墓で食事はしませんが、お盆がこれ似ています。

    下の方の層はトリクリニウムです。
    この部分の方が先に作られました。1世紀後半に作られたようです。
    元々紀元前3世紀頃から、この地にやってきたナバテア人によって作られた古いナバテア様式になっています。
    ただ、柱はドリス様式になっています。

    ちなみにトリクリニウムとは、古代ローマ建築のダイニングで、映画などでも見られますが、ゴロリと横になって食事をしたりする場面で、コの字型の三方に寝椅子があるダイニングです。

    現地のガイドさんの話によると、実際にこの中に集まり、お墓で死者を偲んで、会食等が行われたようです。
    確かメキシコでも死者の日に、親族がお墓に集まり、同様のことが現在も行われているはずです。
    日本ではお墓で食事はしませんが、お盆がこれ似ています。

  • 足元はこのようになっています。

    足元はこのようになっています。

  • 暑い中、馬が1頭いました。<br />とっても暑そうでした。

    暑い中、馬が1頭いました。
    とっても暑そうでした。

  • 本当に様々な岩に囲まれています。<br />トルコのカッパドキアの奇岩を思い出しました。

    本当に様々な岩に囲まれています。
    トルコのカッパドキアの奇岩を思い出しました。

  • ダムです。<br />このダムは、もともとナバテア人が建設したダムと同じような方法で、1964年に改築されました。

    ダムです。
    このダムは、もともとナバテア人が建設したダムと同じような方法で、1964年に改築されました。

  • これは、その反対側の様子です。<br /><br />最近でも、2018年11月に実際に大雨で洪水になり、9名の方が亡くなっています。<br />そして3500名余りの観光客が避難するという事態になりました。<br />砂漠でなぜ洪水???<br />と思われると思いますが、普段降らなくても、シークのような場所に鉄砲水が流れ込むと、甚大な被害を及ぼしてしまいます。

    これは、その反対側の様子です。

    最近でも、2018年11月に実際に大雨で洪水になり、9名の方が亡くなっています。
    そして3500名余りの観光客が避難するという事態になりました。
    砂漠でなぜ洪水???
    と思われると思いますが、普段降らなくても、シークのような場所に鉄砲水が流れ込むと、甚大な被害を及ぼしてしまいます。

  • このダムによってペトラの街を守り、「ダークトンネル」と呼ばれました。<br />ナバテアのインフラストラクチャーは凄いです。<br />古代ローマも凄いと思っていましたが、それ以前にあったシステムです。<br />今はギリシャ人によって呼ばれるようになった「ペトラ」と呼ばれていますが、遺跡の発掘中に、この旧市街の名前は「Raqmu(ラクム)」と呼ばれていたことがわかりました。

    このダムによってペトラの街を守り、「ダークトンネル」と呼ばれました。
    ナバテアのインフラストラクチャーは凄いです。
    古代ローマも凄いと思っていましたが、それ以前にあったシステムです。
    今はギリシャ人によって呼ばれるようになった「ペトラ」と呼ばれていますが、遺跡の発掘中に、この旧市街の名前は「Raqmu(ラクム)」と呼ばれていたことがわかりました。

  • The Siq<br />ここから、いよいよシークです。<br />ペトラの街に通じる道で、約1200m、幅は3m-12m、高さは最大で約80mです。<br />このシークの峡谷は、水の侵食によってできました。

    The Siq
    ここから、いよいよシークです。
    ペトラの街に通じる道で、約1200m、幅は3m-12m、高さは最大で約80mです。
    このシークの峡谷は、水の侵食によってできました。

  • 砂岩はなんとなくピンク色に見えます。<br />これが午後になると、もっとピンクっぽくなります。<br />岩肌の縞のの模様などもそれぞれです。

    砂岩はなんとなくピンク色に見えます。
    これが午後になると、もっとピンクっぽくなります。
    岩肌の縞のの模様などもそれぞれです。

  • Dhu-Shara(ドゥシャラー)神を祀っています。<br />ここでキャラバン隊の人々は、旅の安全などを祈願しました。<br /><br />その後、ドゥシャラー神は、ヘレニズム文化の影響でギリシア神話の最高神であるゼウスと同一視されるようになります。<br />そして後のローマ時代には、ディオニソスと同一視されました。

    Dhu-Shara(ドゥシャラー)神を祀っています。
    ここでキャラバン隊の人々は、旅の安全などを祈願しました。

    その後、ドゥシャラー神は、ヘレニズム文化の影響でギリシア神話の最高神であるゼウスと同一視されるようになります。
    そして後のローマ時代には、ディオニソスと同一視されました。

  • 古代ナバテア人は、貯水システムを開発していました。<br />水源となる泉から数キロにわたって水路を引いていたのです。<br />岩山には雨季に降る雨水をためて、この峡谷に水路を作って街中に給水していました。その水路も目的別に違います。<br />左側にあるのは、農業用の水路です。

    古代ナバテア人は、貯水システムを開発していました。
    水源となる泉から数キロにわたって水路を引いていたのです。
    岩山には雨季に降る雨水をためて、この峡谷に水路を作って街中に給水していました。その水路も目的別に違います。
    左側にあるのは、農業用の水路です。

  • 右側は飲料水用です。<br />上手に分けて使用していました。

    右側は飲料水用です。
    上手に分けて使用していました。

  • 綺麗な縞模様の岩です。

    綺麗な縞模様の岩です。

  • カートが走って来ました。<br />結構スピードを出して通り過ぎます。<br />運転手1人で、他に5名乗ります。<br />ちなみ、コロナ前は馬車でした。<br />世界遺産になった頃は、電動車両の乗り入れは禁止されていたようですが。<br />ただ、現在は動物愛護法等の問題もあります。<br />世の中色々変わりますね。<br />動物については、後ほど・・・・。

    カートが走って来ました。
    結構スピードを出して通り過ぎます。
    運転手1人で、他に5名乗ります。
    ちなみ、コロナ前は馬車でした。
    世界遺産になった頃は、電動車両の乗り入れは禁止されていたようですが。
    ただ、現在は動物愛護法等の問題もあります。
    世の中色々変わりますね。
    動物については、後ほど・・・・。

  • このように岩が迫ってきています。<br />朝のこの時間帯は、この岩のお陰で日陰になっていて、それほど歩くのもきつくはありませんでした。<br />しかも、説明を聞きながらゆっくり歩いています。<br /><br />昔ナバテアの軍は、崖の上から石を落として、ローマ軍の侵入を防ぎました。<br />確かに、このシークは道が細く、1列にならざるを得ません。<br />そういえば、確かインディジョーンズでも、シークではなかったものの、崖の上から攻撃する場面があったと思います。<br />洋の東西を問わず、また日本の城なども、わざと侵略を防ぐ造りにしている所が多いです。ここペトラは自然が要塞になっています。

    このように岩が迫ってきています。
    朝のこの時間帯は、この岩のお陰で日陰になっていて、それほど歩くのもきつくはありませんでした。
    しかも、説明を聞きながらゆっくり歩いています。

    昔ナバテアの軍は、崖の上から石を落として、ローマ軍の侵入を防ぎました。
    確かに、このシークは道が細く、1列にならざるを得ません。
    そういえば、確かインディジョーンズでも、シークではなかったものの、崖の上から攻撃する場面があったと思います。
    洋の東西を問わず、また日本の城なども、わざと侵略を防ぐ造りにしている所が多いです。ここペトラは自然が要塞になっています。

    シーク (ぺトラ) 山・渓谷

    薔薇色の1.2kmの峡谷 by noelさん
  • 頭上注意!<br />そんな事は全然書いてませんが、実は右の上の岩は、亀裂が入っています。<br />落下を防ぐためにロープのような物で縛っているようですが・・・・。<br />心配です。<br />地震でも起きたら、振動で落ちてきそうです。<br />「ヨルダンの世界遺産のペトラ遺跡で、邦人〇名が落石により・・・・・。」などというニュースにならないように、さっさと通り過ぎました。

    頭上注意!
    そんな事は全然書いてませんが、実は右の上の岩は、亀裂が入っています。
    落下を防ぐためにロープのような物で縛っているようですが・・・・。
    心配です。
    地震でも起きたら、振動で落ちてきそうです。
    「ヨルダンの世界遺産のペトラ遺跡で、邦人〇名が落石により・・・・・。」などというニュースにならないように、さっさと通り過ぎました。

  • ダムです。<br />様々なタイプのダムがあります。

    ダムです。
    様々なタイプのダムがあります。

  • この道は古代ローマの道です。<br />ちょっと歩きにくいのですが、まだまだ現役で大丈夫そうです。<br />ただ、ちょっと滑りやすいのでご注意ください。

    この道は古代ローマの道です。
    ちょっと歩きにくいのですが、まだまだ現役で大丈夫そうです。
    ただ、ちょっと滑りやすいのでご注意ください。

  • 壁龕<br />ドゥシャラー神を祀る祭壇です。

    壁龕
    ドゥシャラー神を祀る祭壇です。

  • 要所要所にこのように木などが生えています。<br />つまり、ここに水が流れてきた事になります。<br />それ以外は岩だらけです。<br />

    要所要所にこのように木などが生えています。
    つまり、ここに水が流れてきた事になります。
    それ以外は岩だらけです。

  • 主神ドゥシャラーと女神アル・ウッザーのステラ(石柱・石板)<br /><br />「ドゥシャーラ」は、「シャラー山の主」という意味です。ナバテアの主神です。<br />初期のイスラム時代には、アラビアの諸部族も信仰してました。ヘレニズムの影響で、豊穣とぶどう酒のディオニソスと同一視されました。<br />ナバテア人は、イエスと同様に処女から生まれたと神聖視してました。<br /><br />ナバテアの神は確か9柱いるとガイドさんが話していたと記憶してます。<br />記録できなかったため、朧げではありますが。(・_・;<br /><br />Du Shara :ドゥシャラー<br />Al Uzzā:アル・ウッザー<br />Allat アッラート:ドゥシャラーとアル・ウッザーの娘<br /><br />サル・エル・クアム:夜の神 眠っている人の魂を守り、天の領域を通って夜の旅をする人々に随伴。砂漠を行く隊商の星の神<br /><br />Al Kutbā  アル・クトゥバ:書の神(エジプトのトト神と同一視)<br /><br />Manat マナート:ギリシャのタイシェと関連のある運命の神<br />カウス:雨と風の神 タンヌールの岩山の山頂が聖域。エドム人の神で、ナバテア人が継承。<br />アタルガディス:豊穣の神(ガウスの妻)<br /><br />Hubal フバル:アラビアの神<br />シャイゥ・アル・カウム:旅人の守護神<br />クアス:気候、嵐、光を司る神<br /><br />これは私が勝手に調べただけですので、間違っているかもしれません。<br />しかも、ちょっと多くなってしまいました。<br /><br />1世紀から7世紀(イスラム誕生)までの間、ハウラーン、ペトラ、シナイにはウッザー女神の神意を伝える巫者がいたようです。<br />これは碑文書に記されていました。<br />また、紀元前4世紀、アル・ウッザーとアフロディーテを同一視する碑文がエーゲ海のコス島で発見されてます。<br />さらに4世紀に聖ヒエロニムスが、エルーサで営まれた朝の星、ウッザーの祭りを記してます。<br />アル・ウッザーの儀式は、メッカで行われました。ただ、イスラムが覇権を握ると、いつしか消えてしまいました。<br />初期のイスラムの記録にありますが、ムハンマド自身、若い頃はウッザーの信者だったようです。<br /><br />ナバテア神殿で最も重要な神は<br />ドゥシャラー:太陽神<br />サア・エル・クアム:夜の神<br />アル・ウッザー:星女神です。<br />

    主神ドゥシャラーと女神アル・ウッザーのステラ(石柱・石板)

    「ドゥシャーラ」は、「シャラー山の主」という意味です。ナバテアの主神です。
    初期のイスラム時代には、アラビアの諸部族も信仰してました。ヘレニズムの影響で、豊穣とぶどう酒のディオニソスと同一視されました。
    ナバテア人は、イエスと同様に処女から生まれたと神聖視してました。

    ナバテアの神は確か9柱いるとガイドさんが話していたと記憶してます。
    記録できなかったため、朧げではありますが。(・_・;

    Du Shara :ドゥシャラー
    Al Uzzā:アル・ウッザー
    Allat アッラート:ドゥシャラーとアル・ウッザーの娘

    サル・エル・クアム:夜の神 眠っている人の魂を守り、天の領域を通って夜の旅をする人々に随伴。砂漠を行く隊商の星の神

    Al Kutbā アル・クトゥバ:書の神(エジプトのトト神と同一視)

    Manat マナート:ギリシャのタイシェと関連のある運命の神
    カウス:雨と風の神 タンヌールの岩山の山頂が聖域。エドム人の神で、ナバテア人が継承。
    アタルガディス:豊穣の神(ガウスの妻)

    Hubal フバル:アラビアの神
    シャイゥ・アル・カウム:旅人の守護神
    クアス:気候、嵐、光を司る神

    これは私が勝手に調べただけですので、間違っているかもしれません。
    しかも、ちょっと多くなってしまいました。

    1世紀から7世紀(イスラム誕生)までの間、ハウラーン、ペトラ、シナイにはウッザー女神の神意を伝える巫者がいたようです。
    これは碑文書に記されていました。
    また、紀元前4世紀、アル・ウッザーとアフロディーテを同一視する碑文がエーゲ海のコス島で発見されてます。
    さらに4世紀に聖ヒエロニムスが、エルーサで営まれた朝の星、ウッザーの祭りを記してます。
    アル・ウッザーの儀式は、メッカで行われました。ただ、イスラムが覇権を握ると、いつしか消えてしまいました。
    初期のイスラムの記録にありますが、ムハンマド自身、若い頃はウッザーの信者だったようです。

    ナバテア神殿で最も重要な神は
    ドゥシャラー:太陽神
    サア・エル・クアム:夜の神
    アル・ウッザー:星女神です。

  • 象の形をした岩です。<br />右の横が象の横顔に見えます。<br />特に珍しくはなく、世界中でこのような奇岩はありますが・・。<br />浸食されてこの形になったのでしょう。

    象の形をした岩です。
    右の横が象の横顔に見えます。
    特に珍しくはなく、世界中でこのような奇岩はありますが・・。
    浸食されてこの形になったのでしょう。

  • 土産物屋<br /><br />世界遺産の中ですが、このようにあります。<br />この近くで「キーキー」まるで猿か鳥が鳴いているのかと思ったら、ベドウィンの男の子が口笛のように鳴らしていた音でした。

    土産物屋

    世界遺産の中ですが、このようにあります。
    この近くで「キーキー」まるで猿か鳥が鳴いているのかと思ったら、ベドウィンの男の子が口笛のように鳴らしていた音でした。

  • 飲料水用のパイプです。<br />なんと、ちゃんとパイプがあったのです。<br />こちらは劣化していますが、博物館で確認しました。

    飲料水用のパイプです。
    なんと、ちゃんとパイプがあったのです。
    こちらは劣化していますが、博物館で確認しました。

  • 何やら訳のわからない写真になってしまいましたが、キャラバン隊の人の足です。<br />そして、この左側にはらくだも描かれています。<br /><br />きっと昔はこのように、ここを通って行ったのでしょう。

    何やら訳のわからない写真になってしまいましたが、キャラバン隊の人の足です。
    そして、この左側にはらくだも描かれています。

    きっと昔はこのように、ここを通って行ったのでしょう。

  • 小さく見えているのが私です。<br />つまりこのぐらいの大きな岩が迫ってきてます、凄い迫力です。<br />

    小さく見えているのが私です。
    つまりこのぐらいの大きな岩が迫ってきてます、凄い迫力です。

  • ここにもダムがあります。<br />このように、水が峡谷に入る可能性のある場所にダムを建設しました。<br />冬の雨や鉄砲水は甚大な被害をもたらす場合があります。

    ここにもダムがあります。
    このように、水が峡谷に入る可能性のある場所にダムを建設しました。
    冬の雨や鉄砲水は甚大な被害をもたらす場合があります。

  • あ・・・・!<br />ひょっとして・・・。

    あ・・・・!
    ひょっとして・・・。

  • 「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」<br />さて、もうすぐです。

    「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」
    さて、もうすぐです。

  • 明かりが漏れてきています。<br />皆さん、これを待っていました。<br />

    明かりが漏れてきています。
    皆さん、これを待っていました。

  • Oooooooooooooooh!!!

    Oooooooooooooooh!!!

  • Amazing!!!<br />今ならフォトジェニックな写真等々、色々見せ方を知ってますが、この時代、ひょっとして、計算して建設したのでしょうか・・・。<br />謎です。

    Amazing!!!
    今ならフォトジェニックな写真等々、色々見せ方を知ってますが、この時代、ひょっとして、計算して建設したのでしょうか・・・。
    謎です。

  • 岩山に囲まれたシークからバラ色に見えるエル・ハズネが見えました。<br />実際にはバラ色ではないかもしれませんが、綺麗な色です。

    岩山に囲まれたシークからバラ色に見えるエル・ハズネが見えました。
    実際にはバラ色ではないかもしれませんが、綺麗な色です。

  • 映画では、こんな感じでした。

    映画では、こんな感じでした。

  • そして、じゃ~~~ん!全景です。<br /><br />堂々たるファサードを見せてくれてます。<br />高さが45m<br />2000年以上も前に、岩を削って作り上げました。<br />上の部分から順番に削っていったそうです。

    イチオシ

    地図を見る

    そして、じゃ~~~ん!全景です。

    堂々たるファサードを見せてくれてます。
    高さが45m
    2000年以上も前に、岩を削って作り上げました。
    上の部分から順番に削っていったそうです。

    エル ハズネ 史跡・遺跡

    ドラマチックに出現するエル・ハズネ by noelさん
  • イギリスのビクトリア時代の詩人(旅行家)のディーン・バーゴンは<br />「時の刻みと同じくらい古いバラ色の都市」とペトラのことを言っています。<br />このバラ色は、酸化した鉄の色です。<br />それに光が当たり、綺麗な薔薇色に見えます。<br /><br />

    イギリスのビクトリア時代の詩人(旅行家)のディーン・バーゴンは
    「時の刻みと同じくらい古いバラ色の都市」とペトラのことを言っています。
    このバラ色は、酸化した鉄の色です。
    それに光が当たり、綺麗な薔薇色に見えます。

  • 映画では、この奥には聖杯を守っていた騎士がいました。<br />そしてイエス・キリストの聖杯がありました。<br />ただ、この中には入ることはできません。<br />ちなみに奥には大ホール、さらに奥にはお墓があるようです。<br />

    映画では、この奥には聖杯を守っていた騎士がいました。
    そしてイエス・キリストの聖杯がありました。
    ただ、この中には入ることはできません。
    ちなみに奥には大ホール、さらに奥にはお墓があるようです。

  • これは宝物殿の真下を撮影したものです。<br />この建造物は、下にも土台のようなものがあります。<br />地下6mに4つの部屋があるようです。<br />中からは11体の骨と副葬品(土器など見つかりました。)<br />また、北側の墓の前の祭壇には乳香らしきものも発見されているようです。<br />つまり焚いていたのでしょう。

    これは宝物殿の真下を撮影したものです。
    この建造物は、下にも土台のようなものがあります。
    地下6mに4つの部屋があるようです。
    中からは11体の骨と副葬品(土器など見つかりました。)
    また、北側の墓の前の祭壇には乳香らしきものも発見されているようです。
    つまり焚いていたのでしょう。

  • このエル・ハズネを作ったのは誰か・・・。<br />それはナバテア人です。<br /><br />諸説ありますが、ナバテア人は紀元前6世紀頃に、地中海の沿岸を通り、アラビア南部からネゲブ砂漠へ移住しました。<br />現在のサウジアラビア北部からヨルダン、シリア南部にかけて勢力を誇っていました。サウジアラビアにもナバテア人が築いた南の都として「マダイン・サーレ」があります。<br /><br />元々は典型的な遊牧民でした。<br />歴史の舞台に顔を出したのは、紀元前1世紀頃です。<br />これは「歴史叢書」の記述にあります。<br /><br />ナバテア人は敵の侵入のない荒野での生活をしました。水源もありません。<br />ラクダや羊の飼育はしましたが、農耕などは禁じていました。<br />そして非形象的でした。これはユダヤのヤハウェと通ずるものがあります。<br />彼らは次第にラクダの隊商を組んで交易を行う商人になりました。<br />現在のイエメンやオマーン(南アラビア)と地中海世界を結ぶ隊商貿易と死海地方の瀝青の採取で、そして更には乳香と没薬をはじめとする香料、東アフリカやインドからは貴金属、象牙、香辛料などで富を蓄えました。<br />特に神聖で高価で神に捧げられた香料など利益をもたらしました。<br />そして周辺の大国との争いを避けていました。

    このエル・ハズネを作ったのは誰か・・・。
    それはナバテア人です。

    諸説ありますが、ナバテア人は紀元前6世紀頃に、地中海の沿岸を通り、アラビア南部からネゲブ砂漠へ移住しました。
    現在のサウジアラビア北部からヨルダン、シリア南部にかけて勢力を誇っていました。サウジアラビアにもナバテア人が築いた南の都として「マダイン・サーレ」があります。

    元々は典型的な遊牧民でした。
    歴史の舞台に顔を出したのは、紀元前1世紀頃です。
    これは「歴史叢書」の記述にあります。

    ナバテア人は敵の侵入のない荒野での生活をしました。水源もありません。
    ラクダや羊の飼育はしましたが、農耕などは禁じていました。
    そして非形象的でした。これはユダヤのヤハウェと通ずるものがあります。
    彼らは次第にラクダの隊商を組んで交易を行う商人になりました。
    現在のイエメンやオマーン(南アラビア)と地中海世界を結ぶ隊商貿易と死海地方の瀝青の採取で、そして更には乳香と没薬をはじめとする香料、東アフリカやインドからは貴金属、象牙、香辛料などで富を蓄えました。
    特に神聖で高価で神に捧げられた香料など利益をもたらしました。
    そして周辺の大国との争いを避けていました。

  • 紀元前2世紀になると、ナバテア人の中に王が現れました。<br />紀元前169年頃、最初の王アレタス1世です。<br />その後、何人か王が変わります。<br />そして紀元前32年にはユダヤのヘロデ王の侵略を受けました。<br />後、紀元前9年頃からアレタス4世の治世となり、この頃がナバテア王国にとって最盛期となりました。<br />このアレタス4世により築かれたのが、このエル・ハズネです。<br />葬祭の儀式を行うためのお墓か、もしくは葬祭殿のようなものだったと思われます。

    紀元前2世紀になると、ナバテア人の中に王が現れました。
    紀元前169年頃、最初の王アレタス1世です。
    その後、何人か王が変わります。
    そして紀元前32年にはユダヤのヘロデ王の侵略を受けました。
    後、紀元前9年頃からアレタス4世の治世となり、この頃がナバテア王国にとって最盛期となりました。
    このアレタス4世により築かれたのが、このエル・ハズネです。
    葬祭の儀式を行うためのお墓か、もしくは葬祭殿のようなものだったと思われます。

  • ナバテア人がこの地に来る前に、住んでいたのは「エドム人」です。<br />最初に書きましたが、私が泊まったホテルの名前と一緒です。<br />「エドム」というのは地名だったようです。<br />このエドム人はアラブ系の民族で、山脈から鉄や銅を採掘したり、この交易路を支配して、利益を得ていました。<br />ただ、このことからユダヤ人とは、長い間、敵対関係だったようです。<br /><br />ソロモン王の時代、エドム人はユダヤに負けて、ユダヤ人の支配下に入りました。<br />ただ、200年後、紀元前587年、あのバビロン捕囚が発生、ユダヤはバビロニアに征服されてしまいました。<br /><br />その後はエドム人のほとんどは、ユダヤ人がいなくなった土地に住み着くようになりましたが、少数のエドム人は、この地に残りました。<br /><br />そこにやってきたのがナバテア人です。<br />ナバテア人は、最初は放牧したり、隊商を襲ったりして暮らしていました。<br />この頃は1万人くらいでした。<br />ただ100年後には人口の増加が問題となったようです。<br />そして遊牧ではなく、定住するようになります。<br />それが、このエドム人の土地だったのです。<br />民族の間に争いはなく、統合していきました。<br />ナバテア人は、エドム人から陶芸の技術も伝授されました。

    ナバテア人がこの地に来る前に、住んでいたのは「エドム人」です。
    最初に書きましたが、私が泊まったホテルの名前と一緒です。
    「エドム」というのは地名だったようです。
    このエドム人はアラブ系の民族で、山脈から鉄や銅を採掘したり、この交易路を支配して、利益を得ていました。
    ただ、このことからユダヤ人とは、長い間、敵対関係だったようです。

    ソロモン王の時代、エドム人はユダヤに負けて、ユダヤ人の支配下に入りました。
    ただ、200年後、紀元前587年、あのバビロン捕囚が発生、ユダヤはバビロニアに征服されてしまいました。

    その後はエドム人のほとんどは、ユダヤ人がいなくなった土地に住み着くようになりましたが、少数のエドム人は、この地に残りました。

    そこにやってきたのがナバテア人です。
    ナバテア人は、最初は放牧したり、隊商を襲ったりして暮らしていました。
    この頃は1万人くらいでした。
    ただ100年後には人口の増加が問題となったようです。
    そして遊牧ではなく、定住するようになります。
    それが、このエドム人の土地だったのです。
    民族の間に争いはなく、統合していきました。
    ナバテア人は、エドム人から陶芸の技術も伝授されました。

  • 中央の1番上にあるのは、Urm(壺)です。<br />納骨壺です。<br />ここが宝物殿で、しかも1番上にあるのが壺となると、財宝が隠されていると思うのも無理はありません。<br />ベドウィンの銃撃の跡が残っています。<br />ただし、残念ながら財宝も何もありません。砂岩で作った壺の塊です。

    中央の1番上にあるのは、Urm(壺)です。
    納骨壺です。
    ここが宝物殿で、しかも1番上にあるのが壺となると、財宝が隠されていると思うのも無理はありません。
    ベドウィンの銃撃の跡が残っています。
    ただし、残念ながら財宝も何もありません。砂岩で作った壺の塊です。

  • 中央はウッザーです。<br />このウッザーは古代エジプトの女神のイシスと同一視されました。<br />こちらでは死の保護者として描かれています。<br /><br />右の手前に見えるのは、Amazons(アマゾネス)です。<br />ギリシア神話の女性だけの部族です。<br />アマゾネスは馬を飼い慣らし、戦闘を得意とする狩猟民族です。<br /><br />左の手前に見えるのは、Nike(ニケ)です。<br />ギリシア神話の勝利の女神です。<br />

    中央はウッザーです。
    このウッザーは古代エジプトの女神のイシスと同一視されました。
    こちらでは死の保護者として描かれています。

    右の手前に見えるのは、Amazons(アマゾネス)です。
    ギリシア神話の女性だけの部族です。
    アマゾネスは馬を飼い慣らし、戦闘を得意とする狩猟民族です。

    左の手前に見えるのは、Nike(ニケ)です。
    ギリシア神話の勝利の女神です。

  • イシスとアマゾネスの間の奥に描かれているのは、Tyche(テュケー)<br />ゼウスとアフロディーテの娘で繁栄の女神です。<br /><br />そしてウッザーの下部に描かれているのは、Corrnucopia(コルヌコピア)です。<br />食べ物と豊かさの象徴として用いられた角のイメージで描かれてます。

    イシスとアマゾネスの間の奥に描かれているのは、Tyche(テュケー)
    ゼウスとアフロディーテの娘で繁栄の女神です。

    そしてウッザーの下部に描かれているのは、Corrnucopia(コルヌコピア)です。
    食べ物と豊かさの象徴として用いられた角のイメージで描かれてます。

  • 左のペディメント部分には鷲が描かれてます。<br />4体の鷲が死者の魂を運んでいます。<br /><br />

    左のペディメント部分には鷲が描かれてます。
    4体の鷲が死者の魂を運んでいます。

  • 右側の円柱の間に見えるのは、Castor(カストール)<br />ギリシア神話の英雄です。<br />死者の魂を天国に誘います。<br />

    右側の円柱の間に見えるのは、Castor(カストール)
    ギリシア神話の英雄です。
    死者の魂を天国に誘います。

  • 左側の円柱の間に見えるのは、Pollux(ポルックス)です。<br />ギリシア神話の英雄です。<br />ちなみに隣のカストールとは双子です。<br />そしてゼウスの息子です。<br /><br />ちなみに右と左の奥は待合室があり、そして倉庫になっていて、儀式に使用されるものを納めたようです。

    左側の円柱の間に見えるのは、Pollux(ポルックス)です。
    ギリシア神話の英雄です。
    ちなみに隣のカストールとは双子です。
    そしてゼウスの息子です。

    ちなみに右と左の奥は待合室があり、そして倉庫になっていて、儀式に使用されるものを納めたようです。

  • ペディメントと柱の間には7つのグラスが描かれています。<br />7つの日、つまり1週間を表します。<br /><br />また、ペディメント上部には30の花が描かれています<br />これは30日を表しています。

    ペディメントと柱の間には7つのグラスが描かれています。
    7つの日、つまり1週間を表します。

    また、ペディメント上部には30の花が描かれています
    これは30日を表しています。

  • 真下から見上げた様子です。

    真下から見上げた様子です。

  • 円柱はコリント式で12本あります。<br />つまり12の月を表しています。<br />また1年を表してもいます。

    円柱はコリント式で12本あります。
    つまり12の月を表しています。
    また1年を表してもいます。

  • 横を見ると石段があります。<br />上に登って行けそうです。<br /><br />

    横を見ると石段があります。
    上に登って行けそうです。

  • このエル・ハズネの前のスペースでは、らくだに乗る体験や記念撮影ができます。<br />ベドウィンの人たちが誘ってきます。<br />ところで、こちらで見かけたベドウィンの人たちの出で立ちが、なんとなく「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジョニー・ディップに見えました。<br />みなさん雰囲気が似てました。(笑)

    このエル・ハズネの前のスペースでは、らくだに乗る体験や記念撮影ができます。
    ベドウィンの人たちが誘ってきます。
    ところで、こちらで見かけたベドウィンの人たちの出で立ちが、なんとなく「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジョニー・ディップに見えました。
    みなさん雰囲気が似てました。(笑)

  • 地面もご覧のように薔薇色です。<br />ちなみに遺跡を1日歩いた後は、スニーカーもこの色に染まってました。(-_-;)

    地面もご覧のように薔薇色です。
    ちなみに遺跡を1日歩いた後は、スニーカーもこの色に染まってました。(-_-;)

  • これは昔のスケッチです。<br />シークが水に浸かってます。<br />

    これは昔のスケッチです。
    シークが水に浸かってます。

  • David Roberts(1796-1864年)のリトグラフですが、この当時は現在に比べると綺麗で、まだいい状態です。<br />現在は彫刻部分などが、かなり劣化しています。<br />長い歳月の経過で雨などにより浸食されてしまったのでしょうか。<br />ただ、柱はこの時代、損失しているようです。<br />現在のは修復したのかもしれません。

    David Roberts(1796-1864年)のリトグラフですが、この当時は現在に比べると綺麗で、まだいい状態です。
    現在は彫刻部分などが、かなり劣化しています。
    長い歳月の経過で雨などにより浸食されてしまったのでしょうか。
    ただ、柱はこの時代、損失しているようです。
    現在のは修復したのかもしれません。

  • エルハズネから先は、最初は狭い通りでした。<br />ただ、その先は開けてきました。<br />Outer Siq(アウター・シーク)と呼ばれている所です。<br /><br />そして、こちらがファサード通りです。<br />ご覧のようにファサードが並んでいます。<br />全て墳墓です。<br /><br />特に建物の上に、穴があります。<br />これがTombs BD 67(67番の墓)です。<br /><br />ナバテアの柱頭とその上部に三角形のヘレニズムのペディメントがあります。<br />上の入口と下の入口があります。<br />また、このファサードでは、漆喰の残骸が発見されました。<br /><br />この地域では何世紀にもわたって鉄砲水で土砂が流されて、その堆積された土砂がお墓の入口まで達してます。<br />残念ながら土産物屋で、肝心の下の入口が見えません。(-_-;)<br /><br />また、このお墓は地元ベドウィンの間では、Thief Tomb 泥棒の墓と呼ばれてました。<br />それは、泥棒がしばらくの間、この上の部屋に逃げ込んだという伝説からです。

    エルハズネから先は、最初は狭い通りでした。
    ただ、その先は開けてきました。
    Outer Siq(アウター・シーク)と呼ばれている所です。

    そして、こちらがファサード通りです。
    ご覧のようにファサードが並んでいます。
    全て墳墓です。

    特に建物の上に、穴があります。
    これがTombs BD 67(67番の墓)です。

    ナバテアの柱頭とその上部に三角形のヘレニズムのペディメントがあります。
    上の入口と下の入口があります。
    また、このファサードでは、漆喰の残骸が発見されました。

    この地域では何世紀にもわたって鉄砲水で土砂が流されて、その堆積された土砂がお墓の入口まで達してます。
    残念ながら土産物屋で、肝心の下の入口が見えません。(-_-;)

    また、このお墓は地元ベドウィンの間では、Thief Tomb 泥棒の墓と呼ばれてました。
    それは、泥棒がしばらくの間、この上の部屋に逃げ込んだという伝説からです。

  • これらは岩窟墓のファサードです。<br />このようにファサードが並んでいます。<br />岩山の崖を利用して造られています。<br />よく見ると、中には階段状のものもあります。<br /><br />ペトラには数多くの岩窟墓がありますが、ファサードはギリシアやメソポタミアなどの影響がみられます。<br />これらはネベジュ(魂・聖霊・・)を表現していると考えられています。<br />また、階段状になった装飾も見られますが、これは埋葬された人の数を表しているようです。

    これらは岩窟墓のファサードです。
    このようにファサードが並んでいます。
    岩山の崖を利用して造られています。
    よく見ると、中には階段状のものもあります。

    ペトラには数多くの岩窟墓がありますが、ファサードはギリシアやメソポタミアなどの影響がみられます。
    これらはネベジュ(魂・聖霊・・)を表現していると考えられています。
    また、階段状になった装飾も見られますが、これは埋葬された人の数を表しているようです。

  • すぐ前はワディ・ムーサの川床です。<br />この時は、水はありませんが。<br />大雨が降ると激流になります。<br />紀元1世紀になって川がダムによって保護されるまで、広大な集水域から鉄砲水が勢いよく渓谷を通って谷に流れ込みました。

    すぐ前はワディ・ムーサの川床です。
    この時は、水はありませんが。
    大雨が降ると激流になります。
    紀元1世紀になって川がダムによって保護されるまで、広大な集水域から鉄砲水が勢いよく渓谷を通って谷に流れ込みました。

  • Tombs BD 69  (69番のお墓)<br /><br />ヘグラ型です。<br /><br />ちなみに右隣にあるのは<br />Tombs BD 70 (70番のお墓)です。<br />どちらもヘグラ型です。<br />上部にある階段は、天国への階段です。<br />ヘグラ型というのは、サウジアラビアの北西部のヒジャーズの「ヘグラ」です。<br /><br />実はヘグラの考古遺跡(アル・ヒジュル / マダイン・サーレハ)<br />Hegra Archaeologidal(Al-Hijr / Mada in Salih)は、サウジアラビアの北西部でヨルダンとの国境に近いアル・ウラの北東22kmにある古代都市遺跡です。<br />アル・ヒジュルは「岩だらけの場所」、マダイン・サーレハは「サーリフの町」を意味しています。そしてサウジアラビアでは、ナバテア文明の最大規模の遺跡です。世界遺産にもなっています。<br />ペトラがナバテアの「北の首都」であるのに対して、アル・ヒジュルは「南の首都」でした。<br />ちなみに、サウジアラビアの渡航について、2023年3月から90日以内の観光目的の短期査証はオンライン申請で、電子ビザの発給を受けることができるようになりました。<br />参考まで!

    Tombs BD 69 (69番のお墓)

    ヘグラ型です。

    ちなみに右隣にあるのは
    Tombs BD 70 (70番のお墓)です。
    どちらもヘグラ型です。
    上部にある階段は、天国への階段です。
    ヘグラ型というのは、サウジアラビアの北西部のヒジャーズの「ヘグラ」です。

    実はヘグラの考古遺跡(アル・ヒジュル / マダイン・サーレハ)
    Hegra Archaeologidal(Al-Hijr / Mada in Salih)は、サウジアラビアの北西部でヨルダンとの国境に近いアル・ウラの北東22kmにある古代都市遺跡です。
    アル・ヒジュルは「岩だらけの場所」、マダイン・サーレハは「サーリフの町」を意味しています。そしてサウジアラビアでは、ナバテア文明の最大規模の遺跡です。世界遺産にもなっています。
    ペトラがナバテアの「北の首都」であるのに対して、アル・ヒジュルは「南の首都」でした。
    ちなみに、サウジアラビアの渡航について、2023年3月から90日以内の観光目的の短期査証はオンライン申請で、電子ビザの発給を受けることができるようになりました。
    参考まで!

  • ロバが暑そうに、首を垂れています。

    ロバが暑そうに、首を垂れています。

  • Tombs BD 70 (70番のお墓)です。<br /><br />東西北の三面を岩盤からくり抜いてます。<br />北面は幅7.8m 高さ15.6mです。<br />こちらもヘグラ型です。<br />このファサードは、数回修復されたようです。<br />角柱の大きな柱頭の内側に向いた渦巻き模様は、珍しいものです。<br /><br />お墓には3つの時代の痕跡があります。<br />ナバテア時代の物は墓穴から発見されてます。<br />次いでローマ時代後期のものが。<br />さらには後期の物で、埋葬室を横切る水路があります。

    Tombs BD 70 (70番のお墓)です。

    東西北の三面を岩盤からくり抜いてます。
    北面は幅7.8m 高さ15.6mです。
    こちらもヘグラ型です。
    このファサードは、数回修復されたようです。
    角柱の大きな柱頭の内側に向いた渦巻き模様は、珍しいものです。

    お墓には3つの時代の痕跡があります。
    ナバテア時代の物は墓穴から発見されてます。
    次いでローマ時代後期のものが。
    さらには後期の物で、埋葬室を横切る水路があります。

  • ハンド・クラフトのお店です。<br />ペトラで有名なサンド・ボトルがたくさんあります。<br />

    ハンド・クラフトのお店です。
    ペトラで有名なサンド・ボトルがたくさんあります。

  • サンド・ボトルには文字も入れてくれます。<br />小さいサイズは無理ですが。<br />先に頼んで支払いを済ませておけば、帰りにはできているそうです。

    サンド・ボトルには文字も入れてくれます。
    小さいサイズは無理ですが。
    先に頼んで支払いを済ませておけば、帰りにはできているそうです。

  • この先に石段が見えます。<br />ペトラは思ったよりも広大で、1日では回り切れません。

    この先に石段が見えます。
    ペトラは思ったよりも広大で、1日では回り切れません。

  • 今度はたくさんの小さなお墓です。<br /><br />ネクロポリスとしても知られるファサード通りには、大きなファサードや印象的な墓が並び、市の中心部へと続いています。<br />一部の専門家は、ペトラで最古の埋葬地であると考えています。<br />両側には装飾されたナバテア人の墳墓が多数あります。<br />ただ残念ながら、自然の要因等によって破損してしまってます。

    今度はたくさんの小さなお墓です。

    ネクロポリスとしても知られるファサード通りには、大きなファサードや印象的な墓が並び、市の中心部へと続いています。
    一部の専門家は、ペトラで最古の埋葬地であると考えています。
    両側には装飾されたナバテア人の墳墓が多数あります。
    ただ残念ながら、自然の要因等によって破損してしまってます。

  • この先は「犠牲祭壇」方向かと思います。<br />残念ながら行きませんでした。<br /><br />犠牲祭壇には実際に生贄が捧げられました。<br />神に生贄を捧げ、最も神聖な場所でした。<br />人間が生贄になったかどうかは定かではないのですが、ペトラではない他の地域の碑文に、人間の生贄についてほのめかす文書が残されているようです。

    この先は「犠牲祭壇」方向かと思います。
    残念ながら行きませんでした。

    犠牲祭壇には実際に生贄が捧げられました。
    神に生贄を捧げ、最も神聖な場所でした。
    人間が生贄になったかどうかは定かではないのですが、ペトラではない他の地域の碑文に、人間の生贄についてほのめかす文書が残されているようです。

  • 大きな岩がゴロゴロしてます。<br />1つ1つの岩を見ると、砂岩なので削りやすそうに見えます。<br />もっとも簡単ではありませんが。

    大きな岩がゴロゴロしてます。
    1つ1つの岩を見ると、砂岩なので削りやすそうに見えます。
    もっとも簡単ではありませんが。

  • 本当にたくさんの墳墓です。<br />まさにネクロポリスです。<br /><br />ところでアガサ・クリスティの作品の中にペトラが舞台になったものがあります。<br />「死との約束」です。<br />もうだいぶ昔、クリスティの作品は読破してますが、当時はペトラの事を知りませんでした。そのため改めて旅行後、読んでみました。<br />物語の中ではエルサレムに滞在していて、ペトラに向かうことになっています。<br />ペトラに向かう場面で、次のように記されています。<br /><br />★★★死の谷へ死の谷へと降りて行くのだ・・・下へ下へと降りて行くうちにあたりは暗さを増し、鮮やかな岩壁の赤い色が次第に黒ずんできた。彼らはどこまでも曲がりくねった岩の間の細道を伝って、地の底へ吸い込まれ幽閉されて行く。<br />彼女は思った。「本当に幻想的な信じがたい、死の都なのね」そしてさっきの言葉が、また心に浮かんできた。「死の谷・・・」<br />ようやくランタンに火が灯された。馬は細い道を曲がりくねって行く。やがて突然広い場所に出た。岩壁が遠のき、はるか前方にひとむらのとぼしびが見えた。<br />「あれはキャンプです。」と案内の人が説明した。<br />馬は少し足を速めた。ほんの少しー空腹と疲労で、足を速めることはできなくなっていたのだが、馬が心を躍らせているのがわかった。やがて砂利の多い川床に沿って道がつづき、ともしびが一層近づいてきた。崖を背にして一群のテントが立ち並んでいる。崖にほこらが掘られているのも見えた。<br />そここへ着くとベドウィン人の召使いたちが駆け寄ってきた。<br />サラはその洞窟の一つを目をこらして見つめた。そこに坐っている人影があった。あれは何だろう?偶像だろうか。巨大な坐像のように見える。・・・・★★★<br /><br />・・・と、一部抜粋しました。<br />そして坐像のように見えたのは、この物語で殺されたボイントン夫人でした。<br /><br />そしてその後、聖地である犠牲の地へ行った記述もあります。おそらく犠牲祭壇のことでしょう。<br />この頃はまだ世界遺産にもなっていませんでした。<br />そしてエル・ハズネという言葉も出てきません。ただ、おそらくこの付近に宿泊したのではないのかと思います。<br />当時はホテルはなかったのかもしれません。<br />勿論エルサレムにはあったようで、キング・ソロモンホテルに宿泊していたことが書かれています。<br />ただ、ペトラでは洞窟やキャンプに宿泊していたようです。<br />このご一行は小さなテントではなく、大天幕に宿泊してます。<br />今のグランピングよりも豪華なタイプでしょうか・・・。勝手に想像しました。<br /><br />この「死との約束」は「ナイルに死す」の翌年に刊行されました。<br />アガサ・クリスティーは1930年に考古学者と再婚し、その後、夫の発掘調査に同行して、しばしば中東を訪れています。<br />

    本当にたくさんの墳墓です。
    まさにネクロポリスです。

    ところでアガサ・クリスティの作品の中にペトラが舞台になったものがあります。
    「死との約束」です。
    もうだいぶ昔、クリスティの作品は読破してますが、当時はペトラの事を知りませんでした。そのため改めて旅行後、読んでみました。
    物語の中ではエルサレムに滞在していて、ペトラに向かうことになっています。
    ペトラに向かう場面で、次のように記されています。

    ★★★死の谷へ死の谷へと降りて行くのだ・・・下へ下へと降りて行くうちにあたりは暗さを増し、鮮やかな岩壁の赤い色が次第に黒ずんできた。彼らはどこまでも曲がりくねった岩の間の細道を伝って、地の底へ吸い込まれ幽閉されて行く。
    彼女は思った。「本当に幻想的な信じがたい、死の都なのね」そしてさっきの言葉が、また心に浮かんできた。「死の谷・・・」
    ようやくランタンに火が灯された。馬は細い道を曲がりくねって行く。やがて突然広い場所に出た。岩壁が遠のき、はるか前方にひとむらのとぼしびが見えた。
    「あれはキャンプです。」と案内の人が説明した。
    馬は少し足を速めた。ほんの少しー空腹と疲労で、足を速めることはできなくなっていたのだが、馬が心を躍らせているのがわかった。やがて砂利の多い川床に沿って道がつづき、ともしびが一層近づいてきた。崖を背にして一群のテントが立ち並んでいる。崖にほこらが掘られているのも見えた。
    そここへ着くとベドウィン人の召使いたちが駆け寄ってきた。
    サラはその洞窟の一つを目をこらして見つめた。そこに坐っている人影があった。あれは何だろう?偶像だろうか。巨大な坐像のように見える。・・・・★★★

    ・・・と、一部抜粋しました。
    そして坐像のように見えたのは、この物語で殺されたボイントン夫人でした。

    そしてその後、聖地である犠牲の地へ行った記述もあります。おそらく犠牲祭壇のことでしょう。
    この頃はまだ世界遺産にもなっていませんでした。
    そしてエル・ハズネという言葉も出てきません。ただ、おそらくこの付近に宿泊したのではないのかと思います。
    当時はホテルはなかったのかもしれません。
    勿論エルサレムにはあったようで、キング・ソロモンホテルに宿泊していたことが書かれています。
    ただ、ペトラでは洞窟やキャンプに宿泊していたようです。
    このご一行は小さなテントではなく、大天幕に宿泊してます。
    今のグランピングよりも豪華なタイプでしょうか・・・。勝手に想像しました。

    この「死との約束」は「ナイルに死す」の翌年に刊行されました。
    アガサ・クリスティーは1930年に考古学者と再婚し、その後、夫の発掘調査に同行して、しばしば中東を訪れています。

  • 土産物屋<br />織物などが並んでいます。<br />マスターカードが使えるようです。<br />う~~~ん。現金にします。

    土産物屋
    織物などが並んでいます。
    マスターカードが使えるようです。
    う~~~ん。現金にします。

  • 穴の大きさはまちまちです。<br />ちなみにズームしたら、防犯カメラらしき物を発見。<br /><br />当日は天気が良すぎて、特に太陽に向かってはほとんど見えませんでした。<br />しかも私は目が悪いため、写っているかどうか、わからないまま撮った写真も多いです。<br />その結果、訳のわからない写真がたくさんありました。

    穴の大きさはまちまちです。
    ちなみにズームしたら、防犯カメラらしき物を発見。

    当日は天気が良すぎて、特に太陽に向かってはほとんど見えませんでした。
    しかも私は目が悪いため、写っているかどうか、わからないまま撮った写真も多いです。
    その結果、訳のわからない写真がたくさんありました。

  • 古代ローマの円形劇場です。<br />この劇場は紀元前4年から紀元後27年、アレタス4世の治世に建築されました。<br />アレタス4世の治世下ではエルハズネも建築されています。<br />この建築は岩を削って造られました。<br />3列の座席と7つの階段があり、約4000人を収容できました。<br />その後、アレタス4世の息子のマリクス2世が改装工事をしました。

    古代ローマの円形劇場です。
    この劇場は紀元前4年から紀元後27年、アレタス4世の治世に建築されました。
    アレタス4世の治世下ではエルハズネも建築されています。
    この建築は岩を削って造られました。
    3列の座席と7つの階段があり、約4000人を収容できました。
    その後、アレタス4世の息子のマリクス2世が改装工事をしました。

  • その後、ローマの支配下になり、客席が拡張されました。<br />そして、約45段の階段で、約8500人の観客が収容できるようになりました。<br />古代ローマ時代は、他の地域と同様に劇場として使われましたが、それ以前は別の目的で造られたようです。<br /><br />この写真の半分より上の付近に、洞窟が見えますが、これはLoculi(ロクリ)と呼ばれるものです。<br />これは遺体を保存するために建設されたようです。<br />アレタス4世は、これを自身の葬祭場として造ったと思われているようです。

    その後、ローマの支配下になり、客席が拡張されました。
    そして、約45段の階段で、約8500人の観客が収容できるようになりました。
    古代ローマ時代は、他の地域と同様に劇場として使われましたが、それ以前は別の目的で造られたようです。

    この写真の半分より上の付近に、洞窟が見えますが、これはLoculi(ロクリ)と呼ばれるものです。
    これは遺体を保存するために建設されたようです。
    アレタス4世は、これを自身の葬祭場として造ったと思われているようです。

    ローマ円形劇場 史跡・遺跡

    元々はナバテア人が建設した劇場 by noelさん
  • この舞台の地下は、物置スペースになっているようです。

    この舞台の地下は、物置スペースになっているようです。

  • 舞台の背後には、大理石の円柱で支えられた高い建物(3階建て)がありました。

    舞台の背後には、大理石の円柱で支えられた高い建物(3階建て)がありました。

  • この劇場は363年に大地震で被害を被り、今もそのままになっています。<br />その後の発掘で、ヘラクレスの像が見つかりました。<br />ただし頭部はない状態でした。

    この劇場は363年に大地震で被害を被り、今もそのままになっています。
    その後の発掘で、ヘラクレスの像が見つかりました。
    ただし頭部はない状態でした。

  • この劇場は音響効果も良く、実際にツアーの方が試してみましたが、かなりよく響きました。<br />ローマ劇場はヨルダンには他にもあります。<br />首都のアンマンにもありますが、33列で収容人数は6000人です。<br />また、ジェラッシュ遺跡の劇場は、当時は5000人収容できるものでした。<br />いずれにせよ、このペトラの劇場の方が広いです。

    この劇場は音響効果も良く、実際にツアーの方が試してみましたが、かなりよく響きました。
    ローマ劇場はヨルダンには他にもあります。
    首都のアンマンにもありますが、33列で収容人数は6000人です。
    また、ジェラッシュ遺跡の劇場は、当時は5000人収容できるものでした。
    いずれにせよ、このペトラの劇場の方が広いです。

  • この石は大理石です。<br />つまり、今はない建物があった痕跡です。

    この石は大理石です。
    つまり、今はない建物があった痕跡です。

  • 最後に全体を見渡してみます。<br />後方に岩山があるため、音響がいいのがわかります。

    最後に全体を見渡してみます。
    後方に岩山があるため、音響がいいのがわかります。

  • 本当にたくさんの洞窟が、しかもかなり大きなサイズのものまであります。<br />高い位置にヨルダンの国旗も見えます。<br />それにしても、岩の上の人ですが、かなり小さく見えてしまいます。

    本当にたくさんの洞窟が、しかもかなり大きなサイズのものまであります。
    高い位置にヨルダンの国旗も見えます。
    それにしても、岩の上の人ですが、かなり小さく見えてしまいます。

  • 洞窟の中にトイレまで作ってしまってます。<br />これは最近のものですが・・。

    洞窟の中にトイレまで作ってしまってます。
    これは最近のものですが・・。

  • 香料の土産物屋さんがありました。<br />流石は交易の地です。<br /><br />イエス・キリストの生誕の物語にもあるように、イエスが生まれたとき、東方から三人の博士(賢人)が、黄金、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)を幼子イエスに捧げました。(マタイの福音書2章11節)<br /><br />ちらりと見たところ、乳香も没薬もあります。イエメン産と、もう1つの産地は文字が切れてますが、オマーン産あたりでしょうか・・・。

    香料の土産物屋さんがありました。
    流石は交易の地です。

    イエス・キリストの生誕の物語にもあるように、イエスが生まれたとき、東方から三人の博士(賢人)が、黄金、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)を幼子イエスに捧げました。(マタイの福音書2章11節)

    ちらりと見たところ、乳香も没薬もあります。イエメン産と、もう1つの産地は文字が切れてますが、オマーン産あたりでしょうか・・・。

  • 今はゆっくりできないので、また後でね~!と言って、帰りに寄ることにしました。何軒か似たようなお店が並んでました。

    今はゆっくりできないので、また後でね~!と言って、帰りに寄ることにしました。何軒か似たようなお店が並んでました。

  • Royal Tomb (王家の墓)などの岩窟建築群が見えます。<br />右の方にあります。<br />本当にナバテア人は、岩山を削る名人です。<br />このペトラには約3万人の人々が住んでいたようです。<br />

    Royal Tomb (王家の墓)などの岩窟建築群が見えます。
    右の方にあります。
    本当にナバテア人は、岩山を削る名人です。
    このペトラには約3万人の人々が住んでいたようです。

  • 凄い岩です。<br />その上方に見えてきました。<br /><br />Royal Tomb and Royal Quarters(王家の墓と王室)<br /><br />手前にあるのが、いわゆる大寺院です。<br />ペトラ王室と考えられてます。調査中です。<br /><br />その中で、中央付近に見えるのは<br />「壺の墓」です。<br />そして左が「シルクの墓」、その左が「コリント式の墓」、その左が「宮殿の墓」そしてその次は見えにくいのですが、「セクスティウス・ブロレンティヌスの墓」です。

    凄い岩です。
    その上方に見えてきました。

    Royal Tomb and Royal Quarters(王家の墓と王室)

    手前にあるのが、いわゆる大寺院です。
    ペトラ王室と考えられてます。調査中です。

    その中で、中央付近に見えるのは
    「壺の墓」です。
    そして左が「シルクの墓」、その左が「コリント式の墓」、その左が「宮殿の墓」そしてその次は見えにくいのですが、「セクスティウス・ブロレンティヌスの墓」です。

  • この日の予定では、このまま柱廊通りを抜け、大神殿や凱旋門に向かいます。<br />そしてランチの予定です。<br />その後は、希望に応じてエド・ディルに行きます。<br />私はどうしても頑張ってエド・ディルまで行きたかったので、王家の墳墓群には、その後に回れればなぁ~と思ってました。<br /><br />

    この日の予定では、このまま柱廊通りを抜け、大神殿や凱旋門に向かいます。
    そしてランチの予定です。
    その後は、希望に応じてエド・ディルに行きます。
    私はどうしても頑張ってエド・ディルまで行きたかったので、王家の墳墓群には、その後に回れればなぁ~と思ってました。

    王家の墓 史跡・遺跡

    岩窟(墓)群が横一列に並んでます。 by noelさん
  • The Urn Tomb (壺の墓)<br /><br />現地では、Al Mahkamah(アル・マフカマ)で、裁判所という意味ですが、実際に裁判所のような文書が発掘されてはいないようです。<br /><br />このペディメントの頂部には壺があります。<br />おそらく70年頃に建設されたと考えられてます。<br />また、この前には両側に柱廊のある中庭があります。<br />またファサード上部には3つの壁龕があり、小さな埋葬室になってます。<br />446年には、ビザンチン教会として使われるようになりました。<br /><br />この建物は、アレタス4世の宮殿か、もしくは家族を埋葬した墓か、あるいは息子のマリクス2世の墓か・・・と考えられています。<br />壺の墓の内部ですが、ほぼ正方形のの大きな部屋があり、18.95m×17.15mあります。ギリシャ語の碑文が発見されており、イアソン司教がビザンチン教会に改装させたと記されてます。<br />そして典礼上の理由から、後壁の3つの部屋は3つの平なアーチ型の後陣に変更されてます。<br />教会の南側には竪穴があり、右の後陣にはもう1つの竪穴墓があります。<br />447年に亡くなったイアソン司教の息子のディオニシウスに捧げられた墓碑名が大理石のブロックがあります。

    The Urn Tomb (壺の墓)

    現地では、Al Mahkamah(アル・マフカマ)で、裁判所という意味ですが、実際に裁判所のような文書が発掘されてはいないようです。

    このペディメントの頂部には壺があります。
    おそらく70年頃に建設されたと考えられてます。
    また、この前には両側に柱廊のある中庭があります。
    またファサード上部には3つの壁龕があり、小さな埋葬室になってます。
    446年には、ビザンチン教会として使われるようになりました。

    この建物は、アレタス4世の宮殿か、もしくは家族を埋葬した墓か、あるいは息子のマリクス2世の墓か・・・と考えられています。
    壺の墓の内部ですが、ほぼ正方形のの大きな部屋があり、18.95m×17.15mあります。ギリシャ語の碑文が発見されており、イアソン司教がビザンチン教会に改装させたと記されてます。
    そして典礼上の理由から、後壁の3つの部屋は3つの平なアーチ型の後陣に変更されてます。
    教会の南側には竪穴があり、右の後陣にはもう1つの竪穴墓があります。
    447年に亡くなったイアソン司教の息子のディオニシウスに捧げられた墓碑名が大理石のブロックがあります。

  • The Silk Tomb(シルクの墓)<br />BD770<br /><br />侵食された砂岩のファサードが虹色に輝くことから、シルクまたは縞模様の墓として知られています。<br />壺の墓の北側にあり、その歴史は1世紀半まで遡ります。<br />ファサードは幅10.8m、長さ19mで中央には入口があり、4本の柱が特徴です。

    The Silk Tomb(シルクの墓)
    BD770

    侵食された砂岩のファサードが虹色に輝くことから、シルクまたは縞模様の墓として知られています。
    壺の墓の北側にあり、その歴史は1世紀半まで遡ります。
    ファサードは幅10.8m、長さ19mで中央には入口があり、4本の柱が特徴です。

  • Corunthian Tomb(コリント式の墓)<br />BD776 <br />40-70年頃に建設されたエル・ハズネの構造と同じお墓です。<br />風化してしまってますが、幅27.55m、高さ28mのファサードです。<br />中央の1本の柱にはペディメントがあります。<br />ファサードの開口部は、左右が非対称になっています。<br />右には窓があり、左には入口があります。そして三角形のペディメントがあります。<br />墓の前には4つの水盤の跡があります。

    Corunthian Tomb(コリント式の墓)
    BD776
    40-70年頃に建設されたエル・ハズネの構造と同じお墓です。
    風化してしまってますが、幅27.55m、高さ28mのファサードです。
    中央の1本の柱にはペディメントがあります。
    ファサードの開口部は、左右が非対称になっています。
    右には窓があり、左には入口があります。そして三角形のペディメントがあります。
    墓の前には4つの水盤の跡があります。

  • Palace Tomb(宮殿の墓)<br />BD765<br /><br />5階建てのファサードは、幅49m、高さ46mです。<br />下層部から2層目は、おそらく記念碑を置くために使われていたようです。<br />ファサードの後ろに通じていて、そこから墓の上の崖にアクセスでき、水路と貯水池の集水システムがあったようです。<br />上部ファサードは独立して建築されました。<br />約3分の1が砂岩のブロックを使用して、レンガで積み上げられ、アーチ型の天井と木の梁で支えられてます。<br />

    Palace Tomb(宮殿の墓)
    BD765

    5階建てのファサードは、幅49m、高さ46mです。
    下層部から2層目は、おそらく記念碑を置くために使われていたようです。
    ファサードの後ろに通じていて、そこから墓の上の崖にアクセスでき、水路と貯水池の集水システムがあったようです。
    上部ファサードは独立して建築されました。
    約3分の1が砂岩のブロックを使用して、レンガで積み上げられ、アーチ型の天井と木の梁で支えられてます。

  • Tomb of Sextius Florentine(セクティウス・フロレンティヌスの墓)<br />BD763 Tomb<br /><br />ペトラで唯一墓であると言えるのは、このセクティウス・フロレンティヌスのお墓です。ファサードはかなり風化してて、午後遅くに最もよく見えるようです。<br />横から陽があたるので。<br />お墓を建設したのは、彼の息子のルシウスの命によってです。<br />セクティウスは127年頃、アラビア属州(アラビア・ペトラエア)のローマ総督を務めたようです。<br />残念ながら130年には次の後継者が資料にあることから、129年には亡くなったようです。ナバテア人のお墓がローマ人に再利用されたことで、反論を呼んだようです。<br />ローマに併合された後は、ペトラの中心部での埋葬は禁止されました。

    Tomb of Sextius Florentine(セクティウス・フロレンティヌスの墓)
    BD763 Tomb

    ペトラで唯一墓であると言えるのは、このセクティウス・フロレンティヌスのお墓です。ファサードはかなり風化してて、午後遅くに最もよく見えるようです。
    横から陽があたるので。
    お墓を建設したのは、彼の息子のルシウスの命によってです。
    セクティウスは127年頃、アラビア属州(アラビア・ペトラエア)のローマ総督を務めたようです。
    残念ながら130年には次の後継者が資料にあることから、129年には亡くなったようです。ナバテア人のお墓がローマ人に再利用されたことで、反論を呼んだようです。
    ローマに併合された後は、ペトラの中心部での埋葬は禁止されました。

  • Royal Tomb Gift Shop<br />王家の墓の下の付近にある土産物屋さんです。

    Royal Tomb Gift Shop
    王家の墓の下の付近にある土産物屋さんです。

  • 夾竹桃(きょうちくとう)です。<br />暑さに強いので、中東でも育ちます。<br />こんなに可愛らしく綺麗なのですが、実は要注意!<br />葉、茎、根、花、種子の全て、命に関わるほどの有毒成分を含んでいます。<br />「注意」「危険」「用心」これが花言葉だそうです。(-_-;)<br /><br />実は夾竹桃は、広島に原爆が投下された折に、いち早く花を咲かせたそうです。このことから復興の象徴として、広島市では市の花となっているようです。

    夾竹桃(きょうちくとう)です。
    暑さに強いので、中東でも育ちます。
    こんなに可愛らしく綺麗なのですが、実は要注意!
    葉、茎、根、花、種子の全て、命に関わるほどの有毒成分を含んでいます。
    「注意」「危険」「用心」これが花言葉だそうです。(-_-;)

    実は夾竹桃は、広島に原爆が投下された折に、いち早く花を咲かせたそうです。このことから復興の象徴として、広島市では市の花となっているようです。

  • Nymphaem(ニンファエウム)<br /><br />泉の精のニンフを祀る泉です。<br />生命の源の水です。<br />この木はピスタチオの木ですが、樹齢400年と言われています。<br /><br />この付近から柱廊通りになります。

    Nymphaem(ニンファエウム)

    泉の精のニンフを祀る泉です。
    生命の源の水です。
    この木はピスタチオの木ですが、樹齢400年と言われています。

    この付近から柱廊通りになります。

  • 右方向はビザンチン教会<br />トゥルクマニア・ロードです。<br /><br />左方向はベイジン(レストラン)<br />エド・ディルです。<br /><br />ビザンチン教会は、キリスト教時代の教会です。<br />地中に埋もれてしまっていたのですが、1990年にアメリカの考古学者によって発見されました。<br />元々はナバテア人の建物だったのを、キリスト教化になったことから、530年頃に教会になりました。<br />この中には美しいモザイク画もあります。<br />また、パピルスの巻物も発見されました。(炭化された状態で)152巻もです。<br />内容は東方正教会についてのようです。<br /><br />実は十字軍は、ヨルダン川の東岸のこのペトラにも侵攻しました。<br />ダマスカスからヨルダンを通って、カイロやメッカを結んでいる交易路であり、巡礼の道を支配するためです。<br />そのため、Al Wu’ira(アル・ウイーラ)城が、このペトラ遺跡の近くにも築かれました。アル・ウイーラでは、テンプル騎士団が防衛に当たったらしいです。<br /><br />確かにエルサレムの近くですので、このような事になるとは理解できますが、この時代は特に放っておかれていて、歴史から姿を消していたのかと思いました。

    右方向はビザンチン教会
    トゥルクマニア・ロードです。

    左方向はベイジン(レストラン)
    エド・ディルです。

    ビザンチン教会は、キリスト教時代の教会です。
    地中に埋もれてしまっていたのですが、1990年にアメリカの考古学者によって発見されました。
    元々はナバテア人の建物だったのを、キリスト教化になったことから、530年頃に教会になりました。
    この中には美しいモザイク画もあります。
    また、パピルスの巻物も発見されました。(炭化された状態で)152巻もです。
    内容は東方正教会についてのようです。

    実は十字軍は、ヨルダン川の東岸のこのペトラにも侵攻しました。
    ダマスカスからヨルダンを通って、カイロやメッカを結んでいる交易路であり、巡礼の道を支配するためです。
    そのため、Al Wu’ira(アル・ウイーラ)城が、このペトラ遺跡の近くにも築かれました。アル・ウイーラでは、テンプル騎士団が防衛に当たったらしいです。

    確かにエルサレムの近くですので、このような事になるとは理解できますが、この時代は特に放っておかれていて、歴史から姿を消していたのかと思いました。

  • 現在地を表している地図です。

    現在地を表している地図です。

  • 階段が見えてきました。<br />上には列柱の跡のような物が見えます。<br />横には石が積み上げられています。

    階段が見えてきました。
    上には列柱の跡のような物が見えます。
    横には石が積み上げられています。

  • 柱廊通りは、古代ローマの石畳になっています。<br />道幅は結構広く10m、全長225mあります。<br />106年、ローマの属州となり、ナバテアの道を改装し、大理石で造られています。

    柱廊通りは、古代ローマの石畳になっています。
    道幅は結構広く10m、全長225mあります。
    106年、ローマの属州となり、ナバテアの道を改装し、大理石で造られています。

    柱廊通り 史跡・遺跡

    ペトラの中心地で広々とした空間です。 by noelさん
  • 列柱が並んでいます。<br />実は、1番手前の列柱の下のあたり、土産物屋が、ロープらしき物を巻き付けています。(-_-;)(-_-;)(-_-;)<br />世界遺産なのに、こんなことしていいの???<br />それでなくても、長い間、耐えてきた石なのに。<br /><br />実は旅行前の7月25日、「たびれじ」に登録していたため、在ヨルダン日本大使館から以下のようなメールが届いてました。<br />↓<br />1 ヨルダン当局からの情報によりますと、7月24日(月)、マアーン県西部において、ペトラ郡の住民がペトラ地域当局の給与未払いに対し、公道を置き石でふさぐ等抗議活動を行っております。<br />2 治安当局は催涙ガスを使用し鎮圧にあたっており、抗議活動をしていた者の中に負傷者が出ているようです。<br />3 この抗議活動が沈静化するまで、観光バスのアブー・サイフーン村への運航が停止されます。<br /><br />とのことでした。<br />こんな状況下で訪れました。<br />観光に携わっていたペトラの方々、コロナの間、かなり大変だったことでしょう。

    列柱が並んでいます。
    実は、1番手前の列柱の下のあたり、土産物屋が、ロープらしき物を巻き付けています。(-_-;)(-_-;)(-_-;)
    世界遺産なのに、こんなことしていいの???
    それでなくても、長い間、耐えてきた石なのに。

    実は旅行前の7月25日、「たびれじ」に登録していたため、在ヨルダン日本大使館から以下のようなメールが届いてました。

    1 ヨルダン当局からの情報によりますと、7月24日(月)、マアーン県西部において、ペトラ郡の住民がペトラ地域当局の給与未払いに対し、公道を置き石でふさぐ等抗議活動を行っております。
    2 治安当局は催涙ガスを使用し鎮圧にあたっており、抗議活動をしていた者の中に負傷者が出ているようです。
    3 この抗議活動が沈静化するまで、観光バスのアブー・サイフーン村への運航が停止されます。

    とのことでした。
    こんな状況下で訪れました。
    観光に携わっていたペトラの方々、コロナの間、かなり大変だったことでしょう。

  • 壊れた列柱の数々です。<br />4世紀の大地震で大きな被害を受けてしまいました。

    壊れた列柱の数々です。
    4世紀の大地震で大きな被害を受けてしまいました。

  • 「大神殿」の向かい側には「有翼ライオンの神殿」があります。

    「大神殿」の向かい側には「有翼ライオンの神殿」があります。

  • 左側の丘に神殿が見えてきました。<br />神殿の手間のあたりは、Lower Marketです。<br />つまり下層市場とでも言えばいいのでしょうか・・・。<br />3つのエリアに分かれているようで、Upper Market 、Middle Marketと上中下に分かれていたようです。<br />この付近は大神殿もあり、儀式、経済、政治の中心になっていたかもしれません。

    左側の丘に神殿が見えてきました。
    神殿の手間のあたりは、Lower Marketです。
    つまり下層市場とでも言えばいいのでしょうか・・・。
    3つのエリアに分かれているようで、Upper Market 、Middle Marketと上中下に分かれていたようです。
    この付近は大神殿もあり、儀式、経済、政治の中心になっていたかもしれません。

  • ブラウン大学(アメリカ)の発掘調査はハシミテ王国の考古局と連携して行われました。

    ブラウン大学(アメリカ)の発掘調査はハシミテ王国の考古局と連携して行われました。

  • 階段を登って行くと大神殿があります。

    階段を登って行くと大神殿があります。

  • 階段を登り、開けた場所はLower Temenos(下部のテメノス)です。<br /><br />テメノスとは、神や王などに捧げられる神聖な場所です。これは公的なエリアとして定められた聖域です。ギリシア語です。

    階段を登り、開けた場所はLower Temenos(下部のテメノス)です。

    テメノスとは、神や王などに捧げられる神聖な場所です。これは公的なエリアとして定められた聖域です。ギリシア語です。

  • 東側と西側には列柱が並んでいます。<br />そして、1階部分の下部のテメノスは六角形の床石が敷き詰められているようです。<br />ただ、この付近は六角形には見えませんが。

    東側と西側には列柱が並んでいます。
    そして、1階部分の下部のテメノスは六角形の床石が敷き詰められているようです。
    ただ、この付近は六角形には見えませんが。

  • 神殿に近い部分は、少しですが六角形に見えます。<br />時間に余裕がなかったため、この先の階段を登った神殿には行きませんでしたが、神殿の手前は劇場型のテアトロンになっていたようです。<br />また、西の神殿奥の一角にはプール跡や、居住空間もあるようです。

    神殿に近い部分は、少しですが六角形に見えます。
    時間に余裕がなかったため、この先の階段を登った神殿には行きませんでしたが、神殿の手前は劇場型のテアトロンになっていたようです。
    また、西の神殿奥の一角にはプール跡や、居住空間もあるようです。

  • 元々は、1世紀頃にナバテア人の神殿として建造されたのですが、4世紀の大地震により破壊されてしまい、その後も修復をしつつ、拡大されていったようです。<br />ビザンチン時代の物もあることから、ビザンチン時代まで使用されていたようです。<br /><br />こちらは西側の列柱です。

    元々は、1世紀頃にナバテア人の神殿として建造されたのですが、4世紀の大地震により破壊されてしまい、その後も修復をしつつ、拡大されていったようです。
    ビザンチン時代の物もあることから、ビザンチン時代まで使用されていたようです。

    こちらは西側の列柱です。

  • これは西の入口の階段かと思います。<br />そしてこの左側のあたりには、ビザンチン時代のハマム(浴場)があったようです。

    これは西の入口の階段かと思います。
    そしてこの左側のあたりには、ビザンチン時代のハマム(浴場)があったようです。

  • そして凄いのは、建物の下には水路が通っていて、ワディ・ムーサへと流れ込んでいたようです。

    そして凄いのは、建物の下には水路が通っていて、ワディ・ムーサへと流れ込んでいたようです。

  • 柱頭通りを挟んで、大神殿の反対方向です。<br /><br />Temple of the winged Lion<br />有翼ライオンの神殿です。

    柱頭通りを挟んで、大神殿の反対方向です。

    Temple of the winged Lion
    有翼ライオンの神殿です。

  • 有翼ライオンは、ナバテアの神「アル・ウッザー」のシンボルです。<br />こちらもアレタス4世の治世下の27年に建造されています。<br />アル・ウッザーを祀るための神殿と思われています。<br /><br />現在はこのような姿ですが、大神殿と同じ位の規模だったようです。<br />アレタス4世の名前が刻まれた碑文が見つかっているようです。

    有翼ライオンは、ナバテアの神「アル・ウッザー」のシンボルです。
    こちらもアレタス4世の治世下の27年に建造されています。
    アル・ウッザーを祀るための神殿と思われています。

    現在はこのような姿ですが、大神殿と同じ位の規模だったようです。
    アレタス4世の名前が刻まれた碑文が見つかっているようです。

  • 倒壊した列柱です。<br />特に柱頭部分でしょうか・・・お花の模様になっています。<br />それとも凱旋門の柱のパネルの一部かもしれません。

    倒壊した列柱です。
    特に柱頭部分でしょうか・・・お花の模様になっています。
    それとも凱旋門の柱のパネルの一部かもしれません。

  • たくさんの遺跡がゴロゴロしています。<br />よく見ると柱自体にも模様があるように見えます。<br /><br />そしてつくづく思うのですが、この周辺の遺跡は地震で倒壊してしまいましたが、エル・ハズネは、岩盤を削っただけですので、基盤がしっかりしてます。<br />ファサード通りのファサードも同様です。<br />全体的には雨などで浸食されているようですが、岩と一体化してるので不動だにしてないようです。<br /><br />ドゥシャラー神の胸像が発掘されて、ペトラ博物館にありますが、おそらく凱旋門近くで発掘されたようですので、この付近にあったのかと思います。<br />瓦礫の中から出てきたようです。<br />まだまだ、この中にも重要な遺物が、壊れた状態であったりして・・・。

    たくさんの遺跡がゴロゴロしています。
    よく見ると柱自体にも模様があるように見えます。

    そしてつくづく思うのですが、この周辺の遺跡は地震で倒壊してしまいましたが、エル・ハズネは、岩盤を削っただけですので、基盤がしっかりしてます。
    ファサード通りのファサードも同様です。
    全体的には雨などで浸食されているようですが、岩と一体化してるので不動だにしてないようです。

    ドゥシャラー神の胸像が発掘されて、ペトラ博物館にありますが、おそらく凱旋門近くで発掘されたようですので、この付近にあったのかと思います。
    瓦礫の中から出てきたようです。
    まだまだ、この中にも重要な遺物が、壊れた状態であったりして・・・。

  • Temenosu Gate (Triumohal Arc)<br />凱旋門(テメノス・ゲート)<br /><br />この先は聖域です。<br />列柱の先の西側に位置しています。<br />建設されたのは、2-4年の古代ローマのトラヤヌス帝かもしくはハドリアヌス帝の治世下だったようです。

    Temenosu Gate (Triumohal Arc)
    凱旋門(テメノス・ゲート)

    この先は聖域です。
    列柱の先の西側に位置しています。
    建設されたのは、2-4年の古代ローマのトラヤヌス帝かもしくはハドリアヌス帝の治世下だったようです。

  • 幅が17mあります。<br />今はありませんが、元々は建物の間にアーチがありました。<br />柱には花のレリーフなどが描かれています。<br /><br />両側には、巨大な石のレリーフとして、上下に7つのパネルが刻まれていました。<br />花と幾何学的なモチーフ、神々の比喩的な胸像と交互になっています。<br />門は木製のドアで閉じることができたようです。<br />

    幅が17mあります。
    今はありませんが、元々は建物の間にアーチがありました。
    柱には花のレリーフなどが描かれています。

    両側には、巨大な石のレリーフとして、上下に7つのパネルが刻まれていました。
    花と幾何学的なモチーフ、神々の比喩的な胸像と交互になっています。
    門は木製のドアで閉じることができたようです。

  • そして凱旋門を通り過ぎた先には<br />Qasr al Bint(カスル・アル・ビント)があります。<br /><br />最も重要な神殿です。<br /><br />「カスル・アル・ビント・アル・ファラウン」は「ファラオの娘の城」を意味します。<br />これは、出エジプト記のファラオに関する地元の伝説に関係しています。物語が語られているように、ファラオはイスラエル人のモーゼを追うのに疲れて、最終的にここペトラの宮廷と和解しました・・・。と言うことになってます。<br />(ただ、ファラオは紅海から先には渡って来れなかったはずです。<br />(-_-;))<br /><br />実は、グスタフ・ダルマン(1902-1917)と言って、エルサレムの聖地のドイツプロテスタント古代研究所の最初の所長がいました。<br />この所長はペトラで、ベドウィンから次の伝説を聞きました。<br />↓<br />それによると・・・<br />カスル・アル・ビントには、エル・ハズネの骨壷に宝物を隠したと言われているファラオの娘が住んでいたそうです。<br />アインブラク(ペトラの南)、またはジャバルハルン(アーロン山)から城に水を運ぶことができたら、ファラオは自分の娘を嫁がせてもいい、と言いました。<br />ある男ははジャバル・ハルンに行き、別の男はアイン・ブラックに行き、2人とも水を運んできました。<br />そして、ジャバル・ハルンに行った男は「水は私と私の部下の力によってもたらされました。」と。<br />アイン・ブラクに行った男は「それは私の努力と神の力によって成功しました。」と言いました。<br />その時、ジャバル・ハルンからのパイプラインが破裂し、ファラオの娘は、アイン・ブラックから水を持ってきた謙虚で神を恐れる男と結婚しました。<br />実際、アイン・ブラクの泉からワディ・ファラサ上流を通ってペトラの古代中心部まで水道管が存在していたそうです。<br /><br />*  エル・ハズネの骨壷を狙った理由は、ファラオの娘が財宝について話したからでした。

    そして凱旋門を通り過ぎた先には
    Qasr al Bint(カスル・アル・ビント)があります。

    最も重要な神殿です。

    「カスル・アル・ビント・アル・ファラウン」は「ファラオの娘の城」を意味します。
    これは、出エジプト記のファラオに関する地元の伝説に関係しています。物語が語られているように、ファラオはイスラエル人のモーゼを追うのに疲れて、最終的にここペトラの宮廷と和解しました・・・。と言うことになってます。
    (ただ、ファラオは紅海から先には渡って来れなかったはずです。
    (-_-;))

    実は、グスタフ・ダルマン(1902-1917)と言って、エルサレムの聖地のドイツプロテスタント古代研究所の最初の所長がいました。
    この所長はペトラで、ベドウィンから次の伝説を聞きました。

    それによると・・・
    カスル・アル・ビントには、エル・ハズネの骨壷に宝物を隠したと言われているファラオの娘が住んでいたそうです。
    アインブラク(ペトラの南)、またはジャバルハルン(アーロン山)から城に水を運ぶことができたら、ファラオは自分の娘を嫁がせてもいい、と言いました。
    ある男ははジャバル・ハルンに行き、別の男はアイン・ブラックに行き、2人とも水を運んできました。
    そして、ジャバル・ハルンに行った男は「水は私と私の部下の力によってもたらされました。」と。
    アイン・ブラクに行った男は「それは私の努力と神の力によって成功しました。」と言いました。
    その時、ジャバル・ハルンからのパイプラインが破裂し、ファラオの娘は、アイン・ブラックから水を持ってきた謙虚で神を恐れる男と結婚しました。
    実際、アイン・ブラクの泉からワディ・ファラサ上流を通ってペトラの古代中心部まで水道管が存在していたそうです。

    * エル・ハズネの骨壷を狙った理由は、ファラオの娘が財宝について話したからでした。

  • カスル・アル・ビントの神殿は、高さ 23mの大きな舗装されたテメノスの中に立っています。<br />それはペリボロス (囲い壁) で囲まれており、2つの碑文によると、アレタス4世 (紀元前9年から40年) の時代に追加で建造されています。<br /><br />北側のファサードはピラスターで囲まれた 4本の柱で、大理石が鋲で留められた階段を通ってきます。<br />犠牲祭壇は北の礼拝堂に面しています。<br /><br />司祭たちはプロナオスからセラへ、そして至聖所へ進みました。<br />中央の礼拝堂では、偶像が高くなった台の上に展示されていました。<br />4世紀の作家は、これらの神殿はドゥシャラーとアル・ ウッザーに捧げられたと記録しました。<br />ギリシャ語の碑文と神殿で発見された目の偶像の断片が証拠に残ってます。<br /><br />また、側室にはバルコニーの屋根があり、壁に埋め込まれた階段からアクセスできました。上層階はおそらく神聖な品々等の保管場所でした。<br />カス・アル・ビントは、切石のコース、レリーフ パネル、植物の巻物を表現した内外の漆喰装飾などがあります。<br />神殿は紀元前1世紀後半に建てられ、2世紀にローマ人によって再利用されました。3世紀の終わりに、この記念碑は略奪され、363年の地震に見舞われる前に焼失してしまいました。

    カスル・アル・ビントの神殿は、高さ 23mの大きな舗装されたテメノスの中に立っています。
    それはペリボロス (囲い壁) で囲まれており、2つの碑文によると、アレタス4世 (紀元前9年から40年) の時代に追加で建造されています。

    北側のファサードはピラスターで囲まれた 4本の柱で、大理石が鋲で留められた階段を通ってきます。
    犠牲祭壇は北の礼拝堂に面しています。

    司祭たちはプロナオスからセラへ、そして至聖所へ進みました。
    中央の礼拝堂では、偶像が高くなった台の上に展示されていました。
    4世紀の作家は、これらの神殿はドゥシャラーとアル・ ウッザーに捧げられたと記録しました。
    ギリシャ語の碑文と神殿で発見された目の偶像の断片が証拠に残ってます。

    また、側室にはバルコニーの屋根があり、壁に埋め込まれた階段からアクセスできました。上層階はおそらく神聖な品々等の保管場所でした。
    カス・アル・ビントは、切石のコース、レリーフ パネル、植物の巻物を表現した内外の漆喰装飾などがあります。
    神殿は紀元前1世紀後半に建てられ、2世紀にローマ人によって再利用されました。3世紀の終わりに、この記念碑は略奪され、363年の地震に見舞われる前に焼失してしまいました。

  • テメノスの西側は、かつては壁の前に柱が並んでいました。<br />その広くて高い後陣には、161年から169年まで一緒に統治したローマ皇帝マルクス・アウレリウスとルキウス・ウェルスを表す大きな大理石の彫像が立っていました。<br />165年から169年の間に発足した帝国崇拝の記念碑は、碑文や彫刻の断片によって証明されるように、それらの両方に捧げられました。<br />ローマ時代には小さな祭壇も建てられました。<br /><br />カスル・アル・ビントの東は、聖域に属し、同時に少し前に建てられた建物の複合施設の遺跡が見えます。

    テメノスの西側は、かつては壁の前に柱が並んでいました。
    その広くて高い後陣には、161年から169年まで一緒に統治したローマ皇帝マルクス・アウレリウスとルキウス・ウェルスを表す大きな大理石の彫像が立っていました。
    165年から169年の間に発足した帝国崇拝の記念碑は、碑文や彫刻の断片によって証明されるように、それらの両方に捧げられました。
    ローマ時代には小さな祭壇も建てられました。

    カスル・アル・ビントの東は、聖域に属し、同時に少し前に建てられた建物の複合施設の遺跡が見えます。

  • 神殿の東側では、ドーリア式フリーズのある精巧な2つのセグメントが残されています。

    神殿の東側では、ドーリア式フリーズのある精巧な2つのセグメントが残されています。

  • 黄色の砂岩のドーリア式フリーズでは、花のロゼットと額入りのメトープとが交互になっています。<br />これらの中には、カスル・アル・ビントで見つかった、光線の冠を持つ太陽神ヘリオスのような石灰岩のレリーフがありました。<br />ヘリオスのメトープは、ナバテア人がヘレニズムのモデルを利用し擬人化された表現もしています。   

    黄色の砂岩のドーリア式フリーズでは、花のロゼットと額入りのメトープとが交互になっています。
    これらの中には、カスル・アル・ビントで見つかった、光線の冠を持つ太陽神ヘリオスのような石灰岩のレリーフがありました。
    ヘリオスのメトープは、ナバテア人がヘレニズムのモデルを利用し擬人化された表現もしています。   

  • おそらく生贄用の祭壇かと思います。

    おそらく生贄用の祭壇かと思います。

  • 神殿には入ることができません。<br />幅6m以上、高さ17mを超える出入口から見た内部の様子です。<br />地下室などもあるようです。<br /><br />元々は23 mの高さでした。<br />プラットフォーム(高さ3m)の上に立っています。

    神殿には入ることができません。
    幅6m以上、高さ17mを超える出入口から見た内部の様子です。
    地下室などもあるようです。

    元々は23 mの高さでした。
    プラットフォーム(高さ3m)の上に立っています。

  • コリント式の柱廊も見られます。<br /><br />ファサードはギリシャ式のモデルに従って設計されました。<br />2つの柱が突き出た壁の側面の間に立っています。<br />神殿の前面と背面には、平らな尖った切妻が、屋根の端を越えた壁の高さにありました。<br /><br />階段 ファサードの正面全体を横切る代表的なオープン階段は、19段の階段を上った先に、広い踊り場がありました。<br /><br />柱の後ろのスペースは、幅約29m、深さ約9m、高さ18mでした。<br />10つの側壁には、床から上に装飾されたフレームを備えた大きな浅いニッチがあります。<br />壁は上部に切石を模した漆喰で装飾されていました。<br />フロント部分のコーナーのピラスターには、正方形、八角形、円の交互のパターンを持つパネルの漆喰装飾が部分的にされています。

    コリント式の柱廊も見られます。

    ファサードはギリシャ式のモデルに従って設計されました。
    2つの柱が突き出た壁の側面の間に立っています。
    神殿の前面と背面には、平らな尖った切妻が、屋根の端を越えた壁の高さにありました。

    階段 ファサードの正面全体を横切る代表的なオープン階段は、19段の階段を上った先に、広い踊り場がありました。

    柱の後ろのスペースは、幅約29m、深さ約9m、高さ18mでした。
    10つの側壁には、床から上に装飾されたフレームを備えた大きな浅いニッチがあります。
    壁は上部に切石を模した漆喰で装飾されていました。
    フロント部分のコーナーのピラスターには、正方形、八角形、円の交互のパターンを持つパネルの漆喰装飾が部分的にされています。

  • これだけ多くの石がありますが、パズルのように組み立てられたらいいのですが。

    これだけ多くの石がありますが、パズルのように組み立てられたらいいのですが。

  • 初期のナバテア人の建築物は神殿でした。<br />神殿が建設される前は、石造の固定した建築物は存在しませんでした。<br />神殿を建てる行為が処罰されるという伝統を変えました。<br /><br />ただ、不思議なことは、ナバテア人は初期から高度な建築技術を持っていたようです。通常であれば簡単なテントから段階を経て建築していきます。<br />それがわずかな段階で神殿建築をしています。<br /><br />キリスト生誕の数十年前、ネゲブ砂漠では宗教的な石の建築が始まりました。<br />その名残がペトラ、アブダット、キルベット・エル・タヌウル、エルーサ、ネッサナ、ルヘイバのキリスト教会の廃墟に存在するようです。<br />以前は大空の下で行われていた儀式が、建物の中で行われるようになりました。<br /><br />カスル・アル・ビントはキリストの時代に建てられましたが、10世紀のテウス・アレス(ドゥシャラー)として記されてます。<br />その位置はウム・アル・ビヤラ岩(泉の母)の陰にあり、山上の生贄を捧げる場所の向かいです。<br /><br />ナバテア人の暮らした地域は、東と西の世界の交差路でした。<br />彼らは様々な地域の異なる人々や生活様式と接するようになりました。<br />暴力的、軍事的征服などによる支配なく、他の文化を吸収する能力を持っていたのです。<br />異質なものを自らの内なるものに変える能力です。それはナバテア人の人種的な多様性もあずかって力がありました。<br />おそらく、彼らはこの時代、地中海地域全体で、最大の物質的な富を支配してました。文化的な多様性と莫大な富は、新たな宗教意識の基盤を築いたと思います。

    初期のナバテア人の建築物は神殿でした。
    神殿が建設される前は、石造の固定した建築物は存在しませんでした。
    神殿を建てる行為が処罰されるという伝統を変えました。

    ただ、不思議なことは、ナバテア人は初期から高度な建築技術を持っていたようです。通常であれば簡単なテントから段階を経て建築していきます。
    それがわずかな段階で神殿建築をしています。

    キリスト生誕の数十年前、ネゲブ砂漠では宗教的な石の建築が始まりました。
    その名残がペトラ、アブダット、キルベット・エル・タヌウル、エルーサ、ネッサナ、ルヘイバのキリスト教会の廃墟に存在するようです。
    以前は大空の下で行われていた儀式が、建物の中で行われるようになりました。

    カスル・アル・ビントはキリストの時代に建てられましたが、10世紀のテウス・アレス(ドゥシャラー)として記されてます。
    その位置はウム・アル・ビヤラ岩(泉の母)の陰にあり、山上の生贄を捧げる場所の向かいです。

    ナバテア人の暮らした地域は、東と西の世界の交差路でした。
    彼らは様々な地域の異なる人々や生活様式と接するようになりました。
    暴力的、軍事的征服などによる支配なく、他の文化を吸収する能力を持っていたのです。
    異質なものを自らの内なるものに変える能力です。それはナバテア人の人種的な多様性もあずかって力がありました。
    おそらく、彼らはこの時代、地中海地域全体で、最大の物質的な富を支配してました。文化的な多様性と莫大な富は、新たな宗教意識の基盤を築いたと思います。

  • 右は、博物館、トイレ<br />左は、休憩所、高地(Wadi Farasa)<br />直進は、エド・ディル(修道院)<br /><br />ペトラ遺跡には3つの道があって、通常は私たちが辿ってきたコースですが、<br />その他に、おそらくこの左先方向だと思いますが、Jabal Hroun 、Wadi Sabra方向かと・・・。<br />また、進行方向の右の方ですが、Siq Al Barid(Littele Petra)、Al Baidha、Saynoun Bedouin Village方向です。ただ、2019-20の地球の歩き方には書いてませんでした。<br /><br />

    右は、博物館、トイレ
    左は、休憩所、高地(Wadi Farasa)
    直進は、エド・ディル(修道院)

    ペトラ遺跡には3つの道があって、通常は私たちが辿ってきたコースですが、
    その他に、おそらくこの左先方向だと思いますが、Jabal Hroun 、Wadi Sabra方向かと・・・。
    また、進行方向の右の方ですが、Siq Al Barid(Littele Petra)、Al Baidha、Saynoun Bedouin Village方向です。ただ、2019-20の地球の歩き方には書いてませんでした。

  • ファサード通りや柱廊通りは、遮るものがないので、ただただ暑く感じます。

    ファサード通りや柱廊通りは、遮るものがないので、ただただ暑く感じます。

  • これはトイレです。<br />このタイプのトイレが多くありました。

    これはトイレです。
    このタイプのトイレが多くありました。

  • Basin Restaurantの案内です。<br />お尻が見えて失礼しました。

    Basin Restaurantの案内です。
    お尻が見えて失礼しました。

  • テラス席もありました。<br />暑いので、ほとんどの人が中の席です。

    テラス席もありました。
    暑いので、ほとんどの人が中の席です。

    The Basin Restaurant 地元の料理

  • ビュッフェ形式のランチです。<br />種類は豊富ですが、暑くてあまり食欲がありません。<br />ただ、食べておかないと体がもちませんから、いただきます。

    ビュッフェ形式のランチです。
    種類は豊富ですが、暑くてあまり食欲がありません。
    ただ、食べておかないと体がもちませんから、いただきます。

  • これと、あとはビールです。<br />アルコールを摂っていたのは、私たちくらいでした。<br />みなさん、この後、エド・ディルまで登るので、控えてました。<br />

    これと、あとはビールです。
    アルコールを摂っていたのは、私たちくらいでした。
    みなさん、この後、エド・ディルまで登るので、控えてました。

  • 他の人が食べているのを見たら気になったので、いただきます。

    他の人が食べているのを見たら気になったので、いただきます。

  • さて、シークを通った時は涼しかったのですが、この時間帯は暑くなりました。

    さて、シークを通った時は涼しかったのですが、この時間帯は暑くなりました。

  • 猫ちゃんも、暑くてぐったりしてます。

    猫ちゃんも、暑くてぐったりしてます。

  • さて、エド・ディルに向かいます。<br />エド・ディルではなく、実際にはエッディル・・と発音します。<br />さて、ここから階段が始まります。

    さて、エド・ディルに向かいます。
    エド・ディルではなく、実際にはエッディル・・と発音します。
    さて、ここから階段が始まります。

  • ご覧のような階段ばかりではありません。

    ご覧のような階段ばかりではありません。

  • 階段になってない場所もあります。<br /><br />まず、旅行会社ではロバに乗ることを勧めていませんでした。<br />私自身は登りきる自信があるのですが、夫は大丈夫かなぁ~、と少し心配でした。<br />なにしろ、以前長崎の五島の大瀬崎で、だいぶ苦労していましたので・・・。<br /><br />以前、テレビで漫画家のヤマザキマリさん一家が、ここでロバに乗っている様子を見たものですから、私は歩くとして、夫はロバに乗ってもらおうかと考えてました。<br />そして危険な所は降りて歩き、乗ったり下りたりしながら登ってもらおう考えていました。<br />おまけに、ぼったくられないように、対策まで考えていました。<br />

    階段になってない場所もあります。

    まず、旅行会社ではロバに乗ることを勧めていませんでした。
    私自身は登りきる自信があるのですが、夫は大丈夫かなぁ~、と少し心配でした。
    なにしろ、以前長崎の五島の大瀬崎で、だいぶ苦労していましたので・・・。

    以前、テレビで漫画家のヤマザキマリさん一家が、ここでロバに乗っている様子を見たものですから、私は歩くとして、夫はロバに乗ってもらおうかと考えてました。
    そして危険な所は降りて歩き、乗ったり下りたりしながら登ってもらおう考えていました。
    おまけに、ぼったくられないように、対策まで考えていました。

  • やはり添乗員さんも、ロバはお勧めできないと改めて話してました。<br />そして、以前、転落した人もいたとのこと・・。<br />そんな話を聞いたら、やはりロバは中止です。<br />ツアーに参加した方、全員が歩いて登るようです。<br />あとは、それぞれのペースで登ります。

    やはり添乗員さんも、ロバはお勧めできないと改めて話してました。
    そして、以前、転落した人もいたとのこと・・。
    そんな話を聞いたら、やはりロバは中止です。
    ツアーに参加した方、全員が歩いて登るようです。
    あとは、それぞれのペースで登ります。

  • このような所もあります。<br />中には、途中で断念して戻った方もいました。<br />また、中には登ったのはいいものの、帰りに足がつってしまい、歩くのが困難になった方もいました。<br />結果的には、ゆっくり戻ることができたようです。

    このような所もあります。
    中には、途中で断念して戻った方もいました。
    また、中には登ったのはいいものの、帰りに足がつってしまい、歩くのが困難になった方もいました。
    結果的には、ゆっくり戻ることができたようです。

  • ゆるやかな階段もあれば、そうではない場所もあります。<br />また、道幅は狭いですが、反対方向から降りてくる方もいます。<br />夫のペースに合わせて、ゆっくり登りました。<br />しかも天気も良く、暑さも尋常ではありません。

    ゆるやかな階段もあれば、そうではない場所もあります。
    また、道幅は狭いですが、反対方向から降りてくる方もいます。
    夫のペースに合わせて、ゆっくり登りました。
    しかも天気も良く、暑さも尋常ではありません。

  • あら、こんなところに猫ちゃんが。<br />同じような子猫が何匹がいました。<br />ただ、ひょっとして、この岩山がお庭なので、先回りされたのかもしれません。<br /><br />ところで、途中には、土産物屋がポツポツあります。<br />暑さのせいか、あまり商売っ気がありません。<br />中には寝てる人もいます。<br /><br />土産物屋さんも熱いのでしょう。<br />店の上には屋根を作ってました。<br />ホントは世界遺産に、こんなことしてはいけないのでしょうが、<br />このお店の屋根があることで、日陰ができるため、少し助かりました。<br />

    あら、こんなところに猫ちゃんが。
    同じような子猫が何匹がいました。
    ただ、ひょっとして、この岩山がお庭なので、先回りされたのかもしれません。

    ところで、途中には、土産物屋がポツポツあります。
    暑さのせいか、あまり商売っ気がありません。
    中には寝てる人もいます。

    土産物屋さんも熱いのでしょう。
    店の上には屋根を作ってました。
    ホントは世界遺産に、こんなことしてはいけないのでしょうが、
    このお店の屋根があることで、日陰ができるため、少し助かりました。

  • ひたすら登ります。

    ひたすら登ります。

  • ひたすら登っていたら、ライオンのトリクリニウムを確認するのを忘れてしまいました。しかも、行きも帰りも。表示が出ているようなのですが、全然気が付きませんでした。

    ひたすら登っていたら、ライオンのトリクリニウムを確認するのを忘れてしまいました。しかも、行きも帰りも。表示が出ているようなのですが、全然気が付きませんでした。

  • ロバさんです。<br />実はロバで登る人を何人か見かけました。<br />少なかったです。<br /><br />このロバたちは、お仕事を終えて帰路についてるロバです。<br />この後、別のロバが下から登って来て途中で止まり、まったく動こうとしません。<br />そしたら、飼い主がロバを鞭で打ちました。<br />それでもロバは動じません。<br />そして更に、怒声を浴びせてロバを鞭で打ちます。<br />なんだかいたたまれなくなりました。<br />この暑さは、人間にとっても厳しいのですが、ロバにとっても同じです。<br />苦しそうな鳴き声を上げてました。<br />それでも何度も鞭打ちしてます。<br />体には痕が残ってました。<br />これは完全に動物虐待です。<br />ただ、当人たちは、これで生計を立てているようですから、必死なのでしょう。<br />ロバが哀れでしかたありませんでした。<br /><br />ところで、ツアーの人の中に、登るのがきついので、自分で判断して<br />止めた方がいましたが、最終的には無理はしない方がいいと思いました。<br />自力で登れないのなら、諦めた方がいいでしょう。<br /><br />まずは、ロバへの虐待行為を見て、嫌な気分になったこと。<br />また、この道自体が狭く、崖になっているため、転落したら命はないこと。<br />このことから、自分の足で無理せず登ってください。

    ロバさんです。
    実はロバで登る人を何人か見かけました。
    少なかったです。

    このロバたちは、お仕事を終えて帰路についてるロバです。
    この後、別のロバが下から登って来て途中で止まり、まったく動こうとしません。
    そしたら、飼い主がロバを鞭で打ちました。
    それでもロバは動じません。
    そして更に、怒声を浴びせてロバを鞭で打ちます。
    なんだかいたたまれなくなりました。
    この暑さは、人間にとっても厳しいのですが、ロバにとっても同じです。
    苦しそうな鳴き声を上げてました。
    それでも何度も鞭打ちしてます。
    体には痕が残ってました。
    これは完全に動物虐待です。
    ただ、当人たちは、これで生計を立てているようですから、必死なのでしょう。
    ロバが哀れでしかたありませんでした。

    ところで、ツアーの人の中に、登るのがきついので、自分で判断して
    止めた方がいましたが、最終的には無理はしない方がいいと思いました。
    自力で登れないのなら、諦めた方がいいでしょう。

    まずは、ロバへの虐待行為を見て、嫌な気分になったこと。
    また、この道自体が狭く、崖になっているため、転落したら命はないこと。
    このことから、自分の足で無理せず登ってください。

  • 微妙な気持ちで、頑張って登ります。<br />それにしても、どこまで登ってきたのか、表示があると、いいのですが。<br />どこまで来たのかわからないため、余計疲れる気がします。<br />

    微妙な気持ちで、頑張って登ります。
    それにしても、どこまで登ってきたのか、表示があると、いいのですが。
    どこまで来たのかわからないため、余計疲れる気がします。

  • 一緒に休憩していた南イタリアから来たお若い女性と話をしたら、今年はイタリアも、今まで経験した中で1番暑いそうです。<br />でも、ここはまた格別に暑い・・・と顔も赤くなって息を切らしてました。<br />無理しないで、ゆっくり水分を摂りながら頑張って行きましょうと声かけ合いました。<br /><br />そんな訳で、復路は、登ってくる人に、あと約5分だから頑張って!声かけしてました。

    一緒に休憩していた南イタリアから来たお若い女性と話をしたら、今年はイタリアも、今まで経験した中で1番暑いそうです。
    でも、ここはまた格別に暑い・・・と顔も赤くなって息を切らしてました。
    無理しないで、ゆっくり水分を摂りながら頑張って行きましょうと声かけ合いました。

    そんな訳で、復路は、登ってくる人に、あと約5分だから頑張って!声かけしてました。

  • 崖です。(・_・;

    崖です。(・_・;

  • もう、だいぶ登って来たのですが、まだでしょうか。<br />この日は350mlの水を2本持ってきました。<br />1本では足りなかったと思います。<br />途中で買うこともできますが。

    もう、だいぶ登って来たのですが、まだでしょうか。
    この日は350mlの水を2本持ってきました。
    1本では足りなかったと思います。
    途中で買うこともできますが。

  • なんだか、開けてきたようです。<br />でも、まだ見えません。<br /><br />エル・ハズネがシークから突然目の前に現れたように、エド・ディルも目の前に現れると思っていました。<br />実は、この右の岩の先がエド・ディルです。<br />私だけでなく、やっぱり同じように思っている人もいるようで、帰りに、ここでエド・ディルはまだなのか尋ねられました。

    なんだか、開けてきたようです。
    でも、まだ見えません。

    エル・ハズネがシークから突然目の前に現れたように、エド・ディルも目の前に現れると思っていました。
    実は、この右の岩の先がエド・ディルです。
    私だけでなく、やっぱり同じように思っている人もいるようで、帰りに、ここでエド・ディルはまだなのか尋ねられました。

  • そして、じゃじゃ~ん!<br />エル・ハズネを目にした時とは違った感動がありました。<br />大きさは単純にこちらの方が大きいです。<br />ただ、装飾についていえば、シンプルです。

    イチオシ

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    そして、じゃじゃ~ん!
    エル・ハズネを目にした時とは違った感動がありました。
    大きさは単純にこちらの方が大きいです。
    ただ、装飾についていえば、シンプルです。

    エド ディル 史跡・遺跡

    エル・ハズネより大きな遺跡 by noelさん
  • 内部を除きましたが、一間の広い部屋があります。<br /><br />

    内部を除きましたが、一間の広い部屋があります。

  • 両側に階段の付いたニッチ(壁龕)があります。<br />祭壇でしょうか。<br />また、石板が置かれたようです。<br />壁には十字架が彫られているため、修道院であると考えられています。<br />また、ビザンチン時代には教会として使用され、修道僧の人々が住むようになりました。

    両側に階段の付いたニッチ(壁龕)があります。
    祭壇でしょうか。
    また、石板が置かれたようです。
    壁には十字架が彫られているため、修道院であると考えられています。
    また、ビザンチン時代には教会として使用され、修道僧の人々が住むようになりました。

  • エド・ディルでは、ナバテア人の神、ドゥシャラー神の生誕を祝う儀式が、毎年1月6日に行われていました。

    エド・ディルでは、ナバテア人の神、ドゥシャラー神の生誕を祝う儀式が、毎年1月6日に行われていました。

  • アラビア語の名前「Ad Deir」(修道院)は、ビザンチン時代のキリスト教の使用中に内壁に十字架が刻まれたため、ベドウィンによってその場所に付けられました。<br />幅47m、高さ48mの記念碑のファサードとその後ろの大ホールは、1世紀半ば頃に上から彫られました。

    アラビア語の名前「Ad Deir」(修道院)は、ビザンチン時代のキリスト教の使用中に内壁に十字架が刻まれたため、ベドウィンによってその場所に付けられました。
    幅47m、高さ48mの記念碑のファサードとその後ろの大ホールは、1世紀半ば頃に上から彫られました。

  • エド・ディルと同様に頂部には壺があります。

    エド・ディルと同様に頂部には壺があります。

  • 骨壷で覆われた円錐形の屋根を持つ円形のトロス構造を囲む壊れたペディメントを備えた上部は、エル・ハズネと同様です。<br />ただ、内部には墓がなかったので、エド・デイルは霊廟ではないでしょう。<br /><br />ナバテア王オボダス3世(紀元前3-紀元前9年)に敬意を表して、ここでシンポジウムを行い、彼の死後に神格化された可能性があります。<br />

    骨壷で覆われた円錐形の屋根を持つ円形のトロス構造を囲む壊れたペディメントを備えた上部は、エル・ハズネと同様です。
    ただ、内部には墓がなかったので、エド・デイルは霊廟ではないでしょう。

    ナバテア王オボダス3世(紀元前3-紀元前9年)に敬意を表して、ここでシンポジウムを行い、彼の死後に神格化された可能性があります。

  • 旧約聖書の時代には、ペトラはエドム人の都市でした。<br />その祖先エサウは、正当な長子としての祝福を得られるはずだったのに、双子の弟のヤコブにだまされました。最終的には和解しますが。<br />エサウはそこに定住しました。そしてエサウの子孫は増えて、エドム人と呼ばれるようになりました。<br /><br />学者たちによると、ペトラは当時セラと呼ばれていたらしいです。

    旧約聖書の時代には、ペトラはエドム人の都市でした。
    その祖先エサウは、正当な長子としての祝福を得られるはずだったのに、双子の弟のヤコブにだまされました。最終的には和解しますが。
    エサウはそこに定住しました。そしてエサウの子孫は増えて、エドム人と呼ばれるようになりました。

    学者たちによると、ペトラは当時セラと呼ばれていたらしいです。

  • この建築はナバテア建築ですが、ヘレニズム様式とメソポタミア様式の混合によって表されている古典的なナバテア様式です。<br />砂岩の崖に直接刻まれています。<br />ファサードは全体としてドーリア式です。

    この建築はナバテア建築ですが、ヘレニズム様式とメソポタミア様式の混合によって表されている古典的なナバテア様式です。
    砂岩の崖に直接刻まれています。
    ファサードは全体としてドーリア式です。

  • この広々とした空間には、かつては列柱に囲まれて、オボダス3世を称えるために人々が集まったようです。<br />この空間は人の手によって、宗教行事に適した場所にするため、平らにされたようです。<br />

    この広々とした空間には、かつては列柱に囲まれて、オボダス3世を称えるために人々が集まったようです。
    この空間は人の手によって、宗教行事に適した場所にするため、平らにされたようです。

  • 向かい側にはカフェがあります。

    向かい側にはカフェがあります。

  • こちらにも国旗があります。<br />お店の名前を見忘れました。

    こちらにも国旗があります。
    お店の名前を見忘れました。

  • カフェの奥に、大きな岩が見えます。

    カフェの奥に、大きな岩が見えます。

  • 皆さん、疲れ切って休憩しています。<br />やはり、真夏に800段~950段の階段はきつかったです。

    皆さん、疲れ切って休憩しています。
    やはり、真夏に800段~950段の階段はきつかったです。

  • カフェでトイレを貸してもらいました。<br />ただ、ここから100m先にあります。<br />しかも、この鍵を持って行ってください。<br />・・・・とのこと。トイレに行くのも楽ではありません。

    カフェでトイレを貸してもらいました。
    ただ、ここから100m先にあります。
    しかも、この鍵を持って行ってください。
    ・・・・とのこと。トイレに行くのも楽ではありません。

  • 手前の簡易トイレではなく、奥の建物でした。<br />ただ、ドアの締まりが悪いので、夫に、前に立っていてもらいました。

    手前の簡易トイレではなく、奥の建物でした。
    ただ、ドアの締まりが悪いので、夫に、前に立っていてもらいました。

  • さて、疲れてはいますが、せっかくここまで来たのですから、この先まで行ってみます。<br />夫は疲れ切って、そのままカフェで休憩することに。

    さて、疲れてはいますが、せっかくここまで来たのですから、この先まで行ってみます。
    夫は疲れ切って、そのままカフェで休憩することに。

  • 手書きの看板です。<br />Don&#39;t miss it.<br />こう書かれると気になります。

    手書きの看板です。
    Don't miss it.
    こう書かれると気になります。

  • それにしても足元は、こんな状態です。

    それにしても足元は、こんな状態です。

  • The Best View in the world.<br />世界1の眺め、見てみたいです。

    The Best View in the world.
    世界1の眺め、見てみたいです。

  • まっすぐ行った場所は、人が多いようです。<br />では、人が少ない方に向かいます。<br />

    まっすぐ行った場所は、人が多いようです。
    では、人が少ない方に向かいます。

  • この先の岩山にも洞窟らしきものが見えます。

    この先の岩山にも洞窟らしきものが見えます。

  • View end of the world  世界の果て<br />Sacrifice View 犠牲祭壇の眺め<br />Aaron&#39;s Tomb アーロンの墓<br />All places from here 全ての場所へ<br />No Ma&#39;s Escaleras ノーマンズ(誰もいない)階段<br />

    View end of the world  世界の果て
    Sacrifice View 犠牲祭壇の眺め
    Aaron's Tomb アーロンの墓
    All places from here 全ての場所へ
    No Ma's Escaleras ノーマンズ(誰もいない)階段

  • なんだか全ての道に通じるのかと思いながら行きます。<br />ただ、方向的にちょっと違うのでは・・・・と疑いつつ。<br />この先は、山の頭頂部なので、絶景かとは思ってました。<br />でも、アーロンの墓って・・・・・。<br />別の道から行くのでは・・・?と思いつつ進みます。<br /><br />ただ、後でグーグルマップで確認すると、距離的には案外近いことがわかりました。

    なんだか全ての道に通じるのかと思いながら行きます。
    ただ、方向的にちょっと違うのでは・・・・と疑いつつ。
    この先は、山の頭頂部なので、絶景かとは思ってました。
    でも、アーロンの墓って・・・・・。
    別の道から行くのでは・・・?と思いつつ進みます。

    ただ、後でグーグルマップで確認すると、距離的には案外近いことがわかりました。

  • ちなみにアーロンというのは、イスラエルの民、モーゼの兄のことです。<br />モーゼには兄弟がいました。<br />モーゼ自身も残念ながらカナンの地にあと一歩で辿り着きませんでしたが、その前に兄のアーロンも、この地で亡くなりました。<br />アーロンはメリバの泉で神を怒らせたため約束の土地に入ることが許されませんでした。<br />亡くなったのはホル山の上でした。<br />エジプトを脱出したのが既に83歳でした。<br />40年間彷徨いましたので、123歳になっていました。(;^_^A<br />

    ちなみにアーロンというのは、イスラエルの民、モーゼの兄のことです。
    モーゼには兄弟がいました。
    モーゼ自身も残念ながらカナンの地にあと一歩で辿り着きませんでしたが、その前に兄のアーロンも、この地で亡くなりました。
    アーロンはメリバの泉で神を怒らせたため約束の土地に入ることが許されませんでした。
    亡くなったのはホル山の上でした。
    エジプトを脱出したのが既に83歳でした。
    40年間彷徨いましたので、123歳になっていました。(;^_^A

  • とにかく、私が向かった方向には行っても行ってもありません。<br />確か通じてるはずなのですが。

    とにかく、私が向かった方向には行っても行ってもありません。
    確か通じてるはずなのですが。

  • ちょっとわかりにくのですが、右上の端に十字架のようなものがあります。

    ちょっとわかりにくのですが、右上の端に十字架のようなものがあります。

  • 前方にかすかに見えてきました。

    前方にかすかに見えてきました。

  • この岩山はゴツゴツしていて、削ったものかどうかは不明ですが、何か作ろうと思えば、ローマ劇場のようなものが造れそうです。

    この岩山はゴツゴツしていて、削ったものかどうかは不明ですが、何か作ろうと思えば、ローマ劇場のようなものが造れそうです。

  • 小屋のような建物が見えます。<br />手前には石を積み重ねた塔のようなものがあります。<br />これは、昔からのものではなく、現代の人たちが積んだもののように見えます。<br />神様を祀るためでしょうか・・・または、慰霊のための塔でしょうか。<br />道祖神のようでもあり、賽の河原のようなものにも思えます。<br />巨石文明の中でも色々見てきましたが・・・。<br />

    小屋のような建物が見えます。
    手前には石を積み重ねた塔のようなものがあります。
    これは、昔からのものではなく、現代の人たちが積んだもののように見えます。
    神様を祀るためでしょうか・・・または、慰霊のための塔でしょうか。
    道祖神のようでもあり、賽の河原のようなものにも思えます。
    巨石文明の中でも色々見てきましたが・・・。

  • なんだか凄い所です。<br />この先、覗くのも危険なので、やめておきます。

    なんだか凄い所です。
    この先、覗くのも危険なので、やめておきます。

  • せっかくですから、旗のある場所まで行きます。

    せっかくですから、旗のある場所まで行きます。

  • 方向感覚が悪いので、よくわかりませんが、遠くが見えます。

    方向感覚が悪いので、よくわかりませんが、遠くが見えます。

  • 国旗がたてられていて、ここがビューーポイントです。

    国旗がたてられていて、ここがビューーポイントです。

  • 誰一人いません。<br />この広大な景色を独り占めです。

    誰一人いません。
    この広大な景色を独り占めです。

  • ゴツゴツした岩山ですが、遠くに見える景色が綺麗です。

    ゴツゴツした岩山ですが、遠くに見える景色が綺麗です。

  • モーゼたちは、この付近も彷徨ったのかと思うと、気が遠くなります。

    モーゼたちは、この付近も彷徨ったのかと思うと、気が遠くなります。

  • 地図によると、エド・ディルの修道院からアーロンのお墓は、それほど離れていないようですが・・。

    地図によると、エド・ディルの修道院からアーロンのお墓は、それほど離れていないようですが・・。

  • アーロンのお墓は、闇に包まれたままですが、とりあえずカフェに戻ります。

    アーロンのお墓は、闇に包まれたままですが、とりあえずカフェに戻ります。

  • 戻ってきました。<br />さきほどの何もない方向から来ると、突如として見えるこの遺跡には驚きます。

    戻ってきました。
    さきほどの何もない方向から来ると、突如として見えるこの遺跡には驚きます。

  • 最後なので、しっかり写真に収めておきます。<br />エド・ディルの右の端の方です。<br />小さな洞窟らしきものがあります。

    最後なので、しっかり写真に収めておきます。
    エド・ディルの右の端の方です。
    小さな洞窟らしきものがあります。

  • 帰り路です。<br />往路ではあまり気にしてませんでしたが、岩の割れ目・・・・。

    帰り路です。
    往路ではあまり気にしてませんでしたが、岩の割れ目・・・・。

  • 除いてみると怖いです。<br />〇〇殺人事件になるといけないので、さっさと離れます。<br /><br />

    除いてみると怖いです。
    〇〇殺人事件になるといけないので、さっさと離れます。

  • また、猫ちゃんです。<br />岩と同化してしまっています。

    また、猫ちゃんです。
    岩と同化してしまっています。

  • こどもが店番をしてました。<br />暑そうにみえます。<br />持っていたハンディ・ファンで、風を送ってあげたら、もう1回、もう1回と何度もせがまれてしまいました。(-_-;)<br />そして最後には頂戴!と。<br />ごめんね~!

    こどもが店番をしてました。
    暑そうにみえます。
    持っていたハンディ・ファンで、風を送ってあげたら、もう1回、もう1回と何度もせがまれてしまいました。(-_-;)
    そして最後には頂戴!と。
    ごめんね~!

  • 洗濯物のように見えますが、商品です。

    洗濯物のように見えますが、商品です。

  • これは、最初の階段の道を振り返って撮った様子です。

    これは、最初の階段の道を振り返って撮った様子です。

  • 戻ってきました。<br />凱旋門が見えます。

    戻ってきました。
    凱旋門が見えます。

  • 有翼ライオンの神殿、ビザンチン教会方向からが理想的でした。<br />そして王家の墓を回れば、たくさん見られます。

    有翼ライオンの神殿、ビザンチン教会方向からが理想的でした。
    そして王家の墓を回れば、たくさん見られます。

  • ただ、どうしてもお香の店に立ち寄りしたいため、この道を選びました。

    ただ、どうしてもお香の店に立ち寄りしたいため、この道を選びました。

  • そして、お香を購入したら、できれば王家の墓を見れたら・・・と思ってました。<br />

    そして、お香を購入したら、できれば王家の墓を見れたら・・・と思ってました。

  • ただ、夫はもう疲れがマックスのようでした。<br />しかも私は博物館にも行きたいのです。<br />添乗員さんに事前に尋ねたら、閉館は5時だったはず、と。<br />もう、この時で3時半近くです。<br />この先、シークも結構長いです。<br />時間に間に合わないかも・・・と思いながらも、ひたすらせっせと歩きました。

    ただ、夫はもう疲れがマックスのようでした。
    しかも私は博物館にも行きたいのです。
    添乗員さんに事前に尋ねたら、閉館は5時だったはず、と。
    もう、この時で3時半近くです。
    この先、シークも結構長いです。
    時間に間に合わないかも・・・と思いながらも、ひたすらせっせと歩きました。

  • 夫は遅いので、先に店に行って買ってるように言われました。

    夫は遅いので、先に店に行って買ってるように言われました。

  • そして帰りはカートで帰りたいと言ってました。

    そして帰りはカートで帰りたいと言ってました。

  • 王家の墳墓群が正面に見えます。

    王家の墳墓群が正面に見えます。

  • 着きました。<br />まずは、様々な種類の香料があります。<br /><br />Sandalwood(サンダルウッド)は珍しくはありませんが、通常はアロマオイルや、お線香なので、これは初めて見ました。<br /><br />Eye of the rooster<br />名前だけ見ると(+_+)です。まさか鶏の目じゃないでしょう。<br />お店の男の子に聞いても、よくわかりません。<br />ちなみに赤い胡椒、ピンクペッパーに似てると思うのですが・・・。<br />ヨルダンのジェラッシュに木がありました。<br />よく似てると思います。<br />胡椒というと料理の香辛料と思いますが、ピンクペッパーは香料でもあるようですので、個人的にはピンクペッパーだと思ってるのですが・・・。<br />ただ、赤い粒の端に黒い物がついているので、正体は不明です。<br /><br />

    着きました。
    まずは、様々な種類の香料があります。

    Sandalwood(サンダルウッド)は珍しくはありませんが、通常はアロマオイルや、お線香なので、これは初めて見ました。

    Eye of the rooster
    名前だけ見ると(+_+)です。まさか鶏の目じゃないでしょう。
    お店の男の子に聞いても、よくわかりません。
    ちなみに赤い胡椒、ピンクペッパーに似てると思うのですが・・・。
    ヨルダンのジェラッシュに木がありました。
    よく似てると思います。
    胡椒というと料理の香辛料と思いますが、ピンクペッパーは香料でもあるようですので、個人的にはピンクペッパーだと思ってるのですが・・・。
    ただ、赤い粒の端に黒い物がついているので、正体は不明です。

  • これがお目当てのMyrrh(ミルラ)、没薬です。<br />樹脂は持っていませんでした。

    これがお目当てのMyrrh(ミルラ)、没薬です。
    樹脂は持っていませんでした。

  • Frankincense(フランキンセンス)乳香は、いくつか持っていますが、産地が違うので購入します。

    Frankincense(フランキンセンス)乳香は、いくつか持っていますが、産地が違うので購入します。

  • Amber(アンバー)まっこうくじらの結石です。<br />竜涎香(りゅうぜんこう)

    Amber(アンバー)まっこうくじらの結石です。
    竜涎香(りゅうぜんこう)

  • Mamool Saudi<br />マムール・サウジ<br /><br />

    Mamool Saudi
    マムール・サウジ

  • Uneishu Tomb(ウナイシュの墓)<br />Tomb BD 813<br /><br />ファサード通りの終点位置にあります。ジャバル・アル・クプタ西の坂の上にあります。<br />墓板にウネイシュと刻まれています。<br />ヘグラ型のファサードで、高さ20m、幅12mです。<br />2つの大きな柱で支えられてます。<br />ほぼ正方形の葬儀室は、後壁に3つの小さな部屋、各側壁には4つの小部屋があります。<br />左側には、岩を削ったトリクリニウムがあり、10×9mあり、入口の隣に水盤があります。<br />また後壁には埋葬ための3つの小孔が彫られてます。

    Uneishu Tomb(ウナイシュの墓)
    Tomb BD 813

    ファサード通りの終点位置にあります。ジャバル・アル・クプタ西の坂の上にあります。
    墓板にウネイシュと刻まれています。
    ヘグラ型のファサードで、高さ20m、幅12mです。
    2つの大きな柱で支えられてます。
    ほぼ正方形の葬儀室は、後壁に3つの小さな部屋、各側壁には4つの小部屋があります。
    左側には、岩を削ったトリクリニウムがあり、10×9mあり、入口の隣に水盤があります。
    また後壁には埋葬ための3つの小孔が彫られてます。

  • スロープの南西の角には、おそらくネフェシュと思われるピラミッド型の石碑があります。<br /><br />Nefeshネフェシュとは、オベリスク型の柱で、円錐形の石柱です。<br />岩肌にはレリーフが彫られてます。また頂部には花、松ぼっくり、王冠がついてることが多いようです。<br />セム語のnps は生命、人、魂などの意味があるようです。<br />追悼のための墓標かと思います。

    スロープの南西の角には、おそらくネフェシュと思われるピラミッド型の石碑があります。

    Nefeshネフェシュとは、オベリスク型の柱で、円錐形の石柱です。
    岩肌にはレリーフが彫られてます。また頂部には花、松ぼっくり、王冠がついてることが多いようです。
    セム語のnps は生命、人、魂などの意味があるようです。
    追悼のための墓標かと思います。

  • Starbucks Cave?<br /><br />スターバックス洞窟です。(笑)<br /><br />世界各国に展開しているスターバックスですが、中東にも進出しているようです。<br />首都のアンマンにはあるようです。<br />このスターバックスを文字ったなんちゃってスタバは、実はイスラエルのベツレヘムでも何軒か見ました。

    Starbucks Cave?

    スターバックス洞窟です。(笑)

    世界各国に展開しているスターバックスですが、中東にも進出しているようです。
    首都のアンマンにはあるようです。
    このスターバックスを文字ったなんちゃってスタバは、実はイスラエルのベツレヘムでも何軒か見ました。

  • ベドウィンの洞窟のようです。<br />ここでアラブ式のコーヒーやお茶、いただきたいです。<br />現実は、早く博物館に行かなければ!!!

    ベドウィンの洞窟のようです。
    ここでアラブ式のコーヒーやお茶、いただきたいです。
    現実は、早く博物館に行かなければ!!!

  • ようやくエル・ハズネに到着しました。<br />そしてカートはないかとみていると、1台既に3名乗車しているカートがあります。<br />実は、運転手を含めて6人乗りのカートですが、5人になるまで出発しません。<br />だから、運が悪いと、1時間以上待つこともあるらしいのです。<br />それが、私たち2名乗れば、すぐ出発になります。<br />後はお値段です。<br /><br />空いているのは、助手席と後部座席でした。<br />夫は助手席に、私は後部の座席で、後方を向いた状態で乗りました。<br />いざ出発すると凄いスピードでした。<br />人もいるので気が気ではありませんでした。<br />しかもしっかり手すりにつかまっていないと、振り落とされそう・・・。<br />気持ちはいいけど、スリリングでした。<br />歩いてるみなさんは、ヘトヘトで羨ましそうです。<br />ただ、帰りもゆっくり見ようと思ってましたが、そんなゆとりは全くありませんでした。<br />そして入口に到着。<br />話では、その後チップとしていくらか請求されるかもしれなかったのですが、何も請求してきません。<br />運転手の気が変わらないうちに、さっさと降りて、お礼を言って立ち去りました。<br />

    ようやくエル・ハズネに到着しました。
    そしてカートはないかとみていると、1台既に3名乗車しているカートがあります。
    実は、運転手を含めて6人乗りのカートですが、5人になるまで出発しません。
    だから、運が悪いと、1時間以上待つこともあるらしいのです。
    それが、私たち2名乗れば、すぐ出発になります。
    後はお値段です。

    空いているのは、助手席と後部座席でした。
    夫は助手席に、私は後部の座席で、後方を向いた状態で乗りました。
    いざ出発すると凄いスピードでした。
    人もいるので気が気ではありませんでした。
    しかもしっかり手すりにつかまっていないと、振り落とされそう・・・。
    気持ちはいいけど、スリリングでした。
    歩いてるみなさんは、ヘトヘトで羨ましそうです。
    ただ、帰りもゆっくり見ようと思ってましたが、そんなゆとりは全くありませんでした。
    そして入口に到着。
    話では、その後チップとしていくらか請求されるかもしれなかったのですが、何も請求してきません。
    運転手の気が変わらないうちに、さっさと降りて、お礼を言って立ち去りました。

  • カートの料金は15JDでした。<br />日本円で3,015円です。<br />前払いでした。<br /><br />話ではUSドルも使えるとのこと。一人25ドルから30ドルと聞いていました。<br />でも、23ドルだと。2人で46ドル。思ったよりも安かったので運転手に支払おうとしたら、別の男の人に支払うように言われました。<br />そしてこのチケットをくれました。

    カートの料金は15JDでした。
    日本円で3,015円です。
    前払いでした。

    話ではUSドルも使えるとのこと。一人25ドルから30ドルと聞いていました。
    でも、23ドルだと。2人で46ドル。思ったよりも安かったので運転手に支払おうとしたら、別の男の人に支払うように言われました。
    そしてこのチケットをくれました。

  • ペトラ博物館です。<br />夫は立ち寄らずに、そのままホテルへ直行しました。<br />私は、勿論寄りました。<br />博物館については、長くなりすぎるため、別途、旅行記を作成します。<br />ちなみに閉館時間は5時ではありませんでした。<br />

    ペトラ博物館です。
    夫は立ち寄らずに、そのままホテルへ直行しました。
    私は、勿論寄りました。
    博物館については、長くなりすぎるため、別途、旅行記を作成します。
    ちなみに閉館時間は5時ではありませんでした。

  • とりあえずは、インディー・ジョーンズ気分にもなれたし、遺跡もたくさん見られて満足です。<br />若干の心残りもありますが。<br />やはり最低でも2日はかけて見たかったです。<br />疲れて、食欲はありません。<br />ただ、心の栄養にはなったと思います。<br />

    とりあえずは、インディー・ジョーンズ気分にもなれたし、遺跡もたくさん見られて満足です。
    若干の心残りもありますが。
    やはり最低でも2日はかけて見たかったです。
    疲れて、食欲はありません。
    ただ、心の栄養にはなったと思います。

  • 喉は乾くので、またしてもビールに。<br />ただ、このビールもノンアルコールです。<br /><br />お疲れ様様でした。

    喉は乾くので、またしてもビールに。
    ただ、このビールもノンアルコールです。

    お疲れ様様でした。

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この旅行記へのコメント (12)

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  • くわさん 2023/10/25 17:34:44
    いつもながらの詳しい旅行記ですね
    noelさん、いつもながらの詳しい解説、大変勉強になります。
    以前、フランスへ行く際に西洋人の思考過程を理解するために旧約聖書を読もうとしたのですが、同じような名前の人物が登場し、しかもその人たちが何百年も生きたとかで訳が分からなくなり、ノアの箱舟あたりで(ほとんど最初やん)で挫折してしまいました。
    ま、それでもその知識はパリのサントシャペル教会ではちょっとは役に立ちましたが。

    それにしてもいいときにイスラエルに行かれましたね。
    ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がいう「神」とはどれも同じものを指していると何かで読んだことがあるのですが、それを知りたくてエルサレムにはぜひ行きたいと思っていました。ところが最近、残念なことになって。私が生きている間に行けるのか。解決にも二千年必要なのでしょうか。

    ま、それはさておき、今後の旅行記も楽しみにしています。

    くわ

    noel

    noelさん からの返信 2023/10/25 21:04:41
    Re: いつもながらの詳しい旅行記ですね
    くわさん

    私の方こそお世話になってます。
    ありがとうございます。
    旧約聖書は、確かに日本人にとってはわかりにくいと思います。
    私も教会などで見かける絵を読み解きたくて、読んでいるだけです。
    ざっくりと、特に有名で面白い箇所に焦点をあてて見てるにすぎません。

    くわさんのおっしゃるように、イスラエルは本当にギリギリセーフでした。
    いつかは・・・と思っていたのですが、行けるうちにと優先順位を変えたのでラッキーでした。ただ、危険度は1で、行く直前にもテロが発生してました。そんなわけで、両親にはイスラエルに行くことは内緒にしてました。
    現地でもやはりピリピリした空気は感じました。

    今のところ先は見えませんが、行けるようになるといいですね。

    私の方こそ、今後ともよろしくお願いいたします。


    noel
  • harurunさん 2023/10/17 08:40:09
    行く前に存じ上げていたら。。。
    noelさま

    始めまして。
    harurunと申します。

    私も先月、ペトラを訪れました。
    自分の旅行記に繋がるペトラの旅行記からnoelさまの旅行記に出会いました。

    素晴らしい解説で、自分の薄っぺらい旅行記がお恥ずかしい(汗)行く前に読ませていただいていたら、もっと充実したペトラ観光になっていたでしょうね。でも、拝読させていただいて、ここはそういうところだったんだ~と改めて感動が蘇ってきました。ペトラ、本当に素晴らしかったですね!

    ロバのこと、私も同じ感想を持ちました。
    あんな急な階段の道を時には巨体の人を乗せ、鞭を打ち、可哀想で見ていられませんでした。
    ロバさんとの長い生活があるのでしょうが、今の時代では虐待でしかありませんね。

    私は歩いて制覇しましたが、翌日から、もう足が痛いこと、痛いことでした。でも、ここまで頑張ったのだし、最後がカートでは…と。それに、更にレートが悪くなっていて、ここから一人3300円は嫌だとケチケチ心が湧き上がり歩く力をくれました(笑)

    偶然ではありましたが、noelさまの旅行記に出会えたことに感謝です。
    また、他の旅行記も読ませていただきたくフォローさせていただきました。
    どうぞよろしくお願いいたします。

    おかげで、よりペトラを深く知ることができました。ありがとうございました。

    harurun

    noel

    noelさん からの返信 2023/10/17 21:19:05
    RE: 行く前に存じ上げていたら。。。
    harurunさま

    私の方こそありがとうございます。
    9月にペトラに行かれたんですね。
    しかもビジネスでの世界一周とは、羨ましいです。

    ペトラにはアンマンからレンタカーで行かれたんですね。
    レンタカーだからこそ、気になる所で止まれて、素敵な写真が撮れましたね。

    > 素晴らしい解説で、自分の薄っぺらい旅行記がお恥ずかしい(汗)行く前に読ませていただいていたら、もっと充実したペトラ観光になっていたでしょうね。でも、拝読させていただいて、ここはそういうところだったんだ?と改めて感動が蘇ってきました。ペトラ、本当に素晴らしかったですね!

    ありがとうございます。
    でも、私自身、行く前から知っていたことは本当に僅かで、現地のガイドさんや、帰国後に気になって調べた結果わかったことがほとんどです。

    また、私はエド・ディルまでの間にあった獅子のトリクリニウム、見過ごしてしまいました。 harurunさんは、しっかりチェックされてましたね。

    > ロバのこと、私も同じ感想を持ちました。
    > あんな急な階段の道を時には巨体の人を乗せ、鞭を打ち、可哀想で見ていられませんでした。
    > ロバさんとの長い生活があるのでしょうが、今の時代では虐待でしかありませんね。

    本当に痛々しく気の毒でした。

    > 私は歩いて制覇しましたが、翌日から、もう足が痛いこと、痛いことでした。でも、ここまで頑張ったのだし、最後がカートでは…と。それに、更にレートが悪くなっていて、ここから一人3300円は嫌だとケチケチ心が湧き上がり歩く力をくれました(笑)

    お疲れ様でした。でも、痛さも思い出になったでしょうね。
    私はわが夫に合わせて、帰りはカートを利用しましたが、やっぱり歩いて、もう1度確認しながら見たかったです。

    harurunさんの世界一周の旅、とても気になります。
    私の方こそ、今後ともどうぞよろしくお願いします。


    noel
  • sanaboさん 2023/10/09 21:42:23
    圧巻のペトラ遺跡
    noelさん、こんにちは~

    大作の旅行記作成、お疲れさまでした。今回も本当に素晴らしい力作ですね!!
    ペトラ遺跡のガイド本の集大成、もしくは論文を拝見してるかのようでした☆彡
    私もインディジョーンズが大好きでペトラ遺跡に関心はあったものの
    詳しくは知らなかったので、大変勉強になりました。
    それ以前に、ヨルダンの資源がリンであること、そしてリンって鳥の糞?! 
    もうこの時点で目が点?目から鱗?状態でした(笑)

    ペトラに到着された晩は幻想的なショーをご覧になったのですね~。
    ベドウィンの方が奏でる笛のメロディーとともに甘いチャイをいただき
    異国情緒に浸ったら、翌日のペトラ遺跡への期待感がますます高まりますね。
    今回のご旅行では、やはりペトラ遺跡がnoelさんが一番楽しみにしてらした
    ハイライトだったのかしら…?
    旅行記を通してnoelさんの情熱や意気込みが物凄く伝わってきました。

    3日間用のチケットがあることを知った時、毎日連続で見に行く人が
    いるのかしらと思ったのですが、これだけの広大な規模だったら
    時間が許すならnoelさんも3日かけて隅から隅までご覧に
    なりたかったでしょう?

    インディジョーンズにも登場したあの狭い岩場を進んだ先に
    突如として現れるエル・ハズネ☆彡 
    もう言葉にならないくらいの感動でしょうね~!!
    『Oooooooooooooooh!!!』が物語っていました(´艸`*)
    2000年以上前に上から削っていったということですけど、
    足場を組んだのか、上からロープでぶら下がって彫ったのか
    どのように作業したのかしら… 

    イエスが誕生した時、東方三博士が捧げた貢物が
    黄金、乳香、没薬(もつやく)だったと初めて知りました。
    一目見て乳香と没薬だと分かるnoelさん、さすがですね。
    今回、お持ちのものとは産地の異なる乳香を買われたそうで
    良かったですね。ご趣味のものが買えると嬉しいですよね。

    それにしても暑い中歩かれたら食欲も失せてしまいますね。
    体力をつけるために頑張ってランチを召し上がったのですね。
    あのビールはノンアルコールではなく本物?

    そしていよいよエド・ディルへ。
    炎天下を平らな道を歩くだけでもきついのに、800段以上の階段や
    時には階段もない場所を登っていく様子は、まるでトレッキングのよう!
    ご主人様にはロバを予定してらしたそうですけど、
    落下した人もいるなんて聞いたら怖いですよね。
    目的地まであとどのくらいの距離なのかわからずに延々と歩いてたら
    永遠のように感じてしまいそうですね。
    私もタリンの教会の塔の螺旋階段を一人で登った時に経験しました^^;
    富士山じゃないけど、1合目、2合目…とか表示されてたら良いのに。

    そうして苦労してエド・ディルへ辿り着いた時の歓びは
    実際に経験した人でないと分からないかもしれませんね。
    頑張ったご褒美ですね☆彡 ご主人様も無事到着され、何よりでした^^
    そしてnoelさんお一人で、さらにビューポイントまでいらしたのですね。
    モーゼたちが歩いたかもしれない彼の地を、時を経て今自分が独り占めし
    見つめてると思うと感慨深い思いに浸ってしまいますね。

    帰りはエル・ハズネからカートに乗れてよかったですね(ご主人様が)。
    お一人で寄られた博物館、5時以降まで開いてたなら良かったのですけど。

    ローマ人は偉大だと思ってましたが、ナバテア人も偉大でしたね!
    貯水システムを完備した3万人規模の街が存在していたこと自体、驚きでした。
    歴史的背景なども知ることができ、大変興味深く、
    そして楽しく拝読させていただきました。

    続編も楽しみにお待ちしていますね~♪

    sanabo

    noel

    noelさん からの返信 2023/10/10 21:31:26
    Re: 圧巻のペトラ遺跡
    sanaboさん、いつもありがとうございます。

    インディジョーンズ、sanaboさんもお好きだったんですね。
    私も好きですが、私以上に主人が好きだったんです。
    そんなわけでコロナ5類後の旅先が決まりました。

    リンのことは、私も知りませんでした。
    ガイドさんの説明で、知りました。
    それにしても他の中東諸国と比べると、ヨルダンは資源が乏しいです。
    バスに乗っているとつくづく感じました。(-_-;)

    今回の旅行では、やはりペトラがマイ・ハイライトでした。
    確かに時間に余裕があったら3日間、見たかったです。
    まだまだ見てない箇所もたくさんです。

    エル・ハズネは確かに上からのみとハンマーを使って削ったそうですが、ロープでぶら下がったかどうかまでは、教えていただけませんでした。

    私はお香が好きで、いつも色々探してしまいます。
    日本でも海外でも・・・。

    エド・ディルは大変でしたが、タリンの教会の塔の螺旋階段、大変でしたでしょう。螺旋状なので、途切れなく歩き続けなくてはなりませんね。
    しかもぐるぐる回って目も回りそうです。
    階段、疲れそうです。
    でも、登った後の達成感は、何にも代えがたいですね。

    実は博物館ですが、添乗員さんから5時だと言われていたのですが、実際にはもっと遅くまで開館してました。
    ただ、ここがツアーの残念なところで、夕食時間のこともあり、結果的にいつまでも博物館にいるわけにはいきませんでした。

    ナバテア人はあまり歴史の表舞台に出てきませんが、実はローマ人のように
    水利システムを導入し、水のない砂漠の地に水を引きました。そして他にも巨大な遺跡を残しています。
    でもペトラにもローマ遺跡はありました。
    結果的には最後にはローマ化していきましたし。

    今回の旅行でペトラに次いで行きたかったのが、イスラエルでした。
    ただ、イスラエルは、現在悲惨な状態になっていて、危険レベル2以下の地区はありません。不要不急の渡航が中止になってしまいました。
    今後の情勢もとても心配です。

    まずは、しっかりご覧いただきましてありがとうございました。

    気温差が激しいですので、どうぞ御身をお大事になさってください。

    noel
  • エヌエヌさん 2023/10/09 12:26:03
    続編まってました。(*^▽^*)
    ペトラ遺跡すごいなぁ

    あっnoelさん こんにちは!
    最後の聖戦を初めて見た時、この遺跡が造りモノでなく現存するとは思いもしませんでしたが・・・
    実物があると知ったのは大分経ってからでした。(;'∀')

    本物をご覧になったnoelさんの高揚感が伝わってきましたよ。

    夜のイベントなんか知らなかったです。
    それにしても円安とはいえ良いお値段なんですね。

    noel

    noelさん からの返信 2023/10/09 16:08:36
    Re: 続編まってました。(*^▽^*)
    エヌエヌさん、こんにちは

    いつもありがとうございます。
    ペトラ遺跡については、私も最後の聖戦で知りました。
    映画では、エル・ハズネの中に入って行くので、当初は入れると思っていました。
    実際には中は入れませんが、それにしてもスケールの大きさはへ現地で改めて感じました。
    実は夜のショーは私も知りませんでした。
    行って初めて知ったこともありました。
    暑さも今思えばいい思い出です。
    私自身、写真を見ながら思い出しています。

    どうぞ今後どもよろしくお願いします。
    急に気温が下がりましたので、どうぞお気をつけてお過ごしください。

    noel
  • ishigantouさん 2023/10/07 21:10:33
    想像以上にハードな道のりですね!
    noelさん、こんばんわ。
    いつもながらこのペトラ遺跡の事、勉強になりました。
    水道に関しては以前「世界ふしぎ発見」で、はるばる遠くから水を引いてきたのを観た事があります。
    想像以上にハードな道のりをこの旅行記で感じつつ、noelさんの旅行記でもう行った気になったのでペトラは諦めようかなどと感じるほどでした。(実際はそこに行けば感動が残るのは分かっていますが・・)
    最近noelさんが書いていた、ナバテア人が築いたサウジアラビアのマダインサーレハも注目されていますね。
    さてこの先のイスラエル(私も行きたい場所)の旅行記を楽しみにしております。もちろんゆるりとマイペースで大丈夫ですよ。

    ishigantou

    noel

    noelさん からの返信 2023/10/08 17:43:20
    RE: 想像以上にハードな道のりですね!
    ishigantouさん、こんにちは

    いつもありがとうございます。

    > 水道に関しては以前「世界ふしぎ発見」で、はるばる遠くから水を引いてきたのを観た事があります。

    実は私も、この番組は見ていました。参考にさせてもらっています。

    そして確かにペトラはかなりハードでした。
    エル・ハズネまではいいのですが、その先は大変でした。
    ただ私の場合は真夏に行ったので、時期をずらせば大丈夫だったかもしれません。

    > 最近noelさんが書いていた、ナバテア人が築いたサウジアラビアのマダインサーレハも注目されていますね。

    サウジアラビアも気になっています。
    最近注目されていますし。
    ただ、私の場合はイスラエルに行ったので、サウジアラビアには行けないかもしれません。イスラエルと外交があるのは、アラブ諸国ではエジプトとヨルダンぐらいだったと思うので。

    ただ、今日のニュースで最近イスラエルとサウジアラビアが米国の仲介で急接近しているという情報がありました。
    しかも大規模攻撃でハマスとイスラエル軍の双方に甚大な被害が出てるようです。

    ishigantouさんも、イスラエル、行きたい場所なんですね。
    三大宗教の聖地でもありますし、現地ではそれぞれの宗教を肌で感じました。
    ただ、外務省の危険情報では一応レベル1の地域に行きましたが、ガザのようにレベル3の渡航中止勧告の出てる場所もありますので、行く際には気をつけてくださいね。

    旅行前にもテロがありましたし、旅行後にも大きな攻撃が発生してますので、イスラエルに行くことは、実は身内には内緒にして出かけました。(-_-;)

    イスラエルの旅行記は、まだしばらく先になりそうです。

    急に涼しくなってきましたので(寒いとさえ感じる方もいます)、どうぞお気をつけてお過ごしください。


    noel
  • Decoさん 2023/10/07 19:50:03
    大力作にして、大変貴重な記録です
    noelさん、こんばんは。

    ペトラ遺跡の旅行記、読み進むうちにどんどん引き込まれていきました。
    大力作にして、とても貴重な記録ですね。

    遺跡の各場所の詳細な様子、歩かれたときの周囲の雰囲気が強く伝わるような感じで…
    距離的にも、地形的にも、歩いて見て廻るのが大変だったと思います。それに強烈な暑さ。この中をよく歩き、観察し、撮影し、記憶されたと思います。凄い集中力です。
    それに各時代の歴史的背景、周囲の国々との関係なども詳細に、またわかりやすくまとめられていて、読んでいる私もよく理解できて勉強になりました。旅行前から中東について知識をお持ちだったのかも知れませんが、この旅行記をまとめる上で並々ならぬ努力があったのではないでしょうか。

    noelさんの遺跡の見学への強い情熱が感じられました。読んでいて感銘を受けました。
    単なる旅行記にとどまらず、記録としても貴重なものだと思います。何よりもnoelさんご自身にとって、とても大切で愛着のある旅行記ではないかと想像しています。
    さらにこの旅行記は、ペトラへの旅を考えておられる方にもとても参考になることでしょう。

    旅程を拝見すると、この後も充実した旅をされたことと思います。続編を楽しみにしています。
                                Deco

    noel

    noelさん からの返信 2023/10/07 20:27:42
    Re: 大力作にして、大変貴重な記録です
    Decoさん

    ペトラ旅行記をご覧いただき、またご投票いただきまして、ありがとうございます。

    ペトラには以前から行きたいと思っていて、コロナ前から4トラを参考にさせていただいていました。

    ただ、コロナのために、年月ばかりが過ぎ去って、行くなら今年がベストかと思い旅行を決めました。

    ただ、そのおかげで、思っていたよりは過酷ではありませんでした。でも体力はある程度必要かと思います。

    この旅行記は自分自身の備忘録のためでもあり、できるだけ記録できることは書いておこうと思ったら、結構長くなってしまいました。

    でもDecoさんのように、読んでくださる方がいると励みになります。
    今後ともよろしくお願いします。


    noel

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