ナザレ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「ナザレのイエス」と呼ばれるように、イエスはナザレの村の出身と言われています。<br />ナザレは、とても貧しい小さな村でした。これは発掘調査によって判明しました。<br /><br />また、イエスが生まれたのは、ヘロデ王の時代でした。<br />このヘロデ王は、イエスがベツレヘムで生まれた時、ユダヤの王が生まれた事に恐れを抱き、ベツレヘムと周辺の2歳以下の男児を全て殺しました。<br />そのため、イエスの一家はお告げを受け、エジプトに逃避しました。<br />そして、ヘロデ王が亡くなり、ヘロデ王の息子たちの時代になってから、エジプトから戻って来ました。<br /><br />ところで、イエスの活動のほとんどは、ガリラヤ地方の田舎でした。<br />また、イエスは一般庶民の間で活動を行いました。そのため、農業や漁業などのたとえ話が多いのです。<br /><br />そして、ナザレは、聖母マリアが大天使ガブリエルより、受胎告知を受けた所でもあります。そのため、キリスト教にとっては、とても重要な場所です。<br /><br />ただ、マルコ、そしてヨハネによる福音書によれば、イエスの成人後から話が始まっています。<br />受胎告知やイエスの誕生、幼少期に関する記述はありません。<br />マルコによる福音書の冒頭部分の1章4節は、「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」と書いています。イエスが登場するのは1章9節、「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」というところからです。<br />このように、イエスはナザレにいたことはわかります。<br /><br />今回は、そんなイエス・キリストが過ごしたナザレを中心に観光しました。<br /><br />【旅程】<br /><br />8月2日(水)<br />NRT 成田発 22時30分→DXB ドバイ着 <br />8月3日 4時10分着(EK0319便 エミレーツ航空)<br />↓<br />8月3日(木)<br />ドバイ空港 5時20分<br />ジュメイラ・パブリックビーチ 5時50分<br />ブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ 6時15分<br />ドバイ・フレーム 6時45分<br />ドバイ・モール 7時10分<br />ブルジュ・カリファ(ハリファ) 8時00分<br />ドバイ・モール 9時00分<br />ドバイ水族館 10時15分<br />↓<br />ドバイ国際空港 11時00分<br />↓<br />DXB ドバイ 14時05分発→AMM アンマン 16時00分<br />(EK903便 エミレーツ航空) <br />↓<br />アンマン国際空港 17時15分  <br />ペトラ(エドム・ペトラ) 20時10分 <br />エル・ハズネ(ペトラ・バイ・ナイト) 21時00分 <br />ホテル 22時30分 <br /><br />8月4日(金)<br />ホテル発 9時00分 <br />ペトラ遺跡 <br />シーク 9時30分 <br />エル・ハズネ 10時20分 <br />ローマ遺跡 11時10分 <br />ランチ(Basin Restrant)12時00分 <br />エド・ディル 13時40分 <br />カフェ 13時45分 <br />ビューポイント 14時10分 <br />ペトラ博物館 16時10分 <br />ホテル 17時15分 <br /><br />8月5日(土)<br />ホテル発 7時30分<br />モーゼの泉 7時45分<br />ネポ山 11時25分<br />マタバ 聖ジョージ教会 12時40分<br />ランチ Haret Jdoudna Restaurant &amp; craft shops 13時00分<br />アンマン アブドラ一世モスク 15時15分 <br />ヨルダン博物館 16時05分 <br />シタデル 17時15分 <br />リージェンシー・パレス・ホテル 17時45分 <br /><br />8月6日(日)<br />ホテル発 7時00分<br />サルト旧市街 7時35分<br />ジェラシュ遺跡 9時10分<br />↓<br />ヨルダン出国 11時45分<br />イスラエルへ入国 13時00分<br />↓<br />ティベリア ランチ 14時05分<br />山上の垂訓教会 15時05分<br />パンと魚の奇跡の教会 15時45分<br />シナゴーグ 16時10分<br />カペナーム 16時40分<br />プリマ・ガリル・ホテル 17時10分<br /><br />8月7日(月)<br />ホテル発 7時30分<br />クフル・カナ<br />カナの婚礼教会 8時00分 ●<br />ナザレ<br />マリアの井戸 8時55分 ●<br />受胎告知教会 9時20分 ●<br />聖ヨセフ教会 9時45分 ●<br />ヨルダン渓谷 12時00分 <br />ランチ エリコ Temptation Restaurant 12時45分<br />死海 14時35分<br />エルサレム プリマ・パーク・ホテル 17時20分<br /><br />8月8(火)<br />ホテル発 7時00分<br />神殿の丘 7時30分<br />岩のドーム 7時50分<br />嘆きの壁 8時30分<br />シナゴーグ 8時55分<br />ヴィア・ドロローサ 9時10分<br />聖墳墓教会 10時15分<br />アルメニア教会 10時45分<br />シリア教会 11時15分<br />ランチ Armenian Restaurant Bar「Bulghourji」11時45分<br />シオン門 13時00分<br />ダビデの墓 13時10分<br />鶏鳴教会 13時25分<br /><br />ベツレヘム<br />生誕教会 15時10分<br />ホテル 17時00分<br /><br />8月9日(水)<br />ホテル発 9時00分<br />オリーブ山 9時40分<br />主の泣かれた教会 10時00分<br />ゲッセマネの園 10時20分<br />万国民教会 10時25分<br />ベドウィンのテント 11時05分<br /><br />テルアビブ<br />ランチ 13時10分<br />港 14時00分<br />バウハウス時代の建築 14時35分 <br />↓<br />TLV テルアビブ空港 19時50分発→<br />DXBドバイ空港 23時59分着(EK932便 エミレーツ航空)<br />↓<br />8月10日(木)<br />DXBドバイ空港 2時40分発→NRT成田空港 17時35分着<br />(EK0318便)<br />

Nazareth 2023 ⑨ ナザレ2023年(Dubai~Jordan~Israel)

122いいね!

2023/08/02 - 2023/08/10

1位(同エリア6件中)

noel

noelさん

この旅行記のスケジュール

2023/08/02

  • プリマ・ガリル・ホテル7時30分→ナザレへ7時50分

  • ナザレ駐車場7時50分→カナの婚礼教会8時00分

  • スーヴェニア・ショップ:8時30分→駐車場:8時40分

  • 駐車場:8時40分→マリアの井戸:8:53分

  • 古代ナザレ村遺跡:10時00分→駐車場:10時10分

この旅行記スケジュールを元に

「ナザレのイエス」と呼ばれるように、イエスはナザレの村の出身と言われています。
ナザレは、とても貧しい小さな村でした。これは発掘調査によって判明しました。

また、イエスが生まれたのは、ヘロデ王の時代でした。
このヘロデ王は、イエスがベツレヘムで生まれた時、ユダヤの王が生まれた事に恐れを抱き、ベツレヘムと周辺の2歳以下の男児を全て殺しました。
そのため、イエスの一家はお告げを受け、エジプトに逃避しました。
そして、ヘロデ王が亡くなり、ヘロデ王の息子たちの時代になってから、エジプトから戻って来ました。

ところで、イエスの活動のほとんどは、ガリラヤ地方の田舎でした。
また、イエスは一般庶民の間で活動を行いました。そのため、農業や漁業などのたとえ話が多いのです。

そして、ナザレは、聖母マリアが大天使ガブリエルより、受胎告知を受けた所でもあります。そのため、キリスト教にとっては、とても重要な場所です。

ただ、マルコ、そしてヨハネによる福音書によれば、イエスの成人後から話が始まっています。
受胎告知やイエスの誕生、幼少期に関する記述はありません。
マルコによる福音書の冒頭部分の1章4節は、「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」と書いています。イエスが登場するのは1章9節、「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」というところからです。
このように、イエスはナザレにいたことはわかります。

今回は、そんなイエス・キリストが過ごしたナザレを中心に観光しました。

【旅程】

8月2日(水)
NRT 成田発 22時30分→DXB ドバイ着 
8月3日 4時10分着(EK0319便 エミレーツ航空)

8月3日(木)
ドバイ空港 5時20分
ジュメイラ・パブリックビーチ 5時50分
ブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ 6時15分
ドバイ・フレーム 6時45分
ドバイ・モール 7時10分
ブルジュ・カリファ(ハリファ) 8時00分
ドバイ・モール 9時00分
ドバイ水族館 10時15分

ドバイ国際空港 11時00分

DXB ドバイ 14時05分発→AMM アンマン 16時00分
(EK903便 エミレーツ航空) 

アンマン国際空港 17時15分  
ペトラ(エドム・ペトラ) 20時10分 
エル・ハズネ(ペトラ・バイ・ナイト) 21時00分 
ホテル 22時30分 

8月4日(金)
ホテル発 9時00分 
ペトラ遺跡 
シーク 9時30分 
エル・ハズネ 10時20分 
ローマ遺跡 11時10分 
ランチ(Basin Restrant)12時00分 
エド・ディル 13時40分 
カフェ 13時45分 
ビューポイント 14時10分 
ペトラ博物館 16時10分 
ホテル 17時15分 

8月5日(土)
ホテル発 7時30分
モーゼの泉 7時45分
ネポ山 11時25分
マタバ 聖ジョージ教会 12時40分
ランチ Haret Jdoudna Restaurant & craft shops 13時00分
アンマン アブドラ一世モスク 15時15分 
ヨルダン博物館 16時05分 
シタデル 17時15分 
リージェンシー・パレス・ホテル 17時45分 

8月6日(日)
ホテル発 7時00分
サルト旧市街 7時35分
ジェラシュ遺跡 9時10分

ヨルダン出国 11時45分
イスラエルへ入国 13時00分

ティベリア ランチ 14時05分
山上の垂訓教会 15時05分
パンと魚の奇跡の教会 15時45分
シナゴーグ 16時10分
カペナーム 16時40分
プリマ・ガリル・ホテル 17時10分

8月7日(月)
ホテル発 7時30分
クフル・カナ
カナの婚礼教会 8時00分 ●
ナザレ
マリアの井戸 8時55分 ●
受胎告知教会 9時20分 ●
聖ヨセフ教会 9時45分 ●
ヨルダン渓谷 12時00分 
ランチ エリコ Temptation Restaurant 12時45分
死海 14時35分
エルサレム プリマ・パーク・ホテル 17時20分

8月8(火)
ホテル発 7時00分
神殿の丘 7時30分
岩のドーム 7時50分
嘆きの壁 8時30分
シナゴーグ 8時55分
ヴィア・ドロローサ 9時10分
聖墳墓教会 10時15分
アルメニア教会 10時45分
シリア教会 11時15分
ランチ Armenian Restaurant Bar「Bulghourji」11時45分
シオン門 13時00分
ダビデの墓 13時10分
鶏鳴教会 13時25分

ベツレヘム
生誕教会 15時10分
ホテル 17時00分

8月9日(水)
ホテル発 9時00分
オリーブ山 9時40分
主の泣かれた教会 10時00分
ゲッセマネの園 10時20分
万国民教会 10時25分
ベドウィンのテント 11時05分

テルアビブ
ランチ 13時10分
港 14時00分
バウハウス時代の建築 14時35分 

TLV テルアビブ空港 19時50分発→
DXBドバイ空港 23時59分着(EK932便 エミレーツ航空)

8月10日(木)
DXBドバイ空港 2時40分発→NRT成田空港 17時35分着
(EK0318便)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

PR

  • 8月7日(月)<br />朝食ビュッフェです。<br />チーズは種類が豊富です。<br /><br />ユダヤ教の食事ですので、チーズ(乳製品)があるため、肉系統のハム、ベーコン、ソーセージ等々はありません。<br /><br />同種の動物を使った食事も禁止です。<br />例えば、卵と鶏肉を使った親子丼などはタブーです。<br /><br />血を食べることは禁止です。<br />ステーキのレアやミディアムでも駄目です。<br /><br />アルコールは禁止です。<br />料理酒、みりん、香り付けも駄目です。<br /><br />豚肉は禁止です。<br />これは「ひづめが2つに割れていて、反芻するもの」であれば食べても良いのですが、豚はこれに当てはまりません。<br />豚の肉や骨を利用した出汁やスープ、ソース、エキス、豚の脂肪であるラードなど、豚骨ラーメンも禁止です。<br /><br />海老、いか、たこ、かに、貝類等は禁止です。<br />海の生き物では「ヒレとウロコのあるもの」は食べることができます。<br /><br />その他に、うさぎ、駱駝、猪、はげわし、昆虫類、肉食動物なども禁止です。<br />(これについては、もともと食べたいとは思いませんが・・・(-_-;))<br /><br />結構食べられる物が制限されてしまっています。

    8月7日(月)
    朝食ビュッフェです。
    チーズは種類が豊富です。

    ユダヤ教の食事ですので、チーズ(乳製品)があるため、肉系統のハム、ベーコン、ソーセージ等々はありません。

    同種の動物を使った食事も禁止です。
    例えば、卵と鶏肉を使った親子丼などはタブーです。

    血を食べることは禁止です。
    ステーキのレアやミディアムでも駄目です。

    アルコールは禁止です。
    料理酒、みりん、香り付けも駄目です。

    豚肉は禁止です。
    これは「ひづめが2つに割れていて、反芻するもの」であれば食べても良いのですが、豚はこれに当てはまりません。
    豚の肉や骨を利用した出汁やスープ、ソース、エキス、豚の脂肪であるラードなど、豚骨ラーメンも禁止です。

    海老、いか、たこ、かに、貝類等は禁止です。
    海の生き物では「ヒレとウロコのあるもの」は食べることができます。

    その他に、うさぎ、駱駝、猪、はげわし、昆虫類、肉食動物なども禁止です。
    (これについては、もともと食べたいとは思いませんが・・・(-_-;))

    結構食べられる物が制限されてしまっています。

  • 野菜は多いです。<br />今回はビュッフェが多かったのですが、ユダヤ教の決まりに則ったお食事でした。

    野菜は多いです。
    今回はビュッフェが多かったのですが、ユダヤ教の決まりに則ったお食事でした。

  • ケーキ、フルーツです。

    ケーキ、フルーツです。

  • 少な目にします。

    少な目にします。

  • フルーツとコーヒー

    フルーツとコーヒー

  • さて、これからカナへ向かいます。<br />そして、その後はナザレに向かいます。

    さて、これからカナへ向かいます。
    そして、その後はナザレに向かいます。

  • ナザレとティベリアの間のKafr Kanna(クフル・カナ)というアラブ人の村です。<br />ナザレの東10kmにあります。<br />看板にはヘブライ語とアラブ語が混在しています。<br />「Kafr」は「村」という意味のようです。

    ナザレとティベリアの間のKafr Kanna(クフル・カナ)というアラブ人の村です。
    ナザレの東10kmにあります。
    看板にはヘブライ語とアラブ語が混在しています。
    「Kafr」は「村」という意味のようです。

  • 横断歩道を渡って行きます。<br /><br />カナの村の2021年の人口は23,705人でした。様々な宗派のイスラム教徒とキリスト教徒が宗教的に混在しています。<br />2014年の時点ではキリスト教徒は人口の11%を占めていました。<br />キリスト教徒は一般に町の最も古い地区住に居住しているようです。<br /><br />

    横断歩道を渡って行きます。

    カナの村の2021年の人口は23,705人でした。様々な宗派のイスラム教徒とキリスト教徒が宗教的に混在しています。
    2014年の時点ではキリスト教徒は人口の11%を占めていました。
    キリスト教徒は一般に町の最も古い地区住に居住しているようです。

  • 庭先にジャスミンの白い花が咲いていました。<br />甘い香りがします。(*^-^*)<br /><br />

    庭先にジャスミンの白い花が咲いていました。
    甘い香りがします。(*^-^*)

  • 見えてきました。教会です。<br />側面から見ています。

    見えてきました。教会です。
    側面から見ています。

  • この村はカナの婚礼教会があることで有名です。<br />カトリックの教会が有名ですが、すぐ傍に聖ゲオルギウス正教会もあります。<br /><br />村にはこの他に、2つの教会があります。<br />「聖バルトロメオ教会」(フランシスコ会)<br />「メルキト ギリシャ カトリック教会」です。

    この村はカナの婚礼教会があることで有名です。
    カトリックの教会が有名ですが、すぐ傍に聖ゲオルギウス正教会もあります。

    村にはこの他に、2つの教会があります。
    「聖バルトロメオ教会」(フランシスコ会)
    「メルキト ギリシャ カトリック教会」です。

  • 丸いドーム状の屋根が見えます。<br />これはギリシャ正教会です。<br />Orthodox Church of St George in Kafr Kanna<br />(クフル・カナの聖ゲオルギウス正教会)

    丸いドーム状の屋根が見えます。
    これはギリシャ正教会です。
    Orthodox Church of St George in Kafr Kanna
    (クフル・カナの聖ゲオルギウス正教会)

  • こちらはカトリックの Nuptiae in Cana (カナの婚礼)教会です。<br /><br />入場時間<br />8時から12時<br />14時から17時です。<br /><br />ほぼ時間ぴったりに到着しました。<br />流石ツアーです。計算しつくされたスケジュールです。

    こちらはカトリックの Nuptiae in Cana (カナの婚礼)教会です。

    入場時間
    8時から12時
    14時から17時です。

    ほぼ時間ぴったりに到着しました。
    流石ツアーです。計算しつくされたスケジュールです。

  • カナの婚礼教会(フランシスコ会)です。<br />この時間は逆光になってしまいました。<br />この教会のファサードは西向きのようです。

    カナの婚礼教会(フランシスコ会)です。
    この時間は逆光になってしまいました。
    この教会のファサードは西向きのようです。

    カナの婚礼教会 (フランシスコ派修道院) 寺院・教会

    ヴェロネーゼの絵画の舞台を目の前に! by noelさん
  • 門扉には葡萄が描かれています。<br />教会の前の通りは狭く、向かい側にはワインのある土産物屋さんがあります。<br />

    門扉には葡萄が描かれています。
    教会の前の通りは狭く、向かい側にはワインのある土産物屋さんがあります。

  • 教会内の見取図です。

    教会内の見取図です。

  • カナの婚礼教会内部の様子です。<br />私が「カナの婚礼」について最初に知ったのは、ヴェロネーゼの1枚の絵からです。<br />有名な絵なので以前から知ってはいましたが、ルーブル美術館で実際に大きな絵を見て圧倒されました。<br /><br />ところで、これがイエスの最初の奇跡でした。<br />イエスは数々の奇跡を行っています。その最初がこの奇跡でした。<br /><br />イエスはカナで婚礼に招待されていました。<br />イエスの母や、イエスの弟子たちも婚礼に招かれていました。<br />この婚礼は約1週間続き、ぶどう酒がなくなってしまいました。<br />そこで、母がイエスに、ぶどう酒がなくなったことを告げました。<br />そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが6つ置いてありました。すると、イエスは「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言い、召し使いたちは、その指示どおりにしました。そしてイエスは、それを世話役の所へ持っていくように言いました。召し使いたちが運んで行くと、水はぶどう酒に変わっていました。世話役は味見をし、このぶどう酒がどこから来たのか、花婿を呼んで言いました。 「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、 酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」<br />イエスは、この最初の奇跡を行いました。そして、これを目の当たりにした弟子たちはイエスを信じました。

    カナの婚礼教会内部の様子です。
    私が「カナの婚礼」について最初に知ったのは、ヴェロネーゼの1枚の絵からです。
    有名な絵なので以前から知ってはいましたが、ルーブル美術館で実際に大きな絵を見て圧倒されました。

    ところで、これがイエスの最初の奇跡でした。
    イエスは数々の奇跡を行っています。その最初がこの奇跡でした。

    イエスはカナで婚礼に招待されていました。
    イエスの母や、イエスの弟子たちも婚礼に招かれていました。
    この婚礼は約1週間続き、ぶどう酒がなくなってしまいました。
    そこで、母がイエスに、ぶどう酒がなくなったことを告げました。
    そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが6つ置いてありました。すると、イエスは「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言い、召し使いたちは、その指示どおりにしました。そしてイエスは、それを世話役の所へ持っていくように言いました。召し使いたちが運んで行くと、水はぶどう酒に変わっていました。世話役は味見をし、このぶどう酒がどこから来たのか、花婿を呼んで言いました。 「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、 酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
    イエスは、この最初の奇跡を行いました。そして、これを目の当たりにした弟子たちはイエスを信じました。

  • 祭壇を眺めた様子です。<br />両側にベンチが並んでします。<br />祭壇上には、キリストが奇跡を起こした場面が描かれています。(見えにくいのですが)<br />この時、ミサが行われていましたので、入口付近で見させていただきました。

    祭壇を眺めた様子です。
    両側にベンチが並んでします。
    祭壇上には、キリストが奇跡を起こした場面が描かれています。(見えにくいのですが)
    この時、ミサが行われていましたので、入口付近で見させていただきました。

  • イエスのヴィア・ドロローサの道のりが描かれています。<br />これは、イエスが十字架を背負って歩いている場面のようです。

    イエスのヴィア・ドロローサの道のりが描かれています。
    これは、イエスが十字架を背負って歩いている場面のようです。

  • こちらはイエスが、十字架を背負って倒れている場面のようです。

    こちらはイエスが、十字架を背負って倒れている場面のようです。

  • 像があります。<br />子どもはイエスでしょうか。<br />イエスを抱いているのは、父(義父)であるヨセフでしょうか。<br />でもヨセフは、もっと年をとっているはずですが。<br /><br />※ この後は、ヨセフを父と表記します。

    像があります。
    子どもはイエスでしょうか。
    イエスを抱いているのは、父(義父)であるヨセフでしょうか。
    でもヨセフは、もっと年をとっているはずですが。

    ※ この後は、ヨセフを父と表記します。

  • 像があります。<br />こちらの像は幼子イエスを抱く、ヨセフでしょうか。

    像があります。
    こちらの像は幼子イエスを抱く、ヨセフでしょうか。

  • アーチになっています。そして、その下には十字架が描かれています。<br />また、柱頭には植物が描かれています。

    アーチになっています。そして、その下には十字架が描かれています。
    また、柱頭には植物が描かれています。

  • カナの婚礼教会のファサードです。<br />中央にはイエス・キリスト、その両脇には天使、また、キリストの上には聖母マリア、そしてその両脇に、やはり天使がいるようです。ただ、下の天使に比べると、上の天使の方が上位の天使のように見受けられます。大天使ガブリエルとか、ミカエルとか・・・、のように。<br />ただ、これは私の推測です。

    カナの婚礼教会のファサードです。
    中央にはイエス・キリスト、その両脇には天使、また、キリストの上には聖母マリア、そしてその両脇に、やはり天使がいるようです。ただ、下の天使に比べると、上の天使の方が上位の天使のように見受けられます。大天使ガブリエルとか、ミカエルとか・・・、のように。
    ただ、これは私の推測です。

  • 水がめ<br />80-120リットルの石の水がめが6つ置いてあったことになっています。<br />この6つというのは意味があるようです。<br />旧約聖書の天地創造に遡ります。<br />神は6日間で天と地、そこに住む全ての生き物、人間を創りました。<br />これらの被造物全てに共通するのが水です。<br />

    水がめ
    80-120リットルの石の水がめが6つ置いてあったことになっています。
    この6つというのは意味があるようです。
    旧約聖書の天地創造に遡ります。
    神は6日間で天と地、そこに住む全ての生き物、人間を創りました。
    これらの被造物全てに共通するのが水です。

  • 上の写真を真上から見た様子です。

    上の写真を真上から見た様子です。

  • 2004年12月21日、考古学者らはクフル・カナで「イエスが水をワインに変える際に使用したと福音書に記されている大きな石の水がめを発見しました。<br />ただ、北にあるキルベト・カナで遺跡を発掘していたアメリカの科学者らも、イエスの時代の石の水がめの破片を発見したと主張しました。<br />ただ、石の器が発見されるだけでは、聖書の場所であることを証明できるものではないとの結果になりました。<br /><br />ところで、ヨハネの福音書に記されているタイプの石の器が、エルサレムで発見されています。<br />西暦1世紀の焼けた家の地下の台所跡から出土した少なくとも6つの脚付台座の付いた大きな石の水がめです。<br />シンプルな装飾が施されたものですが、洗濯や台所で使用される大量の水を入れることができました。カナの水がめはこれに似ていると、考古学者Alan Millard(アラン・ミラード)は記述しています。

    2004年12月21日、考古学者らはクフル・カナで「イエスが水をワインに変える際に使用したと福音書に記されている大きな石の水がめを発見しました。
    ただ、北にあるキルベト・カナで遺跡を発掘していたアメリカの科学者らも、イエスの時代の石の水がめの破片を発見したと主張しました。
    ただ、石の器が発見されるだけでは、聖書の場所であることを証明できるものではないとの結果になりました。

    ところで、ヨハネの福音書に記されているタイプの石の器が、エルサレムで発見されています。
    西暦1世紀の焼けた家の地下の台所跡から出土した少なくとも6つの脚付台座の付いた大きな石の水がめです。
    シンプルな装飾が施されたものですが、洗濯や台所で使用される大量の水を入れることができました。カナの水がめはこれに似ていると、考古学者Alan Millard(アラン・ミラード)は記述しています。

  • 美しいアーチの回廊です。

    美しいアーチの回廊です。

  • 左:Implete hudrias Aqua<br />水がめに水を入れます。<br />右:Haurite nunc et ferte archirico<br />今すぐ受け取って世話役(執事)のところへ持って行きます。<br /><br />ラテン語のようです。まさに、イエスのお言葉を刻んでいます。

    左:Implete hudrias Aqua
    水がめに水を入れます。
    右:Haurite nunc et ferte archirico
    今すぐ受け取って世話役(執事)のところへ持って行きます。

    ラテン語のようです。まさに、イエスのお言葉を刻んでいます。

  • 教会のファサードの上に文字が刻まれています。<br />Nuptie facte sunt in Cana Galilee<br />et erai‥‥‥。<br /><br />結婚式は実際にガリラヤのカナで行われました‥‥、<br /><br />下の方はわかりませんが、ラテン語で書かれているようです。

    教会のファサードの上に文字が刻まれています。
    Nuptie facte sunt in Cana Galilee
    et erai‥‥‥。

    結婚式は実際にガリラヤのカナで行われました‥‥、

    下の方はわかりませんが、ラテン語で書かれているようです。

  • カナの婚礼が行われたと主張する「カナ」が実は4か所あります。<br /><br />お隣の国のレバノンにあるのが、次の2つです。<br />Ain Qana(アイン・カナ)<br />Qana(カナ)<br /><br />イスラエルのカナは、次の2つです。<br />Khirbet Qana(キルベト・カナ)<br />Kafr Kanna(クフル・カナ)<br /><br />今回はKafr Kanna(クフル・カナ)を拝見しました。<br /><br />それにしても、同じ名前が近隣にこんなにたくさんあって、それぞれに名乗りをあげているのでは、混乱していまいます。<br />せっかく行ったので、詮索しないことにします。

    カナの婚礼が行われたと主張する「カナ」が実は4か所あります。

    お隣の国のレバノンにあるのが、次の2つです。
    Ain Qana(アイン・カナ)
    Qana(カナ)

    イスラエルのカナは、次の2つです。
    Khirbet Qana(キルベト・カナ)
    Kafr Kanna(クフル・カナ)

    今回はKafr Kanna(クフル・カナ)を拝見しました。

    それにしても、同じ名前が近隣にこんなにたくさんあって、それぞれに名乗りをあげているのでは、混乱していまいます。
    せっかく行ったので、詮索しないことにします。

  • 向かいにはギリシャ正教会のカナの婚礼教会があります。

    向かいにはギリシャ正教会のカナの婚礼教会があります。

  • こちらがファサードです。<br />残念ながら門は閉ざされていました。

    こちらがファサードです。
    残念ながら門は閉ざされていました。

  • 国旗でしょうか。<br />旗が上がっています。<br />国旗はギリシャ国旗でしょうか?<br />ただ、イスラエル国旗も同じ青と白なので、わかりません。(-_-;)<br />風で捻じれていますが、たぶんギリシャ国旗でしょう・・・。<br /><br />また、白と赤の色の旗も見えますが、皆目見当がつきません。<br /><br />それからレリーフがあります。<br />拡大して気付いたのですが、これは聖ゲオルギウスのようです。<br />ドラゴンを退治しているように見えます。

    国旗でしょうか。
    旗が上がっています。
    国旗はギリシャ国旗でしょうか?
    ただ、イスラエル国旗も同じ青と白なので、わかりません。(-_-;)
    風で捻じれていますが、たぶんギリシャ国旗でしょう・・・。

    また、白と赤の色の旗も見えますが、皆目見当がつきません。

    それからレリーフがあります。
    拡大して気付いたのですが、これは聖ゲオルギウスのようです。
    ドラゴンを退治しているように見えます。

  • この扉に描かれたマークですが、これがギリシャ正教会のマークです。<br />重厚な門扉です。

    この扉に描かれたマークですが、これがギリシャ正教会のマークです。
    重厚な門扉です。

  • 向かいのお店です。<br />カナの婚礼教会の前だけに、美味しいワインもあるようです。<br />ところで、このお店の看板にも水がめ6つが描かれています。<br />

    向かいのお店です。
    カナの婚礼教会の前だけに、美味しいワインもあるようです。
    ところで、このお店の看板にも水がめ6つが描かれています。

  • 聖具のような物から、お土産がたくさんありました。<br />私はモザイク模様のピルケースとイエスのイコンを買いました。<br />ちなみに、こちらではドルで払えるだけでなく、お釣りもドルでもらえたと思います。

    聖具のような物から、お土産がたくさんありました。
    私はモザイク模様のピルケースとイエスのイコンを買いました。
    ちなみに、こちらではドルで払えるだけでなく、お釣りもドルでもらえたと思います。

  • 猫ちゃんがいました。

    猫ちゃんがいました。

  • パン屋さんです。<br />この後は駐車場に戻って、バスで移動します。<br />

    パン屋さんです。
    この後は駐車場に戻って、バスで移動します。

  • ナザレにやって来ました。<br />この場所は公園になっています。<br />ナザレは小高い丘の上にあり、イエスが生まれた当時は、人口500人ほどの小さな村でした。

    ナザレにやって来ました。
    この場所は公園になっています。
    ナザレは小高い丘の上にあり、イエスが生まれた当時は、人口500人ほどの小さな村でした。

  • Mary&#39;s Well(マリアの井戸)<br /><br />マリアがここに水を汲みに行き、大天使ガブリエルと出会ったと言われている井戸です。<br /><br />

    Mary's Well(マリアの井戸)

    マリアがここに水を汲みに行き、大天使ガブリエルと出会ったと言われている井戸です。

  • マリアの井戸と言われている場所は、他にもあります。<br /><br />このすぐ近くの聖ガブリエルのギリシャ正教会(ギリシャ正教の受胎告知教会)<br />そして少し先の受胎告知教会です。<br />

    マリアの井戸と言われている場所は、他にもあります。

    このすぐ近くの聖ガブリエルのギリシャ正教会(ギリシャ正教の受胎告知教会)
    そして少し先の受胎告知教会です。

  • とりあえず、マリアがここで大天使に出会った、と理解しておきます。<br />

    とりあえず、マリアがここで大天使に出会った、と理解しておきます。

  • 裏側に行ってフェンスの間から、中の様子を撮りました。<br /><br />

    裏側に行ってフェンスの間から、中の様子を撮りました。

  • 最近まで泉につながった水道によって水が供給されていました。<br />何世紀にもわたってパレスチナ人の村人たちの水飲み場として使われていました。<br />1967年と2000年に2回修復されています。<br />フアド・ファラー氏によると、正教会関係者はこの井戸の交換を支持したそうです。つまり、新しさゆえに伝統的な場所ではないことに気付くからとのこと。<br />結局のところ、伝統的な場所とは正教会内部の「泉」のことで、巡礼者に教会への訪問を奨励するために、井戸の再建中に水を供給するパイプが切断されたそうです。<br />正教会、ちょっと意地悪な気もしますが。(・_・;<br />実際に、泉があるのは正教会のようではあるのですが・・・。<br /><br />ところで、ウィリアム・レイ・ウィルソンは、著書「エジプトと聖地の旅」(1824年)の中で「ナザレの住民に水を供給した聖母の井戸」について説明しています。<br /><br />聖マリアの井戸、フェリックス・ボンフィス(1880 年頃)<br /><br />当時エルサレムの英国領事だったジェームズ・フィンは1853年6月下旬にナザレを訪問し、一行はそこにある噴水の近くにテントを張りました。 彼は「この夏、泉の水は非常に不足しており、不安を抱えた住民たちにわずかな滴りしか出ませんでした。女性たちは一晩中壺を持ってそこにいて、順番を争っておしゃべりしたりしていました。」と記しています。<br /><br />このように、この地の人々のために役立っていたようです。

    最近まで泉につながった水道によって水が供給されていました。
    何世紀にもわたってパレスチナ人の村人たちの水飲み場として使われていました。
    1967年と2000年に2回修復されています。
    フアド・ファラー氏によると、正教会関係者はこの井戸の交換を支持したそうです。つまり、新しさゆえに伝統的な場所ではないことに気付くからとのこと。
    結局のところ、伝統的な場所とは正教会内部の「泉」のことで、巡礼者に教会への訪問を奨励するために、井戸の再建中に水を供給するパイプが切断されたそうです。
    正教会、ちょっと意地悪な気もしますが。(・_・;
    実際に、泉があるのは正教会のようではあるのですが・・・。

    ところで、ウィリアム・レイ・ウィルソンは、著書「エジプトと聖地の旅」(1824年)の中で「ナザレの住民に水を供給した聖母の井戸」について説明しています。

    聖マリアの井戸、フェリックス・ボンフィス(1880 年頃)

    当時エルサレムの英国領事だったジェームズ・フィンは1853年6月下旬にナザレを訪問し、一行はそこにある噴水の近くにテントを張りました。 彼は「この夏、泉の水は非常に不足しており、不安を抱えた住民たちにわずかな滴りしか出ませんでした。女性たちは一晩中壺を持ってそこにいて、順番を争っておしゃべりしたりしていました。」と記しています。

    このように、この地の人々のために役立っていたようです。

  • Greek Orthodox Church of St. Gabriel<br />(聖ガブリエルのギリシャ正教会)<br /><br />聖母マリアの井戸から、すぐの場所にあります。<br />こちらは聖ガブリエル教会です。<br />ギリシャ正教会が、聖母マリアが受胎告知をしたことを記念して建設されました。

    Greek Orthodox Church of St. Gabriel
    (聖ガブリエルのギリシャ正教会)

    聖母マリアの井戸から、すぐの場所にあります。
    こちらは聖ガブリエル教会です。
    ギリシャ正教会が、聖母マリアが受胎告知をしたことを記念して建設されました。

    聖ガブリエル教会 寺院・教会

    受胎告知教会 by noelさん
  • 教会入口には、受胎告知の場面の絵があります。

    教会入口には、受胎告知の場面の絵があります。

  • Church of the Annunciation-1677<br />(受胎告知教会 1677年)<br /><br />おそらくビザンチン時代のパレスティナに最初に設立されたと思われますが、十字軍の時代に再建され、18世紀にガリラヤのアラブ総督ザヒル アル ウマルの統治下で現在の形になりました。

    Church of the Annunciation-1677
    (受胎告知教会 1677年)

    おそらくビザンチン時代のパレスティナに最初に設立されたと思われますが、十字軍の時代に再建され、18世紀にガリラヤのアラブ総督ザヒル アル ウマルの統治下で現在の形になりました。

  • 教会内部の様子です。<br /><br />東ローマ又はビザンチンの教会として知られるこの教会は、地下の「泉」の上に位置しています。<br />東方正教の信仰によれば、ここは受胎告知の時に聖母マリアが水を汲んでいた場所です。 この泉の水は、今でも教会の側面の礼拝堂内を流れており、140m離れた隣接するマリアの井戸にも水を供給しています。←今は井戸は枯れてます。(先ほど見て来ました。)

    教会内部の様子です。

    東ローマ又はビザンチンの教会として知られるこの教会は、地下の「泉」の上に位置しています。
    東方正教の信仰によれば、ここは受胎告知の時に聖母マリアが水を汲んでいた場所です。 この泉の水は、今でも教会の側面の礼拝堂内を流れており、140m離れた隣接するマリアの井戸にも水を供給しています。←今は井戸は枯れてます。(先ほど見て来ました。)

  • この時、お祈り中でした。<br />離れて拝見していました。<br />聖職者の方の召されている祭服ですが、白に金糸を施した美しいローブのような豪華な目を惹くものでした。<br />特に内部は薄暗いため、白が映えます。<br />

    この時、お祈り中でした。
    離れて拝見していました。
    聖職者の方の召されている祭服ですが、白に金糸を施した美しいローブのような豪華な目を惹くものでした。
    特に内部は薄暗いため、白が映えます。

  • イコノスタシスによって聖所(内陣)と至聖所を区切っています。<br /><br />「テンプロン」は、イコンや絵画で装飾された覆われたスクリーンのことです。<br />ホールと中央のテーブルの後ろの祭壇を隔てています。 スクリーン上の絵画の一部を下の写真に示します。<br />

    イコノスタシスによって聖所(内陣)と至聖所を区切っています。

    「テンプロン」は、イコンや絵画で装飾された覆われたスクリーンのことです。
    ホールと中央のテーブルの後ろの祭壇を隔てています。 スクリーン上の絵画の一部を下の写真に示します。

  • フレスコ画です。<br />受胎告知場面のようですが、聖母のお腹付近に描かれているのはイエスです。<br />告知されただけで、まだ生まれてないのですが、通常このように描かれています。<br />また、天井の翼のあるのは、こちもガブリエルでしょうか。

    フレスコ画です。
    受胎告知場面のようですが、聖母のお腹付近に描かれているのはイエスです。
    告知されただけで、まだ生まれてないのですが、通常このように描かれています。
    また、天井の翼のあるのは、こちもガブリエルでしょうか。

  • 最初の教会は、おそらく4世紀に、ナザレの村の唯一の水源であった泉の場所に建てられました。 このような自然の水源はどの村にとっても重要であり、ナザレの泉は約3,000年間、地元の水飲み場として機能していました。<br /><br />泉の水はジャバル・アズ・シークとして知られる山から湧き出ており、岩の中の地下水路を17m流れ、教会の中に流れ出ています。1990年代には、そこからさらに 130m地下を進み、マリアの井戸として知られる公共の井戸に流れ出ました。 現在のマリアの井戸は、2000年にナザレの千年紀のお祝いのために建てられた物の再建です。今は機能していません。

    最初の教会は、おそらく4世紀に、ナザレの村の唯一の水源であった泉の場所に建てられました。 このような自然の水源はどの村にとっても重要であり、ナザレの泉は約3,000年間、地元の水飲み場として機能していました。

    泉の水はジャバル・アズ・シークとして知られる山から湧き出ており、岩の中の地下水路を17m流れ、教会の中に流れ出ています。1990年代には、そこからさらに 130m地下を進み、マリアの井戸として知られる公共の井戸に流れ出ました。 現在のマリアの井戸は、2000年にナザレの千年紀のお祝いのために建てられた物の再建です。今は機能していません。

  • 泉のある中世の地下礼拝堂には、この教会内から7段の階段を下りて行きます。<br />薄暗くなっています。<br />水はパイプを通って外部に流れ、マリアの井戸に流れ込みました。<br />床下には約2m四方の四角い水槽がありました。

    泉のある中世の地下礼拝堂には、この教会内から7段の階段を下りて行きます。
    薄暗くなっています。
    水はパイプを通って外部に流れ、マリアの井戸に流れ込みました。
    床下には約2m四方の四角い水槽がありました。

  • マリアに大天使ガブリエルがお告げをしている場面です。<br />右のマリアのお腹には小さなイエスが描かれています。<br />また、この下にも青銅に描かれた聖母子の絵があります。<br /><br />これは、マリアが水を汲んだ場所で、受胎告知を意味しています。<br />ギリシャ正教はこのテクストを伝統的に受け入れており、そのため井戸の上に教会を建てました。<br /><br />「そして彼女は水差しを手に取り、水を入れるために外に出ました。<br />そして「おめでとう、恵まれた方、 主はあなたとともにおられます。 あなたは祝福された女性です。」<br />そして、この声がどこからするのか確認するために、左右を見回しました。 そしてマリアは震えながら家に帰り、水差しを置き、椅子に座り、それを取り出しました。 すると、天使が目の前に立って言いました。<br />「マリアよ、恐れることはありません。 あなたは聖霊によって身籠り、神の子を生みます。その子をイエスと名付けなさい。神は彼にダビデの玉座を下さいます。」と。<br /><br />ちなみに、この下に泉があります。

    マリアに大天使ガブリエルがお告げをしている場面です。
    右のマリアのお腹には小さなイエスが描かれています。
    また、この下にも青銅に描かれた聖母子の絵があります。

    これは、マリアが水を汲んだ場所で、受胎告知を意味しています。
    ギリシャ正教はこのテクストを伝統的に受け入れており、そのため井戸の上に教会を建てました。

    「そして彼女は水差しを手に取り、水を入れるために外に出ました。
    そして「おめでとう、恵まれた方、 主はあなたとともにおられます。 あなたは祝福された女性です。」
    そして、この声がどこからするのか確認するために、左右を見回しました。 そしてマリアは震えながら家に帰り、水差しを置き、椅子に座り、それを取り出しました。 すると、天使が目の前に立って言いました。
    「マリアよ、恐れることはありません。 あなたは聖霊によって身籠り、神の子を生みます。その子をイエスと名付けなさい。神は彼にダビデの玉座を下さいます。」と。

    ちなみに、この下に泉があります。

  • イエス・キリストのイコンの数々。<br />最後の晩餐の場面もあります。

    イエス・キリストのイコンの数々。
    最後の晩餐の場面もあります。

  • こちらは聖母マリアのイコンです。<br /><br />

    こちらは聖母マリアのイコンです。

  • 植物模様と幾何学模様のタイルが、イスラム風です。<br />そして右のタイルには、よく見ると小さな写真も埋め込まれているのがわかります。<br />古代アルメニアのタイル細工のようです。<br />小さな窪みに続く壁を飾っています

    植物模様と幾何学模様のタイルが、イスラム風です。
    そして右のタイルには、よく見ると小さな写真も埋め込まれているのがわかります。
    古代アルメニアのタイル細工のようです。
    小さな窪みに続く壁を飾っています

  • イコノスタシア付近に戻りました。

    イコノスタシア付近に戻りました。

  • 天井画は聖母の結婚でしょうか。

    天井画は聖母の結婚でしょうか。

  • 水色の美しい天井画と煌びやかなシャンデリアです。<br /><br />

    水色の美しい天井画と煌びやかなシャンデリアです。

  • この中世の地下礼拝堂には、半円形の後陣を備えた祭壇の下に、シャフトが泉に通じています。<br />そして水を汲むために金属製のカップを下げることができます。 東側の壁には出入口がありますが、封鎖されてます。<br />

    この中世の地下礼拝堂には、半円形の後陣を備えた祭壇の下に、シャフトが泉に通じています。
    そして水を汲むために金属製のカップを下げることができます。 東側の壁には出入口がありますが、封鎖されてます。

  • このマンホールの蓋には、マリアの泉が描かれています。

    このマンホールの蓋には、マリアの泉が描かれています。

  • さて、外に出て来ました。

    さて、外に出て来ました。

  • 木の根元でくつろぐ猫ちゃん。<br />

    木の根元でくつろぐ猫ちゃん。

  • ナザレの街並みです。

    ナザレの街並みです。

  • 八角の石畳です。

    八角の石畳です。

  • ナザレは住民の多くがアラブ系キリスト教徒です。<br />そしてイエスの父のヨハネがそうであったように、大工さんが多い街です。

    ナザレは住民の多くがアラブ系キリスト教徒です。
    そしてイエスの父のヨハネがそうであったように、大工さんが多い街です。

  • イエスはナザレで育ちました。イエスの父のヨセフは大工だったと伝えられています。つまり、最初の子だったイエスも父親から大工の手ほどきを受けたはずです。<br /><br />ただ、福音書の例え話や象徴的な話から、イエスは農業と密接に関わっており、ガリラヤの地を丁寧に耕していたことが窺えるのです。<br />マルコによる福音書によると、イエスは農作業について深い知識を持っていることがわかります。

    イエスはナザレで育ちました。イエスの父のヨセフは大工だったと伝えられています。つまり、最初の子だったイエスも父親から大工の手ほどきを受けたはずです。

    ただ、福音書の例え話や象徴的な話から、イエスは農業と密接に関わっており、ガリラヤの地を丁寧に耕していたことが窺えるのです。
    マルコによる福音書によると、イエスは農作業について深い知識を持っていることがわかります。

  • アラビア語の落書きです。<br />でも、アラビア語でもハートマークは同じですね。

    アラビア語の落書きです。
    でも、アラビア語でもハートマークは同じですね。

  • ナザレの街並みです。<br />ご覧のように、石造りになっています。<br />イスラエルでは、木造の家はほとんどありません。<br />つまりイエスは大工と言われてますが、ギリシャ語で、テクトーンと言い、木製品の加工をする職人だったのではないかとの見方もあります。<br />石を加工したり、石造りの家を建てる仕事だったのかもしれませんが、石工には別の単語があります。<br />実際には石造りの家でも、屋根の梁や扉や窓には、木材を使う必要がありました。<br />戸棚や机や農機具などの木製品を作る職業だったかもしれません。

    ナザレの街並みです。
    ご覧のように、石造りになっています。
    イスラエルでは、木造の家はほとんどありません。
    つまりイエスは大工と言われてますが、ギリシャ語で、テクトーンと言い、木製品の加工をする職人だったのではないかとの見方もあります。
    石を加工したり、石造りの家を建てる仕事だったのかもしれませんが、石工には別の単語があります。
    実際には石造りの家でも、屋根の梁や扉や窓には、木材を使う必要がありました。
    戸棚や机や農機具などの木製品を作る職業だったかもしれません。

  • まだ、時間的に早いので、準備されてません。

    まだ、時間的に早いので、準備されてません。

  • パン屋さん

    パン屋さん

  • 近くにモスクもあるようです。<br />ミナレットが見えます。

    近くにモスクもあるようです。
    ミナレットが見えます。

  • フルーツなどが、たくさんあります。

    フルーツなどが、たくさんあります。

  • White Mosque(ホワイト・モスク)<br />この白いモスクはナザレ最古のモスクです。<br />クリーム色の壁、緑色の飾り枠とドームは、ナザレの街中に共通するオスマン様式の建築のよい一例です。

    White Mosque(ホワイト・モスク)
    この白いモスクはナザレ最古のモスクです。
    クリーム色の壁、緑色の飾り枠とドームは、ナザレの街中に共通するオスマン様式の建築のよい一例です。

  • 名前のとおり白くて綺麗です。<br />キリストの街と思われているナザレですが、このモスクからも、イスラム教徒も混在しているのがわかります。<br />しかも受胎告知教会のすぐそばです。

    名前のとおり白くて綺麗です。
    キリストの街と思われているナザレですが、このモスクからも、イスラム教徒も混在しているのがわかります。
    しかも受胎告知教会のすぐそばです。

  • お店です。

    お店です。

  • 丸くて、つやつやした茄子です。

    丸くて、つやつやした茄子です。

  • いちじくです。<br /><br />イエスは、果樹栽培の経験があったのかもしれません。<br />それは、3年も実らないイチジクの木について、園丁が主人に「今年もこのままにしておいてください。 木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もし、それでもだめなら、切り倒してください。」と懇願する例え話をしています。<br />(ルカによる福音書13章8-9節)<br />さらに、良い行いは良い心からしか生まれないことを教えるために、 イエスはこうも言いました。「茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない」。<br />(ルカによる福音書6章44節)

    いちじくです。

    イエスは、果樹栽培の経験があったのかもしれません。
    それは、3年も実らないイチジクの木について、園丁が主人に「今年もこのままにしておいてください。 木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もし、それでもだめなら、切り倒してください。」と懇願する例え話をしています。
    (ルカによる福音書13章8-9節)
    さらに、良い行いは良い心からしか生まれないことを教えるために、 イエスはこうも言いました。「茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない」。
    (ルカによる福音書6章44節)

  • 手前にはざくろのタワー、後ろにはオレンジのタワーがあります。<br />ざくろは日本では滅多に食べることがありません。<br />1個買って食べたかったです!

    手前にはざくろのタワー、後ろにはオレンジのタワーがあります。
    ざくろは日本では滅多に食べることがありません。
    1個買って食べたかったです!

  • アーケードです。<br />各国の国旗が掛けられています。<br />手前にはドイツ、その先にはイスラエルの国旗が見えます。

    アーケードです。
    各国の国旗が掛けられています。
    手前にはドイツ、その先にはイスラエルの国旗が見えます。

  • アーチを潜り抜けた先の木の陰に塔が見えてます。

    アーチを潜り抜けた先の木の陰に塔が見えてます。

  • 神々しい光が差し込んできています。

    イチオシ

    神々しい光が差し込んできています。

  • ついにやって来ました。<br />中東最大と言われるキリスト教聖堂です。<br />英語、ヘブライ語、アラビア語で書かれています。

    ついにやって来ました。
    中東最大と言われるキリスト教聖堂です。
    英語、ヘブライ語、アラビア語で書かれています。

  • 教会入場にあたっての注意です。<br />ガリラヤでも見たのですが、やはり銃規制をしています。

    教会入場にあたっての注意です。
    ガリラヤでも見たのですが、やはり銃規制をしています。

  • Basilica of the Annunciation(受胎告知教会)<br /><br />マリアが大天使ガブリエルより、受胎告知を受けた洞窟の上に建てられたという教会です。<br />326年、コンスタンティヌス帝によって建設されました。<br />今まで紆余曲折ありましたが、最終的に、1969年に完成しています。<br />イタリア人建築家Giovanni Muzio(ジョバンニ・ムッツィオ)によって設計されています。

    Basilica of the Annunciation(受胎告知教会)

    マリアが大天使ガブリエルより、受胎告知を受けた洞窟の上に建てられたという教会です。
    326年、コンスタンティヌス帝によって建設されました。
    今まで紆余曲折ありましたが、最終的に、1969年に完成しています。
    イタリア人建築家Giovanni Muzio(ジョバンニ・ムッツィオ)によって設計されています。

    受胎告知教会 寺院・教会

    小バシリカの美しいファサードの教会 by noelさん
  • この建造物はコンスタンティヌス1世皇帝によって建設されました。その母親であるヘレナの依頼で建設されました。<br />この受胎告知教会は、キリスト降誕教会(生誕の地)や聖墳墓教会(墓)とほぼ同時期に設立されました。

    この建造物はコンスタンティヌス1世皇帝によって建設されました。その母親であるヘレナの依頼で建設されました。
    この受胎告知教会は、キリスト降誕教会(生誕の地)や聖墳墓教会(墓)とほぼ同時期に設立されました。

  • このファサードの外壁には、よく見ると、上部に大天使ガブリエルとマリアが、そして下部には聖マタイ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネなどが描かれています。<br />また、ラテン語で文字も刻まれているようです。<br />「言葉は肉となって私たちの間に住まわれた。」とあります。

    このファサードの外壁には、よく見ると、上部に大天使ガブリエルとマリアが、そして下部には聖マタイ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネなどが描かれています。
    また、ラテン語で文字も刻まれているようです。
    「言葉は肉となって私たちの間に住まわれた。」とあります。

  • 柱廊のマドンナの中庭のギャラリー<br />大聖堂の中庭を囲む壁には、世界各国の聖母マリア信仰を表すイコンが掲示されておます。<br />イコンは主にモザイクですが、セラミック・タイルで作られたものもあるようです。<br />まず、ウクライナが最初にありました。

    柱廊のマドンナの中庭のギャラリー
    大聖堂の中庭を囲む壁には、世界各国の聖母マリア信仰を表すイコンが掲示されておます。
    イコンは主にモザイクですが、セラミック・タイルで作られたものもあるようです。
    まず、ウクライナが最初にありました。

  • ここナザレです。<br />モノトーンでシックな聖母マリアです。

    ここナザレです。
    モノトーンでシックな聖母マリアです。

  • ボリビア<br /><br />ボリビアは、南アメリカ大陸の中央部にあります。<br />国土の3割はアンデス山脈の多民族国家です。<br />ボリビアの人口の約95%がカトリック教徒で、残りの5%はプロテスタント、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教などの宗教などです。<br />先ほどのモノトーンのマリアとは、だいぶ違い華やかです。

    ボリビア

    ボリビアは、南アメリカ大陸の中央部にあります。
    国土の3割はアンデス山脈の多民族国家です。
    ボリビアの人口の約95%がカトリック教徒で、残りの5%はプロテスタント、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教などの宗教などです。
    先ほどのモノトーンのマリアとは、だいぶ違い華やかです。

  • アンドラ<br /><br />アンドラ公国はフランスとスペインに挟まれたピレネー山脈にあります。<br />国の面積が約468平方キロメートルの小さな国です。<br />高い山々に恵まれていて、国内には8ヶ所のスキー場があります。

    アンドラ

    アンドラ公国はフランスとスペインに挟まれたピレネー山脈にあります。
    国の面積が約468平方キロメートルの小さな国です。
    高い山々に恵まれていて、国内には8ヶ所のスキー場があります。

  • イラク<br /><br />ちょっと意外です。<br />イラクはイスラム教が国民の99%を占めています。<br />次いでキリスト教0.8%、ヒンドゥー教 、そしてその他です。<br />イスラム教徒では、シーア派が60 - 65%、スンニ派が32-37% です。<br />そしてキリスト教は、カトリック、東方正教会、アッシリア東方教会などです。<br />キリスト教徒はアッシリア人と少数民族に限られています。

    イラク

    ちょっと意外です。
    イラクはイスラム教が国民の99%を占めています。
    次いでキリスト教0.8%、ヒンドゥー教 、そしてその他です。
    イスラム教徒では、シーア派が60 - 65%、スンニ派が32-37% です。
    そしてキリスト教は、カトリック、東方正教会、アッシリア東方教会などです。
    キリスト教徒はアッシリア人と少数民族に限られています。

  • ヴァチカン<br /><br />受胎告知教会が描かれています。<br />ローマ教皇、大天使ガブリエルと聖母マリアなどが描かれています。<br />それからヴァチカンと言うと、個人的には、やはりミケランジェロのピエタのマリア像が、印象的です。

    ヴァチカン

    受胎告知教会が描かれています。
    ローマ教皇、大天使ガブリエルと聖母マリアなどが描かれています。
    それからヴァチカンと言うと、個人的には、やはりミケランジェロのピエタのマリア像が、印象的です。

  • 教会の見取り図です。

    教会の見取り図です。

  • 中央はエジプト、右はアルメニア<br /><br />エジプトでは60年ごろ、福音記者の聖マルコが宣教を始めました。<br />これがコプト教会の起源とされています。<br /><br />アルメニアにキリスト教がもたらされたのも古いです。<br />301年、アルメニア王国がキリスト教を初めて公認し、キリスト教を国教と定めています。<br />聖母子の→横には、エチミアジン大聖堂が描かれています。

    中央はエジプト、右はアルメニア

    エジプトでは60年ごろ、福音記者の聖マルコが宣教を始めました。
    これがコプト教会の起源とされています。

    アルメニアにキリスト教がもたらされたのも古いです。
    301年、アルメニア王国がキリスト教を初めて公認し、キリスト教を国教と定めています。
    聖母子の→横には、エチミアジン大聖堂が描かれています。

  • 中央はルーマニア、右はインド<br /><br />ルーマニアは世俗国家のため、国教を定めていません。 ただ、国民の信仰は厚く、多くは正教会のキリスト教徒です。<br />この聖母子は手を上に上げています。通常はお祈りしていたり、下に手を広げていたり、もしくは胸に手をあてているマリアは多いのですが・・・。<br />この意味は不明です。<br /><br />インドでは、ヒンドゥー教が最も多く、次いでイスラム教です。<br />キリスト教は3番目に信者が多いのですが、人口に対する割合は2.3%と少ないです。<br />マルス・マリアム教会の上に聖母子が描かれています。

    中央はルーマニア、右はインド

    ルーマニアは世俗国家のため、国教を定めていません。 ただ、国民の信仰は厚く、多くは正教会のキリスト教徒です。
    この聖母子は手を上に上げています。通常はお祈りしていたり、下に手を広げていたり、もしくは胸に手をあてているマリアは多いのですが・・・。
    この意味は不明です。

    インドでは、ヒンドゥー教が最も多く、次いでイスラム教です。
    キリスト教は3番目に信者が多いのですが、人口に対する割合は2.3%と少ないです。
    マルス・マリアム教会の上に聖母子が描かれています。

  • マケドニア<br /><br />マケドニアには、正教会、カトリック教会、プロテスタント教会、イスラム教など、多様な宗教が存在しています。マケドニア正教会は、オフリド大主教のもとに創設された正教会の独立教会です。

    マケドニア

    マケドニアには、正教会、カトリック教会、プロテスタント教会、イスラム教など、多様な宗教が存在しています。マケドニア正教会は、オフリド大主教のもとに創設された正教会の独立教会です。

  • インドネシア<br /><br />世界で最もイスラム教徒が多い国です。<br />ただ、その中でも人口の約10%がキリスト教徒です。その内プロテスタント教会の信者が半数以上を占め、カトリック信徒の多くはインドネシア中部の島スラウェン島に固まってコミュニティを作っているという特徴があります。<br />ただ、最新のデータによると、人口に占めるキリスト教徒の割合がわずかではあるが増加しているようです。

    インドネシア

    世界で最もイスラム教徒が多い国です。
    ただ、その中でも人口の約10%がキリスト教徒です。その内プロテスタント教会の信者が半数以上を占め、カトリック信徒の多くはインドネシア中部の島スラウェン島に固まってコミュニティを作っているという特徴があります。
    ただ、最新のデータによると、人口に占めるキリスト教徒の割合がわずかではあるが増加しているようです。

  • イタリア<br /><br />言わずと知れていますが、イタリアはキリスト教徒が多数派です。<br />その中でもカトリック教会が最大です。<br />30.8%が毎週日曜日教会に出席しているそうです。

    イタリア

    言わずと知れていますが、イタリアはキリスト教徒が多数派です。
    その中でもカトリック教会が最大です。
    30.8%が毎週日曜日教会に出席しているそうです。

  • 中央はスペイン、左はアルバニア<br /><br />まず、サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院の上に地球があって、その上にグアダルーペの聖母が描かれています。<br />スペインに3つある黒い聖母のうちのつです。<br /><br />アルバニア<br />右下にはアルバニアの国旗が描かれています。<br />これは左右をにらんでいる双頭の鷲です。アルバニア人は強い鷲の子孫という故事があるようです。<br />アルバニアで最も一般的な宗教はイスラム教であり、2番目に一般的な宗教はキリスト教です。中には無宗教のアルバニア人もたくさんいます。<br />アルバニアのキリスト教 は古い歴史があります。

    中央はスペイン、左はアルバニア

    まず、サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院の上に地球があって、その上にグアダルーペの聖母が描かれています。
    スペインに3つある黒い聖母のうちのつです。

    アルバニア
    右下にはアルバニアの国旗が描かれています。
    これは左右をにらんでいる双頭の鷲です。アルバニア人は強い鷲の子孫という故事があるようです。
    アルバニアで最も一般的な宗教はイスラム教であり、2番目に一般的な宗教はキリスト教です。中には無宗教のアルバニア人もたくさんいます。
    アルバニアのキリスト教 は古い歴史があります。

  • ボスニア・ヘルツェゴビナ<br /><br />キリスト教徒、イスラム教徒、正教徒が共存する多宗教国家です。<br />キリスト教徒は、ボスニア・ヘルツェゴビナの人口の約15%を占めています。<br />いくつかのキリスト教の教会がありますが、その中でもサラエヴォにあるイエスの聖心大聖堂は有名です。

    ボスニア・ヘルツェゴビナ

    キリスト教徒、イスラム教徒、正教徒が共存する多宗教国家です。
    キリスト教徒は、ボスニア・ヘルツェゴビナの人口の約15%を占めています。
    いくつかのキリスト教の教会がありますが、その中でもサラエヴォにあるイエスの聖心大聖堂は有名です。

  • ポルトガル<br /><br />流石ポルトガルは、美しいアズレージョです。<br />青と白のタイル装飾で有名です。<br />アズレージョは、釉薬をタイルに塗って焼き上げることで色を定着させる技法です。<br />アズレージョは教会や宮殿などの特別な建造物に対して用いられています。<br />また、駅や一般家庭の装飾にもなっています。<br />アズレージョの起源はアラビア文化圏にあり、15世紀初期から浸透し、アラビア芸術でよく用いられた幾何学模様で装飾されていました。<br /><br />ポルトガルは、カトリック教会が最も優勢な宗教です。<br />2011年の調査では、人口の91.4%がカトリック教徒です。15世紀半ばに世界進出に乗り出し、東南アジアに到達しました。<br />また、1550年には日本の長崎の平戸に最初のポルトガル船が来航し、貿易船で来日したイエズス会の宣教師たちによってキリスト教は全国的に広まっていきました。

    ポルトガル

    流石ポルトガルは、美しいアズレージョです。
    青と白のタイル装飾で有名です。
    アズレージョは、釉薬をタイルに塗って焼き上げることで色を定着させる技法です。
    アズレージョは教会や宮殿などの特別な建造物に対して用いられています。
    また、駅や一般家庭の装飾にもなっています。
    アズレージョの起源はアラビア文化圏にあり、15世紀初期から浸透し、アラビア芸術でよく用いられた幾何学模様で装飾されていました。

    ポルトガルは、カトリック教会が最も優勢な宗教です。
    2011年の調査では、人口の91.4%がカトリック教徒です。15世紀半ばに世界進出に乗り出し、東南アジアに到達しました。
    また、1550年には日本の長崎の平戸に最初のポルトガル船が来航し、貿易船で来日したイエズス会の宣教師たちによってキリスト教は全国的に広まっていきました。

  • ウェールズ<br /><br />イングランドでは約6%が、ウェールズでは約3%がカトリック信徒です。<br />デイヴィッドはウェールズの聖人として崇拝されています。

    ウェールズ

    イングランドでは約6%が、ウェールズでは約3%がカトリック信徒です。
    デイヴィッドはウェールズの聖人として崇拝されています。

  • モロッコ<br /><br />モロッコの宗教は、ほとんどがイスラム教で、その割合は約99%にもなります。<br />そして、その他の1%以下には、ユダヤ教やキリスト教などが含まれます。<br /><br />モロッコのキリスト教徒の数を2万人と推定しています。<br />キリスト教に改宗したモロッコ人の数は、そのほとんどが秘密の崇拝者であり、8,000人から50,000人と推定されています。<br />1960年以来は、キリスト教に改宗するモロッコ人のイスラム教徒が増えています。

    モロッコ

    モロッコの宗教は、ほとんどがイスラム教で、その割合は約99%にもなります。
    そして、その他の1%以下には、ユダヤ教やキリスト教などが含まれます。

    モロッコのキリスト教徒の数を2万人と推定しています。
    キリスト教に改宗したモロッコ人の数は、そのほとんどが秘密の崇拝者であり、8,000人から50,000人と推定されています。
    1960年以来は、キリスト教に改宗するモロッコ人のイスラム教徒が増えています。

  • スコットランド<br /><br />グラスゴー大聖堂が描かれています。<br />以前行きました。<br />残念ながら中には入れませんでしたが、実際に見てます。<br /><br />スコットランドは、人口の65%がキリスト教徒です。<br />スコットランド国教会は国教ではなく、国による管理から独立しています。<br />そして最大の宗教グループであり、人口の42%が属しています。<br />他の主要な宗派は、カトリックでおよそ16%前後です。

    スコットランド

    グラスゴー大聖堂が描かれています。
    以前行きました。
    残念ながら中には入れませんでしたが、実際に見てます。

    スコットランドは、人口の65%がキリスト教徒です。
    スコットランド国教会は国教ではなく、国による管理から独立しています。
    そして最大の宗教グループであり、人口の42%が属しています。
    他の主要な宗派は、カトリックでおよそ16%前後です。

  • スペイン<br /><br />スペインの主なマリア信仰のいくつかが含まれています。<br />カナリア諸島の守護聖人であるカンデラリアの聖母、<br />カタルーニャの守護聖人であるモンセラートの聖母、 <br />見捨てられた者の聖母、バレンシアの守護者、 <br />そしてエストレマドゥーラの守護者であるグアダルーペの聖母など。

    スペイン

    スペインの主なマリア信仰のいくつかが含まれています。
    カナリア諸島の守護聖人であるカンデラリアの聖母、
    カタルーニャの守護聖人であるモンセラートの聖母、
    見捨てられた者の聖母、バレンシアの守護者、
    そしてエストレマドゥーラの守護者であるグアダルーペの聖母など。

  • 中央はイタリア、右はポーランド<br /><br />イタリアは言うまでもなく、歴史的にキリスト教布教の中心です。<br />しかもバチカン市国を内包していて、カトリック教会が根付いている地でもあります。<br /><br />ポーランドは、ヨハネ・パウロ2世の祖国です。<br />約500年ぶりにイタリア系でない教皇に就きました。<br />国民の92%がカソリック信者で、これは世界一だそうです。

    中央はイタリア、右はポーランド

    イタリアは言うまでもなく、歴史的にキリスト教布教の中心です。
    しかもバチカン市国を内包していて、カトリック教会が根付いている地でもあります。

    ポーランドは、ヨハネ・パウロ2世の祖国です。
    約500年ぶりにイタリア系でない教皇に就きました。
    国民の92%がカソリック信者で、これは世界一だそうです。

  • 中央はマルタ<br /><br />マルタには新石器時代から人間が生活していました。<br /> 紀元1世紀に聖パウロが漂着しキリスト教がマルタ島にもたらされました。<br /><br />16世紀初頭にマルタを治めた神聖ローマ皇帝カール5世は、1530年にマルタ諸島を聖ヨハネ騎士団に譲渡しました。<br />そして260年にわたるヨハネ騎士団の支配が始まりました。<br />ヨハネ騎士団はホスピタル騎士団としてエルサレムに設立されました。

    中央はマルタ

    マルタには新石器時代から人間が生活していました。
    紀元1世紀に聖パウロが漂着しキリスト教がマルタ島にもたらされました。

    16世紀初頭にマルタを治めた神聖ローマ皇帝カール5世は、1530年にマルタ諸島を聖ヨハネ騎士団に譲渡しました。
    そして260年にわたるヨハネ騎士団の支配が始まりました。
    ヨハネ騎士団はホスピタル騎士団としてエルサレムに設立されました。

  • 韓国<br /><br />ローマ教皇フランシスコが明洞大聖堂でミサを執り行いました。<br />たまたま、この時ソウルのすぐ側のホテルに宿泊してました。<br />ホテルの新聞で確認して、朝、散歩がてら行ってみました。<br />お願いして、中を拝見させていただきました。<br /><br />こちらは、チマチョゴリ姿の聖母です。

    韓国

    ローマ教皇フランシスコが明洞大聖堂でミサを執り行いました。
    たまたま、この時ソウルのすぐ側のホテルに宿泊してました。
    ホテルの新聞で確認して、朝、散歩がてら行ってみました。
    お願いして、中を拝見させていただきました。

    こちらは、チマチョゴリ姿の聖母です。

  • クロアチア<br /><br />国民の約91%がキリスト教を信仰しており、その宗派はローマ・カトリックが86%を占めています。

    クロアチア

    国民の約91%がキリスト教を信仰しており、その宗派はローマ・カトリックが86%を占めています。

  • スペイン<br /><br />「バレンシア王国の失われた後援者の10人のこどもの母」<br />だそうです。カタロニア語のようです。

    スペイン

    「バレンシア王国の失われた後援者の10人のこどもの母」
    だそうです。カタロニア語のようです。

  • 中央はスペイン、右はタイ、左はパナマ<br /><br />タイは国民の95%が仏教徒です。<br />また、僧侶は男性の人口の約1割を占めます、(見習い僧侶を含みます)<br />ただ、人口の0.6%はキリスト教徒だそうです。<br />キリスト教は16世紀にアユタヤ時代、ポルトガルの宣教師によってもたらされました。<br /><br />パナマはパナマ運河で有名です。<br />中南米はカトリック国が多いですが、カトリックは66.7%、プロテスタントは21.1%になっています。

    中央はスペイン、右はタイ、左はパナマ

    タイは国民の95%が仏教徒です。
    また、僧侶は男性の人口の約1割を占めます、(見習い僧侶を含みます)
    ただ、人口の0.6%はキリスト教徒だそうです。
    キリスト教は16世紀にアユタヤ時代、ポルトガルの宣教師によってもたらされました。

    パナマはパナマ運河で有名です。
    中南米はカトリック国が多いですが、カトリックは66.7%、プロテスタントは21.1%になっています。

  • 中央はイタリア、左はべトナム、右は南アフリカ<br /><br />ベトナムの人口の約10%をカトリック教徒が占めています。<br />ベトナムにキリスト教が伝来したのは1533年です。<br />ポルトガル人の宣教師が布教を始めました。そして1615年、スペイン、ポルトガルの宣教師によってホイアンに「伝導教会」が設立されました。<br />その後、各地に教会が建てられ、貧しい人々の間に教えは広まっていきました。<br /><br />南アフリカで一番多いのは、アパルトヘイトの時代に普及したキリスト教で、その中でもプロテスタントが最大の宗派です。<br />キリスト教が80%、イスラム教が1.5%、その他が2.3%です。

    中央はイタリア、左はべトナム、右は南アフリカ

    ベトナムの人口の約10%をカトリック教徒が占めています。
    ベトナムにキリスト教が伝来したのは1533年です。
    ポルトガル人の宣教師が布教を始めました。そして1615年、スペイン、ポルトガルの宣教師によってホイアンに「伝導教会」が設立されました。
    その後、各地に教会が建てられ、貧しい人々の間に教えは広まっていきました。

    南アフリカで一番多いのは、アパルトヘイトの時代に普及したキリスト教で、その中でもプロテスタントが最大の宗派です。
    キリスト教が80%、イスラム教が1.5%、その他が2.3%です。

  • 教皇ベネディクト16世<br />2009年5月14日、訪問されました。

    教皇ベネディクト16世
    2009年5月14日、訪問されました。

  • ギリシャ<br /><br />ギリシャ正教会は、クレタ島を除いて、ギリシャ共和国内の正教信徒を管轄する独立正教会です。<br />コンスタンティノープル総主教ではなく、アテネ大主教が管掌しています。

    ギリシャ

    ギリシャ正教会は、クレタ島を除いて、ギリシャ共和国内の正教信徒を管轄する独立正教会です。
    コンスタンティノープル総主教ではなく、アテネ大主教が管掌しています。

  • 教皇パウロ6世<br />1964年5月1日訪問。

    教皇パウロ6世
    1964年5月1日訪問。

  • 世界各地より寄贈された多くの作品でした。<br />多くの文化的隔たりを越えた母と子の痛切さが示されていました。<br /><br />これは水盤のようです。

    世界各地より寄贈された多くの作品でした。
    多くの文化的隔たりを越えた母と子の痛切さが示されていました。

    これは水盤のようです。

  • 今、見てきたギャラリーです。<br />回廊から外れると、日が当たって暑いです。

    今、見てきたギャラリーです。
    回廊から外れると、日が当たって暑いです。

  • 受胎告知<br /><br />① レオナルド・ダヴィンチ(ウフィッツィ美術館)1472-1475年<br />② サンドロ・ボッティチェッリ(ウフィッツィ美術館)1489年<br />③ フラ・アンジェリコ(フィレンツェ サン・マルコ美術館)1440年)<br />④ カルロ・クリヴェッリ(ロンドン ナショナルギャラリー)1486年<br />⑤ ダンテ・ガブリエル・ロサッティ(テート美術館)1850年<br />⑥ エル・グレコ(大原美術館)1590年<br />⑦ エル・グレコ(ティッセン=ボルネミッサ美術館(1576年)<br /><br />他にも、受胎告知の絵はたくさんあります。<br />この場所にようやく来ることができました。

    受胎告知

    ① レオナルド・ダヴィンチ(ウフィッツィ美術館)1472-1475年
    ② サンドロ・ボッティチェッリ(ウフィッツィ美術館)1489年
    ③ フラ・アンジェリコ(フィレンツェ サン・マルコ美術館)1440年)
    ④ カルロ・クリヴェッリ(ロンドン ナショナルギャラリー)1486年
    ⑤ ダンテ・ガブリエル・ロサッティ(テート美術館)1850年
    ⑥ エル・グレコ(大原美術館)1590年
    ⑦ エル・グレコ(ティッセン=ボルネミッサ美術館(1576年)

    他にも、受胎告知の絵はたくさんあります。
    この場所にようやく来ることができました。

  • 重厚な扉ですが、キリストの数々の出来事が描かれています。<br />生誕~エジプト逃避~ヨハネからの洗礼~ガリラヤ湖での説法~磔刑にかけられた場面などです。

    重厚な扉ですが、キリストの数々の出来事が描かれています。
    生誕~エジプト逃避~ヨハネからの洗礼~ガリラヤ湖での説法~磔刑にかけられた場面などです。

  • 中に入りました。ステンドグラスが綺麗です。<br />側廊はステンドグラスが広がっています。

    中に入りました。ステンドグラスが綺麗です。
    側廊はステンドグラスが広がっています。

  • 思ったより、天井が低めです。<br />柱などは木でできているようです。

    思ったより、天井が低めです。
    柱などは木でできているようです。

  • 教会の主要看板によると、2018年11月時点では、カトリックのミサは洞窟、アッパーバシリカ、隣接する聖ヨセフ教会でアラビア語とイタリア語で行われているようです。

    教会の主要看板によると、2018年11月時点では、カトリックのミサは洞窟、アッパーバシリカ、隣接する聖ヨセフ教会でアラビア語とイタリア語で行われているようです。

  • 教会内に入ると、外観とのギャップに少し驚きました。<br />外観は、1969年に改築されたため、近代的で白く美しい様子でした。<br />ただ、内部は少し趣が違います。<br />教会の歴史が層位を辿って見られます。<br />ちなみに、ここは地階部分になります。

    教会内に入ると、外観とのギャップに少し驚きました。
    外観は、1969年に改築されたため、近代的で白く美しい様子でした。
    ただ、内部は少し趣が違います。
    教会の歴史が層位を辿って見られます。
    ちなみに、ここは地階部分になります。

  • 聖母マリアは洞窟に住んでいて、そこで天使と出会ったと考えられています。<br />この洞窟前面には、キリスト教が公認される前の3世紀頃から、囲いのような建物で、ユダヤ教のシナゴーグらしき物が建っていました。<br />後のビザンチン時代になってから、コンスタンティヌス帝の母ヘレナによって、洞窟をアプスの横に置くように、この教会が建設されました。<br /><br />ここでは小規模なミサが行われるようです。<br />※ アプスとは、祭壇の背面にある半円形の空間のことです。<br /><br />教会堂は十字軍の時代に再建されています。<br />そして近代になってから1730年、1969年に改装されています。

    聖母マリアは洞窟に住んでいて、そこで天使と出会ったと考えられています。
    この洞窟前面には、キリスト教が公認される前の3世紀頃から、囲いのような建物で、ユダヤ教のシナゴーグらしき物が建っていました。
    後のビザンチン時代になってから、コンスタンティヌス帝の母ヘレナによって、洞窟をアプスの横に置くように、この教会が建設されました。

    ここでは小規模なミサが行われるようです。
    ※ アプスとは、祭壇の背面にある半円形の空間のことです。

    教会堂は十字軍の時代に再建されています。
    そして近代になってから1730年、1969年に改装されています。

  • 聖母マリアです。<br />今にもこちらにやって来そうなくらいにリアルに感じました。<br /><br />マリアは、BC17年頃の9月7日ナザレにて、ダビデ王の血を引く父ヨアキムと母アンナの元に誕生します。 <br />その後、3歳から神殿で神に仕え、敬虔なユダヤ教徒として育ち、14歳の時に神の意志により大工のヨセフと婚約をします。<br /><br />当時のユダヤ教の習わしに従い、婚約後1年間を実家の両親と暮らしますが、その際にマリアの前に天使ガブリエルが現れ、「マリアのお腹に主が宿った」と受胎告知を受けます。<br /><br />当時は、浮気や不倫をすると死刑になりました。<br />婚約者のヨセフは身に覚えのないマリアの妊娠に驚き離縁しようとします。<br />ただ、ヨセフの夢の中に天使が現れ、マリアのお腹の中に神の子が宿ったこと、そして、生まれた子にイエスと言う名をつける様に伝えます。<br />ヨセフは天使の話から、マリアの妊娠を受け入れ離縁はやめました。

    聖母マリアです。
    今にもこちらにやって来そうなくらいにリアルに感じました。

    マリアは、BC17年頃の9月7日ナザレにて、ダビデ王の血を引く父ヨアキムと母アンナの元に誕生します。
    その後、3歳から神殿で神に仕え、敬虔なユダヤ教徒として育ち、14歳の時に神の意志により大工のヨセフと婚約をします。

    当時のユダヤ教の習わしに従い、婚約後1年間を実家の両親と暮らしますが、その際にマリアの前に天使ガブリエルが現れ、「マリアのお腹に主が宿った」と受胎告知を受けます。

    当時は、浮気や不倫をすると死刑になりました。
    婚約者のヨセフは身に覚えのないマリアの妊娠に驚き離縁しようとします。
    ただ、ヨセフの夢の中に天使が現れ、マリアのお腹の中に神の子が宿ったこと、そして、生まれた子にイエスと言う名をつける様に伝えます。
    ヨセフは天使の話から、マリアの妊娠を受け入れ離縁はやめました。

  • 真っ黒に見えますが、ここには絵が掛けられています。<br />受胎告知の場面かと思います。

    真っ黒に見えますが、ここには絵が掛けられています。
    受胎告知の場面かと思います。

  • 祭壇がありますが、柵のゲートで覆われています。<br />受胎告知の洞穴を利用したアプスです。

    祭壇がありますが、柵のゲートで覆われています。
    受胎告知の洞穴を利用したアプスです。

  • 受胎告知を受けた洞窟です。<br />この奥になります。<br />手前には受胎告知の絵画が飾られています。

    受胎告知を受けた洞窟です。
    この奥になります。
    手前には受胎告知の絵画が飾られています。

  • 下から見たドーム<br />それほど混んではいませんが、順番に拝見するため、先に天井のドームを撮影しました。<br />このドームは聖母マリアを象徴する白百合の花のドームです。<br />美しいです。<br />

    下から見たドーム
    それほど混んではいませんが、順番に拝見するため、先に天井のドームを撮影しました。
    このドームは聖母マリアを象徴する白百合の花のドームです。
    美しいです。

  • 洞窟です。<br />1955年、フランシスコ会修道士で考古学者でもあるベラルミノ・バガッティの指揮で、ナザレの受胎告知教会の地下の発掘調査が行なわれました。この教会が立っているのは、マリアが大天使ガブリエルを迎え入れた岩屋があった場所とされています。<br />調査によると、教会の下には古い建物が層のように重なっていて、1番古いものは3世紀のシナゴーグでした。<br />ユダヤ人の キリスト教徒が建てたものと思われます。このシナゴーグの下からは穀物庫やオリーブの圧搾機、井戸が見つかり、1~2世紀からここに農村があったことがわかりました。

    洞窟です。
    1955年、フランシスコ会修道士で考古学者でもあるベラルミノ・バガッティの指揮で、ナザレの受胎告知教会の地下の発掘調査が行なわれました。この教会が立っているのは、マリアが大天使ガブリエルを迎え入れた岩屋があった場所とされています。
    調査によると、教会の下には古い建物が層のように重なっていて、1番古いものは3世紀のシナゴーグでした。
    ユダヤ人の キリスト教徒が建てたものと思われます。このシナゴーグの下からは穀物庫やオリーブの圧搾機、井戸が見つかり、1~2世紀からここに農村があったことがわかりました。

  • この聖なる洞窟が修復されたことが書かれているようです。

    この聖なる洞窟が修復されたことが書かれているようです。

  • 床面の様子です。<br /><br />ルカによる福音書では、大天使ガブリエルがマリアに「あなたは身ごもって男の子を産むがその子をイエスと名付けなさい」<br /> (1章31節)と告げます。<br />この話の前に、子どものいない女が息子を身ごもる逸話が紹介されています。それはアブラハムの妻サラや、預言者サムエルの母ハンナを連想させます。イエス、またはアラム語でイェシュアという名前は、イェホシュアの短縮形で、「 ヤハウェは救い主」という意味です。<br />受胎の告知に、マリアは自分はまだ処女なのにと反論します。するとガプリエルは「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包みます。」と約束し「親類の エリザベトも、年をとっていますが、男の子を身ごもっています。」だから「神にできないことは何一つありません。」と言います。エリザベトの子は長じて洗礼者ヨハネとなり、ガブリエルの 言葉は、創世記でイサクの誕生をサラとアブラハムに告げたときの天使の言葉 不可能なことがあろうか」とも呼応します。<br />(18章14節)<br /><br />実際にマリアは、この受胎告知の後、ユダの町のザカリヤの家に行き、親類のエリザベツに会いました。<br />この町は、エルサレムの近くのエンカレムであると言われてます。<br />このエンカレムとベツレヘムとエルサレムは、三角形になる位置関係で、距離はそれぞれ約7kmです。ゆっくり歩いて2時間ぐらいです。<br />そして、洗礼者ヨハネの生まれた町でもあります。

    床面の様子です。

    ルカによる福音書では、大天使ガブリエルがマリアに「あなたは身ごもって男の子を産むがその子をイエスと名付けなさい」
    (1章31節)と告げます。
    この話の前に、子どものいない女が息子を身ごもる逸話が紹介されています。それはアブラハムの妻サラや、預言者サムエルの母ハンナを連想させます。イエス、またはアラム語でイェシュアという名前は、イェホシュアの短縮形で、「 ヤハウェは救い主」という意味です。
    受胎の告知に、マリアは自分はまだ処女なのにと反論します。するとガプリエルは「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包みます。」と約束し「親類の エリザベトも、年をとっていますが、男の子を身ごもっています。」だから「神にできないことは何一つありません。」と言います。エリザベトの子は長じて洗礼者ヨハネとなり、ガブリエルの 言葉は、創世記でイサクの誕生をサラとアブラハムに告げたときの天使の言葉 不可能なことがあろうか」とも呼応します。
    (18章14節)

    実際にマリアは、この受胎告知の後、ユダの町のザカリヤの家に行き、親類のエリザベツに会いました。
    この町は、エルサレムの近くのエンカレムであると言われてます。
    このエンカレムとベツレヘムとエルサレムは、三角形になる位置関係で、距離はそれぞれ約7kmです。ゆっくり歩いて2時間ぐらいです。
    そして、洗礼者ヨハネの生まれた町でもあります。

  • 螺旋状の階段を登って1階に行きます。<br />この階段は教会のファサードのように新しいようです。

    螺旋状の階段を登って1階に行きます。
    この階段は教会のファサードのように新しいようです。

  • ステンドグラスが綺麗です。<br />上段はブルーを基調とした寒色系、下段は赤を基調とした暖色系の色合いです。

    ステンドグラスが綺麗です。
    上段はブルーを基調とした寒色系、下段は赤を基調とした暖色系の色合いです。

  • JOANNES  PPXXⅢ

    JOANNES PPXXⅢ

  • 美しいステンドグラスです。

    美しいステンドグラスです。

  • よく見ると中央部分のステンドグラスには、人が描かれているようです。<br />おそらく左がガブリエルで右がマリアかと思います。

    よく見ると中央部分のステンドグラスには、人が描かれているようです。
    おそらく左がガブリエルで右がマリアかと思います。

  • ドームからは明るい日の光が差し込んできています。

    ドームからは明るい日の光が差し込んできています。

  • こちらは1階の聖堂です。<br />こちらでは、大規模なミサが行われます。

    こちらは1階の聖堂です。
    こちらでは、大規模なミサが行われます。

  • この教会はフランシスコ会によって管理されています。<br />小バシリカです。

    この教会はフランシスコ会によって管理されています。
    小バシリカです。

  • パイプオルガンがあります。<br />受胎告知教会だけに、特別な音色のような気がします。<br />

    パイプオルガンがあります。
    受胎告知教会だけに、特別な音色のような気がします。

  • 華やかな聖母です。<br />左:Santisima Virgen Puerta<br />中:China<br />右:Vailankanni india 2007<br />      Bible tours Chennai

    華やかな聖母です。
    左:Santisima Virgen Puerta
    中:China
    右:Vailankanni india 2007
    Bible tours Chennai

  • コンクリートの打ちっぱなしの柱に見えます。<br />全体的にこのような柱ぐらいで、広い空間になっています。

    コンクリートの打ちっぱなしの柱に見えます。
    全体的にこのような柱ぐらいで、広い空間になっています。

  • 身廊付近の床面も綺麗です。

    身廊付近の床面も綺麗です。

  • 「華の聖母子」<br />日本の長谷川ルカ(路可)画伯のモザイク画です。<br />細川ガラシャ夫人をモデルとして想定し描いたものです。<br />この作品は長谷川画伯の遺作となってしまいました。<br />残念ながら、下絵を描いた段階で亡くなってしまいました。<br />その後は、弟子たちによってヴェネツィアの工房で仕上げられました。<br />この絵は、大きいため分割して運ばれたようです。

    「華の聖母子」
    日本の長谷川ルカ(路可)画伯のモザイク画です。
    細川ガラシャ夫人をモデルとして想定し描いたものです。
    この作品は長谷川画伯の遺作となってしまいました。
    残念ながら、下絵を描いた段階で亡くなってしまいました。
    その後は、弟子たちによってヴェネツィアの工房で仕上げられました。
    この絵は、大きいため分割して運ばれたようです。

  • Annunciation Church(受胎告知教会)は、全世界に同じ名前の教会が増えています。

    Annunciation Church(受胎告知教会)は、全世界に同じ名前の教会が増えています。

  • 古い教会は、新しい大聖堂の建設のために 1954年に完全に取り壊されました。<br />新しい大聖堂はイタリアの建築家ジョバンニ・ムツィオによって設計され、1960年から1969年にかけてイスラエルの建築会社ソレル・ボーンによって建設されました。<br /> このプロジェクトのチーフエンジニアShlomo Lopatin (Aluf) は10年以上大聖堂の建設に専念しました。

    古い教会は、新しい大聖堂の建設のために 1954年に完全に取り壊されました。
    新しい大聖堂はイタリアの建築家ジョバンニ・ムツィオによって設計され、1960年から1969年にかけてイスラエルの建築会社ソレル・ボーンによって建設されました。
    このプロジェクトのチーフエンジニアShlomo Lopatin (Aluf) は10年以上大聖堂の建設に専念しました。

  • 教皇パウロ6世は1964年に聖地を訪問した際に新しい教会でミサを行いました。<br />大聖堂は1969年に完成しました。<br />ラテン教区によって使用されていますが、フランシスコ会の管理下にあります。 <br /><br />教皇ヨハネ・パウロ2世は2000年の大聖年に聖地巡礼を行い、2000年3月25日に受胎告知聖堂でミサを行いました。

    教皇パウロ6世は1964年に聖地を訪問した際に新しい教会でミサを行いました。
    大聖堂は1969年に完成しました。
    ラテン教区によって使用されていますが、フランシスコ会の管理下にあります。

    教皇ヨハネ・パウロ2世は2000年の大聖年に聖地巡礼を行い、2000年3月25日に受胎告知聖堂でミサを行いました。

  • 最終的に1969年にフランシスコ会によって、再建されています。<br />そのため新しく美しい教会です。

    最終的に1969年にフランシスコ会によって、再建されています。
    そのため新しく美しい教会です。

  • こちらにも聖母マリアが描かれています。<br />世界中に教会はたくさんありますが、これだけ聖母マリアを見られるのは、やはりこの教会だからこそでしょう。

    こちらにも聖母マリアが描かれています。
    世界中に教会はたくさんありますが、これだけ聖母マリアを見られるのは、やはりこの教会だからこそでしょう。

  • マリアの少女時代の家があったと伝わる場所に建てられています。

    イチオシ

    マリアの少女時代の家があったと伝わる場所に建てられています。

  • 受胎告知は、絵画ではマリアが読書をしている場面が多いです。<br />また、糸を紡いでいる場面もあります。<br />そして白い百合が置かれていますが、これは純潔を表しています。<br />「聖霊によって身ごもる」ことを示しています。

    受胎告知は、絵画ではマリアが読書をしている場面が多いです。
    また、糸を紡いでいる場面もあります。
    そして白い百合が置かれていますが、これは純潔を表しています。
    「聖霊によって身ごもる」ことを示しています。

  • この左には聖ヨハネ教会があります。

    この左には聖ヨハネ教会があります。

  • このレリーフは、ヨハネの教会なので、ヨハネに天使が告知してる場面のようです。<br />髪が長いのでマリアにも見えるのですが。

    このレリーフは、ヨハネの教会なので、ヨハネに天使が告知してる場面のようです。
    髪が長いのでマリアにも見えるのですが。

  • そしてイエスは続けられました。<br />知恵と年齢と神と人間の恵みを。<br /><br />ヨハネ、マリア、幼いイエスが描かれています。

    そしてイエスは続けられました。
    知恵と年齢と神と人間の恵みを。

    ヨハネ、マリア、幼いイエスが描かれています。

  • そして彼はきて住みました。<br />預言者たちが語ったことを成就するために。<br />彼はナザレの人と呼ばれることになります。<br /><br />イエスの生誕場面のようです。羊らしきものもいるので、羊飼いの祝福の場面でしょうか。

    そして彼はきて住みました。
    預言者たちが語ったことを成就するために。
    彼はナザレの人と呼ばれることになります。

    イエスの生誕場面のようです。羊らしきものもいるので、羊飼いの祝福の場面でしょうか。

  • ヨハネのブロンズ像

    ヨハネのブロンズ像

  • 教会内部の様子です。

    教会内部の様子です。

  • この教会は12世紀以前の教会の跡地に、1914年に建てられました。<br />下層階の洞窟、穀倉、井戸はナザレの初期の居住者によって使用されていました。<br />その後、キリスト教徒がその場所を礼拝の場にしました。<br />7世紀にこの場所を訪れた旅行者は、ここがヨセフの大工仕事場の場所だったと指摘しました。<br /><br />後の伝承では、その場所が「ヨセフの家」であることが特定されています。

    この教会は12世紀以前の教会の跡地に、1914年に建てられました。
    下層階の洞窟、穀倉、井戸はナザレの初期の居住者によって使用されていました。
    その後、キリスト教徒がその場所を礼拝の場にしました。
    7世紀にこの場所を訪れた旅行者は、ここがヨセフの大工仕事場の場所だったと指摘しました。

    後の伝承では、その場所が「ヨセフの家」であることが特定されています。

  • 聖家族の絵です。

    聖家族の絵です。

  • The Church of St. Joseph(聖ヨセフ教会)<br />周囲に木々が生い茂っているので、全景がうまく撮れません。<br />ファサードの様子です。<br />

    The Church of St. Joseph(聖ヨセフ教会)
    周囲に木々が生い茂っているので、全景がうまく撮れません。
    ファサードの様子です。

    聖ヨセフ教会 寺院・教会

    様々な教会から支持されています。 by noelさん
  • マタイによる福音書では、天使はヨセフのもとに現われます。<br />「マリアが身ごもっていることが明らかになった」ため、婚約者ヨセフはことを表ざたにせず、「ひそかに縁を切ろうと決心」します。<br />(1章18-20節)<br />そのとき 「主の天使が夢に現れて」「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は 聖霊によって宿ったのである」と告げます。<br />マタイによる福音書は、旧約聖書の記述とイエスの関連付けに心を砕いているので、 この出来事はイザヤの預言 「おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」<br />(イザヤ書7章14節)が実現したものだと言えます。<br />ヨセフの夢の中でも、イザヤの預言が繰り返され、イエスの誕生との結びつきを強調します。<br />(マタイによる福音書1章23節)

    マタイによる福音書では、天使はヨセフのもとに現われます。
    「マリアが身ごもっていることが明らかになった」ため、婚約者ヨセフはことを表ざたにせず、「ひそかに縁を切ろうと決心」します。
    (1章18-20節)
    そのとき 「主の天使が夢に現れて」「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は 聖霊によって宿ったのである」と告げます。
    マタイによる福音書は、旧約聖書の記述とイエスの関連付けに心を砕いているので、 この出来事はイザヤの預言 「おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」
    (イザヤ書7章14節)が実現したものだと言えます。
    ヨセフの夢の中でも、イザヤの預言が繰り返され、イエスの誕生との結びつきを強調します。
    (マタイによる福音書1章23節)

  • 教会内部です。<br />お隣の受胎告知教会と比較すると、小さな教会です。<br />ヨセフは、プロテスタントにも支持されています。<br />勿論カトリック教会、正教会、東方教会、聖公会もそうですが、ルーテル教会(ルター派)で崇敬されています。

    教会内部です。
    お隣の受胎告知教会と比較すると、小さな教会です。
    ヨセフは、プロテスタントにも支持されています。
    勿論カトリック教会、正教会、東方教会、聖公会もそうですが、ルーテル教会(ルター派)で崇敬されています。

  • 祭壇には、聖家族が描かれています。<br />左がマリア、中央がイエス、右がヨセフ(養父ということになっています。)<br />聖家族のことを、スペイン語でサグラダ・ファミリアと言います。<br />そうです。バルセロナのガウディの有名なサグラダ・ファミリアです。<br />2026年には、ようやく完成するようです。(蛇足でした。)<br />

    祭壇には、聖家族が描かれています。
    左がマリア、中央がイエス、右がヨセフ(養父ということになっています。)
    聖家族のことを、スペイン語でサグラダ・ファミリアと言います。
    そうです。バルセロナのガウディの有名なサグラダ・ファミリアです。
    2026年には、ようやく完成するようです。(蛇足でした。)

  • ヨセフは、エルサレムの大祭司の命令により、マリアと婚約をしていました。<br /><br />これはヨセフが眠っている時に、夢の中に天使が現れ、お告げを受けている場面です。<br />「ヨセフよ、恐れずに妻のマリアを迎え入れなさい。<br />マリアのお腹の子は、聖霊によるものです。<br />マリアは男の子を産むでしょう。そしたら、その子をイエスと名付けなさい。<br />その子は、後に自分の民を罪から救うことになるでしょう。」

    ヨセフは、エルサレムの大祭司の命令により、マリアと婚約をしていました。

    これはヨセフが眠っている時に、夢の中に天使が現れ、お告げを受けている場面です。
    「ヨセフよ、恐れずに妻のマリアを迎え入れなさい。
    マリアのお腹の子は、聖霊によるものです。
    マリアは男の子を産むでしょう。そしたら、その子をイエスと名付けなさい。
    その子は、後に自分の民を罪から救うことになるでしょう。」

  • 左がヨセフ、右がヨセフとキリストの像のようです。<br /><br />ちなみに、天使がヨセフの元に現れたのは、計3回ありました。<br />① 受胎告知の時<br />② エジプトの逃避を勧める時<br />③ 祖国へ戻るよう告げる問<br /><br />

    左がヨセフ、右がヨセフとキリストの像のようです。

    ちなみに、天使がヨセフの元に現れたのは、計3回ありました。
    ① 受胎告知の時
    ② エジプトの逃避を勧める時
    ③ 祖国へ戻るよう告げる問

  • ステンドグラスには聖家族などが描かれています。<br /><br />ヨセフはやもめで、祭祀のザカリアが、マリアの夫を決めようとして呼び集められた大勢の男の中の一人でした。<br />その際、ヨセフが持った木の杖から花が咲いて、白い鳩が止まったため、神によってマリアの夫に選ばれたのだといいます。

    ステンドグラスには聖家族などが描かれています。

    ヨセフはやもめで、祭祀のザカリアが、マリアの夫を決めようとして呼び集められた大勢の男の中の一人でした。
    その際、ヨセフが持った木の杖から花が咲いて、白い鳩が止まったため、神によってマリアの夫に選ばれたのだといいます。

  • 幼いイエスとヨセフの像です。<br />お供え用<br /><br />エジプトに伝わったキリスト教の中のコプト教の中で、ヨセフは110歳の長寿を全うして、マリアとイエスに看取られながら息を引き取ったそうです。

    幼いイエスとヨセフの像です。
    お供え用

    エジプトに伝わったキリスト教の中のコプト教の中で、ヨセフは110歳の長寿を全うして、マリアとイエスに看取られながら息を引き取ったそうです。

  • 聖母子像とその上には大きくなったイエスと家族が描かれています。

    聖母子像とその上には大きくなったイエスと家族が描かれています。

  • 教会の入口方向の様子です。<br />上にはパイプオルガンがあり、その奥にはステンド硝子が見えます。

    教会の入口方向の様子です。
    上にはパイプオルガンがあり、その奥にはステンド硝子が見えます。

  • この絵は、若いイエスが大工仕事を教わっている場面でしょうか。<br />それをマリアが見守っているようです。

    この絵は、若いイエスが大工仕事を教わっている場面でしょうか。
    それをマリアが見守っているようです。

  • 階段を降りて行きます。

    階段を降りて行きます。

  • 聖ヨセフの教会群の断面図

    聖ヨセフの教会群の断面図

  • 洞窟内の構造図

    洞窟内の構造図

  • 聖家族が描かれています。<br />左がヨハネ、中央がマリア、右は成長したイエスのようです。

    聖家族が描かれています。
    左がヨハネ、中央がマリア、右は成長したイエスのようです。

  • 地下の洗礼槽<br /><br />岩の大部分が掘削されており、ほぼ正方形の2.05m×2.20m×2.00mの内部空間を形成しています。<br />小さな石積みが岩を完成させ調整しています。<br />また北側には黒い玄武岩の石が挿入されていて、モザイクの白いテッセラが石の不規則な線に沿っています。

    地下の洗礼槽

    岩の大部分が掘削されており、ほぼ正方形の2.05m×2.20m×2.00mの内部空間を形成しています。
    小さな石積みが岩を完成させ調整しています。
    また北側には黒い玄武岩の石が挿入されていて、モザイクの白いテッセラが石の不規則な線に沿っています。

  • 洗礼槽<br /><br />左側に人一人が下れる階段があります。<br />こちらは床にモザイクが敷かれていました。<br />こちらから後期ローマ~ビザンツ時代の土器が出土しています。<br />これを発見したバガッティは、これらが最初期である3世紀の洗礼槽であった可能性を指摘しています。<br />ただ、これには異説もあって、単に葡萄酒を作るための桶だったとも言われています。<br />受胎告知教会のものからは、葡萄を摘むために使用する黒曜石のナイフが出土しています。そしてこれらの教会の周囲からは農業施設が確認されているので、この説の方が濃厚かもしれません。<br />ただ、一般的には葡萄酒を貯めるための水槽に階段が作られることは、あまりなく、しかも装飾の施されたモザイクの床をわざわざ作るのも不思議です。<br />おそらく、おそらくですが、この、聖ヨセフ教会のここは、一時期、洗礼槽として使用された可能性が高いようです。

    洗礼槽

    左側に人一人が下れる階段があります。
    こちらは床にモザイクが敷かれていました。
    こちらから後期ローマ~ビザンツ時代の土器が出土しています。
    これを発見したバガッティは、これらが最初期である3世紀の洗礼槽であった可能性を指摘しています。
    ただ、これには異説もあって、単に葡萄酒を作るための桶だったとも言われています。
    受胎告知教会のものからは、葡萄を摘むために使用する黒曜石のナイフが出土しています。そしてこれらの教会の周囲からは農業施設が確認されているので、この説の方が濃厚かもしれません。
    ただ、一般的には葡萄酒を貯めるための水槽に階段が作られることは、あまりなく、しかも装飾の施されたモザイクの床をわざわざ作るのも不思議です。
    おそらく、おそらくですが、この、聖ヨセフ教会のここは、一時期、洗礼槽として使用された可能性が高いようです。

  • 祭壇になっています。<br />ヨハネによる福音書は、ヨセフは 「ナザレの人」と明言しています。<br />(1章45節)

    祭壇になっています。
    ヨハネによる福音書は、ヨセフは 「ナザレの人」と明言しています。
    (1章45節)

  • 金の十字架のイエスが痛々しいです。<br />このステンドグラスは、「マリアとヨセフの結婚」です。<br />全然見えませんが、実は結婚指輪を渡している場面のように見えます。<br />(ユダヤ教でこの風習があったかどうかは、わかりません。おそらく後のヨーロッパで行われていたことを表したのでしょう。)<br /><br />写真は撮り損ないましたが、「ヨセフの死」の場面もあります。

    金の十字架のイエスが痛々しいです。
    このステンドグラスは、「マリアとヨセフの結婚」です。
    全然見えませんが、実は結婚指輪を渡している場面のように見えます。
    (ユダヤ教でこの風習があったかどうかは、わかりません。おそらく後のヨーロッパで行われていたことを表したのでしょう。)

    写真は撮り損ないましたが、「ヨセフの死」の場面もあります。

  • ドーム状の中心にステンドグラスがあって、ここだけが明るく光を放っています。<br />描かれているのは、「ヨセフへの天のお告げ」です。大天使が現れてヨハネにお告げをしている場面です。<br />夜空の星が、まばゆいくらいに輝いているように見えます。

    ドーム状の中心にステンドグラスがあって、ここだけが明るく光を放っています。
    描かれているのは、「ヨセフへの天のお告げ」です。大天使が現れてヨハネにお告げをしている場面です。
    夜空の星が、まばゆいくらいに輝いているように見えます。

  • 上から見下ろした様子です。<br />わかりにくくなってしまいました。

    上から見下ろした様子です。
    わかりにくくなってしまいました。

  • 聖母マリア、ヨセフ、イエスの聖家族のレリーフです。<br /><br />マタイによる福音書とルカによる福音書とでは、イエスの誕生に関する記述が異なります。ルカによる福音書では、「ナザレというガリラヤの町」に住む若いマリヤが、ヨセフという男のもとに嫁いだとあります。ただ 「ダビデ家」 の人間という記述で、イエスが救世主の流れを汲む存在であることが示されています。<br />(1章26-27節)

    聖母マリア、ヨセフ、イエスの聖家族のレリーフです。

    マタイによる福音書とルカによる福音書とでは、イエスの誕生に関する記述が異なります。ルカによる福音書では、「ナザレというガリラヤの町」に住む若いマリヤが、ヨセフという男のもとに嫁いだとあります。ただ 「ダビデ家」 の人間という記述で、イエスが救世主の流れを汲む存在であることが示されています。
    (1章26-27節)

  • こちらもマリアとヨセフです。<br /><br />ローマ帝国の人口調査に登録するために、マリアとヨセフはわざわざナザレから、ダビデの街のベツレヘムに赴きました。<br />実際には、わざわざ先祖の土地に戻る必要はなかったそうです。<br />ヨセフの祖先は、旧約聖書に登場するユダヤ人の王ダビデに遡るとされています。<br />つまり、ダビデ王の系譜で高貴な血統なのです。

    こちらもマリアとヨセフです。

    ローマ帝国の人口調査に登録するために、マリアとヨセフはわざわざナザレから、ダビデの街のベツレヘムに赴きました。
    実際には、わざわざ先祖の土地に戻る必要はなかったそうです。
    ヨセフの祖先は、旧約聖書に登場するユダヤ人の王ダビデに遡るとされています。
    つまり、ダビデ王の系譜で高貴な血統なのです。

  • 見納めです。

    見納めです。

  • 受胎告知の場面でマリアが読書をしていた、という説がありますが、それに基づいてフラ・アンジェリコの絵の中には、マリアの手元に書物があります。<br />開かれているのは「イザヤ書」です。<br />「御代、乙女が身籠って男の子を生む」という予言のぺ-ジだといいます。<br />また、受胎告知がなされているのは、春だどされています。<br /><br />花瓶に花がさしてあり、これが後世に純潔の象徴の百合になりました。<br />また、この舞台は修道院の中庭か回廊が多く描かれています。<br />これは、マリアがエルサレム神殿の修道院で育てられたという伝説からです。

    受胎告知の場面でマリアが読書をしていた、という説がありますが、それに基づいてフラ・アンジェリコの絵の中には、マリアの手元に書物があります。
    開かれているのは「イザヤ書」です。
    「御代、乙女が身籠って男の子を生む」という予言のぺ-ジだといいます。
    また、受胎告知がなされているのは、春だどされています。

    花瓶に花がさしてあり、これが後世に純潔の象徴の百合になりました。
    また、この舞台は修道院の中庭か回廊が多く描かれています。
    これは、マリアがエルサレム神殿の修道院で育てられたという伝説からです。

  • The ancient village of Nazareth(古代のナザレの村)

    The ancient village of Nazareth(古代のナザレの村)

  • こちらは、受胎告知教会と聖ヨセフ教会の間で発掘された農業施設や地下水槽です。<br /><br />最も重要なモザイクの床は、大聖堂内の聖なる洞窟の前のエリアにあります。<br />ここに示されているのもは、ビザンチン教会の南側にある修道院のものです。<br />教会とシナゴーグの最も古い建築要素のいくつかがありました。

    こちらは、受胎告知教会と聖ヨセフ教会の間で発掘された農業施設や地下水槽です。

    最も重要なモザイクの床は、大聖堂内の聖なる洞窟の前のエリアにあります。
    ここに示されているのもは、ビザンチン教会の南側にある修道院のものです。
    教会とシナゴーグの最も古い建築要素のいくつかがありました。

  • 地元の柔らかな岩から彫られた部分は、良い状態で保存されています。

    地元の柔らかな岩から彫られた部分は、良い状態で保存されています。

  • 教会の時間、ミサの時間、お祈りの時間が記されています。

    教会の時間、ミサの時間、お祈りの時間が記されています。

  • ナザレの様子です。<br />この付近は土産物屋などがあります。<br /><br />イエスが生まれる前のマリア、ヨセフの住んでいた町。<br />そしてエジプトから戻ったイエスが過ごした町<br />そんなナザレはのんびりし静かな町でした。

    ナザレの様子です。
    この付近は土産物屋などがあります。

    イエスが生まれる前のマリア、ヨセフの住んでいた町。
    そしてエジプトから戻ったイエスが過ごした町
    そんなナザレはのんびりし静かな町でした。

  • →ハイファ<br />↑エルサレム、テルアビブ<br />↑絶壁の山、チュニル通り<br />←ティベリア、アッコ<br />さて、この後は死海に向かいます。

    →ハイファ
    ↑エルサレム、テルアビブ
    ↑絶壁の山、チュニル通り
    ←ティベリア、アッコ
    さて、この後は死海に向かいます。

122いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (3)

開く

閉じる

  • sanaboさん 2024/04/16 15:55:22
    ナザレ
    noelさん、こんにちは

    ナザレは聖母マリアが受胎告知を受け、イエスが生誕した
    すべての始まりの重要な地なのに、マルコとヨハネの福音書は
    イエスの成人後から始まっているそうですね。
    そう言えばイギリスのストラトフォードで見たお役所の記録には
    シェイクスピアの洗礼と埋葬の日付が記されていて、実際に生まれた日や
    亡くなった日付などは重要視されてなくて驚いたことを思い出しました。
     
    海外からの旅行客が泊まるホテルでも、ビュッフェのお料理は
    ユダヤ教に則ったものなのですね。
    ステーキのミディアムレアもダメなのですね(涙)
    でもお野菜や魚、チーズなどを食べていたら健康的ですね。

    ナザレの前に向かわれたカナは「カナの婚礼」の地ですね。
    おぼろげな私の知識でも、少し馴染みのある地名などが出て来ると
    点と点が繋がるようで旅行記を拝見していても楽しいです。

    井戸の再建中に水を供給するパイプが切断されたお話は
    noelさんが仰るように、正教会はちょっと意地悪な気がしますよね。
    何世紀にもわたって水を使用してきたパレスチナ人の村人が気の毒だわ。

    受胎告知教会は中東で最大のキリスト教聖堂なのですね。
    世界各国の聖母マリアのイコンがそれぞれのお国柄を表した絵柄が
    興味深いですね。
    韓国の聖母子はチマチョゴリ姿でしたね。う~ん、聖母子に見えないっ(笑)
    韓国はクリスチャンが多いから当然ですけど、さすがに日本のは
    無いのかしらと思っていたら、長谷川ルカ(路可)画伯の
    立派なモザイク画の「華の聖母子」が飾られていましたね。
    金太郎のようなイエスが凛々しくて可愛らしくて、いかにも
    日本らしい素敵なモザイク画でしたね。

    ヨセフが、マリアが懐妊して「ひそかに縁を切ろうと決心」したことや
    大勢の男の中の一人だったヨセフが持っていた木の杖から花が咲き
    白い鳩が止まったために神によってマリアの夫に選ばれたことなど
    初めて知ったことだったので興味深く読ませていただきました。
    この後は死海にいらしたのですね。
    noelさん、ぷかぷか浮かんでみたのかな~

    sanabo

    noel

    noelさん からの返信 2024/04/17 20:18:17
    Re: ナザレ
    sanaboさん、こんばんは

    いつもありがとうございます。

    >マルコとヨハネの福音書は、イエスの成人後から始まっているそうです
    >ね。

    そうなんです。
    福音書もいくつかありますが、同じ事を書いているわけでもないので、面白いですよね。

    >シェイクスピアの洗礼と埋葬の日付が記されていて、実際に生まれた日や
    >亡くなった日付などは重要視されてなくて驚いたことを思い出しました。

    私も、この事について、sanaboさんと同様に感じました。
    おそらく教会の記録として、正確に残っていたからなんでしょうね。
      
    >海外からの旅行客が泊まるホテルでも、ビュッフェのお料理は
    >ユダヤ教に則ったものなのですね。
    >ステーキのミディアムレアもダメなのですね(涙)
    >でもお野菜や魚、チーズなどを食べていたら健康的ですね。

    これは徹底していました。
    もともと豚肉は食べないため、取り扱っていないのはわかりますが、ビュッフェなら置いててくれても良いのに・・・と、ちょっとだけ思いました。
    でも確かに健康的ですから良しとします。

    >ナザレの前に向かわれたカナは「カナの婚礼」の地ですね。
    >おぼろげな私の知識でも、少し馴染みのある地名などが出て来ると
    >点と点が繋がるようで旅行記を拝見していても楽しいです。

    ありがとうございます。
    本当なら、イエスの生誕地から順序よく回れると、もっとわかりやすくていいのですが。
    ただ、そうなるとエジプトにも行かなければなりません。汗
    ただ、外務省の危険度2なので、無理ですね。

    >井戸の再建中に水を供給するパイプが切断されたお話は
    >noelさんが仰るように、正教会はちょっと意地悪な気がしますよね。
    >何世紀にもわたって水を使用してきたパレスチナ人の村人が気の毒だわ。

    そう思いますよね。
    そこまで、しなくてもって思いますよね。

    >受胎告知教会は中東で最大のキリスト教聖堂なのですね。

    そのようでした。
    あくまで中東のレベルですけど。
    ただ、宗派によって違いますが、先ほどの意地悪な正教会の方が、由緒正しい場所らしいです。(-_-;)

    >世界各国の聖母マリアのイコンがそれぞれのお国柄を表した絵柄が
    >興味深いですね。
    >韓国の聖母子はチマチョゴリ姿でしたね。う~ん、聖母子に見えないっ(笑)

    そうですよね!
    絶対見えませんよね。

    >韓国はクリスチャンが多いから当然ですけど、さすがに日本のは
    >無いのかしらと思っていたら、長谷川ルカ(路可)画伯の
    >立派なモザイク画の「華の聖母子」が飾られていましたね。
    >金太郎のようなイエスが凛々しくて可愛らしくて、いかにも
    >日本らしい素敵なモザイク画でしたね。

    そうなんです。
    私も日本のが見当たらず心配していましたが、教会の中にありました。
    しかも大きく立派でした。
    他のは外の回廊でしたので、なんとなく嬉しかったです。

    でも、イエス・金太郎ですが。(笑)

    >ヨセフが、マリアが懐妊して「ひそかに縁を切ろうと決心」したことや
    >大勢の男の中の一人だったヨセフが持っていた木の杖から花が咲き
    >白い鳩が止まったために神によってマリアの夫に選ばれたことなど
    >初めて知ったことだったので興味深く読ませていただきました。

    ヨセフがとても人間的に感じます。
    天使のお告げがなければ、ヨセフは本当に寛大な人なんだと思ってました。

    >この後は死海にいらしたのですね。
    >noelさん、ぷかぷか浮かんでみたのかな

    はい!
    体験程度にですが。
    ありがとうございました。

    noel

    noel

    noelさん からの返信 2024/04/17 20:18:18
    Re: ナザレ
    sanaboさん、こんばんは

    いつもありがとうございます。

    >マルコとヨハネの福音書は、イエスの成人後から始まっているそうです
    >ね。

    そうなんです。
    福音書もいくつかありますが、同じ事を書いているわけでもないので、面白いですよね。

    >シェイクスピアの洗礼と埋葬の日付が記されていて、実際に生まれた日や
    >亡くなった日付などは重要視されてなくて驚いたことを思い出しました。

    私も、この事について、sanaboさんと同様に感じました。
    おそらく教会の記録として、正確に残っていたからなんでしょうね。
      
    >海外からの旅行客が泊まるホテルでも、ビュッフェのお料理は
    >ユダヤ教に則ったものなのですね。
    >ステーキのミディアムレアもダメなのですね(涙)
    >でもお野菜や魚、チーズなどを食べていたら健康的ですね。

    これは徹底していました。
    もともと豚肉は食べないため、取り扱っていないのはわかりますが、ビュッフェなら置いててくれても良いのに・・・と、ちょっとだけ思いました。
    でも確かに健康的ですから良しとします。

    >ナザレの前に向かわれたカナは「カナの婚礼」の地ですね。
    >おぼろげな私の知識でも、少し馴染みのある地名などが出て来ると
    >点と点が繋がるようで旅行記を拝見していても楽しいです。

    ありがとうございます。
    本当なら、イエスの生誕地から順序よく回れると、もっとわかりやすくていいのですが。
    ただ、そうなるとエジプトにも行かなければなりません。汗
    ただ、外務省の危険度2なので、無理ですね。

    >井戸の再建中に水を供給するパイプが切断されたお話は
    >noelさんが仰るように、正教会はちょっと意地悪な気がしますよね。
    >何世紀にもわたって水を使用してきたパレスチナ人の村人が気の毒だわ。

    そう思いますよね。
    そこまで、しなくてもって思いますよね。

    >受胎告知教会は中東で最大のキリスト教聖堂なのですね。

    そのようでした。
    あくまで中東のレベルですけど。
    ただ、宗派によって違いますが、先ほどの意地悪な正教会の方が、由緒正しい場所らしいです。(-_-;)

    >世界各国の聖母マリアのイコンがそれぞれのお国柄を表した絵柄が
    >興味深いですね。
    >韓国の聖母子はチマチョゴリ姿でしたね。う~ん、聖母子に見えないっ(笑)

    そうですよね!
    絶対見えませんよね。

    >韓国はクリスチャンが多いから当然ですけど、さすがに日本のは
    >無いのかしらと思っていたら、長谷川ルカ(路可)画伯の
    >立派なモザイク画の「華の聖母子」が飾られていましたね。
    >金太郎のようなイエスが凛々しくて可愛らしくて、いかにも
    >日本らしい素敵なモザイク画でしたね。

    そうなんです。
    私も日本のが見当たらず心配していましたが、教会の中にありました。
    しかも大きく立派でした。
    他のは外の回廊でしたので、なんとなく嬉しかったです。

    でも、イエス・金太郎ですが。(笑)

    >ヨセフが、マリアが懐妊して「ひそかに縁を切ろうと決心」したことや
    >大勢の男の中の一人だったヨセフが持っていた木の杖から花が咲き
    >白い鳩が止まったために神によってマリアの夫に選ばれたことなど
    >初めて知ったことだったので興味深く読ませていただきました。

    ヨセフがとても人間的に感じます。
    天使のお告げがなければ、ヨセフは本当に寛大な人なんだと思ってました。

    >この後は死海にいらしたのですね。
    >noelさん、ぷかぷか浮かんでみたのかな

    はい!
    体験程度にですが。
    ありがとうございました。

    noel

noelさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

イスラエルで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イスラエル最安 588円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

イスラエルの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP