2023/06/30 - 2023/06/30
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/06/30
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4日間のツアーも最終日になりました。残念ながら天気は下り坂のようで、「橋杭岩」も厚い雲に覆われています。バスに乗って「高野山」へ向かいますが、車窓からは「串本海中公園 海中展望塔」が見えました。ここも妻と来た思い出の場所ですが、本人は全く覚えていませんでした。それよりも休憩で立ち寄った「印南サービスエリア」で、バスのドライバーさんに薦められた「かげろう」というお菓子と「ラーメン倉庫」の幻のラーメンが買えて大満足のようです。阪和自動車道から京奈和自動車道に入り、かつらぎ西料金所で一般道に降り、近くの「かつらぎドライブイン」でも休憩がありました。この日の晩ご飯用に柿の葉寿司を買い求め、最後に店を出ようとすると添乗員さんが桃を買おうとしていました。香りが強く気になっていたので一緒に買い求めましたが、「あら川の桃」は甘くて皮もきれいに向けて最高においしかったです。何より6個で1,200円という値段は抱えて持ち帰って来た甲斐がありました。ここから先は「高野山」の山道に入り、懐かしい「大門」も前に写真ストップしました。昨年の妻の誕生日は高野山の宿坊で迎え、ディナーは精進料理でした。この時はコロナ禍ということもあり、奥の院の「御廟」の地下に入ることは出来ませんでした。なお且つ「金剛峯寺」の参拝も無く、「壇上伽藍」も夜の散策だけだったので堂内の参拝は出来ませんでした。そんな片手落ちの参拝だったので気になっていましたが、今回はその全てを叶えることが出来て大満足でした。さらに雨を心配していましたが、そのお陰で関西からの日帰りの個人客の姿がほとんどなく、ガイドさんも驚くほど空いた参拝をすることが出来ました。令和5年の2023年はお大師さまがお生まれになって1250年の記念の年で、5月14日から7月9日までの57日間、「いのちよ輝け~大師の みこころと共に~」のスローガンのもと宗祖弘法大師御誕生1250年記念大法会が執り行われていました。まずは「レストラン楊柳」で精進料理のお昼ご飯を頂いて、「奥の院」を参拝します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ツアー4日目の朝です。前日と同じように「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」の朝食はお弁当です。午前7時にフロントで受け取り、部屋に戻ります。
フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本 宿・ホテル
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お弁当の内容は前日とはまた違った地産の食材を使った料理で埋められています。殿1品も質が高く美味しいので、このお弁当であれば3,000円くらいするのではないだろうかと思ってしまいます。
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部屋で食べられる利点は朝からビールを飲みながら料理を堪能できるところです。ツアーの宿に多いビュッフェスタイルの朝食に比べたら格段この方が嬉しいです。
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ホテルをチェックアウトして、荷物を持って「道の駅 くしもと橋杭岩」の駐車場まで歩きます。ツアーの3日間は天気に恵まれましたが、最終日4日目は朝からどんよりした天気です。
橋杭岩 自然・景勝地
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橋杭岩と弘法大師と天の邪鬼の物語が看板で紹介されていましたが、多少バージョンが違うようでした。
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この旅の前の四国では高知県の海岸線を走破したので、各地で弘法大師の伝説を耳にすることがありました。そんな話の集大成としてこれから高野山へ上がる気がしました。
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熊野の旅もこれで終わりです。1月末に横須賀港からフェリーに乗って新門司港を目指し、フェリーの客室のベランダから眺めた潮岬と室戸岬と足摺岬を陸地から巡る旅も達成できました。
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午前8時過ぎにバスは串本を出発しましたが、途端に雨が降り出します。
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前日までの青い海と青い空とは全く違う印象になります。
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しばらく走ると「串本海中公園センター」の「海中展望塔」が見えてきました。25年前の旅では「橋杭岩」の観光の後にここへ来た記憶がありましたが、妻に尋ねても全く記憶はありませんでした。
串本海中公園センター 動物園・水族館
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「海中展望塔」は昭和46年の1971年に開業した沖合い140メートルにある水深6.3メートルで海中を鑑賞するための施設です。会津若松の栄螺堂のように二重螺旋階段構造になっていて、出口と入り口の別々の階段があります。
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バスは減速することもなく通り過ぎていきます。まだ時間も早いので観光客の気配もありません。
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「双島」は景勝だけでなく生物相の多様な島としても知られ、ワンジュの大木が地上を這い、海生動植物や魚貝類が多く生息しており、地元のダイビングショップではビーチダイビングやスノーケリングスポットになっているようです。
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田子浦の波食棚上にはあたかも「さらし首」のように巨礫が散在しています。かつて海底土石流によって形成された巨礫を含むこの泥岩層はサラシ首層と呼ばれています。
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バスは紀勢自動車道に入ると海岸線を離れて山間部を走ります。
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トイレ休憩で「印南サービスエリア」に停車しました。ここでの目的は「かげろう」というお菓子を買うことでした。旅行中添乗員さんからも説明を受けていましたし、ツアーのメンバーの方もこのお菓子が買いたいようでした。
印南サービスエリア 道の駅
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皆さんは5箱10箱と購入していましたが、我が家は1箱で十分です。バスのドライバーさんが和歌山ラーメンを買うなら絶対のこれといわれた「ラーメン倉庫」も買いました。「ラーメン倉庫」は農閑期の2月から4月までの日曜日だけ営業しているラーメン屋さんで、年間12日から14日しか食べられない幻の店だそうです。確かにこのラーメンは他の物とは違いました。
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80年代の何かの映画のワンシーンのような工事中のトンネルを通過しました。ずっと何の映画だったか思い出そうとしているのですが…。
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和歌山ジャンクションで大阪へ行く本線と分岐します。
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天気はどんどん崩れていくようで、雲も低く垂れこめてきました。これから高野山を参拝するのにと思いましたが、結果的には大坂方面が大雨だったお陰で日帰りの観光客が少なかったようです。
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京奈和自動車道をかつらぎ西で降りて一般道に入ります。
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2度目の休憩は「かつらぎ・ドライブイン」で20分ほどの停車です。
紀の川寿司本舗 かつらぎドライブイン 専門店
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店の奥には高野槇が売られていました。東京に帰ってからの晩ご飯用に柿の葉寿司を買い求めると、奥に積み上げられた桃の箱からいい香りがしてきます。添乗員さんが1箱買うので一緒に買うことにしました。箱には「あら川の桃」と書かれてあります。調べてみると紀の川市桃山町の前身である安楽川(あら川)での桃の栽培の起源は、元禄年間にまでさかのぼるともいわれ、関西では知られた桃の名産地のようです。
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6個入りの箱が1,200円とお手頃価格でしたが、家に帰って食べてみると川が薄くて剥きやすく、濃厚な甘さと香りの最高の桃でした。機内持ち込みにして担いで持ち帰った甲斐がありました。
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ドライブインを出発すると周辺には桃の木がたくさん植えられていました。
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1時間ほど走ると高野山のかなり高いところに達し、霧の中から「高野山大門」が現れました。ここでは車窓から写真を撮るだけでした。ここへは昨年の旅で夜遅くに散歩に来ていました。
大門 名所・史跡
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濱田マリの声をした添乗員さんは高野山に住んでいたこともあるそうで、知り合ったスナックのママに「あんたも高野山でスナックやんなさいよ。坊さんでお客には困らないわよ。」と誘われたことがあると言っていました。確かに1軒あるコンビニには夜になると仕事終わりの若いお坊さんがたくさん集まっていました。
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バスは「壇上伽藍」の「注文」の前も通過します。1年ぶりの懐かしい風景が車窓を流れていきます。
中門 名所・史跡
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昨年の妻の誕生日は高野山の宿坊に泊まり、精進料理で祝い、翌日は吉野へ桜を観に行きました。遅い時間の高野山到着だったので「金剛峯寺」には参拝に行けず、「壇上伽藍」も夜間の参拝だったので「根本大塔」や「金堂」の堂内へも入れませんでした。
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もう一度高野山へは来なければと思っていたところ、今回のツアーを見つけて熊野三山と一緒に高野山の行きたかったところも参拝できるので予約しました。
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前回参拝できなかった「金剛峯寺」の前を通過します。「金剛峯寺」という名称は、弘法大師が「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」というお経より名付けられたと伝えられています。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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昨年宿泊した「赤松院」の前も通過します。宿泊施設は下手なホテルよりもきれいな施設でした。
赤松院 宿・ホテル
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「赤松院」のすぐ先には「奥の院」への参道の入り口の「一の橋」があります。本当はここから参拝を始めると「奥州伊達家」「加賀前田家」「薩摩島津家」「秋田佐竹家」「小田原北条家」「紀州徳川家」「伊達政宗」「明智光秀」「本多忠勝」「前田利家・まつ」など名だたる大名家や武将の墓所を参拝できます。
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今回もかなり先へ行った「レストラン楊柳」近くからの参拝のようです。ここからだと企業墓ばかりで、豊臣家や織田信長の墓くらいしか見ることは出来ません。
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その理由はこの「レストラン楊柳」でお昼を食べるからと、ここのガイドさんに参拝の同行をしてもらうからです。昨年もここへ立ち寄ってお土産を買いました。
楊柳 グルメ・レストラン
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今回はここでオプションの精進料理のお弁当をいただきます。もちろん冷たく冷えた麦般若もいただきます。
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精進の天婦羅と煮物と胡麻豆腐といったメニューです。ここの胡麻豆腐はとても美味しいので前回も買って帰りました。買い物したものはバスに置いておかないと、持ったまま参拝しなければならなくなります。
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「レストラン楊柳」から歩いてすぐなのがこの参道というわけです。「奥の院」は高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。正式には一の橋から参拝し、一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。
新中の橋会館 名所・史跡
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ガイドさんはレストランの息子さんでした。昨年は彼のお姉さんにガイドしてもらいました。お父さんもガイドをされています。
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この日は雨のおかげで参道が空いているとガイドさんが言っていました。大阪方面は朝から土砂降りだったようで、日帰りで高野山へ来る方が少なかったようです。今年はお大師さまがお生まれになって1250年の記念の年で、5月14日から7月9日までの57日間、「いのちよ輝け~大師の みこころと共に~」のスローガンのもと宗祖弘法大師御誕生1250年記念大法会が執り行われているとのことです。
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昨年も見ている企業墓を見ていきます。こちらは福助の創業110周年記念で「感謝の碑」として建立だれたもので、土台は富士山を模して物故者の銘板が納められているそうです。
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UCC上島珈琲の企業墓のコーヒーカップの中は茶色い大理石が埋め込まれて、ちゃんとコーヒーが入った状態になっています。他にもアデランスや小松製作所、日産自動車やシャープやヤクルトなどがあります。
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落書塚は昭和43年の1968年に落語家の初代柳家金語楼が建立したもので、自由に落書きすることができます。「らくがきは即ち良久加幾、良いこと」とあり、らくがきを「良久加幾」と当てています。
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浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人の親鸞聖人供養塔(見真大師御墓)がありました。弘法大師空海は真言宗の開祖で高野山も高野山真言宗という宗派ですが、「奥の院」に他の宗派の墓碑が集まった理由は釈迦の入滅後の56億7000万年後にこの世に降りて来るという弥勒菩薩が下生(げしょう)する地が高野山であると信じられていたからです。
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雨が降ってしまって残念な高野山の参拝ですが、ガイドさんによるとこんなに空いている参道は久しぶりだということです。令和5年の2023年は弘法大師が生まれて1250年の記念の年で、5月14日から7月9日までの57日間御誕生1250年記念で連日混雑しているということでした。
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五輪塔の5つの石材パーツには、それぞれ名称が付いています。仏教における自然界の5大要素といわれる「空・風・火・水・土」という意味合いと名称が五輪塔には付けられているのです。各石材には仏教のサンスクリット語(梵字)が彫刻されているのが特徴といえます。仏教における読み方は上から「キャ・カ・ラ・ヴァ・ア」です。
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「空輪」とは五輪塔の一番上にある宝珠形の石材のことです。空は空間を表して、災難を取り除いて水を浄めるという意味合いが込められています。
「風輪」とは五輪塔の上から2番目にある半月形の石材のことです。風は呼吸を表しています。 -
「火輪」とは五輪塔の上から3番目にある三角形の石材のことで、傘のような形が特徴です。火は体温を表しています。
「水輪」とは五輪塔の上から4番目にあたる円形の石材です。水は血液や水など流れるものを表しています。
「土輪」とは五輪塔の上から5番目、一番下の方形の石材です。土は大地を表しています。
五輪塔には死者を成仏させて、極楽浄土へいざなう役目もあります。 -
角塔婆も五輪塔の形がもとになっていて、五輪塔を簡素化されたものです。角塔婆をさらに簡素化したものが板塔婆で、一般的なお墓に納めるものです。
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誰もいない杉木立を歩いていると厳かな気分になります。
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「覚鑁坂(かくばんざか)」を越えて、「御廟橋(ごびょうばし)」に向かう途中の参道の右手に参拝者の目を引く、ひときわ目立つお地蔵様がいらっしゃいます。口紅やアイシャドウがばっちりと決まっている「化粧地蔵」です。お化粧をすると願いが叶うと言われているそうです。これを見てミャンマーにある「ナッ」と呼ばれる仏教が入る前から存在していた民間信仰の霊媒師を思い出しました。
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「加賀前田利長夫人墓」
前田利長の性質は織田信長の四女の永姫です。2人の仲は良好だったようですが、嗣子を産むことはできず、「(自身以外の)どんな女でも良いから夫の子を産んで欲しい」旨の言葉も残しています。兄の織田信雄の娘を2人、宇喜多秀家と豪姫の娘など7人を養女としています。 -
利長は弟の利常を順養子として迎え、家督を譲って隠居しています。利長が越中高岡で死去すると、永姫は金沢に戻って剃髪して玉泉院と号します。永姫の屋敷が造成された金沢城の西の丸は永姫の死去後は玉泉院丸と呼ばれ、現在に至っています。
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「浄土宗元祖圓光大師法然上人供養塔」
浄土宗の開祖である法然は美作国久米(現、岡山県久米郡)の出身で、15歳から比叡山へ入り、出家修行生活を送りました。法然房源空と名乗り、43歳で南無阿弥陀仏と唱えると極楽往生できる「専修念仏」を広めようと、比叡山から出て京都の吉水を布教活動の拠点としました。 -
「安芸浅野家墓所」
関白豊臣秀吉の正室の北政所の養家だった家で浅野長吉(長政)が秀吉の下で大名として台頭します。宗家は江戸時代に安芸広島藩と紀伊和歌山藩主となり、分家には三次藩や広島新田藩主、別家には播磨赤穂藩主があります。赤穂浅野家は忠臣蔵で有名です。 -
「結城秀康(家康次男)石廟」
この廟は重要文化財となっています。 右側の唐破風造の屋根が徳川家康の次男である徳川秀康(松平秀康)の廟で、左側の切妻屋根が母親であるお万の方のものです。越前から運ばれた笏谷石(しゃくだにいし)で造られていて、創建当初は極彩色だったそうです。廟の中には総金箔の石塔が入っているそうです。 -
古い仏塔や石廟には鳥居が設けられてあります。神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰である「神道」と仏教信仰「仏教」が融合し、1つの信仰体系として再構成された宗教現象です。
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日本に仏教が到来した当初は「仏教が主で神道が従」であり、平安時代には神前での読経や神に菩薩号を付ける行為なども多くなります。「仏や菩薩が仮に神の姿となった」とし「阿弥陀如来の垂迹を八幡神」「大日如来の垂迹が伊勢大神」とする本地垂迹説が台頭しますが、神道側からは「神道が主で仏教が従」とする反本地垂迹説が唱えられます。
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「肥前島原 松平家供養塔」
大型五輪塔5基と中型五輪塔4基と小型五輪塔1基が集まるように建てられています。肥前国島原藩松平深溝(ふこうず)家は、徳川家康と祖先を同じくした十四松平家の1つで、松平信光の七男忠景(ただかげ)の次男忠定(たださだ)を祖とします。 -
すぐ脇にある階段を上がったところに「豊臣家墓所」があります。参道から離れますがしっかりした階段が設けられています。ガイドさんは階段下で説明するだけで先へ進んでしまいます。
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この墓所には豊臣秀吉とその母、秀吉の弟である大納言秀長と夫人など豊臣一族の墓があります。現在は石塔が11基並んでいます。そのうちの中央の1基は昭和15年の1940年に豊公会によって造立されたもので、京都の豊国廟から霊土を移したそうです。五輪塔の正面には「豊臣太閤秀吉公之墓」と記され、この五輪塔の内部には秀吉の衣冠束帯姿の古い木造が納められているそうです。織田信長に続き高野攻めを行った豊臣秀吉は高野山の興山応其(こうざんおうご)上人の説得により高野山攻めを取りやめ、高野山を庇護するとともに復興興隆に勤めました。これには高野山を豊臣家の菩提寺にするという考えがあったようです。
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「燈籠堂(とうろうどう)」が見えてきました。高野山第2世真然大徳(しんぜんだいとく)によって建立され、治安3年の1023年に藤原道長によって、ほぼ現在に近い大きさになったと伝えられています。「御廟橋」から先の写真の撮影が禁止ということと脱帽すること、階段を登ったら左側にお堂を周って、裏側にある「御廟」の前で参拝することの説明があります。
高野山奥の院 寺・神社・教会
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「御廟橋」の下を流れる玉川に立つ卒塔婆は水難事故で亡くなった方を追善供養するためのものです。昨年は川幅いっぱいに立っていました。
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コロナ禍の真っただ中だった昨年の春は「燈籠堂」をぐるりと時計回りに回っただけでしたが、今年は「地下法場」へ降りることが出来ました。奉納されたたくさんの燈籠と身代わり大師と呼ばれる小さな像が壁を埋め尽くしています。皆さん触られませんでしたが、大きな数珠と五鈷祥に触れて恩徳を願いました。
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昨年は「御廟橋」は横張りに36枚の石材に分かれ、裏側には1枚づつ梵字が刻まれていると聞きました。36枚と橋全体を1として合計37枚で金剛界37尊を表しているそうです。「渡るときは1枚づつ36歩で進んでください。」と言われたのを思い出しました。
御廟橋 名所・史跡
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「燈籠堂」が見えた時も思いましたが、「護摩堂」も五色幕で綺麗に装われていました。これは弘法大師の生誕1250年を記念してのものだと思いました。青、黄、赤、白、紫の五色幕の青はお釈迦さまの髪の色で心の落ち着いた「禅定」を表し、黄は体で何事にも動じない姿「金剛身」を表します。赤は脈々と流れるお釈迦さまの血液で「常の精進」、白は清らかな歯で「清浄心」、紫はお釈迦さまの衣の色で、何ごとにも堪え忍ぶ「忍辱」を表しています。
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「奥之院 御供所」は「御廟」に奉仕するために小さな庵を建てたのが始まりいわれています。現在でも弘法大師に供える日々の生身供(しょうじんぐ)を御供所で作り、毎日午前6時と午前10時30分の2回、維那(ゆいな)と行法師(ぎょうぼうし)と呼ばれる僧侶が嘗試地蔵前に供えた後に御廟前の燈籠堂まで運びます。
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「嘗試地蔵(あじみ地蔵)」は愛漫(あいまん)と愛語(あいご)と呼ばれる弘法大師の食事の世話をした2人の弟子が、御廟橋の傍に「御厨明神(みくりやみょうじん)」として祀られていたものだといわれています。
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これは現在も「御廟」で空海が永遠の禅定に入って後世の人々を見守っているという「弘法大師信仰」に基づくものです。
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ガイドさんによると弘法大師には何をお願いしても良いというのでこの日上場するIPO株の初値が高くなるようにお願いしました。週明けに売却しましたが、2倍以上になったのでもう一度お礼に高野山へ行かなければならないと思っています。
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「織田信長 墓所・筒井順慶 墓所」
織田信長に仕えた筒井順慶と隣同士になっています。信長の墓所は全国に20箇所以上あるそうです。明智光秀の墓はここから「一の橋」に向かって1キロほど戻ったところにあります。織田信長は戦国武将でもない寺社勢力が政治や軍事面などに大きな影響力を持っていたことを嫌い、特に比叡山延暦寺に対しては浅井朝倉との戦いの中での対応から焼き討ちという結末も迎えています。高野山を攻めるきっかけとなったのは、信長の家臣であった荒木村重が交戦中であった石山本願寺に内通して居城の有岡城に篭ってしまい、信長の説得を拒否したうえに逃走した荒木と側近の数名を高野山が匿ったことに寄ります。ただ、その後に「本能寺の変」が起こったことにより焼き討ちを免れたのかもしれません。 -
高野山では古くから墓地があったため、新しい墓地を造ろうとすると地中から無縁となった石塔が出てくることが多いそうです。そのような無縁の石塔を1ケ所に集めたのがこの「無縁塚」です。
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その高さは5メートルはあると思われます。そしてその1つ1つは五輪塔の形をしています。その五輪塔に前掛けをつけてお地蔵様のように見せています。
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「英霊殿」まで来て雨宿りします。第2次世界大戦で亡くなられた兵士の慰霊の建物ですが、ここでは前にある売店で売っているお守りなどの説明があります。
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「へいわばし」からはジャニー喜多川姉弟のお墓の脇を通って駐車場に戻ります。バスに乗って「金剛峯寺」まで移動します。
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