2023/06/29 - 2023/06/29
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kojikojiさん
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宿泊した「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」はレストランなどの施設はなく、朝食は1階のフロントでお弁当を受け取って部屋で食べるというシステムでした。あまり期待していなかったのですが、このお弁当のクオリティは非常に高く、前日の晩御飯よりもおいしいと思えるものでした。この日の出発は午前9時45分と遅い出発だったので「橋杭岩(はしぐいいわ)」まで散歩に出掛けました。ここも妻との最初の旅行できたことがありましたが、本人は全く覚えていないようです。ちょうど干潮の時間だったので蛭子大明神のある沖合の弁天島まで歩いていくことが出来ました。当初の予定の「熊野速玉神社」は昨日参拝してしまったので、この日の最初の参拝は「那智大滝」でした。串本からはバスで1時間ほどの移動でした。ここへも以前に来ているのですが、その時は霧に覆われて滝の音はしてもその姿はほとんど見ることが出来ませんでした。今回は快晴の天気の中杉木立を抜けると滝のすべてが見渡せました。「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」に参拝し、「拝所」まで上がって表参道を戻りました。ここで地元の友人に那智黒飴を買い求めました。どこででも売っているものですが、なんとなく那智の滝で買うのが良いと思いました。ここで時間に余裕があったので車道に隣接している熊野古道の「大門坂」の辺りを少し歩くことになりました。「大門坂」は熊野古道のかつての面影をもっとも色濃く残しているところとして知られ、門柱のようにそびえる夫婦杉をくぐり、九十九王子最後の一社の多富気王子を横目に、樹齢数百年の深い杉木立の中に石畳の道をたどりました。そしてバスで「那智ねぼけ堂」まで移動して、お昼になりました。ここでオプションで申し込んだ海鮮丼のランチになりますが、ちょっと残念な内容でした。これでこの日の夜は美味しい海の幸を食べなければならないと思い、ネットで調べた串本町の「松寿司」という店に電話して予約を入れました。これは大正解で多分串本で一番おいしい寿司屋で、地元の魚を堪能することが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」にはレストランの施設は無いのでチェックイン時に朝食ボックスの引換券が渡されます。
フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本 宿・ホテル
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引き換えは午前7時からフロントで行われます。部屋で食べても良いのですが、1階のフロント脇のスペースでもいただけます。奥にキッチンのようなスペースがあり、電子レンジや製氷機が置かれてあります。
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席に限りがあるので部屋に持ち帰っていただくことにします。
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お味噌汁も付いています。不織布の風呂敷に包まれて高級感があります。
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思っていたよりも豪華なお弁当です。部屋でお弁当を食べるにはソファと重たい円形テーブルのスペースが狭いのが難点です。
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昨晩の食事をした「潮岬観光タワー」謹製の限定のお弁当です。昨日の晩御飯はあまりおいしくなかったけどこのお弁当が同じ厨房で造られたとは思えません。
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紀州の食材をふんだんに使った美味しい料理ばかりでした。これではお酒が飲みたくなってしまいます。
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観鍋のホテルで買った梅焼酎にお弁当の梅干を入れてお湯割りにしたら最高においしいです。
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山側の窓からの景色はこんな感じで民家や家庭菜園の畑が見えます。お手製のスケアクロウが夜になるとちょっと怖いです。
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紀勢本線の線路が走っているので1時間に2本くらいの列車が通過していきます。
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食事の後に散歩に出掛けることにしました。前日に3日目の予定を1つ前倒ししたので、この日の出発は午前9時45分とかなり遅い時間です。掃除の終わった海側の部屋を少し覗かせてもらいました。目の前に太平洋が広がり、橋杭岩も手に取るように眺められます。
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「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」は開業して2年ほどなので施設は新しく、スタッフも親切なので滞在は快適でした。でも海側の部屋が良かったです。
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出掛ける用意をしてホテルの前の車道を渡って海岸に降りてみます。ちょうど干潮の時間帯だったのでそのまま岩の上を歩くことが出来ました。
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かなり先まで歩くことが出来、ホテルの建物が小さくなってきました。
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「橋杭岩(はしぐいいわ)」と呼ばれるこの奇岩群は、大小40余りの岩が幅15メートル、長さ900メートルにもわたって橋の杭のように並んでいます。弘法大師はずいぶん力持ちだったのだなと思います。
橋杭岩 自然・景勝地
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規則的に真っ直ぐ並んでいますが、これらは自然の力によって作られています。
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地下から上昇したマグマが泥岩層に入り込んで冷えて固まり、波の浸食によって岩の柔らかい部分が削れて硬い部分だけが残ったといわれます。足元の水はあまりにも美しいです。子供の頃に家族旅行で行った磯遊びを思い出します。
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道の駅に橋杭岩の成り立ちについての説明がありました。それによると「1500万年ほど前、熊野層群とよばれる砂や泥の厚い地層が海底に堆積しました。橋杭岩のまわりの黒っぽい地層は、その中の敷屋累層(しきやるいそう)の泥岩からできています。この地層が堆積した頃、大島から潮岬付近の海底は火成岩の隆起帯になっていました。」
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「その後、1400万年前になると、大峰山脈や那智から熊野にいたる地域で起こった火成活動にともなって、地層の割れ目に沿ってマグマが上昇して冷え固まり、橋杭岩のもとになります。直立した厚い板状の岩脈は石英斑岩という火成岩からできています。やがて荒々しい黒潮の波にさらされながらも、橋杭岩の岩脈はまわりの泥岩より硬いため浸食されても残りました。」とありました。
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昨日もバスから見えた「くしもと大橋」です。左手が「紀伊大島」で、この島の沖合でオスマントルコの軍艦「エルトゥールル号」が遭難しました。
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橋杭岩は弘法大師が「紀伊大島」の住人のために弘法大師が一夜で橋を架けようとした跡という伝説が残っていますが、現代の橋は平成11年の1999年に竣工しています。弘法大師の発想から1200年経っての完成なのだろうと思います。
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ずいぶん離れたところまで岩が転がっていますが、これらは橋杭岩の壊れた部分で、宝永4年の1707年に起きた宝永地震による津波でここまで転がったのだといわれています。
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この地に残る弘法大師伝説では弘法大師自らが橋を架けようと巨石を運んだと伝わりますが、この半年で旅した秋田県の男鹿半島や大分県の国東半島、高知県では鬼に何かを造らせながら、完成直前に夜が明けたと騙してしまうという伝説ばかりでした。
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「橋杭岩」の先端には「弁天島」があり、そこまで歩くことが出来ました。島の入り口には赤い鳥居があり、この奥には弁財天を祀った祠があるそうです。
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少し登ってみましたが、足元が悪いのと時間もあまりないので手を合わせてから戻ることにします。
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鳥居の先には堤防が一直線になっています。多分漁船でここへ来て参拝するのではないかと感じました。弁財天はインドの神聖な川であるサラスヴァティに由来したヒンドゥー教の女神を指します。弁財天という名前は仏教における呼び名です。豊漁をもたらす神として海岸線にハ弁財天を祀った神社が数多く残されています。
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誰もいない「橋杭岩」の風景は地球の景色には思えません。何かのSF映画で観たような記憶がありますが、それがどんな映画だったか思い出せません。
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午前9時45分に道の駅の駐車場からバスに乗って、「那智大滝」向かいます。本来は「熊野速玉大社」の参拝でしたが、昨日の内に参拝を終えています。「古座川」を渡って「那智川」に向かいます。
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「那智川」を上流に向かってバスは走ります。昨日走り抜けた「熊野川」よりは少し小さく感じますが上流は峻険で流れが早く、那智滝をはじめとする那智四十八滝があります。
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バスで走る車道の脇にも「熊野古道」の標識の石柱が見えました。
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かなり急峻な山中を走り始めると「那智大滝」に近づいているのだと感じてきます。
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那智原始林は和歌山県那智勝浦町の那智山中にあり、「那智大滝」の東に広がる原始林です。「熊野那智大社」の社有林で、昭和3年の1928年に国の天然記念物に指定されて面積は約33.5haあります。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を形成しています。
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バスを降りて「那智大滝」へ向かう前にトイレに寄っておきます。トイレのピクトは平安時代の熊野詣の衣装になっていました。
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「那智大滝」を参拝するのは25年ぶりのことになります。有明港から「さんふらわぁ」に乗って、翌朝に那智勝浦港に着いた後に最初に来たのがここでした。その時は早朝だったのと霧雨が振っていて、杉木立しか見えませんでした。
那智の滝(那智大滝) 自然・景勝地
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今回は天気も良いのですが、その分蒸し暑いのには参りました。「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」は「熊野那智大社」の別宮とされます。「那智大滝」自体が大己貴神が現れた御神体となっており、本殿は存在しません。拝殿もなく直接滝を拝むこととなります。滝の飛沫に触れることによって、延命長寿の霊験があるという伝説があります。
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前回来たときはこの辺りは真っ白な霧に覆われ、まるで長谷川等伯の墨絵のような景色に感動した覚えがあります。
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木立の間からは滝の音だけが聞こえてきましたが、「那智大滝」の姿はほとんど見ることが出来ませんでした。なので今回はその姿が見られることを楽しみにしていました。
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滝に向かって鳥居が設けられていますが、その先には拝殿も本殿もありません。
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鳥居の正面には「那智大滝」が見えてきました。
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おみくじを引こうと思いましたが、重たくて持ち上げられません。
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「護摩木(ごまぎ)」とは密教における加持祈祷の代表的な修法で用いられる板状の木のことです。「護摩」は梵語で「ホーマ」(焚く)を意味し、その起源は仏教以前におよびバラモン教から始まったともいわれています。供物を燃え盛る火のなかへ投げ入れ、その煙を天に届けることで神に祈願を聞き届けてもらう風習でした。
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ようやく「那智大滝」の全容を見ることが出来ました。25年前は滝の一番下の辺りがかすかに見えただけでした。
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ほとんど垂直の断崖に沿って落下し、落ち口の幅は13メートル、滝壺までの落差は133メートルに達し、その姿は熊野灘からも望見することができると言われます。1月のフェリー旅で紀伊半島を通過する際には滝が見えないか探してみましたが、さすがに見つけることは出来ませんでした。
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この瀧の上流の比較的に近い場所に二の瀧と三の瀧と呼ばれる瀧があり、一の瀧から三の瀧までの3つの瀧を総称して国の名勝に指定されています。滝の落ち口の岩盤には3つの切れ目があり、三筋になって落ち始めることから「三筋の滝」とも呼ばれています。
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毎年7月14日に扇祭(那智の火祭)が開かれ、毎年7月9日と12月27日に御滝注連縄張替行事が行われます。この旅の終わったすぐ後にテレビのニュースで張替行事を見ることが出来ました。
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毎秒1トンほどの水が滝壺に注がれますが、一番下の辺りは霧状になっているように見えます。
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25年振りに参拝できたこととその姿を見ることが出来たことを感謝します。
飛瀧神社 寺・神社・教会
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レースのような水膜は変化し続けていて、いくら見ていても見飽きることがありません。
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水が生命を持ったように変化する姿に神々しいものを感じます。那智大滝自体が大己貴神が現れた御神体となっていることがうなずけます。大己貴神(おおあなむちのみこと)は「日本書紀」が設定した国の神の首魁で、「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされます。
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300円を納めて那智大瀧を一番近く真正面で拝観できる観覧舞台に向かいます。延命長寿の水とも伝えられている滝壺の水を飲むこともできます。素焼きの杯も買い求めました。この歳になると延命長寿意外に願うこともありません。300円納めましたが、小さなお守りをいただけたので良かったです。
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「御瀧本祈願所」までの石段を上がってみます。この石段が昇れれば延命長寿出来そうです。有料ということでここまで来られない方が多かったですが、もったいないことだと思いました。
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3本の水の流れは途中で1本にまとまり、中ほどの岸壁に当たることにより再び飛散して滝壺に至ります。その左右対称に見える滝の美しさを感じます。滝の背後の岩も左右対称のように見えます。
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この滝の落ち口の上の注連縄を取り換えるのですから驚きです。
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マイナスイオン以上のものがご利益として伝わってきているようです。総合落差では日本12位ですがが、一段の滝としては北方領土内の択捉島の落差140メートルのラッキベツの滝に次ぐ日本2位だそうです。日本の施政権が及ぶ範囲内では落差日本1位で、日光の華厳滝と茨城県の袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています。
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那智山一帯は滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は「飛瀧神社」の神体として境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来ます。
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結構階段はきつかったですが、ここまで登れてよかったと思います。10年後に再び来るとしたら妻はもう上がらないと思いました。
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登った分の階段を再び下ります。最後にまた石段を登らなければならないので、損した気分になります。
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「御瀧本祈願所」にも参拝しました。那智御瀧や修験にまつわる神様をお祀りしている建物で、祈願所の正面には那智大瀧より見つけられた神霊石が安置されています。
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ほぼ球体のような岩は甌穴(ポットホール)の中に出来た玉のように思えました。甌穴は河床の岩盤に水流によりくぼみができ、そのくぼみの中に礫が入るることによってできます。さらに流れによる渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた円形の穴になることをいいます。同じようにその穴に入った岩が回転することにより球体に削られます。
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祈願所に参拝し護摩木を納めます。
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俗に「オカラスさん」とも呼ばれる熊野牛王神符(牛王宝印)は、カラス文字で書かれた熊野三山の本宮と新宮と那智各大社特有の御神符です。竈の上にまつれば火難をまぬがれ、門口にまつれば盗難を防ぎ、懐中持って飛行機や船にのれば船酔い災難をまぬがれるということなので買い求めます。この護符を持って8月4日からダイヤモンド・プリンセスに乗船しましたが、台風6号と7号に翻弄されてルートの半分しか航海出来ませんでした。
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高浜虚子は「神にませば まことうるはし 那智の滝」と詠んでいます。昭和8年4月に虚子ら一行は彼の名瀑である那智の滝に、古えの人たちの幻と行幸随伴しています。行幸と言うにふさわしい後鳥羽上皇の足跡をたどる旅でもありました。往きは新宮からプロペラ船に乗って熊野川をさかのぼり、復路は中辺路の山道を横切って田辺へ出たようです。
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「熊野」という地名は「隈の処」という語源から発しているといわれていますが、この地は奥深いところ、神秘漂うところとなり、「クマ」は「カミ」と同じ語で「神の野」に通じる地名ということになります。
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無事に参拝を終えることが出来ました。
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和歌山の梅と那智の黒飴味のソフトクリームに惹かれましたが、お昼前なのでやめておきます。
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どこかで那智黒飴を買おうと思っていたのですが、庄勢買うなら那智の滝でとも考えていました。懐かしい昭和の味は友人たちのお母さんへのお土産にします。
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当初の予定ではこのままお昼を食べに行くのですが、バスのドライバーさんと添乗員さんの計らいで熊野古道の「大門坂」を少し歩くことになりました。
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ヘアピンカーブの途中にバスを停めて20分ほどで往復することになりました。
熊野古道 大門坂 名所・史跡
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世界に約1,000件あまりある世界遺産の中で巡礼道として登録されているのは熊野古道とサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼道の2つのみです。今回の旅では熊野古道を歩いている欧米人の方やアジアからの旅行者をたくさん見かけました。
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「大門坂」を少し下ることになりましたが、降りた先へバスが迎えに来てくれるわけではないので同じ道を登ることになります。濱田マリと同じ声をした添乗員さんが「夫婦杉まで下り道で5分くらいですよ。」といいますが、5分じゃ戻ってこれないでしょうと心の中でつぶやきます。
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「大門坂」は熊野古道の中辺路の一部で、古来よりその面影をもっとも色濃く残している場所とされます。古道に一歩足を踏み入れると樹齢800年の夫婦杉や楠の巨木、樹齢300年以上の杉の木立が立ち並び、苔むした古道がかつての熊野古道の雰囲気を醸し出しています。
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樹齢800年の楠の巨木な根本に巨大なムロが出来ていました。
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山道途中には熊野参詣道の中辺路最後の「多富気王子(たふけおうじ)」の史跡がありました。王子社とは熊野の神様の御子神(みこがみ)が祀られ、参詣途上の儀式を行い、休憩所や参拝の準備を兼ねた場所のことです。熊野古道沿いにはたくさんの王子社があって、「九十九王子」と呼ばれ、「大門坂」の「多富気王子」は樹霊や峠の神仏に「手向け(たむけ)」をした場所でもあり、那智山の霊所に入ることを確かめて身心を清める場所であったと考えられています。
多富気王子 寺・神社・教会
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高さ55メートルで幹周り8.5mメートルの夫婦杉で、こちらも樹齢800年とされます。どちらが夫で妻なのかはわからないようです。
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古い樹木や巨木には精霊や神様といった「目には見えない尊いなにものか」が宿ると考え、お供えをして土地の人々を守っていただけるよう手厚く祀られました。手を触れることによりそのパワーをいただくこともありますが、妻の場合は単純に立っていられないようです。
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見上げても幹の上部まで確認することは出来ません。
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両親が亡くなった後に弟とサンティアゴの巡礼路を踏破したいと話し合いましたが、まだその約束は果たせていません。早くしないと体力的に無理になりそうです。その前に熊野古道を歩いてみようと考えています。
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汗だくでバスに戻り冷房の下で生き返ります。この旅の次は7月下旬の福島の「相馬野馬追」と8月には秋田の竿燈と青森のねぶた、高知のよさこいと徳島の阿波踊りを巡るダイヤモンド・プリンセスのクルーズが控えているので、空調ベストや氷嚢などを準備しないとならないなと考えます。
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お昼ご飯は那智川を下った河畔にある「那智ねぼけ堂」というドライブインでした。
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ここで50分ほどの自由食になります。初日にオプションの食事を注文してあったので、皆さんと同じ座敷に向かいます。レストランも併設されていますので、そちらで食べても良かったと思います。
那智ねぼけ堂 グルメ・レストラン
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まずは冷たいビールで乾杯します。生き返る一瞬です。
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オプションの1,760円の「海鮮ひつまぶしと鶏の天ぷら」です。
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鶏の天プラハ熱々で美味しかったです。インゲンのの天婦羅もホクホクです。
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ちょっとがっかりだったのが海鮮丼です。ネタがチェーンの寿司屋で使われるようにカットされた切り身でした。これを見て席を立って、ネットで調べた串本の町中の「松寿司」に電話して午後6時に予約を入れました。
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錦糸卵とアナゴを乗せて出汁茶漬けにしていただきました。お腹がいっぱいになったところで、午後は「熊野那智大社」と「青岸渡寺」の参拝になります。
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