2023/06/28 - 2023/06/28
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kojikojiさん
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2023/06/28
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「熊野速玉大社」の参拝を終えた後は海岸線の道を走り、那智勝浦や大地町を通過していきます。初めて紀伊半島を旅した25年前は東京の有明フェリーターミナルから横浜港を経由したさんふらわぁで翌朝に那智勝浦港に到着しました。「ホテル浦島」に宿泊もしたので懐かしい地ではありますが、バスは少し離れた国道42号線を走るので確認は出来ませんでした。美しい海岸線を走り抜けながらバスは「橋杭岩」の前を通過します。この日から2泊は近くの「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」に宿泊するのですが、そのまま通過します。バスは「紀伊大島」を左に見ながら「潮岬」に向かいます。ここにも25年前に来ていますが、妻は全く覚えていないようです。25年前に来た時も「高校生の時に着たはずだけど。」とさらに古い記憶もありませんでした。「潮岬観光タワー」の前でバスを降りて、30分ほどの自由時間になります。「本州最南端の碑」は昔のままでしたが、周囲の公園は建物も違っています。タワーの上から紀伊半島を360度眺めてから隣接するレストランで夕食になります。この日の夕食は「近大マグロ尽くし」と銘打ったメニューですが、特に美味しいマグロというわけではなかったのがちょっと残念でした。「潮岬観光タワー」に1階にはオスマントルコの軍艦「エルトゥールル号」の遭難についてのパネルが飾られていました。トルコが好きな人であれば知っている話で、その軍艦が遭難したのが串本で、まさに先ほど通過してきた「紀伊大島」の先端当たりだったことを思い出しました。20年ほど前にトルコを1カ月ほど周遊した際、北キプロスへフェリーで渡る前にメルスィンの港にいました。港で漁師のおじさんに声を掛けられ、漁船に乗せてもらいました。自分で船を操舵しながら海岸の公園にある樫野の慰霊碑と同一の碑を海から参拝したことを思い出しました。夕食後はバスに乗り、再び「橋杭岩」の目の前にある「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」にチェックインします。オーシャンフロントのホテルなのに部屋が裏側だったのでフロントに尋ねると「団体ツアーのお客様は全室裏側でご予約いただいています。」と言われると次の言葉が出てきません。部屋はデザイナーが頑張りすぎていて、カッコは良いですが使い勝手はあまりよいというものではありませんでした。ただ、新しいホテルなので清潔でベットもフカフカで気持ち良かったです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「熊野速玉大社」の参拝を終えた後は海岸線の道を走り、那智勝浦や大地町を通過していきます。空を見上げると新海誠の映画のワンシーンのような雲が見えました。
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那智勝浦の街中は通過しなかったのですが、妻と初めて行った旅行が東京湾の有明港から横浜経由で那智勝浦港までフェリーで移動しました。宿泊したのは「ホテル浦島」というホテルで、洞窟温泉「忘帰洞」で有名でした。
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バイキングの夕食があまりにも混雑していて、内容も美味しそうではなかったので「万清楼」という料亭に電話して渡船に乗って食べに行った記憶があります。
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那智勝浦には「補陀洛山寺」という寺があり、一度行ってみたいと思いながら叶わずにいます。補陀落はサンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳です。仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝える古刹で、平安時代から江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海」で知られます。
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中世の日本では遥か南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称しました。記録に明らかなだけでも日本の各地の那珂湊や足摺岬、室戸岬などから40件を超える補陀洛渡海が行われており、そのうち25件がこの補陀洛山寺から出発しています。
玉の浦海水浴場 ビーチ
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補陀洛へは渡海船に乗り込みますが、船上に造られた屋形には扉がありません。屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定されます。その屋形の四方に4つの鳥居が建って、「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされます。
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渡海は北風が吹き出す旧暦の11月に行われ、渡海船は伴船に沖に曳航された船は綱切島近くで綱を切られた後に朽ちたり大波によって沈むまで漂流します。もちろん船の沈没前に渡海者は餓死したり衰弱死したのだと思います。
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16世紀後半には金光坊という僧が渡海に出たものの、途中で屋形から脱出して付近の島に上陸してしまい、たちまち捕らえられて海に投げ込まれるという事件が起こりました。後にその島は「金光坊島(こんこぶじま)」と呼ばれるようになり、この事件は井上靖の小説「補陀落渡海記」の題材にもなっています。諸星大二郎の「六福神」という作品の中にも「帰還」という短編があり、補陀落渡海の直前になって里の娘に恋心を抱いた僧侶が無理矢理海に流されて怨霊となり、娘の名前を呼びながら渡海船で帰還するという話があります。
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バスは玉の浦に差し掛かり、「近畿大学 水産研究所浦神実験場」の前も通過しました。近畿大学といえばクロマグロの完全養殖が有名で、この後の晩御飯のメニューは「近大マグロ尽くし」になっています。
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「スペースポート紀伊」は日本初の民間ロケット射場で、名前には「宇宙への扉を開き、宇宙と地球を繋ぐ新たなゲートウェイとして鍵(キー)になる射場」という意味が込められているそうです。この山の向こう側からロケットが打ち上げられる日は近いみたいです。
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紀伊田原からは海岸線に沿っての道を走ります。右側には紀勢本線の線路も並行しています。紀伊半島は3つの地質体からなる大地が、プレートの沈み込みの影響を受け、黒潮に突き出す形で隆起をした地域で、険しい山と大海原が隣り合うという位置関係にあります。
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隆起した火成岩と堆積岩が波の浸食によって硬い火成岩だけがむき出しになった海岸線が続いています。串本の橋杭岩が近くなってきたことを感じさせます。
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串本町津荷(つが)の国道42号線に石切の鼻と呼ばれる地名があり、「石切岩」という切り立った岩があります。その先の磯は「勘九郎磯(かぐろいそ)」と呼ばれ、ここに住んでいた勘九郎という男の娘が村の男と恋仲になりますが、勘九郎が亡くなる間際に娘に「2人は本当はこの沖で古座の小山水軍に討たれた足利尊氏方の武将石堂義慶の子で、実の兄妹なのだ。」と明かした悲恋伝説があります。
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「九龍島」には海賊伝説が残り、源平の合戦で名を馳せた熊野水軍の根城の1つとして今も伝統の河内祭り(こうちまつり)の舞台となっています。江戸時代に沿岸捕鯨で栄えた古座の鯨舟に華麗な装飾を施し、軍艦に見立てた3隻の御舟(みふね)にショウロウと呼ばれる生き神様役の子供を座らせ、水上渡御が行われるという他に類を見ない祭りのようです。
九龍島 自然・景勝地
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その奥には名前の通り鯛の形をした「鯛島」が見えてきます。
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「伊串漁港」には無人販売の箱が30ほど並んでいました。人気スポットになっているようで、フルーツなどが売られているようです。
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前方に「橋杭岩」が見えてきました。今晩から2泊する「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」はこの近くです。
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「橋杭岩」は海岸から紀伊大島に向かって一直線に伸びる奇岩群で、お大師伝説が残されています。この旅の前に行った高知県の海岸線にもそんな伝説が数多く残されていました。弘法大師と天の邪鬼が熊野地方を旅して串本までやって来ると大島の人々が不便でたいそう困っているのを聞きます。弘法大師は人に見られないように一晩の内に海に橋を架けてやろうと思い、天の邪鬼にも手伝ってもらうことにしました。しかし、天の邪鬼はいつも人の反対ばかりする上に弘法大師には引け目を感じていましたので、何とかして弘法大師を困らせたいと思っていました。
橋杭岩 自然・景勝地
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2人は橋をかけ始めました天の邪鬼は手伝おうとしませんでした。弘法大師は山から何万貫もある大きな岩を担いできて海中に橋杭を立てていきました。「この調子で橋を作ると朝までには立派な橋ができ上ってしまう。何とか邪魔をする方法はないものだろうか」と天の邪鬼は考え、コケコッコーと鶏の鳴きまねをしました。弘法大師は耳を疑いましたが、もう一度天の邪鬼が「コケコッコー」と鳴きまねをすると夜が明けてしまったと勘違いして岩を運ぶのを止めてしまいました。それで今でも橋杭岩は海の中ほどまでしか続いていないそうです。
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バスは「橋杭岩」の横をスピードも落とさずに進んでいきます。「二子島」の岩礁に建つ「鵜島灯台」は美しい姿です。
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前方に「くしもと大橋」が見えてきました。弘法大師に代わって架けられた橋は紀伊大島へと渡ることが出来ます。
くしもと大橋 名所・史跡
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「潮岬」までやってきて30分ほどの自由時間になります。その後はタワー併設されたレストランンで夕食になります。
潮岬観光タワー 名所・史跡
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皆さんは先に「潮岬観光タワー」へ昇るようなので、先に岬の先端まで行くことにします。我々もどちらかというと天の邪鬼の性格です。
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坂道を下って「潮岬」の碑までやってきました。妻は初めて来たと言っていましたが、2に出来たことがあります。また、その時の話では高校時代の友人3人とアルバイトして貯めたお金で紀伊半島と京都を旅したと聞いたことがあり、そのルートにはここも含まれていました。
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2人の思い出を残そうと思って一緒に旅していますが、あまり旅をし過ぎるとメモリーオーバーになってしまうようです。「あの時は…。」なんて話しかけると悲しそうな表情をすることがあります。
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荒々しい海岸線は上から眺めるだけで下へ降りることは出来ません。
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かなり沖合でしたが、横須賀港を夜中に出港した「すずらん」は昼頃にこの先を通過しました。船のデッキから「潮岬観光タワー」がきれいに見えたことを覚えています。
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徳島港へ向かうオーシャン東九フェリーの「フェリーりつりん」ともこの辺りで航路が分かれました。
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たくさんの貨物船が行き交っていました。比較的小型の船は岬から近いところを航行しているようです。
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昔の写真を着るとこの碑の近くに建つ建物は変わっていました。夕方遅い時間なので店も閉まっています。
潮風の休憩所 名所・史跡
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「潮岬観光タワー」は有料ですが、ツアーのバッチを見せると割引になりました。
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ツアーの皆さんはすでに降りてしまったので誰もいませんでした。タワーの上からは「潮岬灯台」がきれいに見えました。
潮岬灯台 名所・史跡
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「潮岬灯台」は明治初期の江戸条約によって建設された8基の洋式灯台(条約灯台)の1つで、歴史的にも文化的価値が高いAランクの保存灯台に指定されているほか、「日本の灯台50選」にも選ばれています。灯台資料展示室が併設されていて灯台の歴史、機能や役割などを学べるようです。
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タワーの上からは潮岬の先端がきれいに見渡せます。同じ場所で撮った写真が残っていたので建物が変わっていることに気が付きました。
望楼の芝生 名所・史跡
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そして同じアングルで撮った写真も残っていました。
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橋杭岩方面には大峯山脈が見えるはずなのですが、霞んでしまっていて見ることは出来ませんでした。
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1月に海上から眺めた時の方が山々は雪を頂いていて、空気も澄み渡っていたので綺麗に見ることが出来ました。
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「潮岬観光タワー」の1階にはエルトゥールル号についても展示がありました。
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明治23年の1890年9月16日夜半にオスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が紀伊大島の樫野埼東方の海岸沿いで遭難し、500名以上の犠牲者を出した事件がありました。
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日本とオスマン帝国との間では1887年に行われた小松宮彰仁親王夫妻のイスタンブール訪問を契機に皇室儀礼関係が始まり、アブデュルハミト2世は明治天皇に勲章を奉呈するためにエルトゥールル号を日本へ派遣します。
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横浜港に入港したエルトゥールル号の司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、6月13日にアブデュルハミト2世からの皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けます。
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エルトゥールル号は艦齢26年の老朽艦だったうえ、補給品の不足や乗員の経験不足などもあり、蓄積し続けた艦の消耗や乗員の消耗、資金不足に伴う物資不足が限界に達していたうえにコレラ禍が発生し、1890年9月15日になってようやく横浜を出港することとなります。遠洋航海に耐えないエルトゥールル号の消耗ぶりをみた日本側は台風の時期をやり過ごすように勧告するも、オスマン帝国側はその制止を振り切って帰路につきます。
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1890年9月16日21時ごろに折からの台風による強風にあおられたエルトゥールル号は紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に激突し、座礁した機関部への浸水による水蒸気爆発が発生した結果、22時半ごろに沈没します。これにより司令官オスマン・パシャをはじめとする600名以上が海へ投げ出されました。
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樫野埼灯台下に流れ着いた生存者のうち、何人かが暗闇の中を灯台の明かりをたよりに断崖を這い登って灯台にたどりつきます。村民を大動員して生存者の探索と負傷者の救済を行ないますが台風によって出漁できず、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、米、卵やサツマイモ、それに非常用の鶏すら供出するなど、生存者たちの救護に努めました。この結果656名中69名が救出され生還に成功しました。その一方で司令官のオスマン・パシャを含めた587名は死亡または行方不明という大惨事となりました。
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大日本帝国海軍のコルベット艦である「比叡」と「金剛」が品川湾から出航し、神戸港で生存乗員を分乗させて1891年1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブールまで送り届けます。エルトゥールル号の遭難はオスマン帝国内に大きな衝撃を呼びますが人災としての側面は隠され、天災による殉難と位置付けて新聞で大きく報道されます。このときに新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力も大きく伝えられ、当時のオスマン帝国の人々は遠い異国である日本と日本人に対して好意を抱いたといわれています。
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現在でのこの話はトルコの小学校の教科書に載せられているようで、トルコを旅しているときに日本人と知った子供から写真を一緒に撮ってほしいと言われることがありました。1985年のイラン・イラク戦争で、イラクはイラン上空の航空機について48時間後から無差別に攻撃すると宣言しました。日本航空は安全の保証がされない限り臨時便は出さないとし、日本人がイランから脱出できない状況に陥りました。日本の大使がトルコの大使に窮状を訴えたところ、ビルレル全権大使は本国に求め、自国民救援のための旅客機を2機に増やし、陸路で避難できる自国民より周旋して215名の日本人をイスタンブールに避難させました。エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義の恩返しだったと言われています。
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そんな話はあまり日本では知られていませんが、北キプロスへ渡る前のトルコのメルスィンに行ったことがありました。この町は串本町と姉妹都市になっていて、クシモト・ストリートという大通りもありました。慰霊碑に参拝しようと思って海岸のプロムナードを歩いていると漁師のおじさんに声を掛けられました。
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俺の漁船で港巡りしないかと誘われ、操舵させてくれるならという条件で当時の金額にして300円くらい払いました。ということで慰霊碑には海の上から参拝しました。メルスィンの慰霊碑に行ったことのある人は多いと思いますが、漁船で参拝した人は少ないと思います。操舵しているところをおじさんに写真を撮ってくれるようにお願いしましたがちゃんとシャッターが押されていませんでした。こんなおじさんでしたが、カメラを渡すとこの世のものとは思えない悲しい顔をしたので嫌な予感はしていましたが。
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時間になったので隣接する「潮岬観光タワーレストラン」に向かいます。飲み物は券売機でチケットを買ってセルフで受け取ります。
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メニューは「近大マグロ尽くし」というものでしたが、特に料理についての説明もありませんでした。刺身と梅を練り込んだそうめん、鮪の胃袋のポン酢和え、鮪のフライなどが並んでいます。
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焼き物はマグロのチャンチャン焼きのようなもの。
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ビールから日本酒に変えてみます。ここでも「太平洋」という地元のお酒です。
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期待していた近大マグロは特に美味しいという感想はありませんでした。赤身と中トロと大トロがそれぞれ2切れづつです。以前青森の下北半島へ行ったツアーでは大間のマグロがあまりにもおいしかったのですが、あまりにもかけ離れていました。
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マグロのフライはご飯のおかずには良かったです。翌日の夜は自由食なので串本の町に出て寿司を食べようと思いました。
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バスに乗ってきた道を戻って、「橋杭岩」の近くの「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」にチェックインします。ここには2泊します。
フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本 宿・ホテル
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部屋が山側だったのでロビーに降りて、フロントのスタッフに海側に変えられないか尋ねてみました。すると「ツアーのお客様は全室山側のお部屋でご予約いただいております。」ということだったので諦めました。
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山側の部屋からは紀勢本線の線路と民家と畑が並んでいます。部屋のデザインは洒落ていて、内装も新しいので快適ですが、デザインが勝っていて使いやすいというわけではありません。
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洗面台はベットルームと一体になっていて、開放感はありますが、実際は仕切らないと使えません。
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このホテルには全室バスタブはなく、シャワーブースだけになります。
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ベットはフワフワで快適でした。最新のホテルなのでUSBの差し込みなど必要な場所にあって使い勝手が良いです。
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部屋では昨日買った梅焼酎をいただきました。氷は1階のパブリックスペースに製氷機が置かれてありました。
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1階には味噌汁も置いてあり、熊野古道で買った釜餅と鮎のひつまぶしをいただきます。
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鮎のひつまぶしはおこげが香ばしくて美味しかったです。一昨年行った埼玉の寄居の「沈流荘 京亭」の鮎ご飯を思い出しました。
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「釜餅」も半殺しのお米が何とも言えません。このお米が「大斎原(おおゆのはら)」の参道の左右にあった田んぼの物だと思うと感慨深いものがありました。和歌山の旅は3日目に続きます。
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