2023/06/28 - 2023/06/28
317位(同エリア562件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1484冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,687,350アクセス
- フォロワー151人
この旅行記スケジュールを元に
2日目の午後は「熊野本宮大社」の参拝から始まります。25年前に紀伊半島のツアーに参加していますが、那智の滝と瀞峡のスピードボート、橋杭岩と潮岬くらいの観光だけだったので今回は熊野三山を含めじっくりと旅することが出来るので楽しみにしていました。添乗員さんについて参道の鳥居を潜りますが、長い石段が続いています。朝から陽射しは強く、午後になってさらに強くなり気温も上がっています。「熊野速玉大社」「熊野那智大社」と共に、熊野三山を構成し詳しい創建年代は不明のようですが、社伝によると崇神天皇65年に熊野川の中洲の現在の「大斎原(おおゆのはら)」の地に創建されたとされます。明治22年の1889年の熊野川水害により中洲にあった社殿は大きな被害を受け、上四社のみが現社地に移築されました。中四社および下四社と摂末社の社殿は再建されず、旧社地に2基の石祠が建てられました。今回はこの両方を参拝できるというので楽しみにしていました。「大斎原」は現在の「熊野本宮大社」から500メートルほど離れていますが、「熊野本宮大社」から道路を隔てて進むと、田んぼの中に高さ34メートルの大鳥居が見えてきますが、その姿は壮観でした。この日の本来の予定はここまででしたが、時間が早く進んでいるので翌日の予定だった「熊野速玉神社」も参拝することになりました。熊野川に沿って下流へ向かってバスは走りますが、途中に「葵の滝」や「白見の滝」も見ることが出来ました。またその先では熊野川の対岸に巨大な柱状節理の岩壁も見ることが出来ました。これまで日本国内の各地で柱状節理を見てきましたが、これほど巨大なものは初めてだったので驚きました。新宮の町に抜けると「熊野速玉神社」にはすぐに到着し、駐車場から参拝を始めます。近くの山腹に見える「神倉神社」の「ゴトビキ岩」に降臨した熊野権現を勧進するため、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられています。主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神のため夫婦円満を祈願してきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
「熊野本宮大社」の近くの駐車場から参道まで歩いてきました。ここでの参拝は1時間ほどで、「大斎原(おおゆのはら)」にも参拝しなければならないのでのんびりは出来ません。参道の鳥居は神域と俗界の境を表しているので、くぐる前に一礼をして、右端から入り、左端から出るのが作法です。
熊野本宮大社 寺・神社・教会
-
参道の先にはまっすぐに伸びる石段が見えます。バスの中で添乗員さんから石段の話は聞いていたので妻は杖を持ってきていました。今回の熊野三山の参拝はどこも石段が多くて可哀そうなほどでした。ちなみに石段は158段ありました。
-
皇年代略記や神社縁起によると熊野川の中州である「大斎原(おおゆのはら)」に社殿が建てられたのが「熊野本宮大社」の起源となります。大斎原のイチイの巨木に3体の月が降臨し、真ん中の月が「私は家都美御子大神(すさのおのみこと)であり、両側の月は伊邪那美命(いざなみのみこと)と速玉之男大神(はやたまのおのみこと)である。社殿をつくり、齋き祀れ」という神勅を与えたことから、大斎原に熊野本宮大社の社殿が創建された、と言い伝えられています。
-
作法にのっとって茅の輪くぐりを行います。茅の輪くぐりとは「夏越の祓(なごしのはらえ)」に行われる神事のことで、茅(かや)で作った大きな輪をくぐることによって心身を清め、無病息災や厄除け、家内安全を願う行事です。茅の輪を左足でまたぎながらくぐり、茅の輪の左側を回ってから正面に戻って一礼します。次は茅の輪を右足でまたぎながらくぐり、茅の輪の右側を回ってから正面に戻って一礼します。もう一度左足で茅の輪をまたいで左側へ回り、茅の輪の正面に立って一礼します。 最後は茅の輪をくぐり抜けて拝殿でお参りを行います。
-
八咫烏とは「熊野本宮大社」の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えです。日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味で、太陽の化身で3本の足があります。この3本の足はそれぞれ天と地と人をあらわすといわれています。
-
「神門」には大きな注連縄が掛けられ、干支の兎の額が掲げられ、その左右には八咫烏を模った藁細工が掛けられています。
-
翼を広げた八咫烏は確かに3本の脚を持っていますが、烏には見えません。
-
檜皮葺きの社殿には12柱の神様のうち上四社が祀られています。左から順に第一殿、第二殿、第三殿、第四殿と続いていますが、参拝順序は主祭神である家津美御子大神が祀られている第三殿から第二殿、第一殿、第四殿とお参りするのが作法のようです。そして最後に八百万の神が祀られている満山社に参拝します。
-
左が第三殿「西御前」で夫須美大神、右が第二殿「中御前」で速玉大神を祀っています。熊野権現とは熊野三山の祭神である神々をいい、特に主祭神である家津美御子(けつみみこ/すさのうのみこと)・速玉(いざなぎのみこと)・夫須美(いざなみのみこと)を指して熊野三所権現と呼び、熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現といいます。
-
第一殿「証誠殿」は家都美御子大神を祀っています。星野之宣の「宗像教授伝奇考 第三集」では熊野を舞台に物語が複雑に絡み合っていくのですが、そんな作品のことを思い出しました。第四殿「若宮」は天照大神を祀っています。
-
「神門」には「旧御本宮御社殿絵図」が掲げられています。現在の「熊野本宮大社」はこの図の左上にあたります。この配置図を頭に入れておくと後で行く「大斎原(おおゆのはら)」の意味がよく分かります。
-
参拝を終えて熊野牛王神符(牛王宝印)を社務所で買い求めました。カラス文字で書かれた熊野三山特有の御神符です。カラス文字の数は、各大社によって異なります。「熊野本宮大社」の熊野牛王神符は八十八の烏がデザインされており、木版で手刷されたものを熊野宝印と認めています。
-
竈の上にまつれば火難をまぬがれ、門口にまつれば盗難を防ぎ、懐中に持って飛行機や船にのれば船酔い災難をまぬがれるそうです。病人の床にしけば、病気平癒のご利益まであるそうです。ちょうどクルーズ船の旅で家を空けるので、門口には「熊野那智大社」の護符を貼り、窓には「熊野速玉大社」の護符を貼り、船には「熊野本宮大社」を持っていくことにします。
-
タラヨウは「葉書の木」とか「手紙の木」と呼ばれていますが、かつてこの木の葉の裏に爪などで文字を書いていたことが「葉書」の語源となって、このように呼ばれています。
-
その木の下には烏の濡れ羽色のような真っ黒に塗られた郵便ポストがあります。ここで絵葉書を1枚書いて投函しました。何となくゲゲゲの鬼太郎の妖怪ポストを思い出してしまいます。
-
30分ほどで参拝を終えて鳥居まで戻りました。
-
鳥居の前の通りを渡ると「是日本第一本宮大斎原」と書かれた石碑を見つけま、民家の間を少し進みます。
-
細い道を抜けると途端に視界が開け、青々と葉をのばした稲が目に飛び込んできます。
-
午前中に「道の駅 熊野古道中辺路」で妻が買い求めた「釜餅」の米はこの「大斎原(おおゆのはら)」のもち米だったことを思い出します。
-
日本一大きいと言われる鳥居に圧倒され、しばらく遠くから眺めてしまいます。
-
「熊野本宮大社」の社伝によると崇神天皇65年に熊野川の中洲の現在の「大斎原(おおゆのはら)」の地に創建されたとされます。明治22年の1889年の熊野川水害により中洲にあった社殿は大きな被害を受け、上四社のみが先ほど参拝してきた地に移築されました。
旧社地 (大斎原) 名所・史跡
-
歩いても歩いても鳥居が近づいてこないような錯覚にとらわれます。
-
巨大な大鳥居は高さ約34メートルで、幅は約42メートルあります。今まで大きいと思ってきた靖国神社の大鳥居は高さ25メートルなので、その大きさに驚かされます。厳島神社の大鳥居が16メートルなので約半分の大きさです。
-
諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズの「闇の客人」という作品に出てくる鳥居を思い出します。このシリーズはストーリーの完成度も高くて好きだったのですが何しろ貧作の作家なので今後どうなるかも分かりません。
-
大鳥居を潜って「大斎原(おおゆのはら)」に入ると、桜に気がたくさん見えました。ここは桜の名所でもあるようです。2004年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。
-
旧大社の社殿は約1万1千坪の境内に5棟十二社の社殿と楼門、神楽殿や能舞台などがあり現在の数倍の規模だったそうです。江戸時代まではこの中洲への橋が架けられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだったようです。音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れました。
-
川の熊野古道と呼ばれる大斎原の河原にも出てみました。ここで確認できたのは広大な熊野川の河原だけでした。
-
先ほど「熊野本宮大社」の「神門」の脇に掲げてあった「旧御本宮御社殿絵図」に描かれていた社殿のレイアウトを思い出してみます。
-
参拝から戻ってくると首から下げたカメラを見てアジア系のカップルの旅行者が声を掛けてきました。自分たちの写真を撮ってほしかったのですが、手渡されたカメラはキャノンの高級一眼に、巨大なレンズを装着しています。北京から来た個人旅行者でしたが、2000年に中国へ行き始めたころは誰もカメラを持っていなかったことが印象的でした。観光地には古いカメラを持ったカメラマンがうろうろしていました。カメラを持って歩いていると羨ましそうな目で見られたり、これはいくらくらいするんだと声を掛けられましたが、時代は変わってしまいました。
-
当初の予定ではこれでこの日の予定は終わりでしたが、移動も参拝もスムーズだったので急遽翌日行くはずだった「熊野速玉大社」に参拝することになりました。
-
先ほどお昼を食べた後に遡ってきた熊野川を再び下ります。
-
瀞峡への分岐点です。先ほど道の駅のレストランで聞いたとおりに川底は浅くなっているようで、航路全部を浚渫したら莫大な費用が掛かりそうです。
-
お昼を食べた道の駅をあっという間に通り過ぎます。
瀞峡めぐりの里 熊野川 名所・史跡
-
熊野川に架かる橋はトラス今日の見本市のようです。平行弦トラス橋が多かったですが、曲面の美しいパーカートラスの橋も見ることが出来ました。
-
熊野川の対岸には小さな集落がいくつも続いています。
-
「葵の滝」は布引谷川に流れる落差60メートルの段瀑で「布引滝」とも呼ばれるそうです。この道中にある滝についてはバスのドライバーのおっちゃんが教えてくれました。
-
そして「白見の滝」の前も通過します。脇に駐車場がありましたが、工事中のようでバスはそのままスピードも落とさずに走り抜けていきます。
-
対岸の沢筋にも小さな橋が架かっているので熊野川に並行して道路があることが分かります。この辺りまで来ると川の水位も深くなるようで水の色も緑色を帯びてきます。
-
この辺りの川を下る舟があるはずですが、その姿は全く見えませんでした。この暑い季節に舟で熊野川を下ったら涼しいと思いますが、風情の感じられないバスで下ります。
-
4月に行った山形の旅では最上川の川下りをしましたが、天気も良く最高でした。その時のことを思い出して、熊野川の舟下りもしてみたく思いました。
-
国道168号線を新宮に向かって残り6キロの辺りに石切り場があって、山の側面が大きく削り取られていますが、その切り口が見事な柱状節理になっています。節理というのは岩石が水や温度差などで風化していく時に生じる割れ目のことです。節理には花崗岩(みかげ石)で俵を積み上げたような節理、食パンをスライスしたような節理のほかに、玄武岩質の岩石に見られる柱状節理もあります。
-
玄武岩の柱状節理で有名なのは、兵庫県城之崎温泉の近くにある玄武洞、福井県の東尋坊や島根県日の埼など日本海沿岸各地や北海道の定山渓などですが、和歌山で見られる柱状節理もこれらに負けないもので、全国でもこれだけきれいに見える場所はそう多くないようです。
-
舟下りの終点なので消火。こちら側に舟を止めるような場所は無いので渡し舟ではなさそうです。新宮市の「熊野速玉大社」までラストスパートです。
-
熊野川の流れから離れて市内に入るとすぐに「熊野速玉大社」に到着しました。バスの駐車場は境内の中ほど近くにあるのですが、そこから参拝を始めないで、最初の鳥居まで戻ることにします。
熊野速玉大社 寺・神社・教会
-
神代の頃に近くにある神倉山の磐座である「ゴトビキ岩」に熊野速玉大神と熊野夫須美大神が降り立ち、そこで祀られることとなります。熊野速玉大神は「熊野速玉大社」では伊邪那岐神とされ、「熊野本宮大社」では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされ、熊野夫須美大神は伊邪那美神とされています。
-
「熊野速玉大社」の社伝によると景行天皇58年に現在地に遷座し、速玉之男神の名から社名をとったといわれます。もともと祀られていた所である神倉山は「神倉神社」となり、元宮と呼ばれたことから「熊野速玉大社」は新宮と呼ばれます。
-
参道には「秋晴れよ 丹鶴城址 児に見せむ」と書かれた佐藤春夫の碑がありました。丹鶴城は新宮城の別名で、佐藤春夫はこの城の近くで育ちました。かつての宮司が同級生だったというゆかりもあり、佐藤春夫に関する碑が3つも建てられています。
-
参道を進むと日本一のナギの神木が見えてきます。このご神木は平重盛(清盛の長男)がお手植えされたとされ、国の天然記念物にも指定されています。境内には多数のナギの木が生育していて、さらに参道に続く街路樹にもナギの並木が整備されていています。ご神木のナギは昔より熊野権現の象徴として信仰され、熊野詣での帰りの道中の旅の安全を願ってこの葉を懐に入れたり、袖や笠などに付けてお守りとして持ち帰る習慣があったそうです。御神紋にもナギの枝が使用されています。
-
大社の末社には「八咫烏神社」がありました。八咫烏の「咫(あた)」は親指と中指を広げた長さの単位で18センチほどになります。つまり八咫サイズの烏は体長約14センチとなり、巨大な烏だということになります。八咫烏の先導を受けた神武天皇は無事に大和橿原にたどり着き、国の統一を成し遂げた話が有名ですが、神道集には第7代孝霊天皇の時代に熊野の猟師の千代包(ちよかね)が八咫烏によって降臨したばかりの熊野権現の元へ導かれ、その後に熊野三山へと大切に熊野権現をお祀りしたという説話が載っています。こちらの八咫烏は途中で金色に姿を変え、太陽の化身としても描かれています。
-
「神門」まで来ましたが、妻もツアーのメンバーの方の姿はありません。一瞬心配な気分になりますが、皆さん中にいらっしゃいました。
-
「熊野速玉大社」はご神木のナギが有名ですが、神門内には新宮市の天然記念物に指定されているオガタマノキの大樹があります。オガタマの名はこの木を神殿に供えて、神の霊を招く習わしである招霊(おぎたま)きています。
-
「さざれ石」がありました。今朝の散歩で「小津目浜」で見てきたばかりでした。ここのさざれ石は君が代の2番の歌詞、「君が代は 千尋(ちひろ)の底の さざれ石の 鵜のゐる磯と あらはるるまで」のごとく、令和2年2月2日に突如熊野灘の海底から新宮市の王子ヶ浜海岸に打ち上げられたそうです。
-
添乗員さんが世界遺産の石碑の前で写真を撮ってくれました。
-
拝殿の扁額には「日本第一霊験所 根本熊野権現拝殿」とあり、左の「結霊宮」は熊野夫須美大神を祀り、右の「速玉宮」には熊野速玉大神を祀っています。熊野夫須美大神は現世の守護神で、熊野速玉大神は過去世の守護神です。
-
拝殿の鈴緒には三番叟鈴(神楽鈴)が付いています。通常のガランガランという音ではなく、シャラシャラという音が耳に心地よいです。
-
主祭神の熊野速玉大神と熊野夫須美大神は夫婦神で、日本初の夫婦となった2人の神様を祀っていることから、縁結びはもちろん家内安全のご利益があるといわれています。
-
妻と参拝している間に皆さんバスに戻ってしまいました。
-
「神門」から右の最奥には「新宮神社」と「恵比寿神社」がひっそりと佇んでいます。
-
「上三殿」第三殿(証誠殿)と第四殿(若宮・神倉宮)には第三殿祭神の家津美御子大神と国常立尊、第四殿若宮祭神には天照大神、第四殿神倉宮祭神には高倉下命が祀られています。
-
「八社殿」の祭神は中四社に天忍穂耳尊・瓊々杵尊・彦火火出見尊・鵜葺草葺不合命、下四社には国狭槌尊・豊斟渟尊・泥土煮尊・大戸道尊・面足尊が祀られています。御神紋には梛(なぎ)の枝と2羽の八咫烏が組み合わされています。
-
境内の駐車場の脇には売店があり、近くで収穫された柑橘が売られていました。試食させていただいたら甘くて美味しかったので友人へのお土産も含めて大量に買い求めました。袋には「自然のおいしさバレンシヤビタミンCたっぷり」と書かれていたのには笑ってしまいました。バレンシアではなくて和歌山ではバレンシヤなんですね。新宮市内には果物屋ではなくて「みかんや」がたくさんありました。
-
「神倉神社」には参拝しませんが、添乗員さんがその場所を教えてくれました。
-
「熊野速玉大社」の元宮である「神倉神社」は神々が降臨した熊野信仰の発祥地で、ご神体のコトブキ岩が見えます。参拝の際は538段にもおよぶ階段を上る必要があります。この石段は源頼朝が寄進したと言われています。この後は串本へ向かい、本州最南端の潮岬を目指します。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2023紀伊半島の旅
-
前の旅行記
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(2)闘鶏神社を参拝し、熊野川で地...
2023/06/28~
熊野本宮・湯の峰温泉
-
次の旅行記
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(4)潮岬でトルコ軍艦エルトゥール...
2023/06/28~
串本・古座川
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(1)全国旅行支援最後の旅は関空か...
2023/06/27~
和歌の浦
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(2)闘鶏神社を参拝し、熊野川で地...
2023/06/28~
熊野本宮・湯の峰温泉
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(3)熊野本宮大社と大斎原を参拝し...
2023/06/28~
熊野本宮・湯の峰温泉
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(4)潮岬でトルコ軍艦エルトゥール...
2023/06/28~
串本・古座川
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(5)橋杭岩の中を散策し、25年ぶ...
2023/06/29~
那智勝浦・太地
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(6)灼熱の参道を登り熊野那智大社...
2023/06/29~
新宮
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(7)串本町の松寿司で地魚を堪能す...
2023/06/29~
串本・古座川
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(8)弘法大師御誕生1250年記念...
2023/06/30~
高野山周辺
-
トラピックス 聖地高野山 総本山金剛峯寺・熊野三山 紀伊半島10の世界遺産(9)念願の金剛峯寺を参拝し、再び...
2023/06/30~
高野山周辺
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
熊野本宮・湯の峰温泉(和歌山) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2023紀伊半島の旅
0
63