温海(あつみ)温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
妻の誕生日の別府の地獄めぐりの旅が終わると次は結婚記念日の旅行です。今回はクラブツーリズム社の「庄内空港利用・おいしい山形庄内旅~山形の山海の幸2泊6食付き」というツアーを申し込んでいました。このツアーは全国旅行支援に対象にはなっていませんが、庄内空港を利用することで補助が出ているようで、元々のツアー代金が42,800円とお手頃の値段でした。庄内空港を利用するのは初めてですし、山形県に足を踏み入れるのも50年ぶりだと思います。子供の頃に何度か蔵王温泉へスキーに行ったことと、最後は月山の春スキーでした。羽田空港には早目について、チェックインしてANAのマイレージの積算も済ませます。どんどんマイルが溜まっていきますが、全国旅行支援中はツアーに乗ってしまった方がお得感があるので、個人旅行が出来ないでいます。そろそろ次のことを考えないと7月末からはマイルの有効期限が切れていきます。添乗員さんからの前日の電話で、庄内空港へ着く前に昼食を済ませるようにとの連絡があったので、「南国酒家」でビールを飲みながら早目のランチも済ませます。沖止めの機体に乗って初めての庄内空港へ向かいますが、右側の窓からは雪を頂いた月山の山並みが見えました。空港で全員が集合しましたが、今回のツアーは参加者は38名でした。ほぼ満員のバスに乗って鶴岡市内の「鶴岡公園」に向かいます。このタイミングだと桜のシーズンだと思っていたのですが、2日前の強風で桜は見事に散っていました。「荘内神社」を参拝して、隣にある「藤沢周平記念館」も気になりましたが、じっくり見学している時間は無いので「大寶館」に入ってみました。古い洋館の展示室は写真撮影禁止なのが残念でしたが、鶴岡出身の著名人について知ることが出来ました。その後も急いで「庄内藩校 致道館」まで走りました。駆け足のでの見学になりましたが、講師を祀った「聖廟」も観ることが出来ました。ダッシュでバスに戻って次は「松ヶ岡開墾場」へ移動します。車窓からは庄内平野と月山の山並みと鳥海山が美しく見えました。荘内柿のは竹を抜けて「松ヶ岡開墾場」に到着しましたが、施設は全て閉まっていて外観だけの見学になります。羽田からの瓶にもよるのだと思いますが、これはひどいツアーの組み方です。翌日の出発を1時間早めれば、ちゃんと見学できるのですから。ツアーの皆さんは早々にバスに戻りましたが、少し離れたところにある「ピノ・コッリーナ ファームガーデン&ワイナリー松ケ岡」に入ってみました。ここで月山小名山にと葡萄畑を眺めながら微炭酸の白ワインをいただき、お土産に1本買い求めました。この日の観光はこれで終わり、バスはあつみ温泉の「高見屋別邸久遠<br />」に到着します。着く前に知りましたが、このツアーにはホテルのランクアップがあったようで、「萬国屋」という選択もあったようです。泊まったホテルも村内悪いわけではなかったので満足でした。部屋でくつろいで夕食は宴会場でいただきましたが、鯛の兜揚げなる料理は信じられないほどおいしかったです。食事の途中で隣のご夫婦から声がかかり、1本入れた焼酎を空けるのをお手伝いしました。翌日は最上川の船の中で日本酒をお返ししてと親切にしていただきました。このところのツアーで傍若無人な方が多く、ツアーも限界かなと思っていましたが、そんな気持ちを忘れさせてくれる出来事でした。

クラブツーリズム おいしい山形庄内旅(1)初めての庄内空港から月山と鳥海山を眺めながら鶴岡公園と松ヶ岡開墾場を見学してあつみ温泉へ。

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2023/04/24 - 2023/04/24

25位(同エリア63件中)

旅行記グループ 2023山形庄内の旅

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kojikoji

kojikojiさん

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妻の誕生日の別府の地獄めぐりの旅が終わると次は結婚記念日の旅行です。今回はクラブツーリズム社の「庄内空港利用・おいしい山形庄内旅~山形の山海の幸2泊6食付き」というツアーを申し込んでいました。このツアーは全国旅行支援に対象にはなっていませんが、庄内空港を利用することで補助が出ているようで、元々のツアー代金が42,800円とお手頃の値段でした。庄内空港を利用するのは初めてですし、山形県に足を踏み入れるのも50年ぶりだと思います。子供の頃に何度か蔵王温泉へスキーに行ったことと、最後は月山の春スキーでした。羽田空港には早目について、チェックインしてANAのマイレージの積算も済ませます。どんどんマイルが溜まっていきますが、全国旅行支援中はツアーに乗ってしまった方がお得感があるので、個人旅行が出来ないでいます。そろそろ次のことを考えないと7月末からはマイルの有効期限が切れていきます。添乗員さんからの前日の電話で、庄内空港へ着く前に昼食を済ませるようにとの連絡があったので、「南国酒家」でビールを飲みながら早目のランチも済ませます。沖止めの機体に乗って初めての庄内空港へ向かいますが、右側の窓からは雪を頂いた月山の山並みが見えました。空港で全員が集合しましたが、今回のツアーは参加者は38名でした。ほぼ満員のバスに乗って鶴岡市内の「鶴岡公園」に向かいます。このタイミングだと桜のシーズンだと思っていたのですが、2日前の強風で桜は見事に散っていました。「荘内神社」を参拝して、隣にある「藤沢周平記念館」も気になりましたが、じっくり見学している時間は無いので「大寶館」に入ってみました。古い洋館の展示室は写真撮影禁止なのが残念でしたが、鶴岡出身の著名人について知ることが出来ました。その後も急いで「庄内藩校 致道館」まで走りました。駆け足のでの見学になりましたが、講師を祀った「聖廟」も観ることが出来ました。ダッシュでバスに戻って次は「松ヶ岡開墾場」へ移動します。車窓からは庄内平野と月山の山並みと鳥海山が美しく見えました。荘内柿のは竹を抜けて「松ヶ岡開墾場」に到着しましたが、施設は全て閉まっていて外観だけの見学になります。羽田からの瓶にもよるのだと思いますが、これはひどいツアーの組み方です。翌日の出発を1時間早めれば、ちゃんと見学できるのですから。ツアーの皆さんは早々にバスに戻りましたが、少し離れたところにある「ピノ・コッリーナ ファームガーデン&ワイナリー松ケ岡」に入ってみました。ここで月山小名山にと葡萄畑を眺めながら微炭酸の白ワインをいただき、お土産に1本買い求めました。この日の観光はこれで終わり、バスはあつみ温泉の「高見屋別邸久遠
」に到着します。着く前に知りましたが、このツアーにはホテルのランクアップがあったようで、「萬国屋」という選択もあったようです。泊まったホテルも村内悪いわけではなかったので満足でした。部屋でくつろいで夕食は宴会場でいただきましたが、鯛の兜揚げなる料理は信じられないほどおいしかったです。食事の途中で隣のご夫婦から声がかかり、1本入れた焼酎を空けるのをお手伝いしました。翌日は最上川の船の中で日本酒をお返ししてと親切にしていただきました。このところのツアーで傍若無人な方が多く、ツアーも限界かなと思っていましたが、そんな気持ちを忘れさせてくれる出来事でした。

旅行の満足度
4.0
観光
3.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス ANAグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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  • 今回のクラブツーリズム社の「庄内空港利用・おいしい山形庄内旅~山形の山海の幸2泊6食付き」というツアーは羽田空港への集合が12時20分と遅いものでした。手続きをして航空券を受け取り、荷物を預けてマイレージの積算も出来ました。JALを利用したツアーの場合はマイルの付かないカテゴリーの航空券が多いですが、ANAの場合はほとんどが付くので嬉しいです。

    今回のクラブツーリズム社の「庄内空港利用・おいしい山形庄内旅~山形の山海の幸2泊6食付き」というツアーは羽田空港への集合が12時20分と遅いものでした。手続きをして航空券を受け取り、荷物を預けてマイレージの積算も出来ました。JALを利用したツアーの場合はマイルの付かないカテゴリーの航空券が多いですが、ANAの場合はほとんどが付くので嬉しいです。

    羽田空港 第1旅客ターミナル 空港

  • 添乗員さんからは到着までに昼食は済ませてくださいということだったので、いつものように「南国酒家」に入りました。

    添乗員さんからは到着までに昼食は済ませてくださいということだったので、いつものように「南国酒家」に入りました。

    南国酒家 羽田空港店 グルメ・レストラン

  • いつものように海老・蟹セットを注文しました。妻はこの店のあんかけ焼きそばが大好きです。何度も食べているセットですが、何度でも食べたくなる美味しさです。

    いつものように海老・蟹セットを注文しました。妻はこの店のあんかけ焼きそばが大好きです。何度も食べているセットですが、何度でも食べたくなる美味しさです。

  • メニューを見ていたら担々麺のほうが食べたくなり変更しました。最後に妻からあんかけ焼きそばも少し分けてもらいました。

    メニューを見ていたら担々麺のほうが食べたくなり変更しました。最後に妻からあんかけ焼きそばも少し分けてもらいました。

  • 展望デッキに行っている時間は無いので、「南国酒家」から写真を撮って時間を潰しました。この日のフライトは窓側の席ではないので、機内からの景色は楽しめません。

    展望デッキに行っている時間は無いので、「南国酒家」から写真を撮って時間を潰しました。この日のフライトは窓側の席ではないので、機内からの景色は楽しめません。

  • スターアライアンスのマイルがかなり溜まったままなので、そろそろ海外も含め個人旅行の計画も立てなければなりません。今年になって福岡から羽田、羽田と秋田往復と何度か利用していますが焼け石に水です。

    スターアライアンスのマイルがかなり溜まったままなので、そろそろ海外も含め個人旅行の計画も立てなければなりません。今年になって福岡から羽田、羽田と秋田往復と何度か利用していますが焼け石に水です。

  • 妻の大好きなWHILLの電動車いす型モビリティは何カ月も故障中だったのですが、ようやく直すことが出来たみたいです。ずっと放置してあったのに急に直ったのが不思議です。

    妻の大好きなWHILLの電動車いす型モビリティは何カ月も故障中だったのですが、ようやく直すことが出来たみたいです。ずっと放置してあったのに急に直ったのが不思議です。

  • 庄内空港行きの搭乗口は1階のバス乗り場でした。このところローカルな空港を利用することが多く、この搭乗口を使うことが多いです。

    庄内空港行きの搭乗口は1階のバス乗り場でした。このところローカルな空港を利用することが多く、この搭乗口を使うことが多いです。

  • しばらくバスに乗って、沖に停まっている搭乗機に到着しました。

    しばらくバスに乗って、沖に停まっている搭乗機に到着しました。

  • ANA1071の庄内空港行きは午後1時10分の出発です。<br />

    ANA1071の庄内空港行きは午後1時10分の出発です。

  • 3列並びの通路側の2席だったので窓からの景色を楽しむことは出来ませんでした。

    3列並びの通路側の2席だったので窓からの景色を楽しむことは出来ませんでした。

  • 着陸直前には月山の山並みがきれいに見えました。日本国内はいろいろ旅をしていますが、山形県に来るのは昭和47年の1972年に月山へ春スキーに行って以来なので、実に51年ぶりになります。<br />

    着陸直前には月山の山並みがきれいに見えました。日本国内はいろいろ旅をしていますが、山形県に来るのは昭和47年の1972年に月山へ春スキーに行って以来なので、実に51年ぶりになります。

  • 初めて来た庄内空港はこじんまりとした地方空港でした。今回のツアーはこの空港を利用するということで、山形県から補助が出ていて安いようです。

    初めて来た庄内空港はこじんまりとした地方空港でした。今回のツアーはこの空港を利用するということで、山形県から補助が出ていて安いようです。

  • この日のツアーは38名の参加者なので、バスはほぼ満席です。少し前まではクラブツーリズム社の宿泊ツアーは最初に座った座席が最終日まで一緒でしたが、今回は3日間とも変わるとのことです。

    この日のツアーは38名の参加者なので、バスはほぼ満席です。少し前まではクラブツーリズム社の宿泊ツアーは最初に座った座席が最終日まで一緒でしたが、今回は3日間とも変わるとのことです。

  • 庄内地方から東京へ短時間で直行できる唯一の高速交通手段ではありますが、新千歳や痛み路線も廃止され、羽田空港へ1日4便ないし5便が運航されているだけのようです。

    庄内地方から東京へ短時間で直行できる唯一の高速交通手段ではありますが、新千歳や痛み路線も廃止され、羽田空港へ1日4便ないし5便が運航されているだけのようです。

    庄内空港 空港

  • 寒いと思っていた山形はポカポカ陽気で天気も良く、月山もきれいに見えました。

    寒いと思っていた山形はポカポカ陽気で天気も良く、月山もきれいに見えました。

  • 子供の頃に来た月山スキー場は右側の尾根の辺りになるのだと思います。

    子供の頃に来た月山スキー場は右側の尾根の辺りになるのだと思います。

  • 昭和47年の1972年の5月のゴールデンウィークの旅だったので、当時11歳の小学5年生でした。現在もある「羽前高松駅」もこんな建物でした。停車している列車が西武池袋線で使われていたような電車だったことを覚えています。

    昭和47年の1972年の5月のゴールデンウィークの旅だったので、当時11歳の小学5年生でした。現在もある「羽前高松駅」もこんな建物でした。停車している列車が西武池袋線で使われていたような電車だったことを覚えています。

  • 宿泊したのは姥沢にある「山のつたや」という山小屋でした。スキーリフトの乗り場の少し下にあったと記憶しています。この年の前年にカップヌードルが発売され、それ以降の登山はこれに変わりました。

    宿泊したのは姥沢にある「山のつたや」という山小屋でした。スキーリフトの乗り場の少し下にあったと記憶しています。この年の前年にカップヌードルが発売され、それ以降の登山はこれに変わりました。

  • この旅から真っ赤な小賀坂のグラスファイバーのスキーを使ったのもよく覚えています。弟はまだ木製のスキー板で、その当時のエッジは短い金物がビス止めになっていました。

    この旅から真っ赤な小賀坂のグラスファイバーのスキーを使ったのもよく覚えています。弟はまだ木製のスキー板で、その当時のエッジは短い金物がビス止めになっていました。

  • スキーは2歳のころから始め、毎年10回くらいは上信越のスキー場へ行っていました。春スキーはこの月山が初めてでしたが、高校に入るころには夏の涸沢でスキーをしていました。

    スキーは2歳のころから始め、毎年10回くらいは上信越のスキー場へ行っていました。春スキーはこの月山が初めてでしたが、高校に入るころには夏の涸沢でスキーをしていました。

  • 弟は北海道の大学を出て東京に戻ってくることは無く、現在も冬山と山スキーを続けています。私はヨーロッパ各地のスキー場を旅したりと、父の趣味に引きずられた人生を歩んでいます。

    弟は北海道の大学を出て東京に戻ってくることは無く、現在も冬山と山スキーを続けています。私はヨーロッパ各地のスキー場を旅したりと、父の趣味に引きずられた人生を歩んでいます。

  • 昼過ぎに羽田を出発しているので、鶴岡市内に到着するともう午後3時近くでした。最初の観光は「鶴岡公園」ということです。

    昼過ぎに羽田を出発しているので、鶴岡市内に到着するともう午後3時近くでした。最初の観光は「鶴岡公園」ということです。

    鶴岡公園 名所・史跡

  • ここで50分ほどの自由時間になります。まずは添乗員さんと一緒に「荘内神社」に向かいます。

    ここで50分ほどの自由時間になります。まずは添乗員さんと一緒に「荘内神社」に向かいます。

  • ほんの2日前までは「鶴岡公園」も桜が満開だったそうですが、雨と強風ですべて散ってしまったそうです。わずかに枝垂桜に花が残っています。

    ほんの2日前までは「鶴岡公園」も桜が満開だったそうですが、雨と強風ですべて散ってしまったそうです。わずかに枝垂桜に花が残っています。

  • 通常であれば4月下旬が山形の桜の季節なので、期待していたのですがちょっと残念です。

    通常であれば4月下旬が山形の桜の季節なので、期待していたのですがちょっと残念です。

  • 坂口安吾の短編の「桜の森の満開の下」を思い出しました。梶井基次郎の短編「櫻の樹の下には」の冒頭も「櫻の樹の下には死体が埋まつてゐる」から始まり、柳田国男によると桜という地名がつく場所は死体置き場だったという話も思い出します。

    坂口安吾の短編の「桜の森の満開の下」を思い出しました。梶井基次郎の短編「櫻の樹の下には」の冒頭も「櫻の樹の下には死体が埋まつてゐる」から始まり、柳田国男によると桜という地名がつく場所は死体置き場だったという話も思い出します。

  • 「荘内神社」の参拝をします。庄内藩主の酒井家の4人の先祖を祭神として祀っています。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のようです。最近行った熊本の水前寺公園にも細川家を祀った「出水神社」がありました。

    「荘内神社」の参拝をします。庄内藩主の酒井家の4人の先祖を祭神として祀っています。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のようです。最近行った熊本の水前寺公園にも細川家を祀った「出水神社」がありました。

    荘内神社 寺・神社・教会

  • 手水舎の脇の手水にはフローティングフラワーがありました。最近こう言った神社が多くなったような気がします。

    手水舎の脇の手水にはフローティングフラワーがありました。最近こう言った神社が多くなったような気がします。

  • 庄内藩主の居城だった鶴ヶ岡城の本丸跡に位置するようで、庄内一円の人々により明治10年の1877年に旧藩主を追慕して創建されました。社紋は酒井家の家紋である「丸に剣片喰」です。片喰は多年草のカタバミの葉をかたどった家紋で、夜に葉を閉じた姿が食いちぎられたように見えることから「片喰」と名付けられました。<br />踏まれても枯れない力強い生命力から家紋として用いられ、もっとも歴史のある家紋の1つとされます。

    庄内藩主の居城だった鶴ヶ岡城の本丸跡に位置するようで、庄内一円の人々により明治10年の1877年に旧藩主を追慕して創建されました。社紋は酒井家の家紋である「丸に剣片喰」です。片喰は多年草のカタバミの葉をかたどった家紋で、夜に葉を閉じた姿が食いちぎられたように見えることから「片喰」と名付けられました。
    踏まれても枯れない力強い生命力から家紋として用いられ、もっとも歴史のある家紋の1つとされます。

  • 宝物殿などもありましたが、ここで時間をかけてしまうと他を見ることが出来なくなるので早々に参拝を切り上げます。

    宝物殿などもありましたが、ここで時間をかけてしまうと他を見ることが出来なくなるので早々に参拝を切り上げます。

  • 「荘内神社」の脇には鶴岡出身の藤沢周平の記念館もありました。作品に出てくる架空の「海坂藩(うなさかはん)」は鶴岡であったと思うと、途端にこの町が愛おしくなってきます。

    「荘内神社」の脇には鶴岡出身の藤沢周平の記念館もありました。作品に出てくる架空の「海坂藩(うなさかはん)」は鶴岡であったと思うと、途端にこの町が愛おしくなってきます。

    鶴岡市立 藤沢周平記念館 美術館・博物館

  • 妻は「たそがれ清兵衛」「三屋清左衛門残日録」のファンなのでテレビの放送があると何度でも観ています。

    妻は「たそがれ清兵衛」「三屋清左衛門残日録」のファンなのでテレビの放送があると何度でも観ています。

  • 他にも「武士の一分」や「山桜」、「花のあと」や「必死剣 鳥刺し」もいい映画でした。監督が違っていても、本がしっかりしているので同じようなテイストになるのが面白いと思います。

    他にも「武士の一分」や「山桜」、「花のあと」や「必死剣 鳥刺し」もいい映画でした。監督が違っていても、本がしっかりしているので同じようなテイストになるのが面白いと思います。

  • 次は添乗員さんのおすすめの「藩校 到道館」に向かうことにします。と思いましたが、堀の向こうに建つ白い洋館が気になります。

    次は添乗員さんのおすすめの「藩校 到道館」に向かうことにします。と思いましたが、堀の向こうに建つ白い洋館が気になります。

  • 土手に置かれてあった石は「金峯石(きんぽういし)」というもので、庄内平野の南端に位置する「金峯山」から切り出された花崗岩です。天和3年の1683年の城内角櫓の石垣復旧に使われた石は舟に乗せられて青龍寺川を下り、その後大山街道を数千人の人夫によって大手門まで運ばれたそうです。

    土手に置かれてあった石は「金峯石(きんぽういし)」というもので、庄内平野の南端に位置する「金峯山」から切り出された花崗岩です。天和3年の1683年の城内角櫓の石垣復旧に使われた石は舟に乗せられて青龍寺川を下り、その後大山街道を数千人の人夫によって大手門まで運ばれたそうです。

  • もう2日早ければこの掘割の桜も満開だったそうです。藤沢周平の「花のあと」は映画で観ましたが、北川景子と甲本雅裕の演技が印象に残りました。

    もう2日早ければこの掘割の桜も満開だったそうです。藤沢周平の「花のあと」は映画で観ましたが、北川景子と甲本雅裕の演技が印象に残りました。

  • 「大寶館」と呼ばれるこの建物は大正天皇の即位を記念して大正4年の1915年に建てられた赤いドームと白壁が特徴の洋風建築のようです。開館当初は物産陳列場として使われ、太平洋戦争終戦後は市立図書館として利用され、現在は明治の文豪の高山樗牛や日本のダ・ヴィンチといわれた松森胤保など、鶴岡が生んだ先人たちの資料館となっています。

    「大寶館」と呼ばれるこの建物は大正天皇の即位を記念して大正4年の1915年に建てられた赤いドームと白壁が特徴の洋風建築のようです。開館当初は物産陳列場として使われ、太平洋戦争終戦後は市立図書館として利用され、現在は明治の文豪の高山樗牛や日本のダ・ヴィンチといわれた松森胤保など、鶴岡が生んだ先人たちの資料館となっています。

  • 高山樗牛(ちょぎゅう)というと「滝口入道」しか頭に浮かびませんが、斎藤時頼が横笛との恋を知ったのは京都の嵯峨野の滝口寺で、当時中学2年生でしたが感銘を受けた記憶があります。

    高山樗牛(ちょぎゅう)というと「滝口入道」しか頭に浮かびませんが、斎藤時頼が横笛との恋を知ったのは京都の嵯峨野の滝口寺で、当時中学2年生でしたが感銘を受けた記憶があります。

    大宝館 美術館・博物館

  • 中田喜直も鶴岡出身と初めて知りました。NHKの「みんなのうた」でボニージャックスの歌った「ちいさい秋みつけた」や「めだかの学校」、「夏の思い出」や「雪の降るまちを」が頭の中に浮かんできます。ほかにもゴジラの特殊撮影監督の本多猪四郎などの著名人が紹介されていました。入場は無料でしたが、写真撮影できないのが残念でした。

    中田喜直も鶴岡出身と初めて知りました。NHKの「みんなのうた」でボニージャックスの歌った「ちいさい秋みつけた」や「めだかの学校」、「夏の思い出」や「雪の降るまちを」が頭の中に浮かんできます。ほかにもゴジラの特殊撮影監督の本多猪四郎などの著名人が紹介されていました。入場は無料でしたが、写真撮影できないのが残念でした。

  • 自由時間は残り15分ほどしかありませんが、走って「庄内藩校 到道館」に急ぎました。妻は走るのが嫌なので他のツアーの方と一緒にバスに戻りました。先ほどの「大寶館」もここも入場は無料ですが、ビジターカードを書かなければならないのがつらいです。<br /><br />

    自由時間は残り15分ほどしかありませんが、走って「庄内藩校 到道館」に急ぎました。妻は走るのが嫌なので他のツアーの方と一緒にバスに戻りました。先ほどの「大寶館」もここも入場は無料ですが、ビジターカードを書かなければならないのがつらいです。

    藩校致道館 名所・史跡

  • 致道館は庄内藩酒井家9代忠徳(ただあり)が退廃した土風を刷新して藩政の振興を図るために文化2年の1805)年に創設した学校です。明治6年の1873)年に廃校になるまでの70年間、致道館は武土道を体得し多くの人材を輩出しました。その後も時代とともに鶴岡県庁舎、鶴岡警察署、朝陽第一第二尋常小学校などへの変遷を経て、昭和26 年の1951)年に国の史跡に指定されています。

    致道館は庄内藩酒井家9代忠徳(ただあり)が退廃した土風を刷新して藩政の振興を図るために文化2年の1805)年に創設した学校です。明治6年の1873)年に廃校になるまでの70年間、致道館は武土道を体得し多くの人材を輩出しました。その後も時代とともに鶴岡県庁舎、鶴岡警察署、朝陽第一第二尋常小学校などへの変遷を経て、昭和26 年の1951)年に国の史跡に指定されています。

  • 学制は「句読所(小学校)」「終日詰(中学校)」「外舎(高等学校)」「試合生大学教護課程)」「舎生大学学部か大学院)」の5段階に分かれ、年数回の学業検閲に合格すれば、年齢や修学年数に関係なく順次進級しました。

    学制は「句読所(小学校)」「終日詰(中学校)」「外舎(高等学校)」「試合生大学教護課程)」「舎生大学学部か大学院)」の5段階に分かれ、年数回の学業検閲に合格すれば、年齢や修学年数に関係なく順次進級しました。

  • 敷地内には立派な「聖廟」があるのには驚きました。庄内藩における徂徠学の元祖は水野元朗と疋田進修で、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の没後に庄内藩学の基礎をつくりました。

    敷地内には立派な「聖廟」があるのには驚きました。庄内藩における徂徠学の元祖は水野元朗と疋田進修で、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の没後に庄内藩学の基礎をつくりました。

  • 徂徠学は古文辞学(こぶんじがく)ともいわれ、古い辞句や文章を直接続むことによって、後世の註釈にとらわれずに孔子の教えを直接研究しようとする学問のことです。

    徂徠学は古文辞学(こぶんじがく)ともいわれ、古い辞句や文章を直接続むことによって、後世の註釈にとらわれずに孔子の教えを直接研究しようとする学問のことです。

  • 国内で孔子を祀った堂へ参拝するのは「湯島聖堂」に行って以来数年ぶりのことです。以前に青島から曲阜の旧市街を散策し、三孔(孔府・孔廟・孔林)を参拝したことを思い出します。

    国内で孔子を祀った堂へ参拝するのは「湯島聖堂」に行って以来数年ぶりのことです。以前に青島から曲阜の旧市街を散策し、三孔(孔府・孔廟・孔林)を参拝したことを思い出します。

  • 孔子についても諸星大二郎の「孔子暗黒伝」という作品で初めて興味を持ったのは1977年の年末から翌年での少年ジャンプの連載でした。

    孔子についても諸星大二郎の「孔子暗黒伝」という作品で初めて興味を持ったのは1977年の年末から翌年での少年ジャンプの連載でした。

  • 孔林という孔子一族の墓所には孔子の最初に弟子の子貢が植えた楷(カイノキ)がありました。別名をクシノキと言い、この木が代々植え継がれていることに由来しているそうです。科挙試験に合格した人に楷の笏を送ったことから学問の木になったといわれます。

    孔林という孔子一族の墓所には孔子の最初に弟子の子貢が植えた楷(カイノキ)がありました。別名をクシノキと言い、この木が代々植え継がれていることに由来しているそうです。科挙試験に合格した人に楷の笏を送ったことから学問の木になったといわれます。

  • 想像するに子貢が植えた楷からこの木を植えているのだと思いましたが、周囲にもパンフレットにも何も書かれてありませんでした。江戸時代まで楷は日本には存在しておらず、日本に初めて移入されたのは大正4年の1915年のことだそうです。牧野富太郎は「孔子木」と命名しましたが、現在では「楷の木」または「楷樹」と呼ばれています。<br />三孔の旅:https://4travel.jp/travelogue/10357866

    想像するに子貢が植えた楷からこの木を植えているのだと思いましたが、周囲にもパンフレットにも何も書かれてありませんでした。江戸時代まで楷は日本には存在しておらず、日本に初めて移入されたのは大正4年の1915年のことだそうです。牧野富太郎は「孔子木」と命名しましたが、現在では「楷の木」または「楷樹」と呼ばれています。
    三孔の旅:https://4travel.jp/travelogue/10357866

  • 「講堂」は始業式などの時に生徒がここに集まりました。また藩主が参勤で留守の年には2日おきに役所として用いられ、藩役人が集まって藩政の打ち合わせや会議が行われました。<br />

    「講堂」は始業式などの時に生徒がここに集まりました。また藩主が参勤で留守の年には2日おきに役所として用いられ、藩役人が集まって藩政の打ち合わせや会議が行われました。

  • 内部の見学も出来るのですが、靴を脱いで見学する時間はもうありません。

    内部の見学も出来るのですが、靴を脱いで見学する時間はもうありません。

  • 「鶴岡市文化会館」のネーミングライツによる愛称は、「荘銀タクト鶴岡」で、致道館の敷地の隣にあるのでちょっと驚きました。致道館には残っている建物以外にも武術稽古所や矢場や馬場まであったらしいので、その跡地なのかもしれません。

    「鶴岡市文化会館」のネーミングライツによる愛称は、「荘銀タクト鶴岡」で、致道館の敷地の隣にあるのでちょっと驚きました。致道館には残っている建物以外にも武術稽古所や矢場や馬場まであったらしいので、その跡地なのかもしれません。

    庄銀タクト鶴岡 寺・神社・教会

  • 庄内藩は転封の多い譜代大名にあっても酒井家は転封の危機に晒されはしたものの、江戸幕府による転封が一度もなかった数少ない譜代大名の1つです。藩史に見られるように藩主と家臣と領民の結束が極めて固く、天保期に起きた三方領地替えでは領民による転封反対運動によって幕命を撤回させています。

    庄内藩は転封の多い譜代大名にあっても酒井家は転封の危機に晒されはしたものの、江戸幕府による転封が一度もなかった数少ない譜代大名の1つです。藩史に見られるように藩主と家臣と領民の結束が極めて固く、天保期に起きた三方領地替えでは領民による転封反対運動によって幕命を撤回させています。

  • 幕末の戊辰戦争では庄内藩全軍の半数近くにおよぶ約2,000人の農民や町民が兵に志願し、戦闘で300人以上の死傷者を出しながらも最後まで勇戦し、敗戦後に明治政府から藩主酒井忠宝へ移転の処罰が下されましたが、家臣領民を上げて30万両の献金を集め、明治政府に納めることで藩主を領内に呼び戻しています。

    幕末の戊辰戦争では庄内藩全軍の半数近くにおよぶ約2,000人の農民や町民が兵に志願し、戦闘で300人以上の死傷者を出しながらも最後まで勇戦し、敗戦後に明治政府から藩主酒井忠宝へ移転の処罰が下されましたが、家臣領民を上げて30万両の献金を集め、明治政府に納めることで藩主を領内に呼び戻しています。

  • 時間があれば「致道博物館」の見学もしてみたかったのですが、この周辺だけでも2時間から3時間の自由時間が必要と思われました。なかなか鶴岡に来ることも叶わないので残念でした。

    時間があれば「致道博物館」の見学もしてみたかったのですが、この周辺だけでも2時間から3時間の自由時間が必要と思われました。なかなか鶴岡に来ることも叶わないので残念でした。

  • 時間ぎりぎりにバスに駆け込んで、次の目的地に向かいます。

    時間ぎりぎりにバスに駆け込んで、次の目的地に向かいます。

  • 鶴岡市の東部を流れる赤川を渡ると月山の山並みが見えます。

    鶴岡市の東部を流れる赤川を渡ると月山の山並みが見えます。

  • 標高1,984メートルの月山は1,500メートルの湯殿山、418メートルの羽黒山と共に出羽三山の1つに数えられ、修験者の山岳信仰の山として知られます。蜂子皇子が開山したと伝えられ、山頂には月山神社が鎮座し、多くの修験者や参拝者が訪れています。

    標高1,984メートルの月山は1,500メートルの湯殿山、418メートルの羽黒山と共に出羽三山の1つに数えられ、修験者の山岳信仰の山として知られます。蜂子皇子が開山したと伝えられ、山頂には月山神社が鎮座し、多くの修験者や参拝者が訪れています。

  • 蜂子皇子(はちのこのおうじ)は父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、馬子から逃れるべく聖徳太子によって匿われ、宮中を脱出して丹後国由良(京都府宮津市由良)から海を船で北へ向かいます。八乙女浦にある舞台岩の上で8人の乙女が笛の音に合わせて神楽を舞っているのを見て船を降ります。蜂子皇子は海岸から三本足の烏に導かれて羽黒山に登り、羽黒権現を感得し出羽三山を開いたと言われています。

    蜂子皇子(はちのこのおうじ)は父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、馬子から逃れるべく聖徳太子によって匿われ、宮中を脱出して丹後国由良(京都府宮津市由良)から海を船で北へ向かいます。八乙女浦にある舞台岩の上で8人の乙女が笛の音に合わせて神楽を舞っているのを見て船を降ります。蜂子皇子は海岸から三本足の烏に導かれて羽黒山に登り、羽黒権現を感得し出羽三山を開いたと言われています。

  • ソメイヨシノはすっかり終わっていましたが、八重桜はこれからが満開のようでした。

    ソメイヨシノはすっかり終わっていましたが、八重桜はこれからが満開のようでした。

  • 柿の木畑の奥に細長いの九蔵の家屋が見えてくると「松ヶ丘開墾場」に到着です。

    柿の木畑の奥に細長いの九蔵の家屋が見えてくると「松ヶ丘開墾場」に到着です。

  • この辺りは「庄内柿」の産地だということです。明治18年の1885年に鶴岡市の鈴木重光氏という人物が新潟の行商人から数種の苗木を購入して植えたところ、1本だけ種なし柿が実りました。新潟で作られていた種なし柿の一種が混じっていたらしく、明治23年の1890年に知り合いの酒井調良がこの木をもらい受け、積極的に育て始め、庄内柿の栽培普及に大きく貢献したことから、庄内柿の父とよばれるそうです。<br />

    この辺りは「庄内柿」の産地だということです。明治18年の1885年に鶴岡市の鈴木重光氏という人物が新潟の行商人から数種の苗木を購入して植えたところ、1本だけ種なし柿が実りました。新潟で作られていた種なし柿の一種が混じっていたらしく、明治23年の1890年に知り合いの酒井調良がこの木をもらい受け、積極的に育て始め、庄内柿の栽培普及に大きく貢献したことから、庄内柿の父とよばれるそうです。

  • 駐車場でバスを降りて30分ほどの自由時間になりますが、すでに時間は午後4時です。1番蚕室から4番蚕室もすべて午後4時には閉まってしまいます。添乗員さんからは外観の見学になりますとのこと。飛行機が1便早い時間であれば見学できるのでしょうが、唯一開いていた「こぅでらいね」の女性も、「いつもこのツアーはこの時間に来るけど遅いのよね。」と仰っていました。

    駐車場でバスを降りて30分ほどの自由時間になりますが、すでに時間は午後4時です。1番蚕室から4番蚕室もすべて午後4時には閉まってしまいます。添乗員さんからは外観の見学になりますとのこと。飛行機が1便早い時間であれば見学できるのでしょうが、唯一開いていた「こぅでらいね」の女性も、「いつもこのツアーはこの時間に来るけど遅いのよね。」と仰っていました。

  • これならは鶴岡市内の観光の時間を長くして、翌日の出発時間を1時間早めて午前9時に出発すればここの見学ができることになります。それが出来ないのはバスを予約している時間の問題なのだとは思いますが、ちょっとがっかりです。

    これならは鶴岡市内の観光の時間を長くして、翌日の出発時間を1時間早めて午前9時に出発すればここの見学ができることになります。それが出来ないのはバスを予約している時間の問題なのだとは思いますが、ちょっとがっかりです。

  • 「松ヶ岡開墾場」は明治5年の1872年に旧庄内藩士3,000人によって開墾され、明治7年には311ヘクタールに及ぶ桑園が完成し、明治8年から10年には大蚕室10棟が建設されました。その後に鶴岡には製糸工場と絹織物工場が創設されました。

    「松ヶ岡開墾場」は明治5年の1872年に旧庄内藩士3,000人によって開墾され、明治7年には311ヘクタールに及ぶ桑園が完成し、明治8年から10年には大蚕室10棟が建設されました。その後に鶴岡には製糸工場と絹織物工場が創設されました。

  • 平成元年の1989年に国の史跡に指定され、大蚕室5棟と藤島より移築された本陣、新徴屋敷などが保存されています。また蚕室は「開墾記念館」、「ギャラリー」、「侍カフェ」、「くらふと松ヶ岡」、「庄内農具館」などに利用され、「庄内映画村資料館」も併設されています。

    平成元年の1989年に国の史跡に指定され、大蚕室5棟と藤島より移築された本陣、新徴屋敷などが保存されています。また蚕室は「開墾記念館」、「ギャラリー」、「侍カフェ」、「くらふと松ヶ岡」、「庄内農具館」などに利用され、「庄内映画村資料館」も併設されています。

  • 「松ヶ岡開墾場」の蚕室を建築した棟梁は当時の名匠で、養蚕業の先進地であった上州島村の田島家の蚕室を模して建造したといわれています。大きな柱に大きな梁をもつ和風構造形式の建築で、桁行21間(37.8メートル)、梁間5間(9メートル)あります。2階の腰窓には和風建築独特の無双窓を設け、2階建ての屋根の上に通風換気のための越屋根をとりつけた構造が表からも分かります。屋根には取り壊された鶴岡城の瓦が使われています。

    「松ヶ岡開墾場」の蚕室を建築した棟梁は当時の名匠で、養蚕業の先進地であった上州島村の田島家の蚕室を模して建造したといわれています。大きな柱に大きな梁をもつ和風構造形式の建築で、桁行21間(37.8メートル)、梁間5間(9メートル)あります。2階の腰窓には和風建築独特の無双窓を設け、2階建ての屋根の上に通風換気のための越屋根をとりつけた構造が表からも分かります。屋根には取り壊された鶴岡城の瓦が使われています。

    松ヶ岡開墾記念館 美術館・博物館

  • 外観の見学はあっという間に終わってしまい、ツアーの方はバスに戻っていきますが、蚕室と蚕室の間の道の先に洒落た建物が見えたので行ってみます。

    外観の見学はあっという間に終わってしまい、ツアーの方はバスに戻っていきますが、蚕室と蚕室の間の道の先に洒落た建物が見えたので行ってみます。

  • 近くまで行って「PINO COLLINA」というワイナリーとレストランだと分かりました。ショップもあるようなので覗いてみることにします。

    近くまで行って「PINO COLLINA」というワイナリーとレストランだと分かりました。ショップもあるようなので覗いてみることにします。

  • 若い頃に巡ったポルトガルのドゥエロ川沿いのワイナリーやスペインのへレスなどいろいろなことを思い出します。昨年巡った夜市のワイナリー巡りも楽しかったです。

    若い頃に巡ったポルトガルのドゥエロ川沿いのワイナリーやスペインのへレスなどいろいろなことを思い出します。昨年巡った夜市のワイナリー巡りも楽しかったです。

  • ショップとレストランはこんな感じです。すべてが自家醸造のワインではありませんが、センスの良さを感じます。

    ショップとレストランはこんな感じです。すべてが自家醸造のワインではありませんが、センスの良さを感じます。

  • まずは白ワインの「ゲベルツトラミネール2022無濾過」を表のテラスでいただいてみます。ゲベルツトラミネールなのでやや甘めですが、冷やしてあるのですっきりとした飲み口です。

    まずは白ワインの「ゲベルツトラミネール2022無濾過」を表のテラスでいただいてみます。ゲベルツトラミネールなのでやや甘めですが、冷やしてあるのですっきりとした飲み口です。

  • 表の葡萄畑は元々は柿畑だったそうです。開墾されて美しい葡萄畑に変わり、遠くには雪を頂いた月山が見えます。

    表の葡萄畑は元々は柿畑だったそうです。開墾されて美しい葡萄畑に変わり、遠くには雪を頂いた月山が見えます。

  • 1本買い求めましたが、家に帰ってしばらくしてからこのワイナリーのワインがG7広島サミットで提供されたそうです。G7で使われていた施設は広島プリンスホテルと宮島の岩惣、昔は料亭だった市内の豆匠は広島で仕事をしていた1年の間に何度も通ったところでした。ようやく時代が追い付いてきた感じがします。なんちゃって。

    1本買い求めましたが、家に帰ってしばらくしてからこのワイナリーのワインがG7広島サミットで提供されたそうです。G7で使われていた施設は広島プリンスホテルと宮島の岩惣、昔は料亭だった市内の豆匠は広島で仕事をしていた1年の間に何度も通ったところでした。ようやく時代が追い付いてきた感じがします。なんちゃって。

  • 葡萄畑はまだまだ拡張しているようです。シャモニーへスキーに行ったときに1日足を延ばして、レマン湖の湖畔のヴヴェイからサン・サフォランのオーベルジュ・デ・ロンドへ行ったときに見えた湖畔の景色を思い出しました。近いうちに妻をスイスに連れて行かないとと思っています。

    葡萄畑はまだまだ拡張しているようです。シャモニーへスキーに行ったときに1日足を延ばして、レマン湖の湖畔のヴヴェイからサン・サフォランのオーベルジュ・デ・ロンドへ行ったときに見えた湖畔の景色を思い出しました。近いうちに妻をスイスに連れて行かないとと思っています。

  • こんなテラスでワインがいただけるのは気持ちよかったです。とは言いながらバスに戻る時間が迫っています。

    こんなテラスでワインがいただけるのは気持ちよかったです。とは言いながらバスに戻る時間が迫っています。

  • ワインをぶら下げて駐車場まで急ぎます。この日の観光はこれで終わりです。

    ワインをぶら下げて駐車場まで急ぎます。この日の観光はこれで終わりです。

  • ツアー1日目の宿泊は県の南部の「あつみ温泉」です。日本海東北自動車道の終点で降りたところが温泉街のようです。

    ツアー1日目の宿泊は県の南部の「あつみ温泉」です。日本海東北自動車道の終点で降りたところが温泉街のようです。

  • 「庄内あつみ温泉 高見屋別邸久遠」には午後5時過ぎに到着しました。バスの車内で知りましたが、今回のツアーはホテルのランクアップがあり、4品ほどの方が「萬国屋」というホテルに予約したようです。先ほど行ったワイナリーの女の子にこれからあつみ温泉へ行くというと、「萬国屋ですか?」と尋ねられたことを思い出します。

    「庄内あつみ温泉 高見屋別邸久遠」には午後5時過ぎに到着しました。バスの車内で知りましたが、今回のツアーはホテルのランクアップがあり、4品ほどの方が「萬国屋」というホテルに予約したようです。先ほど行ったワイナリーの女の子にこれからあつみ温泉へ行くというと、「萬国屋ですか?」と尋ねられたことを思い出します。

    庄内あつみ温泉 高見屋別邸久遠 宿・ホテル

    温泉街の入り口にあり、朝市などへ行くには少し遠いが、静かでのんびりできる宿。 by kojikojiさん
  • 「温海嶽 熊野神社獅子舞」の獅子頭が飾ってありました。温海温泉の熊野神社は温泉街の奥にそびえる温海岳に鎮座し、神仏混淆の時代は温海岳熊野権現と称されていました。その氏子は温海岳を取り巻く七ケ村で周辺住民に信仰された山岳神であったようです。神仏稀釈のあった明治2年に熊野神社と改まりました。先日の大分の国東半島で学んだことが役に立った気がします。5月の熊野神社例大祭では荘厳な神歌と太鼓による獅子舞が奉納されるそうです。

    「温海嶽 熊野神社獅子舞」の獅子頭が飾ってありました。温海温泉の熊野神社は温泉街の奥にそびえる温海岳に鎮座し、神仏混淆の時代は温海岳熊野権現と称されていました。その氏子は温海岳を取り巻く七ケ村で周辺住民に信仰された山岳神であったようです。神仏稀釈のあった明治2年に熊野神社と改まりました。先日の大分の国東半島で学んだことが役に立った気がします。5月の熊野神社例大祭では荘厳な神歌と太鼓による獅子舞が奉納されるそうです。

  • 部屋のカギはオートロックでなく、すでに部屋に置かれてあるので皆さん我先にエレベーターに向かうのでしばらくロビーでゆっくりしました。

    部屋のカギはオートロックでなく、すでに部屋に置かれてあるので皆さん我先にエレベーターに向かうのでしばらくロビーでゆっくりしました。

  • 表には出られませんが北側ある山には陽があたり、館内は明るく感じます。

    表には出られませんが北側ある山には陽があたり、館内は明るく感じます。

  • 最近リニュアルされているようで、モダンなインテリアで統一されています。これならホテルのランクアップしなくても良かったかなと思います。

    最近リニュアルされているようで、モダンなインテリアで統一されています。これならホテルのランクアップしなくても良かったかなと思います。

  • 部屋は10畳の和室です。ホームページを見るといくつかのフロアはリニュアルされているようですが、この部屋は旧態然とした温泉旅館といった感じです。畳も新しく、内装もくたびれていないので古びた印象はありません。

    部屋は10畳の和室です。ホームページを見るといくつかのフロアはリニュアルされているようですが、この部屋は旧態然とした温泉旅館といった感じです。畳も新しく、内装もくたびれていないので古びた印象はありません。

  • 羽田空港を出たのが遅かったので、1日旅した感じがしませんでした。

    羽田空港を出たのが遅かったので、1日旅した感じがしませんでした。

  • 部屋の水廻りはシンプルですが、1泊だけですし、お風呂は大浴場なので、気になりません。確か部屋に風呂は無かったと思います。

    部屋の水廻りはシンプルですが、1泊だけですし、お風呂は大浴場なので、気になりません。確か部屋に風呂は無かったと思います。

  • 部屋の窓からはこんな景色が広がっています。反対側の方が見晴らしは良いと思いますが、眼下には道路や駐車場があるので、こちらの方が落ち着いていて良かったと思います。

    部屋の窓からはこんな景色が広がっています。反対側の方が見晴らしは良いと思いますが、眼下には道路や駐車場があるので、こちらの方が落ち着いていて良かったと思います。

  • 春先の新しい芽吹きの時期の里山はそれだけで美しく思えました。ホテルの周辺にはコンビニは無く、インターの方向へ歩いて20分以上かかるそうです。このホテルは温泉街からも外れていて、酒屋さんまでも歩いて15分くらいかかります。

    春先の新しい芽吹きの時期の里山はそれだけで美しく思えました。ホテルの周辺にはコンビニは無く、インターの方向へ歩いて20分以上かかるそうです。このホテルは温泉街からも外れていて、酒屋さんまでも歩いて15分くらいかかります。

  • 廊下まではリニュアルされているので、部屋が新しくなるのももう少しでしょう。

    廊下まではリニュアルされているので、部屋が新しくなるのももう少しでしょう。

  • 午後6時30分から2階の「海里」で晩御飯になります。各グループごとのテーブルが用意されています。

    午後6時30分から2階の「海里」で晩御飯になります。各グループごとのテーブルが用意されています。

  • ちゃんとお品書きがあるとそれだけで嬉しくなります。大は地産の食材や料理が組み込まれてありますが、説明の無いと何を食べているのか分からないことがあります。

    ちゃんとお品書きがあるとそれだけで嬉しくなります。大は地産の食材や料理が組み込まれてありますが、説明の無いと何を食べているのか分からないことがあります。

  • 前菜はむきそば、秘伝豆浅漬け、地鶏南蛮揚げ、バイ貝旨煮とあります。山形県産の「秘伝豆」を昆布と鰹節でとった合わせだしで浅漬けにした箸が止まらなくなる美味しさです。

    前菜はむきそば、秘伝豆浅漬け、地鶏南蛮揚げ、バイ貝旨煮とあります。山形県産の「秘伝豆」を昆布と鰹節でとった合わせだしで浅漬けにした箸が止まらなくなる美味しさです。

  • 「むきそば」はそばの実を茹でで皮を剥いて、だし汁をかけて食べる省内の郷土料理です。

    「むきそば」はそばの実を茹でで皮を剥いて、だし汁をかけて食べる省内の郷土料理です。

  • お造りは庄内浜の地魚で、カンパチとスズキと甘えびの3点盛です。あつみ温泉は海岸線から内陸には入っていますが、ここまで来る自動車道からは日本海が見えていました。

    お造りは庄内浜の地魚で、カンパチとスズキと甘えびの3点盛です。あつみ温泉は海岸線から内陸には入っていますが、ここまで来る自動車道からは日本海が見えていました。

  • 鍋物は庄内産の三元豚の蒸籠蒸しでした。たっぷりの水菜が豚ロースに巻かれてあります。ポン酢とゴマダレでいただきます。

    鍋物は庄内産の三元豚の蒸籠蒸しでした。たっぷりの水菜が豚ロースに巻かれてあります。ポン酢とゴマダレでいただきます。

  • ビールからスタートしていましたが、山形の地酒に切り替えます。「初孫 摩斬」はすっきりした飲み口です。

    ビールからスタートしていましたが、山形の地酒に切り替えます。「初孫 摩斬」はすっきりした飲み口です。

  • 初孫はかなり前に北海道の弟が山形へ出張に行った帰りに持ってきてくれた酒でした。「初孫 吟醸生」はアルコール度数が13度と低く、飲みやすかったのでその後に取り寄せたことがあります。

    初孫はかなり前に北海道の弟が山形へ出張に行った帰りに持ってきてくれた酒でした。「初孫 吟醸生」はアルコール度数が13度と低く、飲みやすかったのでその後に取り寄せたことがあります。

  • 三元豚の蒸籠蒸しが出来上がりました。熱い料理は熱いうちにいただきたいものです。

    三元豚の蒸籠蒸しが出来上がりました。熱い料理は熱いうちにいただきたいものです。

  • 絶品だったのがこのホテル久遠名物の真鯛のかぶと揚げでした。大ぶりの鯛の頭がカリカリに揚げてあるのですが、こんな料理は始めて食べました。元々魚の頭など嫌いなので手を付けませんが、あまりのおいしさに目玉の周りまできれいに食べつくしました。

    絶品だったのがこのホテル久遠名物の真鯛のかぶと揚げでした。大ぶりの鯛の頭がカリカリに揚げてあるのですが、こんな料理は始めて食べました。元々魚の頭など嫌いなので手を付けませんが、あまりのおいしさに目玉の周りまできれいに食べつくしました。

  • よもぎ豆腐の炊き合わせをいただいていると、隣のテーブルのご夫婦から声がかかり、ボトルで注文した焼酎が飲みきれないので手伝ってもらえないかということでした。ということで焼酎の水割りを3杯ほどいただいてしまいました。とても気さくなご夫婦で、翌日からもお話しして楽しい時間を過ごさせていただきました。

    よもぎ豆腐の炊き合わせをいただいていると、隣のテーブルのご夫婦から声がかかり、ボトルで注文した焼酎が飲みきれないので手伝ってもらえないかということでした。ということで焼酎の水割りを3杯ほどいただいてしまいました。とても気さくなご夫婦で、翌日からもお話しして楽しい時間を過ごさせていただきました。

  • コロナ禍になってからのツアーのバスの車内ではルールを守らない人が必ず一定数いて、そろそろツアーの旅も潮時かと考えていました。マスクをしない、お酒を飲む、大声で話をするなど逃げ道の無いバスの中では苦痛でした。年に1回くらいは良いこともあるのだと思いました。

    コロナ禍になってからのツアーのバスの車内ではルールを守らない人が必ず一定数いて、そろそろツアーの旅も潮時かと考えていました。マスクをしない、お酒を飲む、大声で話をするなど逃げ道の無いバスの中では苦痛でした。年に1回くらいは良いこともあるのだと思いました。

  • いい加減にお酒をいただいて、部屋に戻ると布団が敷いてあったのでそのまま倒れ込んでしばらく寝てしまいました。遅い時間になってからの大浴場になりました。

    いい加減にお酒をいただいて、部屋に戻ると布団が敷いてあったのでそのまま倒れ込んでしばらく寝てしまいました。遅い時間になってからの大浴場になりました。

  • 大浴場の隣には古いキリンビールの復刻版のポスターが貼ってありました。キリンビールのポスターは大正9年の1920年頃から人物画を多く製作し、背景を巧みに配して立体感のある画風を特徴とする画家の多田北烏(ただ ほくう)が手がけました。これなどはアールデコの影響を感じさせます。

    大浴場の隣には古いキリンビールの復刻版のポスターが貼ってありました。キリンビールのポスターは大正9年の1920年頃から人物画を多く製作し、背景を巧みに配して立体感のある画風を特徴とする画家の多田北烏(ただ ほくう)が手がけました。これなどはアールデコの影響を感じさせます。

  • 多田北烏は商品であるキリンビールを見せることをまず考え、それに見合ったレイアウトの作品が作られたようです。

    多田北烏は商品であるキリンビールを見せることをまず考え、それに見合ったレイアウトの作品が作られたようです。

  • 1階の一番奥に大浴場がありました。男湯と女湯は翌日の朝で入れ替わっていました。

    1階の一番奥に大浴場がありました。男湯と女湯は翌日の朝で入れ替わっていました。

  • 遅い時間なので貸し切り状態でゆっくり温泉を楽しめました。露天風呂からは部屋やロビーと同じ北側の山が望めます。

    遅い時間なので貸し切り状態でゆっくり温泉を楽しめました。露天風呂からは部屋やロビーと同じ北側の山が望めます。

  • サウナも気持ちよかったです。翌朝の出発は午前10時とのんびりしているので、温泉街の中にある朝市にでも行ってみようと思います。

    サウナも気持ちよかったです。翌朝の出発は午前10時とのんびりしているので、温泉街の中にある朝市にでも行ってみようと思います。

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