2023/04/26 - 2023/04/26
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kojikojiさん
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湯野浜温泉の素晴らしいホテルに別れを告げたバスは酒田市内の「山居倉庫」に向かいます。ホテルを出発したのが御前10時で、到着したのが11時30分でしたが、倉庫の周辺に他の観光客の方の姿もほとんどなく、貸し切り状態で散策が出来ました。酒田へ来るのは初めてだったので、この巨大な倉庫群には驚くとともに、木造の建築が良く残されていたと感心します。一番奥には「庄内米歴史資料館」があり、自由見学でしたがとても勉強になりました。思い返すとNHKの連ドラ「おしん」の舞台は酒田の米問屋「加賀屋」だったことを思い出しました。銀山温泉で働く母を訪ねたおしんは玄関に飾ってあった母に似たこけしを女将さんからもらい、母と別れて酒田行きの舟に乗り最上川を下りました。酒田の「加賀屋」に着いたおしんは、店の使用人に挨拶をしましたが「奉公人を頼んだ覚えはない」と言われるシーンは印象に残っています。今回のツアーは観光に重きを置いていないので、この後は「庄内観光物産館」でお昼を食べるだけとなりました。到着して奥のレストランで海鮮丼と芋煮をいただきましたが、ツアーの名前通り食べ物は充実した旅でした。ここで空港へ向かう時間調整があったので、鶴岡の「ささまき」など友人にお土産を買うことも出来ました。空港で荷物を預けましたが、我が家だけが異様に量が多くてちょっと恥ずかしかったです。座席は窓側でしたが、離陸した後は一瞬だけ湯野浜温泉の海岸線が見えただけで、月山も鳥海山も雲の中でした。晴れていたのは雲の上に出たほんの数分だけで、着陸態勢に入るとまた雲の中になり、雨の降る羽田空港に着陸して山形の旅は終わりました。次の旅までは1カ月ほど間が空くので家でゆっくりできます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 船 ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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午前10時に湯野浜温泉の「亀や」を出発して酒田へ向かいます。最終日の天気はあまりよくありませんが、月山はきれいに見えました。
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1時間ほどで酒田市内に入りました。
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前日は天気もよく最高の最上川下りを楽しみましたが、海に近い河口部の最上川も川幅が広く美しいです。
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酒田での観光は「山居倉庫」だけです。午前11時過ぎでも訪れる人もなく閑散とした雰囲気です。ここへ来るまでは最上川に面しているのかと思いましたが、新井田川に面していました。
山居倉庫 名所・史跡
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倉庫の裏側の日本海側には樹齢150年以上のケヤキ41本が残されています。これから芽吹きの時期のようで、周囲は明るく感じました。この木は日本海からの西風と西日を遮り、倉庫内の温度変化を少なくするためのものです。風速10メートル以上を観測する日が年に100日以上あるというから驚きです。
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明治26年の1893年に酒田米穀取引所の付属倉庫として旧庄内藩の酒井家により当時の鵜渡川原村に建設され、管理と運営も酒井家が行いました。1939年に取引所は米穀配給統制法によって廃止されましたが、倉庫は引き続き使用され、最終的にJA全農山形と所轄を移しながら使用されてきました。
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12棟が残こされてこのうち9棟は現役の米蔵として使用されていましたが、2022年に使用は終了したようです。残りのうち1棟は1985年に「庄内米歴史資料館」、2棟が「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽(くら)」として改装され、それぞれ見学することが出来ます。
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JR東日本の吉永小百合のCMで観たことはありましたが、ここまで規模の大きなものだとは思いませんでした。
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倉庫の妻手側は杉の板張りですが、倉庫同士が並ぶ側面は漆喰が塗られていました。これは火事の際の延焼を防ぐためのもののようですが、この軒では延焼してしまいそうです。
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「三居稲荷神社」
この稲荷神社は明治26年にこの地に倉庫を建設するとき、旧藩主の酒井家の太郎稲荷および徳川家の禎祥稲荷の二柱を勧請して従来から鎮座する山居稲荷神社に合祀して三居稲荷神社と改名し、倉庫鎮守の神としています。 -
津軽地方で見掛ける豪華な注連縄が掛かっています。
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扁額の下には奉納された鈴と鈴紐が並んでいます。
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同じツアーの方々の姿はすでになく、新たに来る人の姿もありません。
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表側に回ると「庄内米歴史資料館」がありました。表から見ると正面と両側面が白漆喰塗になっていたのだと分かります。酒田というと昭和51年の1976年の酒田大火のことを最初に思い出してしまいます。
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妻は「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽(くら)」で買い物をするというので1人で見学することにします。これは米の放送が俵であった頃の「漏斗(じょうご)」で、この下に俵を建てて米を流し入れました。
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「穀差(こくさし)」は俵の中からサンプルの米を抜き取るもので、ドラマや映画では見かけることはありますが、現物は初めて見ました。「荷鉤(にかぎ)」も米俵の荷捌きに使うものです。紙袋にいろいろ押してあった印は「包装印」というものだったと知りました。
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石の重りのようなものは「原器(げんき)」と呼ばれる計量器の正確度を点検するものです。大きな円筒の桶は「斗升(とます)」というもので、18リットルの量を計ることが出来ます。「升」は一升、五合、2デシリットルの3種類です。「棒秤り」も子供の頃は古紙の買取のおじさんが家にやってきて、落し紙と交換していたのを思い出しました。
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農家から持ち込まれた米はこのように検査されたそうです。標準米見本法に基づき、厳正に1等米から5等米に格付けし、定められた4斗(60キロ)の量があると合格になり、入庫票の「切符」が交付されます。
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現在は農産物検査法と食管法によって、検査終了後に政府売渡米と自主流通米に区分されます。米の格付けも1等米から3等米の3段階に変わっています。
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「女仲仕(なかし)」の女性が俵を担いでいる姿もあります。仲仕(なかし)とは港湾荷役労働者の一種。で、戦前までの呼称で現在は使われていません。本来は荷役業者と小揚と呼ばれる船荷を陸揚げする作業との中にあって働くのでこう呼ばれました。
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往時はこの倉庫にもこんな米俵が積み上げられていたのでしょう。屋根は断熱を考慮した二重構造の置屋根になり、内部の土間はにがりを用いて練り固めた上に塩を敷き、倉庫内の温度や湿度を一定に保つ技術が用いられています。
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西奥には最上川が流れ、その支流の新井田川には小舟が浮かんでいます。このジオラマを見ると当時の川を利用した運送業がよくわかります。倉庫は1棟当たりの床面積は120坪の396平米あり、804トンの米は米俵13,400俵が納められたそうです。
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倉庫の通気口の開閉の仕組みもよく分かります。
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今回旅した庄内地方と重なる略図がありました。徳川家康は徳川四天王に数えられるほどの重臣であった酒井家を、なぜ江戸から350キロも離れたこの地に置いた理由が米だったのだと分かります。古くから最上川には内陸から米を運ぶルートが確立しており、家康はその米に注目しました。米が経済の基礎だった時代に米の管理は信頼できる重臣に任せる必要があったようです。
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1982年春に橋田壽賀子とNHKスタッフはシナリオハンティングを目的に酒田を訪れ、偶然に山居倉庫の存在を知り、米どころのシンボルとも言える倉庫を見た瞬間にこれでドラマができると確信したそうです。貧しい農家に生まれた「おしん」が米1俵で身売りされ、酒田に奉公に出される物語が生まれました。
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朝ドラの最高傑作とされ、1983年から1984年の平均視聴率は52.6%、最高視聴率62.9%で、ビデオリサーチの統計史上テレビドラマの最高視聴率記録となっています。小林綾子の少女期おしんは第4回から第36回まで、田中裕子の青春から成年期おしんは第37回から第225回まで、乙羽信子の中年期おしんは第226回からでした。インパクトは少女期のおしんが強烈でした。
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「米券(べいけん)」は江戸時代における藩札の一種で、米札とも呼ばれます。生産者が入庫の際に東急や枡量の検査に合格した入庫票(切符)が交付されました。この入庫票は等級ごと毎10石(1,500キロ)に達すると預米証券、質入証券、倉荷証券(米券)に書き換えることが出来ました。米券はいつでも時価で売買することが出来たほかに銀行の担保物としても歓迎されました。
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「倉荷証券」の版木が残されています。上にはサンプルに摺ったものがあり、リアルに感じます。
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大正末期の倉庫への米の搬入は大八車で農家の人々が自分で牽いてきたのだと分かります。建物は現在もそのまま残されていますが、往時の活気を見ると時の流れを感じます。
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庄内米は1592年の文禄の役の頃には太閤奉行が御用米として酒田港から肥前の国へ送られ、徳川幕府は寛文12年の1672年には西回り航路の御用船で江戸まで回送しました。奥羽の中でも庄内は米の一大産地として特異な発展を遂げています。
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「双用犂」は馬や牛に縄で結び付けて引かせ、田んぼや畑の土を耕す道具です。ヘラは左右どちらにも回転でき、往復しても同じ方向に土を掘り起こすことが出来ます。
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使われているイラストを見ると理解しやすいです。もっとも年齢的には道具の姿を見ただけで懐かしく感じるものも多いです。
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「代掻き馬鋤」も牛馬に牽かせて代掻きをする道具です。牛馬の鞍に馬鍬を結び、人が馬鍬を上から押しながら引っ張らせるものです。
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昨年の秋に行った遠野の曲り屋にも同じような農耕具がたくさん置かれてあったことを思い出します。
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「地均しローラー」は苗を植える前にローラーを回転させることにより新井土屋雑草を水中に沈めることが出来ます。
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父の実家は農家でしたが、田んぼはやっていなかったようです。ただ、蔵には脱穀機などは残っていたので米も作っていたのかもせれません。ただ、当時のことを知っている人はもう誰もいません。
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「型枠」は回転させて苗を植える場所に当たりを着ける道具です。これによってグリッド状の印が出来て整然と並んだ苗を植えることが出来ます。
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中国の雲南省や貴州省、ベトナム北部のサパなどで田植えの風景を見たことがありますが、鋤以外の胴具はほとんど見かけませんでした。日本人の几帳面さが感じられます。
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「除草機」は2つの使い道があるようで、稲株の両サイドにこの道具を差し入れ、転車と呼ばれる歯車で土を掻き回すことにより稲の育成を助け、雑草を取り除きます。
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東南アジアの米も嫌いではありませんが、日本の米が美味しいわけだと思いました。
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「足踏脱穀機」は似たようなものが父の生まれた家や大叔母の家にあったのを覚えています。
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「千歯脱穀機」はもう少し労力が必要で、歯の間に稲を通して引っ張らなければなりません。
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「縦線通し」は玄米に混ざっている屑米を取り除くための胴具です。割れた小さい屑米は線の隙間から落ちて仕分けられる仕組みです。
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現在は全て児童の機械化が進んでいると思いますが、各農家ごとに高価な道具をそろえても収支が合うのだろうかと常々疑問に感じています。
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古い精米機も置かれてあります。調べてみるとこの清水式精米機は灰首都高に新しい特許を取得していて、宮内省や陸海軍の御用達にもなっています。サイズにも寄りますが当時のお金にして110円から430円もしたようです。大正時代の1円が4,000円の価値だとすると40万円から170万円もしたのだと思います。
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農家の土間で作業をしている状況が再現されています。懐かしいようでもあり、初めて見るようなものもあります。奥に置かれた箱ソリは55年前に行った横手では冬場には当たり前のように使われていました。
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手槌で藁を柔らかくして、手前の俵編機で編みこんだのだと思います。「唐箕」という風力でもみ殻を飛ばす道具は父の実家にもあったのを覚えています。子供の頃に父が藁縄を簡単に編んで竹馬を造ってくれたのは強い思い出として残っています。
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「ばんどり」という藁で造った背中当てが美しく思えました。使い古した裂き布がアクセントになっています。子供の頃に父が山形か秋田の職人さんにお願いして数年待って、背負子を手に入れたことがありました。その背負子にもこんな裂き布で飾られてあったことを思い出しました。材質は熊殺しの木と呼ばれる鎌柄(カマツカ)軒だったと思います。
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俵などまじまじと見たことがありませんでしたが、その姿が美しいと思えます。
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千石船の模型も置かれています。この船で酒田港から大阪や江戸まで回送したのだと思うと感慨深いものがあります。日本の大きさはフェリーに乗ると感じることが出来ますが、今年の夏はダイヤモンドプリンセスで日本を1周するので、また北前船のことを考えてみたいと思います。
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農家の居間を再現した展示もあります。この2年ほど日本各地を旅して見た情景を思い出します。鰊番屋にも同じような火棚や囲炉裏がありました。子供を入れる圓津子は遠野でも見ることが出来ました。
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提灯入れの箱はこの旅の次に行った四国の旅でも見ることが出来ました。
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火棚に吊られた弁慶というものは初めて見ました。
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驚いたのはこの俵5俵を担ぐ女性の姿です。1俵60キロと考えても300キロの重さです。
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この新聞記事を読むと実際は3俵が実際の担げる最大だったようです。それでも180キロですから信じられない重さです。展示物には俵と同じ重さを背負えるものもありましたが、1俵分の60キロが限界に思えました。
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じっくり博物館を見学していると、同じツアーの方もいなくなってしまいました。前を流れる新井田川を眺めてみます。ここに川舟が埋め尽くされていた時代があったのかと思うと時の流れを感じます。
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少し山居橋を渡って俯瞰してみると、時代は大正か明治に遡ったようです。
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倉庫のまま残された建物を真正面から見据えると機能的に設けられた置き屋根のスリットやその角度までもが美しく感じられます。
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防寒と暴風のために設けられたであろう倉庫をつなぐ廊下の中には引き戸が設けられ、空っぽになった倉庫の中が見えました。ほんの1年前まではここが現役で使われていたとは信じられません。
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倉庫群と事務所棟の間には屋根が掛けられています。これは何か雨に濡れてはいけないものを運ぶ都合があったのだと思います。
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「山居倉庫」を設計した棟梁の高橋兼吉が生涯で得た技術のすべてを注ぎ込んで造られた倉庫を実感します。高橋兼吉は弘化2年の1845年に鶴岡の大工町に生まれ22歳で上京し、洋風建築を学んだといわれています。その後に鶴岡に戻り、明治9年に酒井家お抱えの棟梁となり、旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署などの洋風建築を生みだしただけでなく、荘内神社の社殿、善宝寺の五重塔などの寺社建築も手掛けています。彼は自ら設計図が引ける数少ない棟梁の1人でもあったようです。
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屋根の先には先ほど参拝した「三居稲荷神社」が見えます。
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長く延ばされた軒屋根など微妙にデザインが違うようです。
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事務所の脇には屋敷と日本庭園がありました。背の低い板塀に覆われているので庭先は覗くことが出来ました。枝ぶりの良い松が1本板塀から表に表に出てしまっています。
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舟屋には「小鵜飼船」が納められていました。荷物を積んで最上川を上り下りする船には、「ひらた船」と「小鵜飼船」の2種類がありました。どちらも舵は無く、櫂や帆で進み、急流を上る時には網で曳きました。多く利用されたのは建造費の安かった「小鵜飼船」です。3人乗りで長さが15メートル、幅が1.7メートルあります。一度に30俵から50俵もの米を運ぶことができました。江戸時代には左沢より上流でしか使用出来ませんでしたが、明治時代になって制限がなくなると、下流でも「小鵜飼船」が多く利用されるようになりました。
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妻を追って「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽(くら)」に入りましたが、特に買いたいものはありませんでした。気になったのは「鵜渡川原人形」でした。
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北前船で京都から伝わった伏見人形が原型といわれる土人形は、江戸末期に大石助右衛門が作り始め、代々受け継がれてきました。木型は上方の彫り師によるものと思われ、吉祥人形が主だったようです。人形は木型と土型を使って造られてきましたが、明治の中頃からは土型が主流になり、大石家独自の型も作られるようになりました。
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粘土を型に詰めて人形の形を造った後に乾燥させて素焼きにします。それに膠(にかわ)で溶いた胡粉(ごふん)を数回塗って下地を整え、さらに膠で溶いた顔料で彩色して仕上げるという昔ながらの工法です。
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ここ数年日本各地の土人形に興味を持っているのですが、実際に買おうと思うと手が止まってしまうことが多いです。
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「酒田山王祭祭礼用亀笠鉾」が展示されています。酒田の鎮守日枝神社の祭礼「酒田山王祭」(現酒田まつり)には、各町内でそれぞれの山車を出していました。
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亀笠鉾は本間家3代本間光丘が山王祭りを盛大にすることによって、酒田の町を活性化させようと京都の人形師に作らせ船で運んできたものです。亀鉾にしたのは酒田を亀ヶ崎城下と言ったことや、亀が竜宮のお遣いとして非常にめでたいものとされていたからだそうです。またこの亀の頭は竜の頭に似ていますが、上日枝神社のご神体を竜神としていることにも関係があるらしいと言われています。
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「酒田獅子頭」は「銀山獅子」とも呼ばれ、200年前から郷土玩具として作られましたが、魔除けとしても珍重されています耳の立った黒塗りの雄獅子(陽)と耳の垂れた赤塗りの雌獅子(陰)の一対からなり、雄雌そろっているのは全国でも珍しいようです。
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ツアーの観光は全て終わり、お昼を食べるために「庄内観光物産館」に向かいます。
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ここにきて雨も降ってきましたが、もう観光も終わっているので気にはなりません。
庄内観光物産館ふるさと本舗 お土産屋・直売所・特産品
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奥に設けられたスペースで用意された昼食をいただきます。このお昼までツアーに含まれているので、至れり尽くせりです。
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最後のビールで旅を締めくくります。
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庄内産の鮮魚で作られた海鮮ちらし丼のランチです。
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そして熱々の庄内風の芋煮です。ここで山形の芋煮について添乗員さんから説明がありました。1泊目の温海温泉でも芋煮はいただいていましたが、同じ山形県内でも違いがあるようです。
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山形県の内陸地方でよく食べられている醤油味の芋煮には牛肉が使われています。米沢牛などのブランド牛で知られる山形では、明治期に牛肉を食べる文化が広まっており、身近にあった食材の牛肉を芋煮にも使用するようになったと考えられます。また養豚が盛んな庄内地方では豚肉を使った味噌味の芋煮になります。ここでは庄内風の芋煮をいただきました。
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食事が終わってしまうとバスは「庄内空港」へ向かいます。帰りの便は窓側の席になり舞いsたが、天気が良くないので景色は楽しめそうもありません。
庄内空港 空港
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ANAだったのでマイルの積算が出来て良かったです。
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あっという間の2泊3日の庄内地方の旅でしたが、それなりに充実していました。何より食事が美味しかったのとホテルが良かったです。
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雨が強くなってきたところで羽田に向けて出発です。
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ぎりぎり観光には影響がありませんでしたが、今日到着した同じツアーの方は翌日の最上川の舟下りは結構になりそうです。今回もうまい具合に天気の良いところで旅が出来ました。
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離陸してすぐに湯野浜温泉の上空を通過しました。早朝に散歩した海岸線が見えました。
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天気が良かったのは雲の上のほんの10分くらいでした。
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平行になった10分くらいで飲み物のサービスがあり、すぐに着陸態勢に入ったとコクピットから放送が入ります。
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到着した羽田も雨でしたが、リムジンバスを待っている間に上がりました。
羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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池袋に向かうリムジンバスはトンネルが渋滞のようでレインボーブリッジを渡るルートになりました。
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久し振りにフジテレビの建物を地上から眺めることが出来ました。
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この4月下旬の旅をもってゴールデンウィーク明けの5月下旬まで旅行は少し休むことにします。次の四国の海岸線を巡る旅まで体を休めないと4トラベルの旅行記も追いつきません。
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酒田
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