2022/12/13 - 2022/12/13
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2022/12/13
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ツアーも最終日です。この日も朝早く目が覚めてしまったので近所を散歩することにしました。さくばん琉球料理の「美榮」を堪能してしまい、行けなかった「栄町市場」まで行ってみました。この市場が生まれたのは終戦まもない昭和24年の1949年だったそうです。戦前はこの場所に”ひめゆり学徒隊”で知られる、沖縄の名門校だった沖縄県師範学校女子部と沖縄県立第一高等女子学校があったそうです。前の日に「ひめゆりの塔」を訪ねたばかりなので少し厳かな気持ちで路地を歩きました。現在は日中は市場で夜は飲み屋街になっているようです。台湾の裏路地のような雰囲気が魅力的なので、夜のうちに通りを歩くだけでもしておけばよかったなと思いました。バスに乗ってホテルを出るとすぐに「沖縄ホテル」の前を通りました。ここは昭和16年の1941年創業の沖縄初の観光ホテルです。伝説のホテルではあるのですが、老朽化もあって一時は閉鎖されていました。調べてみると22年9月から営業を再開しているようなので、ここにも立ち寄りたかったなと思いました。古い沖縄はどんどんなくなっていくのでしょうが、40年程前に来た出張では不思議な所にいろいろ連れて行ってもらいました。沖縄のクラブも不思議な雰囲気でしたし、地元の人に連れて行ってもらった宜野湾市の前原新町も不思議なところでした。車で行ったのですが、「ドアをロックして、窓は絶対に開けたらだめだよ。女の子やおばさんと目は合わせないで。」と注意されてから国道58号線を右に入った一角は、ピンクやグリーンのライトが灯り、店先に座っている女性目当ての男性がうじゃうじゃいました。これは強烈なインパクトがありましたが、とてもではないけど外に出たいとは思えませんでした。車で一周して帰ってきましたが、ここも取り締まられて現在では廃墟になっていると知りました。
最終日の最後の観光は「守礼の門」と「園比屋武御嶽石門」の見学だけですが、ここだけ見学する理由が分かりませんでした。予定には入っていませんが、併せて修復中の「首里城」の見学も出来ました。6年前に来たときは中を見学しましたし、「龍潭」越しの夜景も見ることが出来ました。コロナ禍になる前の最後の海外旅行は2019年11月のトルコ旅行でしたが、アンタルヤのリゾートホテルで夜のニュースを見ていたら燃えている首里城が映り、驚いたことも思い出します。修復中の「首里城」の姿は痛々しく、見た覚えのある龍の頭が焼け落ちた姿は胸が詰まりました。こうやって見学することでその費用が修復費用の一部になればと願います。「首里城」を出るとバスはそのまま空港に向かいます。あっという間の5日間のツアーも終わりです。チェックインした後は最後の買い物をして、「A&W]でルートビアを飲みながら軽く昼食を摂りました。帰りは右側の座席だったので往路と同じくずっと海を眺めながらのフライトになりました。戻ってきた東京付近は雨が降っていたようで、雨上がりの幻想的な風景を見ることが出来ました。旅の終わりは次の旅のスタートで、旅行記を作る間もなく九州の旅に移ります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ホテルの近くに「栄町市場」があり、夜は飲み屋街になっているのは知っていました。前の晩の琉球料理の「美榮」での食事の後はタクシーでホテルに乗りつけてしまったので来ることが出来ませんでした。
栄町市場 市場・商店街
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朝食まで時間があったので絵葉書の投函も兼ねて、少し散歩してみることにしました。ゲートをくぐっただけで世界が変わり、台湾の裏町やベトナムの路地裏を思い出させます。
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朝から開いている店は肉屋が1軒だけでした。日中は市場になるようですが、どの程度の店が開いているのかまでは分かりません。
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「栄町市場」が生まれたのは太平洋戦争の終戦まもない昭和24年の1949年のことだったそうです。戦前のこの場所には”ひめゆり学徒隊”で知られる、沖縄の名門校だった沖縄県師範学校女子部と沖縄県立第一高等女子学校がありました。沖縄戦において看護班として戦線に送り出された女子学生が在籍していた学校です。
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前の日に「ひめゆりの塔」に参拝したばかりで、記念館では女学生の写真パネルを1枚1枚見て来たばかりなので複雑な気持ちになります。
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そう思いながらも夜の「栄町市場」も見るだけでも見ておけばよかったと後悔もします。
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一角には「うりずん」という琉球料理の店もありました。「うりずん」とは沖縄で、春分から梅雨入り前までの過ごしやすい時期のことを意味します。この店は泡盛百年の古酒の夢を追い求めた居酒屋主人の土屋實幸(さねゆき)さんが沖縄が本土に復帰した1972年の8月15日に開店した店です。
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県内57カ所にあった酒蔵を1軒ずつ訪ねて泡盛を集めたそうです。沖縄戦では12万人もの県民が犠牲になり、300年を超える泡盛の古酒も貯蔵されていましたが、大半が失われたそうです。1997年に泡盛の古酒を100年後に残す活動を始めたそうです。ここも一度は来てみたい店の1つです。
うりずん グルメ・レストラン
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ホテルに戻って1階のレストランで朝食をいただきました。ホテルの規模に比べてレストランの広さに問題があるのかとても混雑していました。
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「オリエンタルホテル沖縄リゾート&スパ」の朝食で食べたハンバーガーが美味しかったのでここでもいただいてみました。
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このホテルではセルフで作るのでそれも楽しいものです。自分好みのバーガーはとても美味しかったです。
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チーズとサラダも並べるとビールでも飲みたくなってきてしまいます。
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デザートも充実していましたし、コーヒーも美味しくとても良いレストランでした。
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午前9時にホテルを出発します。最終日の観光は「守礼の門」と「園比屋武御嶽石門」の見学だけですが、この時はここだけ見学する理由が分かりませんでした。バスに乗ってホテルを出るとすぐに「沖縄ホテル」の前を通りました。ここは昭和16年の1941年創業の沖縄初の観光ホテルです。伝説のホテルではあるのですが、老朽化もあって一時は閉鎖されていました。調べてみると22年9月から営業を再開しているようなので、ここにも立ち寄りたかったなと思いました。
ヒューイットリゾート那覇 宿・ホテル
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「首里城」へ向かう途中で前回の旅で宿泊した「ダブルツリー・バイ・ヒルトン首里城」が車窓から見えました。このホテルは元々日航ホテルだったのは知っていましたが、創業が沖縄海洋博の開催された1975年だったのは知りませんでした。
ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城 宿・ホテル
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首里城の地下駐車場でバスを降りて「守礼の門」に向かいます。一応観光ポイントですが、添乗員から説明もなく素通りです。しかも工事中で囲いもあってちょっとがっかりです。
守礼の門 名所・史跡
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以前は見掛けなかった琉球王朝時代の衣装を着た女性がいらっしゃいました。昔はこの門の前で一緒に記念写真を撮るのがお決まりでしたが、一時金額のトラブルかあっていなくなったと聞いていましたが復活したようです。
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「守礼の門」はそこに掲げられた扁額の「守禮之邦」からきている俗称で、本来は「首里門」と呼ばれたようです。愛称として「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼ばれ、「上の方にある美しい門」という意味です。
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「国王頌徳碑(復元)」
琉球王国時代の1543年に建立された石碑で、碑文は「首里城から古来より崇拝された弁ヶ嶽(後に久高島や斎場御嶽の遙拝所として整備され、那覇市内最高の標高への道を石畳道にして参道を整備した国王尚清(しょうせい)の徳を讃えた内容となっています。表は平仮名文で裏は漢文で刻まれています。首里城から東に延びる丘陵「上の毛(ウィーヌモー)」の東端部を「かたのはな」といい、この付近に建立されたことから別名「かたのはなの碑」ともいいます。 -
「園比屋武御嶽石門」
この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所です。また聞得大君が就任する時にまず最初に拝礼した国家の聖地でした。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請して祭っています。元々は今よりも広範な森でしたが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのは一部のようです。園比屋武御嶽石門 名所・史跡
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「園比屋武御嶽石門」は「守礼門」と「首里城」の正門にあたる「歓会門」の中間にあり、尚真(しょうしん)によって1519年に創建されたと分かっています。これでこの日の観光は終わりですが自由時間が与えられ、「首里城」の見学が出来ることになりました。
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「歓會門」
首里城郭内に入る第1の正門です。「歓會」は歓迎するという意味で、冊封使などを歓迎するという意味でこの名前が付けられました。別名「あまえ御門(うじょう)」とも呼ばれ、「あまえ」は琉球の古語で「喜んで迎える」を意味していて、「歓會」はその漢訳になります。 -
1477年から1500年頃に建立され、沖縄戦で焼失しましたが、昭和49年の1974年に復元されました。石のアーチ状の城門の上に木造の櫓が載せてあります。
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「瑞泉門」
門の手前右側にある湧水が「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれ、それにちなんでこのように名付けられました。ここは第2の門で、別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいい、創建は1470年頃です。沖縄戦で焼失しましたが、平成4年の1992年に復元されました。 -
「龍樋」は龍の口から湧水が湧き出していることから名付けられました。この水は王宮の飲料水としても使われました。中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった「天使館(てんしかん)」という宿舎まで、毎日ここから水を運んだといわれています。龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものです。
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「瑞泉門」の手前の「龍樋(りゅうひ)」から湧き出る水を、冊封使が褒め称え、漢詩を読んだり題字を残しました。それらを石碑にしたものが、「冊封七碑」と呼ばれている石碑です。
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「中山第一(ちゅうざんだいいち)」の題字者は徐葆光(じょほこう)で、来沖年は1719年です。龍樋の水量と水質は琉球第一の泉であるという意味です。
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「活潑潑地(かつはつはつち)」の題字者は斉鯤(せいこん)で、来沖年は1808年です。魚がはねるように水の勢いが極めて活発な泉であるという意味です。。
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「飛泉漱玉(ひせんそうぎょく)」の題字者は高人鑑(こうじんかん)で、来沖年は1838年です。清らかな泉があたかも玉のように飛び散っているという意味です。
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「瑞泉(ずいせん)」とは立派なとかめでたい泉という意味です。「冊封七碑」は沖縄戦で破壊されていますが、後年になって再現しています。写真を撮った以外に「雲根石髄(うんこんせきずい)」(山の高いところの穴から湧き出る石の乳である。)と「暘谷霊源(ようこくれいげん)」(東のはての日の出るところにある不可思議な泉である。)、「霊脈流芬(れいみゃくりゅうふん)」(霊妙の水脈から出る薫り高い流れである。)「源遠流長(げんえんりゅうちょう)」(泉は源が遠く流水が長い。)も4基がありました。
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「 漏刻門(ろうこくもん)」
漏刻(ろうこく)とは中国語で「水時計」という意味です。ここは第3の門で別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいいます。当時の身分の高い役人は駕籠(かご)にのって首里城へ登城しましたが、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからそのように呼ばれています。 -
門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれています。時刻を測定すると係の役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東(あがり)のアザナと西(いり)のアザナおよび右掖門(うえきもん)で同時に大鐘(おおがね)を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせました。
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「廣福(こうふく)」とは「福を行き渡らせる」という意味です。「廣福門(こうふくもん)」は別名「長御門(ながうじょう)」といい、第4の門です。建物そのものが門の機能をもっており、この形式も首里城の城門の特徴です。
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見学はここまでかと思っていましたが、チケットを購入して、修復中のエリアも見学が出来ると分かりました。ツアーの方でもここで戻られる人も多かったですが、入場料が修復の助けになると考えて見学します。
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6年前はここの越えた先で正殿を背景には母と妻と一緒に写真を撮った記憶が蘇ってきます。首里城も焼け落ちてしまったし、母も亡くなってしまいました。以前は入り口で通れた門も閉ざされたままです。
首里城 名所・史跡
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「首里森御嶽(すいむいうたき)」
城壁の手前にある礼拝所を「首里森御嶽(すいむいうたき)」といいます。琉球開闢神話によれば、神が造られた聖地であるとされています。また、城内にはここを含めて「十嶽(とたけ)」と呼ばれる10ヶ所の礼拝所があったといわれます。 -
琉球最古の歌謡集である「おもろさうし」にも「首里森御嶽」に関する詩歌が多数登場するそうです。ここも平成9年の1997年に復元されました。
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「廣福門」を越えると以前のような広い空間はありません。広場には作業場の建物が立っていました。思っていたよりもすごい工事現場のようです。
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以前散策した時のことを思い出してみますが、ルートも変わっているし、主だった建物は焼失してしまっているので初めて来たような感覚です。
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「守礼の門」から「歓會門」に向けて修学旅行生が続々と歩いてくるので、見学を早めにしないと大変なことになりそうです。
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「弁財天堂」は木々に隠れて見えませんが「円鑑池(えんかんち)」の縁が見えました。
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その先には「龍潭(りゅうたん)」と呼ばれる1427年に造られた人工の池が見えます。対岸の道路にタクシーを停めて、「首里城」の夜景を眺めたことを思い出します。その時の美しさは忘れられませんが、その後の火災時にはここから撮った映像が世界中に流れていました。
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2019年の10月31日はトルコのアンタルヤという地中海沿いの町にいましたが、食事をして部屋でくつろいでいるとこのニュースが流れました。
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その3年前に「首里城」へ行ったばかりだったので妻と2人絶句して、日本にいる母へLINEで連絡しました。もちろん母も驚いたようで、すぐに返事が戻ってきました。
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そして3年後に再び「首里城」へ来ることが出来ました。
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「右掖門(うえきもん)」
「首里城」には「右掖門」と「左掖門」という、名前に右と左が付いた双子のような名前の門があります。右掖門は別名は「寄内御門(よすふぃちうじょう)」と呼ばれ、15世紀頃に創建されたと伝えられています。瑞泉門や漏刻門のように城郭を櫓で挟んだ部分が通路になっている「櫓門」です。 -
「正殿」の「龍頭棟飾」が無残な姿で置かれてありました。ベトナムのフエ郊外にある皇帝廟にも同じような装飾があり、とても好きなデザインでした。鉄製のフレームとモルタル部分だけが残り、釉薬のかかったタイルの部分は剥離してしまっています。
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火事についての写真パネルも数多く置かれていて、改めて火災の被害を実感できます。
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焼け落ちた「正殿」は「大龍柱」だけを残して焼失しているのが分かります。本来はこのアングルでは見えないはずの国王の私的空間だった「世誇殿(よほこりでん)」がきれいに見えています。
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生々しい写真が続いています。
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翌日でも白煙が上がり、完全に鎮火していないことが分かります。
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「龍頭棟飾」と並んだ降棟(くだりむね)にあった「獅子瓦」も美しかった記憶があります。
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中国南部や台湾、ベトナムやマレーシアなどでもこのような棟飾りを見ることは出来ますが、その多くは「剪粘」と呼ばれる陶器の破片を使って形を作ります。その細かさと美しさには思わず目を奪われてしまうほどで、昔は茶碗の割れた破片で作っていました。
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ところが沖縄の胸飾りは立体として形を粘土で成形して焼成し、交趾のような釉薬をかけて再度焼かれています。
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焼け落ちた破片は修復のためにパーツごとに分けられて保管されています。完成にはまだまだ時間がかかりそうです。
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本殿跡を背にして「東(あがり)のアザナ」へと進んでいきます。以前はここまで見学できたのか記憶が残っていませんが、「井戸状貯水遺構」を見ることが出来ました。
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これは雨水を貯留するための正接であったようで、内部には枝分かれしたトンネル状の空洞が広がっているそうです。
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「御内原ノマモノ内ノ御嶽」
東のアザナの近くには植物が植えられた一角があり、御嶽とされています。別名はウチアガリノ御イベといいます。イベとは御嶽の中にあるもっとも聖なる場所を指し、植えられている植物に神を降臨させました。 -
「御内原」に植えられていた「九年母(くねぶ)」には実が生っています。昨晩琉球料理の「美榮」でいただいた、「なかみの吸いもの」の内臓の臭い消しにこの「九年母(くねぶ)」の皮を使うと教えてもらったばかりです。
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「御内原」は主には王族の日々の生活である食事、睡眠、教育、文化訓練、そして娯楽を支えるための居住スペースとして設計されました。女官もここに住み、王族以外の男性が立ち入ることはできませんでした。「御内原」では王の葬式やその後継者による継承の儀式など、王族関連の儀式も行われました。御嶽と呼ばれる重要な聖域もこの場所にあり、復元されています。最近再建された2つの大きな建築物は、幸運なことに2019年の火災の被害を免れました。
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「湯屋」
後之御庭の反対側の境界には女官居室がありました。約100人の女官が首里城で働いており、ここに住む人も近くに住む人もいました。首里に邸宅を構えた名家から選ばれて自宅から毎日首里城に通って仕事を行うことができました。女官居室に住んだ女性たちは、首里から遠く離れた農村部出身だったと考えられています。女官居室の裏側には湯屋という大きな浴室があり、ため池から淡水が供給されていました。 -
「寒水川樋川」
瑞泉門前の龍樋と並んで首里城内の重要な水源でした。「久慶門」の外側の左右から再び地中に入り、門の向かい側にある「円鑑池」に抜けました。「円鑑池」が満水になるとさらに「龍潭(りゅうたん)」に注ぎました。 -
「久慶門」
久慶門はかつて通用門として主に女性が使用したといわれています。また国王が寺院を参詣したり、浦添から以北の地方へ外出する際にも使用されました。 -
門の造りは「歓會」と同じく中央が石造アーチ門で、その上に木造の櫓がのっています。創建は尚真(しょう・しん)王の時代といわれます。
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カーブ状の城壁は敵が攻めてきた際に側面から観察し、迎撃できるため防御力が高いとされます。「首里城」では「隅頭石(すみがしらいし)」といって、城壁が折れる角をただの曲線で納めることをせず、あえて天を指すかのようにつんとさせているのが特徴です。
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このアカギは戦前までは約1メートルの太い枝を「首里城」の城壁まで伸ばし、道行く人に木陰を提供していましたが、沖縄戦で焼失してしまい、枯れた幹だけが残りました。その後アコウというクワ科の植物が着生し、昔の面影をとどめています。
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ようやく「首里城」の見学が終わりました。再びバスに乗って空港へ向かいます。
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国際通りも見納めです。
国際通り 名所・史跡
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今回も「ゆいレール」に乗ることは出来ませんでした。
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那覇空港に到着しました。親切だったバスのドライバーさんともここでお別れです。ANAのチケットは貰っているので各自チェックインします。マイレージの積算も出来てラッキーでした。
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ジンベエジェットは「沖縄美ら海水族館」とのコラボレーションで実現したJTAのオリジナルペイント機です。
那覇空港 空港
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ここまで頑張ってきたブーゲンビリアの花はここで落ちてしまいました。これくらいの大きさだと機内に持ち込むことが可能で、前の座席下に倒れないように置きました。
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さぁ、最後の買い物に向かいましょう。
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最後のお昼は「A&W」と決めていました。朝ご飯を食べて数時間しか建っていないので軽めのランチです。久し振りのルートビアが懐かしい味で、40年前のことを思い出させます。
A&W 那覇空港店 グルメ・レストラン
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ジンベエジェットはこの後どこかへ飛んでいきました。
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妻がこの日の朝食を和食メインにした意味が分かりました。朝からハンバーガーを目いっぱい食べてしまったのが悔やまれます。ルートビアはおかわりが無料なのが嬉しいです。
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航空自衛隊機も民間機に混ざって離陸していきます。
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定刻に搭乗が始まりました。復路は3人掛けの座席でしたが、窓側から2席で、通路側は誰も座らなかったので良かったです。
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那覇空港からのフライトは2年前の石垣島の旅行以来です。Go toの頃は旅行費用が半額くらいになってありがたかったです。年内の全国旅行支援もほぼ半額に近くて何度も利用できました。
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前日行った「ウミカジテラス」も見えます。
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那覇空港には航空自衛隊那覇基地が併設され、ここには航空自衛隊のみならず海上自衛隊と陸上自衛隊の航空部隊も駐屯しています。陸上自衛隊第15ヘリコプター隊のCH-47 チヌークが見えました。小学生の頃は授業中によく上空を飛んでいたのを覚えています。1961年に初飛行した同い年の機種なので親しみがあります。
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F-15J戦闘機は主に中国機による領空侵入に備えて配備されています。那覇基地での1年間の領空侵犯機に対するスクランブルは2016年度には803回、2020年度には404回とかなりの頻度で行われています。そのためか、那覇空港ではこの戦闘機が駐機場にずらっと並べてある姿を見ることができます。
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海上自衛隊のP-3C哨戒機です。不審船や密かに航行する潜水艦を監視する哨戒機です。韓国海軍駆逐艦による火器管制レーダーの照射事件で被害を受けたのは厚木基地の第4航空群所属P-1哨戒機でした。
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これでしばらくは沖縄とお別れのような気がします。
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那覇港新港ふ頭には琉球海運(RKK LINE)の「みやらびII」の姿が見えました。旅行中に何度も見掛けたA”LINEのフェリーの姿はありませんでした。
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離陸するとすぐに雲の中に入ってしまいました。
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次に視界が開けると「伊江島」の西側を通過するところでした。もう沖縄本島の姿は見えなさそうです。
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空港で買っておいた缶チューハイとスナックで最後の沖縄を楽しみます。
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妻は真剣に映画を観ています。東京行きの飛行機は空いていたようで、中央の4人掛けはほとんど空席でした。
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関東地方はずっと雨だったと友人から連絡を貰っていましたが、着陸前には雨が上がり陽が差していました。上空からきれいに虹が見えました。
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房総半島のゴルフ場の上空には雨上がりの雲が発生していて幻想的な風景でした。
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羽田空港へ向けて着陸態勢に入りました。
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京浜工業地帯の工場の煙突越しに筑波山がきれいに見えました。
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「海ほたる」を見ると旅の終わりを感じます。
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雨上がりの羽田空港もきれいでした。
羽田空港 第2旅客ターミナル 空港
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羽田空港の美しい夕景を見ながらリムジンバスで帰宅の途に着き、帰宅後は次の旅の準備を始めました。
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