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「おきなわワールド」の中にある「玉泉洞」の見学が終わるとようやく地上に出られます。ここから熱帯植物園を通り抜けて、いくつもの工房を通り抜けて劇場に向かいます。ここではエイサーショーを観ることが出来るからですが、着いてみると座席はほぼ埋まっていました。最後尾の席から見学しましたが、途中からは少しコメディタッチになってきたので早々に切り上げてしまいました。今回「琉球村」では時間の関係でエイサーを見ることが出来ませんでしたのでここでのエイサーを楽しみにしていました。これにはちょっと残念でした。早めにここで醸造されている地ビールのレストランに入って生ビールをいただきます。おつまみはピザとフライドポテトとビールによく合います。お昼を食べた後はデザートにマンゴーソフトクリームもいただきます。お腹がいっぱいになったところで、王国歴史博物館の見学もしてみました。沖縄に来ても博物館に行くようなツアーはほとんど無いので、このような場所はツアーで来る客には貴重です。いろいろ学びもありました。2時間30分の自由時間もあっという間に終わってしまい、午後も沖縄南部の観光が続きます。

トラピックス 美しき20景に出会う ぐるっと沖縄大周遊の旅5日間(9)おきなわワールドでエイサーを楽しみ、珊瑚ビールで喉を潤す。

5いいね!

2022/12/12 - 2022/12/12

525位(同エリア676件中)

旅行記グループ 2022沖縄周遊5日間の旅

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kojikoji

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「おきなわワールド」の中にある「玉泉洞」の見学が終わるとようやく地上に出られます。ここから熱帯植物園を通り抜けて、いくつもの工房を通り抜けて劇場に向かいます。ここではエイサーショーを観ることが出来るからですが、着いてみると座席はほぼ埋まっていました。最後尾の席から見学しましたが、途中からは少しコメディタッチになってきたので早々に切り上げてしまいました。今回「琉球村」では時間の関係でエイサーを見ることが出来ませんでしたのでここでのエイサーを楽しみにしていました。これにはちょっと残念でした。早めにここで醸造されている地ビールのレストランに入って生ビールをいただきます。おつまみはピザとフライドポテトとビールによく合います。お昼を食べた後はデザートにマンゴーソフトクリームもいただきます。お腹がいっぱいになったところで、王国歴史博物館の見学もしてみました。沖縄に来ても博物館に行くようなツアーはほとんど無いので、このような場所はツアーで来る客には貴重です。いろいろ学びもありました。2時間30分の自由時間もあっという間に終わってしまい、午後も沖縄南部の観光が続きます。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス タクシー ANAグループ 徒歩
利用旅行会社
阪急交通社

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  • 45分ほどかけて「玉泉洞」の見学を終えると歩き疲れて喉が渇いていました。地上に出てきたところに地下水を飲めるスタンドがありました。これは嬉しいサービスです。

    45分ほどかけて「玉泉洞」の見学を終えると歩き疲れて喉が渇いていました。地上に出てきたところに地下水を飲めるスタンドがありました。これは嬉しいサービスです。

    おきなわワールド文化王国 玉泉洞 名所・史跡

  • 「玉泉洞」を出たところからは最初の入り口に戻るように「おきなわワールド」の園内を見学して周ります。まずは「熱帯フルーツ園」が出迎えてくれます。

    「玉泉洞」を出たところからは最初の入り口に戻るように「おきなわワールド」の園内を見学して周ります。まずは「熱帯フルーツ園」が出迎えてくれます。

  • 熟したカカオの実を見るとスリランカを妻と2人で2週間かけて旅したことを思い出します。キャンディに向かう途中に立ち寄った「スパイス・ガーデン」は果物もいっぱいでしたが、レストランのランチが最高に美味しかったのでよく覚えています。

    熟したカカオの実を見るとスリランカを妻と2人で2週間かけて旅したことを思い出します。キャンディに向かう途中に立ち寄った「スパイス・ガーデン」は果物もいっぱいでしたが、レストランのランチが最高に美味しかったのでよく覚えています。

  • 今回のツアーには含まれていませんでしたが、名護の「パイナップル・ガーデン」も面白かったです。

    今回のツアーには含まれていませんでしたが、名護の「パイナップル・ガーデン」も面白かったです。

  • 12月という季節のせいか果物は少なかったですが、スターフルーツはたわわに生っていました。生食するにはもう少し黄色くなった方が美味しいです。

    12月という季節のせいか果物は少なかったですが、スターフルーツはたわわに生っていました。生食するにはもう少し黄色くなった方が美味しいです。

  • 釈迦頭も好きな果物です。バンレイシとかシュガーアップルとも呼ばれます。以前台湾の台東県太麻里郷美和村へ行った際に名産の釈迦頭を買い求めましたが、甘くておいしかった記憶があります。

    釈迦頭も好きな果物です。バンレイシとかシュガーアップルとも呼ばれます。以前台湾の台東県太麻里郷美和村へ行った際に名産の釈迦頭を買い求めましたが、甘くておいしかった記憶があります。

  • 大きなシトロンも生っていました。案内板にはシトロンとありましたが、文旦ではないでしょうか。由来は広東と長崎を行き来する貿易船が難破して鹿児島県の阿久根に漂着し、船長の謝文旦から救助のお礼に贈られたといいわれます。日本伝来の地は阿久根市とされ、生産量も多いようです。

    大きなシトロンも生っていました。案内板にはシトロンとありましたが、文旦ではないでしょうか。由来は広東と長崎を行き来する貿易船が難破して鹿児島県の阿久根に漂着し、船長の謝文旦から救助のお礼に贈られたといいわれます。日本伝来の地は阿久根市とされ、生産量も多いようです。

  • タンカンには「桶柑」の字があてられ、中国で行商人が木桶で持ち歩いたがこの由来とされます。ポンカンとネーブルオレンジの自然交配種が起源とされ、10月に行った奄美大島では「アランガチの滝」の帰りに農家のおばさんにいただいた思い出があります。

    タンカンには「桶柑」の字があてられ、中国で行商人が木桶で持ち歩いたがこの由来とされます。ポンカンとネーブルオレンジの自然交配種が起源とされ、10月に行った奄美大島では「アランガチの滝」の帰りに農家のおばさんにいただいた思い出があります。

  • バナナもたわわに生っています。収穫された跡がちょっと不気味な感じがします。この幹1本でどれだけのバナナが収穫されたのでしょうか。

    バナナもたわわに生っています。収穫された跡がちょっと不気味な感じがします。この幹1本でどれだけのバナナが収穫されたのでしょうか。

  • 沖縄の伝統的な行事の1つに「旗頭(はたがしら)」があります。古くから綱引きの行事の際に、その応援として披露されていたそうです。旗頭で使われる「幟」は竿の長さは21尺(約6.3メートル)が基準とされていて、先端に付けられる「とぅーるー(灯籠)」、その周囲を囲う「ごう」と呼ばれる輪、旗ととぅーるーを区切るように「さんまー」が付けられます。この「とぅーるー」の部分まで含めると、実に24尺(7.3メートル)にもなります。

    沖縄の伝統的な行事の1つに「旗頭(はたがしら)」があります。古くから綱引きの行事の際に、その応援として披露されていたそうです。旗頭で使われる「幟」は竿の長さは21尺(約6.3メートル)が基準とされていて、先端に付けられる「とぅーるー(灯籠)」、その周囲を囲う「ごう」と呼ばれる輪、旗ととぅーるーを区切るように「さんまー」が付けられます。この「とぅーるー」の部分まで含めると、実に24尺(7.3メートル)にもなります。

    おきなわワールド テーマパーク

  • いくつかの工房を素通りしながら劇場にたどり着きましたが、既にエイサーは始まっていました。

    いくつかの工房を素通りしながら劇場にたどり着きましたが、既にエイサーは始まっていました。

  • 劇場はほぼ満席なので、一番後ろの席に座りました。今回「琉球村」にも立ち寄りましたが、エイサーの開演時間と自由時間が合わなくて観ることが出来ませんでした。なのでここでのエイサーを楽しみにしていました。

    劇場はほぼ満席なので、一番後ろの席に座りました。今回「琉球村」にも立ち寄りましたが、エイサーの開演時間と自由時間が合わなくて観ることが出来ませんでした。なのでここでのエイサーを楽しみにしていました。

  • エイサーは沖縄県と鹿児島県の奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能で、この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩きます。エイサーの由来は、浄土宗系の念仏歌に挟まれる囃子の1つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から来ているそうです。

    エイサーは沖縄県と鹿児島県の奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能で、この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩きます。エイサーの由来は、浄土宗系の念仏歌に挟まれる囃子の1つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から来ているそうです。

  • エイサーの太鼓の合間に琉球舞踊も見ることが出来ました。女踊りの「四つ竹(ゆつぃだき)」は四つ竹という打楽器の澄んだ響きに合わせ華やかな衣装と大輪の花笠を被って演じられる祝儀舞踊です。

    エイサーの太鼓の合間に琉球舞踊も見ることが出来ました。女踊りの「四つ竹(ゆつぃだき)」は四つ竹という打楽器の澄んだ響きに合わせ華やかな衣装と大輪の花笠を被って演じられる祝儀舞踊です。

  • 両手に持つ四つ竹は歩行と一致させながら、2拍に1回の感覚で終始同じ調子で打ち続け、舞台を清らかな余韻で包み込みます。

    両手に持つ四つ竹は歩行と一致させながら、2拍に1回の感覚で終始同じ調子で打ち続け、舞台を清らかな余韻で包み込みます。

  • 楽器の四つ竹は両手に2枚づつ、合計4枚の竹片を持つことからその名前が付けられています。2枚の竹片をカスタネットのように打ち合わせて音を出します。

    楽器の四つ竹は両手に2枚づつ、合計4枚の竹片を持つことからその名前が付けられています。2枚の竹片をカスタネットのように打ち合わせて音を出します。

  • 6年前に来た際は琉球料理の料亭に行きたかったのですが、休みの日に当たってしまい、琉球料理「四つ竹」の予約をしました。料理をいただきながら琉球舞踊を観ることが出来ました。

    6年前に来た際は琉球料理の料亭に行きたかったのですが、休みの日に当たってしまい、琉球料理「四つ竹」の予約をしました。料理をいただきながら琉球舞踊を観ることが出来ました。

  • 今回は同じ過ちをしないように旅行前にこの日の晩は「美榮」という料亭を予約してあります。残念なのは母を連れてこれなかったことです。

    今回は同じ過ちをしないように旅行前にこの日の晩は「美榮」という料亭を予約してあります。残念なのは母を連れてこれなかったことです。

  • 琉球舞踊はあっという間に終わり、再びエイサーの太鼓が鳴り響きます。

    琉球舞踊はあっという間に終わり、再びエイサーの太鼓が鳴り響きます。

  • 唄三線に合わせて大太鼓や締太鼓の演奏は豪快です。

    唄三線に合わせて大太鼓や締太鼓の演奏は豪快です。

  • 人数が少ないせいか前回「琉球村」で観たエイサーの方が迫力があったような気がします。

    人数が少ないせいか前回「琉球村」で観たエイサーの方が迫力があったような気がします。

  • 獅子舞は神事や民俗芸能として広くアジア全域にまたがって分布しています。沖縄の獅子舞は旧暦6月から8月にかけての旧盆や豊年祭におこなわれ、悪霊を払い世果報を招来し、五穀豊穣と集落の繁栄を祈願します。

    獅子舞は神事や民俗芸能として広くアジア全域にまたがって分布しています。沖縄の獅子舞は旧暦6月から8月にかけての旧盆や豊年祭におこなわれ、悪霊を払い世果報を招来し、五穀豊穣と集落の繁栄を祈願します。

  • 2人で1匹の獅子を演じていますが、呼吸するように上下し、尻尾を振り、ときには寝転がったりと、生き物として違和感のない動きが人が入っていることを忘れさせてくれます。

    2人で1匹の獅子を演じていますが、呼吸するように上下し、尻尾を振り、ときには寝転がったりと、生き物として違和感のない動きが人が入っていることを忘れさせてくれます。

  • 沖縄の獅子舞は中国から伝承されたという説が有力ですが、木彫りの頭や麻と芭蕉の繊維でできた胴体の作りの特徴から、インドやインドネシアなどの影響も受けていると考えられます。海洋民族の琉球の民、さまざまな国々との交流の中で獅子舞文化を育んできました。沖縄最古の獅子舞は那覇市首里汀良町の獅子舞で、約500年の歴史があるとされます。尚巴志が首里城を築くと同時に踊り手を集め、汀良町に移住させたのが始まりと伝えられており、三殿内や聞得大君御殿の神事で演じられました。

    沖縄の獅子舞は中国から伝承されたという説が有力ですが、木彫りの頭や麻と芭蕉の繊維でできた胴体の作りの特徴から、インドやインドネシアなどの影響も受けていると考えられます。海洋民族の琉球の民、さまざまな国々との交流の中で獅子舞文化を育んできました。沖縄最古の獅子舞は那覇市首里汀良町の獅子舞で、約500年の歴史があるとされます。尚巴志が首里城を築くと同時に踊り手を集め、汀良町に移住させたのが始まりと伝えられており、三殿内や聞得大君御殿の神事で演じられました。

  • 獅子が舞うことにより悪霊を祓い、弥勒世(理想郷)を招来し、五穀豊穣や地域の繁栄をもたらすと考えられます。この獅子舞の舞手は2人とも女性でした。

    獅子が舞うことにより悪霊を祓い、弥勒世(理想郷)を招来し、五穀豊穣や地域の繁栄をもたらすと考えられます。この獅子舞の舞手は2人とも女性でした。

  • 次に八重山のアンガマーの面をかぶったおじいさんとおばあさん現れ、獅子と絡み合います。

    次に八重山のアンガマーの面をかぶったおじいさんとおばあさん現れ、獅子と絡み合います。

  • おじいさんが”ウシュマイ”で、おばあさんが”ンミ”です。酒を飲みながらコミカルな動きをします。

    おじいさんが”ウシュマイ”で、おばあさんが”ンミ”です。酒を飲みながらコミカルな動きをします。

  • この辺りで残り時間も無くなってきたので劇場を後にします。

    この辺りで残り時間も無くなってきたので劇場を後にします。

  • すぐ脇にある南都酒造所で造られた珊瑚ビールをいただきます。このビールは「玉泉洞」の地下100メートルから汲み上げた水を使っています。

    すぐ脇にある南都酒造所で造られた珊瑚ビールをいただきます。このビールは「玉泉洞」の地下100メートルから汲み上げた水を使っています。

  • まずは乾いた喉を潤します。飲み口のすっきりした美味しいビールです。

    まずは乾いた喉を潤します。飲み口のすっきりした美味しいビールです。

  • つまみはアグー豚の乗ったピザやフライドポテトなどをいただきました。

    つまみはアグー豚の乗ったピザやフライドポテトなどをいただきました。

  • いただいたのはこのアルト。

    いただいたのはこのアルト。

  • そしてインディア・ペール・エールでした。

    そしてインディア・ペール・エールでした。

  • 食事の後は園内を散策します。いろいろな建物が点在し、伝統工芸品が展示してあったり。琉球王国時代以来の伝統的な型染の「紅型」は昔から興味がありました「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指していると言われる。この定義をしたのは鎌倉芳太郎と伊波普猷とする説があるが、鎌倉芳太郎が1924年に初めて使用したと以前にTVで見たことがあります。第2次世界大戦で多くの型紙や道具が焼失し、一部の型紙は鎌倉芳太郎により本土へ渡り保管されていました。戦後、それら型紙を分けてもらい紅型復興に尽力したのが、王朝時代からびんがた宗家として染物業に従事してきた城間家の城間栄喜と知念家の知念績弘でした。

    食事の後は園内を散策します。いろいろな建物が点在し、伝統工芸品が展示してあったり。琉球王国時代以来の伝統的な型染の「紅型」は昔から興味がありました「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指していると言われる。この定義をしたのは鎌倉芳太郎と伊波普猷とする説があるが、鎌倉芳太郎が1924年に初めて使用したと以前にTVで見たことがあります。第2次世界大戦で多くの型紙や道具が焼失し、一部の型紙は鎌倉芳太郎により本土へ渡り保管されていました。戦後、それら型紙を分けてもらい紅型復興に尽力したのが、王朝時代からびんがた宗家として染物業に従事してきた城間家の城間栄喜と知念家の知念績弘でした。

  • 読谷山花織(よみたんざんはなおり)は沖縄県中頭郡読谷村で作られている織物です。その特徴は織り地に先染めされた糸で花のような幾何学模様の文様を織り込んでいることです。素材は絹糸もしくは綿糸を用い、染める素材は琉球藍や福木(ふくぎ)やすおうなどを用いて染められます。伝統的な読谷山花織は琉球藍で染められた紺地に赤や黄、白色などで花模様を表します。花模様は基本的な単位の図柄が決まっていて、それぞれに意味があります。「ジンバナ(銭花)」と呼ばれる銭に似せた花模様は裕福になるように、「オージバナ(扇花)」は末広がりの扇の模様が子孫繁栄を表しています。また「カジマヤーバナ(風車花)」は沖縄の風習にならって長寿を祝う風車の形をしています。

    読谷山花織(よみたんざんはなおり)は沖縄県中頭郡読谷村で作られている織物です。その特徴は織り地に先染めされた糸で花のような幾何学模様の文様を織り込んでいることです。素材は絹糸もしくは綿糸を用い、染める素材は琉球藍や福木(ふくぎ)やすおうなどを用いて染められます。伝統的な読谷山花織は琉球藍で染められた紺地に赤や黄、白色などで花模様を表します。花模様は基本的な単位の図柄が決まっていて、それぞれに意味があります。「ジンバナ(銭花)」と呼ばれる銭に似せた花模様は裕福になるように、「オージバナ(扇花)」は末広がりの扇の模様が子孫繁栄を表しています。また「カジマヤーバナ(風車花)」は沖縄の風習にならって長寿を祝う風車の形をしています。

  • 妻の興味はすっかりマンゴーソフトクリームに行ってしまっています。

    妻の興味はすっかりマンゴーソフトクリームに行ってしまっています。

  • ところがこれが絶品で、台湾で食べたマンゴーかき氷よりもおいしかったです。

    ところがこれが絶品で、台湾で食べたマンゴーかき氷よりもおいしかったです。

  • あまり時間はありませんが、妻と一緒にいるとまったりとした時間が流れます。

    あまり時間はありませんが、妻と一緒にいるとまったりとした時間が流れます。

  • 最後に「王国歴史博物館」に入ってみます。沖縄には何度も来ていますが、博物館に入ったことはありません。

    最後に「王国歴史博物館」に入ってみます。沖縄には何度も来ていますが、博物館に入ったことはありません。

  • 入り口には一対の石獅子が置かれてあります。左が鞠抱き獅子で、右が子抱き獅子です。

    入り口には一対の石獅子が置かれてあります。左が鞠抱き獅子で、右が子抱き獅子です。

  • この獅子は中国の明時代に造られたものといわれ、当時の石彫りの特徴である線彫りの手法で毛並みが表現され、口は横に真一文字になっています。

    この獅子は中国の明時代に造られたものといわれ、当時の石彫りの特徴である線彫りの手法で毛並みが表現され、口は横に真一文字になっています。

  • 「荒焼獅子」宜保次郎<br />酒甕、水甕、味噌甕など大型の貯蔵容器から、すり鉢や小型の升瓶のようなものまで、焼き締めや泥漿・マンガンを掛けた陶器を総称して「荒焼(アラヤチ)」と呼びます。宜保次郎はシーサー作りを得意とした荒焼の陶工で、石川家の工房で働き始め、16歳で城間康昌に師事し、シーサー作りも康昌氏から習いました。戦後に沖縄陶器株式会社で製作している時は主に酒壺などを製作していました。独立後は シーサーを中心に作陶し、玉乗りシーサー、逆立ちシーサー、親子シーサーなど、 独自の工夫で作陶しました。

    「荒焼獅子」宜保次郎
    酒甕、水甕、味噌甕など大型の貯蔵容器から、すり鉢や小型の升瓶のようなものまで、焼き締めや泥漿・マンガンを掛けた陶器を総称して「荒焼(アラヤチ)」と呼びます。宜保次郎はシーサー作りを得意とした荒焼の陶工で、石川家の工房で働き始め、16歳で城間康昌に師事し、シーサー作りも康昌氏から習いました。戦後に沖縄陶器株式会社で製作している時は主に酒壺などを製作していました。独立後は シーサーを中心に作陶し、玉乗りシーサー、逆立ちシーサー、親子シーサーなど、 独自の工夫で作陶しました。

  • 「セメント獅子」<br />シーサーのモデルとなった獅子が古代オリエントからシルクロード、中国を経て沖縄へと伝わったのは、13世紀から14世紀頃だといわれています。「シーサー」という名は、「獅子」を沖縄の言葉で発音したもので、八重山地方では「シーシー」ともいいます。素材も陶器以外に漆喰を使ったり、加工しやすいセメントが使われました。

    「セメント獅子」
    シーサーのモデルとなった獅子が古代オリエントからシルクロード、中国を経て沖縄へと伝わったのは、13世紀から14世紀頃だといわれています。「シーサー」という名は、「獅子」を沖縄の言葉で発音したもので、八重山地方では「シーシー」ともいいます。素材も陶器以外に漆喰を使ったり、加工しやすいセメントが使われました。

  • 「漆喰獅子」大城幸祐<br />沖縄の漆喰とは石灰岩を焼成した後にできる生石灰に水とワラを混ぜ合わせ発酵させたもので、赤瓦屋根の接着剤として使われます。漆喰シーサーは赤瓦の破片を組み合わせて骨組みを作り、その漆喰を塗り込みながら成形していきます。

    「漆喰獅子」大城幸祐
    沖縄の漆喰とは石灰岩を焼成した後にできる生石灰に水とワラを混ぜ合わせ発酵させたもので、赤瓦屋根の接着剤として使われます。漆喰シーサーは赤瓦の破片を組み合わせて骨組みを作り、その漆喰を塗り込みながら成形していきます。

  • もともとは瓦を葺いた後、瓦葺き職人が家主へのお礼と、厄払いや魔除けの意味を込めて作られていました。漆喰屋根シーサーの魅力は、屋根といっしょに風化していくところにあります。

    もともとは瓦を葺いた後、瓦葺き職人が家主へのお礼と、厄払いや魔除けの意味を込めて作られていました。漆喰屋根シーサーの魅力は、屋根といっしょに風化していくところにあります。

  • 「漆喰獅子」大城孝仁<br />上の写真の大城幸祐の息子さんです。大城屋根瓦左官の3代目と4代目で、瓦職人の家系です。

    「漆喰獅子」大城孝仁
    上の写真の大城幸祐の息子さんです。大城屋根瓦左官の3代目と4代目で、瓦職人の家系です。

  • 陶器製のシーサーの力強い迫力も良いですが、漆喰獅子の素朴で愛嬌のある姿も魅力的です。

    陶器製のシーサーの力強い迫力も良いですが、漆喰獅子の素朴で愛嬌のある姿も魅力的です。

  • 「獅子頭」<br />シーサーを模したもので、旧暦の8月15日の夜に邪気を払うための獅子舞の演武で使用します。材質はデイゴなどの軽い木材が使われ、体は馬の尾や芭蕉の繊維で出来ています。獅子舞も仏教の伝来と関わり、中国から伝わったといわれています。

    「獅子頭」
    シーサーを模したもので、旧暦の8月15日の夜に邪気を払うための獅子舞の演武で使用します。材質はデイゴなどの軽い木材が使われ、体は馬の尾や芭蕉の繊維で出来ています。獅子舞も仏教の伝来と関わり、中国から伝わったといわれています。

  • 「獅子」島袋常栄<br />伝統工芸士の島袋常栄(しまぶくろじょうえい)の造るシーサーは手間暇かけ丁寧にな作業で、1つ1つが個性的で愛嬌のある表情が特長的です。壷屋やちむん通りの島袋陶器所へは依然立ち寄ったことがあり、欲しいなと思った作家でもあります。

    「獅子」島袋常栄
    伝統工芸士の島袋常栄(しまぶくろじょうえい)の造るシーサーは手間暇かけ丁寧にな作業で、1つ1つが個性的で愛嬌のある表情が特長的です。壷屋やちむん通りの島袋陶器所へは依然立ち寄ったことがあり、欲しいなと思った作家でもあります。

  • 「対獅子」石川喜進<br />大正9年の1920年に那覇の壷屋に生まれ荒焼(あらやち)の窯元の7代目で、9歳の頃から見よう見まねでシーサーを作り、15歳で家業に入っています。作家などといわれることを拒み、あくまでも「シェーク(職人)」だといったそうです。

    「対獅子」石川喜進
    大正9年の1920年に那覇の壷屋に生まれ荒焼(あらやち)の窯元の7代目で、9歳の頃から見よう見まねでシーサーを作り、15歳で家業に入っています。作家などといわれることを拒み、あくまでも「シェーク(職人)」だといったそうです。

  • 「獅子」新垣光雄<br />「沖縄ワールド」の入り口に置かれていた3種5体の「獅子吼の塔」の最上段の獅子の模型です。

    「獅子」新垣光雄
    「沖縄ワールド」の入り口に置かれていた3種5体の「獅子吼の塔」の最上段の獅子の模型です。

  • 「ちぶるシーサー(頭獅子)」島常賀<br />「ちぶる」とは沖縄方言で「頭」という意味です。島常賀は金城次郎と並ぶ名工で、人間国宝にもなっています。獅子の額に「王」の文字がありますが、これだとトラになる気がします。

    「ちぶるシーサー(頭獅子)」島常賀
    「ちぶる」とは沖縄方言で「頭」という意味です。島常賀は金城次郎と並ぶ名工で、人間国宝にもなっています。獅子の額に「王」の文字がありますが、これだとトラになる気がします。

  • 「焼締陶板獅子」島常賀<br />この作品にも魅了されました。上部に縄の結び目が見えるので壁に掛けるタイプの獅子だということが分かります。荒焼の地に掛けた白と緑の釉薬の具合も良いです。

    「焼締陶板獅子」島常賀
    この作品にも魅了されました。上部に縄の結び目が見えるので壁に掛けるタイプの獅子だということが分かります。荒焼の地に掛けた白と緑の釉薬の具合も良いです。

  • 「焼締逆立ち獅子」宜保二郎

    「焼締逆立ち獅子」宜保二郎

  • 三線(さんしん)の名工である又吉真栄の作品が展示してありました。天の部分には独自に制作されたマテーシー千鳥という千鳥が飛び立つ様子をイメージした螺鈿の鶏があしらわれています。

    三線(さんしん)の名工である又吉真栄の作品が展示してありました。天の部分には独自に制作されたマテーシー千鳥という千鳥が飛び立つ様子をイメージした螺鈿の鶏があしらわれています。

  • ニシキヘビの皮が張られたチーガ(胴)も美しいです。奄美大島の名瀬港の近くの「58(ごっぱち)」という居酒屋で食事をしていたら流しの方が来て三線の演奏が始まりました。その音色も素晴らしかったのですが、一緒に踊り始めた地元の会社員のお兄さんのカチャーシーが素晴らしかったことを思い出します。

    ニシキヘビの皮が張られたチーガ(胴)も美しいです。奄美大島の名瀬港の近くの「58(ごっぱち)」という居酒屋で食事をしていたら流しの方が来て三線の演奏が始まりました。その音色も素晴らしかったのですが、一緒に踊り始めた地元の会社員のお兄さんのカチャーシーが素晴らしかったことを思い出します。

  • 少し前に弘前で津軽三味線を聞いたばかりで、とても興味深く見ることが出来ました。以前は興味のなかったジャンルも、歳を重ねるごとに変わってくるものだと考えることが多くなりました。

    少し前に弘前で津軽三味線を聞いたばかりで、とても興味深く見ることが出来ました。以前は興味のなかったジャンルも、歳を重ねるごとに変わってくるものだと考えることが多くなりました。

  • 東道盆(とぅんだあぶん)には「みぬだる」、「昆布巻き」、「魚(白身)の天ぷら」、「花いか」などの料理が盛られています。この日の夜は那覇の「美栄」という琉球料理の店を予約してあるので楽しみになってきます。

    東道盆(とぅんだあぶん)には「みぬだる」、「昆布巻き」、「魚(白身)の天ぷら」、「花いか」などの料理が盛られています。この日の夜は那覇の「美栄」という琉球料理の店を予約してあるので楽しみになってきます。

  • 「窓絵浮彫獅子耳付大花瓶」<br />1900年代の壺屋焼きの作品です。元々は中国の青花の時期の構図をこのような立体にしたのでしょうか。

    「窓絵浮彫獅子耳付大花瓶」
    1900年代の壺屋焼きの作品です。元々は中国の青花の時期の構図をこのような立体にしたのでしょうか。

  • 耳に施された獅子も小さいながらすごい迫力です。大好きな京焼の作家の五代清風与平の手づくねを思い出させますが、完成度はこちらの方が高いです。

    耳に施された獅子も小さいながらすごい迫力です。大好きな京焼の作家の五代清風与平の手づくねを思い出させますが、完成度はこちらの方が高いです。

  • 「獅子牡丹模様盛付花瓶」<br />壺や花瓶などの形に粘土を成形した後、粘土で成形したものを貼りつけ模様としていく技法です。

    「獅子牡丹模様盛付花瓶」
    壺や花瓶などの形に粘土を成形した後、粘土で成形したものを貼りつけ模様としていく技法です。

  • 立体的な獅子が迫力ある造形で吼えています。

    立体的な獅子が迫力ある造形で吼えています。

  • 「厨子甕」<br />厨子甕の装飾に利用されるイメージは、生産地や材質、利用者の社会的地位や居住地などによって膨大な量のバリエーションを生み出しています。壺屋で作製された陶製の厨子甕の場合は仏教僧あるいは地蔵菩薩を思わせる人物像が、獅子や龍や蓮華などの模様に取り囲まれながら貼り付けられています。

    「厨子甕」
    厨子甕の装飾に利用されるイメージは、生産地や材質、利用者の社会的地位や居住地などによって膨大な量のバリエーションを生み出しています。壺屋で作製された陶製の厨子甕の場合は仏教僧あるいは地蔵菩薩を思わせる人物像が、獅子や龍や蓮華などの模様に取り囲まれながら貼り付けられています。

  • 「厨子甕」<br />上の写真の三彩の釉薬も美しいですが、このような群青の一色の釉も美しいです。40年前から欲しいと思っていますが、未だに買う機会はありません。

    「厨子甕」
    上の写真の三彩の釉薬も美しいですが、このような群青の一色の釉も美しいです。40年前から欲しいと思っていますが、未だに買う機会はありません。

  • 「呉須御殿型厨子甕」<br />御殿型の厨子甕は2日目に行った「座喜味城址」でも見ることが出来ましたが、この御殿も精緻な細工が見事です。

    「呉須御殿型厨子甕」
    御殿型の厨子甕は2日目に行った「座喜味城址」でも見ることが出来ましたが、この御殿も精緻な細工が見事です。

  • 62年前に生まれた際は京都の曾祖母が「お食い初め」の茶碗と湯呑みを誂えてくれ、結婚式の際の「睦揃い」は大叔父の時代の誂えでした。澤村陶哉の2代に渡る特注で、次に必要な「骨壺」を3代目の叔父に頼もうかと思っています。デザインを同じにしようとすると染付の鶴に赤巻きの上に金彩になってしまいます。叔母に話したら縁起でもないから骨壺なんてやめなさい!と怒られましたっけ。

    62年前に生まれた際は京都の曾祖母が「お食い初め」の茶碗と湯呑みを誂えてくれ、結婚式の際の「睦揃い」は大叔父の時代の誂えでした。澤村陶哉の2代に渡る特注で、次に必要な「骨壺」を3代目の叔父に頼もうかと思っています。デザインを同じにしようとすると染付の鶴に赤巻きの上に金彩になってしまいます。叔母に話したら縁起でもないから骨壺なんてやめなさい!と怒られましたっけ。

  • 「絹黄地紅型踊り着物」名渡山愛順(などやまあいじゅん)<br />那覇生まれの洋画家ですが、昭和19年の1944年の那覇大空襲で全作品が焼失しています。昭和25年の1950年に豊平良顕を中心に「琉球紅型研究会」を発足しています。

    「絹黄地紅型踊り着物」名渡山愛順(などやまあいじゅん)
    那覇生まれの洋画家ですが、昭和19年の1944年の那覇大空襲で全作品が焼失しています。昭和25年の1950年に豊平良顕を中心に「琉球紅型研究会」を発足しています。

  • 沖縄県内の染色工芸もこのようにマップにするとその種類や技術の違いを改めて知ることが出来ます。

    沖縄県内の染色工芸もこのようにマップにするとその種類や技術の違いを改めて知ることが出来ます。

  • 「芭蕉経紋着物」<br />沖縄本島北部の大宜味村喜如嘉で作られている「喜如嘉の芭蕉布」が有名ですが、40年前に工房を見学させてもらいました。その頃は興味が無くて何も買い求めませんでしたが、叔母に「あんた、何してんねん。」と言われて、失敗したかなと今も思い続けています。

    「芭蕉経紋着物」
    沖縄本島北部の大宜味村喜如嘉で作られている「喜如嘉の芭蕉布」が有名ですが、40年前に工房を見学させてもらいました。その頃は興味が無くて何も買い求めませんでしたが、叔母に「あんた、何してんねん。」と言われて、失敗したかなと今も思い続けています。

  • 「琉球絣」<br />80年前に織られたバンジョー柄の絣です。当時の士族がお祝いの際に打掛として使用したものです。糸の染め方や織り方の加減によって、図柄のエッジがわずかにかすれたようになることから「かすり」と呼ばれます。

    「琉球絣」
    80年前に織られたバンジョー柄の絣です。当時の士族がお祝いの際に打掛として使用したものです。糸の染め方や織り方の加減によって、図柄のエッジがわずかにかすれたようになることから「かすり」と呼ばれます。

  • 「房指輪」<br />7つの飾りが付いた銀の指輪です。王族や貴族の女性が結婚する際に花嫁道具として親から娘に贈られました。王朝時代が過ぎ、古式ゆたかな婚礼指輪が陽の目をみたのは1960年代になってからです。陶芸家の濱田庄司から6代目又吉誠睦に手渡された原型をもとに復元されました。細かく繋がれた鎖、素朴な形の七飾り、3つの指輪で構成されていて、7つの飾りは中国の吉祥文様や、沖縄の文化や風土、祀りごとを表したのもが多く用いられています。右から魚は食べ物に困らないように、ザクロは子孫繁栄、桃は不老長寿、扇は末広がりの福、花は生活の彩り、葉は着るものに困らないように、蝶は天国の使者を表します。

    「房指輪」
    7つの飾りが付いた銀の指輪です。王族や貴族の女性が結婚する際に花嫁道具として親から娘に贈られました。王朝時代が過ぎ、古式ゆたかな婚礼指輪が陽の目をみたのは1960年代になってからです。陶芸家の濱田庄司から6代目又吉誠睦に手渡された原型をもとに復元されました。細かく繋がれた鎖、素朴な形の七飾り、3つの指輪で構成されていて、7つの飾りは中国の吉祥文様や、沖縄の文化や風土、祀りごとを表したのもが多く用いられています。右から魚は食べ物に困らないように、ザクロは子孫繁栄、桃は不老長寿、扇は末広がりの福、花は生活の彩り、葉は着るものに困らないように、蝶は天国の使者を表します。

  • 小さな博物館でしたが、興味深いものがたくさんありました。次回那覇に来るときはちゃんと博物館などを見学したいと思います。「おきなわワールド」の見学はこの後ハブやウミヘビなど爬虫類を見て終わりました。沖縄南部の旅はまだ続きます。

    小さな博物館でしたが、興味深いものがたくさんありました。次回那覇に来るときはちゃんと博物館などを見学したいと思います。「おきなわワールド」の見学はこの後ハブやウミヘビなど爬虫類を見て終わりました。沖縄南部の旅はまだ続きます。

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2022沖縄周遊5日間の旅

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