2022/12/10 - 2022/12/10
1647位(同エリア4182件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1759冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,459,075アクセス
- フォロワー169人
ツアー2日目です。前の晩に早く寝てしまったので必然的に早く目が覚めてしまい、海岸まで散歩に出てみます。初めは薄暗かった空もだんだんミルク色に変わり、快晴にはならなくても天気が回復していることが分かります。巨大なホテルの館内を通って部屋に戻るのが面倒になり、電話をして妻と待ち合わせて「シーサイドレストラン 谷茶ベイ」に向かいます。夕食も美味しかっただけあって、朝食もメニューが豊富で料理も美味しかったです。食後はデザートとコーヒーを持って表のテラス席に出ると、ようやく沖縄に来た気分になってきました。沖合にはA”LINEのフェリーが北に向かっていきます。いくつかの島を渡って10月に行った奄美大島の名瀬港にも立ち寄るかと思うと、いつか乗ってみたい航路のランキングの上位に上がってきます。それと6年前に母と妻と沖縄に来たときに、残波岬の沖合にも見えていたことも思い出します。ツアーは午前9時に出発ですが、広いロビーのどこに集合するのか添乗員が伝えていないのでバラバラです。せめて旗を持って誘導してくれたらと思います。この日最初の立ち寄り先は「御菓子御殿 読谷本店」でした。目の前には前回の旅で泊まった「Royal Hotel 沖縄残波岬」がそびえていて懐かしく思えます。御菓子御殿には前にも来たことがありますが、「DINO恐竜PARKやんばる亜熱帯の森」のある名護店だったので森を歩いているだけで終わってしまいました。ここで初めてじっくり工場を見学しましたが、「チャーリーとチョコレート工場」を思い出しました。次は「座喜味城跡」の見学でした。ここも前回の旅で立ち寄っていますが、博物館側が工事中だったかで、裏側から延々と歩いた記憶が蘇ります。妻はその時の記憶が残っていて、城跡には行かないと言い出しますが、なだめすかして、石垣の上から残波岬を眺めることが出来ました。そして近くにある「琉球村」にも立ち寄りました。以前はここの2階にあるレストランでアグー豚シャブシャブをいただいて、美味しかったのでふるさと納税で取り寄せたほどでしたが、そのレストランも閉められているようです。エイサーを見る時間は無いので、古い民家を見学して泡盛の工場を見るだけで1時間が過ぎてしまいます。ここでしか売っていない泡盛の古酒を買い求めて、ツアーバスは次の目的地に進みます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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前の晩に早く寝てしまったので爽やかな目覚めでした。まだ表は薄暗いですが、ホテルの敷地内の散歩に出てみました。
リザンシーパークホテル谷茶ベイ 宿・ホテル
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1階の「シーサイドレストラン 谷茶ベイ」という朝食のレストランは開店と同時にほぼ満席のようです。少し時間をずらして食事しようと思います。
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海岸の砂浜には朝ご飯を終えた修学旅行の高校生が波と戯れています。4つくらいの高校が泊っていたようですが、食事をするレストランも別なので、お土産物屋さんでしか出会うことはありません。
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前の晩が2022年最後の満月だったと友人がLINEで教えてくれました。雨が止んだ朝になって月が見えました。
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高校生の頃に買ったダイア―・ストレイツというロックバンドの「コミュニケ」というアルバムのジャケットを思い出すような風景です。マーク・ノップラー の ボーカルとギターがカッコよかった!
https://www.youtube.com/watch?v=oBP1tSgyluI&list=OLAK5uy_n3VXABXkY7TjjsJbTKnE6dOWQGM-X79cI&index=2 -
だんだん空が明るくなってきて、それと同時に海の色も変わってきました。
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ブーゲンビリアも色濃く咲いています。ハイビスカスはシーズンも終わりに近いのか色あせていました。
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海水浴シーズンの終わった海岸線はもの悲しい雰囲気です。そろそろ朝ご飯を食べないといけない時間なので、電話で妻を呼ぶことにします。ホテルの建物が広大なので部屋に戻るのが面倒になりました。
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遠すぎて種類は分かりませんでしたが、北に向かってたくさんの渡り鳥が飛んでいきます。
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妻と合流するころには混雑のピークも過ぎていました。和洋中のバイキングメニューです。
シーサイドレストラン・谷茶ベイ グルメ・レストラン
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普段は朝ご飯を食べませんが、旅先になると異様にお腹が減ってたくさん食べてしまいます。そして体重が増えてしまい、病院に行って先生に怒られます。11月と12月の旅が原因で数キロ増えてしまいました。
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食後のデザートとコーヒーは表のテラス席でいただきました。12月中旬と言っても沖縄はやっぱり暖かく、この日の最高気温は24℃でした。
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妻とクルーズ船で立ち寄ったサントリーニ島を思い出すギリシャ正教の聖堂の様な結婚式場も併設されています。
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沖合をA”LINEのフェリーが流れていきます。このフェリーは那覇港を出て本部港に向かっています。その後は与論島と沖永良部島を経て、10月に行った奄美大島の名瀬港に行くのだと思うと乗ってみたくなります。那覇と鹿児島間を約25時間で結んでいます。
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薄っすらと伊江島の城山(ぐすくやま)が見えました。3日目に行く「海洋博公園」からはきれいに見えると思います。
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海岸線に生えているアダンの木を見ると沖縄に来たのだなと実感します。と言いながら10月に行った奄美大島で見た田中一村の絵画も思い出してしまいます。
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2日目の出発は午前9時で、同じ時間にいくつものツアーが出発するようでロビーは混雑していました。他のツアーの添乗員さんは旗を立てているのでそこに人が集まりますが、トラピックスの5日間ツアーの添乗員はふらふら歩いているので、お客の方がお互いのバッチの色を確認して集まっていました。
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「リザンシーパークホテル谷茶ベイ」を出発した後は海岸線に沿って南下して「御菓子御殿 読谷本店」に向かいます。
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雲は多そうですが日差しは強く、沖縄らしい海の色を楽しめます。
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「御菓子御殿 読谷本店」には20分ほどで到着しました。ここへ来るのは初めてですが、御菓子御殿は沖縄本島にいくつもあるので、以前の旅でも立ち寄ったことがあります。名護店には「DINO恐竜PARK やんばる亜熱帯の森」という屋外の公園があり、そこの見学に出てしまったので工場を見学するのは初めてです。
御菓子御殿 恩納店 グルメ・レストラン
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美しい紅芋タルトがどんどん流れてきます。昔映画で見た「夢のチョコレート工場」は後にティム・バートン監督とジョニー・デップ主演で「チャーリーとチョコレート工場」になりました。
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一番好きな登場人物はウンパルンパで、ティム・バートン版ではディープ・ロイが165人全員のウンパルンパを演じています。流れる紅芋タルトを見ていると、その登場シーンと流れる音楽を思い出しました。
https://www.youtube.com/watch?v=FVo-ay2s27w -
ツアーの皆さんは沖縄県のクーポン券を利用して大量に買い物されていましたが、我が家は2個だけ買い求めました。おまけに塩ちんすこうを1個袋に入れてくれました。前回の沖縄本島の旅と石垣島の旅でも同じような写真を撮った記憶が蘇ります。
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御菓子御殿から「座喜味城跡」に向かう途中に前回宿泊した「Royal Hotel 沖縄残波岬」の白い建物が見えました。城跡の入り口には「高倉」が移設してありました。元々は沖永良部島にあったものだそうです。6本の柱にはトタン板が貼られ、ネズミなどの小動物が登れないようになっています。
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「座喜味城跡」には前回の旅でも来ましたが、このビジターセンター側が工事中でバスが停められず、北側にある座喜味城跡公園の公衆トイレの脇から歩いたのでとても疲れました。妻はそのことを覚えていて歩きたがりませんでしたが、なだめすかして手を引きます。
座喜味城跡 名所・史跡
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「厨子甕(じーしがーみ)」がいくつも公園の入り口に置かれてありました。沖縄では古来より死者を崖下や洞窟に運んで風葬にする風習があり、のちに風葬後に洗骨と呼ばれる遺体の骨を洗って、遺骨を蔵骨器に納める風習へと発展します。この蔵骨器が厨子甕と呼ばれます。
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石灰岩製の厨子甕はかなり古いもののようで、屋根は入母屋に本体には小さい窓のようなものが見えます。
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「赤焼御殿型厨子甕」
家型をした陶製厨子甕を御殿(うどぅん)型と呼びますが、赤焼御殿型厨子甕は御殿型の最初に出現するタイプです。時期は18世紀前半からで、それ以前の石厨子をそのまま陶製にしたような形をしています。蓋は屋根の形をしていて初期のものは入母屋で、胴部は前面に2体の法師像が張り付けられています。屋根には瓦は刻まれておらず、しゃちほこも小さめで形姿もまだ稚拙です。 -
「荒焼御殿型厨子甕」
赤焼御殿型の次に登場するタイプで、全面にマンガンを掛け黒っぽく焼締めしています。屋根のしゃちほこには鱗をつけ、胴部には法師像や蓮華を張り付けるなど、前代より形の整った手の込んだ仕上がりとなっています。屋根は2層になったものが多く、瓦を描き、入母屋もしくは切妻の変形と思われる形をしています。時期は19世紀前半から中頃に集中しています。 -
「上焼本御殿型厨子甕」
釉薬を掛けたタイプで、化粧掛けの上に飴釉(飴色)、緑釉(緑色)、呉須(コバルト色)を用いた色彩豊かなものが多いです。屋根は寄棟や重層になった入母屋の変形で、しゃちほこを乗せ、獅子や龍を屋根の上に配しています。胴部には蓮華や五弁花が筋彫りされています。 -
並んでいる厨子甕は左から右に向かって時代が新しくなるのが分かります。40年程前は那覇の壺屋通りの陶器屋さんに厨子甕が並んでいて売っていたのを覚えています。
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40年程前に初めて沖縄へ行ったのは国際通りにあるオリオンホテルの客室の改修工事の立ち合いでした。9月上旬から始まった工事は当初2週間の工程でしたが、台風が全く来なくて部屋は満室が続き、結局1か月半くらいになってしまいました。ホテルからは申し訳ないと3食付きで、宿泊料金も大幅に下げていただきました。
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その当時の出張の宿泊手当と出張手当が毎日積み重なって凄い金額になっていました。当時23歳で残ったお金をどうしようか悩んで、美しい厨子甕を買おうかとも思いましたが、あまりに大きくて諦めました。東京へどうやって送ろうと思ったこともネックでした。結果、国際通りにあった角萬漆器で懐石盆を誂えて、出来上がったものを自宅へ送ってもらいましたが、今から思えば良い選択でした。
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そんなことを思い出しながら美しい松林の中を歩きます。まだ午前中で20℃前後で暑くなかったのも良かったです。
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前回はこの石垣の右手を延々と歩いた裏側からたどり着きました。この城址は太平洋戦争中に日本軍が高射砲陣地を構築していたため、沖縄戦で壊滅的な被害をうけて瓦礫の丘陵地となりました。また1974年まで米軍基地ボーローポイント内のナイキミサイル通信基地となっていましたが、1974年に米軍から返還されています。
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築城家として名高い読谷山按司の護佐丸によって築かれたといわれる15世紀初頭の城で、城郭の外周は365メートル、なだらかで優雅な曲線を描く城壁は日本100名城にも選ばれています。
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座喜味城跡の1番の見どころは沖縄に現存する最も古い石造りの「二の郭」のアーチ門です。座喜味城は弱い地質と言われている粘土質の赤土の上に築かれているため、壁に厚みを持たせて造られています。石垣は石をかみ合わせて積み上げた「相方(あいかた)積み」と、日本の築城様式にも見られる「布積み」で築かれています。
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城内の広場には真四角の石柱は1843年の座喜味親方盛秀(ざきみうぇーかたせいしゅう)の「寄進灯篭」です。座喜味区の神が祭られていたと言うことで、親方が江戸参府した後に旅の無事を感謝してお礼の意味で寄進したのだろうと推測されています。昔の写真を見ると灯篭らしく上に屋根になる石が乗っていたようです。
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登って歩くことのできる城壁は滅多にありませんが、座喜味城趾は一部の立ち入り禁止区域をのぞいて自由に立ち入ることができます。城壁は幅が6メートルほどの厚みがあるので安心して城壁の上からの景色が楽しめます。
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城内には建物は残されておらず、礎石が一部残されているだけです。美しい芝生になっているので余計に石垣が映えます。
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「Royal Hotel 沖縄残波岬」に隠れていますが、右角には残波岬灯台が見えました。ホテルにチェックインした後に灯台まで散歩に行ったことを懐かしく思い出します。
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坂道と階段の上り下りの連続で妻はすでに疲れ果てています。
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一度は破壊された城の石垣をよくここまで美しく修復したと思います。朝早い時間で空いていたのも見学するには良かったです。
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城址の見学とその後に時間があったら「ユンタンザミュージアム」の見学も出来るかと思いましたが、1時間ではちょっと両方の見学は出来なさそうです。
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石垣の周囲にはクワズイモがプラスチックのように美しい、大きな葉を茂らせていました。雨が降ったら傘の代わりになりそうなほどの大きさです。
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古いサーターグルマ(砂糖車)が展示してありました。これはサトウキビの幹を歯車の間に差し込んで液を絞るもので、動力は馬や牛が使われました。搾り汁は煮詰めると黒糖になります。
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1808年に奄美大島の黍横目(きびよこめ)というサトウキビの栽培・製糖の指導管理役だった柏有渡(かしわゆうと)は木製ローラーの2倍の威力を持つ金属製のローラーを備えた砂糖車を開発します。しかし高価な金属製ローラーは即座には普及しなかったようです。明治以降に砂糖生産が工業化するにつれ砂糖車の使用も廃れたが、昭和40年代までは一部で使用され続けていたようです。本土復帰直前の沖縄を舞台にした映画「ウンタマギルー」では、オート三輪を動力にした砂糖車が登場していたのを思い出しました。当時パルコはセゾングループだったので、映画のチケットを貰って見に行ったことも思い出します。
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「ユンタンザミュージアム」の見学はやはり時間切れで出来ず、絵葉書を買ってスタンプを押すにとどまりました。ここからバスに乗って近くにある「琉球村」に向かいます。
世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム 美術館・博物館
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午前11時前に「琉球村」に到着しました。ここでチケットが配られ1時間の自由行動になります。
琉球村 テーマパーク
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6年前に同じようなツアーで来たときは母も一緒で、3人で2階のレストランでアグー豚のシャブシャブを食べて美味しかったことが思い出されます。東京に戻ってふるさと納税でお肉も取り寄せました。
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「サンタンカ」は照りの強い濃緑の葉と鮮やかな赤い小花を房状につける姿が熱帯の花木らしいエキゾチックな印象です。アカバナサンタンカはミャンマーの国花でもあります。カンボジアのプノンペンを旅した時に見たジャワサンタンカの花はヒンドゥー教の神であるシヴァを表すと教えてもらいました。
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この門に納められた綱は「嘉例綱」といい、平成22年10月に行われた那覇大綱引きで使用された綱です。全長200メートルもあるみたいで、「世界一の大綱」としてギネスにも登録されていると書いてあります。
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木の実のようなものが落ちているので見上げると…。
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タコノキの熟した実だということが分かりました。丸裸になったタコの実は初めて見たのでこれには驚きました。調べてみると食べられるのはこの白い芯の部分の中身のようです。
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熟すと美しいオレンジ色になるのは知っていましたが、1つ1つが落ちるのは初めて知りました。
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「琉球村」の一番奥には劇場があり、前回はそこでエイサーショーを観たのですが、今回は始まる時間には出発してしまうので観ることは出来ません。
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今回は移築された古い民家の見学をメインに過ごすしかありません。母と一緒に訪れた場所に今回は2人出来たのですが、やっぱり少し寂しいものを感じます。
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琉球赤瓦を使った「瓦塀」が美しい姿を見せてくれます。
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「旧仲宗根家」
旧仲宗根家の建物は読谷村座喜味に1800年後期に建築されています。その後の明治37年の1904年に読谷村儀間に移築され、「琉球村」には昭和59年の1984年に移築されています。座喜味村発祥の「七家」の1つに数えられる旧家でした。琉球村旧仲宗根家 名所・史跡
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沖縄の伝統的な家では、一般的に台風対策の一環として役立つ珊瑚や石灰岩などを積んだ石垣で囲まれています。また、「赤瓦」も、台風で飛ばされないように漆喰でしっかりと固められているのが特徴です。
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民家へと続く門には門扉がなく、代わりに門の奥に石灰岩などで造られた「ヒンプン」と呼ばれる衝立が配されています。これは風の直撃を防ぐのと同時に目隠しの役目を果たしており、外(集落)と内(屋敷内)の視覚的な境界線をイメージさせます。
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10月に奄美大島の大島紬の工房を見学して、その工程の多さと緻密さを学んだので興味深かったです。残念ながらどなたもいらっしゃらない時間帯だったようなのが残念です。
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40年近く前の長期出張の最終日に良くしてくださった那覇市の畳屋さんと一緒にやんばるの大宜見村まで畳表を取りに行ったことがあります。その途中で親戚の方が営んでいる芭蕉布の工房を見せていただいたことがあります。当時23歳で沖縄の陶器や漆器には興味があったのですが、織物には全く興味を持っていませんでした。
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芭蕉布の工房へ行った話しを京都の叔母にすると「あんた何で反物買うてきてくれんかったの!」と残念がられ、芭蕉布がどういったものか説明されたのを思い出します。
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「琉球村」の園内はオオべ二ゴウカン(大紅合歓)の花がたくさん咲いていました。赤いものはよく見かけますが、白いものは初めて見ました。糸状に飛び出している赤い部分は雄蕊(おしべ)で、花弁は中心付近に集まっていて、色は主に赤や紫や青もあるようです。園芸品種として雄蕊が白いものがあるそうです。
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タビビトノキ(旅人の木)を初めて知ったのはカンボジアのプノンペンへ行った時に現地のガイドさんに教えてもらったのが最初だと思います。名称の由来は葉柄に雨水を溜めるため、乾燥地帯の旅行者の飲料水供給源として利用されたからとも、また高木は葉が東西方向へ扇状に広がることから旅人に対するコンパスの役割を果たすからともいわれます。
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以前来たときは立ち寄らなかった「咲元酒造」にも立ち寄ってみました。その時にあったかは記憶が定かではありませんが。元々は那覇市の城下町である首里鳥堀町で1902年創業された歴史の深い酒造所の1つです。首里鳥堀町あたりは琉球王朝時代に泡盛造りが盛んに行われていた由緒正しき場所だったそうです。現在はこの地に移転して泡盛を作っています。
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「咲元酒造」は戦後の泡盛復興に非常に重要な役割を果たした酒造所でもあります。太平洋戦争の沖縄戦によって首里一帯の泡盛工場は壊滅状態となり、泡盛造りに必要な黒麹も絶滅したと思われていました。しかし、廃墟と化した咲元酒造の工場跡から黒麹菌が奇跡的に発見され、他の蔵元にも無償で配布することで、沖縄の泡盛を再び復活させました。
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「キジムナー家」
キジムナーは沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の妖怪(精霊)で、ガジュマル樹木に住むといわれます。人から恐れられることはあまりなく、「体中が真っ赤な子ども」あるいは「赤髪の子ども」「赤い顔の子供」「長髪で全身毛だらけ」の姿とされます。今年は奄美大島でケンムンを知り、遠野では座敷童子を訪ねた年でもありました。 -
「旧玉那覇家」
玉那覇家は明治24年の1891年に恩納村塩屋に建てられました。当時の家主である玉那覇家は琉球王朝時代の14世紀の読谷山間切を支配していた按司の護佐丸を祖とする一族です。琉球村旧玉那覇家住宅主屋 名所・史跡
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庭先ではユーフォルビア・ゲロルディが可愛らしい花を付けていました。子供の頃に作った折り紙の朝顔を思い出しました。
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「御嶽(うたき)と神アサギ」
御嶽は村の象徴的な場所で、祖霊碑、村の守護神が祀られています。御嶽の中央には巨石や巨木のある空間があり、香炉や台石が置かれ、神木であるクバ(棕櫚)の木が生い茂っています。神が降臨する場所は「イビ」と呼ばれ男子禁制の場所で、女神(のろ)だけが入ることを許されます。イビの近くには「神アサギ、殿(とぅん)」といわれる神を招へいする神事を行う建物や広場が造られます。神聖なアサギは牛馬が入れないように軒が低く造られています。琉球村 神アジャギ 名所・史跡
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母屋(ウフヤ)自体には玄関らしきものがなく、開口部の大きな縁側から出入りするのが一般的です。縁側は主だった部屋に面しているため、家の主も客人も、中庭(ナー)から家の各部屋に上がれるようになっています。母屋の縁側には大きく張り出すような庇があり、これを「雨端(アマハジ)」といいます。南国特有の厳しい直射日光や雨が直接屋内に入り込むのを防ぐ働きがあり、ちょっとした雨宿りにも便利です。中庭(ナー)と屋内をはっきり分離するのではなく、ゆるやかに繋いでいるようにも見えます。
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「旧花城家」
花城家は明治30年の1897年に久米島の仲里村に移築されたものです。「琉球村」には昭和58年に移築されています。この家では織物体験が出来る工房として使われています。琉球村旧花城家 名所・史跡
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紅型について初めて知ったのは子供の頃に見た切手が最初だったと思います。10年ほど前に近所の画廊で「ビザンチン・モザイクの天使」という紅型の技法でビザンチンモザイクやフレスコを再現した展覧会がありました。なるほどその手法があったかと驚いたことがあります。モチーフがラヴェンナのモザイクが多かったこともあり、大きな作品を2点購入しましたが、その作家の知念玲子さんという方は古い友人のお母さんでもあることが分かりさらに驚きました。
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「旧西石垣家」
西石垣家は明治後期から大正期の建築で、八重山諸島の石垣島に建てられたと伝えられています。 -
「旧比嘉家」
比嘉家は本島南部の玉城百名に明治10年の1877年に建てられました。沖縄置県の琉球処分以前の王国末期の建築です。
このシーサーを造る工程を表した陶器は以前来たときにも見て面白いと思ったものです。 -
一番座の畳は外されていて、ここでは陶芸の体験が出来るようです。
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沖縄では子供の誕生祝いの記念酒として泡盛を甕に寝かせる習慣があります。毎年の誕生日に甕を開け、我が子の成長を祝います。そして子供が成人を迎えたら親子でお酒を酌み交わすそうです。中国では女の子が生まれると紹興酒を土中に埋め、結婚する際に招待客に振舞う習慣があるので、近い文化があるのだと感じます。
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掛軸には唐の詩人劉廷芝(りゅうていし)の「代悲白頭翁」の「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」をもじった漢詩が描かれていて面白いです。元々は「毎年毎年、花は同じように咲くが、人の身は変わって同じではない」という意味ですが、酒の味も変わるといったところでしょうか。
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裏座は体験で造られた陶器が並べて乾燥させているようです。
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「旧島袋家」
島袋家は羽地村源河(現在の名護市羽地)に明治20年の1887年に建てられたものです。琉球村旧島袋家住宅主屋 名所・史跡
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「旧島袋家住宅高倉」
この高倉は典型的な南洋系の建造物です。種子や穀物を保存するための通気性が必要であり、ネズミなどの小動物を寄せ付けないために様々な工夫が施されています。琉球村旧島袋家住宅高倉 名所・史跡
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沖縄では穀物を貯蔵する倉にはこのような「高倉」と波照間島に見られる「高床倉(こうしょうぐら)」と「地倉(じぐら)」の3つがありました。高倉は円柱で4本柱、6本柱、9本柱とし、その上に床を造って寄棟の屋根を乗せています。屋根は茅葺が一般的でした。高倉は富の象徴ともされ、所有している家は地域の有力者とみなされました。
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島袋家の台所の土間には当時使われていた古い家財道具が展示してあります。その中には父の実家の蔵の中で見たことがあるようなものも並んでいて懐かしく思えます。
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名前は違っても農家で使う道具類は世界中どこも同じようなものが多いです。
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この家の台所は古い竈が再現されていています。母方の祖父の生まれた京都の家は築400年と古く、その台所にも竈が設けられ、天井が高くて薄暗くて怖い場所でした。3年ほどかけて解体修復してからその台所は見ていませんが、今度行ったら確認しようと思いました。
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毎月旧暦の一日(ちぃたち)と十五日(じゅうぐにち)は沖縄では御願の日です。台所にある火の神様のことを沖縄の方言で「ヒヌカン」と言い、この日はヒヌカンと仏壇へお供えをして拝む日です。
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ヒヌカンは台所の後に、水、香炉、塩、酒、花などを供えて祀っています。水はウティン(御天)、香炉はジーチ(土地)、塩はリューグ(竜宮)それぞれの神への繋ぎとして供えられていると考えられているそうです。日々受けている恵みに対し、ミティン(三天-天・地・竜宮)の神へ旧暦の一日・十五日には感謝をすることで、住んでいる場所の水、海から採れるもの、土地から採れるもの全てが体と調和し健康に恵まれるとされています。
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ヒヌカンへの御願は主に女性がつとめ、願いは年中行事、人生儀礼(子供の出産、入学、結婚、死亡)、先祖供養(焼香、法事、御願不足)、家の繁栄、家族の健康、病気快癒、旅行の安全、安産、商売繁盛、学業成就、厄払いなどいろいろあるそうです。余暇に置かれた状態ですがこの壺はアンダガ―ミと呼ばれる豚の脂を入れる油瓶です。実際はアリが入らないように耳に4本の紐を通して、天井からつるして保管したそうです。
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台所の脇には「板間」があり、この家には囲炉裏が切られています。沖縄地方ではジル(地炉)と呼ばれるそうです。ここだけ見ると内地にある古民家と変わらないような気がします。扉などの無い家の造りなので冬場は囲炉裏で暖を取る必要があったようで、その煙によって白アリなどの虫よけの効果もあったようです。
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二番座と呼ばれる座敷にはトートーメー(尊御前)と呼ばれる沖縄位牌(ウチナーイフェー)の置かれた仏壇が設けられています。沖縄の位牌継承では基本的には嫡男である長男が位牌を継がなければならないそうです。
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その場合次男や三男は結婚をして子どもが出来たら分家し、自分が元祖(タチクチ)となって、新しく位牌を仕立てるのが通例だそうです。ここに置かれた位牌は上下2段で、それぞれ9枚の札が並んでいます。
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この家にも甕に入れられた酒が並べられています。一升瓶はこの「琉球村」で造られている「咲元」です。2体の像は弥勒菩薩ですが、内地の人間には布袋にしか見えません。これは中国の影響が強いと感じます。「ミルク」は「ミロク」が沖縄方言に変化したもので「弥勒」のことです。弥勒は釈迦入滅後56億7千万年後にこの世に出現し、釈迦仏が救済しきれなかった衆生を救う来訪仏とされます。インドで始まった大乗仏教は中央アジアから中国に渡り、東南アジアに伝播していきます。
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沖縄においては元々東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」という土地があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想がありました。この思想にミロク信仰がとりいれられ、ミロクは年に一度、東方の海上から五穀の種を積みミルク世をのせた神船に乗ってやってきて豊穣をもたらす来訪神「ミルク」であるという信仰が成立しました。
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突然爆音が鳴り響き、上空を軍用のヘリコプターが通過していきます。ミルク信仰について考えているとカーゴ・カルトを連想してしまいます。カーゴ・カルト(cargo cult)は主にメラネシアなどに存在する招神信仰で、いつの日か先祖の霊または神が、天国から船や飛行機に文明の利器を搭載して自分達のもとに現れるという物質主義的な信仰です。
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たまに扉などが落ちることもあるので上を注意して、過ぎ去るのを立ち止まって待ちました。
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そろそろエイサーの始まる時間のようで、劇場に向かっていく方の衣装がかっこいいです。エイサーは盆踊りにあたる沖縄の伝統芸能の1つで、旧盆の夜に地域内を踊りながら練り歩くそうです。一言でエイサーと言ってもその形態はいくつかに分類されるようですが、大太鼓と締め太鼓を中心とした「太鼓エイサー」が主だそうです。
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沖縄の獅子舞が内地の獅子舞と異なる点は胴体が幕ではなくて胴も足も芭蕉の繊維で作られた気ぐるみ風の装いということです。獅子頭は材質の軽い梯梧(でいご)の木で作られ、その姿はバリ舞踊のバロンに近いような気がします。中国の獅子舞は北方獅子舞と南方獅子舞の2つに大きく分けられます。沖縄の位置を考えると南方獅子舞の影響を考えますが、その姿や球を持つ姿は北方獅子舞に近いようです。
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「旧大城家」
琉球王朝時代に首里に建築された与那原家の建物で、琉球王府の三司官を務めるほどの名家でした。1879年の沖縄置県による琉球処分以後に大城家が与那原家から家屋を購入し、首里から糸満市兼城に移築しています。琉球村旧大城家住宅主屋 名所・史跡
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沖縄諸島や先島諸島では、昔から魔除けとして家の玄関や家畜小屋に吊るす風習があり、今でも民家などで利用されている「スイジ貝」です。浅い海の珊瑚礁などに生息していて6本の長い突起が特徴です。この形が漢字の「水」に似ていることから和名「水字貝」の由来にもなっています。
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先に見学した住宅とは内装の仕上げが各段に違います。
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享保年間に奄美大島の田畑左文仁が水車を利用した砂糖車を発明しました。座喜味城趾で見た畜力を動力とするサーターグルマ(砂糖車)では抽出できるサトウキビ汁の量は1日2石が限界でしたが、水力では5石の抽出が可能だったようです。
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しかしサトウキビの生産地である南西諸島は概して水利に恵まれないため、水力は水の豊富な奄美大島の一部でしか使用されなかったようです。沖縄本島で使われたものか詳しい表示はありませんでした。
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隣には先ほど見てきたような「サーターグルマ(砂糖車)」があります。前回来たときはここで水牛が回っていたのですが、今日は休憩中でした。
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ベトナムや中国南部の農村で見掛ける水牛は丸々と太っていて、体の幅は2倍くらいあります。ずいぶん痩せているように見えました。
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以前にインスタントカメラのチェキを持って、中国の貴州省を旅したことがありました。まだ15年ほど前のことですが、少数民族の村では写真を撮ってもらったことのある人は少なかったです。畑から水牛を連れて村に戻ってきたおじさんに写真を撮ってほしいと頼まれたことがありました。その人は家に戻って一張羅に着替えて戻ってきました。彼だけの写真を撮ろうとすると「水牛も一緒に撮って欲しい。」と言われたことを思い出しました。
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今から思えばいい時代に貴州省の少数民族の村を個人で旅で来たと思います。料金的にもですが、村自体も大きく変化しているのではないかと思います。
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広場の脇には「登り窯」まで移築されています。実際ここで焼成が行われているのかは分かりません。観光客相手の物は電気釜で焼かれるのではないかと思います。「やちむんの里」では立派な登り窯を見ることが出来ました。
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屋根の上には立派なシーサーが鎮座しています。
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山原竹(リュウキュウチク)を編んだものをめぐらせた塀をチニブ垣と呼びますが、ここでは目隠しとして使われています。見た目も風情があって美しいのですが、台風の時には外して倒しておける、壊れても比較的安価で作り直せるという沖縄ならではの利点もあるようです。
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島袋常孝作の玉取り獅子が橋の上に飾られています。動きのないシーサーとはまた違った迫力があります。琉球大学美術工芸所所長をされていた方で、20年ほど前に池袋西武で個展を開かれていたので覚えていました。
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荒焼(あらやち)の作家である新垣栄用のシーサーも並んでいます。荒焼は那覇の涌田、読谷の喜名、美里の知花、今帰仁の古我知あたりで焼かれていた陶器で、いずれの場所も貿易の港があり、良質の土が取れた場所です。14,世紀から15世紀頃の南方貿易(中国やタイなど)が盛んだった時代にルーツがあると言われ、タイの酒にならって泡盛が作られ、その保存容器として作られたのが始まりと言われます。
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最後に立ち寄った売店には先ほど見学した「咲元酒造」で造られた古酒が売られていました。ここでしか売られていない古酒(くーすー)ということでお土産に数本買い求めました。友人にみんなあげてしまいましたが、もう1本自宅用に買ってくればよかったとちょっと後悔しています。2本を飲み比べると五年古酒の方が滑らかで奄美を感じます。
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花笠を見ていると琉球舞踊の四つ竹を見たくなってきます。前回の旅では残波岬のホテルや那覇の琉球料理店で母と一緒に見たことを思い出します。
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クバ笠もかけられていました。名前の通りクバ(ビロウ)の乾燥させた葉で作られています。農作業時にかぶるハルサー用、と海で使うウミンチュ用があり、これは幅広のハルサー用のものです。中国の桂林を旅した時はこれを被ってサイクリングをしましたが非常に快適でした。ベトナムを旅行した際にはノン・ラーを作る体験もしましたが、妻が器用に作るのに驚かされました。
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伝統的な沖縄赤瓦は本葺瓦の系統に属し、平瓦に相当する女瓦と丸瓦に相当する男瓦の組み合わせからなります。瓦を葺く際にはまず女瓦を並べて、その左右の継ぎ目を覆うように男瓦を被せ、台風などの強風にも耐えるように瓦どうしの隙間を漆喰で塗り固めます。
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6年振りに来た「琉球村」はコロナの影響を受けたのか少し寂れてしまったようでした。ここまでは2度目の場所ばかりでしたが、この後は初めて訪ねる地が続きます。
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