2022/12/12 - 2022/12/12
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kojikojiさん
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2022/12/12
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ツアーも4日目になりました2連泊した「オリエンタルホテル沖縄リゾート&スパ」も朝食を食べてしまうとお別れです。4日目のツアーの観光は沖縄南部をメインに巡ります。最初は「斎場御嶽(せーふぁうたき)」に向かってバスを1時間ほど走らせます。南城市地域物産館で添乗員がチケットを購入するのを待って、10分ほど坂道をぶらぶら歩きます。ここへ来るのは初めてなので楽しみにしていました。40年程前に出張の休みの日に那覇のバスターミナルから路線バスで知念海洋センターまで行って、ボートに乗ってコマカ島へ行ったことはありましたが、その当時は沖縄の宗教には興味がなかったようで近くでありながら立ち寄ることはありませんでした。「斎場御嶽」の敷地に入っても坂道を登るので妻はお疲れでしたが、何とか参拝することが出来ました。同じトラピックス社のツアーが2組と他のツアーも来ていて、少し混雑していたのが残念ではありました。ここの見学が終わると南城市地域物産館まで戻り、その先の「知念御崎公園」に向かいます。ここからの景色も絶景で天気も良くて美しい空と海が見えました。沖合には久高島もきれいに見えました。次に沖縄へ来ることがあれば行ってみたい場所になりました。そしてその手前には小さな無人島のコマカ島も見えました。40年前当時、ボートで無人島へ送ってもらい、帰りの時間を伝えると迎えに来てくれるのですが、水も食べ物も何も持っていきませんでした。11時頃はまだよかったのですが、午後になると泳ぐのにも日光浴にも飽きて、お腹は空くは喉は乾いてきます。迎えのボートは午後4時にお願いしていたので、どうすることも出来ません。携帯電話も無い時代です。午後2時に迎えをお願いしていた人がいたので、一緒にボートに乗って命拾いしました。国道331号線まで上がってバスを待っていると、同じ島にいたおじさんが軽トラで通りがかりました。どこまで帰るのか尋ねられ、那覇というと助手席に乗せて送ってくれました。23歳にして初めてのヒッチハイクでした。そんな懐かしいことを思い出しました。知念半島を出た後は「おきなわワールド
」に向かいます。ここへ来るのも初めてなので楽しみにしていました。まずは「玉泉洞」の見学をして地下を一番奥まで行って、地上に出て各所を見学するようです。4月に旅した岩手県の「龍泉洞」という鍾乳洞を見学した際に、「玉泉洞」についての案内があり、近いうちに行ってみたいと思っていましたが、同じ年のうちに来ることが出来るとは思いませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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全国旅行支援が10月に始まってから6つ目のツアーも4日目になると少々疲れが溜まってきたようであまり食欲がありませんでした。コーンスープと1プレートの朝食にしました。
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シェフが作ってくれるハンバーガーは昨日食べて美味しかったので外せませんし、サラダにもスモークサーモンとブルーチーズをのせてフレンチドレッシングと盛りだくさんになってしまいました。
オリエンタルホテル 沖縄リゾート&スパ 宿・ホテル
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チアシードのヨーグルトとベリーのソースも美味しかったので外せません。
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結局は昨日と同じような朝食からポーク玉子おにぎりが抜けただけになってしまいました。しかしこのホテルの朝食は美味しいです。食事が済んでしまうとホテルの滞在も終わりで、荷物をまとめて午前8時には出発します。
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ツアー4日目は本島南部の観光になります。これまであまり行ったことの無いエリアなので楽しみな1日でもあります。
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海岸線の国道58号線を南下すると海上の国道58号線を航行するA”LINEのフェリーが見えました。このフェリーもこれが見納めだと思います。
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「ニライカナイ橋」はニライ橋とカナイ橋が合わさりニライカナイ橋と呼ばれます。恩納村のホテルを出て1時間少々で知念御崎の「南城市地域物産館」に到着しました。ここでバスを降りて、添乗員がチケットを買いに行くのを待ちます。
ニライカナイ橋展望台 自然・景勝地
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この日最初の観光の「斎場御嶽(せーふぁうたき)」までは10分ほど歩かなければなりません。
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参道の様な坂道にはいろいろなショップが並んでいますが、朝が早いのかどこも閉まっています。赤瓦の屋根の下には建物越しに美しい海が見えます。
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「斎場御嶽」に到着しました。ここはどこのツアーも朝一番に来るようで、とても混雑しています。同じトラピックス社のツアーも2つほど来ていました。この碑のデザインはこれから見に行く御嶽の岩の形だと分かります。
斎場御嶽 寺・神社・教会
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この御嶽の見取り図がありました。現在の見学路は元々あった聖地巡拝の儀礼である「東御廻り(あがりうまーい)」の参道の途中にアクセスするようです。
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この下り坂が元々の「東御廻り(あがりうまーい)」の参道で、この下にウローカーという井泉があり、そこで禊ぎ行った後に、「斎場御嶽」の入り口である「御門口(いじょうぐち)」へと向かいます。参道は歩きやすくするために琉球石灰岩の階段が設けられています。道幅は国王巡拝に使用するために2.7メートルにもなります。かつて琉球の御嶽はその全てが男子禁制であり、斎場御嶽では庶民は入口の御門口(うじょーぐち)を越えて進入することは許されず、国王であっても御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったそうです。
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参道を進むと「久高島遥拝所」がありました。琉球王国の絶対的な存在である国王は太陽であり、その太陽がのぼる方角にある久高島は東方楽土ニライカナイへの「お通し(拝所)」所として沖縄各地で崇拝されました。
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御門口(うじょうぐち)に着きました。各所にこのような案内プレートが設置されているので、この場所がどのような役目だったかが分かりやすいです。
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説明がなければただの岩の壁にしか見えません。聖域なので近くまで行くことは出来ません。
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「御門口(うじょうぐち)」は「斎場御嶽」の入り口で、神社でいえば拝殿にあたる場所です。琉球最高の御嶽なので、ここから入場できるのは王府関係者に限られました。右側には御嶽内にある6つの拝所を示す香炉が置かれ、一般の人はここで御嶽の中に向かって拝みました。
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「御門口」の手前の石畳は「大庫理(ウフグーイ)」と呼ばれ、大広間や家屋でいう一番座の意味を持つ場所です。
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首里城正殿の中にも同じ名前の広間があり、祭祀的な機能を持つ格式の高い場所です。「大庫理」は聞得大君即位儀式の際の「お名付け(霊感づけ)」儀礼が行われ、前面にある瓦板のような磚を敷いた広場では神女たちが聞得大君を祝福し、琉球王国の繁栄を祈りました。聞得大君とは「最も名高い神女」という意味で、琉球の信仰における神女の最高位の名称です。
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多分手つかずの森は厳かな雰囲気を保ち、ここが聖域なのだなと感じます。次は「寄満(ゆいんち)」に向かって先を急ぎます。
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参道の途中に窪地があり、水が溜まっていました。これは昭和20年の1945年の沖縄戦において、鉄の暴風と形容されるほどの砲弾が撃ち込まれました。終戦直後は沖縄本島内に艦砲穴といわれる砲弾の爆発による穴がたくさん残っていたそうです。大半はその後に埋め戻されますが、ここには戦争遺跡として保存されています。ベトナム中部にあるミーソン遺跡にもベトナム戦争時の爆弾の穴が残されていました。
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「寄満(ゆいんち)」は大庫理の岩の反対側に位置し、参道を森林の中を通ると着きます。首里城内にある建物「寄満(ゆいんち)」と同じ名前で、国王のための食事を作る厨房を指します。ここには国内外からの海の幸や山の幸が集まりました。それが「豊穣の寄り満つる所」と理解されていきました。
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同じ名前を持つ「斎場御嶽」のこの場所には、第2次世界大戦の前まではその年の吉兆を占う馬の形をした馬ぐゎ石(うまぐゎーいし)が置かれていました。名前からも小さいものだったのではないでしょうか。
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中国のセジ(貢ぎ物)を寄せる所という意味があります。貢ぎ物を供えるための石積みの舞台のような台があり、ここにも香炉が並べてあります。
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「寄満(ゆいんち)」の上にはマングローブの木が繁り、多くの根を垂らしています。
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「寄満(ゆいんち)」から元きた道を引き返して・丁字路を左に入ると少し広くなった場所に出ます。右手には大きな垂直に切り立った岩があり、その下の部分は侵食されたように窪んでいて、その上部には垂れ下がった鍾乳石らしきものがあり、水が一滴一滴と間をおいて落下し、その下には2つの壺がそれを受けるように前後に並んでいます。
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奥がシキヨダユルアマガヌビー、手前がアマダユルアシカヌビーと呼ばれ、そこに溜まる水は世継ぎの琉球国王子、聞得大君の吉兆を占うとともに、お正月の若水取りの儀式にも使われたという霊水です。
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3つの拝所が集中する最奥部の「三庫理(さんぐーい」)には「チョウノハナ(京のはな)」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされます。
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以前は中まで入れたようですが、コロナ禍ということもあって、手前から眺めるだけになっていました。帰ってきれいな写真が獲れるのでこのままでよいと思いました。
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「斎場御嶽」の見学を終えて、登ってきた道を引き返します。沖合の岩礁を見ると40年前に来たコマカ島を思い出します。
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空は雲に覆われていたのですが、所々まだらになっているようでそこから海面へ差し込む太陽光線が輝いてとてもきれいでした。
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通りにあった塀は沖縄らしい「花ブロック」になっています。建物に個性を与えてくれる花ブロックは沖縄県外でも目にしますが、沖縄ほどバリエーションが多く使われている家はないように思います。戦前の沖縄は木造建築ばかりでしたが、終戦後に米軍が軍の施設や住宅を作るために手動のブロック製造機を沖縄に持ち込みます。
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沖縄には仲座久雄という建築家がいて沖縄建築を知る上で欠かせない最重要人物です。戦後の昭和21年の1946年から復興住宅として7万3500戸建設された「規格家(キカクヤー)」の設計者として知られています。また、いまや沖縄らしさの象徴の1つでもある「花ブロック」の考案者としても有名です。
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一度「南城市地域物産館」まで戻り、さらに進んだ「知念岬公園」に入ります。
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しばらくすると晴れてきたので橋を渡って公園の先端まで行ってみることにします。妻は歩くのが嫌なようで高台のベンチに座っています。
知念岬公園 名所・史跡
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眼下には知念岬のキノコ岩が見えました。廃墟になった大きな建物の向こう側に「知念海洋レジャーセンター」があり、そこからボートに乗って沖合にあるコマカ島へ行きました。こんなの近いところだったのだと改めて感じます。
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コマカ島には全く何もなく、何も考えずに食べるものも飲み物も持たずにボートに乗ってしまいました。午前中は海で泳いだり日光浴したり快適でしたが、昼を過ぎるとお腹は減るし喉は乾きます。
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夏の終わりの9月の日差しは強く、砂浜とわずかな岩だけの小島に日蔭はありません。迎えのボートは午後4時に頼んでしまいました。40年前なので携帯電話も無い時代です。死ぬかと思いましたが、午後2時に他の人をむかえに来たボートがあったのでお願いして乗せてもらい助かりました。港についてコーラを2本一気に飲み干しました。まだミネラルウォーターなど売っていない時代です。
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那覇への帰りは国道331号線まで上がって、バス停でバスを待っているとコマカ島で一緒だったおじさんが軽トラで通りがかりました。「どこまで帰るの?」と声をかけてくださり、那覇のバスターミナルまで送ってくださいました。思い返せば人生初めてのヒッチハイクでした。その後は海外でだったので、日本では最初で最後かもしれません。
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会社員時代に社員旅行で行った沖縄旅行のことはほとんど記憶に残っていませんが、40日間の長期出張は自分の人生にとってかけがえのない思い出が詰まっています。
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天気が良くなってきて、ここまで旅してきた沖縄本島がきれいに望めました。
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きれいに整備された岬を1周して戻ってきました。最後は登り坂が続くので結構息が切れます。
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同じツアーのご夫婦に写真を撮っていただきました。コロナ禍になってからシャッターを押してもらうのが躊躇われるので2人の写真が減りました。
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さらに南部の観光は続き「おきなわワールド」に到着しました。
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ここへ来るのも初めてなので楽しみにしていました。今年は岩手の「龍泉洞」に続き沖縄の「玉泉洞」にも来ることが出来ました。
おきなわワールド テーマパーク
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入り口の前には大きなパパイヤの木がそびえ、青いパパイヤの実がたわわに実っています。トラン・アン・ユンの映画「青いパパイヤの香り」を思い出させます。2000年頃まではベトナムを旅するバックパッカーの挨拶は「青いパパイヤの香り観た?」でした。
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入り口に並ぶ獅子は上段が壺屋焼のシーサーで新垣光雄という作家が1年かけて制作したものだそうです。一対の三彩の獅子は1985年に開催された筑波科学万博の中国館の入り口に据えられていたものを譲渡されたそうです。下段の獅子は南京にある明の太祖孝陵の参道に据えられたものを中国で作られた複製だそうです。オリジナルは玉石の鶏血石で作られたものです。石だけの価値でもすごい金額になると思います。この獅子は大理石のようですが、1体が2トンほどの重さがあるそうです。
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チケットを受け取って園内に入るとすぐに「玉泉洞」の入り口があります。ここから地下を30分ほど見学して、地上に上がって戻ってくるというルートのようです。
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入り口ではある程度の人数が集まるまで鍾乳洞についての説明があり、その後に個々に洞内に入ります。
おきなわワールド文化王国 玉泉洞 名所・史跡
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最初はかたまっていますが、広い洞内に入るとすぐにバラバラになり、妻と2人だけになってしまいます。
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鍾乳洞内は階段や遊歩道が整備されているので、見学するのは快適でした。通常鍾乳洞の中は涼しいのですが、ここは少し汗ばむような暑さを感じました。湿度もかなり高いです。
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「地中ロケット」と命名されていますが、特に変わったこともなく普通の石筍にしか見えません。
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「銀柱」
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「大仏御殿」
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「槍天井」は見事でした。これまで日本国内の数々の鍾乳洞にも行きましたし、中国の巨大な鍾乳洞も多く訪ねましたが、こんな細かい鍾乳石を見るのは初めてです。
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あまりに見事なのでしばらく見入ってしまいました。
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堂内には鍾乳石の成り立ちや種類を説明する案内板もあり、とても分かりやすいです。
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洞窟内に住んでいる動物も説明されていましたが、実際に見掛けることはありませんでした。
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「初恋広場」という恥ずかしいような名前の鍾乳石に向かいますが、妻の姿はすでにありませんでした。
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日本の鍾乳洞の場合はライトアップは白色かせいぜいブルー系の色が使われる程度ですが、中国の鍾乳洞はカラフルで、鍾乳石の形状を強調します。最初のうちは何故と思いましたが、数多く見ているとそれも美しく思えてきます。
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洞内を動画で撮って友人にLINEで送ったり、写真を撮っているとどんどん妻に置いて行かれているようです。1人で歩くのも楽しいのですが。
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岩手の「龍泉洞」では旧階段をあがったり下ったりが多かったですが、「龍泉洞」は一度下ってしまうとその後はほとんどフラットなので歩きやすいです。
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太古に埋まった鹿の化石も埋まっていました。
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これらの照明もLEDの時代になって色の調整も簡単にできるようになったのではないでしょうか。昔は蛍光灯にセロファンを巻いたり苦労の跡が見受けられました。
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「地煙の滝」は水中にも照明を仕込んでいるようで、ブラックライトを使ったような効果になっています。
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ここからは地底を流れる川に沿って遊歩道を進みます。とても幻想的な景色を楽しめます。
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「青の泉」はかなり奥行きがあり、カプリ島の青の洞窟やアマルフィの近くのエメラルドの洞窟を思い出します。奥まで歩いていきたくなるほどの美しさです。
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ここが洞内で一番美しかったと思います。
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「黄金の杯」と呼ばれる鍾乳石は高さ2.5メートルで、外周31メートルで国内最大だそうです。
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横から見るとこのような姿です。リムストーンプールは鍾乳洞内に発達する石灰華段丘で、山口県の「秋芳洞」の百枚皿も有名です。地上に現れたものでは中国の九塞溝や黄龍が見事でした。
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かつては「ウワーガーガマ」と呼ばれていましたが、1972年に「玉泉洞」の名で観光洞としてオープンしています。総延長は5000メートルある鍾乳洞で、現在一般公開されているのはその一部の900メートルほどだそうです。
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洞窟の天井からぶらさがっている白い鍾乳石を「つらら石」といいます。鍾乳管(ストローとも呼ばれる筒状の鍾乳石)の周囲が次第に肥大しながら伸長していくものがほとんどです。「玉泉洞」の「つらら石」は本当に見事でした。
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「銀河街道」
石灰分を多く含む水が大量に流れ込む環境から、県外にある鍾乳洞にくらべ鍾乳石の成長が早く、つらら石は3年に1ミリというスピードで成長しているそうです。 -
「絞り幕」は鍾乳石が幾重にも重なって出来たもので、このように天井から下がるのは珍しく、ここまで大きくなるのには数万年の歳月がかかるそうです。
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思っていたよりも洞窟内は長く30分を過ぎても終点にはたどり着きません。妻をどこかで追い抜いて、おいて来てしまったのではないかという思いが頭に浮かんできます。
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途中で遊歩道が湧かれていましたが、どちらを通ってもすぐに合流していました。
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「ひねくれ地蔵」は曲がって立っているのをひねくれと表現しているのでしょうか。会社のおじさんが無理やりネーミングしている気がしてきます。
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分岐点を上がったところにあった巨大な石柱がありました。その表面は洞窟サンゴと呼ばれる小さな粒状になっています。 15世紀のイタリア・ルネサンスの庭園に多くみられたグロッタと呼ばれる洞窟を思い出します。
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ルネサンスに続くバロックの語源も真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のバロッコだったと思います。barrocoはもともとはいびつな丸い大岩や、穴や、窪地などを指しているので、より鍾乳洞にふさわしい言葉かもしれません。
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「白銀のオーロラ」も幅広く見事な鍾乳石でした。
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地底を流れる水はとても美しく飲めそうな気がします。
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「ガジュマル並木」は唯一なるほどと思わせるネーミングでした。
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旧入道口のトンネル状階段は、洞内の一定した温度条件を利用した泡盛の古酒(クース)の甕の貯蔵場所として利用されていました。岩手の「龍泉洞」にも同じような施設がありました。
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ようやくエスカレーターで地上に戻ることが出来ました。ここからようやく「おきなわワールド」の見学が始まります。
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