長岡京・向日旅行記(ブログ) 一覧に戻る
京都巡り第10回目で西山を訪れました。長岡天満宮 光明寺 善峯寺 勝持寺 大原野神社 正法寺と季節にはサクラ・アジサイ・スイレン・カキツバタ・紅葉等、自然豊かな寺社ですが、今回は全く花もなく、「花のない寺」巡りとなりました。又、交通の便が悪く、長い距離を歩く等かなり疲れましたが、殆ど、人もおらず静かに参拝出来、趣がありました。<br />(写真)善峯寺の遊龍の松(「日本一の松」と謂れ、長さ37mで国の天然記念物右は枝垂桜(JRのCM「京都に行こう。」の桜です。)<br />(長岡天満宮)菅原道真公が在原業平らとここで、詩歌・管絃を楽しんだ所ですが、創立は不明です。応仁の乱で消失し、1498年に再建された。1638年、八条宮により、「八条ケ池」が築造された。<br />(光明寺)1156年、法然上人が24歳の時、粟生の地(ここ)で一夜の宿を借りた里長者・茂右衛門にここで始めの念仏の教えを説くと約束した地です。1174年に浄土宗を開宗し、最初の教えをここで説いた。1228年、法然上人の御遺体をここで荼毘に付し、御廟を設けた。「念仏三味院」としていたが、1232年に四条天皇より「光明寺」と賜った。<br />(法然上人)1212年に1月25日に80才で往生し、最初、東山大谷の地に埋葬されたが、比叡山の僧たちを恐れ、この石棺を広隆寺近くの藪に隠した。その後、この地で荼毘に伏された。<br />(善峯寺)天台宗で1029年(平安末期)源算上人により開山され、本尊は千手観世音菩薩です。源算上人は恵心僧都に師事し、47歳で当山を開山しました。1034年、後一条天皇より「良峯寺」と賜る。1192年、後鳥羽天皇より「善峯寺」が下賜される。皇室の崇敬を受け、室町時代は僧坊52と大きく成るが、応仁の乱で大半が焼失した。江戸時代に綱吉の生母「桂昌院」が復興する。<br />(勝持寺)天武天皇の命で役行者が創建。平安末期、歌人の西行が出家して庵を結び、桜を愛でた為、「花の寺」と呼ばれています。791年、伝教大師が桓武天皇の勅で堂塔伽藍を再建し、838年には塔頭49を建立。応仁の乱で仁王門以外は焼失した。その後、再建された。<br />(大原野神社)784年、長岡京遷都の際、奈良の春日大社の分霊を祀った神社で、鹿が神使いとされる。猿沢の池を模した鯉沢池にはカキツバタ・スイレンなどが咲きます。<br />①2022年12月27日(火)<br />関西(阪急)7:42十三7:48(阪急)8:17長岡天神駅に着きます。<br />1)長岡天満宮(大鳥居 水上橋 八条池 キリシマツツジ 二ノ鳥居 拝殿 白・紅梅殿 錦景苑)を参拝し、開田城跡の土塁を見て、<br />長岡天神9:09(バス)9:19光明寺前に着きます。<br />2)光明寺(総門 閻魔堂 表参道 鐘楼 法然上人像 御影堂 石棺 阿弥陀堂 勢至堂 御本廟 釈迦堂 勅使門 御火葬跡 茂右衛門屋敷跡 鎮守社 薬医門 モミジ参道)を参拝します。<br />光明寺10:20(歩25分)10:45宇ノ山10:55(バスー十輪寺(小塩)を見て)11:12善峯寺に着きます。<br />3)善峯寺(座禅石 山門 観音堂 文殊寺宝館 鐘楼堂 護摩堂 遊龍ノ松 多宝塔 経堂 開山堂 白山アジサイ苑(白山名水 白山社 幸福地蔵) 鎮守社 宝篋印塔 桂昌院廟 釈迦堂 稲荷社 薬師堂 御陵 阿弥陀堂)と広い境内を歩きます。<br />善峯寺12:24(阪急バス66)12:36灰方(歩15分)南春日町13:20に着きます。<br />4)(昼食)焼肉料理「味一人」(12:43-13:15)和牛カルビランチ1000円を戴き、<br />5)勝持寺(仁王門 子院跡 山門 瑠璃光殿(仏像拝観) 阿弥陀堂 西行桜 不動堂 鐘楼堂 冴野ノ池 三春川 魚籃観音 桜ケ丘)を参拝し、<br />6)大原野神社(一・二ノ鳥居 表参道 鯉沢池 若宮社 瀬和井 千眼桜 シイ大木跡 鹿ノ手水社 三ノ鳥居 本殿 モミ神木跡 小塩山)を参拝します。<br />7)正法寺(家康側室「お亀の方」菩提寺 遍照塔 春日不動尊 本堂 庭園) 樫本神社(仁徳天皇を祀る神社)を参拝します。<br />南春日町15:03(バス)15:21東向日15:32(阪急)15:36長岡天神15:42(阪急)16:09十三16:13(阪急)関西に帰ります。<br />{旅程}<br />①12/27(火)<br />(阪急)長岡天満宮(バス)光明寺(歩・バス)善峯寺(バス)勝持寺 大原野神社 正法寺(バス)東向日(阪急)

2022年12月京都(10)西山(長岡天満宮 光明寺(法然上人御本廟) 善峯寺(遊龍の松) 勝持寺(仏像) 大原野神社 正法寺)

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2022/12/27 - 2022/12/27

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愛猫シロネコ

愛猫シロネコさん

京都巡り第10回目で西山を訪れました。長岡天満宮 光明寺 善峯寺 勝持寺 大原野神社 正法寺と季節にはサクラ・アジサイ・スイレン・カキツバタ・紅葉等、自然豊かな寺社ですが、今回は全く花もなく、「花のない寺」巡りとなりました。又、交通の便が悪く、長い距離を歩く等かなり疲れましたが、殆ど、人もおらず静かに参拝出来、趣がありました。
(写真)善峯寺の遊龍の松(「日本一の松」と謂れ、長さ37mで国の天然記念物右は枝垂桜(JRのCM「京都に行こう。」の桜です。)
(長岡天満宮)菅原道真公が在原業平らとここで、詩歌・管絃を楽しんだ所ですが、創立は不明です。応仁の乱で消失し、1498年に再建された。1638年、八条宮により、「八条ケ池」が築造された。
(光明寺)1156年、法然上人が24歳の時、粟生の地(ここ)で一夜の宿を借りた里長者・茂右衛門にここで始めの念仏の教えを説くと約束した地です。1174年に浄土宗を開宗し、最初の教えをここで説いた。1228年、法然上人の御遺体をここで荼毘に付し、御廟を設けた。「念仏三味院」としていたが、1232年に四条天皇より「光明寺」と賜った。
(法然上人)1212年に1月25日に80才で往生し、最初、東山大谷の地に埋葬されたが、比叡山の僧たちを恐れ、この石棺を広隆寺近くの藪に隠した。その後、この地で荼毘に伏された。
(善峯寺)天台宗で1029年(平安末期)源算上人により開山され、本尊は千手観世音菩薩です。源算上人は恵心僧都に師事し、47歳で当山を開山しました。1034年、後一条天皇より「良峯寺」と賜る。1192年、後鳥羽天皇より「善峯寺」が下賜される。皇室の崇敬を受け、室町時代は僧坊52と大きく成るが、応仁の乱で大半が焼失した。江戸時代に綱吉の生母「桂昌院」が復興する。
(勝持寺)天武天皇の命で役行者が創建。平安末期、歌人の西行が出家して庵を結び、桜を愛でた為、「花の寺」と呼ばれています。791年、伝教大師が桓武天皇の勅で堂塔伽藍を再建し、838年には塔頭49を建立。応仁の乱で仁王門以外は焼失した。その後、再建された。
(大原野神社)784年、長岡京遷都の際、奈良の春日大社の分霊を祀った神社で、鹿が神使いとされる。猿沢の池を模した鯉沢池にはカキツバタ・スイレンなどが咲きます。
①2022年12月27日(火)
関西(阪急)7:42十三7:48(阪急)8:17長岡天神駅に着きます。
1)長岡天満宮(大鳥居 水上橋 八条池 キリシマツツジ 二ノ鳥居 拝殿 白・紅梅殿 錦景苑)を参拝し、開田城跡の土塁を見て、
長岡天神9:09(バス)9:19光明寺前に着きます。
2)光明寺(総門 閻魔堂 表参道 鐘楼 法然上人像 御影堂 石棺 阿弥陀堂 勢至堂 御本廟 釈迦堂 勅使門 御火葬跡 茂右衛門屋敷跡 鎮守社 薬医門 モミジ参道)を参拝します。
光明寺10:20(歩25分)10:45宇ノ山10:55(バスー十輪寺(小塩)を見て)11:12善峯寺に着きます。
3)善峯寺(座禅石 山門 観音堂 文殊寺宝館 鐘楼堂 護摩堂 遊龍ノ松 多宝塔 経堂 開山堂 白山アジサイ苑(白山名水 白山社 幸福地蔵) 鎮守社 宝篋印塔 桂昌院廟 釈迦堂 稲荷社 薬師堂 御陵 阿弥陀堂)と広い境内を歩きます。
善峯寺12:24(阪急バス66)12:36灰方(歩15分)南春日町13:20に着きます。
4)(昼食)焼肉料理「味一人」(12:43-13:15)和牛カルビランチ1000円を戴き、
5)勝持寺(仁王門 子院跡 山門 瑠璃光殿(仏像拝観) 阿弥陀堂 西行桜 不動堂 鐘楼堂 冴野ノ池 三春川 魚籃観音 桜ケ丘)を参拝し、
6)大原野神社(一・二ノ鳥居 表参道 鯉沢池 若宮社 瀬和井 千眼桜 シイ大木跡 鹿ノ手水社 三ノ鳥居 本殿 モミ神木跡 小塩山)を参拝します。
7)正法寺(家康側室「お亀の方」菩提寺 遍照塔 春日不動尊 本堂 庭園) 樫本神社(仁徳天皇を祀る神社)を参拝します。
南春日町15:03(バス)15:21東向日15:32(阪急)15:36長岡天神15:42(阪急)16:09十三16:13(阪急)関西に帰ります。
{旅程}
①12/27(火)
(阪急)長岡天満宮(バス)光明寺(歩・バス)善峯寺(バス)勝持寺 大原野神社 正法寺(バス)東向日(阪急)

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 阪急電車で京都に向います。

    阪急電車で京都に向います。

  • 十三で乗り換えます。

    十三で乗り換えます。

  • 長岡天神駅で降ります。

    長岡天神駅で降ります。

  • 長岡天神駅

    長岡天神駅

    長岡天神駅

  • 長岡天神駅前で観光案内所があります。

    長岡天神駅前で観光案内所があります。

  • 長岡天満宮周辺図

    長岡天満宮周辺図

  • 長岡天満宮(正面大鳥居)

    長岡天満宮(正面大鳥居)

  • 長岡天満宮(キリシマツツジ樹齢百数十年です。)

    長岡天満宮(キリシマツツジ樹齢百数十年です。)

  • 長岡天満宮(菅原道真公が在原業平らとここで、詩歌・管絃を楽しんだ所ですが、創立は不明です。応仁の乱で消失し、1498年に再建された。1638年、八条宮により、「八条ケ池」が築造された。)

    長岡天満宮(菅原道真公が在原業平らとここで、詩歌・管絃を楽しんだ所ですが、創立は不明です。応仁の乱で消失し、1498年に再建された。1638年、八条宮により、「八条ケ池」が築造された。)

  • 長岡天満宮(菅原道真公が在原業平らとここで、詩歌・管絃を楽しんだ所ですが、創立は不明です。応仁の乱で消失し、1498年に再建された。1638年、八条宮により、「八条ケ池」が築造された。)

    長岡天満宮(菅原道真公が在原業平らとここで、詩歌・管絃を楽しんだ所ですが、創立は不明です。応仁の乱で消失し、1498年に再建された。1638年、八条宮により、「八条ケ池」が築造された。)

  • 長岡天満宮(建造物)

    長岡天満宮(建造物)

  • 長岡天満宮(八条ヶ池と水上橋)

    長岡天満宮(八条ヶ池と水上橋)

    八条ケ池 名所・史跡

  • 長岡天満宮(中央の六角堂)

    長岡天満宮(中央の六角堂)

  • 長岡天満宮(水上橋)

    長岡天満宮(水上橋)

  • 長岡天満宮(太鼓橋)

    長岡天満宮(太鼓橋)

  • 長岡天満宮(梅林)

    長岡天満宮(梅林)

  • 長岡天満宮(二の鳥居ー平成30年9月の台風21号で倒壊しました。)

    長岡天満宮(二の鳥居ー平成30年9月の台風21号で倒壊しました。)

  • 長岡天満宮(二の鳥居ー平成30年9月の台風21号で倒壊しました。)

    長岡天満宮(二の鳥居ー平成30年9月の台風21号で倒壊しました。)

  • 長岡天満宮(三の鳥居)

    長岡天満宮(三の鳥居)

  • 長岡天満宮(菅原道真公の御歌)

    長岡天満宮(菅原道真公の御歌)

  • 長岡天満宮(拝殿と境内)

    長岡天満宮(拝殿と境内)

  • 長岡天満宮(水手舎)

    長岡天満宮(水手舎)

  • 長岡天満宮(拝殿)菅原道真公が在原業平らとここで、詩歌・管絃を楽しんだ所ですが、創立は不明です。応仁の乱で消失し、1498年に再建された。1638年、八条宮により、「八条ケ池」が築造された。

    長岡天満宮(拝殿)菅原道真公が在原業平らとここで、詩歌・管絃を楽しんだ所ですが、創立は不明です。応仁の乱で消失し、1498年に再建された。1638年、八条宮により、「八条ケ池」が築造された。

    長岡天満宮 寺・神社・教会

  • 長岡天満宮(拝殿内部)

    長岡天満宮(拝殿内部)

  • 長岡天満宮(本殿)

    長岡天満宮(本殿)

  • 長岡天満宮(菅原道真公と牛に付いて)

    長岡天満宮(菅原道真公と牛に付いて)

  • 長岡天満宮(撫で牛)

    長岡天満宮(撫で牛)

  • 長岡天満宮(八幡宮神社と春日大明神)

    長岡天満宮(八幡宮神社と春日大明神)

  • 長岡天満宮(白梅殿)

    長岡天満宮(白梅殿)

  • 長岡天満宮(紅梅殿)

    長岡天満宮(紅梅殿)

  • 長岡天満宮(長岡稲荷大明神)

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  • 長岡天満宮(酒樽)

    長岡天満宮(酒樽)

  • 長岡天満宮(錦景苑)平成19年完成

    長岡天満宮(錦景苑)平成19年完成

  • 長岡天満宮(錦景苑)

    長岡天満宮(錦景苑)

  • 長岡天満宮(錦景苑のコケ)

    長岡天満宮(錦景苑のコケ)

  • 長岡天満宮(笠松地蔵尊)

    長岡天満宮(笠松地蔵尊)

  • 長岡天満宮(水上橋を歩きます。)

    長岡天満宮(水上橋を歩きます。)

  • 長岡天満宮(水上橋)

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  • 長岡天満宮(カキツバタ園)

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  • 開田城跡の土塁(中世豪族の中小路氏の居城の一部です。)

    開田城跡の土塁(中世豪族の中小路氏の居城の一部です。)

  • 開田城跡の土塁(中世豪族の中小路氏の居城の一部です。)

    開田城跡の土塁(中世豪族の中小路氏の居城の一部です。)

  • 開田城跡の土塁(中世豪族の中小路氏の居城の一部です。)

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    開田城跡 名所・史跡

  • 長岡天神駅より阪急バスで光明寺に向かいます。

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  • 西山三山(光明寺 善峯寺 楊谷寺とありますが、今回、光明寺 善峯寺を拝観しました。)

    西山三山(光明寺 善峯寺 楊谷寺とありますが、今回、光明寺 善峯寺を拝観しました。)

  • 光明寺(境内図)1156年、法然上人が24歳の時、粟生の地(ここ)で一夜の宿を借りた里長者・茂右衛門にここで始めの念仏の教えを説くと約束した地です。1174年に浄土宗を開宗し、最初の教えをここで説いた。1228年、法然上人の御遺体をここで荼毘に付し、御廟を設けた。「念仏三味院」としていたが、1232年に四条天皇より「光明寺」と賜った。

    光明寺(境内図)1156年、法然上人が24歳の時、粟生の地(ここ)で一夜の宿を借りた里長者・茂右衛門にここで始めの念仏の教えを説くと約束した地です。1174年に浄土宗を開宗し、最初の教えをここで説いた。1228年、法然上人の御遺体をここで荼毘に付し、御廟を設けた。「念仏三味院」としていたが、1232年に四条天皇より「光明寺」と賜った。

  • 光明寺(1156年、法然上人が24歳の時、粟生の地(ここ)で一夜の宿を借りた里長者・茂右衛門にここで始めの念仏の教えを説くと約束した地です。1174年に浄土宗を開宗し、最初の教えをここで説いた。1228年、法然上人の御遺体をここで荼毘に付し、御廟を設けた。「念仏三味院」としていたが、1232年に四条天皇より「光明寺」と賜った。)

    光明寺(1156年、法然上人が24歳の時、粟生の地(ここ)で一夜の宿を借りた里長者・茂右衛門にここで始めの念仏の教えを説くと約束した地です。1174年に浄土宗を開宗し、最初の教えをここで説いた。1228年、法然上人の御遺体をここで荼毘に付し、御廟を設けた。「念仏三味院」としていたが、1232年に四条天皇より「光明寺」と賜った。)

  • 光明寺(入口)

    光明寺(入口)

  • 光明寺(法然上人が初めて、念仏の説法をした地とした碑)

    光明寺(法然上人が初めて、念仏の説法をした地とした碑)

  • 光明寺(1156年、法然上人が24歳の時、粟生の地(ここ)で一夜の宿を借りた里長者・茂右衛門にここで始めの念仏の教えを説くと約束した地です。1174年に浄土宗を開宗し、最初の教えをここで説いた。1228年、法然上人の御遺体をここで荼毘に付し、御廟を設けた。「念仏三味院」としていたが、1232年に四条天皇より「光明寺」と賜った。)

    光明寺(1156年、法然上人が24歳の時、粟生の地(ここ)で一夜の宿を借りた里長者・茂右衛門にここで始めの念仏の教えを説くと約束した地です。1174年に浄土宗を開宗し、最初の教えをここで説いた。1228年、法然上人の御遺体をここで荼毘に付し、御廟を設けた。「念仏三味院」としていたが、1232年に四条天皇より「光明寺」と賜った。)

  • 光明寺(総門)

    光明寺(総門)

  • 光明寺(総門横の築地塀に白い五本筋が入っています。五本線は最高格式のお寺を示すものです。)

    光明寺(総門横の築地塀に白い五本筋が入っています。五本線は最高格式のお寺を示すものです。)

  • 光明寺(正月の飾り付け)

    光明寺(正月の飾り付け)

  • 光明寺(閻魔堂)

    光明寺(閻魔堂)

  • 光明寺(俳人・鈴鹿野風呂の石碑)高浜虚子の弟子です。

    光明寺(俳人・鈴鹿野風呂の石碑)高浜虚子の弟子です。

  • 光明寺(表参道)通称「女人坂」「念仏石坂」と言い、年寄りでも苦労なく登れるように明治時代に整備した。

    光明寺(表参道)通称「女人坂」「念仏石坂」と言い、年寄りでも苦労なく登れるように明治時代に整備した。

  • 光明寺(表参道)

    光明寺(表参道)

  • 光明寺(塩田紅葉の石碑)昭和初期の歌人

    光明寺(塩田紅葉の石碑)昭和初期の歌人

  • 光明寺(観音堂)

    光明寺(観音堂)

  • 光明寺(経蔵と左は法然上人袈裟掛けの松)

    光明寺(経蔵と左は法然上人袈裟掛けの松)

  • 光明寺(鐘楼)1657年の「享保の火災」を免れ、御本廟についで古い建築です。梵鐘は昭和24年に再鋳された。

    光明寺(鐘楼)1657年の「享保の火災」を免れ、御本廟についで古い建築です。梵鐘は昭和24年に再鋳された。

  • 光明寺(法然上人像)

    光明寺(法然上人像)

  • 光明寺(本堂)

    光明寺(本堂)

    光明寺 寺・神社・教会

  • 光明寺(御影堂横)

    光明寺(御影堂横)

  • 光明寺(御影堂)

    光明寺(御影堂)

  • 光明寺(本堂の扁額)

    光明寺(本堂の扁額)

  • 光明寺(本堂内部で本尊は法然上人の御自作「張子の御影」です。)

    光明寺(本堂内部で本尊は法然上人の御自作「張子の御影」です。)

  • 光明寺(本堂内部で本尊は法然上人の御自作「張子の御影」です。)

    光明寺(本堂内部で本尊は法然上人の御自作「張子の御影」です。)

  • 光明寺(本堂)彫刻

    光明寺(本堂)彫刻

  • 光明寺(昭和天皇お手植えの松)

    光明寺(昭和天皇お手植えの松)

  • 法然上人の石棺(1212年1月25日に80歳で往生し、最初、東山大谷の地に埋葬されたが、比叡山の僧たちを恐れ、この石棺を広隆寺近くの藪に隠した。その後、この地で荼毘に伏された。)

    法然上人の石棺(1212年1月25日に80歳で往生し、最初、東山大谷の地に埋葬されたが、比叡山の僧たちを恐れ、この石棺を広隆寺近くの藪に隠した。その後、この地で荼毘に伏された。)

  • 法然上人の石棺(1212年1月25日に80歳で往生し、最初、東山大谷の地に埋葬されたが、比叡山の僧たちを恐れ、この石棺を広隆寺近くの藪に隠した。その後、この地で荼毘に伏された。)

    法然上人の石棺(1212年1月25日に80歳で往生し、最初、東山大谷の地に埋葬されたが、比叡山の僧たちを恐れ、この石棺を広隆寺近くの藪に隠した。その後、この地で荼毘に伏された。)

  • 光明寺(阿弥陀堂)1799年、再建で本尊は阿弥陀如来立像(恵心僧都作で「念仏三昧院」時代より祀ってあります。)

    光明寺(阿弥陀堂)1799年、再建で本尊は阿弥陀如来立像(恵心僧都作で「念仏三昧院」時代より祀ってあります。)

  • 光明寺(位牌堂)

    光明寺(位牌堂)

  • 光明寺(御影堂の裏)

    光明寺(御影堂の裏)

  • 光明寺(御本廟)法然上人の御芳骨を納めた本廟で、骨は青瓶に納めて地中に埋め、火葬の時の灰と土を練り固めた石塔を安置し、その上に御堂を建てました。法然上人の御廟の地は拝観できません。

    光明寺(御本廟)法然上人の御芳骨を納めた本廟で、骨は青瓶に納めて地中に埋め、火葬の時の灰と土を練り固めた石塔を安置し、その上に御堂を建てました。法然上人の御廟の地は拝観できません。

  • 御本廟に至る道の入口

    御本廟に至る道の入口

  • 光明寺(上左は御本廟 上右は勢至堂)

    光明寺(上左は御本廟 上右は勢至堂)

  • 光明寺(御本廟)

    光明寺(御本廟)

  • 光明寺(勢至堂)

    光明寺(勢至堂)

  • 光明寺(勢至堂)

    光明寺(勢至堂)

  • 光明寺(勢至堂に至る91段の階段)

    光明寺(勢至堂に至る91段の階段)

  • 光明寺(勢至堂への91段の階段)

    光明寺(勢至堂への91段の階段)

  • 勢至堂と91段の階段

    勢至堂と91段の階段

  • 中央に御火葬跡 左に書院

    中央に御火葬跡 左に書院

  • 勅使門(その後ろに釈迦堂。その前には、庭園があり、紅葉の時に公開されます。左には蓮生園が見えます。)

    勅使門(その後ろに釈迦堂。その前には、庭園があり、紅葉の時に公開されます。左には蓮生園が見えます。)

  • 勅使門(1860年、建造の四脚門で「唐門」とも言います。)

    勅使門(1860年、建造の四脚門で「唐門」とも言います。)

  • 勅使門(1860年、建造の四脚門で「唐門」とも言います。)

    勅使門(1860年、建造の四脚門で「唐門」とも言います。)

  • 御火葬跡(御火葬跡には勢至菩薩像をお祀りしました。)

    御火葬跡(御火葬跡には勢至菩薩像をお祀りしました。)

  • 御火葬跡(御火葬跡には勢至菩薩像をお祀りしました。)

    御火葬跡(御火葬跡には勢至菩薩像をお祀りしました。)

  • 御火葬跡(御火葬跡には勢至菩薩像をお祀りしました。)

    御火葬跡(御火葬跡には勢至菩薩像をお祀りしました。)

  • 御火葬跡(御火葬跡には勢至菩薩像をお祀りしました。)

    御火葬跡(御火葬跡には勢至菩薩像をお祀りしました。)

  • 柏槙(御火葬跡の前に植えら、当時を見ています。)<br />

    柏槙(御火葬跡の前に植えら、当時を見ています。)

  • 柏槙(御火葬跡の前に植えら、当時を見ています。)<br />

    柏槙(御火葬跡の前に植えら、当時を見ています。)

  • 光明寺(法然上人の火葬の時に、カラスとハトが舞いました。(カラスは熊野 ハトは石清水の使い鳥です。)鎮守として右に熊野権現 左に石清水八幡宮を勧請しました。

    光明寺(法然上人の火葬の時に、カラスとハトが舞いました。(カラスは熊野 ハトは石清水の使い鳥です。)鎮守として右に熊野権現 左に石清水八幡宮を勧請しました。

  • 光明寺(法然上人の火葬の時に、カラスとハトが舞いました。(カラスは熊野 ハトは石清水の使い鳥です。)鎮守として右に熊野権現 左に石清水八幡宮を勧請しました。

    光明寺(法然上人の火葬の時に、カラスとハトが舞いました。(カラスは熊野 ハトは石清水の使い鳥です。)鎮守として右に熊野権現 左に石清水八幡宮を勧請しました。

  • 光明寺(茂右衛門屋敷跡)

    光明寺(茂右衛門屋敷跡)

  • 光明寺(茂右衛門屋敷跡)

    光明寺(茂右衛門屋敷跡)

  • 光明寺(御火葬跡と後ろは大書院)

    光明寺(御火葬跡と後ろは大書院)

  • 光明寺(もみじ参道と薬師門)

    光明寺(もみじ参道と薬師門)

  • 光明寺(もみじ参道)紅葉が微かに残っていました。

    光明寺(もみじ参道)紅葉が微かに残っていました。

  • 光明寺(もみじ参道の薬師門)

    光明寺(もみじ参道の薬師門)

  • 光明寺(もみじ参道)

    光明寺(もみじ参道)

  • 丹波街道(光明寺からバス停「宇ノ山」に向かう道すがらです。2KMを歩きます。)

    丹波街道(光明寺からバス停「宇ノ山」に向かう道すがらです。2KMを歩きます。)

  • 丹波街道より西山の山々(山の中腹の善福寺を見ます。)

    丹波街道より西山の山々(山の中腹の善福寺を見ます。)

  • 丹波街道(山の中腹の善福寺を見ます。)

    丹波街道(山の中腹の善福寺を見ます。)

  • 丹波街道(山の中腹の善福寺を見ます。)

    丹波街道(山の中腹の善福寺を見ます。)

  • バス停「宇ノ山」に20数分歩きました。

    バス停「宇ノ山」に20数分歩きました。

  • バス停「宇ノ山」より善福寺に向かいます。(1時間に1本です。)

    バス停「宇ノ山」より善福寺に向かいます。(1時間に1本です。)

  • (車窓風景)十輪寺(在原業平(平城天皇の孫で平安時代の歌人)の閑居の地で墓があるとされています。)業平朝臣塩汲道古跡です。

    (車窓風景)十輪寺(在原業平(平城天皇の孫で平安時代の歌人)の閑居の地で墓があるとされています。)業平朝臣塩汲道古跡です。

  • (車窓)十輪寺(在原業平(平城天皇の孫で平安時代の歌人)の閑居の地で墓があるとされています。)

    (車窓)十輪寺(在原業平(平城天皇の孫で平安時代の歌人)の閑居の地で墓があるとされています。)

  • 善峯寺全景(天台宗で1029年(平安末期)源算上人により開山され、本尊は千手観世音菩薩です。源算上人は恵心僧都に師事し、47歳で当山を開山しました。1034年、後一条天皇より「良峯寺」と賜る。1192年、後鳥羽天皇より「善峯寺」が下賜される。皇室の崇敬を受け、室町時代は僧坊52と大きく成るが、応仁の乱で大半が焼失した。江戸時代に綱吉の生母「桂昌院」が復興する。)

    善峯寺全景(天台宗で1029年(平安末期)源算上人により開山され、本尊は千手観世音菩薩です。源算上人は恵心僧都に師事し、47歳で当山を開山しました。1034年、後一条天皇より「良峯寺」と賜る。1192年、後鳥羽天皇より「善峯寺」が下賜される。皇室の崇敬を受け、室町時代は僧坊52と大きく成るが、応仁の乱で大半が焼失した。江戸時代に綱吉の生母「桂昌院」が復興する。)

  • 善峯寺(参道入口)

    善峯寺(参道入口)

  • 善峯寺(座禅石)源算上人が開山する為に、ここで40日近く座った所です。

    善峯寺(座禅石)源算上人が開山する為に、ここで40日近く座った所です。

  • 乗って来たバスです。

    乗って来たバスです。

  • 善峯寺(急坂を登って東門に着きます。)

    善峯寺(急坂を登って東門に着きます。)

  • 善峯寺(山門(楼門))

    善峯寺(山門(楼門))

  • 善峯寺(楼門)金剛力士像(吽像)

    善峯寺(楼門)金剛力士像(吽像)

  • 善峯寺(楼門)金剛力士像(阿像)

    善峯寺(楼門)金剛力士像(阿像)

  • 善峯寺(観音堂(本堂))1692年の再建で本尊は千手観音菩薩像です。天台宗で1029年(平安末期)源算上人により開山され、源算上人は恵心僧都に師事し、47歳で当山を開山しました。1034年、後一条天皇より「良峯寺」と賜る。1192年、後鳥羽天皇より「善峯寺」が下賜される。皇室の崇敬を受け、室町時代は僧坊52と大きく成るが、応仁の乱で大半が焼失した。江戸時代に綱吉の生母「桂昌院」が復興する。

    善峯寺(観音堂(本堂))1692年の再建で本尊は千手観音菩薩像です。天台宗で1029年(平安末期)源算上人により開山され、源算上人は恵心僧都に師事し、47歳で当山を開山しました。1034年、後一条天皇より「良峯寺」と賜る。1192年、後鳥羽天皇より「善峯寺」が下賜される。皇室の崇敬を受け、室町時代は僧坊52と大きく成るが、応仁の乱で大半が焼失した。江戸時代に綱吉の生母「桂昌院」が復興する。

    善峯寺 寺・神社・教会

  • 善峯寺(本堂)

    善峯寺(本堂)

  • 善峯寺(観音堂(本堂))扁額

    善峯寺(観音堂(本堂))扁額

  • 善峯寺(観音堂(本堂))扁額

    善峯寺(観音堂(本堂))扁額

  • 善峯寺(お香水伽井)お香水を服すると長寿の御利益があります。

    善峯寺(お香水伽井)お香水を服すると長寿の御利益があります。

  • 善峯寺(文殊寺宝館)

    善峯寺(文殊寺宝館)

  • 善峯寺(本堂脇の末寺)

    善峯寺(本堂脇の末寺)

  • 善峯寺(楼門を見返ります。)<br />

    善峯寺(楼門を見返ります。)

  • 善峯寺(鐘楼堂)1686年建立。桂昌院が寄進しました。「厄除けの鐘」と言われています。

    善峯寺(鐘楼堂)1686年建立。桂昌院が寄進しました。「厄除けの鐘」と言われています。

  • 鐘楼堂よりの楼門

    鐘楼堂よりの楼門

  • 金婚の桜

    金婚の桜

  • 善峯寺(護摩堂)1686年、桂昌院の建立。

    善峯寺(護摩堂)1686年、桂昌院の建立。

  • 善峯寺(護摩堂)左より大威徳・軍茶利・不動・降三世・金剛夜叉の本尊五大明王を祀っています。

    善峯寺(護摩堂)左より大威徳・軍茶利・不動・降三世・金剛夜叉の本尊五大明王を祀っています。

  • 善峯寺(護摩堂)左より大威徳・軍茶利・不動・降三世・金剛夜叉の本尊五大明王を祀っています。

    善峯寺(護摩堂)左より大威徳・軍茶利・不動・降三世・金剛夜叉の本尊五大明王を祀っています。

  • 遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

    遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

  • 遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

    遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

  • 遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

    遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

  • 遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

    遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

  • 遊龍の松(根本です。)「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

    遊龍の松(根本です。)「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

  • 遊龍の松(根本です。)「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

    遊龍の松(根本です。)「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

  • 遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

    遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

  • 遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

    遊龍の松(「日本一の松」と言われる五葉松です。樹齢600年以上で全長50Mで13Mを切断して今は37Mになっています。国の天然記念物です。)

  • 桂昌院枝垂れ桜(樹齢300年で、桂昌院のお手植えの桜。桜とモミジの合体木です。JRのCM「そうだ。京都に行こう。」の木です。)

    桂昌院枝垂れ桜(樹齢300年で、桂昌院のお手植えの桜。桜とモミジの合体木です。JRのCM「そうだ。京都に行こう。」の木です。)

  • 桂昌院枝垂れ桜(樹齢300年で、桂昌院のお手植えの桜。桜とモミジの合体木です。JRのCM「そうだ。京都に行こう。」の木です。)

    桂昌院枝垂れ桜(樹齢300年で、桂昌院のお手植えの桜。桜とモミジの合体木です。JRのCM「そうだ。京都に行こう。」の木です。)

  • 桂昌院枝垂れ桜と経堂と奥に多宝塔

    桂昌院枝垂れ桜と経堂と奥に多宝塔

  • 多宝塔(1621年、建立です。国の重文です。)

    多宝塔(1621年、建立です。国の重文です。)

  • 多宝塔(1621年、建立です。国の重文です。)

    多宝塔(1621年、建立です。国の重文です。)

  • 多宝塔(本尊の愛染明王ですが、反射しています。)

    多宝塔(本尊の愛染明王ですが、反射しています。)

  • 経堂(桂昌院が寄進し、1705年の建立で今は絵馬奉納所です。)

    経堂(桂昌院が寄進し、1705年の建立で今は絵馬奉納所です。)

  • 経堂(伝大師(中国南北朝時代の僧)を奉安。)

    経堂(伝大師(中国南北朝時代の僧)を奉安。)

  • 経堂(内部の絵馬奉納所)

    経堂(内部の絵馬奉納所)

  • 京都市内を見渡せます。

    京都市内を見渡せます。

  • 開山堂(1685年の建立。開山源算上人廟所で上人117歳の尊像を祀る。)

    開山堂(1685年の建立。開山源算上人廟所で上人117歳の尊像を祀る。)

  • 開山堂(1685年の建立。開山源算上人廟所で上人117歳の尊像を祀る。)

    開山堂(1685年の建立。開山源算上人廟所で上人117歳の尊像を祀る。)

  • 幸福地蔵(330年以上前の地蔵様)

    幸福地蔵(330年以上前の地蔵様)

  • 幸福地蔵(330年以上前の地蔵様)

    幸福地蔵(330年以上前の地蔵様)

  • 幸福地蔵(330年以上前の地蔵様)

    幸福地蔵(330年以上前の地蔵様)

  • 白山桜あじさい苑(春は枝垂れ桜 夏は紫陽花が一帯を彩ります。)

    白山桜あじさい苑(春は枝垂れ桜 夏は紫陽花が一帯を彩ります。)

  • 白山桜あじさい苑(白山名水と白山社)

    白山桜あじさい苑(白山名水と白山社)

  • 善峯寺(北門)

    善峯寺(北門)

  • 薬師堂を見上げます。

    薬師堂を見上げます。

  • 宝篋印塔(伝教大師筆の法華経が納められています。)

    宝篋印塔(伝教大師筆の法華経が納められています。)

  • 桂昌院廟(桂昌院の遺髪を納めた廟所)

    桂昌院廟(桂昌院の遺髪を納めた廟所)

  • 桂昌院廟(桂昌院の遺髪を納めた廟所)

    桂昌院廟(桂昌院の遺髪を納めた廟所)

  • 多宝塔を上から見ます。

    多宝塔を上から見ます。

  • 鎮守社(左より十三仏堂 弁財天堂 毘沙門堂 護法堂)

    鎮守社(左より十三仏堂 弁財天堂 毘沙門堂 護法堂)

  • 鎮守社(左は十三仏堂 右は弁財天堂)

    鎮守社(左は十三仏堂 右は弁財天堂)

  • 経堂を上より見ます。

    経堂を上より見ます。

  • 釈迦堂(本尊釈迦如来は源算上人作と伝わる。腰痛や神経痛に霊験があります。合掌されるお釈迦様は珍しいそうです。)

    釈迦堂(本尊釈迦如来は源算上人作と伝わる。腰痛や神経痛に霊験があります。合掌されるお釈迦様は珍しいそうです。)

  • 釈迦堂(本尊釈迦如来は源算上人作と伝わる。腰痛や神経痛に霊験があります。合掌されるお釈迦様は珍しいそうです。)

    釈迦堂(本尊釈迦如来は源算上人作と伝わる。腰痛や神経痛に霊験があります。合掌されるお釈迦様は珍しいそうです。)

  • 釈迦堂(本尊釈迦如来は源算上人作と伝わる。腰痛や神経痛に霊験があります。合掌されるお釈迦様は珍しいそうです。)

    釈迦堂(本尊釈迦如来は源算上人作と伝わる。腰痛や神経痛に霊験があります。合掌されるお釈迦様は珍しいそうです。)

  • 釈迦堂と枝垂れ桜<br />

    釈迦堂と枝垂れ桜

  • 稲荷社

    稲荷社

  • けいよう社(桂昌院の像があります。)

    けいよう社(桂昌院の像があります。)

  • 薬師堂(1701年の建立。昭和63年に現在地に移築された。)

    薬師堂(1701年の建立。昭和63年に現在地に移築された。)

  • 薬師堂(1701年の建立。)

    薬師堂(1701年の建立。)

  • 薬師堂(1701年の建立。)

    薬師堂(1701年の建立。)

  • 薬師堂より京都市内を見渡します。

    薬師堂より京都市内を見渡します。

  • 薬師堂より京都市内を見渡します。(中央の緑の所は京都御所)

    薬師堂より京都市内を見渡します。(中央の緑の所は京都御所)

  • 薬師堂より京都市内を見渡します。(京都タワー)

    薬師堂より京都市内を見渡します。(京都タワー)

  • 薬師堂より登って来た楼門 護摩堂 多宝塔 経堂が見渡せます。

    薬師堂より登って来た楼門 護摩堂 多宝塔 経堂が見渡せます。

  • 蓮華壽院旧跡庭(御住坊旧跡で薬師堂移築の時に作庭)

    蓮華壽院旧跡庭(御住坊旧跡で薬師堂移築の時に作庭)

  • 青蓮院親王御陵(宮内庁管轄)

    青蓮院親王御陵(宮内庁管轄)

  • 青蓮院親王御陵(宮内庁管轄)

    青蓮院親王御陵(宮内庁管轄)

  • 青蓮院親王御陵隣の功績のある祖師の御墓

    青蓮院親王御陵隣の功績のある祖師の御墓

  • 青蓮の滝<br />

    青蓮の滝

  • 青蓮の滝(祀ってある不動様)

    青蓮の滝(祀ってある不動様)

  • 手前が釈迦堂と奥に楼門 観音堂等が見渡せます。

    手前が釈迦堂と奥に楼門 観音堂等が見渡せます。

  • 右にけいよう殿 左に薬師堂

    右にけいよう殿 左に薬師堂

  • 阿弥陀堂(1673年の建立。常行堂とも言います。)

    阿弥陀堂(1673年の建立。常行堂とも言います。)

  • 阿弥陀堂前の坂道

    阿弥陀堂前の坂道

  • 善峯寺(本坊)

    善峯寺(本坊)

  • 善峯寺より大原野に向かいます。(灰方で下車して10数分歩きます。兎に角、バスの便が不便で、レンタカー利用が便利です。)

    善峯寺より大原野に向かいます。(灰方で下車して10数分歩きます。兎に角、バスの便が不便で、レンタカー利用が便利です。)

  • 高田クリスタル・ミュージアム

    高田クリスタル・ミュージアム

  • R「味一人」で昼食を戴きます。

    R「味一人」で昼食を戴きます。

    味一人 グルメ・レストラン

  • R「味一人」店内

    R「味一人」店内

  • 和牛カルビランチ

    和牛カルビランチ

  • R「味一人」和牛カルビランチ1000円

    R「味一人」和牛カルビランチ1000円

  • 歩いてBT停灰方よりBT停南春日町に着きます。

    歩いてBT停灰方よりBT停南春日町に着きます。

  • 勝持寺・正法寺・大原野神社とひたすら歩きます。

    勝持寺・正法寺・大原野神社とひたすら歩きます。

  • 山中の勝持寺と大原野神社まで歩きます。

    山中の勝持寺と大原野神社まで歩きます。

  • 勝持寺(仁王門)

    勝持寺(仁王門)

  • 勝持寺(仁王門)

    勝持寺(仁王門)

  • 勝持寺(仁王門)阿吽像

    勝持寺(仁王門)阿吽像

  • 勝持寺(仁王門)阿吽像

    勝持寺(仁王門)阿吽像

  • 勝持寺(仁王堂)

    勝持寺(仁王堂)

  • 勝持寺(急な参道をひたすら、登ります。)

    勝持寺(急な参道をひたすら、登ります。)

  • 勝持寺子院跡の石塁と石垣

    勝持寺子院跡の石塁と石垣

  • 勝持寺子院跡の石塁

    勝持寺子院跡の石塁

  • 勝持寺子院跡の石塁

    勝持寺子院跡の石塁

  • 勝持寺(急坂の参道)

    勝持寺(急坂の参道)

  • 勝持寺(山門)

    勝持寺(山門)

  • 勝持寺(阿弥陀堂)天武天皇の命で役行者が創建。平安末期、歌人の西行が出家して庵を結び、桜を愛でた為、「花の寺」と呼ばれています。791年、伝教大師が桓武天皇の勅で堂塔伽藍を再建し、838年には塔頭49を建立。応仁の乱で仁王門以外は焼失した。その後、再建された。

    勝持寺(阿弥陀堂)天武天皇の命で役行者が創建。平安末期、歌人の西行が出家して庵を結び、桜を愛でた為、「花の寺」と呼ばれています。791年、伝教大師が桓武天皇の勅で堂塔伽藍を再建し、838年には塔頭49を建立。応仁の乱で仁王門以外は焼失した。その後、再建された。

  • 勝持寺(阿弥陀堂)

    勝持寺(阿弥陀堂)

    勝持寺(花の寺) 寺・神社・教会

  • 勝持寺(阿弥陀堂)本尊の阿弥陀如来像

    勝持寺(阿弥陀堂)本尊の阿弥陀如来像

  • 勝持寺(阿弥陀堂前のびんずる像)

    勝持寺(阿弥陀堂前のびんずる像)

  • 勝持寺(阿弥陀堂前の庭園)

    勝持寺(阿弥陀堂前の庭園)

  • 瑠璃光殿(宝物館)立派な仏像がありますが、内部は撮影禁止です。

    瑠璃光殿(宝物館)立派な仏像がありますが、内部は撮影禁止です。

  • 勝持寺(瑠璃光殿)立派な仏像がありますが、内部は撮影禁止です。

    勝持寺(瑠璃光殿)立派な仏像がありますが、内部は撮影禁止です。

  • 勝持寺(不動堂)

    勝持寺(不動堂)

  • 勝持寺(不動堂内部)弘法大師が眼病に悩む人々に石不動明王を刻んで、岩窟中に安置しました。

    勝持寺(不動堂内部)弘法大師が眼病に悩む人々に石不動明王を刻んで、岩窟中に安置しました。

  • 勝持寺(不動堂内部)弘法大師が眼病に悩む人々に石不動明王を刻んで、岩窟中に安置しました。

    勝持寺(不動堂内部)弘法大師が眼病に悩む人々に石不動明王を刻んで、岩窟中に安置しました。

  • 勝持寺(不動堂内部)弘法大師が眼病に悩む人々に石不動明王を刻んで、岩窟中に安置しました。

    勝持寺(不動堂内部)弘法大師が眼病に悩む人々に石不動明王を刻んで、岩窟中に安置しました。

  • 不動堂より阿弥陀堂を見ます。

    不動堂より阿弥陀堂を見ます。

  • 勝持寺(阿弥陀堂)

    勝持寺(阿弥陀堂)

  • 西行桜(鳥羽上皇に仕えていた北面の武士・佐藤藤兵衛義清が1440年に当寺で出家し西行と名を改めて、一株の桜を植えていました。今は3代目です。)

    西行桜(鳥羽上皇に仕えていた北面の武士・佐藤藤兵衛義清が1440年に当寺で出家し西行と名を改めて、一株の桜を植えていました。今は3代目です。)

  • 不動堂より西行桜を見ます。

    不動堂より西行桜を見ます。

  • 西行桜(鳥羽上皇に仕えていた北面の武士・佐藤藤兵衛義清が1440年に当寺で出家し西行と名を改めて、一株の桜を植えていました。今は3代目です。)

    西行桜(鳥羽上皇に仕えていた北面の武士・佐藤藤兵衛義清が1440年に当寺で出家し西行と名を改めて、一株の桜を植えていました。今は3代目です。)

  • 勝持寺(鐘楼堂)

    勝持寺(鐘楼堂)

  • 勝持寺(鏡石)西行がこの石を鏡代わりにして頭を剃りました。

    勝持寺(鏡石)西行がこの石を鏡代わりにして頭を剃りました。

  • 勝持寺(瀬和井の泉)

    勝持寺(瀬和井の泉)

  • 勝持寺(魚籃観音)西遊記に出てくる観音様で竹の籠の中に魚が入っています。

    勝持寺(魚籃観音)西遊記に出てくる観音様で竹の籠の中に魚が入っています。

  • 勝持寺(魚籃観音)西遊記に出てくる観音様で竹の籠の中に魚が入っています。

    勝持寺(魚籃観音)西遊記に出てくる観音様で竹の籠の中に魚が入っています。

  • 勝持寺(魚籃観音)西遊記に出てくる観音様で竹の籠の中に魚が入っています。

    勝持寺(魚籃観音)西遊記に出てくる観音様で竹の籠の中に魚が入っています。

  • 勝持寺(花を愛でる庵)

    勝持寺(花を愛でる庵)

  • 勝持寺(桜が丘)

    勝持寺(桜が丘)

  • 桜が綺麗です。

    桜が綺麗です。

  • 勝持寺(石塔)

    勝持寺(石塔)

  • 勝持寺(冴野の沼)

    勝持寺(冴野の沼)

  • 願徳寺(天台宗密教。679年に寺戸に創建され、昭和37年、ここに移る。国宝の如意輪観世音半跏像が安置しています。)

    願徳寺(天台宗密教。679年に寺戸に創建され、昭和37年、ここに移る。国宝の如意輪観世音半跏像が安置しています。)

  • 大原野神社(784年、長岡京遷都の際、奈良の春日大社の分霊を祀った神社で、鹿が神使いとされる。猿沢の池を模した鯉沢池にはカキツバタ・スイレンなどが咲きます。)

    大原野神社(784年、長岡京遷都の際、奈良の春日大社の分霊を祀った神社で、鹿が神使いとされる。猿沢の池を模した鯉沢池にはカキツバタ・スイレンなどが咲きます。)

  • 大原野神社(一の鳥居)784年、長岡京遷都の際、奈良の春日大社の分霊を祀った神社で、鹿が神使いとされる。猿沢の池を模した鯉沢池にはカキツバタ・スイレンなどが咲きます。

    大原野神社(一の鳥居)784年、長岡京遷都の際、奈良の春日大社の分霊を祀った神社で、鹿が神使いとされる。猿沢の池を模した鯉沢池にはカキツバタ・スイレンなどが咲きます。

  • 大原野神社(二の鳥居)

    大原野神社(二の鳥居)

  • 大原野神社(神鹿苑碑)昭和41年から平成7年まで奥に鹿を飼っていました。

    大原野神社(神鹿苑碑)昭和41年から平成7年まで奥に鹿を飼っていました。

  • 大原野神社(シイの大木跡)

    大原野神社(シイの大木跡)

  • 大原野神社(784年、長岡京遷都の際、奈良の春日大社の分霊を祀った神社で、鹿が神使いとされる。猿沢の池を模した鯉沢池にはカキツバタ・スイレンなどが咲きます。)

    大原野神社(784年、長岡京遷都の際、奈良の春日大社の分霊を祀った神社で、鹿が神使いとされる。猿沢の池を模した鯉沢池にはカキツバタ・スイレンなどが咲きます。)

  • 大原野神社(鹿の手水舎)

    大原野神社(鹿の手水舎)

  • 大原野神社(三の鳥居)

    大原野神社(三の鳥居)

  • 大原野神社(拝殿)

    大原野神社(拝殿)

    大原野神社 寺・神社・教会

  • 大原野神社(拝殿前には狛犬ではなく、神鹿像が安置)

    大原野神社(拝殿前には狛犬ではなく、神鹿像が安置)

  • 大原野神社(拝殿前には狛犬ではなく、神鹿像が安置)

    大原野神社(拝殿前には狛犬ではなく、神鹿像が安置)

  • 大原野神社(拝殿内)春日大社の様式を模して春日造りで4棟が並びます。)

    大原野神社(拝殿内)春日大社の様式を模して春日造りで4棟が並びます。)

  • 大原野神社(4つの本殿が分かります。)

    大原野神社(4つの本殿が分かります。)

  • 大原野神社(大きな絵馬。正月の準備です。)

    大原野神社(大きな絵馬。正月の準備です。)

  • 大原野神社(祓戸社)

    大原野神社(祓戸社)

  • 大原野神社(右より八坂社 稲荷社 八幡社)

    大原野神社(右より八坂社 稲荷社 八幡社)

  • 大原野神社(モミの神木跡)平成30年の台風で折れました。樹齢約500年です。

    大原野神社(モミの神木跡)平成30年の台風で折れました。樹齢約500年です。

  • 大原野神社(モミの神木跡)平成30年の台風で折れました。樹齢約500年です。

    大原野神社(モミの神木跡)平成30年の台風で折れました。樹齢約500年です。

  • 瀬和井(清和天皇産湯の清水で今まで涸れた事が無いそうです。)

    瀬和井(清和天皇産湯の清水で今まで涸れた事が無いそうです。)

  • 瀬和井(清和天皇産湯の清水で今まで涸れた事が無いそうです。)

    瀬和井(清和天皇産湯の清水で今まで涸れた事が無いそうです。)

  • 大原野神社(五島茂・美代子歌碑)

    大原野神社(五島茂・美代子歌碑)

  • 大原野神社(植松壽樹・富小路禎子歌碑)

    大原野神社(植松壽樹・富小路禎子歌碑)

  • 大原野神社(鯉沢池)奈良の猿沢の池を模して文徳天皇が作った。

    大原野神社(鯉沢池)奈良の猿沢の池を模して文徳天皇が作った。

  • 大原野神社(鯉沢池)奈良の猿沢の池を模して文徳天皇が作った。

    大原野神社(鯉沢池)奈良の猿沢の池を模して文徳天皇が作った。

  • 鯉沢池(中央が「こいばし」で「恋の架け橋」とも言われます。)

    鯉沢池(中央が「こいばし」で「恋の架け橋」とも言われます。)

  • 大原野神社(鯉沢池)奈良の猿沢の池を模して文徳天皇が作った。

    大原野神社(鯉沢池)奈良の猿沢の池を模して文徳天皇が作った。

  • 鯉沢池中央の地主社

    鯉沢池中央の地主社

  • 大原野神社(若宮社)

    大原野神社(若宮社)

  • 大原野神社(若宮社)

    大原野神社(若宮社)

  • 大原野神社(相撲場)

    大原野神社(相撲場)

  • 春日の茶屋(閉まっていました。)

    春日の茶屋(閉まっていました。)

  • 正法寺(約830年前に開山。後奈良天皇の勅願寺で、家康の側室「お亀の方」(尾張初代藩主の徳川義直公の実母)の菩提寺です。)

    正法寺(約830年前に開山。後奈良天皇の勅願寺で、家康の側室「お亀の方」(尾張初代藩主の徳川義直公の実母)の菩提寺です。)

  • 正法寺境内図(約830年前に開山。後奈良天皇の勅願寺で、家康の側室「お亀の方」(尾張初代藩主の徳川義直公の実母)の菩提寺です。)

    正法寺境内図(約830年前に開山。後奈良天皇の勅願寺で、家康の側室「お亀の方」(尾張初代藩主の徳川義直公の実母)の菩提寺です。)

    正法寺 寺・神社・教会

  • 正法寺(山門)

    正法寺(山門)

  • 正法寺(本堂)

    正法寺(本堂)

  • 正法寺(様々の仏像が拝観出来ます。)

    正法寺(様々の仏像が拝観出来ます。)

  • 正法寺(庭園)

    正法寺(庭園)

  • 正法寺(庭園)

    正法寺(庭園)

  • 正法寺(庭園)

    正法寺(庭園)

  • 正法寺(春日不動尊)

    正法寺(春日不動尊)

  • 正法寺(春日不動尊)

    正法寺(春日不動尊)

  • 正法寺(右に遍照塔 左に阿弥陀三尊像)

    正法寺(右に遍照塔 左に阿弥陀三尊像)

  • 樫本神社(仁徳天皇を祀る神社)

    樫本神社(仁徳天皇を祀る神社)

  • バス停「南春日町」よりバスに乗り東日向駅に向かいます。

    バス停「南春日町」よりバスに乗り東日向駅に向かいます。

  • 阪急電車東向日駅

    阪急電車東向日駅

    東向日駅

  • 東向日駅より乗ります。

    東向日駅より乗ります。

  • 長岡天神駅より特急に乗り換え、十三駅で乗り換え、自宅に向かいます。

    長岡天神駅より特急に乗り換え、十三駅で乗り換え、自宅に向かいます。

    長岡天神駅

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