2022/09/07 - 2022/09/07
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京都(未訪の修学院離宮 40数年ぶりの大原(三千院 寂光院))を妻と回りました。(写真)三千院の往生極楽院と有清園と弁天池
修学院離宮のネット予約はいつも数ケ月後まで満杯ですが、約10日前に5人のキャンセル?があり、申し込み当選。急遽、京都の訪問を決めました。
(修学院離宮)1656-1659年に、後水尾上皇により造営された山荘庭園で約54万平方mの敷地に上・中・下の3つの離宮が立ち、江戸時代初期からその間を田畑・松並木にする雄大な景色の庭園です。修学院は10C後半にここに修学院という寺が建立された。下離宮は周囲の山々を「借景」とした庭園。中離宮は上皇の第八皇女光子内親王のために、建てられた山荘に林丘寺として拡張。上離宮は一番の高台にあり、山からの小川を堰き止めて、浴龍池とした回遊式庭園です。上皇の好みを表した庭園で毎年、訪れていた。
(三千院)大原の地は千年以上前より仏教声明の発祥地で、浄土信仰の聖地でした。三千院の創建は最澄上人が延暦寺建立の際、草案を結んだのが始まりです。往生極楽院は986年、恵心僧都源信が父母の菩提の為に、建立。宸殿は後白河法皇による道場として建立。庭園は江戸時代の茶人による修築と伝えられます。
(往生極楽院)国宝の「阿弥陀三尊像」があり、脇侍に左に勢至菩薩(知恵) 右に観世音菩薩(慈悲の仏)。建物は重文です。始めに、お堂が造られ、後で仏様(1148年作)を収めた時に天井が低く光背部分が当たる為、中央を舟底型にかさ上げしています。お堂は980年頃、道場として造られたので、周囲の壁は板張りで後ろに小さい入口がありました。現在、お堂の壁に額があり、4500程の仏が描かれていますが、それが板張りの壁の一部です。天井には青い色の天女が描かれていますが、護摩修行でススで黒くなっています。仏様の本来の大きさは丈六仏といいますが、約4.8mだそうです。
(大和坐り)脇侍の2体の座り方は「大和坐り」と言い、正座に似ています。以前には正座はなく、室町時代にお茶の坐り方として入った。「大和坐り」は足を両脇に広げ、腰を浮かしており、前のめりになっています。それは立ち上がりの姿で早く、人々を助けたいという気持ちを表しています。日本の座り方の一つです。「大和坐り」の仏像は全国に約12体程ありますが、珍しい座り方です。
(寂光院)天台宗の尼寺で594年、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔う為に創建された。本尊は六万体地蔵尊(2.5m)です。第3代目住職が建礼門院徳子(清盛の息女 高倉天皇の中宮で、安徳天皇の母です。)建礼門院徳子は1185年3月の壇ノ浦の戦いで入水自殺をしたが助けられ、29歳で同年9月にここで隠居生活を送り、亡くなった平家一門の菩提を弔った。1186年春、義父の後白河法皇が訪れ、余りに寂しい所の為、落涙をしました。36歳で亡くなりました。
①2022年9月7日(水)
関西(JR)7:21京都7:33(地下鉄・市バス一日券(1100円)購入。市バス5)8:21修学院離宮道(徒歩15分)修学院離宮に行きます。
1)修学院離宮(9:00-10:20無料)(後水尾上皇により造営された山荘庭園で3つの離宮があり、間に松並木や棚田があります。)
(下離宮)表総門 御幸門 御興寄 寿月観 松並木 棚田
(中離宮)表門 中門 林丘寺 客殿(霞棚 杉戸ノ絵 欄干)楽只軒(吉野ノ桜) 旧表総門
(上離宮)御成門 大刈込 隣雲亭 万松鳥 千歳橋 楓橋 窮遂亭 土橋 御舟着 西浜と歩きますが、起伏が有り、疲れます。
修学院離宮(徒歩14分)宝が池10:49(バス17-九頭竜大社 猫猫寺 花尻の森を通り、)11:10大原に着きます。
2)(昼食)志野松門(八菜ランチ2200円)戴き、 呂川 椿地蔵 大原の里を通り
3)三千院(700円)(最澄の草庵 御殿門 客殿 聚碧園 涙ノ桜 宸殿 有清園 往生極楽院(阿弥陀三尊坐像) 弁天池 細波ノ滝 朱雀門 ワラベ地蔵 延命水 弁財天 アジサイ苑 金色不動堂 観音堂 石庭 東屋 草木供養塔 勝手神社 猫地蔵 津川 売炭翁石仏 西方門 円融蔵)と参拝します。 鉈捨藪跡 腰掛石 律川後鳥羽・順徳天皇大原陵 法華堂を見て、実光院(勝林院の僧坊 客殿 庭園(契心園) 勝林院(835年建立 天台声明ノ根本道場 前庭 鐘楼 本堂) 宝泉院(勝林院の僧坊 客殿 鶴亀庭園 額縁庭園 五葉の松 血天井)を拝観をせず、外から見ます。
茶屋「きずな」(赤紫蘇ジュース300円)で休み、和雑貨創作小物「山路」で買い物をして、高野川 朧の清水を通り、
4)寂光院(600円)594年聖徳太子が創建。1185年、建礼門院が入寺。 本殿 四方正面ノ池 雪見灯籠 書院 庭園 汀の池 千年の姫小松 鐘楼 徳子御庵室跡 収蔵庫 神明神社 狐雲 宝物殿阿波内侍女官5人の墓 建礼門院徳子大原西陵を参拝します、。)H12年火災で本堂等を焼失しました。
大原17:00(バス19)17:24国際会館17:35(地下鉄)18:02京都駅に着きます。
5)(夕食)萬重小庵(京都ポルタ)(18:10-18:55)萬重弁当「華」2500円酒700円を戴き、イルミネーションされた大階段を見て京都19:29(JR)関西に帰ります。
{旅程}
①9/7(水)京都(バス)修学院離宮(歩)宝ケ池(バス)大原(三千院 寂光院)(バス)国際会館(地下鉄)京都
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR京都駅で降ります。
京都駅 駅
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市バス(No5)で修学院離宮道に行きます。
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(車窓風景)京都市役所
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(車窓風景)鴨川
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修学院離宮道でバスを降り、歩いて修学院離宮に向かいます。
途中の修学院教会 -
石川丈山先生詩仙堂(安土桃山時代から江戸初期の武将・文人で1641年、詩仙堂を造営する。)
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修学院離宮表総門(皆さんが待っています。)
修学院離宮 名所・史跡
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9:00からのガイドツアーに参加します。
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下離宮の御幸門(こけら葺きの屋根)(我々は左側から入ります。)
下離宮(周囲の山々を「借景」とした庭園) -
下離宮の御幸門(花菱紋の透かし彫り)
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中門を入った庭園
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寿月観の玄関「御輿寄」
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庭園を上から見ます。
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寿月観(1824年に造営されたこけら葺き数寄屋造りで一・二・三の間よりなります。右が一の間 右が三の間)一の間の扁額「寿月観」は上皇の宸筆です。仙洞御所より6kmにあり、ここで上皇は月を眺め、休憩や食事をしました。
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一の間(飾り棚で上に鶴と雲の絵 下の地袋には岩と蘭の絵があります。(原在中作)真ん中に違い棚)
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右が二の間 左が三の間(お供の控えの間)
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一の間(15畳で三畳の上段があります。)
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一の間(襖4枚に虎渓三笑の絵が岸駒により描かれています。)上には上皇が好みであった菱形模様が多く用いられています。)
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下離宮の出口の門
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中離宮に続く松並木(江戸時代は松並木はなく、明治天皇の時に、馬車で行く為に、道を広げ、馬車道としました。その時に、松を植えました。)
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松並木の周囲は棚田です。(初めは個人所有でしたが、建物を建てたら困るので、離宮で買い上げ、貸して、耕作をしています。お米は昔は天皇に献上していたが、今は個人で食べています。)
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中離宮の表門(勿論、左から入ります。)
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中離宮の表門(火事にならないように水を連想させる作りです。)
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上の建物は林丘寺(上皇の第8皇女光子内親王が出家してここに住んだ。今でも、臨済宗系のお寺です。音羽御所とも言います。)
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中門に向かいます。
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中離宮(中門)
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右は客殿 左は楽只軒(光子内親王の為の建物で、その後、内親王の山荘になり、整備され林丘寺となった。
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客殿(1682年、光子内親王の為に、女院御所より移築しました。豪華で可憐な建物です。杉戸の絵や霞棚等があります。)
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客殿(1682年、光子内親王の為に、女院御所より移築しました。豪華で可憐な建物です。杉戸の絵や霞棚等があります。)
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一の間(12畳半)の(霞棚)和歌と絵の色紙を貼って飾られています。桂離宮の桂棚 三宝院の醍醐棚と共に、天下の三棚と称されています。
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一の間(12畳半)の(霞棚)和歌と絵の色紙を貼って飾られています。
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杉戸の絵(祇園祭の鉾の絵で狩野敦信作といわれています。)
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杉戸の絵(祇園祭の鉾の絵で狩野敦信作といわれています。)
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「網干の欄干」と呼ばれる漁村で網を干した形を表している低い手すり。
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杉戸の絵(鯉の絵ー表)表裏で描かれている。筆者は不詳ですが、網は丸山応挙の筆と伝えられています。網は鯉が逃げないようにと描かれ、破れている所が分かります。)
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杉戸の絵(鯉の絵ー裏側)表裏で描かれている。筆者は不詳ですが、網は丸山応挙の筆と伝えられています。網は鯉が逃げないようにと描かれ、破れている所が分かります。)
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客殿の前の前庭(尼寺のようにひなびた感じです。)
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「網干の欄干」と呼ばれる漁村で網を干した形を表している低い手すり。
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旧表総門
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楽只軒(光子内親王の為の建物で、その後、内親王の山荘になり、整備され林丘寺となった。
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扁額「楽只軒」
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楽只軒(一の間は六畳で吉野山の桜が描かれ、狩野探信(探幽の子)作である。)
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楽只軒(光子内親王が病気(疱瘡)のなった時に、護摩をたいて祈祷した為に、壁が黒ずんでいます。
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中離宮の大カヤの木(京都御所より持って来た。)
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棚田(中離宮より上離宮に向かいます。)
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松並木(説明をして頂いた職員の方)
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松並木より京都市内を見ます。(中央の緑は下賀茂神社と京都御所です)
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上離宮に続く松並木
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上離宮裏のお茶屋山(修学院離宮所有です。)
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上離宮の大刈込(4段の石垣が隠れており、この奥に池がある事を想像させません。)
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上離宮の御成門(こけら葺きの門)左より入ります。
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隣雲亭(右に一の間(六畳) 二の間(三畳)は床も棚もなく一切の装飾を拒んで自然のままである。左の板の間の洗詩台 裏に控えの間があります。)
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隣雲亭(右に一の間(六畳) 二の間(三畳)は床も棚もなく一切の装飾を拒んで自然のままである。左の板の間の洗詩台 裏に控えの間があります。)
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隣雲亭(一の間(六畳))
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裏の控えの間
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一二三石(漆喰に石がはめ込んであります。1と2と3個の石で赤の石は鴨川の石 黒の石は鞍馬石です。)
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一二三石(漆喰に石がはめ込んであります。1と2と3個の石で赤の石は鴨川の石 黒の石は鞍馬石です。)
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隣雲亭より見る浴龍池
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隣雲亭より見る浴龍池(中央が万松烏ー島の形を泳ぐ竜の姿に見立てています。))
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隣雲亭より見る浴龍池(蓮)
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隣雲亭より見る洛北の山々と手前の山は修学院離宮の所有だそうです。
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隣雲亭より見る京都市内(中央の緑は下賀茂神社と京都御所)
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隣雲亭(裏側)
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隣雲亭より石段を降ります。
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石灯籠
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木立の奥の6m余りの雄滝(今は水が流れていません。)
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千歳橋(石橋で切り石を組んだ橋脚二基に一枚石を渡し、二つの橋脚に右の宝形造りと左の寄棟造りの四阿風なものを建てています。中国風な感じで自然に溶け込まず、違和感がありますが、それがアンバランスの美と言えるそうです。
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楓橋
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楓橋
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窮遂亭(1824年に造られたこけら葺きの茶室で3間18畳の一室で上段の間が6畳あり、客はそこに座り、浴龍池を見たり、酒宴の場となります。)
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窮遂亭(1824年に造られたこけら葺きの茶室で3間18畳の一室で上段の間が6畳あり、客はそこに座り、浴龍池を見たり、酒宴の場となります。窓の下の手すりは上皇が肘を置いたそうです。)
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戸を上に開けます。(雨を避ける為です。)
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瓢箪と杯の形
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土橋(土と石より出来ています。)
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土橋の欄干(手斧づくりの欄干)
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浴龍池(舟遊びの場であり、島々を周りながら、管絃や詩歌の会などが行われた。)
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舟遊びの船
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浴龍池(舟遊びの場であり、島々を周りながら、管絃や詩歌の会などが行われた。)
上に隣雲亭が見えます。 -
御船着(左の石は船のロープを繋いでいた。)
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白サギ
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綺麗な棚田
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京都市内(左に京都タワー)
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浴龍池の西浜(曲線美)
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歩いて修学院離宮より宝ヶ池に行きます。
宝ヶ池駅 -
宝が池のバス停
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大原行のバス(No17)
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(車窓風景)八瀬比叡山口付近(紅葉の頃は綺麗です。)
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(車窓風景)九頭竜大社(参拝の仕方が独特だそうです。)
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(車窓風景)猫猫寺(お寺ではなく、猫のミュージアムです。勿論、住職は猫ちゃんです。いつか、訪れたいものです。)
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(車窓風景)花尻の森(頼朝が建礼門院徳子を監視させていた松田源太夫の屋敷跡です。)
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(車窓風景)江文神社御旅所
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大原のBTに着きました。
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大原女の小径の「女ひとり」の歌碑
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手前はしそ畑(しば漬けの原料で、大原独特の固有種だそうです。)
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まず、「志野松門」で昼食を戴きます。
志野 松門 グルメ・レストラン
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「志野松門」入口
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「志野松門」水車
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「志野松門」店内
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「志野松門」店内
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八菜らんちを戴きます。
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「志野松門」京野菜を使用しています。
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八菜らんち(右中央の枝豆のようなものはマイクロキュウリで濃厚な味でした。左上のサラダの中に四角豆(沖縄産)という野菜が入っていました。)
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呂川沿いを登ります。
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椿地蔵(惟たか親王に仕えた大原の久保家に祀られていました。)大きな椿の下で椿の花に埋まりそうになっていました。
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椿地蔵(惟たか親王に仕えた大原の久保家に祀られていました。)
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見渡す限りの大原の里(右は577mの翠黒山)
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呂川
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三千院前の道(左に茶屋 右に三千院)
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三千院(境内図)
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三千院(御殿門)石組みは石積技術の高い近江坂本の穴太衆という石工が積んだものです。自然石を使った石組みは時が経っても崩れません。
三千院 寺・神社・教会
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三千院入口(まず、拝観料700円を払い、建物(中書院 客殿 宸殿)を歩きますが、建物内は撮影禁止ですが、庭園は撮影可能です。)
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三千院(御殿門)石組みは石積技術の高い近江坂本の穴太衆という石工が積んだものです。自然石を使った石組みは時が経っても崩れません。
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客殿より見る聚碧園(池泉鑑賞式庭園で東と南に分かれています。こちらは南部で円形とひょうたん形の池が中心の庭です。隅のある老木「涙の桜」は西行法師の御手植えの桜と言われています。)
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客殿より見る聚碧園(中央にある老木「涙の桜」は西行法師の御手植えの桜と言われています。)
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客殿より見る聚碧園(池泉鑑賞式庭園で東と南に分かれています。こちらは南部で円形とひょうたん形の池が中心の庭です。隅のある老木「涙の桜」は西行法師の御手植えの桜と言われています。)
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客殿より見る聚碧園(池泉鑑賞式庭園で東と南に分かれています。こちらは西部で上下二段の庭園です。)
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客殿より見る聚碧園(池泉鑑賞式庭園で東と南に分かれています。こちらは南部で円形とひょうたん形の池が中心の庭です。隅のある老木「涙の桜」は西行法師の御手植えの桜と言われています。)
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清冷水
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宸殿(重要な法要を行います。大正15年、造営。左は西の間で尊碑があり、右は東の間で玉座があり、天皇が座ります。下村観山の襖絵「虹の間」があります。)
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宸殿よりの有清園(青苔に杉やヒノキの立木があり、上部に三段式の滝があります。
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有清園庭園と寿碧園庭園の説明
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有清園庭園と奥に往生極楽院
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弁天池
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良く分かりませんが細波の滝
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有清園庭園の綺麗な苔
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往生極楽院にある阿弥陀三尊像
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往生極楽院(堂内は撮影禁止です。堂内で説明をして頂きました。)
(往生極楽院)国宝の「阿弥陀三尊像」があり、脇侍に左に勢至菩薩(知恵) 右に観世音菩薩(慈悲の仏)。建物は重文です。始めに、お堂が造られ、後で仏様(1148年作)を収めた時に天井が低く光背部分が当たる為、中央を舟底型にかさ上げしています。お堂は980年頃、道場として造られたので、周囲の壁は板張りで後ろに小さい入口がありました。現在、お堂の壁に額があり、4500程の仏が描かれていますが、それが板張りの壁の一部です。天井には青い色の天女が描かれていますが、護摩修行でススで黒くなっています。仏様の本来の大きさは丈六仏といいますが、約4.8mだそうです。
(大和坐り)脇侍の2体の座り方は「大和坐り」と言い、正座に似ています。以前には正座はなく、室町時代にお茶の坐り方として入った。「大和坐り」は足を両脇に広げ、腰を浮かしており、前のめりになっています。それは立ち上がりの姿で早く、人々を助けたいという気持ちを表しています。日本の座り方の一つです。「大和坐り」の仏像は全国に約12体程ありますが、珍しい座り方です。 -
往生極楽院(堂内は撮影禁止です。堂内で説明をして頂きました。)
(往生極楽院)国宝の「阿弥陀三尊像」があり、脇侍に左に勢至菩薩(知恵) 右に観世音菩薩(慈悲の仏)。建物は重文です。始めに、お堂が造られ、後で仏様(1148年作)を収めた時に天井が低く光背部分が当たる為、中央を舟底型にかさ上げしています。お堂は980年頃、道場として造られたので、周囲の壁は板張りで後ろに小さい入口がありました。現在、お堂の壁に額があり、4500程の仏が描かれていますが、それが板張りの壁の一部です。天井には青い色の天女が描かれていますが、護摩修行でススで黒くなっています。仏様の本来の大きさは丈六仏といいますが、約4.8mだそうです。
(大和坐り)脇侍の2体の座り方は「大和坐り」と言い、正座に似ています。以前には正座はなく、室町時代にお茶の坐り方として入った。「大和坐り」は足を両脇に広げ、腰を浮かしており、前のめりになっています。それは立ち上がりの姿で早く、人々を助けたいという気持ちを表しています。日本の座り方の一つです。「大和坐り」の仏像は全国に約12体程ありますが、珍しい座り方です。 -
朱雀門(往生極楽院が本堂の時の正門でした。)
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有清園庭園と奥に往生極楽院
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有清園庭園と往生極楽院
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弁天池脇の可愛いわらべ地蔵
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妙音福寿大弁財天(京の七福神の一つで宇賀神を祀ります。)
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妙音福寿大弁財天(京の七福神の一つで宇賀神を祀ります。)
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あじさい苑
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金色不動堂(護摩祈祷を行う祈願道場で本尊は不動明王ですが、珍しいそうです。)
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金色不動堂(護摩祈祷を行う祈願道場で本尊は不動明王)
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茶所和心堂でしそ茶を戴きました。
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観音堂(3mの金色の観音像が安置されています。)
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観音堂(3mの金色の観音像が安置されています。)
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観音堂両脇の小観音堂(小さな観音様が祀られています。)
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観音堂両脇の小観音堂(小さな観音様が祀られています。)
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観音堂脇の石庭(慈眼の庭)二十五菩薩があります。
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律川(ここの上流に音無の滝がありますが、疲れたので止めました。)
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勝手神社
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おさな六地蔵(可愛い地蔵様です。)
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可愛いおさな六地蔵
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可愛いおさな六地蔵
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可愛いおさな六地蔵(猫を抱いています。今回、三千院で一番見たかった地蔵さんでした。)
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可愛いおさな六地蔵(可愛いネコちゃんです。)
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可愛いおさな六地蔵(頭の上の鳥)
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可愛いおさな六地蔵
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売炭翁石仏(鎌倉時代の阿弥陀石仏で高さは12.25mです。ここに炭を焼き始めた老翁が住み、「売炭翁旧跡」と言います。)
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売炭翁石仏(鎌倉時代の阿弥陀石仏で高さは12.25mです。ここに炭を焼き始めた老翁が住み、「売炭翁旧跡」と言います。)
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お花
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お花
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西方門
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円融蔵(宝物殿ー平成18年に開館しました。)内部は撮影禁止です。往生極楽院の復元模写があり、綺麗な天井画でした。その他、重文の展示物もあります。
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円融房
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客殿(入口)
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鉈捨藪跡(法然上人の大原問答の時に、熊谷直実が鉈を隠し持っていたが、上人に諭されてここに鉈を捨てました。)
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鉈捨藪跡(法然上人の大原問答の時に、熊谷直実が鉈を隠し持っていたが、上人に諭されてここに鉈を捨てました。)
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法然上人の腰掛石と鉈捨藪跡(法然上人の大原問答の時に、熊谷直実が鉈を隠し持っていたが、上人に諭されてここに鉈を捨てました。)
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未明橋と律川
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未明橋
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後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵(大原は朝廷の馬を飼育する広大な牧場地で比叡山の隠れ地で建礼門院徳子の隠居場で平家一門と時の天皇との関係が深かった。)
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後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵(大原は朝廷の馬を飼育する広大な牧場地で比叡山の隠れ地で建礼門院徳子の隠居場で平家一門と時の天皇との関係が深かった。)
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後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵(大原は朝廷の馬を飼育する広大な牧場地で比叡山の隠れ地で建礼門院徳子の隠居場で平家一門と時の天皇との関係が深かった。)
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後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵(大原は朝廷の馬を飼育する広大な牧場地で比叡山の隠れ地で建礼門院徳子の隠居場で平家一門と時の天皇との関係が深かった。)
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後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵(大原は朝廷の馬を飼育する広大な牧場地で比叡山の隠れ地で建礼門院徳子の隠居場で平家一門と時の天皇との関係が深かった。)
後鳥羽天皇 大原陵 名所・史跡
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後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵(大原は朝廷の馬を飼育する広大な牧場地で比叡山の隠れ地で建礼門院徳子の隠居場で平家一門と時の天皇との関係が深かった。)
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法華堂(後鳥羽天皇ご冥福の為に仁治元年建立。)
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法華堂(後鳥羽天皇ご冥福の為に仁治元年建立。)
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実行院(入口)勝林寺の子院で経典の節を付ける天台声明を伝承する僧侶の住まいとして建立された。2つの庭園が有名です。
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実行院(入口)勝林寺の子院で経典の節を付ける天台声明を伝承する僧侶の住まいとして建立された。2つの庭園が有名です。
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勝林寺(天台宗の寺で本尊は阿弥陀如来です。)
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勝林寺(本堂の彫刻)
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勝林寺(本堂の本尊の阿弥陀如来)
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勝林寺(鐘楼)
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勝林寺(前庭の苔が綺麗で有名です。)
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宝泉院に向かう橋
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宝泉院(勝林寺の子院で1012年、建立。血天井と額縁庭園と樹齢700年の五葉の松が有名)
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宝泉院(勝林寺の子院で1012年、建立。血天井と額縁庭園と樹齢700年の五葉の松が有名)
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三千院前の茶屋「きずな」で赤紫蘇ジュースを戴きました。
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赤紫蘇ジュースと八つ橋を戴きました。(300円)
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来迎院と音無の滝に向かう参道(山道を約15分登る為、止めました。)
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来迎院と音無の滝に向かう参道(山道を約15分登る為、止めました。)
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呂川となりの参道を降ります。
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和雑貨創作小物「山路」で妻が手拭いを買いました。
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和雑貨創作小物「山路」で妻が手拭いを買いました。
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今度は寂光院に向かいます。
高野川 -
寂光院に向かう途中の御地蔵様
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大原の地図
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お大原女の小道を歩きます。
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寂光院の方向の山里
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朧の清水(建礼門院徳子がこの泉に姿を写したと言います。)
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民宿「大原の里」(大原温泉と特製「味噌鍋」が有名)
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大原山荘足湯カフェ
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寂光院と謡曲「大原御幸」
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寂光院(天台宗の尼寺で594年、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔う為に創建された。本尊は六万体地蔵尊です。第3代目住職が建礼門院徳子(清盛の息女 高倉天皇の中宮で、安徳天皇の母です。)建礼門院徳子は1185年3月の壇ノ浦の戦いで入水自殺をしたが助けられ、同年9月にここで隠居生活を送り、亡くなった平家一門の菩提を弔った。1186年春、義父の後白河法皇が訪れ、余りに寂しい所の為、落涙をしました。)
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寂光院(入口)
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寂光院(参道)
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寂光院(山門)
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寂光院(本堂)桃山時代の建築の特色を残していますが、平成12年の放火の為に焼けました。平成17年6月2日に完成し、ヒノキ材を使い、屋根はこけら葺きです。
寂光院 寺・神社・教会
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寂光院(本堂)桃山時代の建築の特色を残していますが、平成12年の放火の為に焼けました。平成17年6月2日に完成し、ヒノキ材を使い、屋根はこけら葺きです。
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本堂
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雪見灯籠(鉄製)本堂を再建した時に秀吉が伏見城から寄進した。
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四方正面の池(山腹よりの水です。何処から見ても正面のように作られています。)
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四方正面の池の三段の瀧(玉だれの泉とも言われます。)
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書院
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汀の池
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汀の池と本堂
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汀の桜(後ろに「千年の姫小松」)
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千年の姫小松(1186年4月下旬、義父の後白河法皇がお忍びで来た時の一句で、本堂前に桜と松があったという。姫小松は15mで樹齢数100年でしたが、火災で焼け枯れた。倒木の恐れがあり、切りました。今は御神木としています。)
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千年の姫小松(1186年4月下旬、義父の後白河法皇がお忍びで来た時の一句で、本堂前に桜と松があったという。姫小松は15mで樹齢数100年でしたが、火災で焼け枯れた。倒木の恐れがあり、切りました。今は御神木としています。)
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松の木
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境内の宝篋印塔
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諸行無常の鐘(1752年2月、建立の銘があります。)
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建礼門院徳子御庵室跡(第3代目住職が建礼門院徳子(清盛の息女 高倉天皇の中宮で、安徳天皇の母です。)建礼門院徳子は1185年3月の壇ノ浦の戦いで入水自殺をしたが助けられ、同年9月にここで隠居生活を送り、亡くなった平家一門の菩提を弔った。1186年春、義父の後白河法皇が訪れ、余りに寂しい所の為、落涙をしました。)
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建礼門院徳子御庵室跡(第3代目住職が建礼門院徳子(清盛の息女 高倉天皇の中宮で、安徳天皇の母です。)建礼門院徳子は1185年3月の壇ノ浦の戦いで入水自殺をしたが助けられ、同年9月にここで隠居生活を送り、亡くなった平家一門の菩提を弔った。1186年春、義父の後白河法皇が訪れ、余りに寂しい所の為、落涙をしました。)
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建礼門院徳子御庵室跡の隣に徳子が使用したという井戸遺構
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建礼門院徳子御庵室跡(第3代目住職が建礼門院徳子(清盛の息女 高倉天皇の中宮で、安徳天皇の母です。)建礼門院徳子は1185年3月の壇ノ浦の戦いで入水自殺をしたが助けられ、同年9月にここで隠居生活を送り、亡くなった平家一門の菩提を弔った。1186年春、義父の後白河法皇が訪れ、余りに寂しい所の為、落涙をしました。)
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受難と再興(平成12年5月9日の放火で焼けましたが、再興されました。)
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収蔵庫(焼けた本尊の六万体地蔵尊等を樹脂加工してここに保存しています。)
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神明神社(入口)これ以上は入れません。
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狐雲(茶室)昭和天皇の即位の際の部材を使い、茶室を建てました。
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鳳智松殿(宝物殿)平成18年に本堂復興記念として建てられた。本尊は六万体地蔵尊(2.5m)ですが、火災の時に胎内に小仏像が300数体あり、無傷でした。数体がここで見られます。又、焼けた小仏像もここに保存されています。
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阿波内侍たち5人女官の墓への苔むした道を登ります。誰もおらず、良い雰囲気でした。
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阿波内侍たち女官5人の墓(阿波内侍は崇徳天皇の寵愛を受けた女官でしたが、建礼門院徳子には宮中より使えた。)
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阿波内侍たち女官5人の墓の周囲の景色
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阿波内侍たち5人女官の墓
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阿波内侍たち女官5人の墓
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建礼門院徳子大原西陵入口
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建礼門院徳子大原西陵への参道
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建礼門院徳子大原西陵(三千院の大原陵に対して西陵と言い、五輪塔を祀ります。)
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建礼門院徳子大原西陵(三千院の大原陵に対して西陵と言い、五輪塔を祀ります。)
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建礼門院徳子大原西陵よりの寂光院
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落合の滝
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再び、大原の里を見ます。
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大原の里のお花
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赤紫蘇がありました。(しば漬けの原料で大原固有の原種だそうです。)
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国際会館駅に向かいます。(No19)京都市内は混む為、京都駅まで地下鉄で行きます。
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国際会館のBTで降ります。
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地下鉄「国際会館駅」から京都駅に向かいます。
国際会館駅 駅
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「萬重小庵」京都ポルタ店で夕食を戴きました。
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「萬重小庵」京都ポルタ店「華」2500円(+300円で松茸の土瓶蒸し)
リニューアルオープンで生ビールがサービスでした。 -
「萬重小庵」京都ポルタ店(店内)
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サービスの生ビールとお酒
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「萬重小庵」京都ポルタ店「華」盛り沢山で美味しく戴きました。
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ライトアップされた京都駅の大階段
京都駅ビル大階段 グラフィカルイルミネーションPlus イルミネーション
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大階段よりみたJR京都駅(関西の自宅に帰ります。翌日に関西より関東に戻りました。)
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