![私も今年の7月で、65歳になりました。<br /><br />60歳で定年後、特任職員として初任地に舞い戻り、チョコチョコと口だけで仕事をしてきましたが、一応任期の5年が過ぎ、来春からどうしようかという事で、何度か話し合いを重ねてきました。<br /><br />進行中の事業が終わる2年後まで、何らかの形で携わって欲しい、というありがたい話もありましたが、最近頓にフルタイムは体力的に厳しくなってきた事を実感してきており、奥様とも話し合い、自身の健康状況が良い状況の時に、45年以上携わってきた施設整備から離れる決断をいたしました。<br /><br />来年の4月からの事は、追々考えていく事となりますが、今までの仕事を離れる決断をすると、大袈裟ですが、無性に今まで歩んできた道程を振り返ってみたくなりました。<br /><br />その中で、奈良の中・南部は、私が3歳から22歳まで住んていた、想い出深い場所であり、小・中・高という多感な学生時代を過ごし、人格形成や進路に大きな影響を与えた場所です。<br /><br />今回の奈良の旅は3部構成となります。<br />まず、Ver.1は育った葛城、小・中・高の学校巡り、表紙は吉野神宮です。<br /><br />奈良を離れて40年以上が経過しましたが、全てが凄く変わっていて、驚きと共に、前を向いて踏み出す、良い切っ掛けとなった気がします。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/79/65/650x_11796548.jpg?updated_at=1671547717)
2022/10/21 - 2022/10/22
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まつじゅんさん
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私も今年の7月で、65歳になりました。
60歳で定年後、特任職員として初任地に舞い戻り、チョコチョコと口だけで仕事をしてきましたが、一応任期の5年が過ぎ、来春からどうしようかという事で、何度か話し合いを重ねてきました。
進行中の事業が終わる2年後まで、何らかの形で携わって欲しい、というありがたい話もありましたが、最近頓にフルタイムは体力的に厳しくなってきた事を実感してきており、奥様とも話し合い、自身の健康状況が良い状況の時に、45年以上携わってきた施設整備から離れる決断をいたしました。
来年の4月からの事は、追々考えていく事となりますが、今までの仕事を離れる決断をすると、大袈裟ですが、無性に今まで歩んできた道程を振り返ってみたくなりました。
その中で、奈良の中・南部は、私が3歳から22歳まで住んていた、想い出深い場所であり、小・中・高という多感な学生時代を過ごし、人格形成や進路に大きな影響を与えた場所です。
今回の奈良の旅は3部構成となります。
まず、Ver.1は育った葛城、小・中・高の学校巡り、表紙は吉野神宮です。
奈良を離れて40年以上が経過しましたが、全てが凄く変わっていて、驚きと共に、前を向いて踏み出す、良い切っ掛けとなった気がします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
先ずは、想い出巡りにお付き合い下さい。
今は葛城市となっていますが、私の青春時代は北葛城郡新庄町でした。
この辺りが、3歳の頃に大阪から引っ越してきて、暮らしていた場所です。
住吉神社の鳥居は変わっていないですが、家並みや周辺は全て変わっていました。 -
新庄小学校に入学し、2年生で同じ町内ではありますが、隣の小学校に転校しました。
忍海(おしみ)小学校です。
新庄小学校では、1学年4クラスでしたが、忍海小学校は1クラス。
同級生との関係も凄く密で、いまだに隔年で同窓会を開催しているという位、仲間意識の強い学年です。
私も、関西に戻ってから参加していますが、50年近いタイムラグが一瞬で無くなる位、楽しい仲間です。
担任の先生も持ち上がりが多く、卒業まで担任の先生は3人でした。
3,4,6年を担任して頂いた先生に会うというのが、同窓会の目的になっているような感じです。
私の頃は、この辺りに古い正門があり、校舎は木造でした。
それが、小学校4年の頃に鉄筋コンクリートへの改築が始まり、その工事を見て建築への興味が湧いて気がします。
同窓会の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/10971771
https://4travel.jp/travelogue/11591983 -
近鉄御所線 忍海駅です。
高校から電車通学となり、大学終わりまで毎朝、警報機の音と競争していました。
当時は、駅は左側で古い木造で、いつも同じ駅員さんで顔なじみになっていましたが、いつからか駅前にロータリーが整備され、駅も右側に移動し、無人駅となっていました。忍海駅 駅
-
新庄中学校です。
新庄小学校4クラスと、忍海小学校の1クラスの生徒が一緒になり、1学年は4クラスでした。
当時、忍海小学校校区の新村集落の人達は、中学校は近くの御所市の中学校に行く事になっていたので、5人位が新庄中学校にいかないので、1クラスの忍海組は益々少数軍団になっていました。
当時通学は、自転車で30分以上かかり、結構な坂を登っていきました。
校舎は丁度私が入学の頃に、新しく鉄筋コンクリートに改築されましたが、今は増築されていて、正門や体育館、当時部活で使用していたプールやテニスコートの位置も変わっていました。
自転車置き場の前にあった、文房部やパン等を販売していたお店も無くなっていました。 -
高校は私なりに色々将来を考えて、建築科のある吉野工業高校に進学しました。
こちらが最寄り駅の、近鉄吉野神宮駅、大和上市駅です。
両方とも学校への距離にはあまり変わりませんが、徒歩で20分位かかります。
電車も30分に1本しかないので、乗り遅れには注意していましたが、部活終わりにダッシュして最速5分と言う記録がありました。
当時も電車の中で息が整うまで、結構時間が掛りましたが、今ではまず走る、という事が絶対無理ですね。
忍海からは、橿原神宮駅経由でぐるっと廻るルートとなるので、乗車時間は1時間ちょっと掛かっていました。
また、急行と言っても、吉野から橿原神宮駅までは単線の各駅停車。
当時から特急はありましたが、近鉄は有料なので、懐の淋しい高校生では乗れませんね。
私の在学中に、部活の試合に間に合わないからと、顧問の先生が乗せてくれた1回位しか乗った記憶がございません。
ただ、吉野山の桜のシーズンには、夕方は快速が走っていて、数駅を停車しないで連絡待ちも無く早く帰れたので「いつも走ってくれないかな。」と思っていましたが、今では昼間の時間帯は、阿部野橋への直通急行も無くなっているようです。吉野神宮駅 駅
-
イチオシ
私の一番好きな景色の、吉野川橋梁を渡る電車です。
この写真は、下市口側のR169から撮影したものですが、大好きな方向は学校側からみた景色です。
帰り道、夕陽を正面に見ながら橋梁が浮かび上がり、吉野川を渡る風と共に、大好きな景色でした。
夏には、部活終わりの7時前に、夕陽が吉野川の川面に伸び、沈んでいく様子を、同級生や当時のGF達と、土手沿いを歩きながら取り留めのない話をしていたなぁ、と想い出しました。 -
私の母校 吉野工業高校は、1904年創立という歴史ある学校でした。
私が卒業後の1978年に、吉野林業高校と統合され吉野高校となり、風情ある木造校舎から鉄筋コンクリートに改築されています。
今の校舎は当時グランドがあった場所で、私の時代に校舎があった場所は、逆にグランドになっていました。
この正門を登っていく階段、そして校名の入った門柱だけは、当時のまま残されていて、見ていると何故か涙が出てきました。
また、奈良県の県立高校適正化実施計画で、2021年4月に大淀高校と統合され、普通科・情報科・総合学科の奈良南高校となり、2023年3月31日に吉野や工業、建築科の名前が消えてしまいます。
当時の吉工(略称)といえば、奈良県の建築業界では、抜群の知名度と優秀な先輩方を排出し、日本の高度成長を牽引する学校でした。
今は少子化や、大学全入時代となり、普通科から進学を目指す人が増え、悲しいですが実業科は統廃合の波に押され、世の潮流に合わなくなってしまったのでしょうか。
同級生に何故か多い、県会や市会議員の人が、同窓会で「力及ばず申し訳ない。」と、前に並んで頭を下げていました。
私の頃は、卒業後は大手ゼネコンや、設計事務所、推薦で国立大学等に進学する人も多かったですが、高校の実業科が即戦力の時代は終わってしまったようですね。
それでもここが、私が建築を目指し、その道で50年弱生きてこれた原点に違いありません。
学生時代を過ごした場所を、駆け足ですが巡り、自分を振り帰るという当初の目的を達成できた気がします。 -
私達の頃、正門入った所にあった石碑の様な記憶があります。
あやふやな記憶ですが、残してくれていたのなら嬉しいですね。 -
私達の頃は、吉野川の河川敷にグランドがあり、体育の授業はこのような景色の中受けていました。
水泳はプールが無かったので、この川が水泳場でシーズン数回だけ水泳の授業があった気がします。
対岸まで泳ぎ切れば合格、という様な感じですかね。 -
ここからは通常モード、いつもの忘備録です。
20歳で免許を取り、初めて車移動という世界を知るまでは、大阪方面に行くには電車で二上山の横をすり抜けるしか知りませんでしたが、車でもR165で柏原、国分に出るのが一般的でした。
それが今や近畿道、阪和自動車道、南阪奈道路と繋がり、昔は車は通れなかった竹内峠をトンネルで越え、新庄町内の中でも山に近く、不便だった中戸や山田、寺口、笛吹という集落を結ぶ道路が出来ていたのに驚きました。
山麓線と言うらしいですが、新庄中学校のすぐ後ろを貫く、凄い道が出来ていました。
この道の駅 かつらぎの場所も、私が高校時代郵便局のバイトで、荷物運びをしていた頃には、山を登るし行きたくないな、と思っていた場所でしたが、大きく変わった感が強いです。道の駅 かつらぎ 道の駅
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大きな農産品の直売所やレストラン、観光案内所のある立派な道の駅です。
「かつらぎ花火大会」というのがあるらしいですが、私の頃は中学校の裏手の屋敷山古墳周辺で、ホント小規模な花火があったような記憶がありますが、今度大きくなった花火大会を見に来たいです。 -
道の駅を出て、當麻寺に向かいます。
こちらは仁王門です。
北葛城郡の7町から、當麻町と新庄町が2004年に合併し、人口約37,000人の葛城市となりましたが、当時の北葛城郡は、香芝町(今の香芝市)や王寺町、上牧町、河合町という大阪に近い街が人口も多く、新庄中学校はスポーツでも、県大会への関門となる郡大会を勝ち抜くのは結構きつかった記憶があります。
私のテニスでも、結局中学校での県大会出場は叶わなかったです。
その頃から、當麻町、新庄町は近接していた事もあり、葛城山の麓の街という共通こうもあり、昔から結びつきはありましたね。當麻寺 寺・神社・教会
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當麻寺は、私初めての訪問かもしれません。
当時は徒歩、自転車しか移動手段のない私としては、ここまで来るのは難しかったように思います。
真言宗 浄土宗という2宗の寺院で、法号は禅林寺、山号は二上山です。
こちらは国宝の本堂で、本尊は当麻曼荼羅(創建時の本尊は弥勒仏)です。
開基は聖徳太子の異母弟 麻呂古王とされていますが、不明な点が多いようですが、国宝や重要文化財の多い、歴史のある寺院です。
西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる寺院ですが、當麻寺自体の本坊はなく、境内に高野山真言宗5院、浄土宗8院の子院で構成されています。
拝観は、それぞれ別々に拝観料金がかかりますが、仁王門から本堂に至る広場は自由に散策出来ます。
左右に金堂と講堂が対峙し、どちらも重要文化財に指定されています。
當麻寺本堂(曼荼羅堂)は真言宗と浄土宗の兼帯で、金堂、講堂、塔等は真言宗の管理となっているようです。 -
奈良時代から平安時代初期に建立された2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東・西両塔が残っているのは日本唯一のようです。
左上:東塔(国宝)は三重塔で、相輪含む高さは24.4m。
細部の様式等から、奈良時代末期の建築と推定されています。
右上:西塔(国宝)も三重塔で、総高は25.2m。
東塔よりやや遅れた、平安時代初期の建築と推定されています。 -
毎年4月14日には、有名な練供養会式が行われます。
当時は「たいまれんぞ」と呼んでいましたが、漢字では當麻連座と書くようです。
仕事や農作業を1日休み、親戚等を招いてご馳走する日で、嫁いだ娘が藪入りで帰ってくる日という言い伝えがあり、小学校の頃は、隣町(当麻町)の行事なのに、午後から学校が休みになっていた記憶があります。
その頃、学校の遠足の様なもので来たのかもしれませんが、全く記憶にございません。
今になって歴史を学習すると、1005年に中将姫が当麻曼陀羅を織り上げた後、29歳で生身のまま極楽浄土へ往生された、という言い伝えより、中将姫の現身往来を再現する行事のようです。
5月14日は中将姫の命日で、境内には長い架け橋が渡され、25の菩薩が現世に里帰りした中将姫を迎え練り歩くという伝統的な行事です。當麻寺 練供養会式 祭り・イベント
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それではランチタイムです。
最近見た、関西の情報番組で當麻寺が紹介されていたのですが、その時においしそうだと思ったお店「釜飯 玉や」さんです。
當麻寺の仁王門前にある、登録有形文化財の築160余年の元旅籠ををリノベーションした店で、釜飯が炊き上がるのに40分位時間が掛るという事で、開店と同時に注文をして参拝に向かいました。釜めし 玉や グルメ・レストラン
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釜飯は5種類あり、3段階の食べ方が紹介されていました。
蒸らしが終わると蓋を開け、底までしっかりと混ぜて一杯目をよそい、直ぐに蓋を閉じる。
2杯目は、でき始めたおこげを、真ん中あたりを軽くよそって味わう。また蓋を閉じるのを忘れないように注意。
最後は、しっかりと出来たおこげをこそぎ取り、出汁茶漬けがお勧めのようです。 -
奥様は、きのこと大和揚げの釜めしの牡丹セット(釜めし、玉子焼き、季節のお惣菜2品、香の物、味噌汁)
奈良県十津川産のひらきなめこや、奈良県特産大和揚け?がたっふ?りと入った釜飯です。
私は、ヤマトポークの角煮釜めしの桜セット(釜めし、玉子焼き、香の物、味噌汁)です。
奈良県特産のヤマトポークと大根を、トロトロになるまで煮込んだ釜飯です。
結構な量がありましたが、美味しく頂きました。 -
参道を下り、相撲館「けはや座」に向かいます。
道の駅かつらぎで、板番付があったので不思議に思っていたのですが、相撲の開祖と伝わる當麻蹶速がこの地の出身という事を顕彰し、1990年5月に開館した資料館のようです。
所有資料約1万3千点が、展示されています。葛城市相撲館『けはや座』 美術館・博物館
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当麻蹴速(たいまのけはや)は、垂仁天皇の時代に名をはせたと伝わる人物のようです。
日本書紀によれば、蹴速は大和国の当麻邑(現在の葛城市當麻)に住み、強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していた事を聞いた垂仁天皇が、出雲国から野見宿禰を召し寄せ、相撲の元祖と言われる捔力(すまひ)で対戦させ、互いに蹴り合った後に、蹴速は宿禰に腰を踏み折られて死んだと伝えられています。
後世に、野見宿禰と共に相撲の神とされています。 -
本場所で使われるのと同じ土俵があります。
相撲好きの私達夫婦、土俵に上がって、その大きさを実感し、土俵入りの真似事をして楽しみました。 -
奥様、この高さが今の大型化した力士の怪我の元凶だと思うので、低くするか下にクッションを引く等の対策が必要だと、力説していました。
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奈良県ゆかりの力士の展示です。
何といっても、幕内最高優勝の実績がある、徳勝龍関が有名ですね。
他にも琴裕将、大真鶴の化粧まわし等が展示されていました。 -
屋外には鉄砲柱があり、鉄砲の体験ができます。
鉄砲とは、相撲の伝統的な基本稽古の所作で、この鉄砲柱に向かって左右の突っ張りを繰り返す体験が出来ます。 -
當麻寺から小・中学校を巡り、御所市を通ってR309経由で吉野に向かいます。
道路も整備されていて、20分程で下市、大淀町に到着しました。
当時、近鉄でぐるっと廻って1時間以上かかっていたのがウソのようです。
まぁ、通学時の車内での会話や、時には試験勉強等もしていましたし、将棋に熱中していた事や、GFとの時間も今となれば想い出の一つです。
本日の旅館に向かう前に、是非立ち寄っておきたかった場所、吉野神宮です。吉野神宮 寺・神社・教会
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もう40年近い昔ですが、結婚して直ぐの頃に吉野山に花見に来て、参拝して記帳した縁で毎年案内が送付されてくるようになり、季節毎の祈祷等で(細々とですが)ここ数十年、繋がっている神社です。
祭神は後醍醐天皇で、建武中興十五社の一社です。
旧社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社となっています。
高校時代の部活で、冬場は結構走り込みをしていたのですが、北の津風呂湖、南の吉野神宮コースで、往復5~10kmの坂道を走り込んでいた、懐かしい場所です。
本殿、拝殿、神門は、後醍醐天皇が京都御所への帰還を熱望していた心情を汲んで、京都の方角を向いて北向きに建てられています。
総檜造で、近代神社建築の代表的な建物で、本殿を始め26棟3基の建造物等が重要文化財に指定されています。 -
南朝の後、村上天皇は父の後醍醐天皇が1339年に崩御した後、その像を吉水院に安置し、以降仏教式の供養が実施されていました。
明治時代に神仏分離により、1873年吉水院は後醍醐天皇を祭神とする後醍醐天皇社という神社に改められ、2年後に吉水神社と改称されました。
この際、政府は国費で後醍醐天皇を祭神とする、神社を創建する考えを表明したが、棚上げとなっていた中、明治天皇の意向により、1889年6月22日 後醍醐天皇を祀る官幣中社 吉野宮の創建が決定しました。
1892年に新たな社殿が竣工し、吉水神社から後醍醐天皇像を移し、1901年8月8日に官幣大社に昇格しました。 -
奈良の人間、特に中・南部の住民としては、後醍醐天皇や建武の中興には思い入れがあります。
私の、京都への敵対心も根底に南朝があると思います。
武家中心の社会を、天皇中心の社会に戻そうとした建武の中興は、明治維新に江戸幕府(武家)から、大政奉還で実権を取り戻した明治天皇にとって、意義深いもので建武の中興に関った人々を祀るという事に繋がったと思います。
特に私、忠臣蔵の大石内蔵助や楠木正成に、強い憧れを抱いています。 -
今回の主目的はこちら。
今年1月、吉野神宮で幟の奉納を開始するという案内を受け、奉納させて頂きました。
神社からの設置しましたとの案内書の中に「奉納された幟の位置はご案内いたします。」との記載があったので、今回立ち寄る機会が出来たのでよろしく、と電話しておいたのですが、宮司さん自ら熱心に案内してくれ、垣内参拝もさせて頂きました。
奉納した幟は、鳥居のすぐ横にあり、色々とお話をさせて頂き、有意義な時間となりました。
陽も傾いてきたので、本日の宿に向かいます。
Ver.1これまで。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- へびおさん 2022/12/14 12:53:18
- おかえりなさい!
まつじゅんさん
こんにちわ
まつじゅんさんは忍海のお生まれでいらっしゃいましたか!
私も旅行中、一度忍海の駅を使ったことがあります。
飯豊青皇女という女帝だったかもしれない方の天皇陵が近くにあるのでそれを見に行きました。
それにしても今でも同級会があるって素晴らしいですね。
やっぱり思い出話が多くなるんですか?
私の出身校なんて小中高と全然開催されてないので同窓会は憧れです。
新興住宅街だったので団塊Jr.の下の世代なのですが小学校(公立)が1クラス47人の6クラス、中学校(公立)が1クラス40人の9クラス、高校(私立)は女子校で私の学年は750人(下の学年は1000人)というマンモス学校ばかりだったので、一体感はなかったですね。
小学校6年間の中で知らずに卒業した人も居ましたし。
でもまつじゅんさんが仰られていた長時間の通学電車の中での思い出、分かります。
あの頃は良かったな~
當麻も一度だけ行きましたが、名物の中将餅がとても美味しかったです。
近畿地方だと、やっぱり京都大阪をイメージする人が多いようで、「なんで奈良に行くの?」という顔をされることも多々あるのですが、私には水がとてもあっていて何度行っても行きたくなる場所です。
- まつじゅんさん からの返信 2022/12/19 13:13:41
- Re: おかえりなさい!
- へびお 様
私の拙い忘備録へのご訪問&コメントありがとうございます。
飯豊青皇女天皇陵って、私も知らなかったですが、地図を見ると、あぁ、あそこって天皇陵だったんだと初めて知りました。
新庄町って、屋敷山古墳や天皇陵等、色々と歴史のある街だったんだと改めて思います。
奈良に居ると、そこらかしこに天皇陵や古墳、史跡があるのでありがたみが無かったのですが、離れて見て歴史の重さを感じますね。
奈良って京都より歴史があるんですよ、(奈良人の京都コンプレックスの裏返しかもしれませんが)と思っています。
忍海駅も見られて感じられたと思いますが、小さな駅です。
故に学校も小さく、一クラスで6年間過ごすと、ある意味家族みたいなものですよね。
おもらししていた時代を知っている者が、還暦過ぎてからも話している事は、その時代の出来事の事が多いです。
COVID-19の影響で延期になっていた今度の同窓会も、来年の5/4に開催予定と幹事さんからLINEが来ました。
毎月14人程度で梅田で開催していた高校のプチ同窓会も、そろそろ再開しようかという流れのようです。(毎月は多いだろう。。。単なる飲み会。という噂ですが。)
昭和世代の私達の青春(死語らしいですが)を、振り返る事も次に進むためには必要かなと思います。
matujyunn
-
- 前日光さん 2022/12/11 00:12:34
- 葛城(*^_^*)
- まつじゅんさん、こんばんは。
葛城、私が奈良の中でも、かなり心惹かれる場所です。
数年前葛城古道歩きをして(ほとんどレンタカーでまわったのですが(^◇^;)、予想通りの雰囲気に満足させられました。
実は今月末、奈良に行きます。
ただしクラブツーリズムの奈良ホテル宿泊というもので、自由な時間はあまりありません。
法隆寺や春日大社、長谷寺、といった有名処を回るものですが、たまにはそういうのもいいかなと思い申し込みました。
葛城には行けませんが、また来年中には奈良に行くと思いますので、その時には自分の思う所に行きたいと思います。
まつじゅんさんが、この葛城界隈で青春時代を過ごされたのかと思うと、また違った見方ができるように思います。
小中学校の思い出が懐かしい年頃に、お互いになったようですね。
私などは小中ともに、子どもの人数が少なくなって、統合されてしまいました。
高校だけが残っています。
でも不思議と故郷に帰ると、東西南北がよく分かりますね。
自分のいる位置を体が覚えているのですね。
鹿沼市に住む時間の方が、故郷にいた頃よりも長くなっているのに、未だに出かける時には東西南北を再度確認してからでないと行動に移れません。
なにしろとびきりの彷徨オンチなので、まず男体山がどこに見えるかを確認し、男体山の見える方角が北(正確には北西)だと言い聞かせてから行動します。
故郷に戻ると、そんなことは考えなくても体が覚えているのですが。
不思議なものです。
故郷というのは、やはり魂の拠り所なのでしょうね。
まつじゅんさんの物語、興味深く拝見させていただきました。
Ver.2は山陰編になるのでしょうか?
お待ちしております(^_^)v
前日光
- まつじゅんさん からの返信 2022/12/12 14:25:19
- Re: 葛城(*^_^*)
- 前日光 様
今回、来春からの事を考えた際、故郷というものについて、私の人生を振り返ってみると、実際何処かなという気持が大きくなりました。
生まれた場所は3歳までで殆ど記憶が無いですし、やはり学生時代お過ごした場所、奈良という事になるのかなと思い、巡ってまいりました。
50年以上経つと、周りの環境は全く変わり、道路も建物も変わっていましたが、葛城山や二上山、そして吉野山の景色は色あせることなく、私の記憶の中の景色でした。
翌日、蔵王堂の朝勤行に参加したのですが、その時の法話で500年以上の歴史の建物の中にいると、世界感の違いを実感し、前を見る気持ちが出てきました。
という訳で、4月からはお誘いを頂いていた設備設計事務所に、顧問と言う形で3日/週程度の勤務でお世話になる事にいたしました。
専門の建築の知識も、少しは役に立つのかなと思いながら、今とは違った業務にシフトするのも楽しいのかなと思っています。
結婚から子育てについての故郷は、やはり鳥取・倉吉ですね。
子供達も住んだ家は無くなってしまいましたが、何やかんや思いはあるようで、私の奈良の様な感じかなと思っています。
COVID-19の関係で、中断していた奥様の実家仕舞もようやく再開し、11、12月と帰省してきました。
現在、在庫過多でいつアップできるか分かりませんが、浜村温泉で食べきれないカニを頂いてきました。
今年も色々大変な世の中でしたが、来年こそ平和で明るい時間が戻ってくることを願いたいと思います。
今年も拙い私の忘備録にお付き合い頂きありがとうございました。
来年も変わりませず、よろしくお願いいたします。
matujyunn
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