2022/10/30 - 2022/11/06
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ミズ旅撮る人さん
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コロナ禍を経て、2022年ようやくカンボジアに行って来ました。
2回目は、アンコール・トムの諸々の遺跡巡りです。
バイヨン寺院の観光を終え、そのまま北に伸びる道を歩いて行きます。
この道に沿って、バプーオン・ピミアナカス・象のテラス・癩王のテラスが並んでいます。
11~12世紀頃の歴代の王が都とし、造営を重ねて来ました。
バプーオンは3層のピラミッド型寺院で、象のテラスから伸びる「空中参道」があります。
ヒンズー寺院なのですが、裏手に寝釈迦仏の姿が刻まれています。
王宮の城壁をくぐって隣にはピミアナカスがあります。
ずっと以前から立入禁止なので堀の手前から眺めるだけです。
最後に象のテラスの一部と「癩王のテラス」を見学します。
二重に造られた壁の内側にもびっしりと彫刻がされているのが見物です。
1992年5月に初めてここを訪れた時のフィルム写真を使って、
当時の様子を書いてみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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バイヨン寺院を背にして、綺麗に整地された道を歩いて行きます。
この道はかつては車道でしたが、世界遺産となり、なるべく車の通る道を制限するようになって、このような公園のようになりました。 -
浜木綿(はまゆう)に似た花が咲く道の向こうに遺跡が見えて来ました。
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なかなか可憐な花です。
ブーゲンビレアやプルメリアといった南国らしい花はたくさん咲いていますが、この花は予想外でした。 -
バプーオンです。11世紀中頃に建てられたヒンズー寺院です。
斜めから見ると密林の中にあるように見えますが、 -
正面に来たら、綺麗に整地されています。
ここはフランスが修復工事を完了した遺跡です。バプーオン 史跡・遺跡
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バプーオンのお向かいには、南クリアンと呼ばれる建物があります。
象のテラスから真っ直ぐに伸びる勝利の門への道の両側に南北に1つずつ建っています。
ツアーでは、象のテラスから東側に点在する遺跡には立ち寄らないので写真だけ撮っておきます。 -
北クリアンから南クリアンに掛けて、小さな塔が12も並んでいます。
プラサット・スゥル・プラットと呼ばれており、「綱渡りの塔」という意味です。
日本のJASAによって調査・修復が行われました。プラサット スゥル プラット 史跡・遺跡
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バプーオンの前を通過して行くと、その先に象のテラスが始まります。
象のテラス 史跡・遺跡
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象のテラスは全長が300mもあり、壁のレリーフは象からガルーダとガジャシンハ、そして再び象へと変化して行きます。
閲兵に使用された場所と言われています。
中央がかつての王宮への入口になっています。
ツアーは、テラスには行かずにバプーオンに入って行きます。象のテラス 史跡・遺跡
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門を入ると、真っ直ぐに伸びた参道の両脇に池があります。
この眺めも雨期が終わってすぐの今だからこそ。
乾季には干上がってしまいます。 -
バプーオンの手前には「空中参道」と呼ばれる部分が200mもあります。
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この「空中参道」は初めからあったのではなく、後に加えられた物です。
参道の下に階段があるのが見えます。
かつてはこの階段を使っていた筈ですから、後で作られたことがわかります。 -
追加された「空中参道」は、何故か寺院の手前で終わってしまいます。
あとちょっとが足りなくて、一旦地面に降りなければならないのです。
雨季にも往来がしやすいように作られたのだと思いますが、最後はどうしたんでしょうね。 -
2011年に修復が終わり、中央祠堂まで上って見学できるようになりました。
当然、頂上まで上るぞと意気込んでいたのですが、ツアーは上らずに、右側に回り込んで行きました。 -
地面から上を見上げると、修復されたデヴァターが見えます。
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そのまま建物の右側を歩いて行きます。
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上には多くの観光客が上がっているので、羨ましくて仕方がありません。
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上りは正面からですが、下りはこちら側から降りて来ます。
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建物の裏手に来ました。ここには巨大な寝釈迦像が彫られています。
ヒンズー寺院なのですが、後世の仏教徒が作ったようです。
左側の木の枝の向こうが頭で、大きな鼻が見えます。
像は胸あたりまでしかなく、中途半端で終わっています。 -
画面の壁はほぼ全部が釈迦の頭です。彼女の右斜め上に鼻があります。
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バプーオンの隣にはずっとかつての王宮の城壁が続いています。
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バプーオンもかなり奥行きがあるというのに、まだまだ先まで城壁は続きます。
でも、肝心の王宮は失われてしまいました。
珍しく木造だったそうで、屋根瓦などがそこに散乱しているままなのだそうです。 -
バプーオンから城壁の小さな門を抜けて王宮跡に入って来ました。
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目の前にはピミアナカスの側面が見えます。
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正面に回り込みます。ピミアナカスは、「空中楼閣」という意味があります。
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ピミアナカスは、小さなお堀に囲まれていて、立入禁止でなくても入れません。
ピミアナカス 史跡・遺跡
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3層から成るピラミッド型寺院で、それぞれの角には象がいますが、殆ど原型を留めていません。
ピミアナカス 史跡・遺跡
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ピミアナカスの正面にある門は、かつての王宮の塔門です。
その向こうには「象のテラス」があります。 -
ピミアナカスの北側には大きな女池があります。女性用の沐浴場です。
アンコール トム 男池 女池 史跡・遺跡
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女池の南東の角には彫刻が見られます。
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こちらは男池。こちらには彫刻はありません。なぜ男女の池の大きさがこうも違うのでしょう。
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男池の脇にある門から外に出ます。
出来れば、正面から出て象のテラスの中央にある「王のテラス」を見たかったです。 -
脇の塔門も、なかなか立派でした。
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少し離れた所に、「象のテラス」の先端があります(右側)。
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「象のテラス」に上がってみます。
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テラスは何故か二重になっていて、中にたくさんのレリーフがあります。
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テラスの上には、三つの頭を持つ象が、蓮の花を鼻で絡め取っている像があります。
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隣にある筈の王のテラスは修復工事中でした。
私達のツアーが見学する筈だったのは、ここだったのかしら?
「日本国政府遺跡修復チーム(JASA)」の専門員同行で、
アンコール・トムの修復現場を見学するのが特別観光として謳われていました。
しかし、現場からコロナの長期化により見学を受付できないと拒否されてしまいました。
そこで、代替案として、アンコール・バルーンへの案内になりました。
この日の午前に乗れる筈でしたが、風が強くて飛ばせないとのことで、後日に延期です。
北東からの季節風は観光中、たいへん助かりましたが、バルーンには不向きなようです。 -
アンコール遺跡には、この姿のライオン像があちこちで見られます。
初めてカンボジアに来た時に、このヒップラインに魅了されました。
向こうに見えるのは、プラサット・スゥル・プラットです。 -
このテラスは半分が何故か階下になっていて、外とは隔絶された部屋のようになっています。
その中に、「5つの頭を持つ象」と「象の鼻で遊ぶ子供」の像があります。
降りて行って探したのですが、どこにあるのか場所がわかりませんでした。
ところがどうやら、真ん中だけオリジナルの壁が一部残っていますが、その左側にあったようなのです。
最初に右側の通路に入ってしまったので、壁の向こう側には気が付きませんでした。惜しい事をしました。 -
「象のテラス」の隣は「癩王のテラス」です。
テラスの高さは6mあり、ここもまた二重壁になっています。
先ずはその中に入って見ます。ライ王のテラス 史跡・遺跡
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壁の片側だけにレリーフがあります。上の方まで元はあったのかもしれませんが、壁が剥き出しの部分も多くあります。
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通路は狭いので、じっくり撮ることは出来ませんが、必死で焦点を定めて撮ります。
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ご覧のように、壁の一番下が良かったりします。撮るのが苦しい・・・
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おお、ナーガ発見。ここを修復したフランスチームは、見学がしやすいように板を張って廊下を作ってくれました。
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通路は、テラスの形に添っているので、角が多くあります。
これらのレリーフは12世紀末に造られましたが、それが崩壊し、後世にその壁の外側に新しい壁を作ってテラスを修復していました。
それをフランスチームが発見し、古い方の壁も見られる様に二重にして修復したのです。
ずさんな国がここを修復したのでなくてよかった。 -
だから、ここのレリーフは、どこよりも綺麗なんですね。
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外側の壁は、こんな風になってしまっています。これも綺麗に出来ないのかなあ。
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「癩王のテラス」の上から通路を見下ろしています。
レリーフがあるのはテラス本体の側面なので、この角度では見えません。 -
これが「癩王像」です。癩病(ハンセン病)に罹った王の像とも、髭と牙があるので閻魔大王とも言われているそうです。
これまでの像とは、ちょっと顔が違っていますね。
オリジナルはプノンペンの国立博物館に収蔵されています。 -
カンボジアは、シャム(タイ)とベトナムに隷属している状態から抜け出すために、1863年にフランスと保護国条約を結びました。
以後、1953年まで植民地となります。
シェムリアップ周辺はタイのアユタヤ王朝に占領されていましたが、1907年にカンボジアに返還され、フランス領となりました。
フランスは早くからアンコール遺跡の保存に力を注ぐことが出来たのです。しかし、いい事ばかりではありませんでした。
1923年にはフランス人の作家アンドレ・マルローがバンテアイ・スレイのデヴァター像を盗み出し、掴まりました。
大英博物館やルーブル美術館は世界中からの盗品の山で出来ているのですから、他にもフランスに渡ったものは多かったことでしょう。ライ王のテラス 史跡・遺跡
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「癩王のテラス」の前でバスに乗り、タ・プロームに向かいます。
その時に通るのが「勝利の門」です。アンコール トム 勝利の門 史跡・遺跡
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見ての通り南大門とそっくりなので、大抵のツアーでは、ただ通過するだけです。
それではもったいないので、お願いしてフォトストップの時間を取ってもらいました。 -
左側の神々の首は、ほとんど残っていません。
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南大門はアンコール・トムの中でバイヨンの次に有名な観光地です。
それだけに綺麗に整備され過ぎています。
この勝利の門を見ると、より遺跡らしさが感じられます。アンコール トム 勝利の門 史跡・遺跡
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「象のテラス」の前で閲兵し、送り出された兵士たちは、この勝利の門を通って都を出立して行きました。
また、「勝利の門」をくぐって凱旋して来たこともあるでしょう。
802年ロリュオスに都を置いた時から始まったアンコール期は、アンコール・トムに都を定めて隆盛を迎え、バイヨン寺院を建立したジャヤヴァルマン7世の時代が最盛期でした。やがて1431年にシャム(タイ)のアユタヤ朝によってアンコールは陥落させられます。
これ以後アンコールの地は密林に埋もれ、現在の首都はプノンペンです。 -
アンコール・トムの見学コースには2つあります。
小回りコースは、アンコール・ワットの傍のプノン・バケン、バクセイ・チャムクロン、トム・マノン、チャウ・サイ・テボーダ、タ・ケウ、タ・プローム、バンテアイ・クデイ、プラサット・バッチュムと回ります。
バクセイ・チャムクロンの後に「勝利の門」を出て、トム・マノンとチャウ・サイ・テボーダに行きます。これらは道路を挟んで向かい合う小規模な遺跡ですが、なかなか見応えがあります。
大回りコースは、「象のテラス」の前を北上して北大門から出て、プリア・カン、ニャック・ポアン、クロル・コー、タ・ソム、東メボン、プレ・ループ、スラ・スラン、プラサット・クラヴァンを巡ります。 -
ここで、かつて私が1992年5月に訪れた時のフィルム写真を紹介します。
国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が、3月から活動を開始し、日本からおそらく初めてツアーが出発しました。
今のような綺麗に整備されたシェムリアップの町は無く、フランスに統治されていた頃の建物のある付近だけが辛うじて町として機能しているような状態でした。
外国人が宿泊できる設備の整ったホテルは、グランドホテルしかなく、毎日、土煙を上げながら、マイクロバスで走り回っていました。
ようやくシェムリアップとアンコール・トムの往来の安全が確保できたばかりなので、当時は小回りコースと大回りコースだけが、訪れることのできる範囲でした。
写真は「癩王のテラス」です。
こんな状態ですが、ちゃんと二重の壁の内側を見ることが出来ました。
アンコール・トムの堀の中はまだいいのですが、外に出たら絶対に整備されている車道・歩道以外は歩かない事と厳命されました。
まだ地雷が完全には撤去出来ていなかったのです。 -
バイヨン寺院です。もちろん中央祠堂まで上がれました。
でも「クメールの微笑み」は、後でガイドブックが作られた頃に謡われた文句だったので、そこで記念写真を撮ったりはしませんでした。
まだ、ガイドブックはおろか、ろくな地図もなく、一体何を見ることが出来るのか、明確にはわからないまま出掛けて行きました。
Windowsが出たのが1995年ですから、当然インターネットという情報ツールはありませんでした。 -
1992年当時の旅行会社がくれたトラベルインフォメーションです。
他にはアンコール・ワットとトムの簡単な見取り図があるだけでした。
右上の町の説明には、以下のように書いてあります。
交通:自動車(貸切)
シクロ(トゥクトゥク)・タクシーなどはありません。
電気:夕方6~9時の間のみ(ホテルでは追加料金で自家発電も)
郵便:(日本まで3ヶ月ほどかかることも)
食事:グランドホテルのレストランで
外国人が安心して食事が出来る施設が無かったので、全食ホテルのレストランでした。
しかし、2日目から早速、下痢・嘔吐の症状に悩まされ、昼間は観光するものの、夜はトイレとベッドの往復。
朝食はオーダー制なので頼んでみるものの、食べ物を見たら吐き気を催して食べることも出来ませんでした。
毎日、ミネラルウォーターだけを飲んでいましたが、それも果たして大丈夫だったのか・・・
ホテルの部屋の蛇口からは、茶色い水しか出ないので、Tシャツなどを洗っても色が付きます。
悲しいことにアンコール・ワットで朝日を見ることは断念しました。
地図の下方にシェムリアップの町があります。
グランドホテルの前が国道6号線で、川沿いに南に行くと現在のオールドマーケットがありました。
そこまでがシェムリアップの町でした。
「持ち物のご案内」に懐中電灯と蝋燭とありました。
確かに、電気が使えるのは3時間だけなので、必要だったかもしれません。 -
アンコール・ワットの西参道です。5月なので水がありません。
この時は普通に歩いて渡れました。
その後、日本の上智大学アンコール遺跡国際調査団による修復が行われ、今また大規模に修復が行われて仮設の橋が架けられています。
2001年に訪れた時には、参道の左右で修復した所と手つかずの所がハッキリ分かれていたのを覚えています。
上智大学は旧学長の石澤良昭氏が先頭に立って現地の人に自分たちで修復作業が出来るように、きめ細かい指導をしていました。
バンテアイ・クデイでは、大量の仏像を発見しました。
その頃、上智大学へ石澤氏の講義を受けに行きました。 -
勝利の門を出てすぐ北側にある「トム・マノン」です。
正面が中央祠堂で、左に西塔門、東に拝殿と東塔門があります。トマノン 史跡・遺跡
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道路を隔ててお向かいにある「チャウ・サイ・テボーダ」。
2つの寺院は、「アンコールの宝石箱」と呼ばれていました。
中央祠堂と拝殿があり、東西の塔門があることは同じですが、
こちらの東塔門は離れていて、間に空中参道があります。チャウ サイ テボーダ 史跡・遺跡
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西塔門です。近年訪れた方は、綺麗に修復された建物を見ているので、
随分と違いがあることがわかると思います。 -
中央祠堂と拝殿は、今は見事に整備されました。
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2つの宝石箱を過ぎると「タ・ケウ」です。
アンコール・ワットの前身と言える建物で、建設途中で放置されました。タ ケウ 史跡・遺跡
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「バンテアイ・クデイ」バイヨンと同じジャヤヴァルマン7世の造営。
上智大学が修復を行う前の姿です。バンテアイ クディ 史跡・遺跡
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まるでタ・プロームのようですが、92年当時はどの寺院もこんな風でした。
バンテアイ クディ 史跡・遺跡
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そして、まだ完全に安全とは言えないため、遺跡には銃を持った兵士が警備に当たっていました。
正面の入口の奥の瓦礫の上に座っています。バンテアイ クディ 史跡・遺跡
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大回りコースの「プリア・カン」です。
戦勝記念に建てられた寺院で、2階建ての構造が珍しいです。プリヤ カーン 史跡・遺跡
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この木はまだ立っているのかな?タ・プロームも随分整地されてしまったけれど。
これらの荒れたままの遺跡もいいけれど、何が何やらわからないのはもったいないです。
雰囲気は無くなるけれど、やはり修復・整備はされた方がいいのでしょうね。
でも、ちょっとは遺跡らしい荒廃した様子も欲しい。欲張りな観光客です。プリヤ カーン 史跡・遺跡
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「東メボン」
今は干上がっている東バライの中心にある寺院です。
巨大な貯水池である東バライが造営された後に、造られた寺院なのが不思議です。
横に長いけれど、高さはそれ程ではないので、同じ王によって建てられたプレ・ループの方が見応えがあります。
今回のツアーでは、プレ・ループで夕日鑑賞をしました。東メボン 史跡・遺跡
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「ニャック・ポアン」です。
こちらは、干上がった東バライの北にあるもう少し小さなプリア・カンの貯水池にあります。
私が訪れた5月は完全に干上がっていましたが、雨期になると満々と水を湛えるようです。
2011年に洪水があり、一部崩落したため、立入禁止となっているようです。ニャック ポアン 史跡・遺跡
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今回訪れた「ピミアナカス」です。
この時は立入禁止にはなっていなかったから、上っておけば良かったなあ。ピミアナカス 史跡・遺跡
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「バプーオン」です。
現在では、中央祠堂まで綺麗に組み上げられていますが、92年当時は小山のようです。バプーオン 史跡・遺跡
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「バプーオン」の裏手にある寝釈迦像。
どれが何やらわかりませんね。奥が頭で手前が胸部です。 -
オールドマーケットです。当時はただのマーケット(市場)でした。
オールドマーケットには、この日の夜をはじめ全部で3回行きました。
地元の人向けの生鮮市場と、観光客向けの土産物店のエリアが同居する大きな市場になっています。オールドマーケット 市場
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内戦で道路も穴だらけ、橋は破壊されたので、国道と言えどもこんな有り様でした。
1992年9月に自衛隊がUNTACの要請により「カンボジア国際平和協力業務」を実施。
UNTACには、明石康国連事務総長特別代表が就任していました。
建設(道路・橋等の修理等)のほか、「UNTAC構成部門等に対する水又は燃料の供給」及び「UNTACの要請等に応じて実施する物資等の輸送」等の業務を行いました。
このような国道2・3号線の補修作業の様子がニュースで流れていたのを覚えています。
自衛隊の派遣は1993年4月で完了しました。
シェムリアップの町を通る国道6号線は、誰が修復してくれたのかな?
次回は、日本人に人気のタ・プロームです。
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