2022/10/30 - 2022/11/06
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ミズ旅撮る人さん
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コロナ禍を経て、2022年ようやくカンボジアに行って来ました。
7回目は、2017年に世界遺産に登録されたサンボー・プレイ・クックです。
あまり日本での知名度は高いとは言えない遺跡です。
1992年危機遺産に認定された「アンコール遺跡群」、2008年に認定された「プレア・ヴィヘア」に続き、カンボジアで3つ目の世界遺産になりました。
認定後すぐにコロナ禍に入ったので、訪れた人も少ない遺跡です。
アンコール遺跡群に比べて、プレ・アンコール期の7~9世紀の遺跡群なので、建物の規模や造りは見劣りがします。
寧ろ、本当に「遺跡」なのだと言えるでしょう。
遺跡群は東西6㎞、南北4㎞の広範囲に点在しており、それらはいくつかのグループに分けられ、グループ間はバスで移動しながら見学します。
すごい建物はありませんが、どの遺跡も静かな木立の中に点在していて、
観光客で溢れかえるアンコール・ワット周辺とは、まったく雰囲気が違います。
さすがに世界遺産に登録されているので、敷地内は綺麗に整備され、
説明板もそれなりに設置されていますが、はっきり言ってどれがどれやら区別がつきません。
アンコール王朝とは異なるカンボジアの珍しい遺跡をご覧ください。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
シェムリアップから車で3時間かかるサンボー・プレイ・クックには、
午前中にベン・メリアを訪れて、昼食のお弁当を食べてから、辿り着きました。
サンボー・プレイ・クックは、チェンラー(真臘)の都が建設された場所で、アンコール・トムのような存在です。
そのため、敷地がとても広く、チケットセンターを経ても、バスでずっと移動する必要があります。
その間も、木立の中に遺跡が見え隠れしています。 -
アンコール・パスは使えないので、入場料10USドルを支払います。
世界遺産だし、遺跡の修復・管理にお金が掛かるとはいえ、なかなかのお値段です。
折しも、近来稀に見る円安の時で、1ドル145円(最高値は150円越)でした。ソムボー プレイ クック 史跡・遺跡
-
土のままの道は、雨季に流され、削られてデコボコになっています。
大型バスは足を取られて、右に左に大きく傾げながら進まなければなりません。
ツアーの中には、窓に頭をぶつけた人もいました。
昨今、これほどの悪路を体験することは少なくなりました。
かつてアジアの旅行は、どこでも土煙と穴ぼこだらけの道を全速力で駆け抜ける日々が当たり前でした。
今では道が整備され、高速道路でひとっ飛び。味気ないものになりました。やがて、バスはSグループに到着しました。 -
世界遺産の説明板です。
サンボー・プレイ・クックは広い敷地に点在する遺跡ですが、世界遺産に登録されているのは、東部の一部分だけです。
比較的状態のいい遺跡が見られ、整備もされていることから、部分的な認定となっています。
その東部地域にある3つのグループを見学することが出来ます。
先ずはSグループ。Sは南(South)の意味で、他にN(North)とC(Center)があります。 -
バスを降りて周りを見回すと、木立ばかりで、どこの公園に来たのかと思ってしまいます。
説明板のあった場所はS15で、扉のそばにあった碑文によると、「Smiling Shiva(笑うシヴァ)」があったそうです。「踊るシヴァ」は有名だけど「笑うシヴァ」は初めて聞きました。 -
真っ直ぐな道が遺跡に向かって伸びています。
ここに都を構えたチェンラー(真臘)は、水上貿易で栄えた扶南の影響を受けて、中国や西洋との交流があり、当時約2万軒もの家が並ぶ栄えた王都だったそうです。
扶南を属領とし、広大な領土を手に入れた真臘国ですが、681年にジャヤーヴァルマン1世が亡くなると王国の統治は不安定になって内戦がおこりました。
そして706年頃、真臘は「陸真臘」と「水真臘」とに分裂するのです。 -
道の両側にも、崩れてしまった建物の跡が見られます。
先程の説明板で言うと、S17-1です。
内戦による分裂で弱体化した真臘は、インドネシア・ジャワで栄えていたシャイレーンドラ朝のシュリーヴィジャヤ王国に、774年頃から支配されるようになります。
このシャイレーンドラ朝は、ボロブドゥールを造り上げた王朝です。
その後、真臘はシャイレーンドラ朝の属国となって消滅します。
やがて802年にジャヤーヴァルマン2世がジャワから帰国し、プノン・クーレンで即位して、クメール王国アンコール朝が誕生したのです。
二代目のインドラヴァルマン1世はロリュオスに都を建設しました。
以降、サンボー・プレイ・クックの地に都が帰って来ることはありませんでした。 -
東門に来ました。塔門だったと思われますが、前後が綺麗に無くなってしまっているので、
まるでインドネシアのバリ島にあるブ(ベ)サキ寺院のように見えます。 -
東門はS3です。サンボー・プレイ・クックは、しっかりとした調査が行われているので、一つ一つの遺跡に番号が振られています。
説明板の左端の図は、先程の世界遺産の図とは方向が90度違っていて、東が下になっています。
ただでさえ、区別が付きにくい遺跡なのだから、東西南北の方向は統一して欲しいなあ。 -
あまり花が咲き乱れている場所とは言えませんが、野生のハイビスカスが元気に咲いていました。
このサンボー・プレイ・クックは、2017年にカンボジア政府サンボー・プレイ・クック国立機構による管理が開始されました。
もっと以前の2001年に、カンボジア政府文化芸術省と早稲田大学建築史研究室は、サンボー・プレイ・クック保全事業を立ち上げ、保存活動を開始していました。
当初は、簡易的な構造の補強や、倒壊の危険がある樹木の伐採等から取り掛かりました。
また地域住民から成るメンテナンスチームによって継続的に草刈りや枝払いが行われ、管理して来ました。
まるで公園のように見えた景観は、この活動によって維持されているのです。 -
プラサット・イェイ・ポアン。Sグループの名称です。
Sグループには、アンコール遺跡群には見られない八角堂が多くあります。
今回の表紙です。 -
サンボー・プレイ・クック最大の特徴は「空飛ぶ宮殿」と呼ばれる彫刻です。
ここにしか見られない彫刻で、宮殿のような建物を「グリフォン」のような動物が持ち上げているように見えます。
グリフォンは、上半身が翼を持った鷲で、下半身がライオンの想像上の動物です。
グリフォンには翼があるので、飛んでいると形容したようです。 -
英語でフライング・パレスと言うこの彫刻は、8面にそれぞれ描かれています。
-
長い年月の経年劣化で彫刻の保存状態は良好とは言えません。
-
レンガで出来ている建物自体が倒壊寸前の状態なので、このように崩れないように補修が行われています。
早稲田大学・筑波大学・カンボジア政府文化芸術省による
「サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業」の概要には、初期のこうした補修の次の段階として、
「広域踏査や遺構の分布測量によって遺跡群の全域地図を作成し、
発見された全遺構と遺物の目録、主要な遺構の図面を集成し、遺跡群の全体像の把握に取り組んだ」とあります。
全体像の把握は、これだけ広大な地域に分布する遺跡の保存・管理には絶対に必要なことです。
「都城」アンコール・トムですら、周囲12㎞です。20㎞以上となるサンボー・プレイ・クックの規模が伺われます。 -
真臘は、インドの影響を受けているので、これらの彫刻はヒンズーのものとされています。
A.D.550年頃、扶南に支配されていた現在のラオス南部からカンボジア東部にかけてに住んでいたクメール人が、613年にメコン川上流に真臘(チェンラ)という国を創建し、扶南を属国としました。それは628年まで続きました。
その真臘国の初代王、イシャーナヴァルマン1世が613年に新しい王都を築きました。
それがサンボー・プレイ・クックの西側地域です。
遺構が発見されていますが世界遺産には含まれていません。 -
「真臘風土記」は、1296年に中国・元による使節団に同行した周達観がカンボジアの王朝について記したものですが、当時はアンコール王朝でした。
サンボー・プレイ・クックを造った真臘(7~9世紀)のことではありません。 -
8面あるのですが、こんな状態なのですべては撮れませんでした。
イシャーナヴァルマン1世が613年に建設した「イシャーナブラ」は、唐の玄奘三蔵が著した「大唐西域記」に、「伊賞那補羅(イシャーナプラ)国」として紹介されています。
後に発掘されサンボー・プレイ・クックと呼ばれるようになったのです。
イシャーナヴァルマン1世の後の王たちもこの地に王都を広げ、
7~9世紀にかけて造られた数々の建物の遺跡が残っています。
因みに聖徳太子が法隆寺を創建したのが607年です。
法隆寺は木造なのに、よくあれだけ残っていますね。 -
早稲田大学による保全事業では、現地の人に遺跡保全のノウハウを伝授し、担い手を育成することに尽力しました。
ここで今も補修に携わっている人々は多くがカンボジア人のようです。
S2の内部にはシヴァ神の乗り物ナンディの像が安置されていたと碑文に書かれていました。
ブラフマー・シヴァ・ハリハラ(シヴァとヴィシュヌ神の合体像)・サラスヴァティ(ブラフマーの妻)などの像が置かれていたようです。
更にシヴァ神を表すゴールデン・リンガもあったとか。 -
それでも、木立の中には無数の崩壊寸前の遺跡がたくさん見受けられます。
-
真っ二つに引き裂かれようとしている祠堂。
これも八角堂で「空飛ぶ宮殿」の彫刻が見て取れます。 -
上半分が植物に覆われた祠堂。レンガで作られているので、植物が生えやすいのでしょう。
-
S1は、Sグループであるプラサット・イェイ・ポアンの主なサンクチュアリです。
イシャーナヴァルマン1世(616~637)によってシヴァ神に捧げられました。
この近くではイシャーナヴァルマン1世に関わる最古の碑文が発見されたそうです。
世界遺産の説明板にはS1は25mの高さがあると書かれていました。
現在の建物よりずっと大きかったのでしょう。 -
S1の説明板です。
右の英文の最後に、2004年、早稲田大学のプロジェクトにより
基礎構造の補強と台座の再設置が行われた事が書かれています。 -
八角形の各角に亀裂が入っていますが、これでも一応補修はされているのです。
ワイヤーで巻くだけで本当にいいのか疑問ですが、早稲田大学がしたのなら、取り敢えずそれでいいのでしょうね。
アンコール・ワットの修復には古くから上智大学の石澤先生が携わっておられましたが、他の大学も来ていたのですね。 -
サンボー・プレイ・クック遺跡群の建物はカンボジア初の寺院建築と言われています。
プレ・アンコールと呼ばれる所以ですね。 -
S1は中に入れませんでしたが、ここ(S11)は入れました。
天井を見上げています。ずっとレンガがずらして重ねられています。
レンガで八角形を作るのは難しかったのでしょうね。 -
内部にはリンガを祀っていた筈の台座(ヨニ)が置かれています。
早稲田大学による保全事業では、2003~2007年にかけてこれらの台座の修復と再設置を実施しました。 -
珍しく遺跡に絡みついた植物に花が咲いていました。
-
屋根の上は花でいっぱいです。
-
亀裂が痛々しい祠堂。どうしてこんな風に亀裂が入るのでしょう。
古い時代のレンガは、焼成温度が低くて劣化しやすいのが一因でしょうか。 -
あちらでも修復作業が行われています。地元の人による作業は、収入を得る一助にもなります。
遺跡群内にはいくつかの集落があり、建設工事や耕作地の拡張等による遺跡破壊が徐々に進みつつあります。
彼らが作業に携わることで、遺跡への理解を深め、収入を得て耕作地をいたずらに増やさないようになることが理想です。 -
珍しく頂上まで組み上がっています。こうして見るとかなり高い建物なんですね。
なんとなく、イタリア・アルベロベッロのトゥルッリを思い出しました。あれは石板を重ねた屋根でした。 -
頭頂部はどうなっていたのかしら。まぐさ石のような置き石があったのかな?初期の建物は、木造の頭頂部だったそうです。
だから残っていないのか。 -
S1中央祠堂です。修復中で近寄れません。
-
早稲田大学による保全事業の次の段階として、
「煉瓦遺構においては、詳細な倒壊危険個所の把握や破損原因の分析、
包括的なリスクマップの作成をした上で、2009年より修復工事を開始した。」
やはり、綿密な調査の上で(場当たり的な補修ではなく)修復されているんですね。 -
アンコール遺跡群のように石造ではないため、素材がボロボロなのが痛々しいです。
-
これが自然に還って行くという事なのでしょう。
-
ああ、崩壊してしまっている。S5の西門です。
-
S1の中央祠堂を後ろから見ています。
周囲を取り巻くお堂はすべて八角形で、中央祠堂だけが長方形です。
殆どの建物は東向きですが、S9だけは西向きになっています。 -
ボロボロになったレンガに、よく見ると花模様の彫刻が残っています。
-
中央祠堂にだけ、まぐさ石があります。
-
レンガの壁を、よ~く見ると壁面いっぱいに彫刻が施されているのがわかります。
遠目で見て感じるより、はるかに精緻な意匠の建物なのです。 -
S8と思われる八角堂は、外壁だけになっていました。
断面を見ると、壁の厚さがわかります。
レンガでは、あれだけ厚くないと屋根が支えられないのですね。 -
猿が出迎えてくれました。餌をねだるでもなく、ちょっと見に来た風です。
-
Sグループの隣にあるCグループに来ました。プラサット・タオと呼ばれています。
2重の壁に囲まれており、外壁は280×270m、内壁は145×135mです。
Sグループ同様に東西に門があります。中には12の塔がありましたが、倒壊しています。
外壁の内側、北東の角に沐浴用の池があります。
また、外壁の外の西側には、南北にレンガ造りの塔が並んでいます。 -
C10。内壁の東門が見えて来ました。
-
風蘭のように可憐な花が咲いていました。
-
内壁です。
-
C1の看板。わかりやすいですね。説明もあると良かったのに。
-
C1中央祠堂の塔は高さが20mあります。中には入れません。
-
これがCグループの象徴となっているライオン像です。全部で6頭います。
-
このライオンが注目されるのは、このスタイルがアンコール遺跡群では異なるためです。
クルクル巻き毛が垂れ下がり、四つ足で踏ん張ったような恰好。
バイヨンや象のテラスなどに多く見られるライオンとは全く違います。
カンボジア最古のシンハ像と呼ばれ、寺院の名前もライオン寺院を意味しています。 -
これで6頭です。巻き毛のたてがみが豪華なわりに、胴体が貧弱な気がします。
私はアンコール・トムのライオンのヒップラインが好きなので、軍配はあちらに挙げます。 -
中央祠堂の北側です。
-
偽扉が付いています。
-
まぐさ石には、神様や神獣のモチーフはなく、植物の紋様のみです。
-
西側の真後ろに回り込んで見ると、足場を組んでの修復作業中でした。
-
何の作業をしているのかな?草取り?私も手伝うよ!
-
周囲には、レンガの小山が点在していて、そこに建物があったことを示唆しています。
C(中央)グループの建物は、中央祠堂が残っているくらいで、他のおそらく八角堂たちは、このように倒壊してしまっています。 -
大きなミミズがいました。横にある足跡を見れば、とても長いことがわかります。
男の人の靴なので、全長は30㎝くらいあるでしょうか。 -
樹上に猿がいました。
-
地面にいたリスが、木に駆け上って行きます。
-
野生のサルは、実にのんびりと過ごしています。
柵のロープがハンモックの代わりです。 -
N(北)グループに来ました。プラサット・サンボーと呼ばれます。
世界遺産の説明板を取り損ねました。
Nグループの構成は、Cグループとほぼ同じですが、
三重の壁に守られ、北東の角に池があります。
北側の外壁の中に、シヴァ・リンガが剥き出しになっていました。
安置していた建物が倒壊して、リンガだけが再設置されたのでしょう。 -
Nグループは、3つのグループの中で一番敷地が狭いです。
ここがチケットセンターから一直線で近いので、有料の専門ガイドの待機所があります。
確かにガイドがいなければ、どこに行ったらいいのかすらわかりません。
あちこちに小道がたくさんあり、どれも似たような遺跡なので、迷い込んだら帰れるとは思えません。 -
N1、中央祠堂です。何ともいい風情です。
早稲田大学による保全事業は、
「2017年には遺跡群内でも中心的な寺院の一つであるプラサート・サンボーの主祠堂の修復工事を完了した。」そうです。 -
周囲の祠堂は八角堂ではないようです。
-
この大木を見て気が付いたのですが、サンボー・プレイ・クックでは榕樹などが建物に生えていることがありません。
元々生えていなかったのか、保全事業によって伐採されたのか。後者でしょうね。
草を刈って、公園の様に整えられた世界遺産です。 -
N9に安置されているドゥルガー(シヴァ神の妻パールヴァティーの化身)像。
ここにあるのはレプリカで、オリジナルはプノンペンの国立博物館にあります。 -
インドでのドゥルガーといえば、10本の腕を広げてライオン(または虎)に跨る恐ろしい女神です。
この像はまるでパールヴァティーかラクシュミーのように上品に見えます。
インド人に見せてもドゥルガーとは言わないと思うのですが、どこかに碑文でもあったのでしょうか。
ヒンズー教の神話では、古代、神々は悪魔(アスラ)の首領マヒシャに天界を奪われていました。
怒ったパールバティが、天界を取り戻すべくドゥルガ―に変身し、マヒシャを倒します。
恐ろしいドゥルガーですが、悪を倒す神様なので、たいへん人気があり、数々の祭りの主役になっています。 -
見たことのないトンボが止まっていました。
-
広い基壇(プラットフォーム)の上に建つ中央祠堂。
-
「2017年の世界遺産登録は、遺跡群の中でも研究が進展し、地上遺構が良好に残された寺院地区のみに限定されている。
この地区の周辺にも重要な遺構が多数分布しているが、
地域住民の社会活動によってそれらの保存は危うい状況にある。
学術的な研究成果を積み重ねることで世界遺産の拡張を実現することで、遺構の保護にとってより有効な行政手段の実現が期待できる。」
広いサンボー・プレイ・クックの中に住んでいる住民たちによって、遺跡が破壊されつつあり、それを防ぐためにも、すべての遺跡が世界遺産に含まれるように活動して行きたいという事です。 -
N10に向かいます。
-
ここにはハリハラ像が安置されています。
シヴァ神とヴィシュヌ神の合体した姿を現し、左右に分かれています。
シヴァは、妻パールヴァティーとも合体して、左右が男女の姿となったアルダーナリシュヴァラともなります。 -
4本の腕があり、青い肌のヴィシュヌと白い肌のシヴァとして描かれます。
ハリハラ像は、シヴァ派とヴィシュヌ派に分かれて紛争が起こるので、
二神を融合させて出来たと言われています。
この像も、オリジナルは国立博物館にあります。 -
そろそろ、どれがどれかわからなくなって来ました。
-
随分と傾(かし)いでいるなあ。
基壇や台座の調査で穴を掘っても、レンガの建物が崩れないように埋め戻すのだそうです。 -
修復工事を完了したという中央祠堂に行って見ます。
-
壁面には「空飛ぶ宮殿」があるようですが、上部の円に囲まれた部分が失われたのかなかったのか。
-
こちらの「空飛ぶ宮殿」を見ると、円形部分は随分小ぢんまりしています。
Nグループは、Sグループよりも初期の物なのかもしれません。 -
中にはリンガの台座だけがありました。
-
出入り口の上にも彫刻が見られます。建設当時の姿はどんなものだったのでしょう。
他の遺跡とは異なる様式のため、ここだけで推測するしかありません。 -
真っ直ぐに西門に向かう道がありました。
東門からは、2㎞先にあるセン川に向かう道がありました。 -
「空飛ぶ宮殿」の彫刻には、所々に顔が隠れています。
何故か、丸い中に顔だけが彫られています。
こうした顔の中には、西洋風の顔立ちをした「ヘレニズムの影響を受けた」とされる顔もあります。 -
さて、サンボー・プレイ・クックに入って一番気になっていた遺跡がこれです。
最後のお楽しみに、取っておかれました。いよいよ見に行かれます。
N18プラサット・チュレイです。道路を隔てて離れて建っていますが、Nのナンバーが付されています。 -
タ・プロームやベン・メリアで見慣れた状態の建物がポツンとあります。
-
見事な根っこが、べったり張り付いています。
先程、サンボー・プレイ・クックには建物の上に生える木がないと思いましたが、実はそもそもは、どれもこういう状態だったのです。
ここを調査する過程で、極力伐採して、植物による破壊を食い止めたのです。
N18は、他の建物とは離れているので、かつての姿を残すようにしたのでしょう。 -
まるで鉤爪で掴まれているようです。
-
偽扉が本物の扉だったとしても、入れませんね。
-
この祠堂には「空飛ぶ宮殿」の彫刻がありません。
-
偽扉が「空飛ぶ宮殿」の代わりのように見えます。
-
周囲をぐるりと周って眺めて、入り口を見つけました。
階段も根っこと同化してしまって、普通には上れないけれど、行かないという選択肢はありません。 -
中も太い根がどっしり構えていて、中に入れてくれません。
ようやく頑張ってカメラを差し込んで、撮れたのがこれです。
天井が抜けているので明るいです。 -
サンボー・プレイ・クックは、アンコール遺跡群とは違う様式であり、レンガ造りの点では、アンコール遺跡群より古いロリュオス遺跡群と同じです。
しかし、八角堂が中央祠堂を囲む伽藍配置は独特で、そこに彫られた「空飛ぶ宮殿」も他では見られません。
ロリュオスの方が、神々の彫刻などがしっかり描かれていてアンコールに近いです。
クメール最初の王朝である真臘(チェンラー)の遺跡は、京都の絢爛豪華な社寺がアンコール遺跡群だとしたら、もっと古い由緒正しい奈良の法隆寺に当たると言えるかもしれません。 -
サンボー・プレイ・クックからの帰り道、現地ガイドのサム・ナンさんが、ここに連れて来てくれました。
カンボジアの学校の門に「アツ小学校・中学校」と書かれています。
これは、中田厚仁さんの名前を付けたものなのです。
在福岡カンボジア王国名誉領事館のHPに、下記の記事があります。
「1993年、国連ボランティア(UNV)としてカンボジア総選挙の監視活動中に武装集団に襲撃され、亡くなった中田厚仁(あつひと)さん(当時25)。
内戦が終息して間もないこの国で、中田さんは選挙や民主主義の大切さを説くため地方の村々を回った。
初めは疑心暗鬼だった村人も懸命に働く姿を目にし、次第に心を開いたという。 -
襲撃事件の翌月、総選挙があり、中田さんの担当地域の投票率は99%を超えた。
そればかりか投票箱には感謝や死を悼む多くの手紙が入っていたそうだ。
数年前、首都プノンペンにある中田さんの慰霊碑を訪れた。
手を合わせ、立ち去ろうとする私に寺院の男性はこう言った。
「私たちは今も感謝の気持ちを忘れない。
あなたも日本人として誇りに思ってほしい」と。
2013年4月8日、中田さんが亡くなって20年になる。」
今年は2023年、中田さんが亡くなってから30年になります。 -
更にその続きが、国連ボランティア計画(UNV・本部はドイツのボン)のHPにあります。
「1993年4月、長男中田厚仁さんが国連ボランティアとしてカンボジアで活動中に殉職された後、父親の中田武仁氏は、厚仁さんの遺志を継ぐため、第一線のビジネスマンとしてのキャリアを辞し、自らも国際平和のためのボランティアとして活動を開始しました。
1993年6月には、国連ボランティア名誉大使に任命され、引退以降も「国連ボランティア終身名誉大使」として活動を続け、2016年に永眠されました。」 -
こういう日本人がいた事を知ることが出来て良かったです。
2019年12月4日アフガニスタンでも日本人医師中村哲さんが襲撃されて亡くなりました。
彼らを失わなければならなかった、その国の闇が晴れますように。 -
牛たちが家路につきます。
-
この国は、どこで見ても夕日が美しい。
シェムリアップに向けて疾走するバスの車窓を見て、そう思いました。 -
僅かな街灯しかないので、日没後は真っ暗になります。
人も車も家路を急ぎます。 -
日が沈みました。17:35が日没時間です。
この日の夕食はシェムリアップ市内のレストランで中華料理でした。
円卓なのに、回らないので料理を取ったら隣に皿をスライドさせなくてはなりません。
カンボジアは基本的に薄味なので、中華料理も味が薄くて、やっぱりカンボジア料理でした。
次回は、アンコール発祥の地プノン・クーレンです。
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