2022/10/30 - 2022/11/06
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ミズ旅撮る人さん
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コロナ禍を経て、2022年ようやくカンボジアに行って来ました。
13回目は、タイとの国境にある「天空の寺院」プレア・ヴィヘアです。
なぜこんな名前が付いているかと言うと、ダンレック山地の頂上にあり、標高575mの第一塔門から約100m上って中央祠堂に至る斜面に展開する寺院で、地上から見上げるとその高さが際立ちます。
中央祠堂に行き着いたらそのまま敷地の突端まで行き、ハイライトであるカンボジア大平原の眺めを堪能しましょう。見ていると、身体がふわっと浮いて行きそうな気がします。地上とは隔絶した世界が広がります。「神の目線」を体感できる場所です。
プレア・ヴィヘアは、タイとの国境にあり、長年紛争地域でありました。
1993年にここを訪れた際には、タイ側からしか行かれず、名前も「カオ・プラヴィハーン」と呼ばれていました。
その後、2008年に世界遺産に認定されたことで軍事衝突があり、現在でも安定しない紛争地域です。タイ側のゲートは一般人には閉められており、カンボジアからのアクセスのみ見学することが出来ます。
寺院のある山を見上げる場所に観光管理所があり、ここでバスを降りて4WDのトラックに乗り換えます。
傾斜のキツいグネグネ道をトラックは疾走して行き、山の上の駐車場に着きます。
ここからはずっと斜面を登り続けます。とは言え、金毘羅山ほどの傾斜ではありません。
全長800mの境内をゆっくり歩いて5つの塔門を経て、ようやく中央祠堂が現れます。
修復はされていますが、ここも崩壊が進んでいます。
他の寺院なら建物の彫刻を追って歩き回るのですが、プレア・ヴィヘアでは、気持ちが先に行ってしまいます。あの大平原が見たい。吸い込まれるような圧倒的な広さに息が止まってしまいます。こんな場所は他には無いでしょう。
帰りは、なだらかな岩の上をだらだらと歩いて降りて行きます。上りよりも下りの方が辛かったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
コー・ケー遺跡群から更に北上してタイ国境の丘陵地帯に向かいます。
ダンレック山地の一角に、山頂に岩があり建物が見えて来ました。
シェムリアップからプレア・ヴィヘアには、寺院の東側から南周りで西側に行くので、両側から見上げることが出来ます。これは東側。 -
バスは幹線道路沿いにある観光管理所に停まりました。ここは西側です。
仰ぎ見る山の頂には岩が剥き出しになっていて、その上に建物がチラホラ見えます。平らなように見える岩棚ですが、寺院の標高差は100mです。 -
第一塔門のそばまでは、このトラックで上って行きます。
先着1名のみ助手席で、あとは荷台の座席に座ります。
当然、荷台の座席を確保しました。トロッコ列車のようなものですね。
写真を撮るなら絶対にオープンデッキ(荷台)です。 -
プレア・ヴィヘアのチケットです。1日券で10ドルです。コー・ケー遺跡群より安いのが意外です。
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幹線道路から山頂への道に入る所でチケットのチェックです。
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この道はとても傾斜がキツく、カーブの連続で、写真を撮るか振り落とされるかの二者択一状態でした。
トラックは、アメリカ国内でトヨタが生産しているTACOMAという車種で、駆動の切り替えができます。
幹線道路を走っている時は2WDですが、この坂に入る時にはシフトチェンジをして、4WDで上って行きます。ずっと4WDでも良さそうなものですが、燃費が違うのでもったいないのだそうです。 -
後方を撮っていますが、既に「天空」の雰囲気が漂っています。
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よくこんな所に巨大な寺院を建てたものです。上るだけでも心臓破りじゃないですか。
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先の見えない急坂を上って、ようやく頂上の駐車場です。
あまりの急坂に恐れをなして、後は少しでも寺院に近い場所で降ろしてくれるように祈っていました。 -
駐車場には、同じようなトラックがたくさんいました。繁忙時はピストン輸送なのでしょうね。
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プレア・ヴィヘアの正式な玄関はタイに向いています。
現在はカンボジアからのみ入れますが、第一塔門の手前に横から割り込むように合流します。
この辺りは、その脇道なので寺院の一部ではありません。ここにあるのは塹壕です。タイとカンボジアの国境紛争の際に軍隊が駐留していました。 -
塹壕の向こうに見える山と寺は既にタイ国内です。
プレア・ヴィヘアは、1962年に国際司法裁判所によってカンボジア領と認められたものの、遺跡周辺の一部地域は帰属が未確定のままでした。
2008年、プレア・ヴィヘアがカンボジア政府の推薦により世界遺産になったことで領土問題が再燃、武力衝突が勃発しました。
タイが紛争の解決に向かって動き始め、2013年には国際司法裁判所が帰属が未確定であった土地についてもカンボジア領と認めて、領土問題にようやく決着がつきました。 -
参道に向かう途中に、プレア・ヴィヘアの見取り図がありました。
①と書かれた所から下に伸びる二本線を、①に向かって歩いています。
これから①②③と進んで行くのですが、英語の説明には「GopuraⅤ」「GopuraⅣ」と書かれています。
ガイドブックでは、第一塔門・第二塔門と数字が大きくなっていくのですが、まったく逆です。困るなあ。
現地に合わせて、表記を第五塔門から第一に向かうようにします。
赤い線が参拝順路、緑の線が帰路です。 -
建物の絵入り地図もあったので、添えておきます。
プレア・ヴィヘアは、カンボジアでは珍しく南北に展開する寺院です。地図の左が北で、南に向かって上って行きます。 -
①のナーガの欄干に来ました。ナーガが左を向いているのは、左が正面だからです。
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ナーガの欄干の先は、まだまだ階段が続いていて、青いシートの先に細道が見えますが、あの先を右に曲がるとタイ国境です。
1993年にそこからこの遺跡に入って来ました。 -
遺跡の入口にはこんな簡単なゲートがありました。
手前に木の机が置いてあり、そこでパスポートを預けて中に入りました。 -
当時のゲートの看板です。「KHAO PHAVIHARN」というのがタイでの名称です。
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では「ナーガの欄干」から、プレア・ヴィヘアに入って行きましょう。
これまで見て来たナーガとは、頭の形が随分違いますね。 -
第五塔門です。修復工事中です。
「聖なる寺院」という意味のプレア・ヴィヘアを創建したのはヤショーヴァルマン1世。9世紀末または10世紀と言われています。
現存する建物は10~12世紀にかけて築かれたもので、特に11世紀前半のスールヤヴァルマン1世と、12世紀前半のスールヤヴァルマン2世によって建てられたものがほとんどです。スールヤヴァルマン2世はアンコール・ワットを建てた王です。守備範囲が広いですね。
当初はシヴァ神を祀るヒンドゥー教の寺院でしたが、その後仏教寺院に改修されました。 -
現地ガイドの話によると、国境紛争が一触即発状態の時期に、一人の老婆が参拝に訪れました。老婆の参拝だったので、タイ人でしたが放置していてそのまま夜になりました。暗くなっても帰って来ない老婆を探すためと称して、タイの軍隊が侵入したのだということです。
タイは汚い手段を使ったと憤っていました。それだけこの場所を確保したかったのでしょう。
国境にあって、素晴らしく眺望の良い山頂です。そこに要塞や山城を建てるのではなく、寺院を建てるところが、クメールならではの感覚なのでしょうか。ちょっと不思議。そう言えば、クメールの要塞って聞かないですね。頻繁に戦争をしているのに、どうして? -
第五塔門は、プレア・ヴィヘアに現存する建物では最も古い10世紀初頭のコー・ケー様式です。2,000リエル札の裏側に描かれています。唯一残った破風を正面から映した写真です。
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東側から見ています。右方向が「ナーガの欄干」です。
建築家が見たら卒倒しそうな不安定な状態です。ちゃんと修復して欲しいなあ。 -
第五塔門の先は階段を上ってから長い参道が続きます。ここがちょっと変わっていますね。
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参道の両側には、リンガを模した彫像が立ち並んでいました。
バンテアイ・スレイと同じですね。プレア・ヴィヘアはシヴァ神に捧げられた寺院だったので、リンガは重要なモチーフです。 -
振り返って、第五塔門を見ています。この参道の始まりは階段でした。
参道の傾斜を緩やかにするために敢えて最初に階段を設けてあるのかと思いましたが、ここから見ると参道は第五塔門と同じ高さに繋がっているように見えます。
そういう効果も計算されていたのかな? -
タイ側の寺院です。こんな近い距離でにらみ合っているのが、どちらも寺院なのがアジアらしいのかな?西欧でなくとも、日本でも要塞を建てると思います。
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参道の先に第四塔門が見えて来ました。
塔門の手前には必ず階段があり、塔門を過ぎないと次の塔門が見えないようになっています。参拝する人の視覚に与える効果を計算している伽藍配置は、アンコール・ワットに引き継がれています。 -
リンガの並ぶ参道。ヒンドゥー教はインドからもたらされた宗教ですが、インドではリンガは常に台座の上で崇拝される対象であり、本尊の役割を果たしていました。リンガだけが独立してモチーフとなるのはクメール独自の様式かもしれません。
クメールでは、特にナーガが重要な役割を持っていて、建物のどこにでもあしらわれているのが、大きな特徴です。
同じ宗教だからと一括りにしないで特徴を探すのも楽しいです。 -
第四塔門に上ります。
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1993年当時の第四塔門です。崩れた階段をそのまま上りました。
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塔門の正面は、割と小ぢんまりしていました。
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正面の破風にはインドラ神のレリーフがあります。
インドラ神は軍神であり雷を司る神で、日本では帝釈天に相当します。 -
反対側の北側を見ています。200年掛けて改築・増築されて来ただけあって、しっかりした造りです。プレア・ヴィヘアの塔門は、第五から第三に進むにつれて立派になって行きます。
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北側の破風には「乳海攪拌」が彫り込まれています。
アンコール・ワットの第一回廊のレリーフとは規模が違いますが、細かい個所まで良く描かれています。
「乳海攪拌」の下のまぐさ石のレリーフには、寝ているヴィシュヌ神のヘソから蓮の花が生え、そこから創造神ブラフマーが誕生したという創世神話が描かれています。
これだけクメール遺跡を見て来るとすっかりお馴染みのモチーフですね。 -
アンコール遺跡群よりも丸っこい頭の可愛いナーガ。
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プレア・ヴィヘアには大小3つの貯水池があります。
第四塔門のそばにあるこの貯水池で、タイの前国王プミポン国王(ラーマ9世)が即位する時(1946年)に沐浴したそうです。当時はタイからアクセスする寺院でした。 -
第三塔門が見えて来ました。プレア・ヴィヘアで最も長い参道は、第五から第四塔門の間です。常に上り坂が続きます。結構疲れます。
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第三塔門は、これまでの塔門の3倍の幅があります。
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1993年当時の第三塔門です。30年前の木がそのまま生えているのがわかります。仏教寺院としてタイ人がたくさん参拝していました。
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塔門の脇のテラスの石積み。
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そのテラスの上には、第三塔門の両翼が広がっています。
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テラスの端には、小さな祠堂。そこに向かう小径があるのが気になります。その先からはタイ国内がよく見えるのだそうです。
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第三塔門から第四塔門を見下ろしています。
全長800mの長い長い寺院です。 -
第三塔門は両翼が長いので、内部の廊下もいくつもの仕切りをくぐって移動します。
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上の破風には山を持ち上げるクリシュナが描かれています。
ヴィシュヌ神の8番目の化身がクリシュナです。
インドラ神が降らせた雨をゴーヴァルダナ山を片手で持ち上げて傘にして遮ったという説話を表しています。
下部のまぐさ石には、ガルーダに乗ったヴィシュヌ神が描かれています。 -
南側から第三塔門の東翼を見ています。翼の先には回廊で囲まれた部分があります。
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東翼の、四角く回廊で囲まれた部分です。
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西翼。
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第三塔門の南側の破風には、ナンディに乗るシヴァ神。その下のまぐさ石にはインドラ神のレリーフがあります。
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そのまぐさ石の下奥に、内部の破風が見えています。「ナンディに乗るシヴァ神と妻ウマー」です。
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プレア・ヴィヘアのレリーフは、とても緻密で美しいものが多く残されています。この事が世界遺産に登録された理由の一つでもあります。
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バンテアイ・スレイによく似た屋根の造りです。
そう言えば、プレア・ヴィヘアにはデヴァターやアプサラが見られません。何故? -
第二塔門への参道に上がる階段。両脇にはナーガの欄干。この参道は短いです。
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第二塔門。第三塔門に比べて、横幅は狭いですが奥行きがあります。
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手前のテラスから塔門の正面入り口を見ています。
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更にその右側に続く西翼です。
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第二塔門から第三塔門を見ています。
第三塔門は赤い壁がきれいな建物です。 -
木造だった屋根が失われた塔門内部。
クメール文化では、少しずつ石材をずらして造る迫り出し構造の屋根しか造れなかったため、木材で屋根を造ることが多くありました。 -
第二塔門は中庭があります。真ん中に祠堂があり、その奥の両脇に経蔵があります。
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塔門から中庭に出るところには階段が作られています。
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中庭を囲む回廊は内側の柱が倒れています。
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真ん中の祠堂です。
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その横は広場になっていて、奥に経蔵が見えます。
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経蔵から塔門を振り返っています。なんとなく位置関係がわかったでしょうか。
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経蔵の屋根部分です。ちょっと変わった連子格子が付いています。
窓ではなく、装飾なのでしょうが、他では見ないと思います。 -
破風とまぐさ石にもレリーフが見られます。
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第一塔門は内陣の建物に組み込まれてしまっていて、よくわかりません。
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内部はこれだけです。
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中央祠堂です。
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破風には踊るシヴァ神のレリーフ。ここはシヴァ神に捧げられた寺院でした。
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横から中央祠堂を見ると、これだけの敷地を持つ寺院の中心にしては随分小さいと思うとともに、最も重要な祠堂が荒れているのが傷ましいです。
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大きな石材が雪崩を起こしています。これまで、あまり崩れた部分を見なかったので、一層不憫です。
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この中央祠堂をぐるりと回廊が囲んでいます。
第二塔門の回廊は崩れていたけれど、こちらは屋根が石積みなので持ちこたえたようです。 -
回廊には連子格子はありません。今は仏教寺院になっているので、仏僧がやって来ます。
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中央祠堂を西側から見ています。こちら側は少し往時の姿を忍ばせます。
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半分はこの有り様なので、あまり歩き回れません。
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境内に1本だけ生えている木の下には「猿に注意」の看板。
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回廊に入るには、こうして窓枠を乗り越えて行きます。
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回廊の中は狭く、屋根が急なカーブを描いています。
赤い看板の所から外(右)に出ることが出来ます。 -
回廊の中から中央祠堂を見て、外に出ます。
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外から見た回廊です。壁が続いているだけに見えます。
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プレア・ヴィヘアの最奥です。
これだけの幅しかなく、出入り口もない事に驚きます。 -
様式の異なるナーガ。何代かの王が建設に関わったから、違いが出るのかな?
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内陣に寄り添って東西両方に祠堂があります。性格的には経蔵のような物でしょうか。短い連子格子も経蔵と同じです。
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寺院から少し離れて見ます。右が内陣、左が外の祠堂です。
山頂にあり、斜面を利用して高さを感じさせているので、建物自体は平屋です。日本の神社だと、上の方の本殿が最も大きく、奥の宮が小振りになるものですが、プレア・ヴィヘアは真ん中の第三塔門が翼(よく)を広げて最も大きくなっています。
第四塔門と第五塔門はくっついてしまっていて、中央祠堂も小さく、あまりインパクトがありません。
最後に感動を与えるのは、その先の断崖絶壁の風景の方でした。 -
「猿に注意」と中央祠堂の前に書いてありました。
ニホンザルより少し細身で灰色の猿がたくさんいます。 -
子猿を抱いた猿も歩き回っています。それに導かれて断崖の先端に向かいます。
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先端は大岩が剥き出しになっているので、注意してそれをよじ登ります。
するとつま先の先から、この景色が広がるのです。
色が濃くなっている場所は雲の影です。
真っ直ぐに伸びた幹線道路から左へ逸れる道が見えます。かつてカンボジア側からプレア・ヴィヘアに至る旧道で、途中から石段が続きます。果てしない石段の先は第五塔門の脇に接続しています。我々がナーガの欄干に合流した場所の反対側です。 -
先程は南東方向、こちらは南西方向を見ています。
貯水池が見えます。左下から貯水池の左側を通る幹線道路が見えます。
その幹線道路上にバスを降りてトラックに乗り換えた場所があります。
貯水池の角で右に曲がって、頂上まで上がって来たのです。 -
この絶壁の正に先端を先程のモヒカン猿が歩いて来ました。
左上が幹線道路、右上が頂上への道です。高低差は600m。 -
頼むから、そんなところで寛がないで。見ているこちらはハラハラドキドキ。こっちが落っこちそう。私だって、同じ岩の上に立っているのです。
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落ち着いてしっかり堪能したい人は、このように座り込んでじっくり浸ります。同じツアーの方ですが、この風景を見たくて参加したのだと話しておられました。
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こちらがお立ち台。ここでどういうポーズをとるか、よく考えて上りましょう。
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お立ち台のそばに参拝所が設けられていました。
今は仏教寺院になっている筈ですが、本尊がリンガに見えます。
日本人はどちらでも気にしないけれど、カンボジアの人はどう思っているのかしら?ヒンドゥー教では、ヴィシュヌ神の化身の一つが仏陀(お釈迦様)としています。 -
彼らが観光客にたかるようになるかどうかは、観光客の態度次第。
お互いソーシャルディスタンスを守りましょう。 -
では、駐車場に向かって降りて行きます。
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左の壁が内陣の回廊です。帰路は、伽藍の西側を歩いて行きます。
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翼(よく)を広げた第三塔門です。
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西翼の先端から塔門を覗き込みます。かつては木造の屋根が架かっていました。今は、スッキリと晴れた青空が明るく見えています。ここに来るのは晴天に限りますね。
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第三塔門の正面玄関を西側から見ています。
突き抜けた窓に、視線が吸い込まれて行きます。あの向こうはタイです。 -
帰路は、果てしなく長い道のりでした。
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どこまでも続く岩の上を、延々と歩いて下ります。予想以上に足に堪(こた)えました。
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第一塔門が見えて来ました。今回の表紙はここです。
なかなか「天空の寺院」らしい写真がなくて、苦慮した結果です。
見えているのはカンボジアの大平原ではなくてタイ国内(真ん中の山も含んで)なんですがね。
それも国境の寺院プレア・ヴィヘアらしいでしょう。 -
駐車場に着きました。行きには助手席に乗った人も、荷台に出て来ました。そう来なくっちゃ!
舗装道路なので土ぼこりは気にならないし、風を受けて気持ちのいいドライブが出来ます。 -
ジェットコースターの山頂のような気分。坂の先が見えないスリルは最高です。
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途中で気が付きました。動画で撮ればいいんじゃない。
ところがカーブと急坂で掴まっているのが精一杯な上に、常時座席から飛び上がっているので、動画の画面も大変なことになります。いい思い出の記録にはなりました。
余談ですが、私が最もすごい車での山登りを体験したのは、ジョージアです。ロシアとの国境に近いステパンツ・ミンダで教会に向かった時の山登りは、未舗装の硬く荒れた道をデリカで頭をぶつけながら上って行きました。一生モノの体験でした。だから、ここはまだ余裕です。 -
観光管理所に到着して、バスに乗り換えます。
ここから見上げるプレア・ヴィヘアは感慨深いものになりました。
あの先端に立ったんだなあ。 -
シェムリアップへの帰り道。今日一日、素晴らしくいい天気を恵んでくれた太陽が沈んで行きました。
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ツアーでは、プレ・ループとプノン・バケンで夕日鑑賞をしましたが、
毎日、どこかしらで夕陽を見ていました。どれも心を持って行かれそうに、引き込まれる光景でした。 -
進行方向によっては、道の先に夕日が落ちて来ます。
こんな光景を見ることが出来るのは、あまり障害物が建っていないカンボジアならではでしょう。
この先、経済的に発展して行くと、見にくくなるのかな?まあ、それまでにはまだ何年も掛かるでしょう。とは言え、1992年にほとんど何もなかったシェムリアップの町の30年後の姿は信じられない物でした。
アジアの国々はこの30年でものすごい発展を遂げました。その分、旅行者にとっては味気ない風景が増えてしまいました。
カンボジアに行くなら今のうちです。 -
それでは、また明日。
次回は最終回、難関のクヴァル・スピアンです。
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