2025/09/27 - 2025/09/27
436位(同エリア567件中)
ともっそさん
畝傍御陵前駅から徒歩5分。
入口が少々地味・・・もとい、控えめなせいか、うっかり通り過ぎてしまいそうな佇まい。
博物館には、第一から第三までの展示室があります。
第一:旧石器・縄文・弥生時代
第二:古墳時代
第三:飛鳥・奈良~平安~室町時代
ホームページにはデジタルミュージアムがあり、グーグルマップのストリートビューのように館内を歩いているような気になれます。
館内にはビデオライブラリーもあります。
ミュージアムショップもあるんです。
複製もありますが、殆どがオリジナルで、国宝指定もあり。
なんという贅沢な・・・。
400円でいいの、ほんとに?な充実感!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
ね。少々、控えめな入口。
ちゃっかり、せんとくんもいます。 -
東明神古墳の復元
奈良県高市郡高取町にある古墳時代終末期(7世紀末頃)の古墳で、天武天皇の皇子である草壁皇子の墓とする説が有力。
建物の外にも、復元された遺跡がたくさん。 -
八角墳
凝灰岩の切石を積み上げた特殊な構造で、内部には漆塗木棺があったと推定。 -
横穴式石室(オスゲ古墳10号墳)
自然石で石棺状の玄室を作り、その前に羨道を付けた構造。
オスゲ古墳は消滅して、今はもうありません。
大化の改新後の「薄葬令」により、古墳の築造が制限され、権力誇示のための巨大古墳は不要となりました。結果として、古墳文化は終焉し、既存の古墳も管理されず荒廃してしまったのです。 -
組み合わせ式石棺(珠城山1号墳)
板状の石を組み合わせて箱型にした簡易な構造。豪華な副葬品から、被葬者は地域の有力豪族と推定。
7世紀に入ると、仏教の影響で火葬が広まり始め、「薄葬令」もあいまって、有力豪族の石棺でもこうやって簡素化されていったのですね。 -
写真左側は、石槽。
水を溜めるための石製の容器で、古代の庭園や儀式、生活の場で使われていました。左にある石製の孔から水が石槽に流れ込む仕組みだったようです。
容量約350リットル、底面には水抜き孔もある本格的な構造です。
飛鳥京跡苑池から出土した石槽です。 -
左手前は岩偶。右は、土くれのように見えますが、これは土偶。
多くは女性像で、男性像は非常に少ないのだそうです。 -
観音寺本馬遺跡 土壙墓
縄文時代晩期の土葬のお墓。
土壙墓=大地を掘った穴に遺体を納めたお墓。
人骨は1つの土壙墓に一体納まっているのが一般的ですが、底に杭のあるものでは、1つの土壙墓に複数の人骨が見つかったものもあるそうです。
この写真の人骨の人物は男性で、20~60歳だそうで。
年齢層の幅が広い。 -
土器の一部。
手前の「絡み合う二匹のヘビ」は、今でもはっきりと見えます。
弥生時代は稲作が広まり、水の確保が重要になった時代。ヘビは水辺に現れることから、水神や水神の使いとして信仰されました。 -
鳥装の巫女
弥生時代中期 1世紀
鳥の羽のような装束を身にまとった人物で、祭祀に関わるシャーマン(巫女)と考えられています。 -
鳥(複製)
弥生時代中期 2世紀
うん、まさに鳥です。 -
大福遺跡 犬の再葬骨
弥生時代後期 2世紀
いったん埋葬した犬の骨を取り出し、壺におさめて再度埋葬した。その際、骨の多い胴体の部分や足先の小さな骨は入れられていません。
なぜ再埋葬したのか不明ですが、近くに墓地があったことから、飼い主のお墓のそばに埋葬された・・・なんて空想もできます。 -
天神山古墳出土鏡
古墳時代前期 3世紀
古代中国で作られた銅鏡の一種で、鏡の縁(帯)に、神話的な動物(神獣)や雲文、幾何学模様が刻まれています。
模様がとても細かい。 -
滑石製勾玉
滑石(タルク)という柔らかい石を素材にした勾玉で、主に古墳時代に作られた装身具の一種です。橿原市の曽我遺跡は、全国最大規模の玉作り遺跡として知られています。 -
魚型・円形土製品
古墳時代中期 5世紀
魚型土製品は、魚をかたどった形状で、食物や水に関する祭祀に使われたと考えられています。
円形土製品は、単純な円形ながらも、太陽や生命の象徴としての意味を持つ可能性があります。
これらは、古墳の副葬品や祭祀遺構から出土することが多く、特別な儀式に用いられたと推定されています。
魚や鳥を模したアイテムって、可愛い。 -
ズラリと埴輪が並びます。
埴輪って、可愛いというか、柔らかいイメージですよね。 -
鳥の土偶
頭頂にあるのは、とさかでしょうか。じゃあ、ニワトリとか? -
椅子に座る男
この埴輪を見て、どこで性別を判断したんだろう。
岩見遺跡から出土したことから、イワミンという愛称で呼ばれているそうです。そしてこの博物館のマスコットだそうで。
よーく見たら、髪が線で描かれています。センター分け。ヘアバンドのような、サッカー選手が着けているヘッドゴムのようなものも。 -
鹿埴輪
む。鹿? -
馬埴輪1
しょんぼり・・・。 -
馬埴輪2
こちらは、スン。 -
観音寺本馬遺跡 土偶
弥生時代後期
あちゃー、みたいな顔に見えます。
が、この時期の土偶は目鼻の表現を失うことが多く、見開いた目に見える2つの孔は、もともと耳飾りを表したものだと考えられています。
シミュラクラ現象なのね、これ・・・。 -
巫女埴輪
古墳時代後期 6世紀
この腕は、何をしているところをかたどったものでしょうか。
ミロのヴィーナスの腕は、もともとどんなポーズをとっていたのだろうと人々の興味をひくのも、よくわかります。 -
武具
錆びてはいますが、よくぞこんなに状態良く残っていたものです。 -
玉類
古墳時代後期 6世紀
どうやってこんなにきれいに磨いたり形を整えたんだろうなぁと思いながら。 -
藤ノ木古墳の金銅製馬具
古墳時代後期 6世紀
東アジアでも類例を見ないほど精緻で豪華な装飾が施された馬具です。たしか、国宝。 -
陶棺
陶棺は、粘土で作られ焼成された棺で、主に古墳時代後期から飛鳥時代にかけて使われました。木棺や石棺とは異なり、焼き物として作られているのが特徴です。
パイのような、あみあみ。 -
土馬
飛鳥時代 7世紀
ちょっと牛っぽいけど、馬。 -
木製くつ
弥生時代 8世紀
木製なのに、残っていたのがすごい。 -
木製人形(複製)
奈良時代 8世紀
こういう栞、実際にありそう。
でも、この表情ったら。 -
墨書人面土器
墨で人の顔が描かれていますが、ゆるキャラっぽいというか、コミカルというか。
でも、祭祀や呪術的意味があったと考えられていることから、実はこの表示にも意味があったのでしょうか。 -
鬼瓦
鬼瓦の起源は、弥生時代だとか。
魔よけの意味を込めて屋根の端に設置されるそうになります。
ヨーロッパのガーゴイルと同じ役割? -
よく見たら、外にも埴輪~!
充実の博物館でした。
この後は、今井町へ向かいます。 -
神武天皇陵
今井町に向かう途中に、神武天皇陵。 -
神武天皇の本名は、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)。
神話的には、127歳まで生きたそうです。
神話ってやつぁ・・・。 -
なんていいお天気。
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「古事記」や「日本書紀」には”畝傍山の北方”や”畝傍山東北陵”に神武天皇が葬られたと記述あり。
平安時代には神武天皇陵が存在していた記録もあるそうですが、中世には荒廃し、所在不明に。
平安時代、死は穢れ、という思考が広まったからかもしれませんね。天皇など高貴な人は亡くなったら儀式はあったけれど、墓参りという習慣はなかったのだそうです。 -
この日はとても暑くて、水の流れる音がとても耳に涼しいです。
-
と、遠いわー。
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綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵
神武天皇の皇子であり、記紀(『古事記』『日本書紀』)において第2代天皇とされています。ここが、その陵墓(らしい)。
神武天皇陵から今井町への途中に。 -
陵墓は、古代から伝承されていたものの、中世には荒廃して所在不明となり、江戸時代に再び治定されました。
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玉垣の外から眺める。
綏靖天皇陵はスイセン塚古墳だ、とされていたこと、また形状からも、古墳である可能性が高いとか。
古墳の対象は豪族、王族など。
陵墓の対象は天皇、皇族。
・・・ということは。 -
そこから徒歩15分ほどで今井町。
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。 -
「わたしの幸せな結婚」という映画のロケ地だそうです。
その頃は非常に混雑したとか。
12時~13時はお昼で閉まっている施設が多いと案内所で教えていただきました。そのせいか、確かに殆ど人の姿がありません。
この空間を独り占めという贅沢。 -
江戸時代には「大和の金は今井に七分」と言われるほどの商業都市として繁栄し、自治権を持ち、堺と並ぶほどの自治都市だったそうです。
大名相手の高利貸しを行っていた豪商も多かったそう。 -
白壁、格子戸、瓦屋根が連なる町並みは、江戸時代の商家建築の美しさ。
江戸時代、町には「親戚以外の者を泊めてはならぬ」などの防犯規定もあり、秩序を自ら守っていたそうです。 -
古い看板がズラ~リ。
中央に展示された看板の「大学目薬」は、参天製薬が製造・販売している一般用医薬品の目薬で、明治32年(1899年)から続くブランドなのだそうです。
「世の進むに従ふて目薬にもこんな立派な物が出来ました」というキャッチコピーで、かけそば一杯が1銭5厘だった時代に、なんと1本10銭でした。
効果のほどを知りたい! -
薬種問屋?だった頃の大福帳。
中を見せていただきましたが、今でも黒々とした墨で書かれた文字が残っています。
こんなにしっかり残るものなんですね。
複式簿記は明治時代に西洋から導入されて本格的に普及したそうなので、この時代は単式簿記。しかも手書き。おおぅ・・・。 -
約760軒の建物のうち、約500軒が伝統的建造物で、これは日本一の保存数。
多くはきれいになおしてこの地区を保存しているので、江戸時代に入り込んだという感じにはなりませんが、ふとしたポイントで、どこかから江戸時代の人たちが現れそうな気がしてきます。 -
商家の内部には「土間・座敷・台所・いぶし牢(罪人を収容)」などがあり、今西家、河合家など、数軒の住宅は今でも見学が可能(有料)ですが、事前申し込みが必要なため、私は外から。
帰りに寄ろうと思っていた中華屋さんが貸し切りで、狙っていたラーメンが食べられませんでした。残念。
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