2022/09/14 - 2025/08/18
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たのちゃんさん
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最近ではIC乗車券の普及で、切符を買って電車に乗ることはあまりなくなってきました。
新幹線や特急でさえ、ネットで予約しスマホをかざせば乗れる時代です。
ちょっと前までは、駅に行って券売機か窓口で切符を買ってから電車に乗るのが当たり前のことでした。
その切符も、駅によって、乗る距離によって、時期によっていろんな図柄、様式のものが飛び出して来て、手に取った瞬間わくわくされた方も多いんじゃないかと思います。
ここではその時代にタイムスリップし、いろんな楽しい切符をご紹介しようと思います。
なお、券面の細かい文字が読めることを前提にして写真は大き目にしました。
ネット環境によっては重く感じることもありますが、ご了解ください。
また”切符図鑑”ではないので、全線全種類を紹介していないことをご承知おき下さい。
一般トラベラーの方が対象でヘビーな切符マニアの方には物足りない内容かと思います。
では空想の旅に出発進行!!
(ここでは印刷発行機、発券端末の券は一部を除き割愛して、常備券に特化しています。券売機、印刷発行機の券はコチラ https://4travel.jp/travelogue/12012853)
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更新履歴
2020-9 暫定公開
2024-3 国内最後の地図式券を紹介をしました
2024-6 戦中戦後の券を追加しました
2024-11 (ム)マルムの説明を追加しました
2025-4 国鉄自動券売機の項を追加しました
2025-8 乗車券見本帳のコラムを追加しました
カバー写真の路線図はJR東日本の公式HPからお借りしました。
(商用利用以外の転載は認められています。)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
『地図式乗車券』ってなんだろう??
有効な行き先(着駅)を路線地図で表示した乗車券です。
複雑な路線網のとき利用者への案内性の向上にもなります。
また同じ金額で行ける場所が地図で描かれているので、まだ見知らぬ場所に想像をはせて夢がふくらみます。見ているだけで旅が楽しくなりますね。
あ、こんどこっちにも行ってみようかな!・・とか。
基本的に片道の普通乗車券ですが、フリーきっぷなどにも広く応用されています。
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この旅行記は、「地図式乗車券の楽しみ(1)首都圏車内補充券めぐり」
の続編で、駅で売っている券、全国国鉄/JR、私鉄のうち主なものをご紹介しております。全社全種類を網羅してはおりません。(免責文言)
135枚目の説明欄に、国鉄JRの年代別対キロ運賃推移を載せておきました。
『昭和55年8月の91キロから100キロの運賃は1080円だった』というふうに使います。
S44-5以降の初乗り運賃と51キロから160キロの大人片道普通運賃を網羅しています。(国鉄の地図式切符を発売した範囲です)
50キロ以下は参照ページへのリンクがあります。 -
↑↑ これが地図式です。(現在『日本で手に入る唯一の』地図式切符)
-
イチオシ
では、地図式以外の切符には、どんなのがあるの?
国鉄、JRの場合基本的にこの写真の4形式しかありません。**
●【左上】:一般式 昔からある最もオーソドックスな様式です。
「から・ゆき式」とも呼ばれます。長距離の切符はみなこれです。
●【右上】:相互式 回数券でおなじみの様式で矢印が両方を向いています。使用する向きが決まっていないので、2枚売って往復にも使えます。
機能的には一般式と同じですが、発売当日限り有効の近距離券に棲み分けられています。
*私鉄では矢印が右向き片矢印の矢印式を売っているところもあります。
●【右下】:矢印式 自駅を中央に縦書きし、下り方面を左に、上り方面を右に書くのが原則です。(時々逆になっているのもあります)
矢印式を両矢式、相互式を相互矢印式と書籍に書いている方(古切符業者の方?)もおられますがマチガイ!規定上は矢印式、相互式です。
矢印式では着駅を複数指定できます。B型で6駅までA型で8駅まで表示できるので口座削減に役立ちます。一般的に同じ運賃の着駅が1つだけのときは相互式、2つから6つまでは矢印式、それ以上の場合には地図式にします。地図式は最大24というのもあります。
以上の3種類は、乗車区間が明らかなため途中駅乗車も可能です。
●【左下】:金額式 平成5年以降、ほとんどの下車前途無効のきっぷは金額式になりました。ただ、この様式は方向が確定していないので途中駅からの乗車はできません。
着駅が書いてないので、運賃同額の駅ならどこでも降りられます。
下車駅が列車区間であっても、乗り越し精算は差額となります(着駅が書いてないので打切り計算が出来ない)
*4枚の写真はJR東日本の東京印刷の近距離様式で揃えてみました。
左上の□に東が「発区分記号」といい、JR東日本が発行会社であることを示します、
JR各社によって書体やレイアウトが多少異なります。 -
地図式のメリットを検証してみましょう。
矢印式の乗車券だと、券面にはB型で最大6駅(6方面)まで、A型で8駅(8方面)までの着駅を収容できます。
しかし地図式にすると、B型でも【写真下】のように最大20駅以上の着駅が収容でき、駅で乗車券口座数の削減に多大な効果がもたらされます。
この例だと22種類用意していた相互式の乗車券が、これ1種類で済むわけです。
これは日本が漢字圏だということにも起因していて、駅名の8割が3文字以内に収まっているからこそ出来る技です。しかもスペース的に文字が収まらなかったら縦書きにするという離れ業も使えます。
もし、ローマ字やハングルなどの表音文字で駅名を書いたら、券面に収まり切れないだけでなく、非常に見にくいものとなるでしょう。
だから世界でも唯一、日本で地図式乗車券が採用されているわけです。
韓国でも一時、地図式の採用が検討されました が結局断念されました。
むしろ漢字圏の中国のほうが本来地図式には適しているはずですが、複雑な線路網がないので採用されていません。。
Onry Japanese Format Style -
ではまず初めに、地図式切符のルーツを簡単にご紹介しましょう。
昭和のはじめのころ、山手線の環状運転がはじまり電車の利用者が飛躍的に増えてきました。
省線*は市民の足として気軽に利用されるようになったわけです。ゲタ電の誕生です。
近距離利用の旅客にも乗車券を多種用意して売るのは大変な手間と人手を要し、何とか合理化できないかを真剣に考えるようになったのです。
乗車券の発売枚数は距離の2乗に反比例しているので近距離ほどたくさんの枚数が売れるのです。よほど隣の駅が過疎地でもない限り、通常は最低区間が一番売れます。
日本で一番最初に地図式の乗車券が登場したのは新宿駅の自動券売機で、昭和10年のことでした。乗車券研究家の中山沖右衛門氏の発案です。
それまで新宿からの初乗り区間は、東中野、高田馬場、信濃町、原宿の4つの行き先の切符を用意しなくてはならなかったところ、【写真上】の1種類で済むようになったのです。
地図式乗車券は、路線を地図であらわし、その切符で有効な着駅を太線で図示したものです。
*省線:鉄道省による鉄道路線 ⇒鉄道省:大正9年~昭和18年新宿駅 駅
-
次に地方の例です。これは車内券なので駅売りとはまた別の範疇なのですが、地図式のルーツということで。
明治43年に福岡市内で路面電車を走らせた福博電気軌道の車内券です。
後の西日本鉄道(西鉄)となる前身の会社で、距離が長いので均一料金ではなく3区制でした。路線の案内も兼ねて地図式にしたと思われます。
「停車場」は元九州鉄道(現JR九州)の博多停車場前電停です。
路面電車の券は均一区間以外は駅名式が殆どで、乗換券以外に地図式は見たことがありません。博多駅 駅
-
話を鉄道省に戻し、こちらは翌年新宿駅での試用をふまえて山手線内の主要駅の窓口に広まったものです。
この当時の地図式はまだ各駅ともに、5銭区間と10銭区間の2種類のみでした。
先のものはB型と言って縦2.5センチの小型でしたが、こんどは縦3センチの大型にして対象着駅を全部書いてあります。写真下は新宿から10銭で行ける30駅全部が書かれていますね。着駅よりも手前の駅もマルだけ書かれていました。
”裏面注意” 裏面には【重要】なことが書かれています。
「表面区間の1駅ゆき」 1駅ですよ、1駅だけっ!!
「下車前途無効」 降りたらそれで終わり~。
そう、1回乗ったらこの切符の効力は終わりで回収ということを明記しています。周遊券やフリーきっぷじゃないんですから。5銭で1日中乗り回られたら困りますよね。新宿駅 駅
-
さて、50キロを超える、いわゆる「中距離区間」に地図式が登場したのは、電車特定区間が拡大された昭和48年4月以降です。
それまで50キロ以上の国電区間内着駅は【写真上】の相互式の天下で、行き先ごとの口座がそれぞれ設けられていたものです。
御嶽⇔大宮、御嶽⇔東川口・・・というように。種類が多く駅での切符の管理は大変手間がかかりました。
ターミナル駅の出札窓口には巨大な券箱が設置され、200種くらいのきっぷの中から係員は瞬時に選び出して売っていました。
しかし地図式を採用することにより、12種類が1枚で済むようになりました。
ただし西寒川、海芝浦、大川などという所はそんなに売れるとは思えないので常備ではなく補充券で対応していたのかもしれませんね。
【写真上】と【写真中】は同一日、同一金額です。
当時、「東京山手線内着と、それ以外の駅着の乗車券は別口座とする」という内規があったので、340円区間は東京山手線内の相互式とそれ以外の駅ゆきの地図式の2種類を売っていたわけです。
【写真下】は写真中と着駅はほとんど同じですが、列車区間の100キロ以内の駅も地図式に含めても良いという描画ルールに変わったので、八高線の竹沢、川越線の日進を加えて改版されたものです。
版下を作った人が違うので、こんなに違ったイメージになるわけです。
一般に直線だけで描く人、曲線を多用する人、山手線を真円で描く人楕円の人、円を閉じない人などさまざまです。
100キロ圏が地図で表されているので、まだ行ったことのない場所はどんなところだろう?と券面を眺めていて空想が広がりますね。御嶽駅 駅
-
ここで私の悪い癖が出てウンチクが。。。
上の写真では昭和50年当時は、東京山手線内の扱いが東京から51キロ以上だったので、東京から64キロの御嶽は東京山手線内行きの乗車券だったわけですね。
つまり御嶽から新宿まで乗っても東京までの運賃を払わされたわけで・・・
ところが昭和55年4月の運賃改訂時に制度改正もあり、東京山手線内の取扱いが東京から101キロ以上に変わったので、大きな変化が生じました。
この切符、印刷が薄くて見にくいですが新宿から恵比寿・市ヶ谷・池袋までの各駅は運賃が1ランク安くなっているのです。つまり、以前の制度だったら上の写真3枚目の870円だったのが、730円で済むようになりました。制度変更による実質140円の値下げです。
例えば東京から高尾~大月間、小作~奥多摩間など多くの駅でこの時恩恵を受けていたわけです。
逆に藤沢~湯河原間、五井~上総湊間などから新宿や池袋に行く場合、運賃が安くなっていたのがこの恩恵がなくなり、高くなりました。 -
昭和48-4-1の電車特定区間拡大により、高崎線の熊谷~宮原間も東京近郊区間に含まれるようになり、ここで発売する51キロ以上の区間が地図式となりました。
当時高崎鉄道管理局管内の乗車券は、新潟印刷場が担当していたのでこれらの駅の地図式も新潟印刷となりました。
【写真上】が最初に登場した地図式です。しかし原図からの縮小率が大きすぎて文字が小さく見えないという苦情もあったので、次の49-10-1の運賃改正から改版をして文字を大きく、金額も東京印刷を見習って大きくしました。それが【写真2枚目】です。
ところが昭和54年6月、高崎局の印刷が東京印刷場に移管されたため
他の東京近郊各駅と同じ様式になってしまいました。それが【写真3枚目】です。
上の2枚には吹上から北方の駅は書かれておりませんが、昭和55年4月より列車区間も100キロまで下車前途無効に変わったため、【写真下2枚】では北方の上越線、信越線などの元列車区間だった駅も書かれています。
ところがここで時代考証的に合わない事実がありました。
【写真3枚目】【写真4枚目】の違いはなにか。
着駅に「新川崎駅」の有無だけで、あとは描画が違うだけです。
裏面の発行箇所記号が、3枚目は南口、4枚目は北口なので別管理ということがわかります。
ところが新川崎駅の開業は昭和55-10-1なので、新駅開業により4枚目に改版したという説明は日付的に成り立ちません。地図式券はミステリー。
皆さんならどう推理されますか?吹上駅 駅
-
丁度同一距離の良いサンプルが無かったのですが、新潟印刷場で首都圏向けの地図式券を印刷しはじめた頃、着駅数が20を超える金額区間があり、券面が見にくくなるのを避けるために山手線の東側と西側の着駅2枚に分けた例がありました。
【写真上】は上尾駅から80キロ区間で西側の着駅、【写真下】は100キロ区間で東側の着駅です。 -
更に熊谷駅の例です。
こちらは左右ではなく、上下で2分割されています。
今だったら1枚に押し込むのがあたりまえですが、この当時地図式など請求したことのなかった高崎局の出札助役にとって、さぞ頭痛の種だったことだろうとお察し申し上げます。S48の初版では地図が細かすぎて苦情が出て、S49には見やすくするよう局から指示が出たのでしょう。桶川、吹上、行田などは1枚に入れていますが上尾や熊谷は大事を取って2枚に分けたのだと推察します。
鴻巣は地図式にせず、東京印刷場になるまで矢印式を複数備えていました。
出札助役の横の連絡は無かったのでしょうか。 -
昭和46年から東京印刷場の地図式硬券は最遠端表示化が進みましたが、何事にも例外はあるもので、この券は昭和55年発行にもかかわらず相変わらず区間表示のままです。
1500円区間といえば121キロから140キロなので、51キロ以上の電車特定区間が拡大された昭和48年4月以降に作図されたはずで、それ以前の図柄が改版されずに踏襲されてきたというわけではなさそうです。
しかも裏面の注記は新しい「表面区間の1駅ゆき」なので、表は旧様式のまま、裏面は新様式という不思議な券です。 -
-
山手線の描画ルールの違い
昭和48年以降は、51キロを超えて160キロまでの大都市近郊区間相互間は地図式硬券に含めることが出来ました。
長距離になると地図が複雑化してどこを表しているのかわからなくなる為、山手線を通り越した先に着駅がある場合でも目印となる山手線の〇と中央線の\は描画するようになっていました。
東京北、南、西の3局(昔でいう東鉄管内)で発行した地図式券は、このルールが厳格に守られていましたが、水戸、高崎、千葉の3局では徹底されておらず、山手線のマルが閉じていないものが散見されました。
【写真上】水戸局 【写真中】高崎局 【写真下】千葉局 埼京線が開業しています。 -
制度変更による改版の例です。
【写真上】
東京近郊区間内のみの描画です。
ただ立川の位置が国立寄りに書かれていて一種のミス券ですね。
【写真下】
54-5-20改訂の「下車前途無効」の区間が50キロから100キロに変更されたことを反映され 列車区間の初狩、折原が「発売当日限り有効」に変更されたため追記されています。
更に細線表示が「有効経路」から「運賃算出経路」に変わったため川崎ー品川間、赤羽-南浦和間、橋本-東神奈川間、西国分寺-府中本町間が消されていて、ループが解消されています。
ただ旅客案内上、山手線は書いておけという東京3局のルールでした。
千葉局、高崎局では山手線を丸く書いてないものが多いです。 -
これは、なぜ図が変わったのか首をかしげるような事例です。
着駅も描画ルールも変わっておらず、運賃改訂の際に新しく版をおこしていて、全く別の人が1から書いたような図です。
通常は金額部分のみ差替えるのですが、意外に印刷所で元の版下を紛失したとか想定外の理由なのかもしれませんね。 -
【トリビア】⇒大阪万博がらみで・・
「万博中央ゆき」の地図式切符
昭和60年の3月14日から9月16日までつくば市で科学万博が開催され、常磐線の牛久-荒川沖間に臨時駅として万博中央駅が設置されました。
通常国鉄の臨時駅では、キロ程が設定されずその先の駅までのキロ程が適用されるのですが、万博中央駅では珍しくキロ程が設定されました。牛久~荒川沖間は6.6キロもあり外方のキロ程を適用すると運賃が一段階はね上がり乗客に著しく不利となるためです。
ということは、「万博中央ゆき」の切符が誕生するということです。
牛久~万博中央は4.0キロ!!
その日から電卓と時刻表を持った戦いです。
・・・『万博中央駅が同一運賃最遠端となる』駅を探すこと。
具体的には万博中央から営業キロ程が、56.0~60.0、66.0~70.0、76.00~80.0、86.0~90.0、96.0~100.0、116.0~120.0、136.0~140.0のいずれかに当てはまる駅を探しだすことです。
結果7駅が該当しましたが、2駅は地図式を売らない駅、大口、拝島、磯子、大井町、東中野は地図式があるので行ってみましたが、拝島などは着駅が牛久のまま、結果東中野のみ初日から万博中央に改版された切符でした。
更にややこしいことには万博会期中のS60-4に運賃改訂があり「運賃改訂印」の押された切符が夏頃まで売られていたことです。
写真の券は最終日で、翌日にはこの券は廃札にされ、元の牛久と表示された券が売られていました。わすか6か月のイベントの為にわざわざ常備の切符を印刷するというのは、切符は輸送契約書に該当するためです。
もっとも全国各地から万博中央駅まで往復の企画乗車券が多数発売されていたため、常備の切符に注目したのは一部のマニアだけでしたね。
切符マニアは忙しい・・・
*現在はこの0.1キロ牛久寄りに「ひたちのうしく」駅が設置されています。
もし今でも常備券を売っていたとしたら、写真の券は「万博中央」ではなく「ひたちのうしく」と印刷されていたことでしょう。
地図式切符のトリビアでした。ちゃんちゃん♪ -
さてここで、自動券売機の地図式きっぷを紹介します。まず機械の紹介から。
【写真上】昭和43年 有楽町 左の2台が単発式、右の3台が多能式
まだこの頃はスミインク式で硬貨専用 中山工業製
【写真左下】単発式券売機 自立式 改札近くに1台だけポツンと置かれることが多かった。
入場券専用とか、この例だと160円区間だけしか発売できない。
昭和46年 博多駅 高見澤電機製
【写真右下】多能式券売機 国鉄標準型の53V 壁にはめ込みになっている。
写真は昭和55年、東京駅八重洲南口に設置された100キロ券売機で、オレンジカード対応機ですが紙幣には対応していないタイプです。内部はサーマル式
当時50キロまで(100円~540円)は金額式、51キロ(630円)から100キロ(1080円)までは地図式を発売しておりました。ボタンは20x2組あり右下が入場券。下の赤いカバーの下が小児用。
立石電機製
*製造会社名は当時の名称です。 -
自動販売機自体は、前出のとおり昭和10年より存在しました。
それまでの自動券売機は、予め印刷し装填されていた硬券を1枚づつ排出する機械式だったが、昭和42年4月1日全国で初めて機械内部でロール紙に都度印刷して発券する券売機を御茶ノ水、神田、池袋の3駅に20円区間と30円区間のみ設置した。
1台の機械で1種類しか発売できない「単発式」で、写真の左列3枚がその券です。
図柄は硬券に準じ、山手線の円形の上に着駅が書かれていました。
故障も少なく、順調に稼働したので、昭和43年10月、山手線内各駅に増設しました。写真右列の3枚がその時に登場した券で、金額を大きく表示し、地図も部分的に拡大されています。
インクは黒色のスミインキを使っていたので、乾きが遅く手指が汚れるなどの苦情もあったそうです。 -
昭和44年5月のモノクラス改正以降は全国に券売機の設置が開始されました。
【写真上】は『単発式』で発券したものです。小児運賃が書かれていません。
その後、多種の切符を販売できる『多能式』も開発され主要駅に設置されてゆきました。大人の金額の下に「小児何円」の表示のあるのが多能式で、ボタンを押して発売された券です【写真中】
昭和45年、パイロット萬年筆により無色透明のインクを使い、化学反応により発色させる「キレート式」が開発され、スミインク式に置き換わってゆきました。【写真下】
この方式は手指は汚れないけれど、数週間で退色がはじまり、数か月で赤茶色に変色しやがて数年後には消えてしまいます。有効期間の長い定期券には使えませんでした。
写真中と下の印字をよく見比べて下さい。
中はインクが真黒ですが、下のキレート式は濃灰色の発色です。わかるかなあ・・ -
これは京都から41キロ~45キロ、190円区間の乗車券です。
【写真上】は券売機ですが、小児運賃の表示がないので単発式での発券です。
でも窓口では【写真下】の硬券も同時に売っていたわけで、190円区間の着駅がこれだけあったのに、券売機券には大阪、福島、天満以外の着駅は省略されています。
これは一体どういうことでしょうか?
恐らく京都から大阪に行く客が奈良など他駅よりも極端に多く、大阪方面専用の券売機を設置したのでしょう。当時、単発式の機械が残っていて主要駅行き専用にした例が多く見られます。
印面も相当に摩耗していて、酷使された(たくさん売れた)様子が伺えます。スミインク式の機械です。
地図式にせず矢印式にしたというのもそれを物語っているようですね。 -
ここで自動券売機の地図式券を紹介します。
まずはキレート式。(化学反応による発色)
多能式なので小児運賃も併記されています。
武蔵野線では国鉄の自動改札先駆けとして昭和48年の開業時から100キロ券売機を中間駅に設置していました。
下記の感熱式(サーマル式)印字と違い、ゴム印版のスタンプによるキレート式でした。
これも経年変化による退色が激しく、10年くらいすると殆ど読めないほど印字が薄くなります。
これはイカンと発券後すぐにPPCコピーを取っておいたので、モノクロながらも今なお鮮明な画像をお見せすることが出来ます。
よく見ると地紋の印刷方向が縦方向なのがわかります。
この「Mキレート1種」という原紙(ロールに巻いた乗車券用紙)のみ国鉄では異色の幅30mm縦切りだったのです。当時の券売機は、磁気エンコードの書き込み精度が悪かったのでブレの少ない縦切りにせざるを得なかったためです。
裏面は茶色いNRZの磁気印刷があります。
私鉄では縦切りが多いですが、国鉄ではこれ1種のみで、あとは全て幅52.5mmの横切りでした。横切りの券は地紋が左右に流れているのがわかります。 -
切符の印字が消えるということは、蒐集家にとって由々しき事態です。
渋沢栄一をタンスにしまっておいたら数年後、木の葉に変わっていた以上に深刻です。渋沢栄一は努力すれば再度手にすることはできますが、お宝は消えたら終わりです。
日本交通趣味協会では、パイロット萬年筆(株)の協力のもと、キレート式切符の印字再現実験を行いました。全国から集まったコレクターの方がお宝を持ち寄りスプレーで「顕色剤」を吹きかけるとあ~ら不思議、発券直後の状態に戻ります。
ただこれは一時的なもので、いずれ時間が経つとまた退色するので、PPCコピー保存を推奨していました。
写真はその時再現に成功した切符のPPCコピーです。
当時スキャナーがあればカラーで保存出来たんですが・・。
なお、サーマル式は化学反応ではなく、色素粒子が破壊するので一度退色すると復元する手段がありません。 -
次はサーマル式。(感熱紙の発色)
ドットによるデジタル描画なので、上の印版式にくらべ解像度が悪いです。
国鉄ではそれまで単発式か、多能式でも50キロまでだった券売機での発売を100キロまでに拡大させる作業を開始しました。
昭和48年から10年余かけて、全国すべての券売機を100キロ対応のものに入れ換えを行いました。これにより臨時窓口や裏口などを除き100キロまでの硬券は廃止されたのです。
これらの券売機では50キロまでは金額式、100キロまでは地図式か矢印式でした。
機械的に着駅が6駅までは矢印式、7駅以上は地図式としているので硬券のような変則的は地図式はありません。写真は各地の地図式券です。
硬券と違い、管理局の旅客課で管内全駅の分の作図を券売機メーカに一括発注したので、全国どこも同じような図柄となりました。
この用紙は「感熱1種」という当時国鉄券売機の標準の乗車券原紙で、感熱印刷(サーマル式)で裏面には磁気面がなく白です。(自動改札非対応)
横切りなので地紋が左右に伸びています。
【写真下】の赤線は駅に券売機を設置したときに試刷り(動作テスト)を行う用紙です。
「この券は見本なので使えませんよ」という意味です。
北海道のローカル線(現在は廃止)にまで地図式が導入されていたのには驚きですね。
*単発式:1種類の切符しか売れない機械
多能式:ボタンを押すことにより複数の切符を売れる機械 -
参考写真です。
印字が退色した切符 しまいには完全に見えなくなります!!
【写真上】キレート式 昭和62年 大津
【写真下】サーマル式 平成元年 新宿
保存状態(温度、湿度、大気中の有機ガスなど)により数日で退色してしまうこともありました。手指の皮脂、アルコール、ゴム・ビニールに含まれる可塑剤、ハンドクリーム、除光液などは禁物です。
昭和45年くらいから平成5年くらいはコレクターにとって冬の時代でした。
その後は改良によって券売機の券も消えにくくなっています。 -
写真は昭和55年の新宿駅東口でのきっぷうりばです。
ちょうど券売機が過渡期の様子がよくわかります。
一番左が、入場券専用の単発式
中ほどの5台が印版式の多能券売機で、時期的に恐らく印字はキレート式でしょう。
印版式では口座数の関係で入場券ボタンが無いので、入場券専用機が必要でした。
右の2台が当時新型のデジタル多能式でサーマル(感熱式)印字です。
様子見ということもあって全機一斉に入れ替えるのではなく、主要駅に新型を数台づつ投入しています。
新型では口座数に余裕があるので入場券のボタンもありました。
全機、100円~550円の表示なので50キロ対応で、上部の運賃表も新宿から50キロの駅までしか書かれていません。
切符の様式は昭和51年11月の改正以降、50キロまでは金額式になったので券売機の切符は全て金額式の時代でした。
この後、全機がサーマルの機械に置き換えられ、やがて100キロ対応に改造されてゆき昭和59年までには全国の券売機が100キロ対応になります。
このとき、51キロ以上の切符に地図式が復活し、首都圏だけではなく全国に登場したのであっと驚いたものです。(前述)
新宿駅は神鋼電機製の券売機でした。
メインテナンスの関係から、地域ごとにメーカーのテリトリーが決められていました。国鉄の券売機は接客側にメーカー名は表示されていませんが、切符上のある文字を見れば、どこのメーカかわかります。
いろいろ書いていると、券売機の話題も避けては通れなくなりました。 -
ではここで私鉄の地図式券ご紹介をしましょう。
私鉄(民鉄)では、自社線内の路線が棒線で単純なところが多く、分岐(枝線)の全く無い社線では自社線内の切符は一般式か矢印式になっています。
(たとえば伊豆急、富士急、小湊達道など)
しかし、国鉄/JRなど他社への連絡切符(通しで売る切符)では相手側を地図式にした例が多く見られます。
小田急、京王、京急、京成、東武、西武などは山手線に接続しているので地図式にするには絶好の条件です。
また山手線から遠く離れていても、東京都区内までの切符を売る契約になっている会社が多いので、比較的高額の連絡券を売っていました。(写真2~4枚目)
ここで聡明な方は疑問に思われるかもしれませんが【写真下】の券は常磐線に綾瀬までしか書いてありません。下り方面の我孫子なども運賃同額なのになぜ書いてないのか?それは国鉄/JRとの契約上で「東京都区内を連絡運輸の範囲とする」という取り決めがあるから同額でも我孫子までの切符は売れないのです。(契約外)
では、この切符で我孫子に行ったら降りられないのでしょうか?
まさか「この切符は無効なので新たに払って下さい。この切符には不使用の証明をするので買ったところで払い戻して・・・」とは言いませんよね。
その場合運賃同額で「無収受で乗車変更」の扱いとなり、精算額\0円で下車できます。(なあんだC= (-。- ) フゥー )
ただし、帰りに「我孫子から養老渓谷までの切符をくれ」と言っても規則上売れないので、接続駅の五井まで買って、養老渓谷で乗り越し精算することになります。
あ~あ、めんどい話。┐( -"-)┌ -
東武から国鉄への連絡券ですが、山手線の図が四角く描かれています。
発売当日限り有効にもかかわらず、青地紋と変則的。
発駅佐野の前にある(高)の文字は、国鉄管理の佐野駅南口の窓口で発売されたという意味です。佐野駅は当時、東武と国鉄の共同使用駅で北口が東武、南口が国鉄管理でした。
〇高は高崎鉄道管理局の略称です。 -
通常、連絡乗車券では接続駅を地図に表示するのが常ですが、この都営から京成の連絡券では都営の発駅、東銀座が表示されており、接続駅の押上が欄外に書かれているという異例の様式です。
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関東以外でも一部の私鉄から国鉄への連絡切符に地図式が採用されました。
【写真上】は京阪電鉄から国鉄、
【写真中】は南海電鉄から国鉄。
【写真下】は福岡市営地下鉄から国鉄です。
上の関東の写真と比べてみてください。
通常接続駅の京橋、新今宮、博多から国鉄何円の表示がありますが、これらの券では合算額のみで国鉄分がいくらなのかわかりません。
関東の私鉄では、接続駅を大きな四角で囲んで目立たせるのですが、関西系の京阪、南海、福岡市とも発駅が大きな四角囲みで接続駅は小さいですよね。 -
通常の連絡運輸は「国鉄→私鉄」か「私鉄→国鉄」など、接続駅は1ヶ所のみが多いですが、
「国鉄→私鉄→国鉄」とかその逆など、別の事業者を中間に挟んだ経路の切符を作る場合があります。
これを「通過連絡」または「3線連絡」と呼びます。
運賃の計算上、前後の同じ会社のキロ程は通算して計算するので、接続駅2か所で打ち切るよりも安くて済みます。
ただこれはIC乗車券では処理できない(乗車経路のエビデンスが取れない)ので、必ず切符を使わないと対応できません。
以前は山手線内⇔小田急線⇔南武線 同東急線、という経路を通過連絡の適用でしたが、横須賀線の武蔵小杉駅開業のとき廃止されてしまいました。
面倒な切符は売りたくないというのが本音でしょう。小田急小田原線 乗り物
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通過連絡の券では国鉄と私鉄分の内訳を書く必要は無いので、合計額のみ大きく書かれています。
常磐線から東武野田線を通過して総武線に行く連絡券も少数ですが地図式硬券で売られていました。 -
硬券では前述のように都内側は秋葉原しか発売実績がありませんでしたが、昭和54年以降都区内の駅で100キロ券売機が充実化しはじめ、口座に余裕が出てきたので山手線内の主要駅でも南武線との通過連絡の口座も用意されはじめました。
ここでは、あまりお馴染みのない駅の券を3枚紹介します。
複数の業者で手分けして作図されたのか、地図の書き方に統一性がありません。
東急線だったり、東京急行だったり。小田急だったり小田急線だったり。
社線部が太線だったり細線だったりもします。 -
こちらは逆方向の南武線駅発の山手線内駅ゆきです。
通常、地図では上が北なので、南武線が左、山手線が右なんですが、武蔵中原の東急線経由に限り、左右が逆になっています。上の写真で同じ硬券とも逆です。
同じ機械から出てきた小田急線経由は右が山手線と正しい向きなので、全く統一が取れていません。 -
このほか常磐線⇔東武野田線⇔総武線(硬券は前出)や、小海線⇔しなの鉄道線⇔信越線の通過連絡もありましたがすでに廃止され、今では東京メトロ東西線の通過連絡と西日暮里接続の千代田線通過くらいしか残っておりません。この区間の券は中央線発が矢印式、総武線発が一般式となっています。西日暮里接続はすべて矢印式です。
これはつまらないので、写真は載せません。
この頃から感熱式の券紙は改良され、10年前よりも消えにくくなっています。 -
これまでは、国鉄から私鉄への連絡切符を紹介しましたが、
こちらは私鉄から私鉄への連絡切符で、わたらせ渓谷鉄道から東武鉄道への連絡硬券です。
関東流(?)の書き方なので、発駅の足尾よりも接続駅の相老が大きく目立つよう書かれています。
写植製版なので古い活版印刷の切符と比べると、のっぺりとしたフラットな印象ですね。最近の切符では非常に秀逸な出来だと思います。
足尾駅のほか通洞駅でも売っていましたが、惜しくも2023年3月で廃止されてしまいました。
また同社は各窓口に発券機を配置したため、自社線内の硬券乗車券もすべて廃止されてしまいました。
今後、イベント等で廃札券が販売されるかもしれませんね。
【写真下】は「7並びの日」記念の硬券で、「七」のつく駅名が誇張されています。発駅の中野は切りの良い金額にするためで、特に意味はありません。
ただ、実使用されることの少ない記念きっぷとはいえ、額面で販売するということは連絡先の東武にも相当分の運賃を支払わなくてなりません。
その意味、連絡券の記念切符は非常に珍しいです。
通販で買うと、受け取ったときはすでに期限切れで使えません。わたらせ渓谷鐵道 乗り物
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次は私鉄の自社線内の地図式券です。
まず、地図式に熱心だったのは東京の地下鉄でした。
営団地下鉄では昭和31年から35年まで、均一料金を採用していました。
乗車券には「地下鉄線全線」とだけ書いておいても済むのですが、ご丁寧にも地図式を採用していました。【写真上】
これは路線案内と主要駅紹介を兼ねるためだったのでしょう。それこそ切符を地図式にする主旨に沿ったものだったわけです。
昭和35年12月に都営地下鉄の浅草橋-押上が開業しました。
この時はまだ均一料金だったので、営団に習って地図式の均一券でした【写真下】 -
昭和36年営団の荻窪線が開業すると、距離制に改められ各駅とも地図式になりました。
昭和38年都営浅草線が東銀座まで延伸したのを機に距離制になり、その後も地図式が踏襲されました。【写真上】
その後昭和49年より金額式にしています。
都営は浅草線と三田線が接続していなかった時代、全駅棒線駅だったので地図式にするメリットは少なかったはずなんですが、ノリでやっちまったのでしょう。
営団地下鉄は銀座線と丸の内線だけの時代は全線均一料金でしたが、昭和36年荻窪線が開業したとき距離制に改め、全駅地図式になりました。【写真下】 -
次は関東の大手私鉄です。京成を除く5社が自社線内の切符に地図式を採用していました。
京王は本線と井の頭線、相模原線があります。
小田急は小田原線と江ノ島線があります。
西武は新宿線、池袋線の長大な棒線のほか、国分寺付近で複雑に入り組んでいます。
いずれも地図式のメリットが生かされる路線体系ですね。
【写真上】は京王、【写真中】は小田急、【写真下】は西武です。 -
西武鉄道は小平の先から、国分寺線、多摩湖線、拝島線、西武園線などの分岐が現れ複雑な路線網になっています。昭和38年頃からこの地域限定で地図式が導入されました。
曲線を多用した図柄で、20円から50円の4種類だけでした。
これより長距離は相互式になっていましたが、初乗りが30円に改訂された昭和45年10月から金額式になってしまったので地図式は比較的短命に終わりました。
しかし国鉄への連絡券は地図式を推奨されていたので、自社線内は金額式でも国鉄連絡のみは地図式が残りました。【写真下】
これより38枚下に国鉄国分寺駅発行の券もあるので比べて見て下さい。
高田馬場接続の券はよく目にしますが、国分寺のほか拝島接続もありました。 -
【写真上】は京急ですが、三浦半島の先端に枝線が少しありますが、大半は本線だけです。
東急は世田谷区を中心に複雑な路線網があり、地図式には最も適した会社だと思います。東急の券は特徴があり、全路線網を細線で描き、該当する下車駅部分が太線で示されています。【写真中、写真下】
昭和40年代末期からどの会社も金額式に改められてゆきました。
大手私鉄から自社線内の地図式が消えたのは国鉄/JRよりもかなり早かったです。国鉄はJRになってからも平成3年まであちこちに地図式はありましたから。 -
こちらは旧・玉電(玉川電気鉄道)が東急に吸収された直後の券です。
左に東急電鉄の社章が入っており、まだA型を使用していました。
現在の世田谷線で、初乗り区間にもかかわらず玉電全線の図が描かれています。 -
昭和40年頃の玉電(東急玉川線)の車内券です。
均一運賃だったので、地図にする必要もなかったでしょうが、案内のために路線図が描かれています。
前出の営団地下鉄の均一券と同じ発想でしょう。 -
東武鉄道は関東に広大な路線網を持ち各所に枝線があります。
着駅が3駅(方面)以上になる区間では地図式ですが、それ以外は一般式でした。
券売機にもそういう区間だけ地図式になっています。
ただ駅員も券売機の様式までは認識してないのでどの口座が地図式なのか探すのが大変。
【写真下】の発行年を見てください。平成4年ではなく令和4年、つまり今年です。
これはSL大樹の3号機(C11 123号)お披露目記念乗車券として発行されましたが、定常的に地図式が発行されていた頃、この様式だったかどうか定かではありません。
記念乗車券用に新規に作画されたような気がします。
でも記念乗車券に硬券地図式を採用する東武鉄道の姿勢には好感を感じますね。 -
ここに2枚の初乗り切符があります。
上は昭和40年、下は通常発売されたものではなく、業平橋を東京スカイツリー駅に改称したとき(平成24年3月)の記念乗車券です。
なんだか似て非なるものと感じるのは私だけでしょうか。
東武では昭和44年の等級廃止時に硬券は地図式をやめ、金額式と一般式だけになっています。券売機では51キロ以上に地図式が残りました。業平橋 名所・史跡
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私鉄の中でも東武は昭和末期には51キロを超す券売機の切符に地図式を多用していました。
ただし全部の口座ではなく、着駅に分岐が含まれ3駅(方面)以上になる区間に限られていたようです。
国鉄の地図式を見慣れた目からすると、ずいぶん異色な図柄に感じられますね。
【写真上】は昭和54年のサーマル式です。本線関係の主要駅には早い時期から券売機が導入されていました。
【写真下】は野田線ですが、こちらではまだキレート式が主体でした。立石電機(現オムロン)の機械ですが、こちらは国鉄っぽい図になっています。
前述のとおりキレート式は時間が経つと印字が消えてゆきます。 -
平成の末期までは各駅で101キロ超は地図式でしたが、券売機が新型のタッチパネル式に置き換えられ、今ではほとんどが金額式に変わってきています。
地方でもしボタン式の券売機が残っていれば地図式の可能性があります。
平成15年くらいから、TRCとぶてつの自社地紋からPJRてつどうの民鉄協共通地紋の紙に替わっています。
地紋の着色も、オレンジ⇒黄褐色⇒クリームと3度変わっています。 -
★残念なお知らせです (x_x;)
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現在、駅で購入できる地図式の片道きっぷ*は全国でもついに、この【写真上】1種類だけになってしまいました。 しかも硬券ではなく券売機券です・・・
少し前までは小湊鉄道や、わたらせ渓谷鉄道などにも地図式はあったのですが・・・
東武鉄道はすでに自社の券売機から地図式をとりやめていますが、これは駅ビル(北千住ミルディス 商業施設買取り、東京地下鉄管理)の券売機なので辛うじて残っている状態です。
駅ビルの専用改札口では、鉄道会社と違う様式の切符を売っていることもよくあります。
→北千住駅 地下4番口(千代田線口)マルイ、ミルディス方面改札の券売機
【写真下】は10年前に東武口の券売機で発券した同一区間の券です。
地紋色のほか、サーマルヘッドの解像度が違うので、曲線がうまく描けていないことがわかりますね。【写真上】は最新式の機械なので解像度が上がっています。
下の機械より小さい文字が明瞭に印字されており、曲線もスムーズです。
(一番下118枚目xにこの地図式券の変遷比較を載せてあります。19年間に券売機でも図柄が微妙に変わってきています)
ちなみに東武浅草駅の最高額、1390円区間はすでに金額式でした。
*フリーきっぷ、乗車票などではまだ地図式が使われています。
ここでは「普通片道乗車券」を主体に書いています。北千住駅 駅
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京成電鉄では、都心部に近い着駅が3方向以上ある区間のみ地図式であとは矢印式か相互式でした。
【写真上】は昭和36年、【写真中】は昭和44年ですが、この後まもなく金額式に変更されています。 -
【写真上】は見本券で昭和40年ころの様式です。京成電鉄の地図式は数が少なく希少です。
【写真下】は乗継料金制度(初乗り乗継割引)に基づき、京成と営団の初乗り運賃の合算から20円を引いた額となっています。この制度は昭和59年2月に開始され、2社局をまたがる初乗り運賃区間のみ合算額から20円~80円を割引するという制度です。
他の区間では矢印式になっていますが、この区間のみがなぜか地図式となっています。 -
【番外】
普通知られた様式ではない切符がありました。
一般式でも金額式でもありません。
千葉県のディズニーリゾートライン。ディズニーパークの周りを周回するモノレールですが遊園地の遊具ではあありません。
京成電鉄子会社(株式会社舞浜リゾートライン)の運営するれっきとした地方鉄道です。
鉄道用の券売機ですが、日付も券番も横書き。
発行箇所は、時刻の右の英字で、
A:リゾートゲートウェイステーション
B:東京ディズニーランドステーション
C:ベイサイドステーション
D:東京ディズニーシーステーション
という変則的な普通乗車券です。
均一料金なので発駅名の明示は重要ではないのでしょう。
買ったのと違う駅からも乗れます。2枚買って往復にも使えます。
開業当初は縦長の回数券みたいな印字でした。
全く面白くもおかしくもない印字なんですが・・・・・ディズニーリゾートライン 乗り物
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さて、この切符にはトリビアがあります。
地紋を拡大してみましょう。
ナント、、帯の中に白抜きで『隠れミッキー』がいるのです。(赤丸)
連続模様なので、1枚の切符に4~6か所ありました。(カット位置により異なる)
印字と重なって見にくい箇所もあります。
*写真はコントラストを強めて地紋を見やすくしてあります。東京ディズニーランド・ステーション駅 駅
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関東以外の大手私鉄では名鉄に地図式がありました。
複雑な路線網が地図式に適していますね。 -
名古屋市交通局(市営地下鉄)は、これまでの均一運賃から昭和41年に区間制に移行し、地図式乗車券が登場しました。手売りの軟券で日付印は省略されています。
この頃はまだ名古屋より南側は開通していません。
昭和45年から金額式となり地図式は姿を消しました。 -
大阪市営地下鉄(大阪高速鉄道)では、昭和40年から42年のわずか2年弱の短期間のみ地図式が発売されました。それ以後は金額式に変わっています。
ただし硬券はなく、軟券と券売機券だけでした。
日付印を押すための半円状の空白が設けられています。
同時期、名古屋市営地下鉄でも地図式が売られていました。
これより西の近鉄、南海、西鉄などでは連絡券はあっても自社線内の地図式は聞いたことがありません。 -
では全国の地図式券を簡単にご紹介しましょう。
北海道は関東以外では地図式の導入は早く、昭和30年ころから札幌を皮切りに分岐点近くの駅で発売されていました。
北海道のローカル駅では近距離と札幌、釧路、旭川など主要駅行きの切符しか常備はなく、多くは補充券(手書き)で発行されていました。
ところが昭和41年3月の運賃改訂から矢印式に変わり、地図式は北海道から一旦姿を消しました。 -
昭和41年以来、北海道から地図式は一旦姿を消しましたが昭和48年9月9日、千歳線のルート変更による線路付替えにより新札幌駅が開業しました。
この頃他駅は金額式になっていましたが、新札幌では硬券の地図式が登場しました。
しかも最低区間は入場券との併用式で地図式という他に類を見ないものでした。
これは昭和57年の券売機導入まで続きました。 -
昭和31の運賃改正後、仙石線の駅では地図式が登場しました。
といっても写植による地図ではなく、下のほうにある三菱鉱業鉄道シューパロ湖の地図式と同じ、活字の〇とゲタを使った疑似的地図でした。複雑な線形だったらどうしたんでしょうか。
よく見ると、榴ヶ岡から東北本線の長町と東仙台も運賃同額だったのですが書かれていません。仙石線内専用の地図式だったのでしょう。恐らく長町まで購入すると一般式が別に設備されていたんだと思います。 -
仙台、盛岡地区の仙石線以外では昭和41年から採用されました。
当初は【写真上】の路線が旗竿模様のもので異彩を放っていますね。
等級制廃止後も主要駅に広まっていたが、路線は【写真中、下】のように普通の書き方に変わりました。 -
中部地区ではあまり地図式には積極的ではなかったようです。
静岡局での初登場は昭和45年ころで、分岐に関連した箇所で発売枚数の多い口座に限られていました。券売機券も硬券と全く同一の図柄でした。
地図式としては珍しいA型の「大人小児用」です。
右の斜線で切り取ることにより小児用として発券できます。
発売枚数が多く見込めない場合には、大人用、小児用の2種類を備えずにこれ1種で兼用できます。長距離の券は殆どが大人小児用です。
【写真下】は同時期の券売機券ですが、名古屋局ではどういうわけか硬券は矢印式のみでした。 -
東海道線区間では分岐する路線が少ないので、単純な描画となっています。
分岐したのは、飯田線、二俣線、御殿場線、清水港線くらいでしたから。
【写真中】の静岡は下り方面では160円区間の着駅が存在しません。
【写真下】の浜松では、160円と190円区間のみが地図式で他の金額は矢印式でした。 -
東京、大阪、福岡近郊では路線数が多いため、この時期殆どの駅で地図式を売っていましたが、静岡鉄道管理局(現在のJR東海静岡支社)管内では、路線が少なく地図式にするメリットも少なかったので、一部の金額のみ地図式でした。
-
四国では徳島駅で写真上のこれ1種(子供用もある)のみ発売されました。【写真上】
その後、暫く発売されなかったが、昭和45年以降分岐駅付近で発売されました。
直線的なデザインになっています。 【写真下】 -
関西地区での地図式券の登場は遅く、昭和30年頃から城東線で登場し、国電区間に広まりました。
広島局では下関駅だけ、昭和38年に地図式が発売されました。(写真下)
他の地区よりも金額式への切替えは早く、昭和48年には地図式は姿を消しています。 -
岡山局では地図式は非常に少なく、岡山駅と玉島駅で昭和41年から2年間くらいしか発売されなかったようです。
券面はちょっと変わっていて、表面の等級の次に数字があります。これは設備番号で10円2等を1として追い番となっていました。
この時期、広島印刷場で作成されたきっぷには広島局も含め同様の設備番号が表示されています。上の写真の下関50円2等の〇3も同様です。
ついでに類似の番号の説明をしますと、裏面の「岡山駅発行」の前後にも数字があります。発行駅の前にあるのが窓口番号で、当時の岡山駅では01から07が東口(表口)、11から16が西口(裏口)なので、西口の14番窓口で売られた券ということになります。〇2は循環番号で、1万枚単位で2番目のロットということになり、この窓口の60円2等のきっぷでは17862枚目の券となります。 -
ちょっと特殊な例です。
広島地区では100キロ券売機の導入が早く、硬券は早々に姿を消していましたが、駅舎の改良工事の期間中や券売機工事日や多客の日のみ臨時窓口で硬券を発売しました。
ダッチングマシン廃却後のため日付はゴム印です。
その中で広島と三原の2駅のみ、51キロから100キロの券だけ地図式が復活しています。まだ昭和55年4月の制度改定前で2日間有効なので青地紋で、発売日共2日間有効は裏面に印刷されていました。
広島は大人用と子供用、三原では大人子供用(2,3枚目のように小児断片がある)でした。 -
九州では昭和35年に地図式が登場し主要駅に広まりました。
50キロまでの低額券は昭和49年頃までに金額式となり、昭和51年には51キロ以上の高額券がA型で登場しました。【写真下】
これも「2日間有効」の券で地図式ではなかなか例を見ないものとなっています。
地図式で途中下車すると、下車印を確実に押さないと複乗される恐れがあるのであまり地図式にした例を見ません。 -
この時期の門司港駅の券は、発駅の囲みが太いなと思っていたらら、さらに極太のものを発見しました。
なぜでしょう?
おまけに券紙に対し、曲がって印刷されています。印刷式の券売機なら構造上よくあるのですが、硬券では珍しいですね。 -
この頃の九州の地図式は区間表示ではなく該当する着駅を全駅表示していました。
他の地方の地図式を見慣れた目には、いささか奇異に感じます。
昭和55年4月20日の運賃改正から、「発売当日限り有効、下車前途無効」の区間が100キロまでに改められ、この時から【写真下】のように赤地紋となりました。 -
当初は上の写真のようにB型で登場となりましたが、小さくて見にくいという批判があったため、1年後くらいからA型に戻されました。
【写真下】の南宮崎は、3枚上と比べて区間表示に改められています。 -
これは実際に駅で一般発売されたものではなく、実は記念乗車券です。
平成26年に「九州の鉄道誕生125周年記念」として5枚セットでJR九州より発売されました。
淡黄褐色地紋となり発区分記号の[九]が表面に印刷されていて異例ですが、デザインは上記の昭和35~50年のものを踏襲しています。 -
『なに、こんなの意味あるの??』
これまで、地図式にすると多くの着駅を1枚に収められるので口座削減に有効だと書きました。
少ないと言っても3駅4駅は当たり前でした。
しかし、これ1駅、2駅ですね。
図版をつくるのにコストがかかるので、矢印式の方が安かったんですが。
まあ、この昭和40年代というのは業界の流行りもあったんでしょうね。 -
ここからは東京付近での初乗り切符を年代別に並べてみました。
【写真上】は前出のA型地図式券です。5銭と10銭区間のみ山手線内主要駅窓口で発売されていました。試作の券売機用と異なり注意書きが裏面に移動したため見やすくなっています。昭和11年から14年と短い間の発売です。
昭和15年4月、支那事変の長期化で物資節約が叫ばれ、再びB型に変わり券面の地図も全駅表示から区間表示に変わりました。
現在の地図式乗車券の元となるわけです【写真下】有楽町駅 駅
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昭和17年、28%の運賃値上げが行われ初乗りが10銭になり、30銭までの5段階が地図式となりました。【写真上】
昭和18年12月、電車区間の切符の有効期間が2日から当日限りに変わり、裏面に「乗車日指定特殊乗車券」と印刷されるようになります。
同時に表面の地紋を省略するようになりました。【写真中】
戦況が悪化し、コストカットのため地紋の印刷を省略しています。
地紋は偽造防止のため設けられているもので、地図式は他の様式よりも図形があり活字だけの切符よりは偽造しにくいだろうとの判断で省略したものです。
昭和19年4月から戦時特別運賃が加算され、10銭で乗れる距離が短くなっています。券面に「特別運賃共」の表示があります。【写真下】
昭和19年6月、金額式軟券が発売され地図式硬券は姿を消してゆきます。
昭和20年~26年は資材が底をつき、切符とは思えないような粗悪な紙切れの切符(2つ下の写真)が種々登場していました。
この時期、終戦後の復興期まで細かいところが頻繁に変わっています。 -
では戦中戦後の物資不足の折、どんなひどいきっぷがお目見えしたかいくつかお目にかけましょう。
【写真上】は乗車券ではなく、戦災による疎開者に交付された乗車票です。
東京大空襲の始まった昭和20年の3月10日以降疎開が開始されました。
地紋が無くスタンプと認印だけです。文字が手書きのものもありました。
こんなメモ書きのような紙で列車に乗れたとは驚きです。
【写真下】は戦中戦後に登場した軟式手売り切符です。これは戦後の昭和23年の券ですが昭和26年くらいまで続きます。
この頃は当然地図式なんていう、コストの高いものはありません。
硬券は高額な長距離乗車券だけとなり、近距離きっぷと料金を徴収しない乗車票などは用紙は新聞紙か、わら半紙のような薄紙、地紋は鉄道省ではなく「工」をあしらった簡易地紋。文字だけだと容易に偽造されてしまうので地紋だけは入れます。
物資不足だけでなく、印刷場の職員も戦争に徴兵され極端な人手不足もあり、極力手間のかからない切符を作る必要に迫られたわけです。
改札鋏もすり減って刃が切れなくなっているので、むしり取ったような鋏痕です。関東では近距離は金額式でしたが、それ以外ではこのような省略様式でした。
戦中戦後は世の中が疲弊しており、食糧を買うのにせいいっぱいで使わない切符を買って保存する奇特な人は少なく、使用済みきっぷも回収が厳格だったため(回収した切符はお国のために再利用)、残存数は極めて少ないです。 -
東京地区の戦中・戦後の軟式手売り切符です。
粗末な薄紙に縦に10枚ずつ印刷されていて、辛うじて地紋はありますがミシン目も無い券です。
駅では予め半分くらいまでハサミで切込みを入れておき、ちぎって売ったのでむしり取ったような切り口です。右下の数字3,2は券片番号で10枚つづりの下から何枚目かを示す数字です。乗車券番号は一番上の「耳」に印刷されているので乗客には交付されません。
日付も入れずに売ったので写真上は昭和19年頃、写真中は昭和21年頃のものと推定されます。この薄紙きっぷは昭和26年頃まで続きました。
改札鋏が切れないので【写真上】のように切れ端が切り取られずそっくり残っています。活字も東がゴジック、京は明朝と物資不足でバラバラです。
東京地区では金額式で、印刷も間に合わず【写真中】のように発駅が補充式(ゴム印)のものもありました。
【写真下】は昭和23年で国鉄になってからの券です。
昭和20年頃から26年までは地図式切符が空白の期間でした。 -
この2枚は終戦直前の昭和19年と20年の同じ駅の地図式硬券です。
この頃10銭20銭の切符は在庫が底をつき、上記のような軟券でしたが30銭以上は駅により硬券の在庫がわずかに残っていました。
いずれも地紋の省略された「特別運賃共」の切符ですが、昭和20年のほうは異様に印刷が薄いですね。推定ですが恐らくインクの在庫も底をつき消費を減らす印刷にしていたことが予想されます。
今ならこんなに薄い印刷の切符は世に出さないはずです。
改札鋏こんも本来は7号なのですが、切れないのでむしり取ったような形になってます。 -
ついでに、戦時中のイリガルな券もお目にかけましょう。
終戦直後の昭和20年12月の券です。
何がイリガルかというと、
・相互式なのに地紋が省略されている
・小児表示が赤影文字でなく黒文字
・特別運賃共の表示省略
・等級表示(3等)も省略
これは営業規則を逸脱していますね。戦時中だったから緊急避難だったのでしょう。鉄道が動いている限り、完璧な印刷が出来ないからといって切符を売らないわけにはゆきませんから。
ちなみにこの頃の相互式では発駅は右なので、鶴見で売った券です。
昭和18年には鶴見から50銭までは地図式だったのに、なぜか相互式に戻っています。原版喪失でしょうか??
写真から紙もボロボロ、鋏もボロボロ、活字もボロボロだった当時の状況を伺い知ることができます。30キロ区間と中距離だったので辛うじて硬券にしたのでしょう。
倹約のためには何でもアリの時代でした。 -
戦後、運賃は100倍にはね上がり初乗りは10銭から10円になりました。【写真上】
この間s19-4からs26-11まで9回にわたり運賃改正されました。
昭和27年、庶民に戦後の復興を印象付けるための立派なA型硬券が主要駅で発売されました。【写真上下】
よく売れる10円、20円区間に限られ、それまで粗悪な薄紙に金額だけ印刷したような粗末な切符から大きく立派なな硬券に変わったので、いよいよ日本も復興したんだとみんな嬉しかったようです。
この頃は初乗り区間が7キロまでと、過去で一番長く設定されていました。
『初乗り運賃の推移』
大正9年2月1日 5銭
昭和17年4月1日 10銭
昭和21年3月1日 20銭 この間初乗りは変わらず4回運賃変更あり
昭和22年3月1日 50銭
昭和22年7月7日 1円
昭和23年7月18日 3円
昭和24年5月1日 5円
昭和26年11月1日 10円
昭和41年3月5日 20円
<お断り>
本来同じ駅同じ区間の切符を年代順にそろえるのが比較上わかりやすいんですが(定点観測といいます)揃えきれないので別の駅の同等の切符で代用しています。 -
昭和29年2月からB型の切符になり地図式の発売範囲も25キロまで拡大されました。【写真上】
昭和35年7月、3等級制が2等級制に改められ、3等10円が10円2等となり、地紋の色が淡赤色から青に変わりました。【写真中】
3等切符が2等切符になったわけですが乗る車両は前と全く同じでした。それまで庶民が使っていた赤切符が1ランク上の青切符に変わったことで、みんなリッチになった錯覚を覚えたものです。
ところがそれからわずか4か月後、初乗りの10円の切符だけ真っ赤に変わりました【写真下】
地紋もともかく券面印字もみな赤になって、みんなギョっとしたようです。
これは当時横行していた不正乗車(初乗り乗車券を使ったキセル)を威嚇するためで、改札を入ったら捨てるつもりで買った切符が真っ赤だったら抑制になるのでしょうか?効果のほどは定かではありません。
初乗り以外の区間は青地紋に黒刷りのままでした。
この「真っ赤な切符」を山手線全駅集めるのが一時ブームになりました。東京駅 駅
-
鶴見線主要駅の初乗り赤い切符です。
今は全駅無人ですが、当時は有人でした。 -
これまで初乗り(最低区間)のみ比較してきましたが、高額券にも変化が生じました。
それまで地図式の発売は15キロまでの区間に限定されていましたが、郊外方の横浜、立川、柏などから電環内に行く旅客が増えたため、31~35キロの100円区間のみ地図式となりました。
青地紋に発駅名が縦書きという変わった様式で目を引きました。 -
昭和41年、初乗り運賃が20円になり地図式は100円区間までに拡大されました。
このときから首都圏での地図式全盛時代がはじまります。【写真上】
昭和44年、等級制が廃止され、特別車両の1等車はグリーン車になりました。
この時から運賃金額を中央上に大きく表示した、首都圏スタイルの地図式券が定着してきました。以後地図式硬券の終焉まで約25年間、このスタイルが関東の地図式では標準となります。
【写真下】この時から分岐駅(写真では神田、秋葉原)の表示が省略されています。
地図式は30円から50キロ210円まで、その後昭和48年からは25キロから100キロまで、昭和55年以降は電車特定区間外(列車区間)の下車前途無効の区間も表示できるようになり複雑化を増して行くわけです。のちに最大160キロまでの乗車券にも地図式が適用されました。 -
さてここでヒネった例を。
4枚の「国分寺から20円2等」の券。なぜこんなことに???
実は昭和35-7-1から昭和44-5-10までには運賃改訂が3回、制度変更が4回あって収集家泣かせの混沌とした時期でした。
おまけに「在庫乗車券の過渡的使用」という救済措置もあり、発売日順に並べても年代が逆転することもあって、手持ちの切符の整理が混乱することも多々あります。
・昭和35年7月1日 3等級制から2等級制に。地紋が赤から青に
・昭和36年4月6日 運賃改訂
・昭和36年8月17日 発売当日限り有効の切符の地紋が青あら赤に
・昭和41年3月5日 運賃改訂 初乗りが10円から20円に
・昭和43年6月1日 裏面の注意文言が「通用発売当日限り」から「発売当日限り有効」に変更
・昭和44年5月1日 モノクラス化(等級廃止、1等はグリーン車に)初乗り20円から30円に
写真は発行日付順に並べていますが、2枚目(赤)と3枚目(青)の日付が逆転しています。これは3枚目はA口(南口の窓)発行なのであまり売れず、旧様式が売れ残ったのでしょう。裏面に〇A(発行箇所)が印刷されています。
1枚目と2枚目は、この時もしも最遠端表示だったら図は変わらなかったでしょうが、区間表示なので内方の駅が変わっています。 -
さらに続きがあります。
モノクラス化前後の券の比較ですが、【写真上】は6キロから8キロが30円2等でしたが、【写真下】は6キロから10キロが40円と区割りが変わったので、着駅の範囲が広がっています。
一言で運賃改訂と言っても、単純に〇〇円が△△円にスライドするわけでなく、区割りも変わるのでより複雑化しているわけです。
他の様式だとなかなか全容を掴めませんが、地図式だと一目瞭然で理解できます。
なお区割りが変わると改訂前のきっぷは「口座口割れ」となり「運賃変更印」を押して過渡的使用できないので旧券は廃札とし、改訂日よりすべて新券になります。
このようなとき、運賃改訂の初日には窓口には「0001」番の券がずらっと並ぶので収集家は忙しくなります。 -
東京印刷場の地図式硬券は、昭和10年に登場し昭和44年以来の特徴を踏襲しながら平成3年の地図式廃止まで続きました。日本全国で一番長期間発売されたことになります。
最大で20駅~24駅もの着駅が表示されるようになりました。
途中、着駅の表示方法(描画ルール)が3回変わり【写真下】は最遠端表示に変わっています。
全駅表示(昭和11年)→区間表示(昭和15年)→最遠端表示(昭和52年) -
【写真上】は昭和49年、【写真下】は昭和57年の同じ区間の切符です。
なんだかスッキリしましたね。
それまで、「区間表示」と言って運賃同額駅の手前と一番先の両方表示していたんですが、地図式の適用区間が広まるにつれ文字数が増え煩雑になってきました。
そこで昭和52年くらいから順次「最遠端表示」つまり一番遠方の駅だけ書くように変わってきました。
裏面の注意書きも「表面太線区間の一駅行き」から「表面区間の一駅行き」に変わってきています。牛久駅 駅
-
設備番号のついた地図式硬券です。部内では「パターン常備」とも呼ばれていました。
山手線内36駅で同じ券を用意するので、様式に番号を付けて予め印刷しておき、請求があったら裏面に発行駅名と券番号を印刷して駅に送ります。
納期短縮の手法です。
写真では各券面右下にある(2)、(4)が設備番号です。 -
各駅には予め写真のような様式集を「規程別表」*1として配布しておき、駅では設備番号のみ書いて乗車券請求します。
これは国鉄首都圏のみの独自のやり方でした。
自動券売機や印刷発行機も同じ図柄が使われていました。
東京山手線内発の地図式 同一図柄では4世代あります
改訂日/発売額 S49-10-1 S51-11-6 S53-7-8 S54-5-20 キロ程
設備番号:1 290円 460円 520円 590円 51-60
2 340円 520円 610円 700円 61-70
3 390円 600円 710円 810円 71-80
4 440円 680円 800円 910円 81-90
これで上の2枚の写真が別世代の券であることがわかるでしょう。
S55-4-20から東京山手線内の扱いが東京から101キロ以上に変わり1~8廃止
上記設備番号表の「9」が「1」となり順次繰上げられました。
*1 この表の正式名称は、
日本国有鉄道首都圏本部旅客営業取扱基準規程第89条 別表第11の2
「東京山手線内、東京都区内および横浜市内発常備片道乗車券の設備方」
昭和49年10月1日付
**一般式の例:https://4travel.jp/travelogue/11811642 カバー -
地図式硬券が最後まで残ったのは、房総地区の簡易委託駅でした。
写真の券は私の持っている最終時期の券で、平成2年8月の発行です。
1990年開通した京葉線も記載されています。
このころJR直営駅には100キロ券売機とPOSが導入されて硬券自体姿を消しておりました。券売機の51キロ以上の券もS61年以来すでに全部金額式になっていたので、文字通り最終期の地図式硬券ともいえます。
当然、JR地紋になっていて裏面に「□東」の発区分記号が印刷されています。
この翌年の平成3年に、地図式硬券は姿を消すことになります。 -
では地図式にしない駅ではどんな切符を売っていたのでしょうか。
【写真上】は飯田線(日本最長の棒線路線区間)の中間駅で、両端の2駅しかない場合です。
【写真中】の東中神駅では地図式にせず、同一運賃で複数口座の矢印式を設備していました。
【写真下】は各方面の着駅が8駅表示されています。
このように矢印式にすれば地図式でなくても済むわけですが、改札で切符を受け取って瞬時に判別するのは難しいのではないでしょうか?
もしあなたが盛岡駅の改札職員で、【写真下】の切符を客から受け取ったとしてその客を通しますか(passさせますか)?
正解は『運賃不足で、厨川からの乗り越し運賃を徴収するべき』です。
全部の駅がアタマに入っていないとわかりませんね。地図を見て考えているうちにその客は足早に立ち去り「追徴漏れ」となります。 -
ではここで「おかしな券」をお目にかけましょう。
【写真上】は一体なんでしょう???
まず運賃の金額が書いてない。
日付の「4」って、昭和?平成?それとも令和???
地紋を見ると、「JNR国鉄地紋」
有効区間外の武蔵野線、京葉線の駅まで書かれている・・・書体がヘン
『冗談はやめてください。』
実はこれ、乗車券ではありません。模擬券(おもちゃ)です。
鉄道開業150周年の2022年、津田沼駅で無償配布されたものです。従って「4」は令和4年。
グリーン券を買うと改札でもらえました。
もともと、秋葉原から千葉の間は武蔵野線開業までは分岐が全くなく、歴史的に津田沼駅には短距離の地図式はありませんでした。もしあったとしたら【写真下】のような地図になるはずですが、実際は矢印式ばかりでした。
昭和末期に西船橋から武蔵野線、京葉線の分岐が出来たのでノリでこんなの作っちゃったんでしょうが、京葉線の南船橋ー市川塩浜間と西船橋ー市川塩浜~新木場間の開業はJR発足後の1988年12月なので、国鉄地紋ではなくJR地紋にすべきだったのです。時代考証が足りなかったですね。国鉄地紋の過渡的使用の期限も1988年3月で切れています。
あり得ない地図式の紹介でした。
各駅でどんな様式の常備きっぷを作るか?それは各駅長(実際には出札助役)に任されていたので、初乗り区間でも矢印式の駅と、下総中山のように着駅が両端の2駅だけでも稀に地図式にしたところもあったわけです。 -
【2023-2-11追記】 ↑↑↑じゃこれは片矢印式なの???
かなり上のほうで、「国鉄、JRの乗車券の様式はこれだけだ!!」と断言したところ「じゃ一体これは何だ!こんなのがあちこちに、いっぱいあるぞ」とお叱りのメールを頂戴しました。
巷の切符本には両矢と片矢に分類している方もお見受けしますが、正式には「昔の矢印式」が正しいです。
とはいえ、今のMARS券も特急券も指定券もグリーン券も券売機の券もこの片矢印が基本なので、一体これは何だということになります。
私は国鉄・JRの営業規則にある「常備片道乗車券の設備方」を基準に用語統一しているので、一般式、地図式、矢印式、相互式、金額式に整理していますが、矢印に関しては亜流がいっぱいある(特殊様式=異様式)ので話が複雑になってきます。
私鉄では多くが様式に名前をつけず、「片道乗車券はこの様式とする(図示)」と定義しています。
常備券でこの様式を使っていたのは、写真のもの以外に長野電鉄、大昔の東急くらいしか知りません。(企画乗車券や乗車票を除く)
写真の5枚はまさに「矢印式」と呼びたいところですが、ヨンサントウ以来、中央に自駅を書き左右に着駅を分けるのが矢印式と決まったので、これらには正式名称がないわけです。
機能的には片方向のみ有効なこと、着駅と経由が確定していることなどから一般式となんら変わりありません。
右上の伊豆箱根鉄道のものは、矢印すら無いので「ハイフン式」とでも呼ぶ人が現れるのでしょうか(笑)このハイフンの券は戦時中の手売り軟券で多く出現しましたが、今では姿を消しています。
一方、MARS、券売機、車発機の券は右向きの矢印がほとんどですが「矢印式」とは呼んでいません。
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ここは「地図式」に特化した内容なのでこの話題はあまり書きたくなかったのですが、成り行き上やむを得ないので追記しました。
ここに書ききれない変な様式を集めれば、また旅行記1本分以上書けそうですが見送ります。 -
地方私鉄の券売機券ではこのように着駅が金額でなく駅名を印字したものが多く見られます。営業規則を見せてもらっても「これは矢印式だ!」とはどこにも書いてありませんね。「当社の片道乗車券の様式はこれだ~(図示)」・・で名無しです(笑)
*写真は4トラベラー「あっちゃん様」よりご提供いただきました。
ありがとうございます!! -
ところで、これまでに発行された地図式の最高額はいくらだったのでしょうか。
答えは写真の2300円区間です。
次の昭和61年の運賃改正までに金額式化が進み、私は2400円になった地図式券は見たことがありません。 -
写真の2000円も上の2300円と時期が違うだけで同じ距離区間です。
当時、東京近郊区間内での最遠端駅は大月、熊谷、小山、久里浜、木更津、上総一ノ宮の6駅です。(現在では変更されています)
この中で最も遠くなる組み合わせを探すと、大月~上総一ノ宮間が166.9キロでトップに。s60年の運賃だと2500円です。(R6現在の幹線運賃は3080円)
しかし、両駅から近郊区間内の160キロ超の駅は他に存在しなかったので地図式とはなりませんでした。
従って地図式では写真の券(141~160キロ券)が最高額だったわけです。
久里浜駅はそんなに乗降客が多くないので地図式は100キロまでしか常備されていませんでした。上の写真、小山駅ではそれなりにたくさん売れるのでしょうね。
国鉄では「おおむね月に100枚以上発売が見込まれるものを常備にせよ」という部内ガイドラインがあったので、印刷してみて実は数枚しか売れなかった、では管理局から出札責任者が怒られます。(当たり前ですよね)
だから運賃表上では着駅が存在しても、売れないところは常備にしません。
またどの様式の乗車券にするかは各駅の任意なので、熱海、伊東、甲府、水戸などのように過去1度も地図式硬券を発売したことのない駅もあるわけです。
国電区間駅でも、田町、神田、新大久保、八王子、田浦などでは51キロ以上の中距離地図式硬券を発売したことは過去1度もありません。 -
ー閑話休題- 【硬券の記念乗車券】
国鉄では記念乗車券を地図式にすることは、まずありませんでした。
しかし、昭和60年につくば市で開かれた科学万博の臨時駅、万博中央駅の記念乗車券に珍しく地図式が登場しました。
たまたま同駅から東京、新宿、大宮、水戸と主要駅までの運賃が1000円とキリの良い金額だったので記念乗車券に適していたからでしょう。
他では端数をなくすため小児の券とか組み合わせ、苦労している例を見かけます。
ただこの券面をデザインしたのが通常と違う担当者だったのか、作画ルールから外れたものになっています。写真の「東京」「水戸」は最遠端ではないので書く必要はありません。 -
<追記>2022-10-21
調べたらもう1つ地図式硬券の記念乗車券が出てきました。
上の万博中央駅と同じ昭和60年、佐倉駅橋上駅舎開業記念です。【写真上】
通常バージョン【写真下】と同じ原版を使い、サイズをA型にして下部に有効期間を追記しています。(埼京線が開業したので浮間船渡が追記され、金額が4桁になったので東川口の文字位置を変えています)
ただ、裏面を見ても「下車前途無効」の文字が無いので印刷漏れでしょう。
当時の1000円区間(51-60キロ)というのはキリが良くて記念乗車券としては売りやすかったのでしょうが、A型というのがリアルでなかったためか、あまり売れ行きは芳しくなかったようです。
他にも国鉄/JR発行の地図式硬券の記念乗車券はあるかもしれません。ご存じの方はコメント欄でご教示ください。
*記念乗車券というのは、開業記念とか新車デビュー記念とか行事自体に重みのあるものは瞬殺で売り切れますが、駅舎改築とか何周年記念とか重みのないものはブームが去ってからは売れ残る傾向があります。 -
【2023-2-22追記】
横浜市のT.K様より写真のご提供を頂きました。
1985年に行われた「世界大鉄道博覧会」で、国鉄新潟鉄道管理局から発売された記念乗車券です。会場ではいろいろな鉄道会社から記念乗車券が多数乱発されていてあまり人気が無く気づく人も少なかったようです。
B型の硬券でやはりご多聞に漏れずキリの良い1000円区間です。
なんと淡緑色地紋で普通乗車券としてはあり得ない着色、新潟印刷場製作なので細かすぎる文字と抽象化してないインパクトに欠ける図柄の地図。
あまりマニアの心をくすぐらなかったようです。当時の1000円区間は100キロ以下なので下車前途無効。佐倉や万博中央などのように淡赤色にすべきだったですね。
当時会場では予備鋏による入鋏サービスも行われており、△のハサミが入ったものが市場には多く出回っているようです。台紙にはハサミのスペースで切込みまであったというのには驚きです。ハサミを入れたら使用済みとなってしまい乗車券として使えなくなるので矛盾するわけなんですが・・・
TK様ありがとうございました。
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記念乗車券にとって『記念事項』の重要さを示す事件がありました。
2023-3-18に首都圏では久々となる新線と新駅が新横浜近郊で開業したのですが、その記念乗車券は即日売切れで定価の4倍から10倍の値段で取引されています。
(東急新横浜線、相鉄新横浜線)
一方、写真の世界大鉄道博はヤフオクで定価の1/10の100円で落札されていました。
鉄道的に意義の薄い「エセ記念」はゴミだということでしょう。時間がたてば価値が上がるというものではありません。 -
中古記念切符の相場暴落が続いていますが、この「世界鉄道博」のものがなぜ不人気で1000円が100円になってしまうのか気になったので鉄道部品ショップで見てきました。買取り価格は未入鋏で50円、入鋏だと10円だそうです。
よく見ると、上で書いた以外にも切符収集家(マニア)が忌み嫌うものであることがわかりました。
まず、硬券が台紙にべったりのり付け(接着)されており、はがすと裏面が破損し、硬券の価値が下がります。
次に、ハサミを入れる構造は一見素晴らしいアイデアのようにも見えますが、硬券の裏側に台紙の厚み3mmほどがあって改札峡の雌刃が切符に密着しない。だからスパッと切れず、むしり取ったように裏向きにバリが出ています。いくら新品のよく切れる鋏を使っても同じことです。
3つ目は台紙の切込みの形状でハサミが根本まで深く入らないので、先端だけで切っていることになります。よく見ると、新潟駅の2号鋏痕http://travelcecum.xsrv.jp/zarephoto/kyoukon/other/3.JPGなんですが、アタマの三角▲のところしか切られていません。だから予備鋏かと思ったわけです。
4つ目はハサミを入れる位置が所定の右下ではなく左下です。
これなら切ってもらわないほうが良かったですね。
深く考えず記念切符を企画するとこうなるという、いい見本でした。
券番は新潟なので5桁です。
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前出の水戸局や千葉局には『鐵』な人がいてアドバイスしたんでしょうが残念ながら新潟局には、お目利きさんがいなかったんでしょうね。 -
そういえば、新潟印刷場といえばこんな端正な券もありましたね。
上の記念乗車券の図柄はいったいどうしちゃったの?と言いたいくらいです。15年もすれば担当者も変わるだろうし昔の記録は残ってない?
本来この券は淡赤色の地紋で刷るべきところ、青色で刷っちゃったので次の増刷より本来の淡赤色になっています。
地紋の色は、途中下車出来る券は青、出来ない券は赤というように改札で識別を容易にするため区別されていました。
うーん、新潟印刷所いろいろやってくれますなあ。 -
これも不思議な券です。
古銭屋の店頭で見つけたんですが、詳細はわかりません。
有効期間の表記から記念乗車券のバラシかと思われますが、カバーが無いので一体何の記念かわかりません。ご多聞に漏れず1000円区間です。
通常記念乗車券は乗車券の有効区間にも何らかの意味を持たせることが多いのですが、この券の着駅には主要駅が含まれていません。
この当時、広島印刷場では地図式を製作していなかったので慣れない人が作図したのか、メリハリのない極小図柄になっていました。
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たまたま同時期に地図式硬券の記念乗車券が4例も登場したのは、1000円ぽっきりという都合の良い金額の運賃区間が登場したのにほかありません。 -
北総鉄道は運賃単価の高い会社としても有名ですが、補充券など収集家向けの乗車券も各種発売しています。改札鋏も備え付けられていて、かなりマニアライクな体制です。
【写真上段】は補充券サイズの地図式軟券、【写真下段】は7並びの記念乗車券です。
これまでは一般式、矢印式は何度も発売されていましたが、今回初めて地図式が登場しました。B型硬券の見本集の様相で様式の違う4種の券が収納されていました。
写真の例では分岐点ではなく棒線部分が地図式になっていて違和感もあります。 -
次は、乗車券ではありませんが、団体旅客乗車票も地図式です。
上が東京都区内用(JR西日本発行)、下が東京山手線内用(JR東日本発行)です。
団体旅客が各駅から乗車、降車するために往復分人数x2枚交付します。 -
今では磁気券になっていますが、山手線内のみ地図式です。
写真上は阪急交通社、写真下はクラブツーリズムの発行で発券機をJRから貸与されて発券しています。 -
こちらはMARSで発券した、横浜市内・川崎鶴見線内用の団体旅客乗車票です。
硬券のときは文字ばかりでしたが、MARSでは券面に余裕があるので地図が描かれています。
各都市区内用があるようです。 -
そうそう、忘れてはならないもの「東京山手線内均一回数券」!!
1600円で11枚、最大210円区間が145円で乗れちゃうチョーお得な回数券でしたが、JRも「国鉄遺物の出血サービス商品で、こりゃあやっておられんわい」と、平成12年1月末で廃止されてしまいました。
有効区間表示が地図になっています。
これと同時に売られていた東京都区内均一回数券は地図ではありませんでした。
この違いは担当者の違い??
【写真上】は券売機のものです。
左上に12.1.31と印字されているのは発売最終日に発券されたものです。
右辺の31.-9は31日の朝9時台に入場したという自動改札機による印字です。
ちなみに■にイはイオカードで支払った印です。
【写真下】は常備軟券(手売り)で窓口発売のものです。 -
こちらはおなじみのフリーきっぷ類です。
私鉄のフリーきっぷでは文字だけのところが多いのですが、JRのMARS券では左下のスペースにフリー乗車区間の案内地図を入れることが多いです。文字が小さく、解像度が悪いので虫メガネでも読めないようなものもあります。
種類は山ほどあるので、代表的なもの6種だけ写真を載せておきます。 -
え、縮小しすぎて地図が見えないって・・・( ゚Д゚) ??
では地図部分だけ拡大してみましょう。
【写真上】がJR東日本の「休日おでかけパス」の地図部分、
【写真下】がJR西日本の「奈良満喫フリーきっぷ」の地図部分です。
かなり苦労して駅名を押し込んでいる様子がわかりますね。
・・羽空第2 ww
字画数の多い橿原神宮や浄瑠璃寺、奥、橋、町などの漢字がつぶれています。
余談ですが、印字の色が違いますね、これは印刷方式の違いです。
上はMV30端末。「熱転写印刷」といって普通紙にインクリボンを介して印字しているのでリボンの色そのまま、漆黒なのです。退色しません。
下はMR12W端末。「感熱紙に印刷」で感熱紙に直接印字してインクを使わない化学発色なのです。いわゆるサーマル式。
今の券売機はみなこの方式に変わっているので、「文字が真っ黒ではなく赤茶っぽい」のと何となくドットが飛んでぼやけている感じです。前に書きましたが、この方式は経年変化が激しく印字が薄くなったり消えたりします。汗や皮脂で汚れた手で券面に触ると、触れた場所だけ化学反応で消えてしまいます。指紋状に印字が残ることもあります。 -
フリーきっぷは券売機とMARSの両方で発売されているものもありますが、地図が違う例をお目にかけましょう。
青い切符はMV50型指定券券売機の券、黄褐色の券はEM20型近距離券売機の券です。
青いほうはMARS指定券発券システムによるもので、JR情報システムで券面は一括管理されています。みどりの窓口の端末でも全く同じ様式の券になります。
一方、黄褐色のほうはJRメカトロニクス(株)の指導でオムロン、高見沢、神鋼電機など券売機メーカーで作図しています。
上の2枚は「えちごワンデーフリーパス」
下の2枚は「都区内フリーきっぷ」で比較しています。
JR情報システムはJRの身内で身軽に動けるので、鉄道の日などにパロディーで「変な券」を期間限定で売ることがあります。
今年は「新橋」を右書きにして「橋新」と印字された券を発売しました。
このようなローカルなフリーきっぷは全国にいろいろあるかと思います。
ここでは地図の部分のみ拡大比較しています。全体の写真は他のサイトを参照ください。 -
最後にちょっと特異な地図式をお目にかけましょう。
【写真上、中】は東京電環(山手線)が図示されたもので、終戦直後の昭和21年~23年に発行されました。電環着と電環発の両方ありました。地図部分の活字が摩耗して文字がつぶれています。戦時下の物資不足で活版を新調できなかったんでしょう。
昭和20年4月、東京電車環状線内制度ができ、東京から51キロ~100キロの切符は東京駅からのキロ程が適用になりました。
まだなじみのない制度だったので周知をかねて翌21年から電環の地図入りになりました。3等表示は省略され、駅名が縦書きになっています。
【写真下】は長距離切符の裏面です。これは「東京から京都市内ゆき」の切符ですが、裏面に京都市内の範囲が図示されていました。これも昭和14年から19年の短期間です。他の特定都市区内制度の切符も同様に描かれていました。 -
新幹線東京駅の乗換改札口で売っていた区間変更券です。
昭和55年4月20日から東京山手線内の扱いが、東京から101キロ以上に変わりました。
それまでは東京山手線内から、小田原、熱海、三島、静岡までの区間変更券を売っていたのですが、小田原は東京から83.9キロ、山手線内の適用外になったのです。
そこで登場したのが写真の3種の「発駅地図式」の区間変更券。
新幹線は「予め目的地までの乗車券を持っていないと乗せない」という規則なので乗車前に精算して乗車券を購入させる必要があります。
従前は山手線内の各駅から均一運賃でしたが、改定後は発駅によって小田原行きのみは金額が異なり元・山手線内駅が3区分の運賃になるので、3種類の券を作成しました。
この窓口は改札内にあるので必ず原券(ここまで来た切符)があります。
【写真中】の例では、新宿から120円の切符を買って、小田原までの変更を申し出た場合、この券の表面に(コ)120円のスタンプを押して1130-120=1010円で発売しました。これを「原券控除」といいます。
乗客の持って来た「原券」の発駅によって3種のうちどの券を出すかが変わります。右上の6,7,8の数字は設備番号です。
一般に東京駅までの切符を買って乗り越しを申し出る客が多いのですが、こういう控除があるのを知らずに驚く客が多かったと聞きます。 -
どうでした、少しは目の保養になりました?
地図式きっぷは2つと同じ図柄がなく、数千種類の図版が出回っていると思います。
担当者が手作業で作図して版下を起こすので、描画のクセも千差万別で見ていて飽きないものですね。
バーチャルトラベルの一助となれば幸いです。
今回、少し昔にタイムスリップしてアーカイブでまとめて見ました。
手持ちのもの、過去にコピー/スキャンしておいたものが主体なので決してすべてを網羅するものではありません。。
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*写真は個人的に保存することはかまいませんが、転載、二次使用はお断りいたします。引用は出典を明記下さい。巌根駅 駅
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100キロ券売機導入後の中央線豊田駅。昭和61年。
券売機では120円から780円が金額式、900円から1540円が地図式になっています。53Vと呼ばれるボタン式多能券売機です。
左の窓口では国鉄線100キロ以上と連絡会社線の硬券を売っています。
この数か月後、定乗印発機*が窓口に導入され、硬券の発売は終了しました。
*定期券乗車券印刷発行機豊田駅 駅
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【写真上】窓口発売の硬券
【写真下】券売機の軟券
一般に硬券と券売機とでは作画する人が異なるため、図柄が大幅に異なるものが多いですが、国鉄の静岡鉄道管理局ではほぼ同一図柄になっていました。 -
【本文あとがき】
地図式きっぷの面白さにハマると、もはや一般式や金額式ではきっぷだと思わなくなり、眼中に入らなくなってきます(笑)
テキストだけの変化よりビジュアルの変化がいかに人に対するアピールで重要かを身をもって思い知らされました。
人により、想い出のきっぷ、人生を変えたきっぷなど関心はさまざまでしょうが、
私はん十年の鐵人生のまとめとして地図式きっぷを旅行記風にまとめてみました。
【写真左】は昭和58年の定乗印発の地図式券と同区間の硬券。
サーマルドット印刷で、まだ解像度が低いので縦横ナナメ45度の線のみの組み合わせで作図されています。デジタル印刷のはしり。(東芝製)
【写真右】は昭和51年の印発機*で、印版(ゴム印)にインクを付けて印刷、数字はインクリボン使用のワイヤドット印刷です。アナログ印刷(神鋼電気製)
*この機械では定期券は発行できません。
機械化にあたり、硬券の図柄を参考にして作画したものと思われますが、ずいぶん苦労の跡が伺える力作です。
最後まで駄文とウンチクにお付き合いいただきありがとうございました。<本文おわり>
以下、付属書部分に変わった券をいろいろ紹介しますので、理屈抜きに目でお楽しみください。 -
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以下、付属書部分「目の保養コーナー」です。
視覚的に「ナンダコリャぁ」券です。
ランダムに絵的に面白そうな切符をいろいろとご紹介します。
系統的な脈絡はありません。
ほぉ~昔はこんな面白いのがあったんだ~~という目でご覧ください。
南海から大阪市営地下鉄線への連絡券です。 -
中央線の高円寺~立川間から営団地下鉄 中野接続の2区のみ地図式でした。
昭和31年から49年まで長期間にわたり発売され、さまざまな金額、青地紋などもありましたが地図は変わりません。
一方、西船橋接続は途中分岐駅がないため地図式ではありませんでした。 -
同一区間を券売機でも発売されていましたが、上記の硬券とは図柄が全く違い最遠端表示になっています。
余談ですが、高見沢の機械なので日付、券番の部分もキレート印刷になっています。
(オムロンはインクリボン使用) -
京福バスの乗車券です。
地図式にする意味もない切符ですが、図柄がキュート。
こんなのを渡されたら思わず「えっ!?!なにっ?」と見入ってしまうでしょうね。芦原温泉駅 駅
-
両備バスの乗車券です。
バス会社は意外に無日付で切符を売ることが多く、これは昭和30年代後半と推定されますが、裏面に広告が入っています。
鉄道よりも路線網が複雑でたくさんあるので、面白味のある図になりますが、地図式の例は鉄道ほど多くありません。 -
函館バスの乗車券です。
昭和40年代、郊外路線のみ地図式硬券でした。
バスセンターの改札口で鋏を入れて乗車し、更に車内で車掌が行先確認時に丸穴を開けるという2重のチェック体制です。 -
仙北鉄道のバス乗車券です。
鮮やかな黄緑地紋が目を引きますね。
バスの券は探せばもっと不思議なものがいっぱいあると思います。 -
三菱石炭鉱業大夕張鉄道(昭和62年廃止)では、写真のシューパロ湖から20円区間のみ地図式の切符でした。他はみな一般式だったのにナゾです。
地図式とはいえ、同線は棒線なので他と違って写植の地図ではなく活字の
〇とゲタを組み合わせた作図でした。
日本一運賃の安い鉄道でした。 -
三菱鉱業美唄鉄道の券です。ここでは4110型SLで有名でした。
同様に活字の組み合わせで地図を形成しています。
(上記の三菱石炭鉱業とは別の会社でしたが、後年昭和46年吸収合併しました) -
再び国鉄/JRのヘンな券です。
南三原駅は房総半島最先端の駅です。
地理的には千倉駅のほうが南ですが、距離的には南三原が最遠端で、千葉から外房・内房のどちらを回ってもほぼ同じ距離です。
突端駅であることを強調した絵になっています。 -
お隣の和田浦駅からだとこんな絵になり、半島の突端ではない図になります。
曲線が妙にリアルでお茶目な図柄ですね。 -
内房線の竹岡駅です。
こちらは内房線の他駅と違って、房総半島が直線直角で表現されています。
作画した担当者が違うのでしょう。竹岡駅 駅
-
モノクラス化直後の券です。
鶴見線は駅間が短いので、初乗りの着駅がたくさんあります。
セオリー通り、分岐駅と最遠端駅が書かれています。 -
立川から160円の券で、区間表示最後の頃で新旧表示が混在しています。
現在の奥多摩駅は駅名改称前の氷川になっています。
当時列車区間の駅だった四方津、厚木、越生、西川越も追記されています。
この左部分のみ改版され最遠端表示で、右のほうは従来通り区間表示なことがわかります。 -
これは昭和49年に新潟印刷で地図式を印刷した初期の券ですが、なんかヘンです。
地図の中に金額が書かれている。
熊谷駅の位置がおかしい。高崎線から枝線に分岐したところにあるような絵になっていますね。
地図式導入直後にはこのようなヘンなミスが結構あります。 -
これも上の熊谷の券と同様、鴨居駅が横浜線から分岐したところにあるように書かれています。
この券は当時話題になり、新聞にも載りました。 -
古い東武の券です。
太線が今のものに比べて異様に太い。
こんなのが出てきたらギョっとしますね。 -
これも古い券です。
営団から国鉄への連絡券ですが、一体どこで乗り換えればいいの?
いえ、池袋、御茶ノ水、東京のうち好きな駅で乗り換えられます。
でも国鉄線の運賃は一体どうやって算出したんでしょう??
当時、営団は20円均一、国鉄は初乗りが10円でしたから合計30円なんですが、もし池袋で乗り換えたら10円では亀戸や大井町には行けないわけで。
昔は旅客の便宜を図るためにこんな連絡運輸の契約形態もあったんですね。
あ、乗換は全て改札外ですから、この3駅は実質上途中下車が出来たわけで。今みたいに自動改札で30分以内に乗り換えないと無効なんて制度はありませんでしたから、四ツ谷から乗って池袋で映画見て有楽町で夕飯なんてことも可能だったわけです。 -
京阪から国鉄への連絡券で非常にスッキリしていますが、よく見るとナゾの多い券です。
国鉄が環状線部分しか書かれていません。運賃同額の区間が桜島線や東海道線、片町線の着駅もあったはずなんですが、まさか連絡運輸区間が環状線のみということは無かったはずです
当時の大阪の連絡券には国鉄線部分の運賃が分けて書かれていないので、桜島や塚本で下車したらどうなったのか疑問です。 -
「え、これなに??」っていう程シンプルな図柄です。
国鉄首都圏では、昭和49年より51キロ以上の「発売当日限り有効、下車前途無効」の乗車券に地図式を積極的に採用しました。最高額は上のほうで紹介した通り160キロ2300円区間の地図式券も少数ですが発行されています。
地図式券を見ていると、1200円超の高額なものが多数存在しますが、昭和49年から昭和61年の分割民営化直前まで9回の運賃改定があり運賃は約3倍以上にはね上がっています。
↓この4枚下の写真290円区間は増税もあって今の運賃では990円になっています。 -
ではここで現存しなかった券(一度も発売されたことがない)をご紹介しましょう。恐らく実物は誰も見たことが無いでしょう。
え、ニセモノ?模造品??おもちゃ???いえいえ、ご当局が作った「ホンモノの見本券」です。
これは「乗車券見本帳」に収蔵されている券の1枚です。
国鉄では約10年に1度くらい、その当時流通している硬券の見本冊子を各印刷場で作成し関係個所に配布していました。これは関東圏を統括する「東京印刷場」が国鉄の最後に作成した昭和58年3月現行の版で、基本的に「東京駅で発行したらこうなる」という切符が収納されています。
東京駅は出札機械化が早く、昭和47年以降近距離券の硬券は窓口での発売実績はありませんでした。もしかして駅出札事務室の金庫内に「非常予備」として少数印刷し備え付けられ出番を待っていて、つぎの運賃改正で1枚も売られないまま全数廃札になったのかもしれませんが、中の人でないと実態はわかりませんね。
昭和59年まで近距離の硬券を普通に窓口で売っていた池袋駅とは対照的です。
度重なる運賃改訂で、1000円区間の地図式券は3回可能性がありましたが、これは昭和57年4月20日改定の「71キロ~80キロ」の様式となっています。
なお、中長距離券や料金券、企画乗車券などは見本帳と全く同じものが発売された実績があります。 -
【コラム】 ~乗車券見本帳(硬券見本帳)について~
今ならDTPでこんな冊子はいくらでも作れそうですが、国鉄は鉄道省の時代から実際の硬券を印刷して貼り付けた「見本帳」を作成する伝統がありました。
JRになってからも昭和63年に一度だけ作成されましたが、さすがに硬券は廃止し、機械発行の乗車券に移行の基本方針があるので以後作成されていません。この頃から社内印刷は激減し、民間の外注印刷に移行されています。
乗車券見本帳は現場長単位で配布されたようですが、さすがに乗車券に縁のない職場では「啓蒙のため活用」の意義は薄く受け取った現場長の個人保管や愛好者に譲ったなどでOB等からの流出がかなりあります。
見本帳の中には、「こんなに売れるはずのない券」が多数収蔵されており、前出の東京駅の地図式硬券や、写真のA個室寝台特急券で列車名、区間、発車時刻まで印刷された、いわゆる完全常備券など、現存したとすればマニア垂涎の品もあります。(見本券はそんなに価値はありません。もしこの券が正規に発券されたものならヤフオクで数万円超の値が付くでしょう。)
硬券は1か月におおむね100枚以上売れる見込みのあるものを印刷するのですが、見本帳は規程上代表的な品を収蔵するのであったわけです。
写真下の準常備特急券は、当時MARSの入っていなかった中小駅で多数発売されており目にする機会も多くありました。
都内では板橋駅が硬券の常備特急券が多種常備されていたので有名でしたが、さすがにA個室寝台券までは置いてありませんでした。
地図式硬券の話から脱線しましたが、元に戻します。 -
漠然と切符に書かれた金額だけ見ていても、時期が違うとどれだけ長距離なのかわからなくなります。
参考用に51キロ以上の地図式対象キロの金額と改訂日を書いておきますね。
地図式乗車券の整理を行う上で、年代とキロ程ランクがわからないと頭が混乱してきます。50キロ以上160キロまで、地図式の対象となった金額を一覧にまとめました。
中距離地図式の全盛期にはほぼ毎年運賃改訂があったので金額をぱっと見でランクがわかりづらくなっています。
お手持ちの切符の世代判定用に活用下さい。この表はネットで調べてもなかなか出て来ないので便利かと思います。
*スマホだと改行で表が崩れます。パソコンでご覧ください。
---------年代別国鉄JR対キロ運賃表推移-------凡例 ~60は51から60キロ
距離ランク 初乗 A B C D E F G H
キロ程→ ~60 ~70 ~80 ~90 ~100 ~120 ~140 ~160
↓運賃改訂日
s44-5-10 30 240 280 320 360 400 460 550 630
s49-10-1 30 290 340 390 440 490 570 670 770
s51-11-6 60 440 520 600 680 760 900 1000 1200
s53-7-8 80 520 610 710 800 890 1000 1200 1400
s54-5-20 100 590 700 810 910 1020 1200 1400 1600
以降下車前途無効の範囲が100キロ以下に変わります。
s55-4-20 100 630 740 860 970 1080 1200 1500 1700
s56-4-20 110 690 810 930 1060 1180 1400 1600 1900
s57-4-20 120 730 870 1000 1130 1260 1500 1700 2000
s59-5-20 120 800 950 1090 1240 1380 1600 1900 2200
s60-4-20 140 850 1000 1150 1310 1460 1700 2000 2300
*120
s61-9-1 140 900 1060 1220 1380 1540 1800 2100 2400
(62-4JR化)*120
H1-4-1 140 930 1090 1260 1420 1590 1850 2160 2470
税3% *120
H9-4-1 140 950 1110 1280 1450 1620 1890 2210 2520
税5% *130
H26-4-1 150 970 1140 1320 1490 1660 1940 2270 2590
税8% *140
R1-10-1 150 990 1170 1340 1520 1690 1980 2310 2640
税10%(現行)
距離ランク 初乗 A B C D E F G H
次回R5-3に運賃改定予定 時差料金導入
金額は無印:幹線運賃、*印:電車特定区間
50キロまでの運賃推移はこちらに記載がありました。
http://geo.d51498.com/train_ticket_collection/fares.html -
ではここからは、東京から見て遠いところにある地図式券を右回りにいくつかご紹介しましょう。
まず、横須賀線の終点、久里浜駅です。
この駅は早い時期に100キロ券売機が入ったため、硬券の発売実績はほとんどありません。 -
次は東海道線の湯河原駅です。
これより先の熱海、伊東方面には地図式はありませんでした。
函南から西は静岡局なので昭和50年頃までは地図式を売っていました、 -
中央線の大月駅です。
どちらかと言うと「なんじゃコリャ」的な書き方ですね。
写真の券は昭和58年の描画ルール変更後のもので、「細線で運賃計算経路のみ表示」になっています。
しかしこの表示法の欠点は、近回りになるローカル線は書いてあるけど通常乗るであろう少し遠回りでも早くて本数の多い幹線が書かれていないことです。
この例で大月から港南台に行く人は、わざわざ橋本で乗り換え、相模線茅ヶ崎回りでなく、横浜線で東神奈川、京浜東北根岸線で行くでしょう。乗換回数も少ないし早いはずです。 -
五日市線の終点、武蔵五日市駅です。
これは上記の描画ルール変更前のもので、「有効な経路を細線で表示」になっていて列車区間の駅がまだ描かれていません。なお実際の乗車時はどのルートで乗ってもかまわないので、選択肢がいくつかあることがすぐ分かるメリットがありました。 -
青梅線の最遠端、奥多摩駅です。
これも改版前の様式なので、有効な経路が全部書かれていてわかりやすいです。
列車区間の猿橋、竹沢も書かれています。 -
八高線の寄居駅です。
この書き方だと北鴻巣と桶川の間にある北本、鴻巣は1220円よりも高くなるので
この切符だと乗り越しになることがすぐわかります。
ループになった線形での最遠端の書き方が、微妙に違うのが地図式の妙味です。 -
吾妻線の長野原駅です。
この駅では地図式の最高額、91キロから100キロの券です。近郊区間の駅ではないので、これより高額の地図式はありません。 -
信越線の中軽井沢駅です。
今ではしなの鉄道の駅です。 -
新幹線しか止まらない、上越新幹線の上毛高原駅にも地図式を売っていました。
びゅーんと一直線の中には、浦佐、越後湯沢、高崎、熊谷の新幹線4駅が含まれています。 -
上越線の水上駅です。
支社境界にあるので、どちらから来る電車もすべて水上止まりです。
新潟支社となる上越線の湯檜曽から北には地図式はありませんでした。 -
両毛線の富田駅です。
長い間あしかがフラワーパークの最寄り駅でした。 -
東北線の野崎駅です。
大田原市にある唯一の駅です。 -
水戸線の笠間駅です。
このあたり栗の名産地です。
東北線と常磐線の間にあることを強調する図柄です。 -
常磐線の東海駅です。
日本原電の東海原子力発電所があります。
常磐線の水戸から先の駅では地図式は非常に少ないです。
東海、佐和と、5枚下の亘理の3駅だけでした。 -
鹿島線の終点、鹿島神宮駅です。
この先の北鹿島駅(現鹿島サッカースタジアム駅)はサッカー試合の無い日は全列車通過なので通常、乗車券は売っていません。 -
総武本線の終点、銚子駅です。
濡れせんべい買ってあげて下さい。銚子駅 駅
-
東京から最遠端駅の最後は、久留里線の終点、上総亀山駅です。
東京近郊では最後まで非電化、腕木式信号機の残った線として有名ですが、平成2年にななっても地図式硬券を売っていたとは驚きです。
京葉線開業後で海浜幕張が追加されています。 -
枝線末端駅の地図式券です。
足尾、茂木はすでに3セクになっています。 -
ここまで東京から離れた遠方の駅で売っていた51キロ以上の地図式券をご紹介しましたが、このほか中央線・小淵沢駅、吾妻線・長野原駅、信越線・信濃追分駅、東北線・黒磯駅、常磐線・亘理駅、足尾駅、日光駅、茂木駅などにも発売されていたようです。(出典=交通趣味 昭和59年2月号「さいはての地図式硬券」による)
上記6枚の券は私の手持ちではなく、むさしの線クラブ紙屑部会の定例会で配布されたPPCコピーからです。昭和58年の機械なので解像度が悪く、着駅名の文字がつぶれていますが貴重な券なので紹介させていただきました。当時はまだトナーの粒子が荒かったのでしょうか。 -
余談です。
(ム)と書かれた乗車券をよく目にしますが、一体どういう意味でしょうか。
「無人駅だよ」という人もいますが、無人駅だったら切符を売っているはずがないですよね。
正解は「乗車券の発売範囲に制約のある駅で売った切符」という意味です。
新秋津、南越谷、新八柱など合理化モデル線区の武蔵野線の中間駅も開業から20年間はこの扱いでしたね【写真中】。東船橋駅も開業から12年間は同じでした。
平成4年から5年にかけてみどりの窓口が武蔵野線中間駅に開設され、やっと(ム)表示駅ではなくなりました。
規程上もそういう表示をしろというだけで、だからどうするという記載がありません。
実際は事務連絡で地域ごとに取り決めがあり、基本的に「無札扱いに準じて行う」ということです。
ということは(ム)は「無人のム」ではなく「無札のム」ということになりますね。
(ム)の乗車券を売っているところは、簡易委託駅や出札機械の設置が無いところです。
近距離きっぷだけは売っているけど、長距離きっぷ、障害者の割引きっぷや定期券、企画乗車券、指定券は売っていません。この券を持って大きな駅に行き〇〇を買いたいと申し出ると、その乗車券の金額を差し引いた額で売ってくれます。
(乗車駅で買ったのと結果同じになるようにします)
乗り越しした場合も、打ち切り計算でなく、差額(発駅計算)で精算をし不利益にならない扱いをします。学割、障害者割引なども着駅精算です。
定期券を買う場合、一番近くの指定された発売駅でないとダメという所もあります。
江見から千葉まで定期を買いに行き、ついでに映画見て買い物して1日遊んでくるなんてそりゃダメでしょ?
(定期券購入は合理化の代償で帰路の乗車票ももらえる)
【写真中】中山競馬場内の臨時窓口で売った硬券 平成1年12月から券売機導入
【写真下】総武線の請願設置駅では100キロまで券売機のみ。写真はサーマル式
幕張本郷も同じだった。江見駅 駅
-
乗り越しの話が出たので、例題です。このきっぷを使って、
1.東海道線下り方面、表示の吉原から5駅先の「由比」まで、
2.東海道線上り方面、表示の新子安から5駅先の「品川」まで
の2つの乗り越しを例にあげます。
「1」では、「由比」は大都市近郊区間の駅ではなく、51キロ以上離れているので乗車変更は「打切り計算」となります。
「2」では「小田原」「品川」とも大都市近郊区間の駅なので、乗車変更は「発駅計算」となります。
「1」では券面表示の吉原~由比間の運賃、290円をを別途収受。
「2」では小田原~品川間の運賃、1000円から850円を差し引いた差額150円を収受
ほぼ同距離の乗り越しでも計算ルールにより大差が出るという例です。
もしこの切符(乗り越し原券)に(ム)の表示があったのならば、前者でも打切り計算にならず、差額で計算されます、 -
宮山駅の地図式硬券
これは相模の國鎮守・寒川神社の最寄り駅で初詣時に臨時発売された券です。
当時同駅は無人駅で、正月の初詣期間のみ機動要員センターの職員が来て毎年1/1から1/4の4日間のみ乗車券を発売していました。
地図式は730、870、1000の3種しかありませんでした。
これ以遠の乗車券は売っていないので、(ム)の表示があります。
(ム)の説明は2つ上に。
同駅は平成3年、相模線電化のとき有人駅となり、平成30年に再び無人駅となっています。 -
これは東北線の土呂駅開業初日の切符のPPCコピーです。
ここは開業当初は券売機しかありませんでした。
現物は3年目くらいで印字が消えてしまい、今ではまったく読めません。
そうなることは予想していたので買ってすぐコピーを取っておいたので、今こうしてお目にかけることが出来ます。当時昭和末期の感熱紙の品質は最悪でした。
(消える理由は前編をご覧ください)
国鉄の末期に新規開業した駅はまったくコストをかけずに設置し
100キロ券売機が2台あっただけでした。あとは記念券タイプの記念入場券を発売しただけ、開業初日にしては味気ないものです。記念記録になるようなものは殆どありません。
高輪ゲートウェイ駅開業のお祭り騒ぎとはエライ違いでしたね。
右下に地味に(ム)が印字してある通り、長距離切符や定期券はよそで買って下さいというスタンスです。(初期の武蔵野線中間駅と同じ)
現在は指定券券売機と多機能券売機が設置されたので(ム)の印字はありません。
この頃は全国の券売機に殆ど漏れなく地図式がありましたが、ブログやSNSで写真はほとんど見ませんね。消えることを知らずに買って放置した結果載せられなくなってしまったためでしょう。
今ならスキャナーで手軽にカラーで記録保存出来るのに残念です。
(フォトショップなどのeditorで画像加工すれば地紋をカラーに加工出来ますが、そこまではしません) -
昭和61年9月1日、分割民営化も半年後に迫った国鉄最後の運賃改定で51キロから100キロの券が金額式に変わりました。券売機の乗車券も全部金額式になり、まだ100キロ券売機の導入されていない直営駅の硬券も金額式となりました。【写真】
歴史ある地図式、矢印式、相互式の乗車券が国鉄から駆逐された瞬間です。
これは驚きというよりある意味ショックでしたね。
北府中駅はこの翌日10月1日から100キロ券売機が導入されているので硬券最後の日です。1か月間のみの高額金額式硬券でした。
これ以降はごく一部の委託駅のみ硬券は細々と残ったのですが、平成2年春、POSの導入されていない駅は無人化されて、JR東日本管内から地図式硬券がなくなりました。 -
イチオシ
【おまけ】
現在唯一残る、東武の地図式券売機券の変遷です。
金額は違いますが、すべて同一区間です。よく見比べてみて下さいね。
*印字内容の違いではなく、描画やフォント、サーマルヘッドの解像度に注目してみて下さい。1枚目は元号表示、2枚目以下は西暦表示
最下段は最新型の機械です。小さな文字もつぶれていません。
--------------------------------
【編集後記】
2020年書き始めたときには、地図式の硬券に限定するつもりでしたがだんだんと話が拡張し、軟券や企画券、そして券売機にまで手を広げてしまいました。
読み返して見ると、私鉄では東武の紹介が異様に多くなる結果でしたが、同社は時折記念乗車券を地図式硬券で発売するなど、大手私鉄の中では地図式券にご執心な鉄道会社といえると思います。
長文を最後までご覧いただき、ありがとうございました。
だんだん話が発散してきて収拾がつかなくなるため、この辺でおしまいにします。
255枚の地図式乗車券をお目にかけましたが、如何でした?
これまでウンチクにお付き合いくださった方、ホントにお疲れ様でした。
ご意見、ご感想をコメント欄で賜りたく存じます。
<<参考文献>>
乗車券研究 第3号~第7号(昭和57年~昭和61年)東京チケットクラブ
地図式乗車券のすべて 昭和59年10月 日本交通趣味協会
国鉄乗車券類大事典 平成16年 近藤 喜代太郎
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