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高野山滞在二日目の午後は小さな嵐を車の中でやり過ごし、雨が小降りになったところで壇上伽藍の諸堂を拝観。<br /><br />途中、霧がかかってかなり幻想的な景色でした。<br /><br />

春の紀州 西国札所巡りと高野山 ひとり旅【5】高野山 大師教会で授戒、霧の壇上伽藍

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2021/05/26 - 2021/05/29

1005位(同エリア1091件中)

三峯霧美

三峯霧美さん

高野山滞在二日目の午後は小さな嵐を車の中でやり過ごし、雨が小降りになったところで壇上伽藍の諸堂を拝観。

途中、霧がかかってかなり幻想的な景色でした。

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  • 12:43 高野山 大師教会へ授戒を受けに行きます。<br />開始時間の10分前までに受付に行かねば。<br />

    12:43 高野山 大師教会へ授戒を受けに行きます。
    開始時間の10分前までに受付に行かねば。

  • 12:45 大師教会 授戒の受付は建物の中<br />一日6回行われ、お昼休みを挟んで一時間ごと。<br />

    12:45 大師教会 授戒の受付は建物の中
    一日6回行われ、お昼休みを挟んで一時間ごと。

  • 待合に行くと、他に誰もいません。<br />モニターでは授戒の動画が流れています。<br /><br />授戒は菩薩十善戒をさずかります。仏教らしい優しさと思いやりに満ちた「戒」です。

    待合に行くと、他に誰もいません。
    モニターでは授戒の動画が流れています。

    授戒は菩薩十善戒をさずかります。仏教らしい優しさと思いやりに満ちた「戒」です。

  • お坊さんがやって来て授戒堂に案内してくれました。<br />この建物は大講堂でこの外側を通過して奥に向かいます<br /><br />通常は一回の定員が200人、このコロナ騒ぎで 定員が30人に減っています。<br />この回は私一人でした。

    お坊さんがやって来て授戒堂に案内してくれました。
    この建物は大講堂でこの外側を通過して奥に向かいます

    通常は一回の定員が200人、このコロナ騒ぎで 定員が30人に減っています。
    この回は私一人でした。

  • あの奥に見えるのが授戒堂です。<br />中には椅子が間隔をあけて設置されていて、一つに座って待つと、別のお坊さんがやって来て、扉を閉め照明を落とし、授戒が始まります。<br />びっくりのマンツーマン授戒です。<br /><br />お坊さんのおっしゃることは、頭では分かっていることですが、ときどき実践できないこともあります。心せねばと思うのです。

    あの奥に見えるのが授戒堂です。
    中には椅子が間隔をあけて設置されていて、一つに座って待つと、別のお坊さんがやって来て、扉を閉め照明を落とし、授戒が始まります。
    びっくりのマンツーマン授戒です。

    お坊さんのおっしゃることは、頭では分かっていることですが、ときどき実践できないこともあります。心せねばと思うのです。

  • 授戒の終了後こちらを頂けます<br />中には菩薩十善戒が記されています。

    授戒の終了後こちらを頂けます
    中には菩薩十善戒が記されています。

  • 大師教会の御朱印を頂きました<br />遍照尊

    大師教会の御朱印を頂きました
    遍照尊

  • 大師教会の正面はこっち。<br />隣の常喜院の赤地蔵尊はコロナの影響で閉まっていました。

    大師教会の正面はこっち。
    隣の常喜院の赤地蔵尊はコロナの影響で閉まっていました。

    高野山大師教会 寺・神社・教会

  • 大師教会の建物の前には庭と池があります。

    大師教会の建物の前には庭と池があります。

  • 13:33 池の中には融通辯財天 お参りして、駐車場に戻りました。<br /><br />角濱ごまとうふ総本舗で、お豆腐づくしのランチをしようと、車を近くの駐車場に移動して、店に行くと臨時閉店の張り紙。<br />コロナ下の悪天候じゃ仕方がないかな。ランチ、楽しみにしていたんだけどなぁ。

    13:33 池の中には融通辯財天 お参りして、駐車場に戻りました。

    角濱ごまとうふ総本舗で、お豆腐づくしのランチをしようと、車を近くの駐車場に移動して、店に行くと臨時閉店の張り紙。
    コロナ下の悪天候じゃ仕方がないかな。ランチ、楽しみにしていたんだけどなぁ。

  • 車を壇上伽藍前の駐車場に移して、歩いてファミマでサンドイッチとおにぎりとお茶を購入。<br />車に戻ったとたん、たたきつけるような雨と強風が吹き、低気圧通過の嵐で外に出られません。<br />フロントガラスを滝のように流れる雨と、風に揺れる木々を眺めながら車中ランチ。

    車を壇上伽藍前の駐車場に移して、歩いてファミマでサンドイッチとおにぎりとお茶を購入。
    車に戻ったとたん、たたきつけるような雨と強風が吹き、低気圧通過の嵐で外に出られません。
    フロントガラスを滝のように流れる雨と、風に揺れる木々を眺めながら車中ランチ。

  • 14:20 嵐は意外と早く通過して、風雨が弱くなりました。<br />壇上伽藍を見て行きましょう。<br />昨夜のライトアップとは、雰囲気が違います。

    14:20 嵐は意外と早く通過して、風雨が弱くなりました。
    壇上伽藍を見て行きましょう。
    昨夜のライトアップとは、雰囲気が違います。

    壇上伽藍 寺・神社・教会

  • 中門は172年ぶりに2015年に再建されました。<br />前の中門の礎石が見えます。

    中門は172年ぶりに2015年に再建されました。
    前の中門の礎石が見えます。

  • 金堂 高野山の総本堂にあたります。<br />昭和元年に本尊もろとも焼失し再建された7代目のお堂で、鉄筋コンクリート製。<br />中に入ってお参りしました。<br />

    金堂 高野山の総本堂にあたります。
    昭和元年に本尊もろとも焼失し再建された7代目のお堂で、鉄筋コンクリート製。
    中に入ってお参りしました。

  • 本尊の薬師如来(阿閦如来という説も)は昭和に造られた高村光雲の作ですが、伝統にのっとり秘仏です。

    本尊の薬師如来(阿閦如来という説も)は昭和に造られた高村光雲の作ですが、伝統にのっとり秘仏です。

  • 金堂の御朱印<br />薬師如来

    金堂の御朱印
    薬師如来

  • 六角経蔵 1934年の再建<br />保存されていた一切経は霊宝館に移されて、写しが納められています。<br />久しぶりに自分で回せる経蔵です。<br />ぐるぐる一周しました。

    六角経蔵 1934年の再建
    保存されていた一切経は霊宝館に移されて、写しが納められています。
    久しぶりに自分で回せる経蔵です。
    ぐるぐる一周しました。

  • 奥には高野山の鎮守 御社(みやしろ)があります。<br />弘法大師が山麓の丹生都比売神社から勧請しました。<br /><br />5月の山王院竪精は密教に関する問答が行われます。<br />その昔、高野山が荒廃したころ、修行を怠ける僧にあきれ、明神が神世へ帰ると言い出しました。

    奥には高野山の鎮守 御社(みやしろ)があります。
    弘法大師が山麓の丹生都比売神社から勧請しました。

    5月の山王院竪精は密教に関する問答が行われます。
    その昔、高野山が荒廃したころ、修行を怠ける僧にあきれ、明神が神世へ帰ると言い出しました。

  • 慌てた僧たちは明神の前で密教問答を繰り広げると、明神は帰らずに高野山を見守り、この儀式の際には必ず雨を降らし、問答を聞いていることを示そうと言ったそうです。<br /><br />今も、この山王院で儀式が行われます。

    慌てた僧たちは明神の前で密教問答を繰り広げると、明神は帰らずに高野山を見守り、この儀式の際には必ず雨を降らし、問答を聞いていることを示そうと言ったそうです。

    今も、この山王院で儀式が行われます。

  • 御社の本殿はこの奥<br />社殿は三つあり、丹生明神、高野明神、十二王子などが祀られています。<br /><br />夏季祈りでは、先ほどお参りした南院の波切不動を年に一度山王院に祀り、天下泰平、五穀豊穣をいのります。昔は年に四回の季節が変わるごとに行われていました。

    御社の本殿はこの奥
    社殿は三つあり、丹生明神、高野明神、十二王子などが祀られています。

    夏季祈りでは、先ほどお参りした南院の波切不動を年に一度山王院に祀り、天下泰平、五穀豊穣をいのります。昔は年に四回の季節が変わるごとに行われていました。

  • 鐘楼 金剛峯寺の前身の青巌寺の鐘楼で、1864年に再建されたもの。<br /><br />青巌寺は豊臣秀吉が実母の大政所の菩提を弔うために建立しました。明治に入って同じ秀吉建立の興山寺と合併して現在の金剛峯寺になりました。<br /><br />嵐の後なので、とても静か。<br />

    鐘楼 金剛峯寺の前身の青巌寺の鐘楼で、1864年に再建されたもの。

    青巌寺は豊臣秀吉が実母の大政所の菩提を弔うために建立しました。明治に入って同じ秀吉建立の興山寺と合併して現在の金剛峯寺になりました。

    嵐の後なので、とても静か。

  • 西塔 弘法大師の伽藍計画では、根本大塔と二基一対として建立される予定でしたが、建設が遅れ、886年に完成しました。現在五代目<br /><br />本尊の金剛大日如来は建立当時のもので高野山最古の仏像、霊宝館で拝観してきました。周囲の柱には堂本印象の十六大菩薩が描かれてるそうです。

    西塔 弘法大師の伽藍計画では、根本大塔と二基一対として建立される予定でしたが、建設が遅れ、886年に完成しました。現在五代目

    本尊の金剛大日如来は建立当時のもので高野山最古の仏像、霊宝館で拝観してきました。周囲の柱には堂本印象の十六大菩薩が描かれてるそうです。

  • 孔雀堂 後鳥羽法王の御願により、東寺の延杲(えんごう)が京都の神泉苑で雨乞いを行い、雨を降らせた功績によって建立されました。<br /><br />本尊は快慶作の孔雀明王像で、こちらも霊宝館で見て来ました。すごく綺麗でした。<br />お堂は昭和元年の大火で類焼しましたが、1983年に再建されました。

    孔雀堂 後鳥羽法王の御願により、東寺の延杲(えんごう)が京都の神泉苑で雨乞いを行い、雨を降らせた功績によって建立されました。

    本尊は快慶作の孔雀明王像で、こちらも霊宝館で見て来ました。すごく綺麗でした。
    お堂は昭和元年の大火で類焼しましたが、1983年に再建されました。

  • 准胝堂<br />弘法大師自らが得度の儀式を行う際の本尊として造った准胝観音が本尊。<br />お堂は何度も焼失再建を繰り返し、これは1883年の再建<br />

    准胝堂
    弘法大師自らが得度の儀式を行う際の本尊として造った准胝観音が本尊。
    お堂は何度も焼失再建を繰り返し、これは1883年の再建

  • 三鈷の松<br />弘法大師が投げた三鈷杵が引っ掛かっていたという松<br />高野山を開くきっかけになったという、有名な逸話のひとつ。

    三鈷の松
    弘法大師が投げた三鈷杵が引っ掛かっていたという松
    高野山を開くきっかけになったという、有名な逸話のひとつ。

  • この松は植え替えられたものだそうですよ。<br />普通の松葉は葉が二本ですが、ここの松は三本だそうで、お守りとして持っているひともいるんだとか。<br />さっきの強風で落ちたかもしれないけど、探す元気がない。

    この松は植え替えられたものだそうですよ。
    普通の松葉は葉が二本ですが、ここの松は三本だそうで、お守りとして持っているひともいるんだとか。
    さっきの強風で落ちたかもしれないけど、探す元気がない。

  • 御影堂 弘法大師の持仏堂として建立されました。<br />弘法大師御影を本尊、周囲に十大弟子の肖像が掛けられているそうです。<br /><br />以前はえらいお坊さんしか入れなかったそうですが、旧暦の3月20日の御逮夜法会の後に参拝ができるようになりました。

    御影堂 弘法大師の持仏堂として建立されました。
    弘法大師御影を本尊、周囲に十大弟子の肖像が掛けられているそうです。

    以前はえらいお坊さんしか入れなかったそうですが、旧暦の3月20日の御逮夜法会の後に参拝ができるようになりました。

  • 雨はなかなかやみません、鳥の鳴き声もなく静かです。<br />時々風の音が聞こえます。

    雨はなかなかやみません、鳥の鳴き声もなく静かです。
    時々風の音が聞こえます。

  • 根本大塔 中に入ってお参りができます。<br />1937年に建立された鉄筋コンクリート製、初代は日本最初の多宝塔だったそうです。<br />本尊は胎蔵大日如来、周囲を金剛界の4如来が取り囲み、西塔と相対し、金剛界と胎蔵界は不二一体という教えを立体曼陀羅で表しています。

    根本大塔 中に入ってお参りができます。
    1937年に建立された鉄筋コンクリート製、初代は日本最初の多宝塔だったそうです。
    本尊は胎蔵大日如来、周囲を金剛界の4如来が取り囲み、西塔と相対し、金剛界と胎蔵界は不二一体という教えを立体曼陀羅で表しています。

  • 根本大塔の御朱印<br />大日如来

    根本大塔の御朱印
    大日如来

  • 昨夜ライトアップしていた大塔の鐘<br />今でも一日5回、時刻を知らせます。<br />一日に全部で108回撞くんだそうですよ。

    昨夜ライトアップしていた大塔の鐘
    今でも一日5回、時刻を知らせます。
    一日に全部で108回撞くんだそうですよ。

  • 霧が出てきました。<br />お堂はぼんやりとしか見えない。

    霧が出てきました。
    お堂はぼんやりとしか見えない。

  • 愛染堂 1848年再建<br />後醍醐天皇の勅願により四海静平・玉体安穏を祈るために建立。<br />本尊の愛染明王は後醍醐天皇の姿だと伝わります。

    愛染堂 1848年再建
    後醍醐天皇の勅願により四海静平・玉体安穏を祈るために建立。
    本尊の愛染明王は後醍醐天皇の姿だと伝わります。

  • 不動堂 鎌倉後期に再建されたと推定される国宝です。<br />運慶作の八大童子像と本尊の不動明王が祀られていたので不動堂と呼ばれていますが、護摩を焚いた形跡がなく、住坊として使われたことも無いようなので、何の目的のお堂だったの解っていません。<br />1908年に一心院谷から現在地に移築されました。

    不動堂 鎌倉後期に再建されたと推定される国宝です。
    運慶作の八大童子像と本尊の不動明王が祀られていたので不動堂と呼ばれていますが、護摩を焚いた形跡がなく、住坊として使われたことも無いようなので、何の目的のお堂だったの解っていません。
    1908年に一心院谷から現在地に移築されました。

  • 静かです。誰もいなくなってしまった・・・。

    静かです。誰もいなくなってしまった・・・。

  • 大会堂 鳥羽法皇の皇女 五辻斎院親王が、父帝の追福のために建立されました。<br />長日不断談義の学堂として現在地に移されて蓮華乗院と称していました。<br />現在のお堂は1848年に再建されました。<br /><br />この長日不断談義は衰退し、いまは法会執行の集会所的な使われ方をしているそうです。<br />

    大会堂 鳥羽法皇の皇女 五辻斎院親王が、父帝の追福のために建立されました。
    長日不断談義の学堂として現在地に移されて蓮華乗院と称していました。
    現在のお堂は1848年に再建されました。

    この長日不断談義は衰退し、いまは法会執行の集会所的な使われ方をしているそうです。

  • 三昧堂 元は総持院にあったお堂で、野趣三昧という儀式が行われていました。<br />ここに移動してきたのは西行法師がかかわっていて、手前の桜は西行桜と呼ばれます。

    三昧堂 元は総持院にあったお堂で、野趣三昧という儀式が行われていました。
    ここに移動してきたのは西行法師がかかわっていて、手前の桜は西行桜と呼ばれます。

  • 東塔 醍醐三宝院の勝覚権僧正によって創建され、1843年に焼失。<br />1984年に再建されました。<br />

    東塔 醍醐三宝院の勝覚権僧正によって創建され、1843年に焼失。
    1984年に再建されました。

  • 大きな手水舎 たくさんの人が一度に清められるように作られているんですよね。<br />

    大きな手水舎 たくさんの人が一度に清められるように作られているんですよね。

  • 蛇腹路 <br />順路的には金剛峯寺からこの道を通ってお参りに来るのかな。<br />紅葉の季節は綺麗だそうですよ。<br />ここで引き返します。<br />

    蛇腹路 
    順路的には金剛峯寺からこの道を通ってお参りに来るのかな。
    紅葉の季節は綺麗だそうですよ。
    ここで引き返します。

  • 霧が深くなってきて、ちょっと離れただけで、大塔が見えなくなってきました。

    霧が深くなってきて、ちょっと離れただけで、大塔が見えなくなってきました。

  • 15:21 風が強く吹くと根本大塔に吊り下げられた金属の飾りが立てる音が響きます。<br /><br />車に戻って今夜の宿に向かいましょう。

    15:21 風が強く吹くと根本大塔に吊り下げられた金属の飾りが立てる音が響きます。

    車に戻って今夜の宿に向かいましょう。

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