2024/01/30 - 2024/01/30
600位(同エリア1091件中)
naoさん
紀ノ川右岸に位置する和歌山県橋本市は、激しさを増す紀州攻めさなかの天正13年(1585年)、高野山に対して降伏を求める豊臣秀吉のもとへ、高野山使僧として和議を結ぶために派遣され、以て高野山中興の僧となった木喰応其(もくじきおうご)によって開かれた町で、高野山参詣のため紀ノ川に架けられた長さ約320mもの橋に由来して『橋本』と呼ばれました。
町の建設にあたり、豊臣秀吉から都市基盤整備の助成策として、大和や紀ノ川流域の村々へ搬出される塩は必ず橋本の塩市で取引することを義務付ける独占的特権が与えられました。
このように、豊臣秀吉から与えられた塩取引の独占的特権もあって、橋本は紀ノ川周辺地域の物資が集散する船継場として繁栄し、この地方の政治・経済の中心地へと発展するとともに、和歌山城下と大和や伊勢を結ぶ大和街道(伊勢街道)と、京・大坂各方面から高野山を目指した高野街道が交差する、高野山参詣の宿場町としても多くの参詣客で賑わいました。
京・大坂各方面からの高野山参詣道としては「東高野街道」、「中高野街道」、「下高野街道」、「西高野街道」があげられますが、これらの道は河内長野で一本に合流して橋本へ至ったことから「高野街道」と総称されました。
橋本川の河口付近で紀ノ川を渡った高野街道は、対岸の清水から学文路を経て高野山へ向かう「京大坂道(不動坂)」と呼ばれる参詣道に接続しますが、「高野七口」と呼ばれる高野山参詣の七つの道の中でも、このルートが最も多くの参詣客で賑わったといわれています。
現在の橋本は、大和街道沿いを中心に古い商家が点在する町並みが残っていて、切妻屋根の平入り中2階建てに、虫籠窓や煙出しの越屋根を備え町家などを見ることができます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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橋本市役所の駐車場に車を停めさせてもらって、大和街道筋をメインに橋本の町歩きを始めます。
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大和街道の南側にある祠と「大師の井戸」の石柱。
「大師の井戸」にはトタン板などを重ねた蓋がされています。 -
瓜型の虫籠窓のある町家です。
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道路から見上げるとそびえるように見える土蔵。
防火窓庇の持ち送りには漆喰の鏝絵が施されています。 -
橋本の町並みです。
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橋本市の汚水桝の蓋。
紀ノ川に浮かぶ舟をモチーフとした市章を中心に、下部に紀ノ川の清流と鮎、上部に茂る樹木と果物が実る緑の山が表現されています。 -
厨子2階建ての町家です。
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橋本の町並みです。
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防火用の袖壁や格子窓のある・・・
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よく似た町家が隣り合っています。
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野面積の石垣の上に土塀をめぐらせた町家です。
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土塀をめぐらせた町家は、立派な長屋門を構えておられます。
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長屋門の奥の主屋の屋根に、煙出しの越屋根が見えます。
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こちらの町家は、厨子2階の虫籠窓には、修繕のための板が張られています。
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大きな瓜型の虫籠窓のあるお米屋さん。
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土蔵造りの町家です。
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大きな虫籠窓のあるこちらの町家は、煙出しの越屋根も白漆喰で塗籠めておられます。
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小さな虫籠窓のある、厨子2階建ての町家です。
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こちらの町家は、1階出入口や2階の窓が微妙にデザインが違うので、長屋かも知れません。
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名栗加工の外格子をめぐらせた町家です。
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虫籠窓のデザインに変化を持たせた町家です。
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厨子2階建ての町家です。
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酒屋さんの建物の一角が、良い雰囲気を醸し出しています。
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だらだら坂の、良い雰囲気の脇道があったのでちょっと歩いてみます。
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坂道を下った先には、緩やかな曲線を描く町並みが延びています。
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では、大和街道へ戻ります。
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坂道を下っている時には全く気づきませんでしたが、木製のガラス戸の入った町家がありました。
大和街道へ戻るのに方向転換したからこそ見られたんですね。 -
さて、大和街道と高野街道の合流点にやって来ました。
ここからは、高野街道を少し南へ歩きます。 -
これは合流点の南に立つ道標で、地元では『東家四辻道標石』と呼ばれています。
道標には、「北(右) わか山 こかわ (左) い勢 なら はせ よしの 追分」、「西(右) かうや道 (左) 京大坂道」、「東 京大阪道」と刻まれています。 -
こちらの町家は、左端を除いて空き家のようです。
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『東家四辻道標石』の辺りまで戻って来ました。
今度は大和街道を越えて、北側の高野街道を歩きます。 -
見越しの松が植えられた町家です。
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こちらの防火用の袖壁のある町家は、元々の虫籠窓をアルミサッシに改装されています。
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良いデザインの格子窓が印象的な町家です。
では、このあたりで大和街道へ戻ります。 -
ここから再び大和街道を歩きます。
ここから少し先の、橋本川に架かる松ヶ枝橋を渡ったところに一里塚があるようです。 -
この大和街道一里塚は、紀州藩の主要街道の基点となっていた、かつての和歌山城外濠に架かる京橋から十一里の地点に設けられたものだそうです。
一里塚周辺一帯は、関連する施設を含めきれいに整備されています。 -
外壁に灰漆喰を塗った町家です。
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玄関横にはばったり床几がしつらえてあります。
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ムクリの付いた大屋根が、機能的な美しさを演出しています。
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瓜型の虫籠窓がある厨子2階建ての町家と、縦長窓のついた洋館が一体となった建物です。
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厨子2階建て部分には医院の看板が掲げられています。
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とはいうものの、実際に医院として使われているのは洋館の方だそうです。
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大和街道も、この辺りは見違えるように整備されています。
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塀にのぞき窓を開けた町家です。
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こちらは旧橋本本陣の池永家住宅です。
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現在の屋根は本瓦葺になっていますが、宝暦2年(1752年)に当初の茅葺屋根から葺き替えられたことが知られています。
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主屋と土蔵に挟まれた表門は、本陣である奥座敷への通路になっています。
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大和街道を少し入った、坂道の途中にあるうどん屋さん。
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店先には、ドジャースの大谷翔平選手もビックリのメニューが書かれています。
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こちらは愛宕神社です。
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とりあえず愛宕神社はいいとして、こちらの町家の方が気になります。
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何となく見過ごしてしまいそうですが、ちょっと悩ましい光景です。
電柱を巻き込むように石垣が積まれていますが、施工順序として、『卵が先かニワトリが先か』という点で悩まされます。 -
さて、大和街道沿いの古い町並みもこの辺りまでなので、ここからは大和街道以外の橋本の町並みを見ながら橋本市役所の駐車場へ戻ります。
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晒葺屋根の門のある町家です。
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4枚引違い戸が入れられた、間口の広い玄関のある町家です。
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2階の窓に手すりの付いた町家です。
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手づくり煎餅の看板を掲げたお店です。
年月を経てきたであろう木製看板は、字が読みにくくなるほど年季が入っています。 -
味のある2戸続きの長屋です。
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橋本市の表玄関である橋本駅へ来ました。
橋本駅には、JR和歌山線と南海電鉄高野線が乗り入れています。 -
こちらは、廃業して久しい元銭湯だった建物です。
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営業当時をしのばせる、「錦湯」の看板が残っています。
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立派な破風玄関のある銭湯は、地元の皆さんに親しまれていたんでしょうね。
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元銭湯のある町並みです。
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元銭湯の全景です。
奥の浴室部分には換気窓が見えます。 -
瓜型の虫籠窓や出格子のある伝統的な町家です。
出格子の足元には犬矢来も設けられています。 -
敷地の形状に合わせて、浅黄色の趣ある土塀が曲がりながら続いています。
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土塀越しに、たわわに実った夏ミカンが見えます。
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主屋の妻面には木製のガラス窓が開けられています。
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浅黄色の趣ある土塀は敷地全体にめぐらされています。
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こちらは延命地蔵尊です。
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この石灯籠は、豊臣秀吉から特権として与えられた塩市の仲間が寄進したものだそうです。
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軽快な板塀をめぐらせた町家です。
軽快な板塀と言っても、瓦が葺かれた重厚な造りです。
では、この辺りで橋本の町歩きを終わります。
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