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【恥ずかしながら:Uさん宅の住所録を忘れ、デュッセルドルフとロッテルダム間を車で2往復(800km)してしまった】<br /><br />ドイツのデュッセルドルフとオランダのロッテルダム間の距離は距離表によると177 kmである。<br />(出張で何度も往復したデュッセルドルフとフランクフルト間の距離もほぼ同じ183 kmを示している)<br /><br />Europortユーロポートはオランダのロッテルダム付近にある欧州共同市場の国際港として発展していた。<br />この為、各商社はロッテルダムに支店(現地法人ではなく)などを設けて対応していた。<br />当社のロッテルダム支店には、駐在員として派遣されていた2年後輩のUさんが家族と共に住んでいた。<br />ロッテルダムとデュッセルドルフ間はアウトバーンで走れば近いこともあって、何度か双方が行き来していた。<br /><br />写真は1976年5月29日~30日ロッテルダムのUさん訪問:ちょっと風も強く、寒かった海岸で、長女は仲良しになったUさん宅の愛犬タン子(矢印)と、元気に走り周っていた。

daruma外伝・恥ずかしながら:Uさん宅の住所録を忘れ、デュッセルドルフとロッテルダム間を車で2往復してしまった。

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1976/05/28 - 1976/05/30

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jijidaruma

jijidarumaさん

【恥ずかしながら:Uさん宅の住所録を忘れ、デュッセルドルフとロッテルダム間を車で2往復(800km)してしまった】

ドイツのデュッセルドルフとオランダのロッテルダム間の距離は距離表によると177 kmである。
(出張で何度も往復したデュッセルドルフとフランクフルト間の距離もほぼ同じ183 kmを示している)

Europortユーロポートはオランダのロッテルダム付近にある欧州共同市場の国際港として発展していた。
この為、各商社はロッテルダムに支店(現地法人ではなく)などを設けて対応していた。
当社のロッテルダム支店には、駐在員として派遣されていた2年後輩のUさんが家族と共に住んでいた。
ロッテルダムとデュッセルドルフ間はアウトバーンで走れば近いこともあって、何度か双方が行き来していた。

写真は1976年5月29日~30日ロッテルダムのUさん訪問:ちょっと風も強く、寒かった海岸で、長女は仲良しになったUさん宅の愛犬タン子(矢印)と、元気に走り周っていた。

旅行の満足度
5.0
同行者
家族旅行
旅行の手配内容
個別手配
  • 1976年5月28日(金)に勤務が終わってから自宅に寄り、20時に家族をピックアップして、アウトバーンに走り出した。もう暗くなった頃、ロッテルダムに22時に着いた。<br />・・・が、なんと私がUさん宅のアドレス・電話帳を自宅に置いてきたため、連絡できずに困ってしまった。<br /><br />公衆電話ボックスの電話帳で日本人の名前を探して見たが、1975年6月7日(日)に赴任したから、まだ掲載されていなかった。<br />駐在員数も少ないこの町で、その他の日本人の名前も見いだせなかったのだ。<br /><br />写真はオランダ全図(上部中央の白い矢印は大締切堤防)

    1976年5月28日(金)に勤務が終わってから自宅に寄り、20時に家族をピックアップして、アウトバーンに走り出した。もう暗くなった頃、ロッテルダムに22時に着いた。
    ・・・が、なんと私がUさん宅のアドレス・電話帳を自宅に置いてきたため、連絡できずに困ってしまった。

    公衆電話ボックスの電話帳で日本人の名前を探して見たが、1975年6月7日(日)に赴任したから、まだ掲載されていなかった。
    駐在員数も少ないこの町で、その他の日本人の名前も見いだせなかったのだ。

    写真はオランダ全図(上部中央の白い矢印は大締切堤防)

  • やむなく、23時にデュッセルドルフに向かい夜道を戻り、1時に自宅からUさんに電話して、心配して待っていた彼に事情を説明し「明日行くから!」と伝えた。<br /><br />バタバタと寝て、翌昼の12時に再びロッテルダムに向かい、14時20分無事にUさん夫妻と再会できた。<br />先輩家族(私が職場の先輩として、社内結婚した彼ら夫妻の結婚式の司会をした仲でした)を迎える準備でU夫人も大変だっただろうが、一日遅れの食事会も先輩のチョンボを肴にして楽しいものになった。<br /><br />だから、この時は往復400kmを二度繰り返し、800kmを走った計算になる。<br /><br />オランダは気分的には近いのだ。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真は1976年5月29日~30日ロッテルダムのUさん訪問:ちょっと風も強く、寒かった海岸で、長女は仲良しになったUさん宅の愛犬タン子(矢印)と、元気に走り周っていた。

    やむなく、23時にデュッセルドルフに向かい夜道を戻り、1時に自宅からUさんに電話して、心配して待っていた彼に事情を説明し「明日行くから!」と伝えた。

    バタバタと寝て、翌昼の12時に再びロッテルダムに向かい、14時20分無事にUさん夫妻と再会できた。
    先輩家族(私が職場の先輩として、社内結婚した彼ら夫妻の結婚式の司会をした仲でした)を迎える準備でU夫人も大変だっただろうが、一日遅れの食事会も先輩のチョンボを肴にして楽しいものになった。

    だから、この時は往復400kmを二度繰り返し、800kmを走った計算になる。

    オランダは気分的には近いのだ。

    ・・・・・

    写真は1976年5月29日~30日ロッテルダムのUさん訪問:ちょっと風も強く、寒かった海岸で、長女は仲良しになったUさん宅の愛犬タン子(矢印)と、元気に走り周っていた。

  • 1974年12月に生まれて初めて、このドイツで自動車運転免許を取得しただけに、日本の高速は全く走った体験が無かった。<br />だから無料のアウトバーンの有難味も良く分かっていなかった。当時のオランダは千葉から茨城に出かけるような感じで、週末はよく走り周ったものでした。<br /><br />今はナビもあり、車に電話もある時代、携帯さえあれば、何の不自由もない時代になりました。もっとも、携帯を忘れたら、同じ事でしょうけど。<br />若いときでしたから、2度の往復800kmも問題なかった。<br /><br />ドイツはクルマ無しでは行動が何かと不便で、いわゆる「クルマ社会」と言えますが、新米駐在員の時、Y社長に商社マンは「車の免許が必須だ」と言われて、免許を持っていなかった私はむっとした覚え(笑)がある。<br />免許取得後はむっとした覚えを忘れて、ドイツは勿論、ヨーロッパ各国をよく車で走った。<br />今でもドイツの旅ではレンタカーを利用し、アウトバーンの無料の恩恵を頂いている。日本国内を含め、ドイツなどの国々を巡った距離は通算20万km以上となっている。<br />これも先輩社長のお蔭なのだろう。<br /><br />・・・・・・・・・・<br /><br />写真は1975年7月6日ロッテルダム駐在の先輩のFさん、後輩のUさんがデュッセルドルフ来訪し、南にあるベンラート城を案内。<br /><br /><Schloss Benrathベンラート城><br />D‐40597 Dusseldorf ・Benrath 、Benrather Schlossallee 100-106 <br />http://www.schloss-benrath.de/<br /><br />デュッセルドルフ市の郊外、南15kmにある。ライン川の水を引き込んだ61haもの広大なSchlosspark庭園もあり、市民の憩いの場になっている。<br />手前に大きな池と水を噴き上げる噴水、正面中央にピンク色した小さな宮殿と左右に対称形になって二つの“Kavaliersfluegel騎士の翼”という建物がある。<br /><br />

    1974年12月に生まれて初めて、このドイツで自動車運転免許を取得しただけに、日本の高速は全く走った体験が無かった。
    だから無料のアウトバーンの有難味も良く分かっていなかった。当時のオランダは千葉から茨城に出かけるような感じで、週末はよく走り周ったものでした。

    今はナビもあり、車に電話もある時代、携帯さえあれば、何の不自由もない時代になりました。もっとも、携帯を忘れたら、同じ事でしょうけど。
    若いときでしたから、2度の往復800kmも問題なかった。

    ドイツはクルマ無しでは行動が何かと不便で、いわゆる「クルマ社会」と言えますが、新米駐在員の時、Y社長に商社マンは「車の免許が必須だ」と言われて、免許を持っていなかった私はむっとした覚え(笑)がある。
    免許取得後はむっとした覚えを忘れて、ドイツは勿論、ヨーロッパ各国をよく車で走った。
    今でもドイツの旅ではレンタカーを利用し、アウトバーンの無料の恩恵を頂いている。日本国内を含め、ドイツなどの国々を巡った距離は通算20万km以上となっている。
    これも先輩社長のお蔭なのだろう。

    ・・・・・・・・・・

    写真は1975年7月6日ロッテルダム駐在の先輩のFさん、後輩のUさんがデュッセルドルフ来訪し、南にあるベンラート城を案内。

    <Schloss Benrathベンラート城>
    D‐40597 Dusseldorf ・Benrath 、Benrather Schlossallee 100-106
    http://www.schloss-benrath.de/

    デュッセルドルフ市の郊外、南15kmにある。ライン川の水を引き込んだ61haもの広大なSchlosspark庭園もあり、市民の憩いの場になっている。
    手前に大きな池と水を噴き上げる噴水、正面中央にピンク色した小さな宮殿と左右に対称形になって二つの“Kavaliersfluegel騎士の翼”という建物がある。

    ベンラート城 城・宮殿

  • 車の免許の事を書き出すと、いろいろある。その一つに:<br /><br />1974年12月に漸くドイツで運転免許を取得し、発注したオペルの新車が来るまで練習しようと、当時の研修生Nさんが乗っていた中古のそれも1960年代前半に作られたVW Kaeferケーファー(カブトムシ)に乗ったことがある。<br />借用したカブトムシは古いだけに騒音も大きく、車体全体が震えた感じもよく覚えている。子供たちが寝てから、カブトムシに家内を乗せて、ライン川傍(多分堤防上)の道を走った。所が早々と、暗かった道路脇にあった車止めにぶつけてしまった。降りて車をチェックすると、ちょっぴり右先頭部が凹んでいた。<br /><br />研修生の彼は大阪の紡績会社の社長の息子、つまり金持ちのボンボン研修生で、ドイツ法人社が預かって、語学学習の機会を与え、時に業務の手伝いをしながら、海外生活の体験をさせていた。<br />ボンボンの割に、親に言われていたのか、先輩社員にくぎをさされていたのか、ひどい中古車のカブトムシに乗っていたのだが、凹ました修理代はしっかり高い費用を払わされた覚えがある(苦笑)。<br />これが<自分で起こした>自動車事故の始めで、最後のものです。<br /><br />少し経った或る日、Nさんは、会社にポルシェの新車で乗り付けてきました。これには会社のY社長をはじめ従業員が皆口を開けてビックリしたものだった。その後、1976年3月で研修が終了し、ドイツからイギリスにわたり、英語学校に通った。その学校で日本人の彼女に出会い、日本に帰ってから、1977年5月31日(火)に結婚した。ドイツから祝電を送ったものだ。<br />紡績会社はその後、経営を多角化して、レストランも支配下においていた。私が大阪単身勤務の際、2000年だったか、一度そのレストランで御招待を受けた。<br /><br />彼は日本に持ち帰ったポルシェはもう卒業して、メルセデスベンツの高級車に乗っていた。もうカブトムシの事など覚えていなかったが・・・。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />写真は1970年代のオランダ・アムステルダムのスキポール空港の俯瞰。

    車の免許の事を書き出すと、いろいろある。その一つに:

    1974年12月に漸くドイツで運転免許を取得し、発注したオペルの新車が来るまで練習しようと、当時の研修生Nさんが乗っていた中古のそれも1960年代前半に作られたVW Kaeferケーファー(カブトムシ)に乗ったことがある。
    借用したカブトムシは古いだけに騒音も大きく、車体全体が震えた感じもよく覚えている。子供たちが寝てから、カブトムシに家内を乗せて、ライン川傍(多分堤防上)の道を走った。所が早々と、暗かった道路脇にあった車止めにぶつけてしまった。降りて車をチェックすると、ちょっぴり右先頭部が凹んでいた。

    研修生の彼は大阪の紡績会社の社長の息子、つまり金持ちのボンボン研修生で、ドイツ法人社が預かって、語学学習の機会を与え、時に業務の手伝いをしながら、海外生活の体験をさせていた。
    ボンボンの割に、親に言われていたのか、先輩社員にくぎをさされていたのか、ひどい中古車のカブトムシに乗っていたのだが、凹ました修理代はしっかり高い費用を払わされた覚えがある(苦笑)。
    これが<自分で起こした>自動車事故の始めで、最後のものです。

    少し経った或る日、Nさんは、会社にポルシェの新車で乗り付けてきました。これには会社のY社長をはじめ従業員が皆口を開けてビックリしたものだった。その後、1976年3月で研修が終了し、ドイツからイギリスにわたり、英語学校に通った。その学校で日本人の彼女に出会い、日本に帰ってから、1977年5月31日(火)に結婚した。ドイツから祝電を送ったものだ。
    紡績会社はその後、経営を多角化して、レストランも支配下においていた。私が大阪単身勤務の際、2000年だったか、一度そのレストランで御招待を受けた。

    彼は日本に持ち帰ったポルシェはもう卒業して、メルセデスベンツの高級車に乗っていた。もうカブトムシの事など覚えていなかったが・・・。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    写真は1970年代のオランダ・アムステルダムのスキポール空港の俯瞰。

    スキポール空港 (AMS) 空港

  • この章の為に、手元のアルバムや手帳を調べて、様々な行き来があった事を思い出した。やはりオランダは近かったようだ。<br /><br /><Uさん御家族とjijidaruma家の相互訪問の覚え><br /><br />*1975年6月7日(日)、<br />Uさんがロッテルダム支店に駐在員として赴任した。<br /><br />*1975年7月5日(土)、<br />デュッセルドルフにて、欧州会議が開かれた。本社の取締役N本部長が主宰し、英国のロンドン支店Nさん、オランダのロッテルダム支店FさんとUさん(引継ぎ中)、ドイツ・デュッセルドルフ本社Mさん、ハンブルク支店Oさんが参集し、私も陪席した。<br />交代引継ぎ中のロッテルダムのFさん(3年上で独身)、Uさん(2年下の後輩)とは東京で一緒だった。<br />5日の夜、二人は我が家に1泊し、私共のベッドを提供した。久しぶりで楽しい夕食の一時を過ごした。<br />6日(日)はドイツ社、近郊のベンラート城を案内した。<br />この日、二人はデュッセルドルフ・ヒルトンに泊まり、7日にオランダ・ロッテルダムに帰任した。<br /><br />写真はアムステルダム市内観光図

    この章の為に、手元のアルバムや手帳を調べて、様々な行き来があった事を思い出した。やはりオランダは近かったようだ。

    <Uさん御家族とjijidaruma家の相互訪問の覚え>

    *1975年6月7日(日)、
    Uさんがロッテルダム支店に駐在員として赴任した。

    *1975年7月5日(土)、
    デュッセルドルフにて、欧州会議が開かれた。本社の取締役N本部長が主宰し、英国のロンドン支店Nさん、オランダのロッテルダム支店FさんとUさん(引継ぎ中)、ドイツ・デュッセルドルフ本社Mさん、ハンブルク支店Oさんが参集し、私も陪席した。
    交代引継ぎ中のロッテルダムのFさん(3年上で独身)、Uさん(2年下の後輩)とは東京で一緒だった。
    5日の夜、二人は我が家に1泊し、私共のベッドを提供した。久しぶりで楽しい夕食の一時を過ごした。
    6日(日)はドイツ社、近郊のベンラート城を案内した。
    この日、二人はデュッセルドルフ・ヒルトンに泊まり、7日にオランダ・ロッテルダムに帰任した。

    写真はアムステルダム市内観光図

  • *1975年11月28日(金)~30日(日)、<br />U夫人がロッテルダム帯同の許可が出て、28日JAL403便で羽田を発ち、29日(土)午前7時50分アムステルダム空港に到着した。<br />私共家族で出迎えるべく、前夜はHotel Schipholホテル スキポールに泊まり、29日朝早い到着便に合わせた。<br /><br />愛犬タン子ちゃんの引き取りに時間がかかり、その引き取り後、ホテル オークラ・アムステルダム(5星、Ferdinand Bolstraat 333)で昼食をとった。<br /><br />写真は1975年11月29日、オランダ・スキポール空港にU夫人を出迎える。

    イチオシ

    *1975年11月28日(金)~30日(日)、
    U夫人がロッテルダム帯同の許可が出て、28日JAL403便で羽田を発ち、29日(土)午前7時50分アムステルダム空港に到着した。
    私共家族で出迎えるべく、前夜はHotel Schipholホテル スキポールに泊まり、29日朝早い到着便に合わせた。

    愛犬タン子ちゃんの引き取りに時間がかかり、その引き取り後、ホテル オークラ・アムステルダム(5星、Ferdinand Bolstraat 333)で昼食をとった。

    写真は1975年11月29日、オランダ・スキポール空港にU夫人を出迎える。

  • 午後2時、愛車のBMWに乗るUさん夫妻を見送った後、オランダの有名な大堤防つまりアフスリュイド堤防という締め切り堤防(高さ 海抜7.25m)を見に行く。<br /><br />途中の美しい運河や両岸の可愛らしい家々が目を楽しませてくれる。<br />全長 32 km、幅 90mと長く広い大堤防上を車で走るのだが、往来する車が少ないのが意外だった。それでも締め切られてできた内海(ワッデン海・・・ゾイデル海の外洋(北)側部分であったが、1932年に完成した締め切り大堤防によって内陸(南)側のアイセル湖と分断、アイセル湖・・・広さは約1,250平方 kmで深さは5 ~ 6 mと浅く、水面の標高は海面下6 m)には驚いたものだ。<br />大堤防は途中の半分で疲れを感じて、Uターンした。<br /><br />(二度目の駐在で、1983年5月1日、メーデーの休みを利用して、前日からオランダ小旅行をした。マルケン島、フォレンダム、ハーレム、コイケンコフそして締め切り大堤防見物に行き、この時はしっかり走った)<br /><br />写真は1975年11月29日午後2時、U夫妻を御見送り、大締切堤防を見に行く。

    午後2時、愛車のBMWに乗るUさん夫妻を見送った後、オランダの有名な大堤防つまりアフスリュイド堤防という締め切り堤防(高さ 海抜7.25m)を見に行く。

    途中の美しい運河や両岸の可愛らしい家々が目を楽しませてくれる。
    全長 32 km、幅 90mと長く広い大堤防上を車で走るのだが、往来する車が少ないのが意外だった。それでも締め切られてできた内海(ワッデン海・・・ゾイデル海の外洋(北)側部分であったが、1932年に完成した締め切り大堤防によって内陸(南)側のアイセル湖と分断、アイセル湖・・・広さは約1,250平方 kmで深さは5 ~ 6 mと浅く、水面の標高は海面下6 m)には驚いたものだ。
    大堤防は途中の半分で疲れを感じて、Uターンした。

    (二度目の駐在で、1983年5月1日、メーデーの休みを利用して、前日からオランダ小旅行をした。マルケン島、フォレンダム、ハーレム、コイケンコフそして締め切り大堤防見物に行き、この時はしっかり走った)

    写真は1975年11月29日午後2時、U夫妻を御見送り、大締切堤防を見に行く。

    アフシュライトダイク(締め切り大堤防) 建造物

    オランダの有名な締め切り大堤防(アフスリュイド堤防:高さ 海抜7.25m)を見に行く。 by jijidarumaさん
  • この夜はホテル オークラに宿泊し、<br />30日(日)、アムステルダム市内観光に出かけた。<br /><br />写真は現在のホテル オークラ・アムステルダム

    この夜はホテル オークラに宿泊し、
    30日(日)、アムステルダム市内観光に出かけた。

    写真は現在のホテル オークラ・アムステルダム

  • まずアンネの家に行く。<br />入館者がほとんどいないのには驚いた。当時の一般的な認識度はこんなものだったようだ。子供たちも興味もまだないだろうと、私共の見学中は、アンネの家の前にあった駐車場に停めた車の中で二人はおしゃべりしていた。<br /><br />ダム広場と王宮、西教会、そして国立美術館では傷つけられたレンブラントの「夜警」はいまだ修復中だった。<br /><br />写真は1975年11月30日、アムステルダム観光:アンネの家、ダム広場と王宮など。

    まずアンネの家に行く。
    入館者がほとんどいないのには驚いた。当時の一般的な認識度はこんなものだったようだ。子供たちも興味もまだないだろうと、私共の見学中は、アンネの家の前にあった駐車場に停めた車の中で二人はおしゃべりしていた。

    ダム広場と王宮、西教会、そして国立美術館では傷つけられたレンブラントの「夜警」はいまだ修復中だった。

    写真は1975年11月30日、アムステルダム観光:アンネの家、ダム広場と王宮など。

    アンネ フランクの家 建造物

    アムステルダム:1975年当時の「アンネの家」はほとんど観光客がいない場所だった。 by jijidarumaさん
  • 最後に霧でぼんやりしたマルケン島は見る事も出来ず、がっかりした。<br /><br />マルケン島はオランダのアイセル湖にある小島で、アイセル湖でのウナギ漁などに従事する漁村であったが、1957年に2.5kmの堤防により陸続きとなった。民族衣装や跳ね橋の景観で知られる有数の観光地である。<br />緑と白で塗った木造の家、古い灯台や跳ね橋の景観、赤い縞模様のブラウスに黒いスカートという民族衣装に特色があり、土産用の木靴の製造も行われている。<br /><br />今回はともかくも、元気なU夫人に会えてよかった。<br />ロッテルダム生活も楽しんでもらえると思えた。<br />デュッセルドルフには19時に帰った。<br /><br />写真は1975年11月30日、アムステルダム観光:アンネの家、西教会、国立美術館、マルケン島など。

    最後に霧でぼんやりしたマルケン島は見る事も出来ず、がっかりした。

    マルケン島はオランダのアイセル湖にある小島で、アイセル湖でのウナギ漁などに従事する漁村であったが、1957年に2.5kmの堤防により陸続きとなった。民族衣装や跳ね橋の景観で知られる有数の観光地である。
    緑と白で塗った木造の家、古い灯台や跳ね橋の景観、赤い縞模様のブラウスに黒いスカートという民族衣装に特色があり、土産用の木靴の製造も行われている。

    今回はともかくも、元気なU夫人に会えてよかった。
    ロッテルダム生活も楽しんでもらえると思えた。
    デュッセルドルフには19時に帰った。

    写真は1975年11月30日、アムステルダム観光:アンネの家、西教会、国立美術館、マルケン島など。

  • *1976年2月14日(土)~15日(日)、<br />Uさん夫妻と愛犬タン子ちゃんが、デュッセルドルフに来訪する(15時着)。<br />家内の和食(日本飯に、ひじきや明太子といったのが好物で楽しみにしていた)で御もてなし、3ヶ月ぶりの楽しい夕食会となった。<br /><br />翌日は市内観光で、中でもロッテルダムより充実していた日本食の買物などが一番嬉しかったらしい。<br />ライン川畔を散策後、15時にロッテルダムに一緒に向かい、途中Oberhausenオーバーハウゼンまで見送って、帰宅した。<br /><br />写真は1976年2月14日~15日、ロッテルダムのU夫妻がデュッセルドルフに来訪。ライン川畔で。<br />(左下:1976年2月2日、子供部屋で、階下のレッカート家の長女Judithユーディト と)

    イチオシ

    *1976年2月14日(土)~15日(日)、
    Uさん夫妻と愛犬タン子ちゃんが、デュッセルドルフに来訪する(15時着)。
    家内の和食(日本飯に、ひじきや明太子といったのが好物で楽しみにしていた)で御もてなし、3ヶ月ぶりの楽しい夕食会となった。

    翌日は市内観光で、中でもロッテルダムより充実していた日本食の買物などが一番嬉しかったらしい。
    ライン川畔を散策後、15時にロッテルダムに一緒に向かい、途中Oberhausenオーバーハウゼンまで見送って、帰宅した。

    写真は1976年2月14日~15日、ロッテルダムのU夫妻がデュッセルドルフに来訪。ライン川畔で。
    (左下:1976年2月2日、子供部屋で、階下のレッカート家の長女Judithユーディト と)

  • *1976年5月29日(土)~30日(日)、<br />ロッテルダムのUさん夫妻を訪問。<br /><br />実は28日(金)の夜、勤務が終わってから自宅に寄り、20時、家族をピックアップして、アウトバーンに走り出した。もう暗くなった頃、ロッテルダムに22時に着いた。<br />・・・が、なんと私がUさん宅のアドレス・電話帳を自宅に置いてきたため、連絡できずに困ってしまった。29日(土)に再びロッテルダムに向った、その顛末は前述の通りだ。<br /><br />30日(日)に海岸で愛犬タン子ちゃんと遊び、デュッセルドルフの自宅に18時15分に帰宅した。<br />いやはや!お互いたいへん疲れた3日間でした。<br /><br />写真はオランダ・ロッテルダム図・港湾観光船のSpidoの乗り場。

    *1976年5月29日(土)~30日(日)、
    ロッテルダムのUさん夫妻を訪問。

    実は28日(金)の夜、勤務が終わってから自宅に寄り、20時、家族をピックアップして、アウトバーンに走り出した。もう暗くなった頃、ロッテルダムに22時に着いた。
    ・・・が、なんと私がUさん宅のアドレス・電話帳を自宅に置いてきたため、連絡できずに困ってしまった。29日(土)に再びロッテルダムに向った、その顛末は前述の通りだ。

    30日(日)に海岸で愛犬タン子ちゃんと遊び、デュッセルドルフの自宅に18時15分に帰宅した。
    いやはや!お互いたいへん疲れた3日間でした。

    写真はオランダ・ロッテルダム図・港湾観光船のSpidoの乗り場。

  • *1976年9月10日(金)~12日(日)、<br />今度も仕事を終わらせた10日の夜20時45分にデュッセルドルフを出発し、ロッテルダム23時30分着でUさん夫妻を訪問した。<br />11日は市内観光、<br />12日はロッテルダム港内遊覧船に乗った。・・・Rotterdam・Spidoスピドー(所要時間75分)、子供たちは楽しかったようだ。<br /><br />U夫人はこの12月にも出産の予定だが、相変わらず元気で明るい。<br />一日遊んで、19時10分ロッテルダムを出発し、デュッセルドルフの自宅に21時30分に帰宅した。<br /><br />写真は1976年9月12日(日)、ロッテルダム駐在のUさん夫妻と港湾観光船Spidoスピドーに乗った。

    *1976年9月10日(金)~12日(日)、
    今度も仕事を終わらせた10日の夜20時45分にデュッセルドルフを出発し、ロッテルダム23時30分着でUさん夫妻を訪問した。
    11日は市内観光、
    12日はロッテルダム港内遊覧船に乗った。・・・Rotterdam・Spidoスピドー(所要時間75分)、子供たちは楽しかったようだ。

    U夫人はこの12月にも出産の予定だが、相変わらず元気で明るい。
    一日遊んで、19時10分ロッテルダムを出発し、デュッセルドルフの自宅に21時30分に帰宅した。

    写真は1976年9月12日(日)、ロッテルダム駐在のUさん夫妻と港湾観光船Spidoスピドーに乗った。

    港巡り (スピドー) 船系

    ロッテルダム港内遊覧船Spidoスピドーに乗った。 by jijidarumaさん
  • *1978年5月26日(金)~28日(日)、<br />4ヶ月ぶりにロッテルダムのUさんを訪問した。<br />4月、5月は多忙を極めたから、久しぶりの休日なのだ。<br /><br />ロッテルダム行は金曜日の夜出発、日曜日に帰宅と3日間の小旅行だ<br /><br />写真はオランダ・デルフト図

    *1978年5月26日(金)~28日(日)、
    4ヶ月ぶりにロッテルダムのUさんを訪問した。
    4月、5月は多忙を極めたから、久しぶりの休日なのだ。

    ロッテルダム行は金曜日の夜出発、日曜日に帰宅と3日間の小旅行だ

    写真はオランダ・デルフト図

  • 27日(土)、今まで訪れていなかったDelftデルフトの町(人口10万人)を訪ねた。<br /><br />デルフトはオランダの古都で、デルフト陶器で知られた観光地であり、デルフト工科大学がある学生の町でもある。近年、有名画家となったJohannes Vermeerヨハネス・フェルメールはデルフト出身だ。<br /><br />写真はDelftデルフト・俯瞰

    27日(土)、今まで訪れていなかったDelftデルフトの町(人口10万人)を訪ねた。

    デルフトはオランダの古都で、デルフト陶器で知られた観光地であり、デルフト工科大学がある学生の町でもある。近年、有名画家となったJohannes Vermeerヨハネス・フェルメールはデルフト出身だ。

    写真はDelftデルフト・俯瞰

  • デルフト焼きの工房をUさん夫妻と一緒に見学し、細かい柄を肉筆で描く見事さに感心し、つい飾り皿を購入した。<br /><br />テーブルマットや紙ナプキンの色合いも家内も気に入って、どれにしようかと迷っていた。<br /><br />写真は1978年5月26日~28日、ロッテルダム駐在のUさん夫妻を訪問、デルフト焼き工房見学。

    デルフト焼きの工房をUさん夫妻と一緒に見学し、細かい柄を肉筆で描く見事さに感心し、つい飾り皿を購入した。

    テーブルマットや紙ナプキンの色合いも家内も気に入って、どれにしようかと迷っていた。

    写真は1978年5月26日~28日、ロッテルダム駐在のUさん夫妻を訪問、デルフト焼き工房見学。

    ロイヤルデルフト 建造物

    オランダの古都デルフトは、「デルフト焼Delfter Blau」の陶器で知られた観光地である。 by jijidarumaさん
  • 飾り皿を購入した。良いお土産になって、今も我が家にある。<br /><br />写真はオランダ土産・Delftデルフト焼きを購入した。<br /><br /><Delfter Blauデルフト陶器(オランダ語はDelfts blauw)><br />デルフト陶器はオランダのデルフトおよびその近辺で、16世紀から生産されている陶器。白色の釉薬を下地にして、スズ釉薬を用いて彩色、絵付けされる陶器で、日本では「デルフト焼」とよばれている。<br />現在の職人の手による青色の絵付けを基調としたデルフト陶器は、デルフトブルーと呼ばれるブランド名で、鑑定書つきで取引されるコレクターズアイテムとなっている。白地に青色の装飾絵付けなど、はるかに高額な製品となっている。<br />18世紀以前のデルフト陶器を模しているが、現在のデルフト陶器には当時使われていたスズ釉薬はほとんど使用されていない。<br />

    イチオシ

    飾り皿を購入した。良いお土産になって、今も我が家にある。

    写真はオランダ土産・Delftデルフト焼きを購入した。

    <Delfter Blauデルフト陶器(オランダ語はDelfts blauw)>
    デルフト陶器はオランダのデルフトおよびその近辺で、16世紀から生産されている陶器。白色の釉薬を下地にして、スズ釉薬を用いて彩色、絵付けされる陶器で、日本では「デルフト焼」とよばれている。
    現在の職人の手による青色の絵付けを基調としたデルフト陶器は、デルフトブルーと呼ばれるブランド名で、鑑定書つきで取引されるコレクターズアイテムとなっている。白地に青色の装飾絵付けなど、はるかに高額な製品となっている。
    18世紀以前のデルフト陶器を模しているが、現在のデルフト陶器には当時使われていたスズ釉薬はほとんど使用されていない。

  • 写真はオランダ土産・Delftデルフト焼きの裏面印

    写真はオランダ土産・Delftデルフト焼きの裏面印

  • 写真はオランダ土産・Delftデルフト焼き・テーブルマットを購入した。<br />よく使用したもので、娘たちと3分割した残り。

    写真はオランダ土産・Delftデルフト焼き・テーブルマットを購入した。
    よく使用したもので、娘たちと3分割した残り。

  • 写真は参考:オランダDelftデルフト焼き・Delftware1665年頃に制作された、風景画が描かれたデルフト陶器の陶板。

    写真は参考:オランダDelftデルフト焼き・Delftware1665年頃に制作された、風景画が描かれたデルフト陶器の陶板。

  • デルフトの街中を歩き、デルフト名物の尖塔の景観や、自転車と掘割(運河で子供たちがカヌー遊びをしていた)の多いのに改めて感心した。<br /><br />写真は1978年5月26日~28日、ロッテルダム駐在のUさん夫妻を訪問、デルフトの町、De Haarデ・ハール城見学。

    デルフトの街中を歩き、デルフト名物の尖塔の景観や、自転車と掘割(運河で子供たちがカヌー遊びをしていた)の多いのに改めて感心した。

    写真は1978年5月26日~28日、ロッテルダム駐在のUさん夫妻を訪問、デルフトの町、De Haarデ・ハール城見学。

  • 28日、ドイツへの帰途、ユトレヒトの近くにあるカスティール・デ・ハール城をUさんに案内してもらった。古城好きとしては、以前から気になっていたオランダ最大の城である。暑いほどの5月晴れ、若葉の輝きはまぶしい。<br /><br />写真が全てセピア色に変わってしまったのはなんとも残念だ。<br />だが、デ・ハール城の見学はこれっきりになってしまった。<br /><br />写真は1978年5月26日~28日ロッテルダム駐在のUさん夫妻を訪問、De Haarデ・ハール城見学。

    28日、ドイツへの帰途、ユトレヒトの近くにあるカスティール・デ・ハール城をUさんに案内してもらった。古城好きとしては、以前から気になっていたオランダ最大の城である。暑いほどの5月晴れ、若葉の輝きはまぶしい。

    写真が全てセピア色に変わってしまったのはなんとも残念だ。
    だが、デ・ハール城の見学はこれっきりになってしまった。

    写真は1978年5月26日~28日ロッテルダム駐在のUさん夫妻を訪問、De Haarデ・ハール城見学。

    デ ハール城 城・宮殿

  • <De Haarデ・ハール城><br />Kasteellaan 1,3455 RR Haarzuilens<br />https://www.kasteeldehaar.nl/plan-je-bezoek/praktische-informatie/<br /><br />Kasteel De Haarカスティール・デ・ハール城は、ユトレヒトの近くにある、Haaruilensハールザイレンスと呼ばれる人口500人の村にある。<br />広大な敷地内に立つvan Zuylenヴァン・ザイレン家が所有するネオゴシック様式の城は14世紀末に築城された。<br /><br />1672年にルイ14世の軍によって被害を受けたが、19世紀にグスタフ・フレデリック・ザイレン男爵にユダヤの富豪ロスチャイルド家から嫁いだヘレーネ夫人のバックアップもあり、ロスチャイルド家から資金援助を受けて、オランダ最大規模のお城が再建された。<br /><br />高い尖塔、宮殿の庭園と吊り橋に囲まれた堀がある水城はオランダの典型的な中世の城である。いくつかの時代の建築が混在した城には彫刻の像や絵画といった豪華な美術品が飾られている大ホールが知られている。<br /><br />写真はDe Haarデ・ハール城の雄姿。

    <De Haarデ・ハール城>
    Kasteellaan 1,3455 RR Haarzuilens
    https://www.kasteeldehaar.nl/plan-je-bezoek/praktische-informatie/

    Kasteel De Haarカスティール・デ・ハール城は、ユトレヒトの近くにある、Haaruilensハールザイレンスと呼ばれる人口500人の村にある。
    広大な敷地内に立つvan Zuylenヴァン・ザイレン家が所有するネオゴシック様式の城は14世紀末に築城された。

    1672年にルイ14世の軍によって被害を受けたが、19世紀にグスタフ・フレデリック・ザイレン男爵にユダヤの富豪ロスチャイルド家から嫁いだヘレーネ夫人のバックアップもあり、ロスチャイルド家から資金援助を受けて、オランダ最大規模のお城が再建された。

    高い尖塔、宮殿の庭園と吊り橋に囲まれた堀がある水城はオランダの典型的な中世の城である。いくつかの時代の建築が混在した城には彫刻の像や絵画といった豪華な美術品が飾られている大ホールが知られている。

    写真はDe Haarデ・ハール城の雄姿。

  • 写真はDe Haarデ・ハール城の大ホール。

    写真はDe Haarデ・ハール城の大ホール。

  • また、城内庭園のバラの花は有名、1,200本以上にも及ぶ79種類のバラがあり、春の終わりから夏にかけて咲くバラの花が見られる。<br /><br />写真はDe Haarデ・ハール城の庭園側から見る。

    また、城内庭園のバラの花は有名、1,200本以上にも及ぶ79種類のバラがあり、春の終わりから夏にかけて咲くバラの花が見られる。

    写真はDe Haarデ・ハール城の庭園側から見る。

  • 写真はDe Haarデ・ハール城は1646~1647年頃に築城された。

    写真はDe Haarデ・ハール城は1646~1647年頃に築城された。

  • 写真は再建されるのは1862年で、それ以前のDe Haarデ・ハール城。

    写真は再建されるのは1862年で、それ以前のDe Haarデ・ハール城。

  • *1979年8月19日、<br />「夏の休暇・生涯一度のイギリス旅行」の帰途はイギリスのキングストン・アポン・ハルの港から北海フェリーの船ノースウインド号に乗り、オランダのロッテルダムに上陸した。イギリス旅行15日目のこの日は晴れ、オランダは暑かった。<br /><br />この日、久しぶりにロッテルダム駐在員のUさんご一家を訪問したのだ。<br />1975年6月7日にロッテルダム支店のFさんの交代要員で派遣されてきたUさんが、今年中の帰国命令が出ていた事もあり、立ち寄ったのだ。<br /><br />オランダ生まれの長女M子ちゃん(1歳8ヶ月)、来年新たに生まれる子を宿したU夫人も元気だった。子供が出来ないとしばしば言っていたU夫妻も水が変わった所為か、ロッテルダムの地で子供を得たのだ。<br /><br />そのUさん家族3人と短い再会をした後、凡そ200km先のドイツ・デュッセルドルフにたくさんのお土産と共に戻った。<br /><br />・・・・・・・・・・<br /><br />写真は1978年8月19日英国旅行からの帰途、ロッテルダムのUさんを訪問してからデュッセルドルフに帰った。

    *1979年8月19日、
    「夏の休暇・生涯一度のイギリス旅行」の帰途はイギリスのキングストン・アポン・ハルの港から北海フェリーの船ノースウインド号に乗り、オランダのロッテルダムに上陸した。イギリス旅行15日目のこの日は晴れ、オランダは暑かった。

    この日、久しぶりにロッテルダム駐在員のUさんご一家を訪問したのだ。
    1975年6月7日にロッテルダム支店のFさんの交代要員で派遣されてきたUさんが、今年中の帰国命令が出ていた事もあり、立ち寄ったのだ。

    オランダ生まれの長女M子ちゃん(1歳8ヶ月)、来年新たに生まれる子を宿したU夫人も元気だった。子供が出来ないとしばしば言っていたU夫妻も水が変わった所為か、ロッテルダムの地で子供を得たのだ。

    そのUさん家族3人と短い再会をした後、凡そ200km先のドイツ・デュッセルドルフにたくさんのお土産と共に戻った。

    ・・・・・・・・・・

    写真は1978年8月19日英国旅行からの帰途、ロッテルダムのUさんを訪問してからデュッセルドルフに帰った。

  • 写真はオランダ土産・オルゴール・・・いまだに音楽を奏す。

    写真はオランダ土産・オルゴール・・・いまだに音楽を奏す。

  • 写真はオランダ土産・おなじみの風車の壁掛け。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />(2022年2月16日Wiki参考、編集・追記)<br /><br />

    写真はオランダ土産・おなじみの風車の壁掛け。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    (2022年2月16日Wiki参考、編集・追記)

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