1975/10/13 - 1975/10/13
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jijidarumaさん
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≪ドイツでドイツ人の緊急時に下駄を履く!≫
若い頃は皮靴も高く、日常生活でも下駄を履いている事が多かった。
高校生の頃に、ときにはちょっぴり粋がって、学校に高下駄を履いていった事がある。
校舎は立派なコンクリート造りなので、カランコロンと歩く音が反響して、気分が良い。
ある日のこと、体育の教官に見つかって、即刻、裸足になれと言われてしまった。
写真は2006年5月7日旧居(デュッセルドルフ市内のプラネーテン通り34番)と娘たちの幼稚園を見に行く。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
何故か、持っていた下駄(高下駄ではないけど)をドイツ赴任時にも引っ越し荷物に入れて運んだ。
いまだにどうして持参したのかよく分からない。
ドイツで下駄を履くなんてことはないはずだったから。
本章はその下駄をドイツで履いた話だ。
(勿論、下駄を履いた写真は一枚もないので掲載しようがない。
それで、本章中の写眞は年月ベース順に、娘たちを中心にした
セピア色した写真集から選んだ次第です)
写真は1974.07.21.Duesseldorf・Planetenstrasseプラネーテン通り、1974.09.01.ケルンの大聖堂をバックに、隣町のヴッパータルの動物園に行った時、自宅近くの公園(4歳と2歳の娘たち) -
写真は1974.09.22.幼稚園傍の公園から南の霊園まで散歩・・・ドイツの良い所は家から少し歩けば、緑がある事でしょう。
-
Planetenstrasse34プラネーテン通り34番地にあった三階建のアパートメントの2階が私共、3階にデュッセルドルフ大学の講師Dr.Stegieシュテギー博士夫妻(後にFreiburgフライブルク大学教授、奥様も博士号取得に勉学中で、まだお子さんはいませんでした)、1階に同じ年頃の子ども3人をもったC&Aという衣料品デパートの市内店に勤務する会計責任者の家族が住んでいました。
どちらのドイツ人家族も私共には良くしてくれて、ドイツの最初の生活(1974年~1979年)の立ち上がりで、大変お世話になった家族でした。
写真は2006年5月7日旧居(デュッセルドルフ市内のプラネーテン通り34番)訪問。 -
私共がここに入居した当初は1階にはドイツ鉄道勤務の方でした。この方もたいへん親日家で親切な方でしたが、ミュンヘンに転勤で引越しされた為、新しく来られたのがC&AのReckertレッカート家でした。
写真は1975.07.06.デュッセルドルフの南近郊にあるベンラート城で、
07.22.右上はプラネーテンの住居2階から眺めた良く手入れされた裏手の庭(サクランボやリンゴの木もある)、お隣の庭も。・・・ドイツの住宅街は建物の裏手はこうした美しい庭になっていることが多い。 -
レッカート家はそろって宗教心も厚い家族で、最初はとっつきにくい感じでした。子供が年齢的にも近かったので、通う幼稚園も同じ、自然と奥さんどうしが親しくなり、子供の預け、預かりもお互いに頼み、お茶に呼ばれ、庭(一階には庭がついていました)のリンゴやサクランボをもらって、ケーキを作り、ジャムを作りと、それはいろいろと教えて頂いたようです。
ご長男Joachimヨアヒムの喘息の話もそうした付き合いの中で知っていたのでしょう。
写真は1976.05.22.幼稚園の春のお祭り(卒園と入園の娘たちも参加)・・・きれいな色が残る写真だ。 -
ある時、午後の10時過ぎ、パジャマ姿で寛いでいると、けたたましく階段を上がる音がして、下のレッカート夫人がドアをたたく。
何事かと家内が出て見ると、ご長男ヨアヒムが持病の喘息の症状が出て、苦しんでいるという。御主人が出張とかでいないので、病院に連れていきたいが、車を出してくれないかとお願いである。珍しい事に奥さんは車に乗れなかった。
家内からそんな説明を受けて、慌てて立ち上がった私。
写真は1976.04.22.日本人学校に通学、教会近くの幼稚園に通園の娘達・・・きれいな色が残る写真だ。 -
パジャマの上にコートをはおり、車のカギを持ち、靴箱に手を入れて、出したのは”下駄”だったらしい。
その下駄をドアの前に置いて、けげんな顔の奥さんを前に下駄を履く。
家内は慌てて、”パパ、ゲタ!ゲタ!”と言う。
パニックっていた私には声が聞こえないで眼が泳いでいたらしい。
写真は1976.12.06.幼稚園の「Nikolausfest聖ニコラウス祭り」でプレゼントを頂く。次女が大好きな仲良しAngelikaと。 -
いざ出陣?!と出ようとすると、騒ぎを聞きつけた上の階のご主人シュテギーさんがトントンと階段を下りてきて、“私が行こう!”と・・・力強い言葉をはいた。
あっという間に、ばたばたと長男坊を抱き上げて車に乗せて、病院に向かっていった。
何やらそれを見送り、急に私は疲れを感じた。
その時は真剣でも後で考えてみると、また傍目にも、空回りしていたことでしょう。
写真は1977.04.10.レッカート家の長男Joachimヨアヒムのコミュニオン(ドイツのカトリック教徒の家の子どもたちが初の「聖体拝領」を受けるコミュニオンの日で、子どもの年齢は8~9歳)の後に撮った写真を頂いた、私共のプラネーテンの家2階、
04.08.~11.イースター休みでフランス・モンサンミッシェル(1000km)まで長躯した。パリ市内のジャンヌダルク像と。 -
普段とてもよくして頂いたご家族に少しお返しのできるチャンスでしたが・・・。
男はこうした時はどうも駄目で、気ばかり焦って・・・と言ったところでしょう。車に乗れても、事故でも起こしたかと、後で思ったものです。
写真は1977.06.10.次女5歳の誕生日祝いに長女7歳やお友達をご招待:Yさんとご子息3人(8歳、5歳、4歳)、レッカート兄妹(長男Joachimヨアヒム8歳、双子のJudithユディト、Mariusマリウス5歳)、幼稚園の仲良しアンゲリカ(6歳)、Nadja(6歳)で子供部屋は大賑わい。 -
ひ弱だったご長男ヨアヒムも二度目のドイツ勤務(1982年~1985年)になった時に、自宅に家族の皆さんをお茶に招いた事が有った。
当時、15歳、ご両親に似て長身のハンサムボーイに成長していました。頭も良く、両親の期待もあってギムナジウム(小学校卒業後に入る、総合大学に進学する学校・課程)に行っているとかで、もう大人の会話に入ってきました。
子供たち5人一緒に撮るよと言うと、いささか不満げな様子だったのを思い出します。我が家の長女が13歳、次女はレッカート家の下の双子・弟Mariusマリウス、妹Judithユディトと同じ11歳でしたが、一緒に写真を撮ってみると15歳は大人の感じです。・・・一番最後の写真ご参照下さい。
写真は1978.06.10.幼稚園の「Sommerfest夏祭り」でゲームをする次女、レッカート家のJudith、Marius、Joachim、美形のReckert夫人とA夫人たち。 -
小学校卒業後の就学先は選択肢として、基幹学校 (Hauptschuleハウプトシューレ) 、実科学校 (Realschuleレアルシューレ) 、ギムナジウム (Gymnasium)がありますが、双子の女の子は 実科学校 (Realschule) に、男の子はギムナジウム (Gymnasium)に通っているとの事でした。
一家としての明確なポリシーを感じましたね。
聡明なご長男も喘息のリスクの高い時期はドイツ南西部の黒い森の治療と勉強のできる施設に行かせていました。
暴れん坊の二男、やさしい長女・・・皆どうしているのでしょう。
写真は1978.06.30.次女の6歳の誕生会で家内のお手製シュークリーム(ドイツの子供たちにも大人気)やケーキを皆で楽しむ(レッカート家のJudith、Marius、Joachim、長女、M子ちゃん、Mちゃん)。 -
今でもこの事で家内に笑われている。
ドイツ人の緊急時に下駄を履く・・・お粗末なお話です(笑)。
(2019年4月5日編集)
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写真は1978.09.03.日本人倶楽部運動会(Rheinstadionラインシュタディオンで催した)の後、ライン川畔で愛車と旧市街を撮る。 -
写真は2006年5月7日、21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問で、
”懐かしの旧居(デュッセルドルフ市内のプラネーテン通り34番)と娘たちの幼稚園を見に行く。 -
写真は1979.01.02.雪化粧のKaiser-Friedrich-Ring104の住居前(1978年10月30日に転居)、
02.26.カーニバル見物を止め、ミュンスター地方の古城Burg Gemenゲーメン城で、水堀は凍っていました。 -
写真は1979.02.02.Bilkビルクのプラネーテン通り34番から、オーバーカッセルのKaiser-Friedrich-Ringカイザー・フリードリヒ・リンク104に、1978年10月末に転居した際にお世話になったHerr RufとHerr Ottoさん達を御招待。食後の一時をシュークリームで(Windbeutel mit Creme)
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写真は1979.04.08.春のK-F-Ring104番地で、05.18.次女の仲良しWagner家ニコールとSchroeder家ダニエラをお母さんと共にお招き。後任者も赴任し、8月10日の帰国を前に(5年7ヶ月の駐在)。
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写真は1979.06.30.ライン川畔を散策(自転車乗り、羊の群れ、Theodor Heuss テオドール・ホイス橋)
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1979.07.07.デュッセルドルフのKoenigsalleeケーにて
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イチオシ
写真は1979.07.20.帰国(8月10日)前プラネーテン時代の良き隣人 Dr.Stegieシュテギー博士夫妻(38歳;36歳、3階:デュッセルドルフ大学の講師でした、現在はフライブルク大学の教授)を旧市街の「大都会」に御招待した。
御餞別に素敵なWesterlandヴェスターラント焼きの花瓶を頂いた。今も玄関に飾り、楽しませてもらっている。
この時、私は満35歳、家内は6月で36歳でしたから、シュテギー夫人と同じ年でした。 -
イチオシ
写真は二度目の駐在時に、1983年3月6日Familie Reckertレッカート家の皆さんを自宅にご招待。子供たちは大きく成長しています。
(二度目の駐在では空港近くの町で見つけて住んだZiegelstrasse31レンガ通り31番の4階の住まいで)
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2021/03/08 07:02:15
- カタカタと音を立て、病院の廊下を走る日本人
- jijidarumaさん おはようございます。
よほど動転していたのでしょうね、でもこの真剣な態度はドイツ人の奥さんに好感を持たれたと思います。できれば下駄を履いて、病院中を走ったら、この病院の伝説になっていたかも・・・
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2021/03/08 18:22:22
- Re: カタカタと音を立て、病院の廊下を走る日本人
- pedaruさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
日頃、自らを伝説好きと称しながら、さすがに考えもしなかった
コメント!です。
仰せのようにカタカタと音を立て、病院の廊下を走って、救急患者を
運んで行き、デュッセルドルフ大学病院の伝説者!になってみたかった
思いになりましたよ。
同時に顔写真入りで、デュッセルドルフの新聞種になり、きっと、
日本人会の英雄?伝説者!となったかも(笑)。
そう書きつつも、病院の床で滑って転んだ自分の光景を想像し、
ツイ、自分の事ですが笑ってしまいました。
ありがとうございました。
伝説者と成りたかったjijidaruma
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