1975/05/14 - 1975/05/14
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jijidarumaさん
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≪daruma外伝・恥ずかしながら:ドイツ語をしゃべる奴を連れて来い!≫
Duesseldorfデュッセルドルフの北30kmにEssenエッセン(人口約58万人)という町がある。
ルール工業地帯にある、この町はドイツの歴史にも有名なKruppクルップ財閥の主要工場があり、財閥一族の住む本拠地でもありました。この会社は長い歴史を持つドイツ軍需産業の核になった重工業企業であったから、第二次大戦後の連合軍によるニュルンベルク裁判でも、一族の長アルフリート・クルップは被告となり、1948年に禁固12年・全財産没収の有罪判決を受けた。
1999年にドイツ最大の鉄鋼メーカー・ティッセン社(本社はデュッセルドルフ)と合併し、巨大な工業コングロマリットであるThyssen Krupp AGティッセンクルップ ㈱(2018年現在の従業員数は約16万人)となった。
写真はLindeリンデ社のGabelstaplerフォークリフトH60
- 旅行の満足度
- 2.0
-
日本企業がこぞってデュッセルドルフ(ノルトライン・ヴェストファーレン州の州都)に拠点を設けたのも、この二つのドイツ企業の存在が大きい。
さて、かつてのクルップ財閥はエッセンを語る上で欠かせない企業ではあるが、ここでの話はマイナーな青果卸商の事である。
ただ、私にとっては、そうマイナーな話ではない。
もう車のドイツ免許を取得し、私は毎日車でデュッセルドルフ近郊にあった会社に通勤するようになっていた。
駐在2年目の1975年の春頃だったろう、ある日の午後、エッセンの青果卸商までアウトバーンを走って出かけた。フォークリフト代金の回収に一人で行ったのだ。
写真はRuhrgebiet(Ruhr_area)ルール地方図 -
ドイツ人販売担当者は販売価格の何%かの手数料を取るのが通常で、日本流の販売代金の回収義務までは負っていない。不払い代金は法的措置に任せて、回収すると云うのが、この地のやり方であった。
新しい市場に日本の機械を販売し、その使用価値を理解してもらい、さらなる販売促進をしようというのが日本的営業でもあり、直ちに法的措置には踏み込めない所があった。
特にヨーロッパメーカーの機械が強く、地場市場のシェアーが高いドイツメーカーを日本の機械に切り替えさせるには、余程の機械性能の差があり、その機械でなければ、ならないという事が必要だが、フォークリフトはそれほど性能差を感じる機械でもないので、勝負は値段、サービスという事になる。
写真はThyssenkrupp_AG_Logoティッセンクルップ ㈱のロゴ -
その青果卸商はエッセンのDas Frischezentrum青果市場の中に店があり、従来使用していたドイツメーカー(たしかLindeリンデ社)から、日本のものに切り替えてくれた顧客で、青果市場での他の卸商にたいする商品の宣伝にもなっていた。その為、販売価格や、リンデ社の中古車引き取り価格も配慮した値段を提供していた。
販売から30日の支払い猶予期間(掛売期間)が過ぎて、その後の何度かの文書で行った支払督促にも、何も反応をしてこない問題先であった。
写真はEssenエッセンに建設されたティッセンクルップ ㈱の本社ビル -
この日、市場での商い・運搬なども終わって、青果卸商のオーナー(年配のドイツ人)は幸い店にいた。自己紹介をしてから、代金の支払いの遅延について尋ねた途端、彼は大声でまくし立て始めた。
よく話を聞いてみると、「けしからん!!お宅の営業マンには機械の不具合について、クレームもしている。それへの対応・回答もないのに、代金の支払い督促をして、支払いの遅延の言い草は無いだろう!」と。
営業マンから何も聞いていない私としては反論のしようもなく、また、反論の根拠があっても、相手のまくしたてる言葉が十分に分かるわけでもなく、ドイツ語で反論する、しゃべる能力もなく、使用中であろうと思われた、肝心のフォークリフトの現状把握(使用経過時間を確認)もできないままに、会話も進まぬまま、早々の退散になってしまった。
写真はVilla Huegel ヴィラ・ ヒューゲル:Symbol der Familiendynastie Kruppクルップ財閥のシンボル -
しかも帰り際には青果卸商のオーナーから「今度来る時はドイツ語をしゃべる奴を連れて来い!」・・・というきつい一発をくらった。
皮肉なことに、この言葉は理解した。
赴任して実務に入って、もう1年が経った頃でしたが、日頃のドイツ語の不勉強の“ツケ”を払わされることになりました。
ドイツ人のイメージは規則を守り、商業道徳も高い民族だと思っていましたので、実務で見聞きする度々のケース、代金を支払わない会社があるのはたいへん意外でした。やはり、例外は何処の国にもあるのです。
写真はエッセン市内 -
エッセンから帰る途中、アウトバーンのパークで1時間ほどボッとして休みました。このまま会社に戻る気がしなかったのです。
仕事上ではよくある主張、反論さらに激論ともなると、言葉が出来る、出来ないといった要素が勝負を決めて来るから、どうしても負けてしまう。
こうしたケースで、相手は遠慮なく地方の方言まで交えてまくし立て、嫌がらせに「ろくにドイツ語も話せん奴と交渉していても埒があかんな!」と、捨てぜりふが吐かれることとなると、こちらは意気消沈してしまうのだ。
写真はドイツのLindeリンデ社のGabelstaplerフォークリフトH60 -
この時の気分は、「ドイツ語が話せない?のはその通りだが、事の理非は支払いをしない方がある」と思っても、なかなか自分でうまく整理できなかったようだ。
理不尽だ、悔しい、敗北感、自分自身のふがいなさ等々、様々な感情が沸き起こった。これも会社生活の試練、「打たれ強くなる」とか、慰めに自分に呟いても、もう暫くはどうしようもない気分でした(苦笑)。
・・・・・
写真はドイツのLinde リンデ社Gabelstapler H35 -
<支払い命令Zahlungsbefehl>
当時、一番の若手社員にしてみると、自分が何とかしてみると、身の丈以上の事をしたがったのでしょう。回収してくる、状況を確認してくると、社内に言って出て来たので、どんな顔をして戻ろうかと、胃が痛くなる気持で帰りました。
会社までの30kmの距離がいやに遠く感じたものです。
写真はEssenエッセンの青果市場 -
エッセンから帰ると、気を取り直して、直ちにドイツ人営業部長に報告する。
機械の不調については何かレポートされているのかもと、再度調べて見たが、担当営業マンからは何も出されていなかった。
結局、翌日に担当営業マンを呼び出し、会議となった。
結論は明日、”ドイツ語をしゃべる”ドイツ人営業マンがもう一度、青果卸商を訪問し、督促する事となった。
写真はEssenエッセンの青果市場1 -
機械代金は当時、商品の引き渡し後、7若しくは10日以内小切手払い(殆ど振り込みではなく、小切手払いが商習慣)は3%の現金値引きになる。
お客は通常、最初から3%を引いた代金を、小切手で普通郵便を利用して送ってくる。2週間以内で2%現金値引き、30日以内で代金満額そのままの支払いを認めていた。つまり、この30日間は顧客に与信を与えて、掛け売りをしているわけだ。
ちゃっかりした顧客は1カ月後払いをしても3%を勝手に引き去ってから払うケースも、ままあった。
この3%をめぐって、督促・回収もあって、いろいろと大変なのである。
写真はEssenエッセンの青果市場2 -
イチオシ
勿論、売り先については信用調査会社・銀行の情報を得て、判断するのであるが、実際は売りたい!が先行してしまい、顧客との債権トラブルは多い。
機械商いは代理店経由ではなく、エンドユーザー(最終相手先)に直接売るケースが多いから、トラブルはもろにかぶる事になる。
困るのは顧客への与信判断、遅れた代金の督促指示の判断である。過去の事例も勘案しながら、営業マンとお客の関係なども判断の材料にも入れておかないと、いけないのです。
客先から電話がかかって来ても、会社名がすぐ理解できなかった若造には少々荷が重いものだった。
日本ではメジャーで一流であった機械も日本製自動車と違って、ドイツの市場で名も知られていない機械を売るのはほんとに難しい。
写真は1975.01.新車のオペル、3月.Essen-Kettwickの丘で -
さて、もう私の出る幕が無くなっていたが、”ドイツ語をしゃべる”ドイツ人営業マンの訪問も効がなく、更に営業部長も乗り出したが、結果は出なかった。
機械の不調ではなく、金が無いと言う事のようだったが、ほんとのところは分からない。裏には競争会社の巻き返しがあったのかもしれない。
問題はあまり長引くと金利負担もさることながら、該当機械がどんどん劣化、減価することである。引き取っても、中古車としてしか商品価値が無く、中古車市場で販売する事になるので、新車との値段差がもろに損失になる事だ。
写真は1975.08.09.夏の休暇:アウトバーンの休憩所・オペル -
イチオシ
通常、新車を売る際には顧客からは現在使用中の機械の引き取りも依頼される。中古車代金は当然、新車代金から差し引かれて支払われる事になる。中古車の値段の決め方次第で、当該中古車の次の販売に影響する。
場合によっては中古車が適正価格でない引き取りをした為に、売れない・・・含み損を持つ事になって、将来の赤字に繋がってしまう。
写真は1982.04.04.第二回のDuesseldorf・・・上の中央にドイツ最大の鉄鋼メーカー・ティッセン社(本社ビル)が見える。当時、高い建物は少なかった。 -
当社はエッセンの青果卸商・・・青果市場での足がかりを失う事になるが・・・ドイツ流の簡易法的措置を行う事になった。
それが「Zahlungsbefehl支払い命令」である。裁判所経由、支払の実行を命令してもらう措置で、簡便でコストも安い。
勿論、本裁判に移項するケースもあるが、殆どの会社は与信情報にこの種の記事を掲載されるのを嫌がるので、非が当方にない限りは命令実施後、早々と支払う事になる。エッセンの青果卸商もそれで払ってきた。
この時は延滞金利、私の出張費(日当、車の使用料)、電話・郵便代、督促料金、弁護・支払い命令費用など全て請求したから、青果卸商も高くついた。
写真はThyssen_Logoドイツ最大の鉄鋼メーカー・ティッセン社(本社はデュッセルドルフ)のロゴ -
ドラマや映画ですと、主人公が格好良く、ドイツ語を駆使するようになり、あの海千山千の親父さんから、首尾よく代金を回収するという筋になるのですが・・・。
ドイツ語に慣れるのも3年!かかりましたから、今だ、道半ば・発展途上にあった私には無理な話でした。
伝家の宝刀というか、公権力によって解決を図ったわけですが、ドイツの大企業相手の商売とは違って、地場商いの難しさを味わった次第です。
選抜されて!海外駐在員として派遣された私、会社はともかく頑張ってこい!といったものでした。今まで一度も海外出張もなく、外人と交渉事をした事のない人間を派遣したのですから、会社もすごい事をするものです。
ドイツという見知らぬ世界に飛び込んでいった・・勿論、言葉の相互理解不足の点は大きく、また、当地の商習慣も知らぬままに、”門前の小僧”・・・同様に日々の業務で、必要な事を身につけていったということでしたね。
正直な話・・・ドイツの文化や西洋の文化もよく分かっていたわけではありません。顔立ち、皮膚の色、体型といった外見が違っているのは分かりますが、単に本から得た知識だけでは、彼らの思考法、ルール、習慣、文化などは、そう簡単には理解に至らないでしょう。
この件はこれで終わったが、別の件でまたエッセンに督促に行く事になる。
写真はThyssen-Hochhaus,_Duesseldorf建て直されたのだろう、現在のティッセン社の高層ビル
追記:
さて、本章最後に思わせぶりに書いた。
≪別の件でまたエッセンに督に行く事になる≫
これは2ヶ月後、相手は電気(冷蔵庫?)メーカーでちょっと大型の機械を販売していた。
支払遅延中でしたが、まだまともな方で以前に支払いもあり、残金1万マルクが残っていた。
会社を訪ねてみると、大きな工場内が空間だらけ、従業員の姿も少ない。工場内にポツンと大型の機械が置かれていたといった様子で、これは危ないかと・・・。
企業活動に疑念が生じながら、代表者にあうと、対応もまじめで申し訳ないと云う辺りもきちんとしていた。
彼は曰く、「近々にイラン向けの冷蔵庫輸出が決まるので、その代金が入れば、残金は支払う」と。
話の信ぴょう性は?で、ともかく交渉して、代金の残額を3等分し、4千マルクを週明けの日の先付け小切手、翌月末3千マルク、翌々月3千マルクの先付け小切手をもらった。
この時は機械の稼働状況もしっかり確認もでき、前回よりはマシな結果だった。
4千マルクは幸い落ちた。つまり現金となりました。
残念ながら、残る3千マルクの2枚の小切手は次々に不渡りでしたから、現金にならなかった。
もうこれ以上は無理な回収と判断し、こちらの機械は結局、債権残額6千マルクと相殺して引き取り、安い中古車として再販した。
エッセン2軒目はちょっと、結果が出たので、私も嬉しかったのです。
XXX
(2021年4月30日編集・追記)
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この旅行記へのコメント (6)
-
- M-koku1さん 2021/04/30 11:42:57
- 我社の機械は結局引き取る羽目に
- jijidarumaさん
売掛金回収できてよかったですね!
ドイツは自分達に技術力があるから、外国製品をなかなか買ってくれません。
よく言われたのが、「ドイツ製の機械なら、不具合があってもすぐにサービスマンが来てくれる。それに反して、日本の機械を直してもらうのに、何日待たされるんだ! 費用だって、日本からの航空運賃まで支払わされるなんて、冗談じゃない!」という誠にごもっともな意見で、営業としては本当に辛かったです。
私は普段東京のオフィスで代金回収業務も担当していたので、jijidarumaさんの現地でのご苦労は、本当に大変だったろうとお察しいたします。落ち込んだお気持ち、本当によくわかります。
うちの機械は、結局代金回収できず、サビサビの状態で戻ってきました。直属の上司が頭を抱えていたのを思い出します。
新しいマーケット開拓のために、少々無理して売り込みをかけると、「持って帰れ!」とか簡単に言われるので、まあ大変でした。
でも楽しくもありました。でしょう?
今考えればですけれど。
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2021/05/01 03:54:09
- Re: 我社の機械は結局引き取る羽目に
- M-koku1さん、
今晩は。ご理解あるお言葉、ありがとうございました。
Mさんのように、語学が達者な才媛が同僚でしたら、私も同行
をお願いしたでしょう。
「ドイツ語をしゃべる奴を連れて来い!」、何故かこればかり
が理解できた事が、我ながら可笑しみがある話です。
結果として、問題先企業であることを、社内で意識の共有が
出来たことや、中古車の値引き、含み損の存在をクローズアップ
したのは、別の意味で良かったのです。
≪我社の機械は結局引き取る羽目に≫、しかもサビサビで、関係者の
ガッカリ具合が私もよく分かります。
さて、本章最後に思わせぶりに書いた≪別の件でまたエッセンに督促
に行く事になる。≫
これは2ヶ月後、相手は電気(冷蔵庫?)メーカーでちょっと
大型の機械を販売していた。
支払遅延中でしたが、まだまともな方で以前に支払いもあり、残金が
1万マルクが残っていた。
会社を訪ねてみると、大きな工場内が空間だらけ、従業員の姿も
少ない。工場内にポツンと大型の機械が置かれていたといった様子で、
これは危ないかと・・・。
企業活動に疑念が生じながら、代表者にあうと、対応もまじめで
申し訳ないと云う辺りもきちんとしていた。
彼は曰く、「近々にイラン向けの冷蔵庫輸出が決まるので、その
代金が入れば、残金は支払う」と。
話の信ぴょう性は?で、ともかく交渉して、代金の残額を3等分し、
4千マルクを週明けの日の先付け小切手、翌月末3千マルク、翌々月
3千マルクの先付け小切手をもらった。この時は機械の稼働状況も
しっかり確認もでき、前回よりはマシな結果だった。
4千マルクは幸い落ちた。つまり現金となりました。残念ながら、
残る3千マルクの2枚の小切手は不渡りで現金にならなかった。
もうこれ以上は無理な回収と判断し、こちらの機械は結局引き取り、
安い中古車として再販した。
2軒目はちょっと、結果が出たので、私も嬉しかったのです。
それではまた。
jijidaruma
-
- ちゃたろうさん 2021/04/30 10:51:09
- 若きjijidaruma さんの奮闘記!
- jijidaruma さん、こんにちは。
ドイツに突然赴任されて、まだ経験を踏んでいないのに、問題のある顧客対応に苦労されたのですね。とても丁寧に率直に解説されているので、わかりやすく共感できます。
たしかに、この顧客のような人はどの国にもいるのでしょうね。ただでさえ面倒な相手に
言葉やビジネス習慣の違いによる困難が加わるのですから、jijidaruma さんのご苦労は大変なものでしたよね。帰り道の疲れとストレスはお察しします。
jijidaruma さんといえば、ドイツはもちろんヨーロッパ各地を旅されていて私からは遠い存在にも思えます。でもこういうご苦労もされていることを知り、失礼ながらjijidaruma さんに親しみを感じました^^
ちゃたろう
- jijidarumaさん からの返信 2021/05/01 03:00:09
- Re: 若きjijidaruma さんの奮闘記!
- ちゃたろうさん、
今晩は。コメントありがとうございました。
そして、奮闘記!とまで書かれ、ご共感を頂いた様子、
感謝です。
思えば、当時の事も40年以上前になりました。
もう一度あの頃に帰ってやり直したいかと聞かれれば、そうは
思いません。多分同じようなことになったでしょうから(苦笑)。
あの日の出来事は「ドイツ語をしゃべる奴を連れて来い!」に
凝縮されていますね。
なんとか、ノイローゼにもならず、めげずに5年7ヶ月を過ごし、
1979年の夏に帰国し、日本の業務に慣れたともいえない1981年
の秋ごろには再度のドイツ駐在の内示がありました。
ドイツ経験のないドイツ法人社長から、本社の副社長経由でドイツ
体験者のdarumaの指名がありました。会社は評価してくれていた
のでしょうが、daruma自身は帰国後の所属した業務も面白く、
しかも家を建てたばかり、ドイツ再駐在はまだ早いと思っていた。
直属の課長に相談すると、「この内示は副社長案件だから、断れんよ!」
との事でした。それで1982年2月に懐かしのデュッセルドルフに
赴任したのです。待ち受けたのは私にとっては青天の霹靂(せいてん
のへきれき)といった大きな事件でした。
これで、社内ではいわゆる≪ドイツ学派≫として認知され、
「打たれ強いdaruma」が出来上がりました(笑)。
それではまた。
jijidaruma
-
- pedaruさん 2021/04/30 05:01:20
- 言葉の壁
- jijidarumaさん おはようございます。
言葉もままならない状態で海外でのお仕事、ご苦労がよーくわかりました。
巧みな文章で詳しく解説されて、読む方は非常に面白く楽しみました(ごめんなさい)。
それにしても、代金の不払いを、機械の不具合などとでっち上げて、現地語でまくしたてるなんて、ドイツ人もいろんなのがいますね。ドラマの結末のように、結果は高くついた青果商の残念顔に溜飲が下がりました。
こういう旅行記も面白いですね、旅行記と言えるかどうか、疑問ですが(笑)。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2021/05/01 02:14:47
- Re: 言葉の壁
- pedaruさん、
今晩は。早々のコメントありがとうございました。
出来の悪かった駐在員、最初の壁は≪言葉≫でしたが、
ドイツ人もいろいろでしたね。
さて、面白いとおっしゃって頂き、daruma外伝もシリーズ化に
力が入ります(笑)。ドイツという大きな枠の中、小さな個人史
です。こんなものもありかと・・・。
≪恥ずかしながら≫、文字通り若かった(30代初めでしたが)時の
思い出話、新米駐在員の奮闘記?のお粗末、恐縮です。
この章や、「セピア色の思い出:ドイツで家内は古いソファーと
椅子の布地を改装した。」・・・といった章をコピーして90歳の
恩師にご機嫌伺いでお送りしましたら、とても喜んで頂きました。
何時までたっても恩師はありがたいものです。
それではまた。
jijidaruma
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