2021/11/26 - 2021/11/29
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まつじゅんさん
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COVID-19による非常事態宣言の発出により、2021年の大相撲大阪場所の観戦が叶わなかった私達夫婦。
今まで普通に過ごしてきた日常が、ある日突然崩れてしまうという事を60数年生きてきて初めて経験しました。
「今出来る事をしておかないと、明日はどうなるか分からない。」という意識が強くなり、残された時間は精一杯楽しもう、と堰を切ったように7月の名古屋、9月の秋場所両国と相撲観戦に出かけてきましたが、ついに福岡まで遠征してきました。
7月 名古屋場所観戦記↓
https://4travel.jp/travelogue/11700552
9月 秋場所観戦記↓
https://4travel.jp/travelogue/11723122
奥様の「2022年の大阪場所は、観戦できるかなぁ」という一言から今回の旅は始まりました。
奥様は、実際の場所を見たり何か経験しないとイメージし難いとの思いが強く、野球でも全球団の本拠地球場を制覇する目標を掲げています。
大相撲の本場所会場は4か所、残りは大阪と福岡ですが「大阪はどうにかなるかもしれないけど、福岡はPAYPAYドームもあるし、行けるなら行きたいよね。」「ついでに九州なら嬉野温泉にも行ってみたいな。」と、トントン拍子に話は進み、相撲のチケットが入手できれば、という前提で計画を立てていました。
運よく千秋楽のチケット抽選に当選したことで、久し振りの九州と相撲観戦の旅の始まりです。
初日一番感動した筑後川昇開橋。係の方が稼働してくれました。↓
https://youtu.be/rwabM0tr1E0
https://youtu.be/DTqFr5iX1jA
4日間の行動は次の通りです。
◎2021年11月26日(金)
伊丹空港→福岡空港→太宰府天満宮→九州国立博物館→狐狸庵(昼食)→柳川川下り→筑後川昇開橋→三重津海軍所跡→嬉野温泉
◎2021年11月27日(土)
嬉野温泉街歩き→うれしの茶交流館 チャオシル→轟の滝→佐賀県立九州陶磁文化館→カフェ れすとらん こぱん(昼食)→波佐見やきもの公園→祐徳稲荷神社→博多駅→ホテル
◎2021年11月28日(日)
ホテル→櫛田神社→注連懸稲荷神社→博多町家ふるさと館→博多ポートタワー→ベイサイドプレイス博多→福岡国際センター(大相撲九州場所観戦)→銀河(夕食)→ホテル
◎2021年11月28日(日)
ホテル→天神周辺街歩き(旧福岡県公会堂貴賓館、水鏡天満宮、福岡銀行本店、岩田屋)→大濠公園→福岡城むかし探訪館→鴻臚館→唐人町(昼食)→福岡PayPayドーム→サザエさん通り→福岡空港→伊丹空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
-
空港から徒歩10分位の、予約駐車場に車を預け、空港に向かいます。
9月の東京旅行時に比べ、人は大幅に増えていて、保安検査場も行列が出来ていました。
伊丹空港は改修が進んでいて、綺麗になっていました。
検査エリアを過ぎてから、色々なショップが並んでいます。
伊丹~博多という幹線だから、大きい飛行機だと勝手に思っていましたが、2席2列の100人以下のブラジルの航空機製造会社「エンブラエル社」の飛行機でした。
羽田空港からの鳥取便以来、伊丹空港では初めての、徒歩でタラップを上がっていきます。
小さいですが乗り心地はまずまず、ただ機内は狭いので圧迫感があるのは否めませんでした。
福岡空港からレンタカーを借りましたが、車種はデイス。
倉吉を離れる際、買い替えたのがデイズでしたが、今のマンションの駐車場に入らない事が判明し、半年で手放した車です。
2日間、懐かしく運転しました。福岡空港 空港
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レンタカーの手続きを終え、最初に向かったのは30年振り位の太宰府天満宮。
45年以上前、高校の修学旅行と含め2度目ですが、見事に何も覚えていません。
もし、少しの記憶が残っていても、大昔の事ですので、大きく変わっているのでしょうね。
快晴の青空の元、直ぐ近くのコインパーキングに車を預け、イソイソと向かいます。太宰府天満宮 寺・神社・教会
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太宰府天満宮の旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社です。
神紋は梅で、祭神は菅原道真公(菅公)です。
現在、京都の北野天満宮と共に全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として信仰されています。
しかしながら、歴史を調べると非常に怖いです。所謂オカルト的な話で、「道真公の祟り」というのが、実しやかに語られていました。
そしてこの地の「牛」は、「道真公の祟り」のスタートに関わる重要な役割です。 -
本殿は五間社流造で屋根檜皮葺で、正面に1間の唐破風造の向拝があります。
左右側面には、1間の唐破風造の車寄があり、廻廊が前方の楼門まで廻っている構造です。
「道真公の祟り」と恐れられた始まりは、右大臣であった菅原道真が901年に陰謀によって大宰府に左遷され、失意のうちに903年に死去、その葬送の牛車が安楽寺の門前で動かなくなった事で「道真公がこの地に留まりたいと言っている。」と考えられ廟が建立されました。
丁度その頃、都では疫病や異常気象が続き、909年には陰謀を企てた、藤原時平が39歳で死去する等、不幸が続いたことから「道真の祟り」というのが囁かれ始め、大宰府の墓所の上に919年社殿を造営されました。 -
その後も、皇太子が21歳で死去する等の不幸が続いた事から、朝廷は道真公を生前の官職に復し、正二位の位階を追贈し「祟り」の沈静化を図ったようですが、新皇太子も5歳で死去、天皇臨席での会議途中に落雷があり、死傷者が出る等の事象が続き、道真公亡き後の30年ほどの間に、道真公を失脚させる陰謀の関係者と思われる天皇1人、皇太子2人、右大臣等の高級貴族が死亡した事を考えると、科学的根拠は全くありませんが、本当に「道真公の祟り」と呼ばれても不思議が無いように思います。
時の政所は、本気で道真公の「怨霊」を信じ、鎮める事を考えたのだと思います。
民衆も、太政大臣追贈等まで追い込んだ「道真公の祟り」を「神の力」と置き換え、道真公への御霊信仰が高まり、990年頃からは本来は天皇、皇族を祀る神社の社号である「天満宮」も併用されるようになったようです。
1004年には、一条天皇が北野天満宮へ行幸し、太宰府へも勅使を遣わせた事からも道真公への御霊信仰、崇敬は頂点となったようです。 -
もう一つ、道真公といえば「飛梅」伝説です。
道真公が、左遷で太宰府に向かう際、都の屋敷内の庭木の中でも愛でてきた梅・桜・松との別れを惜しみ、梅の木に語りかけるように詠んだ次の歌で有名です。
「東風吹かば にほひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘る」
伝説では、道真公を慕う庭木の内、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知り、悲しみのあまり葉を落とし枯れてしまったのですが、梅と松は、道真の後を追いたい気持ちが強く、空を飛んだが松は途中で力尽きてしまい、現在の神戸市須磨区板宿町近くの「飛松岡」と呼ばれる丘にで根を下ろし、梅は一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったということです。
「怨霊」「祟り」の道真公への天神信仰が、のちに南北朝の内乱期を境に変化していき、東福寺の僧侶が見た夢の話から生まれた渡唐天神により、怒りの形相から穏やかな顔立ちへ変わっていき、道真公の姿は、現在の頭巾を被って道教の衣服をまとい、手に梅の枝を持つ学問の神へと転化していった、と言われています。
いずれにしろ、数々の伝説が今なお語られている道真公は、頼るべきパワーが強い方であるのは間違いないですね。 -
奥様、おみくじを引いていました。
16番、中吉です。
今年の初詣でもお詣りした「服部天神」も、道真公が左遷された太宰府へ向かう途中のお話です。↓
https://4travel.jp/travelogue/11732283
全国津々浦々、天満宮の力は強いですね。 -
境内の紅葉も見頃で、綺麗です。
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秋の菊花展が終了し、迎春準備が進められていました。
来年は寅年、良い年になる事を願います。
境内東側には、太宰府天満宮から約3万㎡の無償貸与を受けて建設された遊園地、だざいふ遊園地(西鉄・太宰府天満宮等の出資による㈱太宰府園の運営)がありました。だざいふ遊園地 テーマパーク
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太宰府天満宮から遊園地前を通り、長いエスカレーターを登っていくと、2005年10月16日開館の九州国立博物館に到着です。
太宰府天満宮所有の丘陵地に建設された博物館で、狩野正信筆の紙本墨画淡彩周茂叔愛蓮図や、栄花物語 17帖等の国宝4件、重要文化財42件を含む1,279件を収蔵しています。
別に、国宝2件、重要文化財12件を含む1,300件の寄託品も収蔵している、歴史系博物館です。
九州がアジア文化の重要な窓口であったという歴史的背景等を踏まえ、基本理念は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」です。九州国立博物館 美術館・博物館
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設計は、菊竹清訓建築設計事務所・久米設計で、照明は近田玲子デザイン事務所です。
建築面積:14,623m?
延床面積:30,085m?
構造・規模:S造、SRC造、地上5階、地下2階 -
今日は嬉野温泉宿泊なので、先を急きますが、参道で梅が枝餅を購入、車中で頂きましたが美味しかったです。
梅が枝餅を購入したお店の向かいには、隈研吾氏設計のスターバックスコーヒー太宰府天満宮表参道店がありました。
「太宰府天満宮の歴史ある雰囲気を壊さないデザイン」をイメージし、釘を一切使わずに木材のみで作り上げたそうです。
長細い敷地を考慮し、光と風が流れるように約2,000本の杉材を斜めに組み立てられています。
入口から店内にかけては、伝統的な木組みが奥まで続き、隈研吾氏の作品に共通する「自然素材による伝統と現代の融合空間」は、木の温もりと開放感がある建物との事です。
内部空間を覆う木組材の全長は、4kmにも及ぶそうです。
また、奥庭には太宰府天満宮のシンボル、梅の木により自然との繋がりを感じさせ、参道と面する前庭は、街との繋がりを感じさせる空間に整備されています。スターバックス コーヒー 太宰府天満宮表参道店 グルメ・レストラン
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ちょっと早いですが、朝ご飯抜きの私達、高速道路に乗る前に、ランチの場所を探し、本日はこちら太宰府IC近くの「狐狸庵」で頂く事としました。
奥様リサーチによると、うどん店なのにほとんどの客がカツ丼を頼むらしい、メディアの取材拒否のお店という、有名店のようです。
メニューを見ると、普通のうどんメインの感じですが、常連らしき人は、席に着くなり「カツ丼」「カツ丼大」の注文ばかり、ホント店内の90%以上の人がカツ丼を食べていました。
ということで私達も「カツ丼」を・・、ただ「二つは多いね」という事で、ごぼ天うどんを発注です。
隣のテーブルの常連さんらしき人は、美味しそうな佃煮を山盛り食べていました。後からお店の方に聞くと、COVID-19対策で、高菜、たくあん、昆布の佃煮はテーブルから撤去していて、スタッフに伝えると別盛りで提供してくれるそうです。
「先に言ってよ~」という感じです。
カツ丼は、少々濃いめのダシで煮られた1cm幅位に切られたタップリのカツに、タマネギ、半熟の卵という甘辛いカツに卵が絡んで、濃い味ながら、後味はさっぱりという感じでした。
うどんは薄味の出汁で、両方共バランスが良かったですね。狐狸庵 グルメ・レストラン
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九州自動車道に乗り柳川を目指します。
当初予定では、吉野ヶ里遺跡、佐賀市内観光と思っていたのですが、天気も良いし、30年振りに柳川の川下りをしてみようかと、急遽当日エントリー変更です。
途中、基山PAで休憩です。
九州自動車道の筑紫野ICと鳥栖JCT間にあり、PAの中で最も規模が大きく、九州自動車道では初めてのコンビニも設置された、SA並の規模と設備のPAのようです。基山パーキングエリア 道の駅
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1時間程で柳川市に到着です。
柳川の川下りは有名で、30数年前に一度乗った事は覚えていますが、全く内容は覚えていません。
息子が生まれて半年位の時期で、初めての遠出で、大阪から車で大分、日田、柳川、福岡を廻ったというボンヤリとした記憶の中、船着き場のある三柱神社横の駐車場に到着です。
直線300mの参道で、春の大祭では流鏑馬が奉納される事で有名な神社です。
初代の柳川藩主 立花宗茂、岳父 戸次道雪公、宗茂室 誾千代姫の三神を祀ったことから、三柱神社と言われている柳川で有名な神社のようです。三柱神社 寺・神社・教会
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https://youtu.be/9bN0ncq7ebA
柳川の川下りは、約420年前の築城の際、城下町形成のために掘った堀を活用しています。
堀により、水利体系が整備されており、様々な仕組みが今も残っており、川下りはお堀巡りでもあるようです。
現在、柳川を代表する観光資源として活用されていますが、歴史はそれほど古くなく、川に舟を出して遊ぶ「川遊び」は古くから行われていましたが、観光としての「川下り」の定着は昭和29年、白秋の少年時代を描いた「からたちの花」の映画化のようです。
映画が公開されると「川遊び」が注目されることとなり、柳川市がドンコ船2隻を作り、昭和30年3月に柳川商工会議所が、水郷柳川の観光美を外来客に満喫させるため、川下り観光ルートを設定し、遊覧船5隻を発注したのが、現在の「川下り」のスタートといえるようです。
現在、川下りを運航している会社は7社程あり、出発地や駐車場、所要時間、ルート、乗合船の有無等を比較し、条件に合致した会社を探した結果、今回は柳川観光開発㈱を利用しました。
出発地は三柱神社横の「松月文人館」、駐車場も隣接しており便利です。
松月文人館では、数多くの色紙や写真等を見学することができ、明治中期の建物は、北原白秋の詩集にも登場した、白秋ゆかりの場所のようです。 -
川下りのルートは、松月乗船場から城堀水門に入り、城内の内堀と呼ばれる掘割を左右に折れながら下り、沖端を終点とする全長は約4.5km、所要時間約70分の内濠コースです。
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途中、船幅ギリギリの低い橋を何度もくぐりますが、船がくぐる橋を見ると、川幅よりかなり狭く造られV字型となっています。
これは、水の流れを狭い入口で留め、橋の下は流速が増すのを利用して、酸素を取り入れることで水を浄化させる手法のようです。
また、上部が広くなっているのは、水嵩が増加した際に流れ易くし、水害を防止するためのようです。
また、堀は雨水を一時貯めておくことで、はん濫を防いだり、渇水期には農業用水や防火用水等に利用したり、重要な役割を担ってきました。
有明海は干満差が 6mもあり、満潮時には陸地より海水面が高く、海水の流入を防止する堰が、約100基堀に設置されています。
干潮時に排水し、満潮時は海水の流入を防ぐ、優れものです。
このような豆知識と歴史、歌を含めた、船頭さんの名調子を聞きながら、舟は進みます。柳川川下り 乗り物
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川下りでは、舟からジュースやアイス等を購入できる水上マーケットを通ったり、松岡修造氏の母校横を通り、カッパ像、くもで網、待ちぼうけの碑等の説明や、船頭さんが地元の歌を披露したり、色々面白く退屈しません。
歴史の話も興味深く、この像の主は「土木の神様」と称される、田中吉政公です。
1590年、小田原の合戦で北条氏が滅亡し、家康が関東に移封された後、岡崎城主として岡崎城の拡張、田中堀と呼ばれる町を囲うような総堀、東海道を岡崎の中心に引き込む「岡崎城下の二十七曲り」等、岡崎城下を整備し多くが現在でも残る
貴重なものでというのは、街づくりが秀でていた証拠です。
関ヶ原の戦い後、柳川を8年間治め、筑後一円で手掛けた都市計画や事業の代表的なものが、大川市からみやま市にまたがる潮止め堤防です。
「用意周到に干潮と小潮を見極め、農民を総動員して一気に造った。」と伝えられています。
また、松田聖子さんは、筑後12万石 柳川城主だった蒲池氏の一族で、義将としても知られる蒲池鑑盛の三男 蒲池統安のようです。
江戸時代は、柳川藩の家老格の武家で、その蒲池氏のルーツは、嵯峨天皇の子の源融を祖とする嵯峨源氏らしいです。田中吉政公之像 名所・史跡
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イチオシ
紅葉の綺麗な「御花」周辺。
柳川藩主 立花家の別荘で、広大な庭園「松濤園」や、明治時代に迎賓館として建てられた「西洋館」、立花家の歴史を展示している「史料館」があります。柳川藩主立花邸「御花」 名所・史跡
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川下りを楽しむ夫婦の図。
30数年前の時は、舟も満員でしたが今回は3組、6名。
船頭さんの操舵も余裕でした。 -
終点は、沖の端。
この辺りに鰻料理のお店が多く、美味しそうな匂いが漂っています。
ここから、乗船所には送迎バスで戻ります。 -
バスの発車時刻まで少しあったので、周辺を歩いてみました。
こちらは北原白秋の生家です。
白秋は1885年1月25日生まれで、実際この地で生まれたのではないようで、熊本県南関町で生まれ、まもなくこちらに帰って来たという事ですから、実家ですね。
北原家は江戸時代以来栄えた商家で、生まれた当時は酒蔵だったようで、結構裕福な家だったようですが、1901年に酒蔵が全焼し、傾いて行ったようですが、その頃は文学に夢中となっていて、白秋を名乗り始めた頃のようです。北原白秋生家 白秋記念館 美術館・博物館
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柳川を後に、見たかった筑後川昇開橋に向かいます。
「昇開橋」の入口にある「橋の駅ドロンパ」に車を止め、歩いて渡る事としました。
「橋の駅」も何?と言う感じですが、道の駅や空の駅等があるだけに、想像はつきます。
でも「ドロンパ」って、私の世代ではアメリカ帰りのお化けで、Q太郎のライバルしか思い浮かびませんでしたが、有明海の干潟の泥の上で、ムツゴロウが背ビレをパッと広げて、勢いよく跳ねている様子を表現したと言われています。
こちらでは、弁当・惣菜、地元農産物やクチゾコ、タコ等の「有明海」の海の幸、海苔製品、季節毎の果物が販売されています。
観光案内所もありますので、立ち寄りスポットですね。
橋へ向かう道沿いには建っているのは、諸富の徐福伝説らしいです。
徐福は初めに杵島の竜王崎から上陸しようとしたが、葦が茂っていて上陸できず、海に大盃を浮かべ、これが着いたこの地に上陸したそうです。
除福上陸地には石造りの銅像・標識や「徐福上陸記念碑」があります。橋の駅ドロンパ 道の駅
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これが「筑後川昇開橋」です。
国鉄佐賀線の福岡県大川市と、佐賀県佐賀市諸富町間の筑後川に掛かっていた、鉄道用可動式橋梁で、1935年竣工です。
下を通る舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっていて、橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものです。
全長は507.2m、可動部分の長さ24.2m、昇降差は23mあり竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれていました。
2003年重要文化財、2007年機械遺産に指定(旧筑後川橋梁、筑後川昇開橋)されています。筑後川昇開橋 名所・史跡
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この場所は、筑後川の河口付近で、有明海の干満の影響を直に受け、建設当時は船が主要交通機関で、附近に港もあり、大型船の往来も激しいのですが、通常の可動橋(旋回橋、跳開橋等)では干満の影響で船が通れない可能性があったため、中央部の橋が上下可動して、船を通す構造となったようです。
昇開橋下がりの動画↓
https://youtu.be/YSkuqP1efhQ -
国鉄の民営化を前に、1987年国鉄佐賀線は廃線となりました。
橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省からも昇開橋の撤去勧告がなされ、解体が検討されましたが、地元の存続要望が強く、1992年日本国有鉄道清算事業団から大川市へ譲渡され、1996年に遊歩道として復活しました。
橋の中央付近に事務所があり、スタッフさんが私達2人だけでしたが、橋を稼働させてくれました。
ホント。青空をバックに真っ赤な橋が上下する、大感動の光景でした。 -
次に向かったのは「世界遺産」という事だけで、予備知識は全く無かった「三重津海軍所跡」です。
「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」では、三重津海軍所の歴史などが紹介されています。
佐賀藩が1858年に設立した蒸気船等の船の修理・造船施設で、西洋船運用のための教育・訓練機関も兼ね備えており、実用的な国産初の蒸気船である「凌風丸」の製造等、佐賀藩が外国海軍に対抗する洋式海軍の創立や洋式艦船の整備、西洋技術を学び、研究し、積極的に導入する重要な役割を担ってきました。
その後、敷地は河川敷という事もあり、河川改修、氾濫や堆積物等により荒廃していき、2000年代に入り発掘、文献調査が進められ、2015年に「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」として世界文化遺産に登録されていますが、見えない世界遺産として有名らしいです。
閉館時間が17時、入館が16時15分という短い時間でしたが、ボランティアスタッフさんの見事な段取りとスケジューリングで、一番良く解る映像の3コーナーを無駄なく廻る事が出来ました。
この施設は、日本赤十字社の創始者で、枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長を務め、「佐賀の七賢人」の1人である佐野常民氏の業績の顕彰と、三重津海軍所にあった「ドライドック」の一部を原寸大模型で再現し、当時の様子を大型スクリーンで解説する等、佐野常民顕彰館の趣が強いです。
歴史館のHPでは「明治日本の産業革命遺産」に関する展示を新設とありましたが、「見えない三重津」は体感できる施設となっていますが、「見えない世界遺産」です。。。 -
入口のロビー周辺に、少しだけパネル展示がされていました。
佐賀市のHPやプロモーションムービーでは、このように開き直っています。
世界遺産である「近代日本の礎を築いた貴重な史料」その全てが地中に埋まっているため、ぱっと見は広場にしか見えません。
でも、確かにあるんです、この場所に「世界遺産」が。
みえないけれど。
資料館もあります、バーチャルスコープ体験もできます、そして何より「ロマン」があります。との事ですが、
だから、みえないけれど、来てほしいんです!みえないからこそ、感じてほしいんです!
そんな思いを込めて「みえない世界遺産、みえつ。」です。
日本が幕末から明治期にかけて、西洋地域以外の地域において初めて、かつ極めて短期間のうちに産業化を果たし、飛躍的な発展を成し遂げた事から「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産登録となりました。
製鉄・製鋼、造船、石炭産業という、密接に関連する3つの重工業分野の発展を中心に据え、現存する歴史的な建造物や土木構造物、遺跡等の物的証拠により、日本の産業化が世界史的観点から極めて重要であるという事が認められた訳です。
構成資産は、九州(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県)・山口県を中心に、静岡県や岩手県を含む8県11市に分散し、相互に密接な関連性があり、遺産群全体で一つの世界遺産という形態で、3種類ある世界遺産(建造物や遺跡などの「文化遺産」、自然地域などの「自然遺産」、文化と自然の両方の要素を兼ね備えた「複合遺産」)で、同じ文化遺産である富士山、京都、法隆寺や姫路城、石見銀山のような、見る観光地で無いのが、分かり難いですね。
1日目終了。
17時出発で本日の宿泊地、嬉野温泉に向かいます。三重津海軍所跡 名所・史跡
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