ダッカ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
バングラデシュに初めて降り立ったのはトランジットで。2001年のことです。<br />この時立ち寄ったダッカにすっかり心を奪われてしまった。<br />当時ロシアのトランジットならホテルに監禁のところ、100ドル払えば秘密の市内ツアーに参加できるなんて噂も聞いたが、バングラデシュならその辺をブラブラぐらいなら「全然オッケー」。とんでもなく緩かった。<br /><br />そんなこんなで初めて見るリキシャーに感激し、 その数ヵ月後、意気揚揚とバングラに向かうことになってしまったのです・・・<br /><br />バングラデシュ縦断旅行ルート  (北から入り、南端まで行き、西から出る陸路ルート)<br /><br />2001/10/6    シリグリ→ジャルパイグリ→ハルデイバリ シリグリはダージリンへの拠点でもある<br />2001/10/7    ハルディバリ→国境→チラハティ→ソイヨドプール 国境越えは時間がかかる。<br />2001/10/8    ソイヨドプール→ラジシャヒ 黄金のベンガルを駆け抜けろ<br />2001/10/9    ラジシャヒ→プティア→ラジシャヒ 日帰りで<br />2001/10/10    ラジシャヒ観光<br />2001/10/11    ラジシャヒ<br />2001/10/11-15  ダッカ 興味深い<br />2001/10/15    ダッカ→チッタゴン<br />2001/10/16    チッタゴン→コックスバザール 途中でバスがスクールバスに変わった<br />2001/10/17    コックス→テクナフ 段々山がちに<br />2001/10/18    テクナフ→Stマーティン→テクナフ ベンガル一家に便乗日帰りツアー<br />2001/10/19    テクナフ→チッタゴン バスがぬかるみにつっこみ、乗り換え<br />2001/10/20    チッタゴン→ランガマティ 午後発夜着翌朝送還の刑<br />2001/10/21    ランガマティ→チッタゴン→ダッカ 発熱<br />2001/10/21-24  ダッカ 病み上がり元気に観光<br />2001/10/24    ダッカ→ジョソール 途中で船に乗り換える<br />2001/10/25    ジョソール→ベナポール→ジャンガオン→シアルダー<br /><br />時々時制を修正してますが基本的には旅行後に書いた日記のままです。今の状況ではないので旅行予定の方はご注意を!<br /><br />

バングラデシュ一周の旅。

24いいね!

2001/10/07 - 2001/10/25

114位(同エリア359件中)

コロコロパッカー

コロコロパッカーさん

バングラデシュに初めて降り立ったのはトランジットで。2001年のことです。
この時立ち寄ったダッカにすっかり心を奪われてしまった。
当時ロシアのトランジットならホテルに監禁のところ、100ドル払えば秘密の市内ツアーに参加できるなんて噂も聞いたが、バングラデシュならその辺をブラブラぐらいなら「全然オッケー」。とんでもなく緩かった。

そんなこんなで初めて見るリキシャーに感激し、 その数ヵ月後、意気揚揚とバングラに向かうことになってしまったのです・・・

バングラデシュ縦断旅行ルート  (北から入り、南端まで行き、西から出る陸路ルート)

2001/10/6    シリグリ→ジャルパイグリ→ハルデイバリ シリグリはダージリンへの拠点でもある
2001/10/7    ハルディバリ→国境→チラハティ→ソイヨドプール 国境越えは時間がかかる。
2001/10/8    ソイヨドプール→ラジシャヒ 黄金のベンガルを駆け抜けろ
2001/10/9    ラジシャヒ→プティア→ラジシャヒ 日帰りで
2001/10/10    ラジシャヒ観光
2001/10/11    ラジシャヒ
2001/10/11-15  ダッカ 興味深い
2001/10/15    ダッカ→チッタゴン
2001/10/16    チッタゴン→コックスバザール 途中でバスがスクールバスに変わった
2001/10/17    コックス→テクナフ 段々山がちに
2001/10/18    テクナフ→Stマーティン→テクナフ ベンガル一家に便乗日帰りツアー
2001/10/19    テクナフ→チッタゴン バスがぬかるみにつっこみ、乗り換え
2001/10/20    チッタゴン→ランガマティ 午後発夜着翌朝送還の刑
2001/10/21    ランガマティ→チッタゴン→ダッカ 発熱
2001/10/21-24  ダッカ 病み上がり元気に観光
2001/10/24    ダッカ→ジョソール 途中で船に乗り換える
2001/10/25    ジョソール→ベナポール→ジャンガオン→シアルダー

時々時制を修正してますが基本的には旅行後に書いた日記のままです。今の状況ではないので旅行予定の方はご注意を!

  • インド側移動<br /><br />バングラデシュに入る前、ダージリンにいたので、バングラデシュの北の国境から入国しました。<br />まずはインド側でのあれこれ。<br /><br />ダージリンを昼頃出ると、シリグリでジープを乗り換え、日が暮れる頃にインド側の国境の町ハルディバリに到着。<br />出国や入国は色々と時間がかかるのでここで一泊。いつも通り、ああでもないこうでもない、あっちだこっちだ、と。色んなバスに乗せられて大変だった。<br />ちなみにとんでもなく田舎のため、おトイレになかなか行かれない。<br />ある時同行者が「水!水!」とヒンディ語で叫びながら民家に駆け込んでいくので、何かと思ったら、トイレと伝えたかったんだそう。<br />なんとか知ってる単語でなんとかがんばった!<br /><br />インド側ジャルパイグリを過ぎるともう景色は黄金のベンガル!美しい並木と田園が広がります。<br />国境の町ハルデイバリは小さな町で何もないけど人は沢山いた。<br /><br />まずはハルディバリの町のイミグレでスタンプを押してもらい、税関チェック。イミグレでは写真が一枚必要なので、高校生の頃の写真を置いてくる。<br />リキシャーで畦道を進むこと数十分、チェックポイントでチャイをご馳走になる。<br />さらに進むとやっと有刺鉄線、国境です。<br />小さな小屋にいるのは2、3人のおやじだけ。なんでも本日2組目の通過者らしい。<br />荷物チェックを受け、乗ってきたリキシャーワラーが料金を上乗せして来たので、そそくさとバングラデシュへ逃げ込む。網を越えたら何も言えまい。<br /><br />それにしても、田んぼである。<br />振り返ると係員は冷たい視線でTHIS WAYと一言。<br />ディスウェイって、道沈んでるんすけど・・・<br /><br />入国早々田んぼに突っ込み対岸に渡ると、いよいよバングラ国民と接触、待ち構えていたのは一台のバンガリ。<br />足元を見られたのか、ふっかけられる。がしかし、このルートに通過者が少ないことは確認済み。両者足元の見合いである。<br />強気にいきなり言い値の4分の1で商談成立。<br /><br />バンガリに乗って、いざイミグレの町チラハティへ。町までは約1時間で、国境越えの田んぼでびしょびしょに濡れたジーンズも乾ききってしまった。<br />チラハティへの道はとても美しく、小さな村を過ぎる度に手を振ったりして旅気分に浸る。<br /><br />イミグレにて日本赤軍の指名手配写真と照合される。イミグレ職員よ、私と重信房子さんを見比べるな。彼女はオールレディアレステッドよ。<br />こんな辺鄙なところまで日本警察の手が伸びていたとは・・・<br /><br />タカを一銭も持ってなかったので、あせったバンガリワラー氏に連れてかれたのは日本人が泊まっていた宿。<br />出国する日本人にルピーを買ってもらい、なんとかタカをゲット。<br />とりあえず時間もあるので行ける所まで進んでみることに。<br /><br />夕暮れのベンガルは、まるで影絵のよう。<br />気分良く見とれていたら、座席と背もたれの間から後ろの男の足の指がにょきにょきっと出てきてちょっぴり切れた。インドはこんなことばかりだったが、ここもかよ。<br />※こんなとき、私はちゃんと切れる。<br /><br />日が暮れソイヨドプールに着くと早速50人ぐらいに囲まれ、沢山のベンガリーに惜しまれつついざ町へ。すれ違う人すれ違う人皆私たちを見ている・・・<br /><br />もはや宿泊費は残っていないにもかかわらず、またしても、のこのこと安宿にチェックイン。<br />翌日あわてて銀行に走り、素知らぬ顔でお金を払う。先払いじゃなくてよかった(´ 3`)=3 <br /><br />ソイヨドプールはガイドブックにも載っていない小さな町。きっとガイジンなんて来たことないのだろう、ミスティ(お菓子)の値段を聞いているわずかな時間に50人ぐらいの人が様子を見ていた。<br />バスの中でも食堂でもひっきりなしに話かけられ、もうぐったり。先が思いやられる旅のはじまりです・・・

    インド側移動

    バングラデシュに入る前、ダージリンにいたので、バングラデシュの北の国境から入国しました。
    まずはインド側でのあれこれ。

    ダージリンを昼頃出ると、シリグリでジープを乗り換え、日が暮れる頃にインド側の国境の町ハルディバリに到着。
    出国や入国は色々と時間がかかるのでここで一泊。いつも通り、ああでもないこうでもない、あっちだこっちだ、と。色んなバスに乗せられて大変だった。
    ちなみにとんでもなく田舎のため、おトイレになかなか行かれない。
    ある時同行者が「水!水!」とヒンディ語で叫びながら民家に駆け込んでいくので、何かと思ったら、トイレと伝えたかったんだそう。
    なんとか知ってる単語でなんとかがんばった!

    インド側ジャルパイグリを過ぎるともう景色は黄金のベンガル!美しい並木と田園が広がります。
    国境の町ハルデイバリは小さな町で何もないけど人は沢山いた。

    まずはハルディバリの町のイミグレでスタンプを押してもらい、税関チェック。イミグレでは写真が一枚必要なので、高校生の頃の写真を置いてくる。
    リキシャーで畦道を進むこと数十分、チェックポイントでチャイをご馳走になる。
    さらに進むとやっと有刺鉄線、国境です。
    小さな小屋にいるのは2、3人のおやじだけ。なんでも本日2組目の通過者らしい。
    荷物チェックを受け、乗ってきたリキシャーワラーが料金を上乗せして来たので、そそくさとバングラデシュへ逃げ込む。網を越えたら何も言えまい。

    それにしても、田んぼである。
    振り返ると係員は冷たい視線でTHIS WAYと一言。
    ディスウェイって、道沈んでるんすけど・・・

    入国早々田んぼに突っ込み対岸に渡ると、いよいよバングラ国民と接触、待ち構えていたのは一台のバンガリ。
    足元を見られたのか、ふっかけられる。がしかし、このルートに通過者が少ないことは確認済み。両者足元の見合いである。
    強気にいきなり言い値の4分の1で商談成立。

    バンガリに乗って、いざイミグレの町チラハティへ。町までは約1時間で、国境越えの田んぼでびしょびしょに濡れたジーンズも乾ききってしまった。
    チラハティへの道はとても美しく、小さな村を過ぎる度に手を振ったりして旅気分に浸る。

    イミグレにて日本赤軍の指名手配写真と照合される。イミグレ職員よ、私と重信房子さんを見比べるな。彼女はオールレディアレステッドよ。
    こんな辺鄙なところまで日本警察の手が伸びていたとは・・・

    タカを一銭も持ってなかったので、あせったバンガリワラー氏に連れてかれたのは日本人が泊まっていた宿。
    出国する日本人にルピーを買ってもらい、なんとかタカをゲット。
    とりあえず時間もあるので行ける所まで進んでみることに。

    夕暮れのベンガルは、まるで影絵のよう。
    気分良く見とれていたら、座席と背もたれの間から後ろの男の足の指がにょきにょきっと出てきてちょっぴり切れた。インドはこんなことばかりだったが、ここもかよ。
    ※こんなとき、私はちゃんと切れる。

    日が暮れソイヨドプールに着くと早速50人ぐらいに囲まれ、沢山のベンガリーに惜しまれつついざ町へ。すれ違う人すれ違う人皆私たちを見ている・・・

    もはや宿泊費は残っていないにもかかわらず、またしても、のこのこと安宿にチェックイン。
    翌日あわてて銀行に走り、素知らぬ顔でお金を払う。先払いじゃなくてよかった(´ 3`)=3 

    ソイヨドプールはガイドブックにも載っていない小さな町。きっとガイジンなんて来たことないのだろう、ミスティ(お菓子)の値段を聞いているわずかな時間に50人ぐらいの人が様子を見ていた。
    バスの中でも食堂でもひっきりなしに話かけられ、もうぐったり。先が思いやられる旅のはじまりです・・・

  • ソイヨドプールを早々においとまして、二日目は北西部第一の都市ラジシャヒへ向かう。<br />まだまだ雨季の明けきれぬ10月のベンガル、道中ずっと噂に聞くハオルが広がっている。<br /><br />道の両側が湖のようになっているので、まるで水上を走っているみたい。当時はまだ未公開だった千と千尋のあのシーンみたい。<br />涼しい風を浴びながら、旅人気分を盛り上げる。<br /><br />巨大なハオルと緑美しいベンガルの木々はとっても素敵なのですが、地元の人には迷惑な存在らしく、この日も幹線道路を迂回していたらしい。<br />個人的には何時間見つづけても飽きないぐらい美しい景色に大満足。<br />昼頃ソイヨドプールを出ると、 夕暮れ前にはラジシャヒに到着。<br /><br />ラジシャヒは大きな町。メインストリートからすぐの場所に宿を取る。<br />町を流れるポッタ川は、市民の憩いの場所。時にはちょこっとだけ屋台も出る。<br />静かに夕涼みをしたかったのに、振り返れば35人ぐらいが私たちを見物していたので早々退散。<br />なんて落ち着かない国なんだ・・・<br /><br />小さな遺跡の村、プティアへ日帰り旅もした。池を囲みこの地方独特の小さな遺跡が点在する。<br />すべて徒歩で見て回れる。小さな村なので人も少なく、 散々都会で人の目にさらされてきたので、ほっと一息つけた。<br /><br />帰りのバスはエラいことになっていた。都会行きのバスが混んでいるのはお約束。けれどラジシャヒ行きのバスは。。。<br />後ろはおろか、窓さえも見えないほどすし詰め状態。<br />やっと勝ち取った席運転手の真横、エンジンの真上、フロントガラスの一歩手前。私のカラダ、運転手より前に出てるんですけど・・・急ブレーキかけられたら死ぬな。

    ソイヨドプールを早々においとまして、二日目は北西部第一の都市ラジシャヒへ向かう。
    まだまだ雨季の明けきれぬ10月のベンガル、道中ずっと噂に聞くハオルが広がっている。

    道の両側が湖のようになっているので、まるで水上を走っているみたい。当時はまだ未公開だった千と千尋のあのシーンみたい。
    涼しい風を浴びながら、旅人気分を盛り上げる。

    巨大なハオルと緑美しいベンガルの木々はとっても素敵なのですが、地元の人には迷惑な存在らしく、この日も幹線道路を迂回していたらしい。
    個人的には何時間見つづけても飽きないぐらい美しい景色に大満足。
    昼頃ソイヨドプールを出ると、 夕暮れ前にはラジシャヒに到着。

    ラジシャヒは大きな町。メインストリートからすぐの場所に宿を取る。
    町を流れるポッタ川は、市民の憩いの場所。時にはちょこっとだけ屋台も出る。
    静かに夕涼みをしたかったのに、振り返れば35人ぐらいが私たちを見物していたので早々退散。
    なんて落ち着かない国なんだ・・・

    小さな遺跡の村、プティアへ日帰り旅もした。池を囲みこの地方独特の小さな遺跡が点在する。
    すべて徒歩で見て回れる。小さな村なので人も少なく、 散々都会で人の目にさらされてきたので、ほっと一息つけた。

    帰りのバスはエラいことになっていた。都会行きのバスが混んでいるのはお約束。けれどラジシャヒ行きのバスは。。。
    後ろはおろか、窓さえも見えないほどすし詰め状態。
    やっと勝ち取った席運転手の真横、エンジンの真上、フロントガラスの一歩手前。私のカラダ、運転手より前に出てるんですけど・・・急ブレーキかけられたら死ぬな。

  • ラジシャヒからダッカへはバス移動。<br />ダッカへは6時間の予定。が、実際にかかった時間はなんと12時間。<br /><br />ダッカに行くにはジョムナ川という巨大な川にかかる橋を渡る。ビーマンのポスターにもなっていた巨大な橋。でっかい。氾濫して川の流れが多少変わっても大丈夫なくらい、でっかい。ダッカへやこの橋を越えていく。<br /><br />さて、バスはいよいよダッカ近郊へ・・・と思ったらそこから3時間ぐらい大渋滞に巻き込まれていた。 お誕生日なのに・・・<br /><br />こうしてどうにかこうにか3ヶ月ぶりのダッカについたのは、夜の8時、グリスタン近くのバス停に降ろされる。<br />近くのホテルを何件か巡るも、どこも値段の割りに超汚い!<br />シーツはシミだらけ、壁はパンの痕跡だらけ(パンは噛みたばこ、つばが赤くなり、それを壁にぺっぺと吐くのだ。)、Gがひしめき、かび臭い!!!<br />おまけにどこもぜんぜんまけてくれない。<br />もう夜なのに・・・お誕生日なのに・・・<br /><br />一体何軒見てまわったのだろう、何件目のイスラミックな宿で女はダメだと言われて、さすがにもう半泣きになった。<br />こんな夜更けにふらふらになってやってきた、その日お誕生日の旅人を追い出すの!?アッラーは旅人をもてなすんじゃなかったのか!?<br /><br />行く当てがほんとになくなった哀れな日本人をアッラーは見捨てはしなかった。<br />宿泊が許可されたら、なんだか皆す ごく親切にしてくれてお水などを買ってきてくれた。あ、ありがとう。<br />やっぱりアッラーは偉大です。旅人にやさしくするのがイスラムの流儀、後世まで大事にしてほしい。<br /><br />よりにもよって大渋滞に巻き込まれた挙句、この旅屈指の汚いを通り越して不衛生な(親切にしてもらって言うのもおこがましいのですが本当に悪夢に出るほどのお部屋でした)部屋に荷物を置いたのは夜10時。お誕生日なのに。<br />停電用のろうそくに火をつけて、ひとりぼっち歌ったよ、はぴばすでぇ トゥミー。<br /><br />なお、あんなにトホホな思いをしたのに2年後のお誕生日にもちゃっかりミャンマーにて移動していた。学習しない。<br />

    ラジシャヒからダッカへはバス移動。
    ダッカへは6時間の予定。が、実際にかかった時間はなんと12時間。

    ダッカに行くにはジョムナ川という巨大な川にかかる橋を渡る。ビーマンのポスターにもなっていた巨大な橋。でっかい。氾濫して川の流れが多少変わっても大丈夫なくらい、でっかい。ダッカへやこの橋を越えていく。

    さて、バスはいよいよダッカ近郊へ・・・と思ったらそこから3時間ぐらい大渋滞に巻き込まれていた。 お誕生日なのに・・・

    こうしてどうにかこうにか3ヶ月ぶりのダッカについたのは、夜の8時、グリスタン近くのバス停に降ろされる。
    近くのホテルを何件か巡るも、どこも値段の割りに超汚い!
    シーツはシミだらけ、壁はパンの痕跡だらけ(パンは噛みたばこ、つばが赤くなり、それを壁にぺっぺと吐くのだ。)、Gがひしめき、かび臭い!!!
    おまけにどこもぜんぜんまけてくれない。
    もう夜なのに・・・お誕生日なのに・・・

    一体何軒見てまわったのだろう、何件目のイスラミックな宿で女はダメだと言われて、さすがにもう半泣きになった。
    こんな夜更けにふらふらになってやってきた、その日お誕生日の旅人を追い出すの!?アッラーは旅人をもてなすんじゃなかったのか!?

    行く当てがほんとになくなった哀れな日本人をアッラーは見捨てはしなかった。
    宿泊が許可されたら、なんだか皆す ごく親切にしてくれてお水などを買ってきてくれた。あ、ありがとう。
    やっぱりアッラーは偉大です。旅人にやさしくするのがイスラムの流儀、後世まで大事にしてほしい。

    よりにもよって大渋滞に巻き込まれた挙句、この旅屈指の汚いを通り越して不衛生な(親切にしてもらって言うのもおこがましいのですが本当に悪夢に出るほどのお部屋でした)部屋に荷物を置いたのは夜10時。お誕生日なのに。
    停電用のろうそくに火をつけて、ひとりぼっち歌ったよ、はぴばすでぇ トゥミー。

    なお、あんなにトホホな思いをしたのに2年後のお誕生日にもちゃっかりミャンマーにて移動していた。学習しない。

  • かわいらしいモスク・スターマスジットには日本の浮世絵を模したタイルが ありました。<br /><br />ダッカは人とリキシャがいっぱいで、空気が悪かった。そして街灯が少ない。<br />街自体はとっても広く、 カトマンドゥやヤンゴン、ホーチミンなどと比べるとはるかに大きく近代的。<br />車もそこそこ走っているし、モノも多く活気がある。<br />ダッカの中心だけ見てると、とてもここが最貧国だとは思えない。<br />ツーリストが普通に歩くようなところには、スラムのような地区も全然見あたらなかった。<br /><br />色々な写真集でダッカのスラムやゴミ集めをする少年の写真を見るが、少なくとも以下の地区では そんな光景は見なかった。<br /><br />たとえばモティジールなどはビルが立ち並び道も広く近代的。だけど走るのは車よりリキシャーが多いというギャップも。<br /><br />治安はというと、ダッカのいたるところを歩いてまわりましたが、治安はさほど悪くない感じでした。<br />何しろどこにでも人がいるので、それが逆に歩きやすくしてくれました。<br />とはいえそこは最貧国の一つ。散歩といえど、ひとけのない路地と人情溢れる路地を見分けながら、気を抜かずに歩く。<br /><br />ダッカ市内では小さな市バスが頻繁に走っており、車掌(かと思いきやただの客のこともある) がけたたましく行き先を連呼し、客寄せしています。<br />無理やり乗って車掌が来たらお金を払うのですが、女性はムハンマドの教え?に従い何が何でも座らせるらしく、 また、前方にまとめられることが多いので何かと安心です。<br />おばちゃんが必ずバングラ○△□~、ベンガル語しゃ べれるんかいな??と尋ねてくる。<br />行き先を告げておけば降りる時にはみんながここだここだと教えてくれるので、 市バスはとても快適でした。<br /><br />暗くなってからでもバスは常に満席状態で、 小道をすり抜けていくリキシャーよりは私は好きでした。<br />ただし日没後バスには あまり女性が乗っていませんでした。<br />また、土地の女性もリキシャーやバスに乗ると きは男性パートナーなり友人同士など、単独行動は避けているようでした。

    かわいらしいモスク・スターマスジットには日本の浮世絵を模したタイルが ありました。

    ダッカは人とリキシャがいっぱいで、空気が悪かった。そして街灯が少ない。
    街自体はとっても広く、 カトマンドゥやヤンゴン、ホーチミンなどと比べるとはるかに大きく近代的。
    車もそこそこ走っているし、モノも多く活気がある。
    ダッカの中心だけ見てると、とてもここが最貧国だとは思えない。
    ツーリストが普通に歩くようなところには、スラムのような地区も全然見あたらなかった。

    色々な写真集でダッカのスラムやゴミ集めをする少年の写真を見るが、少なくとも以下の地区では そんな光景は見なかった。

    たとえばモティジールなどはビルが立ち並び道も広く近代的。だけど走るのは車よりリキシャーが多いというギャップも。

    治安はというと、ダッカのいたるところを歩いてまわりましたが、治安はさほど悪くない感じでした。
    何しろどこにでも人がいるので、それが逆に歩きやすくしてくれました。
    とはいえそこは最貧国の一つ。散歩といえど、ひとけのない路地と人情溢れる路地を見分けながら、気を抜かずに歩く。

    ダッカ市内では小さな市バスが頻繁に走っており、車掌(かと思いきやただの客のこともある) がけたたましく行き先を連呼し、客寄せしています。
    無理やり乗って車掌が来たらお金を払うのですが、女性はムハンマドの教え?に従い何が何でも座らせるらしく、 また、前方にまとめられることが多いので何かと安心です。
    おばちゃんが必ずバングラ○△□~、ベンガル語しゃ べれるんかいな??と尋ねてくる。
    行き先を告げておけば降りる時にはみんながここだここだと教えてくれるので、 市バスはとても快適でした。

    暗くなってからでもバスは常に満席状態で、 小道をすり抜けていくリキシャーよりは私は好きでした。
    ただし日没後バスには あまり女性が乗っていませんでした。
    また、土地の女性もリキシャーやバスに乗ると きは男性パートナーなり友人同士など、単独行動は避けているようでした。

  • ショドルガットはダッカの港で、沢山の船が停泊しています。 <br />バングラの川は大河であったり、川の流れが毎年変わってしまったりするため、橋は少ない。交通手段を確保するために長距離を行く船が活躍していたので、バングラ旅行のハイライトにする旅行者も多いとか。<br />ダッカの港、ショドルガットの光景は圧巻。当時はロケットスチーマーも現役でした。<br /><br />渡し舟が頻繁に出ていたので、船の見物ついでにちょっと渡ってきました。<br />今は渡し舟が強盗に早変わりしたりするようで、気軽に乗ってはいけないみたい。<br /><br />ラールキラーパークは市民の憩いの場。入場料を取るため 来ている人の身なりがよかった。この写真の子たちの服からも分かります。ちょっとした博物館もある。<br /><br />ヒルトンダッカにも入ってみました、ビーサンで。<br />5つ☆なのですが そういう雰囲気をみじんも感じさせないフレンドリーな作りでした。外観はぼろかったけど、中は ぴかぴか。<br />地方で最も貧しい人々を見て、都会で最もリッチな人々を見る。観光地以外にも、確かめなくては ならないことは沢山あります。<br /><br />ミルプロード沿いにあるフランス関係のアトリエでは、硫酸犯罪による被害者の写真展をやっていました。<br />サロンではピアノ教室が開かれていて、 最もお金持ちの部類の子がキレイなメープルシロップ色のピアノを弾いていました。どの国でも必ずいるのはこの手の子息。<br /><br />バングラデシュの お土産はなんといってもノクシカタ。女性たちが作る美しい刺 繍で、その方法や絵柄は作り手によって全く異なります 。<br />パターンでなく日常生活を刺繍にしているところが素敵なんです。<br /><br />アーロンというNGOのお土産屋さんはほとんどが女性の従業員だったことも印象的。商品から従業員さんまで、 しっかりと管理されているようでした。<br /><br />ホテルや土産物屋に勤めている女性は英語も堪能なので、 私生活や宗教と仕事の関係など、とても気さくに話してくれました。<br />とても進歩的な考えの女性で、「アッラーは女が働くことを禁止してはいないのよ、私もっと働きたいわ、でも旦那の 世話もしなくちゃならないから大変よ~」などとぼやいていました。<br /><br />しかし中には完全商用なのもあり、 「女性たちには売上の何割が渡るの?」という質問はうやむやにされたりもしました。

    ショドルガットはダッカの港で、沢山の船が停泊しています。
    バングラの川は大河であったり、川の流れが毎年変わってしまったりするため、橋は少ない。交通手段を確保するために長距離を行く船が活躍していたので、バングラ旅行のハイライトにする旅行者も多いとか。
    ダッカの港、ショドルガットの光景は圧巻。当時はロケットスチーマーも現役でした。

    渡し舟が頻繁に出ていたので、船の見物ついでにちょっと渡ってきました。
    今は渡し舟が強盗に早変わりしたりするようで、気軽に乗ってはいけないみたい。

    ラールキラーパークは市民の憩いの場。入場料を取るため 来ている人の身なりがよかった。この写真の子たちの服からも分かります。ちょっとした博物館もある。

    ヒルトンダッカにも入ってみました、ビーサンで。
    5つ☆なのですが そういう雰囲気をみじんも感じさせないフレンドリーな作りでした。外観はぼろかったけど、中は ぴかぴか。
    地方で最も貧しい人々を見て、都会で最もリッチな人々を見る。観光地以外にも、確かめなくては ならないことは沢山あります。

    ミルプロード沿いにあるフランス関係のアトリエでは、硫酸犯罪による被害者の写真展をやっていました。
    サロンではピアノ教室が開かれていて、 最もお金持ちの部類の子がキレイなメープルシロップ色のピアノを弾いていました。どの国でも必ずいるのはこの手の子息。

    バングラデシュの お土産はなんといってもノクシカタ。女性たちが作る美しい刺 繍で、その方法や絵柄は作り手によって全く異なります 。
    パターンでなく日常生活を刺繍にしているところが素敵なんです。

    アーロンというNGOのお土産屋さんはほとんどが女性の従業員だったことも印象的。商品から従業員さんまで、 しっかりと管理されているようでした。

    ホテルや土産物屋に勤めている女性は英語も堪能なので、 私生活や宗教と仕事の関係など、とても気さくに話してくれました。
    とても進歩的な考えの女性で、「アッラーは女が働くことを禁止してはいないのよ、私もっと働きたいわ、でも旦那の 世話もしなくちゃならないから大変よ~」などとぼやいていました。

    しかし中には完全商用なのもあり、 「女性たちには売上の何割が渡るの?」という質問はうやむやにされたりもしました。

  • ダッカはなんだかんだで 一週間近くいて、排気ガスにまみれながら、連日暑さにも負けず徘徊してきました。意外と見るとこ多くて忙しかったです。<br />私が一番好きだったのはオールドダッカ地区。<br />どこの国でもオールド・下町と付くところを歩くのは楽しい。道が狭く、 小さな商店が並び、時々すごい古い建物があったり・・・歩いて周るにはいささか大きすぎるが、1日かけてゆっくり散歩 したい地区。<br /><br />オールドダッカのとある立派なお菓子屋さんでは、パンと飲み物を注文したところ、オーナーが親日家でバナナとクッキーとチャイをご馳走してくれた。<br />その上パンと飲み物のお代も取らず、お店のクッキーをごっそり と持たせてくれた。<br />きっと彼が日本に来た時親切にしてくれた日本人がいたんだろうな。<br /><br />バングラにはこの店みたいに色んな形の手作りクッキーを瓶につめ並べているお店が結構あり、袋詰のクッキーより おいしい!<br />インドみたいにクッキーにカレー粉入れたりしないよ。<br />たまに出来たてのクッキーをあれこれ味見させてくれたりもする。<br />以来常にクッキーを携帯。 でもここのクッキーほどおいしかったのは他になかった。<br />サクサク度が違ったの。また行きたいな~。<br />ボロカトラ・ チョットカトラの近くの下町っぽいところにありました。<br />この他にもリキシャー代を払ってくれたりチャイをご馳走してくれたりと、沢山親切さんに出会った。<br />「きみはこの国のお客さんなんだから気にするな」というおじさんのかっこいい言葉が忘れられない。<br />私も日本に来た ガイジンさんには親切にしなくちゃいかんです。<br /><br />ボロカトラ・チョットカトラは門のようなレンガ造りの古い建物。<br />オールドダッカでも一段と下町らしさを増した街の雰囲気に マッチしてていいかんじでした。中からイスラム装束を来た男の子が笑いかけてくれて、これがまた 絵になる光景で。一瞬中世にタイムスリップしたかのようでした。<br />

    ダッカはなんだかんだで 一週間近くいて、排気ガスにまみれながら、連日暑さにも負けず徘徊してきました。意外と見るとこ多くて忙しかったです。
    私が一番好きだったのはオールドダッカ地区。
    どこの国でもオールド・下町と付くところを歩くのは楽しい。道が狭く、 小さな商店が並び、時々すごい古い建物があったり・・・歩いて周るにはいささか大きすぎるが、1日かけてゆっくり散歩 したい地区。

    オールドダッカのとある立派なお菓子屋さんでは、パンと飲み物を注文したところ、オーナーが親日家でバナナとクッキーとチャイをご馳走してくれた。
    その上パンと飲み物のお代も取らず、お店のクッキーをごっそり と持たせてくれた。
    きっと彼が日本に来た時親切にしてくれた日本人がいたんだろうな。

    バングラにはこの店みたいに色んな形の手作りクッキーを瓶につめ並べているお店が結構あり、袋詰のクッキーより おいしい!
    インドみたいにクッキーにカレー粉入れたりしないよ。
    たまに出来たてのクッキーをあれこれ味見させてくれたりもする。
    以来常にクッキーを携帯。 でもここのクッキーほどおいしかったのは他になかった。
    サクサク度が違ったの。また行きたいな~。
    ボロカトラ・ チョットカトラの近くの下町っぽいところにありました。
    この他にもリキシャー代を払ってくれたりチャイをご馳走してくれたりと、沢山親切さんに出会った。
    「きみはこの国のお客さんなんだから気にするな」というおじさんのかっこいい言葉が忘れられない。
    私も日本に来た ガイジンさんには親切にしなくちゃいかんです。

    ボロカトラ・チョットカトラは門のようなレンガ造りの古い建物。
    オールドダッカでも一段と下町らしさを増した街の雰囲気に マッチしてていいかんじでした。中からイスラム装束を来た男の子が笑いかけてくれて、これがまた 絵になる光景で。一瞬中世にタイムスリップしたかのようでした。

  • ダッカからバスで半日、バングラデシュ第二の都市チッタゴンは賑やかな街。バザールはとても大きく賑やか。どこもかしこもひと・ひと・ひと!!!<br />バザールには、外国のおかしやキッコーマンを売る雑貨屋、あらゆる類の洋服屋さん、近郊の船舶解体所から拾ってきたと見られる 工具類などなど、多種多様の店がひしめいている。<br />そして人だらけで疲れる。<br />おまけにこの街だけで2回も尾行された。<br />ひとりのおっさんなど、勝手についてきて、おなじミスティ屋さんに入っていかにも私の連れを装い同じものを注文していた。<br />意味がわからないので一人分のお金を置いてさっさと逃げてきたが、なんだかちょっと疲れてしまって早々にホテルに引き篭もることにした。MTVでは当時からシャールクカーンが活躍していた。<br /><br />写真はフィシュカリガット 漁港。魚市を兼ねている。<br />船は木造が多く、日本の漁船を思わせる色とりどりの登り旗がたなびく。<br />魚市は昼前には早々に撤収されていて、時間を間違えた私が魚に変わって人々の見せ物になっていた。<br /><br />漁港では20人ぐらいの漁師の子供たちが笑うわけでも怒る訳でもなく無表情で後を付いて来る。<br />この子たちの服装とダッカのラールキラーの子供たちの服装を比べてみてください。<br />きっとここにいる子たちはバングラデシュでも かなり貧しい子供だちだと思います。<br />最貧国と言われるバングラデシュの中にも、大きな貧富の差があるようです。

    ダッカからバスで半日、バングラデシュ第二の都市チッタゴンは賑やかな街。バザールはとても大きく賑やか。どこもかしこもひと・ひと・ひと!!!
    バザールには、外国のおかしやキッコーマンを売る雑貨屋、あらゆる類の洋服屋さん、近郊の船舶解体所から拾ってきたと見られる 工具類などなど、多種多様の店がひしめいている。
    そして人だらけで疲れる。
    おまけにこの街だけで2回も尾行された。
    ひとりのおっさんなど、勝手についてきて、おなじミスティ屋さんに入っていかにも私の連れを装い同じものを注文していた。
    意味がわからないので一人分のお金を置いてさっさと逃げてきたが、なんだかちょっと疲れてしまって早々にホテルに引き篭もることにした。MTVでは当時からシャールクカーンが活躍していた。

    写真はフィシュカリガット 漁港。魚市を兼ねている。
    船は木造が多く、日本の漁船を思わせる色とりどりの登り旗がたなびく。
    魚市は昼前には早々に撤収されていて、時間を間違えた私が魚に変わって人々の見せ物になっていた。

    漁港では20人ぐらいの漁師の子供たちが笑うわけでも怒る訳でもなく無表情で後を付いて来る。
    この子たちの服装とダッカのラールキラーの子供たちの服装を比べてみてください。
    きっとここにいる子たちはバングラデシュでも かなり貧しい子供だちだと思います。
    最貧国と言われるバングラデシュの中にも、大きな貧富の差があるようです。

  • この後南に行き、再びチッタゴンに戻ったあと、チッタゴン丘陵にあるカプタイ湖とそのほとりの町ランガマティに行きました。ここに住むチャクマと呼ばれる人々に会いたかったからです。<br /><br />チャクマという人々は、南アジア系の顔つきではなく、私たちに非常に近い顔立ちをしていて、インド圏にありながら、東南アジア風の習慣を持ち込み丘陵地帯で暮す人々。<br />そのためしばしばベンガル人と衝突が起こっているそうで、このあたりの情勢はまだまだ完全に解決されているとは言い難いそうです。<br /><br />チッタゴンをお昼頃出発。<br />山方面へのバスは超ローカルバスで乗車率150%。<br />走り出すとすぐにチッタゴン丘陵に入り、ここからはかなりの山道となる。<br />途中何度も検問があり、外国人を乗せている場合、運転手が申告し、一人パスポートチェックを受ける。<br />さらに進むといよいよチャクマの森へ!<br /><br />チャクマの人々はハデハデな色の民族衣装を着ている。<br />女性は巻きスカート、バックはミャンマー式のシャンバック。素敵。<br />家や村の様子もベンガル人のそれとは異なり、おまけに山の中なので、 まるで他の国にいるような気分。<br />やがて本日の目的地、カプタイ湖がチラチラっと目の前の山の間に現れたころ、最後のチェックポイントでバスを下ろされた。<br />外はもう 暗くなってきている。チェックポイントにいるのは私と数人の役人、そして別便で来た白人のツーリスト。<br />どうやらガイジンは許可なしでは来ていけなかったらしい。<br />私の持っていたガイドブックにはそんなことは何も書いていなかった。<br />なぜもっと前のチェックポイントで止めてくれないんだ・・・5時間の間に何回かあったのに。<br />白人は聞き分けがよくさっさと帰ってしまった。<br /><br />日も暮れてきているし、これからこの山岳地帯を移動するとなるとそれも危険なんじゃないの!?<br />とにかく役人と話をせねば。<br />とそこへ助け船が。パジェロに乗った うさんくさいサングラスの刈り上げ中国人!!<br /><br />「仕事の帰りなんだ、もしよかったら一緒にチッタゴンに戻らないかい?」<br />(ただでさえ危険な夜道に刈り上げの車にのこのこ乗れるか!)<br />ベンガリー「あいつらは危険だ、やめておけ、今夜は国営ホテル(推定35ドル)に泊まれ。」<br /><br />チャイナ「何言ってるんだ、ここにいたって危険だろ、さぁマダム、僕達と一緒にチッタゴンに戻ろう、 金なら全部出してあげる(!!)さ。」<br />ベンガル「あいつらはウソをついている」<br />チャイナ「うそつきはお前たちだろう」<br />(やめて!私のためにケンカしないで!!)<br />チャイナ「そうかい、それなら勝手にするんだな」<br />(えええ、行くんかい!?)<br /><br />外は真っ暗、ここにいるのはベンガル人男性二人。<br />これはやばい。帰るバスももうない、35ドルの国営ホテルに泊まるしかないのか、 それはやばい、本気で手持ちのお金がない。<br />ということはやはり、あれをするしかないのか・・・<br /> 「ディスカウントぷりーず」<br /><br />私のいっぱいいっぱいっぷりが伝わったのか、役人が 民間の宿を当たってみてくれた。<br />調子に乗って5ドル以下にしてくれと言ってみたが 言うまでもなくスルーされる。<br /><br />なんでも外国人を泊める宿は許可した宿だけだとかで、またトラブルを恐れてか、引き受ける宿がなかなか見つからない。<br />やっと受け入れ先が決まってほっと一息、やってきたオートリキシャーに 乗り込もうとしたら、なぜか役人が一緒に乗ってきた。ちょっと怖かったけどこの方が奔走してくれてとても助かった。<br /><br />宿についたら今度はオーナーがここにきて渋りだした。<br />なんでも前に泊まった白人が部屋を破壊していったからガイジンはいやなのだとか。そんな怪力はないわ。<br /><br />宿から出るな、明日になったらとっとと帰れ、そういい残して役人は帰っていった。<br />申し訳ない。<br />私は一体なんのために ここに来たのか、5時間もかけてボロバスにのり、宿のトイレットペーパーには 今世紀最大のゴキブリがペトッとくっついていて、おっと今世紀はついこの間からだった。<br />とにかく 何も見ず、どこにも行かず、また5時間かけて山を戻るのか。<br />オーナーが食事を運んできてくれたが、安全のためか塔の入り口には鍵がかけられてしまった。軟禁だ。<br />停電の中、まだ見ぬカプタイ湖の淡水魚カレーを 蝋燭の下でもくもくと食べつづけた。<br />美味。魚美味。魚もっとください、魚獲りたい・・・カプタイ湖見たかった・・・<br />せめてもの救いといえば、宿のスィートルームをエコノミー料金にディスカウントしてもらったことぐらいか。<br />推定20畳、大きすぎる。<br /><br />この日、なんでもなかった体調が、なんといきなり40度も発熱してしまった。疲労困憊でした・・・そうなこんなで無事ダッカまで戻りました。<br /><br />この地域が微妙な状態にあることを知っていたら、せめて観光局で確認をとるぐらいしてればよかったわけで (本にはパーミットがいることは触れられていなかった)移動すると分かっていたなら午前中早々に 出発していればよかった。<br />そういう普通のことを怠けたから起こってしまったことなのです。 自業自得です。

    この後南に行き、再びチッタゴンに戻ったあと、チッタゴン丘陵にあるカプタイ湖とそのほとりの町ランガマティに行きました。ここに住むチャクマと呼ばれる人々に会いたかったからです。

    チャクマという人々は、南アジア系の顔つきではなく、私たちに非常に近い顔立ちをしていて、インド圏にありながら、東南アジア風の習慣を持ち込み丘陵地帯で暮す人々。
    そのためしばしばベンガル人と衝突が起こっているそうで、このあたりの情勢はまだまだ完全に解決されているとは言い難いそうです。

    チッタゴンをお昼頃出発。
    山方面へのバスは超ローカルバスで乗車率150%。
    走り出すとすぐにチッタゴン丘陵に入り、ここからはかなりの山道となる。
    途中何度も検問があり、外国人を乗せている場合、運転手が申告し、一人パスポートチェックを受ける。
    さらに進むといよいよチャクマの森へ!

    チャクマの人々はハデハデな色の民族衣装を着ている。
    女性は巻きスカート、バックはミャンマー式のシャンバック。素敵。
    家や村の様子もベンガル人のそれとは異なり、おまけに山の中なので、 まるで他の国にいるような気分。
    やがて本日の目的地、カプタイ湖がチラチラっと目の前の山の間に現れたころ、最後のチェックポイントでバスを下ろされた。
    外はもう 暗くなってきている。チェックポイントにいるのは私と数人の役人、そして別便で来た白人のツーリスト。
    どうやらガイジンは許可なしでは来ていけなかったらしい。
    私の持っていたガイドブックにはそんなことは何も書いていなかった。
    なぜもっと前のチェックポイントで止めてくれないんだ・・・5時間の間に何回かあったのに。
    白人は聞き分けがよくさっさと帰ってしまった。

    日も暮れてきているし、これからこの山岳地帯を移動するとなるとそれも危険なんじゃないの!?
    とにかく役人と話をせねば。
    とそこへ助け船が。パジェロに乗った うさんくさいサングラスの刈り上げ中国人!!

    「仕事の帰りなんだ、もしよかったら一緒にチッタゴンに戻らないかい?」
    (ただでさえ危険な夜道に刈り上げの車にのこのこ乗れるか!)
    ベンガリー「あいつらは危険だ、やめておけ、今夜は国営ホテル(推定35ドル)に泊まれ。」

    チャイナ「何言ってるんだ、ここにいたって危険だろ、さぁマダム、僕達と一緒にチッタゴンに戻ろう、 金なら全部出してあげる(!!)さ。」
    ベンガル「あいつらはウソをついている」
    チャイナ「うそつきはお前たちだろう」
    (やめて!私のためにケンカしないで!!)
    チャイナ「そうかい、それなら勝手にするんだな」
    (えええ、行くんかい!?)

    外は真っ暗、ここにいるのはベンガル人男性二人。
    これはやばい。帰るバスももうない、35ドルの国営ホテルに泊まるしかないのか、 それはやばい、本気で手持ちのお金がない。
    ということはやはり、あれをするしかないのか・・・
     「ディスカウントぷりーず」

    私のいっぱいいっぱいっぷりが伝わったのか、役人が 民間の宿を当たってみてくれた。
    調子に乗って5ドル以下にしてくれと言ってみたが 言うまでもなくスルーされる。

    なんでも外国人を泊める宿は許可した宿だけだとかで、またトラブルを恐れてか、引き受ける宿がなかなか見つからない。
    やっと受け入れ先が決まってほっと一息、やってきたオートリキシャーに 乗り込もうとしたら、なぜか役人が一緒に乗ってきた。ちょっと怖かったけどこの方が奔走してくれてとても助かった。

    宿についたら今度はオーナーがここにきて渋りだした。
    なんでも前に泊まった白人が部屋を破壊していったからガイジンはいやなのだとか。そんな怪力はないわ。

    宿から出るな、明日になったらとっとと帰れ、そういい残して役人は帰っていった。
    申し訳ない。
    私は一体なんのために ここに来たのか、5時間もかけてボロバスにのり、宿のトイレットペーパーには 今世紀最大のゴキブリがペトッとくっついていて、おっと今世紀はついこの間からだった。
    とにかく 何も見ず、どこにも行かず、また5時間かけて山を戻るのか。
    オーナーが食事を運んできてくれたが、安全のためか塔の入り口には鍵がかけられてしまった。軟禁だ。
    停電の中、まだ見ぬカプタイ湖の淡水魚カレーを 蝋燭の下でもくもくと食べつづけた。
    美味。魚美味。魚もっとください、魚獲りたい・・・カプタイ湖見たかった・・・
    せめてもの救いといえば、宿のスィートルームをエコノミー料金にディスカウントしてもらったことぐらいか。
    推定20畳、大きすぎる。

    この日、なんでもなかった体調が、なんといきなり40度も発熱してしまった。疲労困憊でした・・・そうなこんなで無事ダッカまで戻りました。

    この地域が微妙な状態にあることを知っていたら、せめて観光局で確認をとるぐらいしてればよかったわけで (本にはパーミットがいることは触れられていなかった)移動すると分かっていたなら午前中早々に 出発していればよかった。
    そういう普通のことを怠けたから起こってしまったことなのです。 自業自得です。

  • チッタゴンからコックスバザールへ、<br />ここの移動は快適そのもの。<br />バスはそこそこの大型バスで、道の脇には木立が生い茂り、 途中地元の中学生を乗せたりしながらの楽しい数時間。<br /><br />コックスバザールはというと、地元の人のハネムーンのメッカということで、 宿事情はかなりよく、(ハネムーン用なのでいささかお高め。)こざっぱりとした小さな町。ちなみに海はきれいではない。<br /><br />夕焼けスポットとなるビーチはよからぬ人々がいるとかで、地元の人に注意された。<br />確かにヒト気はなく、99.8%のヒトはリキシャーを使っています。(そのうち90%はラブラブカップル。)<br /><br />

    チッタゴンからコックスバザールへ、
    ここの移動は快適そのもの。
    バスはそこそこの大型バスで、道の脇には木立が生い茂り、 途中地元の中学生を乗せたりしながらの楽しい数時間。

    コックスバザールはというと、地元の人のハネムーンのメッカということで、 宿事情はかなりよく、(ハネムーン用なのでいささかお高め。)こざっぱりとした小さな町。ちなみに海はきれいではない。

    夕焼けスポットとなるビーチはよからぬ人々がいるとかで、地元の人に注意された。
    確かにヒト気はなく、99.8%のヒトはリキシャーを使っています。(そのうち90%はラブラブカップル。)

  • ここで人々がすることとは、<br />①豆のスープを食べる(写真の屋台はすべて豆のスープ屋<br />②万国共通 貝の装飾品を物色<br />③万国共通でも決して買わない<br />④ちょっとだけ馬に乗ってみる<br />⑤ちょっとだけ服を着たまま水遊びをして観客の 視線を浴びる<br />⑥夕日を眺める<br />⑦安宿街に戻るリキシャーにふっかけられる<br />以上。<br />水着でキャッキャしている人は一人もいない。<br />

    ここで人々がすることとは、
    ①豆のスープを食べる(写真の屋台はすべて豆のスープ屋
    ②万国共通 貝の装飾品を物色
    ③万国共通でも決して買わない
    ④ちょっとだけ馬に乗ってみる
    ⑤ちょっとだけ服を着たまま水遊びをして観客の 視線を浴びる
    ⑥夕日を眺める
    ⑦安宿街に戻るリキシャーにふっかけられる
    以上。
    水着でキャッキャしている人は一人もいない。

  • コックスバザールの夕日<br /><br />ここでバングラのバスについて。<br />バングラのバスはとにかく飛ばす。もう、ぶっ飛ばす。<br />メーターは当然壊れてるから何キロ出てるは分からない。<br />事故が起こらないのかと言えば、そんなことはなく、ひっくり返ったトラックはあった。田んぼに突っ込んだトラックもよく見た。<br />トラックもバスも、いちいちクラクションを鳴らすのでそれはそれはやかましい。<br />流行りのクラクションは音階つきのやつ。<br />空気が悪いからバスに乗っていても喉が痛くなる。<br />ちなみに窓は閉まらない。<br />バスの乗客はもれなく何度も振り返って変な東洋人を見物。<br />乗車率は150%、屋根にまで人を乗せすぎるのがバングラ流。<br /><br />チッタゴンからダッカ行きのバスに乗ってたら、私たちのバスが前のバスにちょっと当たったか何かして、前のバスの運転手が竿みたいなもんをいきなり突きつけてきたっていう事件が起こったっけ。<br /><br />南アジア圏のバスはそんじょそこらの瞑想とかよりよっぽど精神修業なのである。

    コックスバザールの夕日

    ここでバングラのバスについて。
    バングラのバスはとにかく飛ばす。もう、ぶっ飛ばす。
    メーターは当然壊れてるから何キロ出てるは分からない。
    事故が起こらないのかと言えば、そんなことはなく、ひっくり返ったトラックはあった。田んぼに突っ込んだトラックもよく見た。
    トラックもバスも、いちいちクラクションを鳴らすのでそれはそれはやかましい。
    流行りのクラクションは音階つきのやつ。
    空気が悪いからバスに乗っていても喉が痛くなる。
    ちなみに窓は閉まらない。
    バスの乗客はもれなく何度も振り返って変な東洋人を見物。
    乗車率は150%、屋根にまで人を乗せすぎるのがバングラ流。

    チッタゴンからダッカ行きのバスに乗ってたら、私たちのバスが前のバスにちょっと当たったか何かして、前のバスの運転手が竿みたいなもんをいきなり突きつけてきたっていう事件が起こったっけ。

    南アジア圏のバスはそんじょそこらの瞑想とかよりよっぽど精神修業なのである。

  • コックスバザールからテクナフへ半日かけて移動しました。バングラデシュの東側の一番南のはしっこにあります。<br />このあたりまで南下すると随分山がちになるため、 道は悪い。<br />安宿はどこもかしこも汚かった、もうお約束。<br /><br />テクナフの横を流れるナフ川の対岸は ミャンマー。<br />なんでもミャンマー人が密貿易に来ているとかなんとか・・・<br />ついでにバングラムービーのロケ地として 有名なStマーティン島にも行ってみることにした。<br /><br />テクナフは小さな街で、 一時間もあれば十分見て周れる。<br />マーケットにはミャンマー製品が流れていたものの、ミャンマー人らしき人はいなかった。<br /><br />テクナフの人気食堂のエビカレーは絶品だった。<br />女用の隔たりスペースに通して下さり、 専属の少年給仕さんが付き、台所を見物させてもらった。いたれりつくせり。<br />その上カレーは随分おまけしてもらった。サイドディッシュもうまかった<br />チャイ屋や軽食屋さんも充実。朝のチャイ+おかしがおいしかった。

    コックスバザールからテクナフへ半日かけて移動しました。バングラデシュの東側の一番南のはしっこにあります。
    このあたりまで南下すると随分山がちになるため、 道は悪い。
    安宿はどこもかしこも汚かった、もうお約束。

    テクナフの横を流れるナフ川の対岸は ミャンマー。
    なんでもミャンマー人が密貿易に来ているとかなんとか・・・
    ついでにバングラムービーのロケ地として 有名なStマーティン島にも行ってみることにした。

    テクナフは小さな街で、 一時間もあれば十分見て周れる。
    マーケットにはミャンマー製品が流れていたものの、ミャンマー人らしき人はいなかった。

    テクナフの人気食堂のエビカレーは絶品だった。
    女用の隔たりスペースに通して下さり、 専属の少年給仕さんが付き、台所を見物させてもらった。いたれりつくせり。
    その上カレーは随分おまけしてもらった。サイドディッシュもうまかった
    チャイ屋や軽食屋さんも充実。朝のチャイ+おかしがおいしかった。

  • セントマーティン行きを宿の人に伝えていたら、ガイド付きの船のチャーターをアレンジしてくれた。ありがたいことに同じ宿に宿泊していたベンガル人ファミリーとシェアすることができた。<br /><br />写真はそのご家族。当時のバングラで、既婚女性のパンジャビードレス・若い女の子の洋服は珍しかった。<br />娘さんはチッタゴンから学校を休んでやってきたのだとか。目的を聞くと「ジャストトラベル」と。<br />バングラデシュではかなりの お金持ちの部類だと思うが、娘さんはとてもかわいらしい性格だった。<br /><br />セントマーティン島へは2、3時間の小船の旅となります。ナフ川を下ること数十分、ベンガル湾に出るとゆれるゆれる・・・<br />もちろん日をよけるところもない。 結構体力いる。<br />

    セントマーティン行きを宿の人に伝えていたら、ガイド付きの船のチャーターをアレンジしてくれた。ありがたいことに同じ宿に宿泊していたベンガル人ファミリーとシェアすることができた。

    写真はそのご家族。当時のバングラで、既婚女性のパンジャビードレス・若い女の子の洋服は珍しかった。
    娘さんはチッタゴンから学校を休んでやってきたのだとか。目的を聞くと「ジャストトラベル」と。
    バングラデシュではかなりの お金持ちの部類だと思うが、娘さんはとてもかわいらしい性格だった。

    セントマーティン島へは2、3時間の小船の旅となります。ナフ川を下ること数十分、ベンガル湾に出るとゆれるゆれる・・・
    もちろん日をよけるところもない。 結構体力いる。

  • 島といってもそれなりに広いが、特にすることはない。<br />ちなみに、バングラデシュ最南端はさらに南にある無人島で、そこが 映画のロケ地なのだそう。<br />

    島といってもそれなりに広いが、特にすることはない。
    ちなみに、バングラデシュ最南端はさらに南にある無人島で、そこが 映画のロケ地なのだそう。

  • どこの国にもあわててピース出して手だけぼけちゃう少年がいる。<br /><br />ここで見たもので一番感動したのは、母ヤギを見つけた双子のこやぎの姿。<br />うれしさのあまりスキップしている様子を目撃したこと!<br />何がすごいって、ジャンプのタイミングがぴったり合ってたこと!!<br />この時以来、うれしさをジャンプで現す素敵な生き物「ヤギ」の大ファンになる。<br />

    どこの国にもあわててピース出して手だけぼけちゃう少年がいる。

    ここで見たもので一番感動したのは、母ヤギを見つけた双子のこやぎの姿。
    うれしさのあまりスキップしている様子を目撃したこと!
    何がすごいって、ジャンプのタイミングがぴったり合ってたこと!!
    この時以来、うれしさをジャンプで現す素敵な生き物「ヤギ」の大ファンになる。

  • サンセットを待ってから出発。何個かの明かりだけを頼りベンガル湾を北上する。<br />真っ暗な海は激コワ!! 暗闇と船の揺れ両方からの恐怖を紛らわすため、ずっと空を見あげていた。<br />船の上から星を眺めるなんて。<br />天の川も見えるぐらい満天の夜空だった。<br />ああ、マサイ族だったらもっとキレイだっただろうに・・・<br /><br />周囲に家の灯りが現れ、ナフ川に入ったことを知る。<br />良かった、ベンガル湾に沈まずに済んだ。テクナフまでもうすぐだ・・・と 思ったら、船が止まった!<br />ガス欠!?<br />一難去ってまた一難とはこのことか。<br />数時間川にぽつりと取り残された挙句、 結局ボートは他の船に牽引されていた。<br />余談ですがこんなところで携帯していた懐中電灯が役にたった。<br /><br />遠くのほうでミャンマー籍の船が夜釣りをしていた。ああ、ミャンマー人がいた・・・。<br /><br />帰りのバスも、大変だ。<br />テクナフを出てすぐ、バスが泥にはまってどうにもこうにもならなくなった。<br />その間 多分一時間以上、暑いバスの中に閉じ込められ、結局反対側に来たバスに乗り換える羽目に。<br />道は狭く、後ろは大渋滞。泥まみれになって乗り換え用のバスに 辿り付いたら、村の子供だちがわんさかやってきて、ペットボトルに池の水を汲んできて 足にかけて洗ってくれた。<br />うわ~、めっちゃ見られてる・・・なんかクイズ番組のリポーター みたい、テレビで見た光景だ・・・パンダのように見られ続けることには疲れたけれど、見てる人にはなんの悪気もない。そしてこうやって、普通にやさしい。ただ見たいから見てるだけなのよ。<br /><br />さらに一難。<br />バスの窓に肘をついて扇子をパタパタさせていたら、いきなり外から少年がジャンプ して扇子をひったくろうとした。<br />超公衆の面前で。 こんな堂々と泥棒行為をできるような環境って有りなんだろうか。<br />そして、自分じゃ大したものじゃないと思ってても、 こういう国ではどれだけ魅力的に写ってしまうのかということを実感した一件でもあった。<br />持ち物には 気をつけないとね。

    サンセットを待ってから出発。何個かの明かりだけを頼りベンガル湾を北上する。
    真っ暗な海は激コワ!! 暗闇と船の揺れ両方からの恐怖を紛らわすため、ずっと空を見あげていた。
    船の上から星を眺めるなんて。
    天の川も見えるぐらい満天の夜空だった。
    ああ、マサイ族だったらもっとキレイだっただろうに・・・

    周囲に家の灯りが現れ、ナフ川に入ったことを知る。
    良かった、ベンガル湾に沈まずに済んだ。テクナフまでもうすぐだ・・・と 思ったら、船が止まった!
    ガス欠!?
    一難去ってまた一難とはこのことか。
    数時間川にぽつりと取り残された挙句、 結局ボートは他の船に牽引されていた。
    余談ですがこんなところで携帯していた懐中電灯が役にたった。

    遠くのほうでミャンマー籍の船が夜釣りをしていた。ああ、ミャンマー人がいた・・・。

    帰りのバスも、大変だ。
    テクナフを出てすぐ、バスが泥にはまってどうにもこうにもならなくなった。
    その間 多分一時間以上、暑いバスの中に閉じ込められ、結局反対側に来たバスに乗り換える羽目に。
    道は狭く、後ろは大渋滞。泥まみれになって乗り換え用のバスに 辿り付いたら、村の子供だちがわんさかやってきて、ペットボトルに池の水を汲んできて 足にかけて洗ってくれた。
    うわ~、めっちゃ見られてる・・・なんかクイズ番組のリポーター みたい、テレビで見た光景だ・・・パンダのように見られ続けることには疲れたけれど、見てる人にはなんの悪気もない。そしてこうやって、普通にやさしい。ただ見たいから見てるだけなのよ。

    さらに一難。
    バスの窓に肘をついて扇子をパタパタさせていたら、いきなり外から少年がジャンプ して扇子をひったくろうとした。
    超公衆の面前で。 こんな堂々と泥棒行為をできるような環境って有りなんだろうか。
    そして、自分じゃ大したものじゃないと思ってても、 こういう国ではどれだけ魅力的に写ってしまうのかということを実感した一件でもあった。
    持ち物には 気をつけないとね。

  • 無事ダッカに戻りさらにジョソール まで6時間、ジョソールからベナポール、ベナポールからインドに向かいました。<br /><br />途中、バスを降りて一旦フェリーに乗り換え、小一時間川を下って対岸に渡る。<br />どこの国もフェリーには物売りが沢山乗り込んでいて楽しい。<br />私も地元の人に倣ってさとうきび をばりばり食べ散らかす。<br />日が暮れる前には出入国の拠点の町、ジョソールに着く。<br />ここで最後の一泊。ジョソールから国境の町ベナポール~インドカルカッタまではさらに約一日の距離。<br /><br />バングラ最後の夜も汚い宿・・・部屋のど真ん中に蚊帳がかけっぱなしのベットが一つ。いっぱい虫が乗ってる・・・そんなこと、 もうすでに気にならないよ。<br />トイレにもゴッキーがいっぱいだ。そんなことももう慣れっこさ・・・<br /><br />ススだらけのボロ宿ですが、この宿にはお祈りの時間になるとアザーンを唱える少年がいて、吹き抜けの 階段に気持ちよく反響していてちょっと素敵 。<br />あんな美しい光景はあとにも先にもここでだけ。ビデオも写真も無かったけれど、よく覚えている。<br /><br />ジョソールからベナポールまではローカルバスで 確か1時間から2時間ほどだったと思う。<br />バスが来るや否や、窓という窓から男たちが侵入し、女子供のために席を確保。汚いぞ!<br />ベナポール自体は閑散とした感じ。インドからこの町に入ったら、バングラに来てしまったことを ちょっぴり後悔してしまうかも・・・でもエビカレーうまかった。<br /><br />バスターミナルから国境まではバンガリで数分。バンガリとは、そうだな・・・自転車で引っ張る台車?たぶん荷物用です。<br /><br />荷台にゆられながら、 バングラ入国1日目にしたようにすれ違うベンガリーに手を振ったりして最後のベンガルを焼き付けた。<br />人々の視線も、 バンガリワラーの良く分からない英語も、慣れてしまえばなんてことはない。<br /><br />気分よくバンガリの荷台に揺られながらビューティフルサンデーを口ずさんだ。<br />昨日までの苦労はこの瞬間に無かったことにした。<br /><br />インドに入り、国境からバンガオンの駅までは、乗合でオートリキシャーを使う。<br />駅があるバンガオンの街はバングラ側の街とは比べ物にならないくらいごちゃごちゃしていて、 インドに帰ってきたことを実感した。<br /><br />リキシャーを乗り合わせたベンガル人青年が、日本人一人とベンガル人のじぃさまの引率をしてくれた。<br />が、じぃさまに付き合ってのろのろしていたら列車がいってしまった。<br />次の列車は数時間後。見ず知らずのじぃさまの ために一本列車を見送るなんぞ、そうそうできるものではない<br />ひょっとしたら青年は ベンガルそして全インドを代表する「いい人」なのではないだろうか?<br />身なりもそれなりにいい。ということで、 カルカッタの駅からタクシーをシェアしようという誘いに乗ることにした。<br /><br />インドはちょうどこの日プジャーという11月のお祭りの真っ最中。<br />街は電灯で飾られ、夜だというのにどこもかしこも 人の群れ。<br />アンバサダーから見るカルカッタの街はなかなか趣があっていいものだ。<br />ちょっとしたお金持ち気分に浸ってたら、 なぜかレストランで降ろされる。<br />人気のロールの店だということでとりあえず食べた。<br />ここはオゴリだということ。<br />OH、そりゃ無いぜ。<br /><br />いやな空気を感じ取るや否や、<br />青年は言う。「もっと話したいんだ。」<br /><br />あー・・・<br /><br />ちょっと信用してみようと思えばすぐ気があるものだと勘違いされて、この有様。<br />やっぱりここは南アジアだ。<br />老人に対してもあんなにやさしかったのに、誠に残念である。<br /><br />「彼が私のためにもう部屋を取っている」 と、丁重にお断り。<br />ずらかるぜ。<br /><br />めんどくさいね、女子旅は。<br />何が悲しいって、こうやって警戒してばかりだと友達はできないし、時には親切心を無碍にして”ジブンサイテー”となってしまう。<br /><br />というところでバングラ旅行記は 終わりに近づいて来ました。<br />最後の最後に思いっきり失望させられましたが、 別に彼は悪くないのでベンガル人一般を悪く言うには及びません。<br />黄金のベンガルはそれだけで一見の価値はありました。<br />好奇心丸出しで、時にはやさしく時にはおせっかいなくらい親切にして下さった沢山のベンガル人にも 感謝してます。<br />でも今度行く時はバックパックの上からチャドルを被って完全武装したいと思ったのも事実。<br />でもでもしばらくはもういいかな。 でもでもでもきっとダッカでストップオーバーできるようにしちゃうんだろうな。←2022年、今そんな感じ。

    無事ダッカに戻りさらにジョソール まで6時間、ジョソールからベナポール、ベナポールからインドに向かいました。

    途中、バスを降りて一旦フェリーに乗り換え、小一時間川を下って対岸に渡る。
    どこの国もフェリーには物売りが沢山乗り込んでいて楽しい。
    私も地元の人に倣ってさとうきび をばりばり食べ散らかす。
    日が暮れる前には出入国の拠点の町、ジョソールに着く。
    ここで最後の一泊。ジョソールから国境の町ベナポール~インドカルカッタまではさらに約一日の距離。

    バングラ最後の夜も汚い宿・・・部屋のど真ん中に蚊帳がかけっぱなしのベットが一つ。いっぱい虫が乗ってる・・・そんなこと、 もうすでに気にならないよ。
    トイレにもゴッキーがいっぱいだ。そんなことももう慣れっこさ・・・

    ススだらけのボロ宿ですが、この宿にはお祈りの時間になるとアザーンを唱える少年がいて、吹き抜けの 階段に気持ちよく反響していてちょっと素敵 。
    あんな美しい光景はあとにも先にもここでだけ。ビデオも写真も無かったけれど、よく覚えている。

    ジョソールからベナポールまではローカルバスで 確か1時間から2時間ほどだったと思う。
    バスが来るや否や、窓という窓から男たちが侵入し、女子供のために席を確保。汚いぞ!
    ベナポール自体は閑散とした感じ。インドからこの町に入ったら、バングラに来てしまったことを ちょっぴり後悔してしまうかも・・・でもエビカレーうまかった。

    バスターミナルから国境まではバンガリで数分。バンガリとは、そうだな・・・自転車で引っ張る台車?たぶん荷物用です。

    荷台にゆられながら、 バングラ入国1日目にしたようにすれ違うベンガリーに手を振ったりして最後のベンガルを焼き付けた。
    人々の視線も、 バンガリワラーの良く分からない英語も、慣れてしまえばなんてことはない。

    気分よくバンガリの荷台に揺られながらビューティフルサンデーを口ずさんだ。
    昨日までの苦労はこの瞬間に無かったことにした。

    インドに入り、国境からバンガオンの駅までは、乗合でオートリキシャーを使う。
    駅があるバンガオンの街はバングラ側の街とは比べ物にならないくらいごちゃごちゃしていて、 インドに帰ってきたことを実感した。

    リキシャーを乗り合わせたベンガル人青年が、日本人一人とベンガル人のじぃさまの引率をしてくれた。
    が、じぃさまに付き合ってのろのろしていたら列車がいってしまった。
    次の列車は数時間後。見ず知らずのじぃさまの ために一本列車を見送るなんぞ、そうそうできるものではない
    ひょっとしたら青年は ベンガルそして全インドを代表する「いい人」なのではないだろうか?
    身なりもそれなりにいい。ということで、 カルカッタの駅からタクシーをシェアしようという誘いに乗ることにした。

    インドはちょうどこの日プジャーという11月のお祭りの真っ最中。
    街は電灯で飾られ、夜だというのにどこもかしこも 人の群れ。
    アンバサダーから見るカルカッタの街はなかなか趣があっていいものだ。
    ちょっとしたお金持ち気分に浸ってたら、 なぜかレストランで降ろされる。
    人気のロールの店だということでとりあえず食べた。
    ここはオゴリだということ。
    OH、そりゃ無いぜ。

    いやな空気を感じ取るや否や、
    青年は言う。「もっと話したいんだ。」

    あー・・・

    ちょっと信用してみようと思えばすぐ気があるものだと勘違いされて、この有様。
    やっぱりここは南アジアだ。
    老人に対してもあんなにやさしかったのに、誠に残念である。

    「彼が私のためにもう部屋を取っている」 と、丁重にお断り。
    ずらかるぜ。

    めんどくさいね、女子旅は。
    何が悲しいって、こうやって警戒してばかりだと友達はできないし、時には親切心を無碍にして”ジブンサイテー”となってしまう。

    というところでバングラ旅行記は 終わりに近づいて来ました。
    最後の最後に思いっきり失望させられましたが、 別に彼は悪くないのでベンガル人一般を悪く言うには及びません。
    黄金のベンガルはそれだけで一見の価値はありました。
    好奇心丸出しで、時にはやさしく時にはおせっかいなくらい親切にして下さった沢山のベンガル人にも 感謝してます。
    でも今度行く時はバックパックの上からチャドルを被って完全武装したいと思ったのも事実。
    でもでもしばらくはもういいかな。 でもでもでもきっとダッカでストップオーバーできるようにしちゃうんだろうな。←2022年、今そんな感じ。

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