2020/12/11 - 2020/12/15
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この旅行記のスケジュール
2020/12/15
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飛行機での移動
松山空港→羽田空港 NH598
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愛媛旅行最終日、4日目後半の旅行記です。これで今回の旅行記は最後になります。写真の枚数的に切るところが微妙になってしまい前半は大洲城見学、後半は内子の八日市護国の街並み見学から松山空港に行き羽田へ帰着するまでという旅行記です。
大洲城は残念ながら現存天守ではないのですが、明治の廃城令の後もしばらく天守が残っていた事もありその時の写真や図面をもとに復元された「平成の木造天守」です。中もほぼ同様に造られていてまだ築城から10数年しか経っていませんが、江戸時代に造られた天守も完成後すぐはこんな感じだったのかな?と感じさせてくれました。
大洲を離れ最後に回る観光地は内子町。内子町は八日市護国の街並みが重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて大正時代の街並みが今でも保存されています。実はそこまで期待していなかった観光地で、直前まで内子に行くか肱川の河口がある伊予長浜に行くか迷っていたんですが、行って大正解。今回の旅行で一番気に入った街並みでしたし、以前鶴瓶の家族に乾杯で放送されて以降気になっていた内子座では解説を聞きながら見学することが出来ました。
その後松山空港に行きお土産を購入してドタバタしながらもANAのA320で羽田へ戻りました。
今回の旅行は先にスケジュールが決まりその後行く場所も含めて考えるという形で自分としては珍しい形になりましたが、愛媛県、とても見どころが多く楽しむことが出来ました。城廻り、として考えていた旅で旅行記のタイトルにもしましたが、それ以外にもいろいろと見学でき、考え、学ぶことができ、美味しいものも食べれた素晴らしい旅になりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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南隅櫓を出て大洲城方面へと向かっていきます。距離は遠くなくここまで2分ほどでした。
この特徴的な形の建物は大洲市民会館。建設年はわかりませんでしたが割と古い感じだなと現地では思いました。旅行から帰った直後の2020年12月に移転計画が発表されています。 -
大洲市民会館の隣にある倉庫の様なことの建物は大洲城下台所。城のデザインに合わせて造られた最近の建造物の様に見えますが、元禄年間には既に造られていた現存の建築物です。
明治維新後は監獄や工場など様々な用途で利用されました。大洲城の中には旧大洲藩士が維新後に監獄の門番となったことを嘆いた資料がありました。 -
大洲城下台所の横の坂を通り大洲城に登っていきます。宇和島城、松山城ほどではないですが天守台までの高さを上がる必要があります。まあこれはどこの天守でも多少の差があっても同じですけど。
旅行記のタイトルに「城廻り」と入れましたが初日から今治城、宇和島城、松山城、大洲城、と1日1城を達成しました。宇和島と松山は現存天守、大洲も厳密に復元した天守と愛媛県は天守巡りにはとても良い環境でした。そもそも一つの県に現存天守が2つあるのは愛媛県だけですし。 -
とても寒いですけど紅葉がいい感じの色でした。とても寒いですけどね・・・。
大洲城 名所・史跡
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大洲城は鎌倉時代再末期に初めて造られ、その後今治城や宇和島城を築城した藤堂高虎が築城、1609年に脇坂安治が移封され現在の形の城を築城します。安政伊予地震で一部倒壊するなどもありましたが明治に至るまでその姿を残していました。
明治になり廃城令により次々と城が破却される中大洲市民の熱心な保存運動により城内の建築物は破却されましたがいくつかの櫓と天守は残されました。大洲城 名所・史跡
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しかし明治21年、老朽化で城を物理的に維持できないと判断され天守は解体されました。ただ明治になりしばらく残った事で写真や図面、模型などが現代に遺され、これらを元に平成に入り大洲城の木造での精巧な復元計画が起こり、2004年ついに戦後初めての木造建築での築城が完成しました。
法律面、資金面などでも相当な苦労はあったようですが、明治からの保存運動がついに形となりました。大洲城 名所・史跡
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この姿が一番今の大洲城をよく表しているかなと思います。大洲城は復元天守ですが右手の台所櫓と左手の高欄櫓は江戸時代末期に再建された、江戸時代からの建築物です。ちなみに4日目前編で訪れた南隅櫓は1766年再建なので南隅櫓が現在大洲城にある建築物で一番古いものになります。
両側の櫓が現在に残っているのも大洲市民の熱心な保存運動の結果だと思います。大洲城 名所・史跡
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大洲城天守に入る前に天守台をうろうろと見て回りました。天守台の肱川が良く見える場所には日本も多くの犠牲を出した日露戦争の碑が大洲城にも建立されていました。
大洲城 名所・史跡
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天守台からみた肱川と大洲市街の街並みです。本当に肱川は洪水があったとは思えないくらい穏やかな川でした。景色も美しいです。ただしこれはNote9のHDRの力というのもあります(笑
大洲城 名所・史跡
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肱川を特急宇和海が渡っていました。大洲城では観光列車「伊予灘ものがたり」が肱川を渡るときに希望者と電車に向かって旗を振るというイベント「大洲城歓迎はたふり」を行っています。距離は結構ありますが、割と列車からも見えるそうです。
ちなみにこっちの写真はCanonEOS70Dで撮影しているので、HDRではなく実際の色合いはこっちが近いかな。大洲城 名所・史跡
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武将の恰好をした大洲城の職員の方が旗を振っていました。奥に見えるのは大洲高校なので高校に向かって振っていたわけではないと思いますが・・・。
大洲城 名所・史跡
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入口は台所櫓にありここでチケットを購入したり、お土産などを売っています。台所櫓は現存ですが、とても綺麗でここも再現かと思うほど。
ちなみにチケットは臥龍山荘と共通のものを買っていましたのでここでは購入せず。
写真の骨組みは大洲城の縮小モデルです。大洲城 名所・史跡
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台所櫓に置かれていた大洲城築城のジオラマです。解説によりますとこのジオラマの人形は一般公募によってえらばれた皆さんをモデルに制作しているということです。実際にモデルになった方々の名前も書かれていました。
大洲城 名所・史跡
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台所櫓から天守とへ続く廊下です。この廊下も天守と同じく再現ですが、素材も当時のものを使っており、平成の築城なので見た目は新しいですが、江戸時代の大洲城の姿とほぼ同じになっています。
大洲城 名所・史跡
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台所櫓を抜けるとすぐに天守に入ります。大洲城は天守にしては珍しく吹き抜けがあります。そしてこの吹き抜けがが一度は明治維新直後に破却を免れながら老朽化で解体される一番の原因になりました。吹き抜けがあったので構造上どうしても弱く倒壊する恐れがあったそうです。
平成の再建の際にもこの吹き抜けも復元されています。大洲城 名所・史跡
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大洲城の中は往時と同じ設計で造られていますが木が新しいので明るい雰囲気があります。過去私が見てきた現存天守も多くの木材が黒くなっていましたが、築城当時はこんな雰囲気だったんですかね。
大洲城 名所・史跡
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太い梁なども当時と同じように設計されて造られたそうです。ちなみに各木材はどこから、誰から寄贈されたものかわかるように各階に設置されている看板で書かれていました。
大洲城 名所・史跡
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一階のスタッフが雪だとか話していたから外を見てみたら確かにぱらついていました。まさか今季初めて見る雪が愛媛でとなるとは・・・。
ズームすると山の方に粉雪がそれなりに写ってくれました。大洲城 名所・史跡
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外を眺めると寒そうな空です。
移動は車だから良いとしても雪が積もると松山空港への移動や午後のスケジュールを考え直す必要があるので困ったなと・・・。
まあ積もるほど降りことはない様子でしたけど・・・。大洲城 名所・史跡
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大洲城天守に設置されているものと同じ瓦製のしゃちほこだそうです。思ったより大きくないというのが第一印象でした。大洲市立博物館に残っている江戸時代のものを参考に造られたそうです。
大洲城 名所・史跡
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復元建築なので平成の築城とは言え階段が急だったりします。何か所かに注意の案内がありましたが、なかなか面白い表現でした。
大洲城 名所・史跡
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こちらは天守築城の際のジオラマです。このジオラマも公募でモデルを選んだようです。
大洲城 名所・史跡
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天守から抜けた先にあるここは高欄櫓と言われ名前の通り二階に大洲城では唯一の高欄があります。この建物も台所櫓と同じく復元ではなく江戸時代の建築です。安政の伊予地震で1857年に倒壊しましたが、1860年に立て直されています。
この高欄櫓まで来ると大洲城の見学ルートはすべて見終わったことになるので外に向かいます。復元天守ですが寒さと平日ということもあり人は他におらずゆっくりと見学することが出来ました。大洲城 名所・史跡
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外で見ると手前の高欄櫓と奥の天守の様子はずいぶんと変わっていました。大洲城の天守は厳密に復元されているので色が違うのは江戸時代もそうだったのだとは思います。
その後観光駐車場に戻り内子方面へと向かいます。雪はまだぱらついていましたが、恐れていた雪が強まるという事はなくなんとか予定通り動けそうです。大洲城 名所・史跡
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昼食は伊予大洲駅近くの国道沿いにあった水郷といううどん屋さんで食べました。車を走らせていて左側にあったから入ったという感じだけど鍋焼きうどん、とても美味しかったです。
かなり暑がりで寒さには強いんだけど、運転中に暖房入れても寒く感じ位だったのでまよわず鍋焼き一択でした。水郷 グルメ・レストラン
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この旅行での最後の観光地、内子にやってきました。予定より少し遅れていましたが、観光駐車場の位置がわからなくなり一旦道の駅内子フレッシュパークからりへ。
地場の野菜や木なども売っていました。道の駅 内子フレッシュパークからり 道の駅
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道の駅の駐車場から見た松山道の高架橋です。この谷にあんな橋を通すのはすごいよな、と思います。道路走っているとあまり谷を渡っていると感じさせない橋というのもすごいと思います。
道の駅 内子フレッシュパークからり 道の駅
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ここまで写真を撮っていませんでしたがこの旅のレンタカーはスイフトでした。だいたい鹿児島旅行の時と同じ仕様ですね。前回もフォグランプついていましたが、今回も装着車でした。まあフォグを使用する状況にはならなかったので使いませんでしたが、駐車場で試しにつけてみるとかなり眩しいものですね。
道の駅 内子フレッシュパークからり 道の駅
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道の駅から内子の観光駐車場に移動しました。大洲と違ってこちらは有料。けど300円だったかな?観光としては安いですし、大洲観光駐車場はひょっとして停められないかも?って思うくらいでしたからこっちの方がありがたいかな?
そして内子についたあたりから天気が晴れてきました。相変わらず寒いですけどね。 -
内子の街並みは八日市・護国地区の町並みとして保存されていて昔ながらの民家や商店が並んでいます。ちょうど15時前後でしたけど、人が誰もいなくてかなり寂しい雰囲気。
まあ観光駐車場がこの八日市護国の街並みの一番北端になるから仕方ないというのはあるんですけどね。八日市・護国地区の町並み 名所・史跡
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上の写真から少し歩いたところに小さいお稲荷様がありました。
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ふと道路の右側を見ると立派な門がありお寺かと思いましたが、内子町立内子中学でした。立派な門に騙されるのは前日の東雲中学高校に次いでこの度二度目。
八日市・護国地区の町並み 名所・史跡
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内子中学の門の前にあったこの建物は上芳我邸といい現在は木蝋資料館となっているそうです。見学したかったのもあるけど、帰りの便の時間などを考えて残念ながら断念。結果的にここを見学していたら内子座まで行けなかったと思うのでまあそれでよかったかな。
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八日市護国の道路を歩いていると1889年に建てられたという本芳我(ほんはが)家の庭が公開されていました。庭に入ってみると建物は外からは見ることが出来ますが、中には入れませんでした。本芳我家は木蝋の生産で巨額の富を得たそうです。
本芳我家住宅 名所・史跡
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見れる範囲は少ないですが本芳我家の庭は美しく整備された庭園でした。この庭を造成することもそうだけど、維持し続ける事もかなりの労力がかかるんだろうあ・・・。
本芳我家住宅 名所・史跡
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八日市護国の街並みは旧内子町時代から観光地化への取り組みが進められ江戸時代から続く街並みの保護や電線などの地下化など積極的に投資されてきました。それもあり内子の街並みは日本での街並み観光の先駆けとして人気を得てきたそうです。
重要伝統的建造物群保存地区の指定は1982年でかなり早いうちに指定されています。
とは言え冬場の平日の夕方ということで人はほとんどおらず・・・。八日市・護国地区の町並み 名所・史跡
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観光駐車場から500mくらい進むと現在も営業している商店が見えてきます。現在の内子の生活的な中心地は国道56号沿いのもう少し南にあるようですが、この近辺も昔ながらの商店を利用して生活をしている人がいる様子でした。
やっぱ人がいる場所だと活気があって良いですね。八日市・護国地区の町並み 名所・史跡
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商店のある地区にある伊予銀行の内子支店は1907年頃に建てられた内子銀行の建物を模して1985年に建築されたそうです。内子銀行は1937年に大洲で見た大洲銀行に吸収され現在は伊予銀行になっています。
1985年だと街並みの保存が進んだ時期だからというのもあるのでしょうが、街をあげて古い街並みを残そうとしているのがよくわかります。 -
伊予銀行内子支店の建物がある交差点を曲がり西へ向かうと商いと暮らし博物館がありました。この辺りは小学生も歩いていたり観光駐車場近辺よりは活気がありました。せっかくなので博物館に入ってみます。
商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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この博物館は明治から昭和まで続いた佐野薬局という薬局を内子町が買い取り博物館に改装したそうです。この薬売り場も買い取られた時点では現在でも見られるカウンター式になっていたのを、大正時代を再現してこの様な形に戻したそうです。
商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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博物館のスタイルとしては大正10年の薬局の一家の生活を見ながら当時を知っていくという感じです。基本的に自由に見ることが出来るのでじっくり見るのも良し、見たいところだけを見ていくも良しです。個人的にはこの時代の薬局、という設定が面白くて結構しっかり見ていきました。
あっ、この人形たち、近づくとセリフを話し出します。知らないで近づくと結構驚きます。商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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今でも見る養命酒の空き瓶がたくさん転がっていました。この時代からあったんですね。
商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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二階は居住スペースで寝室や勉強場所などもありました。そして二階にも人形がいて近づくと何回も同じことを話してきます。
二階からは通りや中庭を眺めることが出来て大正の気分を味わうことが出来ました。商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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当時の薬局って基本的にかなり裕福ですからね。結構広い中庭もあります。
奥に長く外から見えない長屋もありなんとなく京屋敷を感じます。
ちなみに中庭に向かう途中にある厨房では「朝から晩まで仕事が大変」と人形が愚痴をこぼしています。商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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中庭の中には蔵が2つだったかな?蔵の中も見学できるようになっていて、展示品や解説も多かったです。
江戸時代後半の建築の様ですが、蔵などがいつできたものなのかは書かれていませんでした(見逃しただけ?)商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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蔵の中では大正時代の物品や薬売りの生活、大正時代の内子六日市の様子を再現したジオラマがありました。
大正時代は手押し車に薬を乗せ山を越えて売りに行ったそうです。すごいですね。商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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商いと暮らし博物館を出ると正面には八幡神社という神社が鎮座していました。古くからの中心地に近い場所で内子の人々の信仰の場になっていたようです。
八幡神社 寺・神社・教会
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現在の本殿は1800年頃建築ととても古いものです。神社の由来自体は戦国時代までさかのぼる由緒ある神社でした。
内子の有名観光地というわけではないけど、古くからの神社がさりげなく鎮座しています。八幡神社 寺・神社・教会
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八幡神社から内子駅の方へと進んでいくと風格ある建物が二つ並んでいました。手前の建物は内子児童館。元々はこの場所に1879年に建てられた化育校という今でいうところの小学校があり、1982年に取り壊されたあと往年の外観をイメージして建てられた建物だそうです。
フランス風の建築を取り入れていて、建築に当たり内子村から当時外国との交流が盛んだった神戸まで視察に出かけているそうです。 -
内子児童館の奥にあるこの建物は内子町ビジターセンター。昭和初期に内子警察署として造られたもので現在は観光案内所として利用されています。
立派な建物ですが警察署だったからか重厚感があり他の内子の街並みとは少し合わない感じもありますね。
写真左下に石碑が見えますがこれは内子に近代西洋医学をもたらした安達玄杏を記念する石碑です。内子町ビジターセンター 名所・史跡
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ビジターセンターから少し進んだ道を曲がると内子座に向かいます。ここが愛媛旅行で最後の観光目的地になりました。もう少し時間があれば内子駅まで歩いてみたかったけど、ここまでいろいろ観光できたのでとても良かったです。
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内子座も残念ながら耐震工事中でした。道後温泉、旧加藤邸、内子座・・・。こればっかりは仕方ないですが、内子座は見たかったスポットの一つなのでちょっと残念。大正期の建築なので補修は必要なので、またいつか見に来れたらと思います。
内子座 名所・史跡
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館内も工事中です。工事中なのは残念なのですが、解説してくれた方は年内には足場が取れるのでこの姿もそう長く見れませんと話していました。ポジティブに考えこの姿を見れたのは良かったのかなと思います。
内子座 名所・史跡
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この位置に座って内子座の人から説明を受けました。タブレットを使って動画を見せてもらいながらの説明だったのでとてもわかりやすかったです。舞台の背景も美しいです。
内子座 名所・史跡
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めちゃくちゃ足場が組まれている状態ですが舞台最前部から見た客席の様子。特にズームとかしていないですが、舞台と客席がすごく近いですね。建物自体も大きいわけではなく、どこからでもよく芝居が見れそうです。
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内子座の奈落の底に落ちた・・・のではなく奈落に降りてきました。現在は綺麗に整備され普通に立って歩けますが、建築当時は高さも低く歩けるものではなかったそうです。昭和60年の改修でも奈落は手を付けられず平成になってからやっとこの環境になったそうです。この上は舞台ですので上を歩く人がいると音が聞こえました。
内子座 名所・史跡
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これはせりといって舞台にエレベーターのようにして役者を上げる装置です。装置とは言えこれ、人力で上げています。横に出ている棒を人力で押し上げているんですよ。滑車などのギミックはまったく利用していない形です。
説明を受けた時にタブレットで動画を見せていただいたのですが、慣れている人がやると自然に上がりますが、そうでないとかなりふらふらしているように客席からは見えてしまうそうです。内子座 名所・史跡
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大正5年に大正天皇の即位を記念して造られた内子座ですが、昭和後期になり老朽化により取り壊しの方向となりました。しかし内子の八日市護国の街並みと隣接していることもあり保存運動が展開され1985年に復元工事を終え往年の姿に戻りました。その後2015年に重要文化財に指定されています。
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大正時代の芝居小屋ということで演劇内容を確認する警察官が座った検察台というものが舞台左袖にありました。
内子座 名所・史跡
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私がこの内子座を知ったのはNHKで放送されている鶴瓶の家族に乾杯で登場したことがきっかけです。神木隆之介さんがゲストの会でした。亡くなられた中村勘三郎さんの縁や内子座と劇団の事などとても印象に残った回でした。
内子座 名所・史跡
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二階の座席は長いベンチタイプです。戦後改装されていたものを昭和の改装で大正時代へと復元しているので、おそらく大正時代もこのスタイルだっとのだと思います。升席になっている一階とは席のランクが明確に分けられているようです。
内子座 名所・史跡
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こうやってみると舞台、一階席、二階席の位置や角度、距離などがよくわかります。大正期の内子座がどんな姿でどんな賑わいだったのかが想像できる、そんな感じでした。
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内子座を出て帰りは八日市護国から一本国道寄りの道を歩いて駐車場に向かってみました。基本的に八日市護国程見どころはなく住宅街も多かったですがこの建物はすごかったです。おそらく昭和初期か大正末期に建築されている活動写真館で、現在中には入れませんが外に昔の映画のポスターが貼られていました。
こちらも内子座と同じく活気があった頃の様子が浮かぶような建物でした。
その後駐車場に戻り松山道で松山へと戻ります。旧活動写真館 旭館 名所・史跡
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途中伊予灘サービスエリアで休憩と荷物整理。今日使ったものをバックパックからキャリーケースに入れ逆にノートPCをバックパックに。
空港でレンタカーを返す時に行うとドタバタなのでいつもサービスエリアや駐車場で行っています。
そして夕暮れ時の雲がすごい色に・・・。ある意味幻想的だけど気圧が不安定の様で飛行機が揺れそうだなあとちょっと嫌な気分に・・・。伊予灘サービスエリア 道の駅
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これから向かう松山空港も滑走路や誘導路のライトが点灯しています。黒い雲と夕焼けでなんとも言えない風景。
この後松山インターで降りて空港に向かいましたが、空港近辺が大渋滞。それプラス空港に一番近いガソリンスタンドが18時閉店の為市街地の方向にあるGSに向かいましたがここも大渋滞。この旅で初めて渋滞に巻き込まれました。
それでもほぼ予定通りにレンタカーを返却し送迎車で空港まで送ってもらいました。伊予灘サービスエリア 道の駅
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空港についてお土産購入の為にいよてつショップへ。愛媛は空港のお土産もいよてつが扱っているようです。実はGoToトラベルのクーポンが電子クーポンで使いにくかったというのもあり6000円分残っていましたのでここで散財。結果的に職場に持っていくお土産などが普段より巨大化しました。150円程残っていたのですがこれでもいいかと思っていたらレジのお姉さんにポンジュース飴だとほとんど現金負担なく使いきれるという事で買ってしまいました。
結局電子クーポンだと使いたいところで使えずお土産が豪華になっただけでした・・・。ちょっと前に旅行していた弟夫婦も家電量販店行ったという事ですし紙クーポンはともかく電子クーポンはなかなか使いにくい・・・。松山空港 いよてつショップ お土産屋・直売所・特産品
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メニューの名前は忘れてしまいましたが、松山での最後の食事も鯛のどんぶりを選びました。味もボリュームもよく大満足でした。
ラーメンばかり食べている人間ですが、愛媛では海の幸が美味しく結構鯛を食べました。といっても鯛ばかりだなあ(笑
宇和島のじゃこ天も美味しかったです。シェフズキッチン グルメ・レストラン
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食事をしていたら割と時間がかかってしまい制限エリアへ。私の直前でX線装置の電源が落ちた?トラブルがあり復旧まで数分かかりましたが、時間的には余裕でした。行きと同じく後方の窓側を予約しているのでグループ1、ゲートに着いた直後に搭乗が始まりました。
帰りの飛行機はA320NEOでした。10月に予約した当初はA321の予定だったんだけど、12月になってシップチェンジされました。ANAのA320はバニラから移籍した二機を除いて個人モニターが付いているし、この時点でバニラの二機はストア状態だったので確定でモニター付きなので逆に良かったです。
第一グループでゆったりと着席しましたが最終席にはほぼ満席になりました。 -
伊予灘サービスエリアで雲を見たときに揺れるかなと思っていましたが、むしろ揺れたのは羽田空港への着陸進入中で、相模湾上空から館山にかけてでした。雲を抜けて富津沖をRW34Rへ向けて降下中。
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降機時の様子です。最後に降りたから誰もいない。
昔のA320の雰囲気とは一新されましたね。製造も20年以上違うのもありますが、同じ機体とは思えないです。 -
飛行機は71番スポットに到着しました。まあまあ遠いスポット。とは言え割と早い時間の羽田着だし焦らずゆっくりと進んでいきます。そもそも降機も最後でしたしね。
とは言え羽田二タミは出発と到着が完全に分離しているので歩いていて寂しい雰囲気ですよね。羽田空港 第2旅客ターミナル 空港
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荷物を受け取り割とすぐに制限区域から出れました。
行きと同じく帰りは京急で。コロナ禍になってから乗る機会は大きく減ったけど、そういえば新逗子が改名されていたっけ?
羽田空港からは相変わらずの混雑ですが、第三ターミナルからほとんど乗車がないので蒲田まで快適でした。
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これで愛媛旅行記、「20年ぶりの愛媛!城廻りと散策の旅」を終了いたします。旅行というか遠出自体は時々していましたが、旅行記にできるような内容ではなかったですし純粋な観光旅行は2019年9月のエストニア旅行以来でした。旅行記の最初に書きましたが2020年の秋は仕事がかなり忙しくなってしまい旅行どころではない状態でしたし、行こうという気持ちはあってもなかなか行けない状態が続いていました。
行先に関しても20年行っていないし松山行ったことないよなあというなんとなくで決めて、11月半ばには仕事がひと段落する状態になるのがわかり、その後月末月頭は毎月忙しいので・・・ってところで行けそうなスケジュールを考えてほぼ勢いで予約しました。
その後いろいろと考える中で城廻りが出来そうなことや愛南町の紫電改、修学旅行で以前行った来島海峡など見どころを探して決行という感じで普段の旅行とは順番が逆転してしまいましたが、なかなか楽しい旅ができました。
こうやって旅行記を書いてみてアクセス数やいいねの数をみると結構多くの方に読んでもらっているんだなと実感しました。本当に皆様どうもありがとうございます。
現在は2021年3月18日の夜ですが、私はいまサンライズ出雲のソロで岡山に向かっています。現在地は保土ヶ谷と東戸塚の間くらいですね。これの旅行も無事に帰ったら旅行記にしたいと思います。
今後もよろしくお願いいたします。羽田空港第1・第2ターミナル駅 (京浜急行電鉄空港線) 駅
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