2020/12/11 - 2020/12/15
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この旅行記のスケジュール
2020/12/15
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愛媛旅行最終日の前半部分、大洲観光の旅行記になります。
ホテルチェックアウト後松山自動車道を使って大洲市内へ移動。観光駐車場に止めた後大洲の旧市街を歩きながら臥龍山荘を見学に向かいます。
元々大洲藩主の庭園で明治時代に再整備されたこの庭園は大洲市内を流れる肱川のほとりにありとても美しい庭園でした。紅葉が美しい季節で幻想的な風景を見ることが出来て大満足。
その後レトロな大洲商店街を歩きながら、元大洲商業銀行の建物だった大洲赤れんが建物を見学し、レトロな街並みを再現したポコペン横丁へ。残念ながらポコペン横丁は日曜日のみ開業でしたが、閉まっていても昭和を感じることが出来ました。そしてポコペン横丁の奥にある思ひ出倉庫へ。昭和30年代、高度経済成長期に入るタイミングのものを多く収蔵し、当時の家の再現もあるこの博物館はギリギリ昭和生まれの私には懐かしい、というものではなかったですが今ではみれないものがたくさん置いてありとても興味深いものでした。雑多に置いてあるのもとても面白かったです。
ポコペン横丁と思ひ出倉庫を見学後大洲城方面へ向かい、大洲城の現存建物ですが天守から少し離れている南隅櫓を見学しました。
残り僅かになった愛媛旅行記ですが、よろしくお願いします。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4日目、12月15日の朝です。3泊したホテルサンルート松山のチェックアウト。この後松山と宇和島の間にある城下町の大洲と大洲の少し北にある古い街並みが残る内子に向かいます。
ホテルのフロントではお土産がたくさん扱っていました。と言ってもみきゃんとバリィさんがメインですけど。いやここに写っている以外にもあったとは思います。
実際に旅行をしてみてGoToトラベルの電子クーポンは思った以上に使える店が少ないので電子クーポンが使えるホテルで少し買っていく事にしました。 -
このサイズのバリィさん欲しかったんだけど在庫がないということで・・・。残念でした(´・ω・`)
なんかすごいかわいらしさがありましたね。
お土産は姪が喜びそうなものを中心に買いました。一番喜んだのはここじゃなくて前日に松山駅で買ったアンパンマンのトレーナーだったけど。ホテルサンルート松山 宿・ホテル
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松山道を通り大洲の旧市街にやってきました。旧市街と公的に言われているわけではないですが、市役所などはこの地域にあるものの現在の市街地は肱川の反対側に広がっていて、この地域は昔からの街並みが広がっています。
ここは無料観光駐車場。前日にグーグルマップで確認していたのですが、口コミ通り地元ナンバーの車でいっぱいでした。 -
観光駐車場にはこんな感じで大洲の観光絵地図がありこれを参考に回りました。見たいスポットは多いですが、狭い地域に固まっていて観光しやすいです。
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観光駐車場から東へ歩いていくと無名の稲荷様がありました。いろいろ調べてみましたが由来などはわからずです。石碑には大正と刻まれているのは読み取れましたが石碑の建立年かもしれないですし、いつごろからこの稲荷様があるのかは不明でした。
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観光駐車場から歩いて数分の大洲まちの駅あさもやへやってきました。大洲の観光情報やお土産屋があります。駐車場もあってここに停めて観光しても良いそうですが、入口の部分で道路工事をしていたので観光駐車場に止めています。
大洲まちの駅あさもや 道の駅
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大洲まちの駅あさもやの駐車場の外側には井戸がありました。この井戸は近くを流れる肱川の水を使っているもので、井戸で肱川の水を感じてくださいとのことでした・・・。
感じてみた肱川の水は・・・・冷たかったです(´・ω・`)
そりゃこの寒波じゃ仕方ないですよね。ちなみに衛生面から飲用は禁止されていました。大洲まちの駅あさもや 道の駅
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1966年に放送されたNHK連続テレビ小説「おはなはん」の舞台となった大洲市のロケに使われた場所などがある通りでおはなはん通りと名づけられています。
調べてみるとものすごいヒットした国民的ドラマだったそうですが、両親が20前後の時のドラマなので私はここで初めて知りました。おはなはん通り 名所・史跡
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1991年にフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「東京ラブストーリー」の一場面で出てきたポストだそうです。
30年前と変わらず残っているのはすごいですね。30年前にはまだこのポストはそこまで古いものではなかったはずですが、今ではなかなか見ないものになりました。 -
静かな街中を歩いていきます。大洲もこの後訪れる内子も伝統的な街並みが残っている地区がありますが、平日だからか知名度なのか街を歩いていても人はほとんど会わなかったです。
ちなみにこの交差点を右に曲がると明治の家並みが保存されている地区があったようですが、見ることを忘れてしまいました(´・ω・`) -
どちらにいっても臥龍山荘に着けるようですが・・・。一瞬混乱する案内でした。まあ間違っても戻ってくればいいんですけどね。
左に行きましたがスマホで地図を見る限り右からは行けそうにない・・・。ひょっとしたら細い小路があるのかもしれませんが・・・。 -
臥龍山荘前の広場までたどり着きました。この広場は渡辺勘兵衛屋敷跡だそうです。
肱川が見通せる場所でトイレなどもありちょっとした休憩が出来そうです。風も強くとても寒いのでここで休みはしませんでしたが・・・。 -
重要文化座に指定されていることを示す日が広場にはありました。重文に指定されたのは2016年、意外と最近です。
臥龍山荘は元々大洲藩主の別荘として利用されていた場所ですが、次第に手入れをされず荒れ果てていたのですが、大洲出身の商人河内寅次郎が購入し桂離宮などを参考に再整備した庭園です。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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新型コロナ対策で検温がありました。大洲市内の観光地何か所かで共通して検温をしていて、一か所で検温をしてOKなら検温済の紙をくれて他の場所では大丈夫、という仕組みでした。
ここでも低体温ぶりを発揮してなんどか計測されるという・・・。 -
臥龍山荘は三つの建物からあり、ここは母屋になる臥龍院です。臥龍院には三部屋があり、それぞれの部屋ごとに趣を変えて造られています。手前は清吹の間、奥は壱是の間と呼ばれる書院造の部屋になっています。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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霞月の間と呼ばれる部屋です。風も入ってきて暖かい時期なら快適なんでしょうが・・・。この部屋に限らずですがどこも寒かったです。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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壱是の間から外を眺めるとこんな感じです。写真だと解りにくいですが奥には肱川も見え、縁側に座りゆっくり肱川と冨士山を眺める、などということもできます。
もっとも庭の先にある別邸の不老庵からの方が綺麗に見えましたけど。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍院から庭を通って肱川の方へ向かうと不老庵という美しい別邸があるということなので行ってみます。
庭園も美しくゆっくりと眺めながら歩いていきます。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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小さいながらも存在感のある石灯篭が置かれていました。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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庭園の半ばで山側を見てみると石積みの門が・・・。調べてみると潜龍洞と言われる人工の横穴で氷室として使われていたそうです。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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イチオシ
庭園を奥まで進んでいくと不老庵があります。不老庵があるこの場所は臥龍淵という肱川沿いの断崖絶壁でとても風光明媚なところです。
紅葉と逆光あいまってとても美しい光景でした。
個人的にこの旅で一番美しく感じたシーンでした。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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大洲市内を流れる肱川です。名前の由来はいくつかありますが、12世紀に大洲城を築城する際に川に面した部分の石垣工事が困難を極め、「おひじ」という女性を人柱にして工事を行い成功したからという伝説もあるようです。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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肱川は水の色も美しく周囲の景色と相まってとても美しい川に見えました。ただ上流のダムの放流でよく水位も変化するとか。近年でも2018年の大雨災害の際にに特例操作をこの上流の二つのダムで行い、西予市内で犠牲者も出ています。
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不老庵はこんな立地ですね。肱川に面していて対岸の冨士山と肱川の景色は絶景だったのだと思います。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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ただこの構造・・・。怖い。明治34年竣工で100年以上持ってきた建物なので大丈夫だとは思いますが、それでも怖いですね。ちなみに不老庵の中に入ることもできました。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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庭園から臥龍院を見るとこんな感じでした。臥龍院は1907年竣工の建物でほぼ当時のまま残っているそうです。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍院と眼下を流れる肱川。肱川の水の色はとても綺麗に見えました。
この後臥龍山荘を出て商店街へと向かっていきます。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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高度経済成長期を再現したポコペン横丁。お店が開くのは日曜日だけらしいですが、この奥に思ひ出倉庫という成長期のものを展示している博物館は今日も開館しているようです。ただちょっと理由があり後回しに。
このまま商店街を進んでいきます。ポコペン横丁 名所・史跡
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ポコペン横丁は再現された横丁ですが、その前の通りの商店街には昔ながらの商店が残っています。まだ現役の商店なのかは不明ですが時代を感じます。
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この建物も古いなあと思って写真を撮ったらデイサービスでした。よく見ると古民家風だけど新しい建物のようです。
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先ほどポコペン横丁に入らなかった理由はここに来たかったから。普段からあまり現金を持ち歩いていないのですが、割と現金利用しかダメなお店が多く現金を使い果たしてしまいました。今日帰るのでそんなに大きなお金は必要ないですが、手数料も考え多めに引き出しました。
ちなみにこの支店はかなり歴史があるようで行内に昔の写真が展示してあったり、普通に観光していたらまずよらないけど結果的にはラッキーでした。 -
この支店のルーツは1889年に創業した大洲銀行です。年代的に国立銀行ではなく私立銀行の様ですね。様々な合併を経て1941年に現在の伊予銀行の前身となっています。
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伊予銀行前の商店街がとてもいい雰囲気だったので一枚。
閉まっているお店も多いですが今でも現役の商店街です。 -
ちょっとふらっと肱川へ。架橋工事が行われていて2018年の豪雨で流されたのかと一瞬思いましたが、どうやら普通の架け替え工事の様です。平時はとても穏やかな美しい川で鵜飼がされたりもしています。
肱川 自然・景勝地
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肱川に近いところに建っているこの建物はおおず赤煉瓦館。1901年大洲商業銀行として建築された建物で、当時の地方都市では珍しい赤煉瓦積みの建物でした。上で上げた伊予銀行の前身とは違う銀行ですが、最終的に1922年に大洲銀行に合併されています。
おおず赤煉瓦館 名所・史跡
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現在おおず赤煉瓦館はお土産などの物産館と休憩所、そしてこの中庭にある小さな建物で大洲商業銀行や赤煉瓦館についての解説を行っていました。
煉瓦の積み方についての解説などもありとても勉強になりました。おおず赤煉瓦館 名所・史跡
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上でも書きましたが中はこんな感じで狭いけど大洲商業銀行に関する資料が展示されていました。
日本全国に銀行が乱立していた時代、今のように支店なんて多く持てないから各地方に銀行ができていました。その中の一つですが、当時を示す大事な資料だと思います。おおず赤煉瓦館 名所・史跡
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これも展示品なんでしょうか?赤煉瓦館の壁に寄りかかっていました。
おおず赤煉瓦館 名所・史跡
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赤煉瓦館の裏からポコペン横丁へと繋がっているようでそのまま歩いていく事に・・・。
おおず赤煉瓦館 名所・史跡
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昔のガソリンタンクのようです。現在みたいに地下に埋め込まれているわけではなかったんですね・・・。小型で自分で差し込むようなスタイルに見えますが、この時代セルフスタンドなどはなく店員さんに入れてもらう形です。
ポコペン横丁 名所・史跡
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ポコペン横丁は昭和30年代の商店街の雰囲気を出した商店街で時期にもよりますが日曜日以外営業はしていません。そんなわけでシャッターが閉まっていますが、雰囲気だけは楽しめるので歩いてみます。
ポコペン横丁 名所・史跡
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奥に見える建物は思ひ出倉庫で昭和30年代の様々な大衆用品を展示・保管している博物館です。
その手前にポコペン横丁が広がっていて、営業しているタイミングでくれば三世代くらいで楽しめる様になっています。正直なところ今の子供の親って僕と大して年齢変わらないと思うので、その親(祖父・祖母)が子供から思春期を過ごした雰囲気の街並みだと思います。ポコペン横丁 名所・史跡
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写真に写っていない範囲も含めホーロー看板がたくさん並んでいました。むしろ下のキャロル360の後ろ側の方がいっぱい写っています・・・。
wikiで調べてみるとホーロー看板は1888年~89年ごろに開発されているようで思った以上に歴史のあるものでした。私が子供の頃はまだ時々見ることが出来ましたね。ポコペン横丁 名所・史跡
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元々は昔の小学校の連絡黒板の様に使っていたのだと思いますが、このご時世なのもありスタッフからの手書きのコメントが載せられていました。
ポコペン横丁 名所・史跡
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入口横にはマツダキャロル360が展示されていました。ボロボロで廃車体とわかる状態ですが、前期型の貴重な車体だと思います。
一度商店街側の入り口まで来ましたが、奥に戻って思ひ出倉庫へと向かいます。ポコペン横丁 名所・史跡
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ポコペン横丁の奥にある思ひ出倉庫。上記した通りこちらは火曜日でも開いています。伊予銀行で無事にお金を下ろしたので入っていきます。
ちなみに私は旅行中バックパックを背負っているのですが、受付で預かってくれました。正直荷物が多いので大丈夫かなと思っていましたが助かりましたね。思ひ出倉庫 名所・史跡
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展示というよりは雑多に置いてあるという感じですが、貴重なものが相当数置いてあるようです。車関係の博物館だときれいにされて展示されていますが、使用感がすごくあるのもここの良さかなとも思いました。
思ひ出倉庫 名所・史跡
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ポコペン横丁にはキャロル360が置かれていましたが、こちらには同じマツダのR360クーペが展示されていました。室内だけあってこちらの方が状態は良さそうです。キャロル360よりも前の販売開始でマツダの四輪軽自動車としては最初に出た車体です。
思ひ出倉庫 名所・史跡
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ママチャリというより実用車、という感じですが戦後よく使われて自転車だと思います。よく見るとサドルとハンドルが高い位置でパイプで結ばれていて跨るのが結構大変だなという印象でした。
思ひ出倉庫 名所・史跡
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昔の駄菓子屋のコーナー。
僕が小さい頃も駄菓子屋はありましたが、数少なくなっていましたね。思ひ出倉庫 名所・史跡
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本屋をイメージしてマガジンラックが置かれていました。雑誌の絵に時代を感じますね。
思ひ出倉庫 名所・史跡
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オート三輪。ひょっとしたら実物を見たのは初めてかも。
これを見て思ったのは良く横転しないなというところです。無茶な操作をすればすぐに横転するとは聞いていますが、とりあえず普通に曲がる分には横転しないんでしょうね・・・。思ひ出倉庫 名所・史跡
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子供向けの書架に昔ながらの本が置かれていました。何枚か上で上げた大人向けの書架もですが、書架自体は今でもだいたい同じ形のものがありますね。
思ひ出倉庫 名所・史跡
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手回し式洗濯機なのかな・・・。
私は昭和産まれですが昭和時代の記憶はまったくなく、物心ついたころには平成になっていました。私の両親世代の人が来るとより楽しいのかもしれません。思ひ出倉庫 名所・史跡
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当時は珍しくなく見ることが出来たものばかりですが、現在では貴重なものばかりです。
いつか今の技術も博物館に収蔵される事になるんでしょうね。思ひ出倉庫 名所・史跡
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民家を再現したものが置かれていました。昭和30年代の一般的な民家の様です。
昔江戸東京博物館で見た昭和の暮らしはひばりが丘団地だったのでかなり先進的でしたが当時の一般はむしろこちらに近かったのかなと・・・。思ひ出倉庫 名所・史跡
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畳にちゃぶ台、昭和30年代の居間の風景です。とは言え自分もサザエさんの様な漫画の世界でしか知りません。畳の部屋も今ではずいぶんと減りましたよね。
思ひ出倉庫 名所・史跡
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この時代の台所はこんな感じだったようです。流しがタイルで造られているのが印象的ですし、流しの横に井戸もありました。
思ひ出倉庫 名所・史跡
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昭和を再現した部屋に貼られていました。1957年の中学教科書の地図だそうです。
国の数も名前もずいぶんと今と違いますね。アフリカの独立が始まったばかり、1960年のアフリカの年はまだ少し先です。
そして周囲には当時の航空機がかかれていてB377やDC-6、コニーなどがある一方、DC-8、B707、でた部屋に貼られていました。1957年の中学教科書の地図だそうです。
国の数も名前もずいぶんと今と違いますね。アフリカの独立が始まったばかり、1960年のアフリカの年はまだ少し先です。
そして周囲には当時の航空機がかかれていてB377やDC-6、コニーがある一方、DC-8、B707、デハビランド、カラベルの黎明期のジェット機も描かれていて時代の移り変わりなのがわかります。
前年に日ソ基本共同宣言が結ばれたもののまだアエロフロートは東京に未就航ですが、Tu104も描かれていました。
飛行機好きなものでついつい眺めてしまいました。 -
このペコちゃんは割と新しいのかな。雰囲気がなんとなくそんな感じです。
昨日の道後温泉の人形と同じくペコちゃんもマスクを着けていました。
これで思ひ出倉庫の見学を終え大洲城方面へ向かいます。思ひ出倉庫 名所・史跡
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国道56号を渡り大洲城方面へ向かいますがその前に一度臥龍山荘方面の商店街を一枚パシャリ。この商店街の風景はとても気に入っています。活気はずいぶん減ってしまいましたが、それこそ思ひ出倉庫で展示している時代には活気があったんだろうなあと思います。
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国道56号を渡り大洲城側へやってきましたが、こちらに来ると商店街の造りは新しくなりおそらく戦後ですかね。
こういう街並みも今では貴重になってきています。 -
商店が取り壊され駐車場になっている場所がありました。そんなわけで側面が見えたんですが、こんな造りなんですね・・・。
正直いろいろと驚きました。 -
昔ながらの雰囲気の旅館が観光駐車場の近くにありました。朝観光駐車場から臥龍山荘方面へ歩いていきますが、街並みを見学して一周して戻ってきた形です。次の目的地は大洲城ですが、その前に少し南にある大洲高校方面へと歩いていきます。
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大洲高校傍にはお殿様公園という公園があり、現存櫓である大洲城南隅櫓と旧大洲藩主の家系の加藤家が大正末期に建てた洋館が保存されています。ただ加藤家住宅は2020年12月現在工事中で様子を見ることはできず・・・。市のサイトによると大名屋敷の名残りの格調の高さと西洋風のモダンさを兼ね備えた建物だそうです。
見たかったなあ・・・。写真で見ても大きいのがないのでわかりにくいんですよね・・・。旧加藤家住宅主屋 名所・史跡
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大洲高校の入口にはこんな碑がありました。青色発光ダイオードの開発者でノーベル物理学賞を受賞した中村修二博士の記念碑です。伊方町で産まれ大洲で育ち大洲高校の卒業生だそうです。
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加藤家住宅側は工事中で入れませんでしたが、南隅櫓は見学できるようで大洲高校側の公園入口は開いていました。大洲城から少し離れたここは江戸時代三の丸だったそうで、ここに三の丸南隅櫓が現存しています。櫓と加藤家住宅を中心に公園として一般開放されていました。
大洲城三の丸南隅櫓公園 公園・植物園
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公園内に入ると左手に池の様なものがありましたが工事の影響か?それとも元々なのかはわかりませんが水は何もありませんでした。
正面の建物は歴史的なものかと思いましたが、大洲市埋蔵文化財センターだそうです。大洲城三の丸南隅櫓公園 公園・植物園
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大洲城の外堀があった場所に造られた大洲城三の丸南隅櫓は1766年に再建されたものだそうです。松山城よりもかなり古い年代の櫓でした。
焼失する前の当初の建築年次は不明とのことでした。大洲城三の丸南隅櫓公園 公園・植物園
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二層の櫓なので広さはありませんが、二層にも入れるようになっていました。窓にはガラスがはめ込まれたり灯はありますが基本的には当時のままの様です。正面の角の部分には隠し狭間があって相手には狭間があるとわからないように見せかけそこから銃撃をするという事ができるようになっているそうです。
三の丸南隅櫓見学後は一回公道に出て大洲城天守へと向かいます。大洲城天守は後編で記載します。
いよいよ愛媛観光記も次のパートで終了です。大洲城三の丸南隅櫓公園 公園・植物園
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