2020/12/11 - 2020/12/15
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この旅行記のスケジュール
2020/12/13
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追手門旧跡碑
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南予文化会館駐車場
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愛媛旅行2日目後半になります。
宇和島城の近くにある南予文化会館駐車場へ車を停め、徒歩で宇和島城の二つある登城口のうち近いほうの桑折氏武家長屋門へ向かいそこから登ることに。
宇和島城は山城でかなりの勾配を登っていく事になります。途中で分岐があり勾配が急である階段ルートを通りましたが正直結構ハードでした。若いころに登った事がある父から結構大変と聞いてはいましたが舐めていましたね・・・。
途中城山郷土館を見学して再度階段を上り宇和島城天守へ。独立三層型の小ぶりな天守でしたが、現存天守の中でも古い部類の天守。一層目二層目が書院造になっているなど珍しい造りも見ることができました。
天守見学後別ルートで下山し、時間があまりないので少しだけ急城下町を散策。
車に戻り宇和島道路と国道56号を利用して愛南町にある紫電改展示館へと向かいます。国道56号から見た豊後水道は綺麗な眺めでした。
紫電改展示館では日本では一機残っている紫電改が展示されています。戦争によって家族を亡くされた方のコメントや343航空隊の皆様について書かれている文章を見て心が痛むとともに、少しでも戦局打開をと思い機体を開発された方や現場で戦った兵士の気持ちを知ることもできました。
その後は予定よりかなり遅れていて当初のルートをたどれないのは確定していましたが、とりあえず高知県に入ってみようと思い宿毛へ向かい、宿毛で食事後松山に引き返しました。
レンタカー移動とは言えかなり移動距離もあり相当ハードな2日目でしたが見学できた内容は多くとても満足な1日でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宇和島城は山城なので正面に見える山の頂上に宇和島城があり、どのルートで上っていくにしても結構な山道を登っていく必要があります。
右手の工事現場は宇和島城の駐車場の工事で、前のパートで書いた通り現在改修工事を行っているので利用できませんでした。ただ車を停めた南予文化会館からここまで3分程度なので、観光客が多い時期じゃなければ大きな問題はなさそうです。元々は武家屋敷の門でした by かるあみるくさん桑折氏武家長屋門 名所・史跡
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宇和島城の登城口の一つはこの門によって迎えられます。この門は元々宇和島城の門ではなく、城下にあった家老桑折氏の長屋門でした。宇和島空襲を生き延びましたが戦後の区画整理による道路拡張の際にこちらに移築されたものです。現在でも幅は15mと長い門ですが、移築の際に半分以下の長さに縮められたそうです。
元々は武家屋敷の門でした by かるあみるくさん桑折氏武家長屋門 名所・史跡
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桑折氏武家長屋門をくぐり左に曲がると宇和島城の城山の登山が始まります。
上り始めはそこまでの坂ではありません。観光地としてはこれでもそこそこの勾配ですが・・・。比べ物にならない程度まで急な勾配が出てきます。 -
しばらく登っていくと分岐がありました。距離は近いけど急な石段か距離は伸びるけどゆるやかな坂道か、という選択肢です。
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こっちが急な石段のルート。
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こっちはなだらかな坂道のルート。
なだらか・・・なんですかねえこれ。 -
あまり悩むことなく急な坂道を選択。理由としては大丈夫という自信があったというのもありますが、このルートを通らないとみられないものがあるからです。
それにしても勾配すごいな。
天守が要塞であることを改めて感じます。 -
それがこの井戸丸です。宇和島城に3つあった井戸のうち一番大事なものだったとか。
ちなみにここに井戸があるということは頂上の天守や二の丸からここまで汲みに来ていたということですよね。時代が時代とは言え大変な生活だったと思います。
階段ルートを選ぶと井戸丸、坂道ルートを選ぶと児童遊園を通って天守閣を目指すことになります。 -
しばらく登るとゆるやかな坂道と合流して天守閣へと向かうルートになりますが、合流地点から1分ほど逆走していくと城山郷土館がありますので寄ってみます。
明治から近代の宇和島の歴史を展示しています。 by かるあみるくさん城山郷土館 美術館・博物館
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城山展示館の建物は1845年に建築された武器庫で、元々は三の丸にあったものを戦後に宇和島城内に移築して展示されています。中は宇和島の偉人の紹介や子供向けのコーナーもありました。一部の展示パネルは住吉にある宇和島市立歴史資料館と同じものが置いてありました。
明治から近代の宇和島の歴史を展示しています。 by かるあみるくさん城山郷土館 美術館・博物館
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城山郷土館を出て宇和島城天守に向かうためにさらに階段を上ります。これはだいぶ上がってきたところで下を見た様子。比較的暖かいとは言え12月に汗だくで意気が上がりながら登っていきます。
マスク着用はきつかった~。
ちなみに宇和島城へ向かうルートは3つありますが、どのルートでもここは通ることになります。 -
登ってきて正面に見える石垣、ぱっとみではなんてことのない石垣ですが、よく見ると石の組み方が違っていて、石垣を組んだ時期とは別に残りの部分(左側)を修理したことがわかります。知識としてはわかっていたんですが、自分では気づかずに解説板気付きました。
肉眼で見るより写真で見たほうがわかりやすいですね、写真で見ると全然違います。 -
市街地からは宇和島城を見ることができますが、勾配が急な城山に近づいてからは見えていなかった宇和島城。登山をしてきて今ここで初めて見ることができました・・・。ここまででかなり疲れましたね・・・。
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階段を登り切ったところにあるこのスペースは二の丸跡。階段を突破してきた敵を食い止める位置です。実際に築城後宇和島城で攻防が行われた事はありませんが、山城であり高い石垣を持つ宇和島城は攻め落とすことは難しい城だったのだと思います。
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二の丸跡から見た宇和島市街地。
奥深くの入り江に周囲の山々。天然の良港として古くから漁業も栄えた様です。今でも水産業の街として有名です。
ただ軍港としては明治期に候補に挙がった事はあるものの、昭和になるまで大きな海軍施設などはなく民間工場を海軍が買収したことこ、戦中に飛行隊が設置された事があった程度のようです。 -
宇和島城は現存天守の1つで独立三層型の天守を持っています。元々は今治城と同じ築城の天才藤堂高虎によって建てられ、寛文年間に修理という名目で立て直されています。元々は複合三層天守だったそうです。
山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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イチオシ
日本で12しかない現存天守の一つですが、江戸期から城内にあった建築物で現在に残っているのはこの天守とこの後帰る際に通る上り立ち門だけだそうです。山城なので建築物も多くはなかったというのもあるのでしょうが・・・。
こうやって江戸期のものを現在でも見ることができるのは素晴らしいことです。山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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こちらは主に明治以降に開発された地域。どちらにせよ三方から山に迫られている地形で住宅地に適している場所は少ないようで、平地にはびっしりと住宅街がありました。
山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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それでは宇和島城天守に入っていきます。入場料は200円でした。宇和島城の造りの特徴としては一層と二層が書院造の構造となっていることです。周囲に回廊があり中心に柱を立てずとなっています。そして障子で回廊と区切られている特徴のある構造です。
山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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書院造の城も珍しくはなかったようですが、それが現存しているのは珍しいようです。熊本城は西南戦争で、岡山城は太平洋戦争で被災して現存していません。
姫路城の最上層は書院造のようですね。下層の太い柱の印象が強いですが・・・。山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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鎧が三つ並んでいました。まあレプリカのはずです。
右は伊達政宗、左は豊臣秀吉はすぐにわかるのですが、真ん中は?まあ宇和島藩の同時代の人物だと伊達秀宗?と思って調べてみたらその通りでした。
秀吉の鎧があるのはなぜなんでしょうね?山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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万延元年(1860年)に大修理をした際に造られた1/10サイズの宇和島城の模型です。天守とは言え小ぶりの建物のため1/10だとこれくらいの大きさです。細部まで精巧に造られているようで、骨組みがどのようになっているのかよくわかりました。
山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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宇和島藩第7代藩主伊達宗紀と第8代藩主伊達宗城の肖像画です。なぜこの2人だけあったのかは不明ですが、江戸後期と幕末に活躍したお二人です。
山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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現存天守なので階段の勾配が急で落ちたらやばそうです。この直前に幼稚園~小学生ぐらいの女の子が滑り落ちかけていましたが怖いですよね。江戸時代の建物は商店などでも階段はとても急です。
山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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二層目には墨絵イラストレーターの茂本ヒデキチ氏が描かれた墨絵があります。左側の絵は戦国大名で初代仙台藩主伊達政宗とその長男で初代宇和島藩主伊達秀宗、右側の絵は宇和島城と宇和島の祭りが描かれていました。
迫力ある絵で引き込まれしばらく眺めていました。山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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天守最上層(=三層)までやってきました。宇和島城天守は三層でかつ小ぶりであるので階段が急な事を除けば割と簡単にやってこれます。
天守最上層は遠くまで見張らせるよう窓が大きく取られています。あとスペースの問題もあるのかもしれないですが、最上層は書院造ではありませんでした。山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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天守最上層には元禄時代の宇和島城下屏風絵図です。まるで本物の様な雰囲気の屏風ですが、デジタルカメラで正確に撮影したものを原寸大に再現したものだそうです。
この作品は元々は襖絵だったものを昭和になり屏風に改造したそうです。その際なのかは不明ですが、本来は左側にもう一枚ありその部分が欠損していると書かれていました。山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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ぎりぎりまで山が迫っている地形なので住めそうな場所には住宅が立ち並んでいます。それでも宇和島は人口流出が止まらず人口低下が進んでいるそうです。
確かに市街地はそれなりに人口多そうですが車で走っていると周辺地域はかなり人が少ない印象でした。山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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天守からみた宇和島市街の様子。江戸初期には既に埋め立てが始まっていた宇和島ですがその後昭和まで埋め立ては続きました。天守から見える地形も江戸時代とはずいぶん変わっているんだと思います。
山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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天守閣から見る天赦園。宇和島城のある山は元々離島だったのが埋め立てにより陸地と繋がっていたので、埋め立て地の天赦園とはかなりの高低差があります。
山頂に立つ城で見晴らし抜群です by かるあみるくさん宇和島城 名所・史跡
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天守閣からの宇和島の景色も眺めたので降りていきます。上の写真でもあげていますが、現存天守の階段はどこも急です。江戸時代はこれが当たり前だったんですね。
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帰りは別ルートを通って下山することにします。城山郷土館の前を通り、階段を下り広場に出てきました。ここは児童遊園、坂道ルートを上ってくるとここを経由して天守へと向かうことになります。
そしてここには分岐があり、坂道ルートとも別の道で下っていくことにします。 -
行きとは別のルートですが、やはりこちらも急な坂道です。武家長屋門側の坂道ルートは使っていませんが、階段ルートよりは比較的ましですが、それでも上るには結構体力いりそう。
次の目的地までの時間を考えるとあまりゆっくりもしていられないのでやや早歩きで下っていきます。 -
下ってきた途中にあるこの広場は宇和島城式部丸。江戸時代の宇和島城を記した絵図にはここの記載がありません。この式部丸を建設した時期は武家諸法度などで城の建築・改造を厳しく規制されてきているため絵図に記さず、この場所には何も建築物を造る事をしなかったと記載されていました。長らく放置されてきましたが近年再整備されて立ち入れるようになったそうです。
この城山は江戸時代に開発や伐採を免れ、明治以降も保存されているため貴重な自然が残っているそうです。 -
こちら側の出口にある門は上り立ち門と呼ばれていて、数少ない宇和島城の現存建造物です。綺麗にされているからそんなに古さは感じないですけどね。
大通りに面していて立派な門なんですけど、ひっそりとしていて存在感はあまりなかったです。
今回私は車で移動していますが、天赦園や伊達博物館に行くにはこの門からが近いです。現存する宇和島城の門です by かるあみるくさん上り立ち門 (宇和島城) 名所・史跡
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児島惟謙と言ってもピンとこない方も多いと思いますが、大津事件の裁判官と言えば歴史が好きな方ならわかると思います。宇和島出身だったんですね。明治期に政府の圧力に負けず司法の独立を守った裁判官です。
現在とは情勢が違い下手をすればロシアとの戦争になりかねない中、その様な決断をするのは大変だったのだろうと思います。護法の神の像 by かるあみるくさん児島惟謙銅像 名所・史跡
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鉄道唱歌の作者、大和田建樹は宇和島出身。生家のあった場所には立て看板があるだけでしたが、新しく整備された看板には生涯と功績が書かれていました。
上り立ち門からすぐのところにありました。鉄道唱歌の作者の生家跡です。 by かるあみるくさん大和田建樹の生家跡 名所・史跡
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南予文化会館の駐車場へ向かう途中にこんな石碑がありました。「国宝追手門旧跡」、戦前のこの場所には宇和島城の追手門があり旧国宝にしていされていました。両側に石垣を築きその上に櫓を乗せる構造の門で宇和島の人々に親しまれていたそうです。宇和島空襲により残念ながら焼失、この石はおそらく基礎の石垣に使われいたものなのだと思います。
ほとんどの観光情報には乗っていない忘れられた存在になりつつありますが、ここに立派な城門があったことを示す証拠です。 -
追手門旧石碑からほど近い江戸時代初期の宇和島藩の家老の山家公頼の自宅跡には丸の内和霊神社が建っています。山家公頼は子供たちもろとも謀殺され、その霊を鎮めるために現在の宇和島駅北部に和霊神社が建立されています。山家公頼邸跡は宇和島藩によって倉庫として使われていましたが、明治になりこの地にも丸の内和霊神社が建立されました。
凄惨な事件の起きた場所に建つ神社。 by かるあみるくさん山家公頼の邸宅跡 名所・史跡
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400年ほど前に凄惨な事件が起きた場所とは感じさせない落ち着いた境内の神社でした。後ろに見える山は宇和島城で、家老という事もあり城下のすぐそばに邸宅をもっていたようです。
凄惨な事件の起きた場所に建つ神社。 by かるあみるくさん山家公頼の邸宅跡 名所・史跡
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柿本神社という神社のようです。丸の内和霊神社の西の端に位置していました。
小さい木で作られた案内板がありましたが一部欠損していて読み取れず。元々は天赦園にあった神社が移転しているようです。凄惨な事件の起きた場所に建つ神社。 by かるあみるくさん山家公頼の邸宅跡 名所・史跡
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丸の内和霊神社交差点。日曜日で人が少ないですが宇和島の中心地です。この手前に丸の内和霊神社が、左奥に追手門旧跡碑がありました。
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南予文化会館まで戻ってきました。文化会館としてよりも宇和島城の駐車場という使い方をしている人が多い日だったようです。イベントとかあれば混むのでしょうけど、このご時世では難しいのかな。
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南予文化会館の前の通りには美術品らしきものが展示されていました。
宇和島を後にしここから車で愛南町へ向かいます。目的地の閉館時間には間に合うはず・・・。
南予文化会館の駐車場は狭い場所もあるものの、使いやすい駐車場でした。お城の入り口までもそんなに距離がなく値段もお手頃でいい場所でしたね。
市の中心部の駐車場にしてはガラガラなのが少し心配でしたが・・・。
予定より少し遅れ15:19発。間に合うかな? -
やってきたのは紫電改展示館。旧日本軍が制式した最強の戦闘機ともいわれる機体がここで保存されています。現在日本では展示されているのはこの一機のみでとても貴重なものです。
南予文化会館からちょうど一時間ほどでここまでやってくることができました。山の上にある紫電改の眠る展示館 by かるあみるくさん紫電改展示館 美術館・博物館
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17時の閉館時間が心配でしたが思ったより時間があるので明るいうちに景色を眺めます。紫電展示館の眼下に見えるこの湾は久良湾と呼ばれ、展示されている紫電改は松山を離陸した後墜落しこの湾の海底40mに沈んでいました。引き上げられたあと湾を望むこの地で保存・展示されています。
夕暮れ時で美しい光景が広がっていました。 -
愛南町を走っているときに巨大な鉄塔が見えてなんだろうと思っていたら、紫電改展示館のすぐそばに建っていました。
形を見るに電波塔や送電線などではなさそう・・・。 -
看板をみるとこの先には宇和海展望タワーとこども動物園があるようです。写真を見ると奥にある塔は宇和海展望タワーですね。
宇和海展望タワーは運行停止、こども動物園は鳥インフルエンザ対策で閉鎖されているようです。タワーの運行って?? -
343航空隊所属だった紫電改。引き上げ時にパイロットの遺体や遺品が見つからずどの機体かは不明ですが、1945年7月20日に豊後水道を北東に向かうアメリカ空軍を要撃した際に未帰還になった6機のうちの1機と言われています。
館内には6機の搭乗員の遺族などの話も書かれていました。山の上にある紫電改の眠る展示館 by かるあみるくさん紫電改展示館 美術館・博物館
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上からも眺められるように一部回廊が二階に設置されています。零戦より結構大きく見えましたが諸元を見ると翼端はほぼ同じ、全長が50センチ程度長い程度の様です。
ドッグファイト時に自動展開するフラップや防弾ガラスを搭載、エンジンも強化されており非常に使いやすい機体だったそうです。特に零戦の防御力皆無のガラスから防弾ガラスになり信頼性は高かったとか。山の上にある紫電改の眠る展示館 by かるあみるくさん紫電改展示館 美術館・博物館
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紫電改の詳細を記した解剖図。零戦を圧倒したF6Fヘルキャットとも互角以上に戦うこともできた性能を持っていましたが、戦争末期になると物資不足や工場の損害などで機体を製造することや整備も満足に行えなくなってしまいました。
それでも試験途中で終戦をむかえた橘花などを除けば制式された海軍戦闘機では最強とよく言われています。
ちなみに戦中は紫電改とはあまり呼ばれず、N1K2-JやJ改と呼ばれていたそうです。山の上にある紫電改の眠る展示館 by かるあみるくさん紫電改展示館 美術館・博物館
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長い間海に沈んでいたとは言え状況はとても良い様子です。
全面プロペラの下には折り紙などが供えられていました。山の上にある紫電改の眠る展示館 by かるあみるくさん紫電改展示館 美術館・博物館
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343航空隊松山基地を再現したジオラマ。紫電改がたくさん並んでいます。戦局打開の為の最後の切り札として結成された343航空隊。絶望的な物資不足の中松山上空戦では最後の日本航空戦戦果と言われる結果を残しました。
日本軍では珍しく編隊戦闘を徹底して行った航空隊でもあります。その後鹿屋へ転戦、沖縄戦後は福知山への転戦を目前に敗戦を迎えました。山の上にある紫電改の眠る展示館 by かるあみるくさん紫電改展示館 美術館・博物館
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紫電改展示館の受付のおじさんに、宇和海展望タワーは入れないけど真下まで行けること、展示館は17時で閉鎖だけど駐車場は閉鎖されないことを聞いて展望タワーの下まで行ってみることに。
季節は12月、もうだいぶ暗くなってきてしまいました。 -
歩いて数分で展望タワーの入り口までやってきました。
結構太い鉄塔が建っているわけですが、下の建物は小さいなと感じました。もっともこの建物で支えているわけではなく、下には巨大なアンカーがあるとは思いますが。残念ながら閉鎖されていました by かるあみるくさん宇和海展望タワー 名所・史跡
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見上げるととても高いタワーです。スカイツリーとか名古屋テレビ塔とか上ったことありますが、周りに高い建物も何もなく、島の高台に位置するこの細いタワーは上ると怖かっただろうなあと思います。
高所恐怖症ですが後先考えず上ってしまうので、営業停止していてよかったかもしれません(汗。残念ながら閉鎖されていました by かるあみるくさん宇和海展望タワー 名所・史跡
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これが回転しながら上昇、下降をし宇和海を一望できるというタワーだったようです。全盛期にはそれなりに人を集めたそうですが・・・。だから下にある看板には運行停止と書かれていたんだと思います。普通のタワーだったら閉鎖中とか書かれますからね。
こんなの止まったら怖いな、と現地では思いましたが帰宅後調べてみると実際にそういうことがあったそうです。残念ながら閉鎖されていました by かるあみるくさん宇和海展望タワー 名所・史跡
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南予町を出る時点で18時ちょっと前になっていて、この日当初計画していた松山→宇和島→南予→中村→宇和島→松山の工程は難しくなっていました。ただそれでもすぐに松山に帰っても20時前についてしまうのでせっかくなら行けるところまで行ってみるかと思い宿毛市まで来てみました。
宿毛市に入り給油、買い物などをやってどういう風に帰るか考えたら直接宇和島に引き返すしかないという事になり宇和島へ戻ることに。車を走らせていたら宿毛駅の近くにラーメン屋があり、宇和島あたりで食べようとしていましたがここで食べていく事にしました。
ラーメンの豚太郎というお店です。 -
何も知らずに味噌キムチラーメンを頼みましたが、注文した後にネットで見てみるとこのお店の味噌カツラーメンはテレビでも紹介されたお店なんだとか。高知県では有名なチェーン店の様ですね。
もし今度高知に来たときは食べてみよう。
キムチラーメン美味しかったですよ。豚太郎 宿毛店 グルメ・レストラン
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ラーメンを食べた後56号と松山自動車道を使って宿毛からノンストップで松山まで戻ってきました。だいたい2時間ちょっとだったので思ったより早く着くことができました。やはり高速道路は偉大です。
ホテルには大浴場がないですが、徒歩数分のところにスーパー銭湯があり、フロントで割引券を販売しているので行ってみることにしました。
この日は季節のわりに暖かったのもあって短い距離なら湯冷めも平気かなと。松山駅前の天然温泉 by かるあみるくさん天然温泉 キスケの湯 温泉
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割引券ちゃんと写していなかった。というか撮ろうと思ったのですが、疲れていて何を間違えたかこんなカットに。
靴のロッカーのカギがクリスマスイブだ・・・(´・ω・`) -
柚子湯に向けて「柚子譲ってくださいキャンペーン」が行われていました。毎年やっているのか今年だけなのかは不明です。
お風呂は結構広く種類もあり、洗い場も数多かったですが、かなり混んでいましたね。10時過ぎでもっと空いているかと思っていましたが・・・。どちらかというと地元の方が中心だったようです。松山駅前の天然温泉 by かるあみるくさん天然温泉 キスケの湯 温泉
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普通に入場すると値段はこんな感じです。タオルなども必要なので持ってこれる場合は持ってきたほうがいいと思います。この日までは比較的暖かかったので入浴後数分歩いてホテルまで戻っても大丈夫でした。翌日は寒波でとても寒かったので断念。この時期風邪をひくのもまずいですからね・・・。
こんな感じで2日目は終了。明日は松山市内を観光します。
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