1985/07/22 - 2015/08/16
746位(同エリア8679件中)
Akrさん
ご覧下さいまして、ありがとうございます。
懐古旅行記第2弾でございます。
前回は、2011年の寝台特急北斗星弾丸旅の模様をお送りしましたが、今回も北海道ネタで攻めます。
北海道は、東北から近いこともあって度々、訪ねておりますが、写真などの記録があまり残っておりません。前作の北斗星は、比較的、データが残ってましたので1本の旅行記として公開しましたが他の記録は1回の旅行で10枚程度の写真しか残ってないか、またはまったく写真を撮ってないかのどっちかなのです。
そこで今回は、思い切って過去の北海道への渡道記録をまとめてひとつの旅行記に仕上げてみることにしました。
古くは、1985年の家族旅行から始まり、その後、1992年、2011年、2013年、2015年と記録が残っています。このほかにもプライベートで数回、仕事(添乗やバス乗務など)で20回程度、足を運んでおりますが、それを証明する写真が一切ありません。プライベートの旅行では確実に写真も撮っているのですが跡形もないのです。
コロナ禍でのStay Homeのお蔭でいわゆる「断捨離」の時間を取ることが出来て、その結果、発掘された写真たちでもあるので、フォートラのネタ切れだったところで、怪我の功名といったところでしょうか・・・
新しいもの(2013年、2015年)のものは既にフォートラで旅行記としてアップしておりますので若干、ダブる、「インチキ旅行記(笑)」もありますが、大目に見てやってくださいませ。
あまり満足の行く内容ではないかもしれませんし、写真も汚いスキャン画像が多いのですが、今はもう見ることが出来ない車両なども登場しますので、よろしければご覧いただければ幸いです。
それでは参りましょう。
※表紙は、1985年札幌駅で。キハ82特急おおとり。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- JR特急 JRローカル
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【1985年7月】
いきなりの青函連絡船「摩周丸」で始まりましたが、
記録が残っているもので最古なのは、1985年(昭和60年)の家族旅行。
この時が自身初の渡道でした。
両親が結婚25周年の記念旅行で北海道へ行きたい。行ったことないから一緒に行ってくれ、金はぜんぶ出すからプランニングはおまえに任せる。
と言われて、行程、きっぷ、宿の手配を一手に引き受けました。
私は当時、17歳。もう親と旅行する年齢じゃないのですが、「タダで北海道へ行って列車に乗れる」というので張り切って引き受けたものです(笑) -
【1985年7月】
北海道へ行くのになぜか田沢湖に居る。
この当時からやることが変わってない。35年もの間、進化が見られない私、Akr。
実は、北海道旅行が決まってから、両親より1日早く仙台を発ち、当時、未乗だった田沢湖線に乗りに行くことにしたのだ。盛岡へ1泊し、翌朝、仙台から新幹線で来た両親と合流という作戦。この旅は"オプション扱い"なので当然、旅費は自費である。たしか仙台から鈍行乗り継ぎで行った。田沢湖駅 駅
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【1985年7月】
「ざ わ こ」ってなんだよ。
ちゃんと撮れ(笑)
ホーロー看板の下が出羽鶴。北海道ならサッポロビールだが。 -
【1985年7月】
乗ってるのはたぶん、キハ52だと思う。
2番線に盛岡ゆきの特急たざわが来た。3番線にもディーゼルカーが停まって満線になった田沢湖駅。いまはここをE6系こまちが走る。 -
【1985年7月】
盛岡駅で。これから親と合流して、当時、盛岡発着になっていた特急はつかりに乗る。盛岡駅 駅
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【1985年7月】
青森ゆき、特急はつかり車内。
いきなり親の写真で恐縮です(笑)
485系の簡易リクライニングシートですね。一応、リクライニングするのですが、腰を浮かせるとバタンと戻ってしまうシロモノでした。通称、バッタンコシート。
近年ですと、急行はまなすの14系客車にも付いてました。 -
【1985年7月】
そして、青森から青函連絡船。1枚目の写真の摩周丸でした。
私、Akr、若干17歳。まさか35年後にこの写真が世界へ向けて公開されるとは(笑)
当時、杉山清貴&オメガトライブが流行ってまして、さわやかな杉山清貴さんに憧れておりました。大きいサングラスも買って、なりきりしてた(爆笑)
♪ オンリユー、君にささやく~、ふたりのな~つものがたりいいい
スミマセン、古いですか。そうですか、次行きます。 -
【1985年7月】
青森ゆきの十和田丸と反航します。
青函連絡船は船体の色で容易に船名が識別できました。 -
【1985年7月】
船内で寛ぐ両親。この時は大部屋の桟敷席がいっぱいで椅子席に座りました。
この椅子も懐かしいなあ。 -
【1985年7月】
目的地では親に付き合い、一通り観光をします。
本当は乗り鉄したいのだが、旅費全額親負担で来ているので主導権は親にあります。
ハリストス正教会。よく覚えてません。函館ハリストス正教会 寺・神社・教会
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【1985年7月】
夜は函館山の夜景を見に行った。
これは綺麗だった。感動した。当時の安もんのカメラでは夜景はこんなんしか撮れません。この時は、湯の川温泉に泊まった。函館山 自然・景勝地
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【1985年7月】
翌日。
函館駅。札幌ゆき、特急北海に乗ります。
函館~札幌間の優等列車は当時から海線(室蘭本線まわり)が主流でしたが、特急北海は、貴重な山線(函館本線小樽まわり)経由の特急でした。
この頃の北海道の気動車特急は183系が全盛。まだ国鉄特急色。先頭車はスラントが当たりまえ。北海は、くろしおのようなヘッドマークだった。
親に「なんで所要時間が短い特急北斗に乗らないんだ」と言われました。
写真で見た、山線を行くC62の急行ニセコや銭函付近の海岸線をこの目で見てみたくて、どうしても山線経由で行ってみたかった。
プランニングを全権委託されているのでこういった演出はすべて許された。(と思う)函館駅 駅
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【1985年7月】
写真撮ってやっからと父親に言われ、しぶしぶ。
列車を撮影するのは好きだが、一緒に写るのは好きじゃなかった。多感な17歳。
すこしカッコつけてんの。今見ても笑う。
「つうか、おやじ、半分切れてんぞ」 -
【1985年7月】
この当時からサボや方向幕を撮影する習慣がありました。 -
【1985年7月】
北海車内。
ああ、そうだ、183系のオリジナルの椅子はこんな色でした。 -
【1985年7月】
札幌へ。
札幌市営バスの定期観光に乗って大倉山シャンツェをガイドさんの案内で見学しています。当時は、父親は免許を持っていなかったので家族で出かけるときは、電車、バス、タクシーが当たりまえでした。大倉山ジャンプ競技場 名所・史跡
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【1985年7月】
ベタな観光ですが、羊ヶ丘展望台です。
いまもこんな感じなのかな。 -
【1985年7月】
同じく羊ヶ丘にて、母親です。
後ろのバスが懐かしくてアップしました。昔の札幌市営カラーですね。バスも古いなあ。この時は半日コースだった。国鉄仙台駅の旅行センターで予約してクーポン買った記憶があります。 -
【1985年7月】
この日の泊まりは洞爺湖温泉でした。
キハ82に乗りたいと言うだけの理由で、札幌~洞爺を特急おおとりに乗りました。おおとりは、網走~函館を結んでいた長距離特急。この時代はまだ優等列車が札幌分断になる前だった。キハ82にも絵入りのヘッドマークが付いていました。当時でも既にキハ82は貴重になっていましたので、どうしても乗りたかった。
親には「なんでわざわざ古いのに乗るの?」と突っ込まれた(笑)
結果、これが生涯、最初で最後のキハ82乗車となった。札幌駅 駅
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【1985年7月】
この日は洞爺湖で花火を観た。
たしか毎日、花火を上げていたハズ。洞爺湖 自然・景勝地
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【1985年7月】
次の日は、親が親戚に会うと言うので苫小牧へ行った。私は、初めてこの旅行で単独行動を許され、単身、高速バスで札幌へ。
札幌駅で撮り鉄をしてた。やることが今とたいして変わらん(笑)
これは、183系スラントノーズ。おおぞら&北斗の並び。
こういうのは普通に見られた。やっぱりこのカラー好きだわ。 -
【1985年7月】
オホーツクがキハ82だったのを見つけてホームを走った。キハ82の絵入りマーク、今となっては貴重だな。あと、地平ホーム時代の札幌駅も懐かしい。
この後、夕方、親と合流して苫小牧港から東日本フェリーで仙台へ帰って、足掛け4日の人生初の北海道旅行が終わった。
1985年のおはなしはここまでです。次、行きます。 -
【1992年7月】
またしても両親と北海道へ行くことになった。この年は、父親の退職記念旅行。
生まれて初めての寝台特急北斗星乗車が叶った。両親のためにという名目で北斗星の最上級個室「ロイヤル」を確保。私は、ソロ2階室。
写真は、北斗星の車内で販売していた青函トンネルのオレンジカード。思わず購入。未使用でいまも所蔵してます。「ゾーン539きっぷ」とかなつかし過ぎる。 -
【1992年7月】
北斗星「ロイヤル」室内。
いったい何を写したかったのかわからない。こういう写真は今でも撮る(笑)
初めてロイヤルに入ったので親が寝ると言うまでは部屋に居た気がする。
翌朝も駅に停まるたびにカーテンを開けてこれみよがしに「ロイヤル乗ってんぞ感」を見せつけた(笑)
で、自分が利用したソロの2階室の写真は無い。 -
【1992年7月】
翌朝、札幌で北斗星からわずかの乗り継ぎで、網走ゆき特急オホーツクに乗って5時間、網走へ。
今、自分がやっているような無茶苦茶な乗り継ぎを、30年も前に親にやらせた。
お父さん、お母さん、ごめんなさい(笑)網走駅 駅
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【1992年7月】
網走駅からは、貸切タクシーで市内観光。
天都山。
阿藤快さんに激似のタクシーの運転手さんに詳しく説明をいただいた。
とってもいい人。
北海道の人はみな、優しい。天都山 自然・景勝地
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【1992年7月】
ベタ観光ですが、網走刑務所。
ちなみに私の父親は、仙台地方裁判所に勤務していたので、「間違ってもこういう所の世話にはなるなよ」ときつく言われた。
当然、今までお世話になったことはない。これからもね。
この日は網走に泊まった。死ぬくらいカニ食った。網走刑務所 名所・史跡
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【1992年7月】
翌日からは、レンタカー。
道東は列車の本数も限られるので効率よく回るためにレンタカーを借りた。
小清水原生花園のオレンジカードを買った。
右側2枚が無くなっている。使ったのか(笑)自分らしい・・・
当時はオレンジカード収集家だったらしい。網走国定公園 小清水原生花園 自然・景勝地
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【1992年7月】
こっちが表。スタンプを押せるようになっている。 -
【1992年7月】
知床まで車で走った。オシンコシンの滝。オシンコシンの滝 自然・景勝地
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【1992年7月】
知床五胡。知床五湖 自然・景勝地
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【1992年7月】
川湯温泉、硫黄山。
この日は、川湯温泉泊まりだった。硫黄山 自然・景勝地
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【1992年7月】
翌日は阿寒湖へ。まりも初めて見た。
この後、帯広でレンタカー返却して、帯広からスーパーとかちで札幌へ。キサロハ182の2階グリーンに乗ってテンション爆上げだった。だが、写真はない。いま思えば、まりもの写真より、キサロハの写真を撮っておけとあの頃の自分に言いたい。阿寒湖 自然・景勝地
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【1992年7月】
キサロハってなんじゃいって方に。
これがキサロハ182。183系気動車の中間車。2階建て構造で無動力。2階はグリーン車、1階は個室。バブリーな車両だった。
※写真は、Wikipediaよりお借りしました。 -
【2011年2月】
続いては、飛んで2011年。
前回の旅行記でご紹介させていただきましたが、ただ、北斗星に乗って札幌行って来ただけという思いつき旅。
牽引機が、EF510になって初の北斗星乗車だった。
※前回の旅行記に詳細があります。
【懐古旅行記シリーズ】2011年 寝台特急北斗星0泊2日弾丸旅。ちょっと札幌行ってくるわ~
https://4travel.jp/travelogue/11623403仙台駅 (JR) 駅
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【2011年2月】
もう見ることは出来ない幕。 -
【2011年2月】
翌朝は、食堂車「グランシャリオ」で噴火湾を眺めながらの朝食を楽しみました。 -
【2011年2月】
強風で1時間以上遅れての札幌到着。
その分、寝台特急の旅を楽しめました。札幌駅 駅
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【2011年2月】
札幌からは、とんぼ返りで飛行機で仙台帰った。
この後、東日本大震災が発生して、とんでもないことになった。その2年後にふたたび北斗星で出かけた。次、行きます。新千歳空港 空港
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【2013年5月】
つづいて2年後、またまた北斗星。
この時は、B寝台2人用個室「デュエット」が取れたので、冬のあけぼのに続き、あっぺ呑んさんを誘っての2人旅。実はこの時も、札幌には泊まったものの、翌日は鉄路でとんぼ返りということをまたやらかす、「乗るだけ旅」でした。
その時の模様はフォートラにアップ済みです。参考まで。
飲み鉄二人旅。ただ、ただ寝台特急北斗星に乗りたくて、旅に出る。
https://4travel.jp/travelogue/11215550仙台駅 (JR) 駅
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【2013年5月】
幕の写真を撮るのが恒例。LEDになったらあまり撮らなくなったな。LEDだとシャッタースピードのせいでうまく写せないし。おっさんのコンデジでは無理だな。
北斗星と言えば札幌ゆき
札幌ゆきといえば北斗星。 -
【2013年5月】
翌朝、函館駅で。
お馴染み、函館運輸所所属、全重連型対応のDD51「函」「重」登場。
この重厚なエンジン音と油煙で北海道上陸を実感する儀式。カラーリングも最高だったな。
通称「星釜」なんて呼ばれていますが、私の先輩、あっぺ呑んさん曰く、
「釜って呼んでいいのは蒸気だけだべ。電機もディーゼルも釜でねえの!!」
と、嘆かれております。蒸気世代なもんで・・・函館駅 駅
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【2013年5月】
食堂車「グランシャリオ」で優雅に朝食ざます。
この時が、北斗星最後の乗車となりました。 -
【2013年5月】
洋定食、1600円也。
日本最後の定期列車食堂車体験授業料とすれば高くなかった。
ワンディッシュにハッシュドポテト、ハム、ソーセージ、スクランブルエッグ。このほかにパン2個、ジャム&バター、デザートの夕張メロンゼリー、食後にコーヒーor紅茶でした。忘れないうちに記録しておきます。
仙台からの下りしか乗ったことないので、ディナーやパブタイムでの利用は皆無でした。 -
【2013年5月】
北斗星名物。特急に抜かれる特急。
途中の落部(おとしべ)駅で、後発のスーパー北斗にぶち抜かれます。ここで、「なんだよ、特急料金払っているのに特急に抜かれるのかよ」と思う方は、寝台列車向きではありませんよ。あくまでものんびり。心のゆとりをお金で買うのが北斗星の旅。
まあ、こんな旅、もう出来ないんだけどね・・・落部駅 駅
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【2013年5月】
終点札幌へ。
回送されるまで見送りしました。北斗星はこの2年後に廃止された。札幌駅 駅
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【2013年5月】
乗るのが目的だったのだが、1泊で時間もあるのでどこかへ。
われわれがベタな観光などするわけもなく、やって来たのは小樽市総合博物館。
心行くまで、国鉄車両を楽しんだのでした。キハ82が再塗装されてぴかぴかだった。小樽市総合博物館 美術館・博物館
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【2013年5月】
翌日。
午前のスーパー北斗で函館へ。札幌駅 駅
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【2013年5月】
噴火湾の車窓が素晴らしかった。 -
【2013年5月】
函館からはスーパー白鳥。
中間先頭車を見つけて悶絶した。
そんなスーパー白鳥も新幹線開業で廃止。789系は札幌へ。
まだ、東北新幹線が八戸止まりだったころ、八戸から乗った事があったな。あの時は函館旅行。E2系はやてがデビューした時だ。写真なし。悔やまれる・・・函館駅 駅
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【2013年5月】
新青森からは、E5系はやぶさ。
これで仙台へ帰った。車内でビール飲みながら、あっぺ呑んさんと「次はしばらく北海道来れないね」なんて言ってたけど、この2年後に、はまなす乗りに行くことになる。
2013年の渡道のおはなしはこれでおしまい。次は2015年の模様をどうぞ。新青森駅 駅
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【2015年8月】
仙台駅。
また北海道へ旅立つ。今回の目的は、最後の定期客車急行「はまなす」乗車。またしても乗るだけのために北海道へ。でも、今回は時間に余裕があるので北海道の静態保存車をめぐる、国鉄懐古旅。
朝のはやぶさに乗り、はるばる鉄路で1日かけて札幌を目指します。
この模様もフォートラにアップしてありますので興味がある方はどうぞ。
飲み鉄二人旅。北海道保存車めぐりと急行はまなす惜別乗車。
第1部 https://4travel.jp/travelogue/11213847
第2部 https://4travel.jp/travelogue/11214100
第3部 https://4travel.jp/travelogue/11214289仙台駅 (JR) 駅
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【2015年8月】
新青森から特急白鳥で函館へ。
この時は、来年の北海道新幹線開業とともに廃止される485系3000番台の乗り納めも兼ねた。新幹線と接続の良い、スーパー白鳥を避けて、臨時の485白鳥狙い。
魔改造国鉄車の中でもコレだけは許せた。3000番台は格好良いと思った。函館駅 駅
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【2015年8月】
昭和54年製。485系の中でも最終増備組だったようです。 -
【2015年8月】
函館では、札幌行きの特急の接続が悪くて朝市で海鮮丼食べて、青函連絡船のメモリアルシップ摩周丸を見学。奇しくも、30年前の渡道の際に乗ったのも摩周丸。懐かしく船内を見学した。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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【2015年8月】
函館からはスーパー北斗。キハ281もいまや激減。函館駅 駅
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【2015年8月】
ここはグリーンを奮発。キハ281の3列グリーンは素晴らしい車両。 -
【2015年8月】
今宵は札幌泊まり。
夕食はすすきので。北海道最強のつまみ「じゃがバター&いかの塩辛」
最初、「え~?」って思ったけどめちゃくちゃ美味い。そしてサッポロクラシックに合う」
北海道最高だよ。まったく。 -
【2015年8月】
一夜明けて。
この日は、レンタカーを駆使して道内の貴重な静態保存車をめぐります。
同行のあっぺ呑んさんのリクエスト、美唄鉄道東明駅の4110形蒸気機関車。
あっぺ呑んさんのトラベラーページのメイン写真になっています。美唄鉄道旧東明駅 名所・史跡
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【2015年8月】
続いてやって来たのは、三笠鉄道村三笠ゾーンにある「クロフォード公園」
キハ82のフル編成に悶絶。おっさん歓喜!!!!
国鉄特急色、パノラミックウィンドー、ヘッドライトカバーの造形、キノコクーラー・・・。走る美術品だ。国鉄型でいちばん好きなデザイン。
脇の築堤に上り、美しい編成を眺める。あまりの美しさに悶絶して築堤から転がり落ちそうになる(笑)←バカクロフォード公園 公園・植物園
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【2015年8月】
次は、三笠鉄道村幌内ゾーンにある「三笠鉄道記念館」へ。
ここでも懐かしい国鉄型車両に触れる。 -
【2015年8月】
三笠から峠越えをして夕張へ。
三菱大夕張鉄道、南大夕張駅跡へ。ここは、ホームと駅名標、客車などが残されています。保存状態も良好。旧三菱大夕張鉄道 南大夕張駅跡 名所・史跡
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【2015年8月】
客車の中にも入れます。板張りの背もたれ、ビニール張りの椅子。国鉄型より簡素な造り。 -
【2015年8月】
夕張から追分へ。
いまは広大な空き地が広がってますが、ここはかつて追分機関区が置かれた場所。
何本もの側線があって転車台や給水塔があって、かつては相当な賑わいだったのでしょう。いまは往時を偲ぶものはありません。追分駅 駅
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【2015年8月】
北海道の真ん中らへんをまわって札幌へ戻って来ました。
今回の旅のメイン、急行「はまなす」へ乗ります。最後の定期客車急行列車。札幌駅 駅
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【2015年8月】
急行 はまなす 青森。
方向幕いいね。 -
【2015年8月】
乗るのは増結車の指定席。14系座席車。懐かしの簡易リクライニングシート。
背もたれが低くて現代の水準で見れば決して快適ではないけど、国鉄懐古趣味のわれわれには悶絶もののアイテム。(悶絶ばかりでスミマセン)
でも・・・
正直、この椅子で青森まで8時間はキツかった・・・ -
【2015年8月】
深夜の函館駅で「バカ停」(長時間停車のことです)
機関車もここでDD51からED79に交換。函館駅 駅
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【2015年8月】
お盆休み中、はまなすが青函トンネルの新幹線工事のため運休していた関係か、ED79が重連サービス(サービスではなく、JR側の都合です)
写真は撮れませんでしたが客車との連結面には「北斗星」のヘッドマークが! -
【2015年8月】
翌朝、青森へ。
新青森からははやぶさで仙台へ帰還。E5系の椅子が快適すぎて仙台までの2時間爆睡だった。夜行の疲れもあり、早々に解散。午前中には帰宅し、家で寝直した(笑)
2015年の渡道のお話はこれでおしまいです。
北斗星にもはまなすにも乗れて安心したのか、これ以降、北海道には行けてません。北海道新幹線も奥津軽いまべつ以北が未乗ですので、コロナが終息したら久しぶりにまた、訪れてみたくなった。
今回は、自身の「北海道アーカイブ」をお送りして参りました。今回、ご紹介した他にも訪れているのですが、記録が残ってなくて、この場でご紹介出来ないのが心残りです。
いまや、北斗星もはまなすも無くなってしまいましたが、麗しの大地、北海道は健在です。
北海道もここ数年、地震、台風、そしてコロナウイルスと受難続きですが、みなさんもコロナが終息したらぜひ、北海道へ足を運んでみましょう。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
-おわり-新青森駅 駅
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この旅行記へのコメント (18)
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- まるきゅーさん 2021/12/24 21:51:54
- また行きたい道ですね(北海道)
- Akr様。こんにちは。まるきゅーです。またまた失礼します。
北海道に行った時辛うじて寝台特急はあったかと思いますが当時は北海道国際航空で行ったので乗っていないんですよね。乗ったとしたらサンライズ瀬戸でしょうか。(それも夜に東京を出てその日の夜には東京にいるという強行旅)
ちなみに小六の時で受験期だったのでそんなことしか出来なかったんです。
そして3年後にはまた大学受験が控えてる…(現実逃避したい)
今は山線は新車が入りましたがいつ三セクになってもおかしくは無いですよね。
自分的には蘭越とか余市までは函館本線のままでいてほしいです。
客車列車もドイツで乗ったのみなのでまたいつか乗りに行きたいです。
この旅行記をパク、いやリスペクトして1月旅行記作ろうかなと考えて見ていました。
でも2010年以後の話しか無いんですけど。生まれて6~7年くらいの時からまとめるつもりです。海外編ですが(笑)
- Akrさん からの返信 2021/12/25 19:21:28
- RE: 私も北海道はしばらくご無沙汰です
- まるきゅーさま
こんばんは。
またまた古い旅行記をご覧いただき、ありがとうございます。
私の初渡道は、昭和60年。青函トンネルはまだなくて普通に青函連絡船があった頃。新幹線も盛岡まで。盛岡から特急はつかりで2時間、青森から連絡船で4時間でようやっと函館という時代です。当時から東京〜札幌は航空機のシェアが7割以上あったかと記憶しています。
新幹線の札幌延伸で、「山線」が三セク化もしくは最悪廃止?長万部〜函館も貨物だけ残すとかいろいろきな臭い話が出ていますね。今の若い人は信じられないでしょうが昔は山線に特急、急行などの優等列車が走っていました。「札幌ゆき(小樽まわり)」というサボがカッコよかった。
昔の旅行記を編集していると忘れていたことがいっぱい思い出されて来て楽しいです。まるきゅーさまも是非、チャレンジしてください。
私はもっといっぱい写真撮っておけばよかったなと後悔しました。でも昭和のころはフィルム時代ですから今のように無尽蔵に写真が撮れない時代だったので被写体も厳選する必要がありました。いまは撮ってその場で出来を確認できますから便利になったもんです。
Akr
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- ねもさん 2020/10/22 20:05:57
- あちこち失礼します
- Akrさん 忘れたころにすみません。
ご両親を2回も北海道に案内したなんて、何て素晴らしい青年でしょう。
元北海道民です。函館本線経由の「北海」、存在は知ってましたが、見たことすらありません。たしか1日1往復でしたね。
網走刑務所はみな行くんですか? 今だと博物館・網走監獄を訪ねる人のほうが多そうですが。
博物館は何度も行きましたが、刑務所は4年前に初めて。「観光客、ここに留まるべからず」の掲示があって(笑)
偶然ですが、ホント久々にこの夏、娘たちと北海道旅行して楽しかったです。
- Akrさん からの返信 2020/10/23 22:03:44
- 双方の思惑が合致しました(笑)
- ねもさま
こんばんは。いつもご覧いただき、ありがとうございます。
実は父親が樺太生まれでして、北海道に思い入れが強いのです。是非とも北海道へ行きたいという事で私も北海道の鉄道には強い憧れがありましたので「双方の思惑」が合致したとでも言うのでしょうか(笑)2回目は私がどうしても北斗星に乗りたくて半ば強引に北海道行きを推したのでした。旅費もほとんど出してもらったから本当に親孝行したのか甚だ疑問ですが(笑)
道東は初めてだったので網走はタクシーを貸し切って運転手さんお任せで回ってもらったのです。まあ、網走と言ったら刑務所かな?って感じでした。
北海道は本当に好きで、何度足を運んでも飽きない魅力がありますね。
2015年以降は行けてなくて、今年の夏に北海道乗りつぶしを計画するも、コロナ禍で断念。何れ機会が訪れたら真っ先に行きたいですね。
いつもありがとうございます。
-Akr-
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- つららさん 2020/06/12 19:43:55
- 北海道は気動車パラダイス
- Akrさま
こんばんは、つららでございます。
初めて北海道にいらっしゃったのは、まだ国鉄時代だったのですね。当然国鉄車ばかり。いいですねぇ。
キハ82ってかわいい。なんとも愛嬌があり、しかもかっこいいデザインですね。乗りたくなってしまいますが、もうありません。(あたりまえですけど)
音とか乗り心地はどんな感じだったのか、気になります。
三笠クロフォード公園のようにはいきませんが、名古屋のリニア・鉄道館に展示されているようで、これは見に行かないといけません。行きたいところが増えて増えて。(笑)
杉山清貴さん、なつかしいですね。もちろん、よーくおぼえております。この旅行記を読んでから、オンリユー、君にささやく~、ふたりのな~つものがたりいいい が頭の中でぐるぐる回ってて止まりません。(笑)
つらら
- Akrさん からの返信 2020/06/12 21:34:09
- キハ82の良さがわかるとはさすが(笑)
- つららさま
こんばんは。いつもご覧くださいまして、ありがとうございます。
ごちゃまぜ旅行記で申し訳ないです・・・
キハ82がかわいいですと??
う〜ん・・・
わかっていらっしゃいますねえ(笑)
京都鉄道博物館に展示されているキハ81(くろしお)と同じ系列で分割併合可能な先頭車としたのがキハ82なんですが、どうでしょう、このお顔。サイドまで回り込んだ運転席の窓。ヘッドライトカバーの造形美、う・つ・く・し・い(笑)
スミマセン、相変わらずの変態ぶりで・・・
でも、冗談抜きで現代でも通用するデザインだと思います。
音は、最高です。これぞ国鉄特急気動車という音(どんな音じゃい 笑)
カラカラカラ・・・というアイドリングもイイです。
動画投稿サイトにもあるので是非、探してみて下さい。
つららさま、杉山清貴ご存じでしたか。よかった。誰も知らなかったらどうしようかと(汗)大好きでした、オメガトライブ。夏ってカンジで!
でも一番好きな歌は「サマーサスピション」知ってます?
♪なぜ〜、はずしたのさ〜、ぼくがあげた銀のゆ〜び〜わ〜、いつ!
スミマセンでした、重ね重ね(笑)
次作は明日公開ですが、マニアックなのでお口に合うかどうか・・・
自己満足な旅行記となります。
よろしければどうぞ〜
-Akr-
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- 長崎マリーンズさん 2020/06/10 18:26:34
- 北の大地良いですねぇ
- Akr様
こんにちは、長崎マリーンズです。
九州に住んでいると北の大地・北海道に対する憧れが強くなります(自分だけかもしれませんが)
美味しいものもたくさんありますし・・・(蟹といくらはあまり得意ではありませんが、ジンギスカンが食べたい←意味不明)
485系懐かしいです。「たざわ」の名前を久しぶりに聞きました!あのヘッドマークも個人的に好きです笑
そして函館本線の山線経由!物心がつかない頃に北斗には乗ったとの事ですが(記憶にない)、長万部から南側をショートカットするのは面白みがないですよね笑
個人的に倶知安という地名がすごい気になっていていつか降り立ちたいと思っています。
もう叶わぬ夢ですが、快速海峡に乗って海底駅で降りてみたかったです・・・
添乗員時代も含めて道東(釧路方面)や道北にはまだ行ったことが無いで、いつか行ってみたいですが、長崎からは千歳すら直行便が無いのが玉にキズなのです笑
長崎マリーンズ
- Akrさん からの返信 2020/06/10 21:06:43
- 北海道は憧れの地ですね
- 長崎マリーンズさま
こんばんは。いつもご覧くださいまして、ありがとうございます。
東北に居りますと北海道は近いので何回も足を運んでいます。近くても、やはりスケールの大きさは東北とは比べ物になりません。なので何度も行きたくなります。逆に東北から九州は遠いので、仕事(添乗)以外では、2017年にようやっとプライベートで行くことが出来ました。
特急たざわは地味ですね。盛岡〜秋田間という運転区間もですが、編成もモノクラス6連でしたし。私なんかは「たざわ」というとDC急行のほうが馴染みがありますね。仙台〜秋田を東北、田沢湖、奥羽線経由で結んでいました。
函館本線の山線は憧れでして、どうしても行ってみたくて家族旅行なのに無理やり、行程に組み入れてまで実行しました(笑)
倶知安、まさかの新幹線駅になるようで、大出世ですね。まだまだ先の話ですが。
快速海峡も乗りましたね。写真こそ残っていませんが、当時は空前の北海道ブームで、添乗で何回も海峡に乗った思い出があります。仙台から1泊で函館だけまわるツアーとか、よく行かされたモンです。ただ、プライベートでの利用は皆無だったのが悔やまれますね。平成はじめの北海道ブームの時の北海道は異常で、バスが取れなくて本州から持ち込んだり、ホテルもパンク状態で添乗に行けば、泊まるホテルは他社の添乗員と相部屋なんてのが当たり前で北海道が好きなのに添乗では行きたくないエリアでした。
そんな昔話を思い出してしまいました。
コロナが落ち着いたらゆっくり北海道へ行ってみたいですね。
いくつになっても北海道は憧れの地です。
-Akr-
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- とのっちさん 2020/06/08 22:00:27
- これぞ正統派懐古旅行記!
- Akrさま
こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
表紙がキハ82ですか!完全に参りました。昭和60年ですか…私の生まれる前です。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…次行きます(笑)。平成2桁のインスタントカメラのスキャンに比べると写真の1枚1枚に重みがありますね~そして今も昔も変わらぬ変態行程です。スラントもいいし、表紙の後ろにちょこんと写っている711系もいいし…北海道の面々は一気に変わっちゃいましたね。結構好きだったのに。貴重な写真をありがとうございました。
公私混同もはなはだしいですね~のっけから盛岡集合ですし、キハ82に誘導するし…我が家は父も母も乗換えが苦手なので、最初っから最後まで同一行動でないと認められないでしょう。しかも在来線特急5時間は母がへばってしまいます。それにしても、お若い頃のAkrさまはさぞかしモテてたんじゃないかなと思われます。私はモテなかった分乗りつぶしを進めていたのですが…
観光地は全く行ってないので全然懐かしくないのですが(笑)、「はまなす」は懐かしいですね~簡リク指定席は夏休みの増結期間でしょうか?重連はラッキーでしたね!「はまなす」が引退してからは麗しの大地遠くになりにけり、LCCか青函フェリーで行くところになってしまいましたが、いつか麗しの大地にもう一度足を踏み入れる日を夢見ています。
とのっち
- Akrさん からの返信 2020/06/10 08:32:59
- いろいろ混ぜてしまいました
- とのっちさま
おはようございます。いつもご覧下さいまして、ありがとうございます。
表紙のキハ82は狙いました。オフ会のキハ82ネタは伏線だったのでしょうか(笑)
山線経由にしたり、キハ82をわざわざ選んで乗ったりと当時から変態行程が好きだったようで現在に受け継がれております。もう少し写真を撮れば良かったのですが当時のフィルム代も馬鹿になりませんので厳選したようです。おおとりの後ろの711系を見つけるとはさすがです。コメントしようと思いましたが誰か気づいてくれないかなとも思ってました。ありがとうございます。
親が北海道行きたいことをいいことに好き放題やりましたね。2回目の北海道旅行もロイヤル、オホーツク、キサロハと全部、自分の欲求のために行程組んで、現地ではその代わり運転手役を務め、親孝行させていただきました。
はまなすはお盆休み最終日で翌日からみんな仕事の日で、11両の大増結まつりでした。ドリームカーが取れず、増結簡リクになりました。
北斗星、はまなすが無くなって北海道に足が向かなくなってしまいましたが、この旅行記を編集していたらまた訪れてみたくなりました。
次はアレ行きます。冷ややかな反応が楽しみです。
とのっちさまに共感いただければそれだけで十分な旅行記ですので(笑)
愛でる会 会長 -Akr-
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- マプトさん 2020/06/08 19:56:09
- 山線
- おばんでした。懐かしい「北海」「おおとり」の写真、見入ってしまいました。私は石北沿線で生まれ育ったんで、特に「おおとり」は花形でかっこよかったです。食堂車もついていて、まさに長距離特急でした。札幌の帰り、親父が「おおとり」の指定を取りにかかったんですが、満席で「いしかり」になった覚えがあります。
「北海」には乗ったことはないんですが、函館方面には、「夜行の客車」で行きました。郵便車が連結された旧型客車でした。今となっては、貴重な思い出ですね。
コロナの影響で、「大雪」「サロベツ」は運休する見たいです。
- Akrさん からの返信 2020/06/08 21:03:49
- 北海もおおとりもいまや過去のものに・・・
- マプトさま
こんばんは。いつもご覧くださいまして、ありがとうございます。
山線経由って当時、憧れてました。函館〜札幌ならば当時から海線経由が当たり前の時代でしたが、あの頃は、北海やニセコが山線経由で残ってましたね。
初めての渡道の目的は、キハ82だったのです。どうしても行程にキハ82を組み入れたくて色々と考えた結果、札幌→洞爺でおおとりに乗ることが出来ました。仰る通り、当時のおおとりは食堂車も繋いだ花形でしたね。良い経験ができました。
いしかりは、485系1500番台でしたね。485系の生半可な寒冷地仕様では北海道の厳しい寒さを乗り越えることが出来なかったんですね。
函館本線の夜行客レといえば、41列車ですね。荷物車、郵便車を繋いでました。
二重窓の客車にも乗ってみたかったです。
コロナが落ち着いたらまた北海道に参ります。
列車愛称の話題では、「大雪」や「ライラック」の復活が嬉しく思います。
早く平穏な日々が戻るといいですね。
失礼しました。
-Akr-
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- へけけさん 2020/06/08 17:34:21
- 爽やか好青年!
- Akrさん こんにちは。ご無沙汰しております。
出ましたねキハ82系(笑)本当にカッコイイです。やっぱりキハ181系に比べて女性的ですよね。キハ183系もいいですが国鉄色が秀逸なんですよね。
ご両親との旅行とのことですが親孝行出来て素晴らしいですよ。自分の両親は他界してますが一緒に旅行したことはないですよ。今、反省してます。
にしても当時はスマートでしたね、想像ができません(笑)そりゃあモテたでしょう!
へけけ
- Akrさん からの返信 2020/06/08 20:52:05
- キハ82推し。異論は認めない(笑)
- へけけさま
こんばんは。いつもご覧くださいましてありがとうございます。
内房線の脱線事故のニュースを見て、へけけさまを思い出したのですが、お元気でいらっしゃいますか?
オフ会で酔っぱらって力説したからという訳ではありませんが、私はキハ82が大好きです。1985年の家族旅行も最大の目的は、この目でキハ82を見て、乗ること。この時は願いが叶い、とっても嬉しかったです。最初で最後の乗車になりましたが・・・
親孝行といっていいのか。。。この時はまさに公私混同な旅でした。
でも、うちの親も旅行が大好きで2人でもいろんな所に出かけてましたね。私は、その血を受け継いだのでしょう。父は早くに他界しましたが、母は健在で元気です。
私の全盛期は高校時代です(笑)
体重も60キロくらいしかなかったのですよ。いまは、メタボなおっさんですが。
できれば、17歳からやり直したいです(笑)
そろそろシウマイ弁当が食べたいAkr(ダリル姉さん風)
そういえば最近ダリルさまが静かですね。
-Akr-
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- エヌエヌさん 2020/06/06 18:28:32
- こんばんは
- Akrさん
羊ヶ丘に停まっていた観光バスのフォルムなつかしす。(#^.^#)
昔は快速ミッドナイトだっけな?そんなのにも乗りました。カーペットカーこれは後のはまなすなのでしょうかね?
北斗星最晩年の2015年は札幌滞在4時間で上りの北斗星に何度か乗りました。
一度くらいトワイライトも乗っておけば良かったです。
今は魅力的な列車も減ってしまいましたね。
- Akrさん からの返信 2020/06/06 20:14:48
- ミッドナイト、懐かしいですね
- エヌエヌさま
こんばんは。いつもご覧くださいまして、ありがとうございます。
今回はごちゃまぜでございます。
羊ヶ丘のバスは、左が富士重ボディのUD?右がふそうでしょうか。
この時代のバスは、技量の優れた職人が運転する乗り物のような感じがしていましたね。今のバスは女性でも運転できる人に優しいバスですが・・・
ミッドナイト。
懐かしい名前が出て来ました。札幌〜函館間の夜行快速ですね。気動車改造のお座敷車を繋いでました。はまなすのカーペットもコレの影響と青函連絡船で人気があった桟敷席を引き継いだとか聞いたことがありますね。
お陰様で北斗星は、5、6回程度乗車できました。トワイライトは課題でしたが、大阪駅でその姿を拝んだ時に絶対に乗ろうと心に決めていたのにその3年後に引退。いまだに後悔しています。
いまは仰る通り、魅力的な列車が少なくなりました。夜行もほぼ絶滅ですし。
四季島とか瑞風はまたジャンルが違いますし。
夜行復権はもうないのでしょうか。。。
寂しいですね。
-Akr-
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- Tagucyanさん 2020/06/06 14:02:36
- 私も見たものがいろいろと
- Akrさま
こんにちは
爽やかな髪型の好青年Akrさん、でも上下白というところが時代ですねえ(笑)
お父さんが樺太のご出身でしたよね。やはり北海道に行きたいのでしょう。
ハリストス、函館山、大倉山、羊ヶ丘、網走刑務所、硫黄山。ある意味家族旅行の定番ですね。我が家(現在の家族の方)もそっくりそのまま行きましたからねえ。
それにしても出てくる車両がなつかしい。うちの近所でも走ってた、立ち上がると元に戻ってしまうリクライニング。青函連絡船のあの簡易っぽい座席。四角い顔のキハ183。キハ82も、まだまだ元気でしたね。個人的には、初めて乗った特急北斗がたしかキハ82でした。
はまなすも乗りましたねえ。年間通して、いつも混雑していた気がします。
そういえば北海道では、夜行のDC急行が、編成の真ん中に寝台車を連結して走ってたことがありますね。そのさらに前には、寝台車付きの夜行客車急行があって、それがそのまんま昼間も間合い運用で急行として走っていて、堂々寝台車ヒルネができたという・・・ それらを体験したくて、どちらも乗ったものでした。
そして、それらの写真が一切残ってない。撮ってないから。そこが心残りですね。
北斗星にもとうとう乗れませんでした。それも心残りですね~
こういう鉄系の(国内)懐古旅行記ができないところが、当方もどかしいところです^^;
---
Tagucyan
- Akrさん からの返信 2020/06/06 20:00:54
- よくわからない旅行記になってしまいましたが・・・
- Tagucyanさま
こんばんは。早速、ご覧いただきましてありがとうございます。
お恥かしい姿を晒してしまいました(笑)
当時の夏のファッションとしてはフツーだったような気がします。さわやか路線を目指していたのは事実です。若気の至り(笑)
北海道旅行は、父親のリクエストです。そうですね、やはり故郷の樺太が近いからだったのでしょう。家族全員初北海道ということもあって観光コースはベタ中のベタ。なんだかんだ言って、一番楽しんでいたのは私だったかもしれません。
このころの北海道は、キハ183が新造5年程度、キハ82も残っていました。スラントの先頭車にはやはり国鉄色が似あいます。青も悪くはないのですが、やはり私はコレですねえ。
編成の真ん中に寝台車を連結したDCは特急おおぞらだったような。夜行の183系に専用カラーの14系寝台車でした。あれ?でも、キハ40改造のキハ400とかいうクルマも寝台車繋いでましたっけ?忘れちゃいました〜
一方、夜行&昼行間合いは「利尻」「宗谷」「天北」ですね。3段ハネがヒルネ扱いで乗れる列車で、たしか車両の一角に「グリーン席」と称する応接間のような区画がありましたね。すぐに無くなりましたが。Tagucyanさま、間合い急行に乗られたのですか!
いいなあ。写真があれば悶絶旅行記ですよ(笑)
私も早くもネタ切れですので次回からはインチキ臭がぷんぷんする旅行記を投稿致します。
それでは〜
-Akr-
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