2013/03/11 - 2013/03/13
1095位(同エリア7458件中)
毛利慎太朗さん
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この旅行記のスケジュール
2013/03/12
-
電車での移動
坂出7:52(いしづち5号)松山10:05
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コロナ、コロナと騒がれ外出もままならない昨今。
そうだこれを機会に過去のSDカードのデータを整理して旅行記にしようと思った今日この頃。
かれこれ7年前に母と行った松山と高知。
前編は東北新幹線、サンライズ瀬戸、特急いしづちを乗り継ぎ、一路松山市へ。
伊予鉄道市内電車・バスの1DAYチケット(当時400円)を買って市内をぐるりとまわりつつ、松山城を見学し、道後温泉に浸かったり。
もちろん、鍋焼きうどんや鯛そうめん、じゃこ天などの地元グルメも堪能しました!
経年ゆえ、一部記憶もままならない面もありますが、ご了承願えれば幸いです
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JR特急 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2013年3月11日(月)、18時半過ぎの一ノ関駅。
E5系のやまびこに乗って東京を目指します。
出発が月曜なので混雑しないと思い自由席にしました。
(案の定、座れた)
自由席なのでどの列車に乗ったかは分からないので、悪しからず。
ちなみに当時の特急券には「2日間有効」と書いてありました。
2014年4月1日より旅客規則が改正され、距離にかかわらず「当日限り有効」となったんですが、これも時代を感じます。 -
車内販売より、NREの「炭火焼風牛たん弁当(麦めし・塩竃の藻塩付)」を買う。
ひもを引っ張るとあったまる「ナルホット」という構造のようだ。
仙台駅の駅弁業者「こばやし」も似たような商品を出しているが、「こばやし」のほうがおそらく元祖であろうな。
(そう考えると、『網焼き牛たん弁当』のほうもコロナが明けたら、久しぶりに食べてみたい気もするなあ~)
うすっぺらの牛たんが4枚で当時1000円ほどだったので、客観的に見ればぼったくりのような気もするが、腹はかえられまい。
熱々という点と、付け合わせの南蛮漬けがプラス評価ではあるがね。 -
東京へは21時過ぎに着く。
東京駅B1Fのグランスタ付近にこのようなメッセージを発見。
折しも、この日は東日本大震災より丁度2年目なり。
2020年は震災から9年目となる。
常磐線が3月に全通し、年度末には三陸沿岸道路(仙台~気仙沼~八戸)が全通予定。
こういった喜ばしいニュースの一方で、今年3月に公表されたNHKの被災者アンケートでは「復興が思い描いていたようになりましたか」という問いに約半数が「悪い」と回答した。
インフラの復興が進んでも、心の復興はまだ遠いようだ。
けれども、約40%が「よい」「思い描いていた通り」と回答していたので、いちるの望みをかけたいと思う。 -
22時00分、東京始発のサンライズ瀬戸に乗り込みます。
真正面から撮った写真はあるものの暗すぎるためボツ。
1998年登場の寝台特急電車で、2020年現在、時刻表に掲載される夜行列車としてはこれと「サンライズ出雲」しかありません。
車両の特徴としては、従来の開放式B寝台(2段ないし3段)中心の構成から、個室中心の構成で、プライバシー及びセキュリティーにも配慮。
また、指定席特急券で雑魚寝できるノビノビ座席(5号車・28席)もあり、幅広いニーズにも対応。
内装はミサワホームが担当し、従来の「夜汽車」の暗い印象と180度違う、清潔感があり、明るい。
週末ともなるとほぼ満席で、夜行列車斜陽の現代にあって奮闘している存在である。 -
その時は方向幕のよさに気づいていなかったものの、何気に写真に収めていた。
103系などJR西日本に多い白抜き文字の幕。
↓「あさかぜ」「普通」「快速」「急行」幕もあるらしい。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm16292843 -
鍵はテンキーで、自由に4ケタの暗証番号を設定してロック・解除します。
1回、暗証番号を忘れて車掌さん(口調が水谷豊に似ていた)にどうすればいいいか聞いたところ、鍵で空けて頂きました。
その節はどうもありがとうございました。 -
客室は3号車のソロを取りました。
別に1000円ほど高いシングルでも良かったのですが、特に客室は指定せずマルスをたたいて(みどりの窓口で発券して)もらったので、こういう結果になりました。
ベット幅は客室により560-700ミリとまばらですが、たいそう狭くもなく快適でした。
蚕の寝床みたいな583系のB寝台上段に比べれば、上等、上等。
当該号車の欠点としては電動車で、モーター音がうるさいという点だが、上段客室ゆえあまり気にも止めなかった。
揺れも羽越本線通過時の『あけぼの』ほどではなかったが、床が変わると眠りが浅いので、浜松や豊橋で目が覚めた。 -
アメニティーは布団、枕、寝間着、スリッパ、ごみ袋と最小限。
-
身長172センチの私でも足が延ばせる広さで快適。
写真左手に荷物棚があり、リュックやかばんなどが置ける。 -
階段側、枕元には空調やライト、ラジオのつまみがあった。
ラジオはNHK-FMを聞くことができる。 -
ちなみに母が陣取った下段の客室はこんな感じ。
階段の出っ張りが邪魔くさいが、シングルより1000円安い分止むを得ず。 -
スーツケースはなんとか収まった。
滑車が転がるので、寝るときは横にしていた。 -
日付変わって3月12日(火)1:30、浜松を過ぎて20分ほど。
3号車東京寄りのラウンジを覗く。
東京発車時、2人のオジサマが酒宴していたけれども、今は人影もない。
シャッターチャンス。 -
ただ流れゆく景色は『闇』
こんな中で弁当食べても、お酒を呑んでも味気ないような。
プラットホームの通勤客を眺めながら、優越感に浸るのがいいのになあ~ -
時刻は4:29ころ、大阪駅で客扱いのない運転停車。
因みに上りのサンライズは停車します。
奥にはJR京都線の車両が見えます。
(207系か、321系かわからないけど) -
姫路では末期色(単色塗装)がスタンバイ
-
姫路を過ぎると明るくなってきた。
昨日は気が付かなかったがパンタグラフが見える。
583系だったら得をすると思ったそこのあなたは、かなりのオタクです。
※パン下といって、パンタグラフの下の客室は開放式3段にすることができず、どうしても2段になるため、中段の料金(当時5250円)で下段(6300円)なみの快適性を得ることができた。下手すりゃ開放式A寝台(下段が約1万円、上段が約9000円)なみに快適という論者もいる。 -
岡山ではキハ40系のタラコ色と所謂「ことぶき」色が並んでおりました。
急行「つやま」(09年廃止)もこの『ことぶき』色で走っていたと考えると、自然と笑いがこみあげてくるものです。
97年に廃止された急行・砂丘のルート(岡山~鳥取)1往復を智頭まで短縮して運行したのが嚆矢(こうし)です。
(その後、99年に津山まで短縮)
その当時はグリーン車付キハ58系を使用しており、紛れもない『急行列車』だったんですが、03年に使用車両が快速ことぶきと同じキハ40系に変更になったことから、誤乗が多発し、急行料金730円を徴収されたことから『ぼったくり急行』という、JR最後の昼行急行列車にしては不名誉なあだ名がついたわけです。 -
「大島さん、JR西日本区間を締めくくるギャグをお願いします。」
「いや、児島だよ!」
を過ぎると、いよいよ瀬戸大橋です。
門司、もとい文字に起こすとギャグの面白さがわからないので、暇な方は音読願います。
※因みにアンジャッシュは’’児嶋’’さんです。 -
鉄骨の骨組みから見えるしまなみ。
自然との調和か不調和かといったら、まあ不調和だろうけど。
でも橋を渡ってるという要素を伝えたくて敢えてこの写真を載せた。
手前に見える歩道橋のようなものは点検用の通路であろう。
そして、右の島が六口(むぐち)島で、左の島が櫃石(ひついし)島 -
鉄骨の隙間から本島(ほんじま)の姿をとらえる。
けっこう大きな島だな~
ここら辺は塩飽(しわく)諸島というらしい。
江戸時代は自治が認められ、本島にはその時の役所が残っている。
(塩飽勤番所、1798年築・1860年改築) -
鉄骨がスリルというか、萌える、燃えるぜ高倉健。
(待てよ、健さんが主演の”海峡”は青函トンネルが舞台じゃなかったのか、まあいいや~) -
祝・四国上陸
森定興商四国営業所やヤマトの香川サービスセンター、HASHII(橋井商店)のあるあたりは宇多津町。
奥に本島が見える。 -
そこをちょっとすぎると、写真右手に広島(といっても中国地方のほうじゃない、塩飽諸島)と高見島が見えた。
ちょこんと立ってる埠頭の灯台もかわいらしい。
4分ほどで坂出に着く、そろそろ支度せねば。 -
7:08 坂出到着。
一晩お世話になりましたので、見送ります。
鉄骨の陰がじゃまくさいが、まあ記録写真だからいいか。 -
07:52
↓いしづち5号
10:05
使用車両は8000系、制御付き自然振り子車両。
N700系、E5系を始め現在では空気バネが主流であるので、その一昔前の車体傾斜装置である。
車体傾斜装置とはいかにカーブを高速で通過するか考えられた装置である。
その時は車体傾斜装置がうーたらかーたらとか考えていなかったので、単に加速性能と乗り心地はよかったほうです。
坂出~宇多津の高架の上り勾配がなんかジェットコースターみたいで面白かった。
それと現在と違う点は2014年改正で方向転換してる点と、2018年改正で2両編成がなくなったことですかね。
そうすると、現在同じスジを走る”いしづち1号”は坂出入線時に平たい面が松山・宇和島方にくるようになりますね。 -
座席の並びはこんな感じ。
当時は松山・宇和島方の半分が指定席となっておりました。
座席も木目調で明るい感じです。
シートピッチは980ミリ、E2系普通車並みです。
(因みにE5系普通車は1040ミリ) -
丸亀市立城北小学校付近から丸亀城が見える。
奥の小高い丘がそうで、4重合わせて60メートルある巨大な石垣の上に、ちょこんと三層の天守がのっかっていて可愛らしい。
なお、今この校庭があった土地に2015年、新しい小学校が建っているので今は景色が違うかも。 -
時系列的にいうとだいたい海岸寺~(臨)津島ノ宮あたり
手前が亀笠島(無人島)で、奥が志々島(有人島)
しかし海側の席を取るべきだったんだろうけど、そこまで頭が回らなかったんだな。 -
今治~伊予北条間
船が貨物を積んでのどかに航行している。 -
松山とうちゃこ!(by火野正平)
逆行気味だったので、松山で撮影しなおすも、あれ鼻切れとるやんけ~
母に撮ってもらったので、文句は言えず。 -
ついでに駅舎とも記念撮影。
1953年築の三代目鉄筋コンクリート駅舎、2000年の改装で初代駅舎を彷彿とさせる三角屋根が付く(国立駅みたい)
2024年に高架化予定で、この駅舎も姿を消す。 -
伊予鉄道軌道線のモハ69で大街道(おおかいどう)電停までやってまいりました。
1962年、ナニワ工機(現・アルナ車両)製造。
なお、伊予鉄道の全車両が2019年に新塗装そろい踏みとなったので、今やこの塗装は過去帳入り。
しかしながら、”新塗装”は伊予鉄版『末期色』といわれる始末だし。
(概ね、オレンジの単色塗装) -
大街道商店街から西へ一歩離れた路地に鍋焼きうどんの『アサヒ』がありました。
いやあ、激シブな店構えじゃのう~ -
瓶の三ツ矢サイダー(当時120円)なんて珍しいので、つい注文してしまう。
しかも旅館と比べてたいそう良心的な価格。
キンキンに冷えててうまいんだわ、これが。
奥のいなりずし(当時1皿220円)も、甘さと酢加減が絶妙で食べごたえがあったな~
2018年に食べた、壺屋弁当部のいなりずしみたいにしょっぱくもなく、優しい味付けだったし。 -
店内を見回すとこんな能書きが。
へえ、昭和22年(1947)創業か~
その当時だと、戦後の混乱でまだ物資が乏しい時代に、美味しいものをという当時の店主の苦労が偲ばれる。 -
いわゆる『ロゴ』みたいなものかな。
懐かしさ満載。
アルミ鍋の取っ手が耳で、フタの中心が鼻に見えてきたなあ~
としても、なんかのっぺらぼうなキャラだけどね。 -
入店から7分いよいよ実食。
鍋焼きうどん(当時500円、現在600円)
アルマイトのナベが懐かしさと期待をそそる。 -
西日本らしく甘い味付けで、おなかにやさしく染みわたる~
付け合わせの牛肉もお汁の甘みをひきたてるぅ~
主役級名脇役!
うどんも讃岐うどんみたいにこしはないけど、それもまたいいよね~
いや~、朝食抜いた甲斐があったなあ~鍋焼うどん アサヒ グルメ・レストラン
-
腹を満たしたところで、東雲口(しののめぐち)まで歩く。
そこからリフトに乗って、松山城を目指した。
ロープウェイもあるのだが、その時は定期点検中であった。
しかし往復券を買ったはいいが、カメラをうっかり落さないかスリル満点だった。
なので帰りは辞退した。
写真は大手門跡より天守方向を望む。
手前の木目調の櫓が太鼓櫓。
旧国宝でしたが、昭和20年(1945)の空襲で焼失。
昭和48年(1973)の復元。
ここら辺は見事な扇の勾配と算木積み!!
石垣の特徴としては、打ち込みはぎかな
打ち込みはぎは製材した石を使うんですが、隙間があって、そこを小石で埋める方法。 -
さっきの写真をアップで。
太鼓櫓の下のほうがセクシーな勾配してますね。 -
次に筒井門にやって参りました。
初代城主・加藤嘉明公がかつて住んでいた正木(まさき)城の遺構でしたが、昭和24年(1949)放火により付属の櫓もろとも焼失、昭和46年(1971)木造再建されたものです。
実はこの門の右脇には防御の仕掛けがあるんですが......松山城 名所・史跡
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それがこの隠門。
筒井門前に集まってきた敵兵をこの隠門より出撃して側面を突くというわけです。
築城当時(17世紀)の建物で、続櫓とともに国の重要文化財に指定されております。松山城 名所・史跡
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本壇の前で天守とともに記念撮影。
花はたぶんツバキカンザクラと思える。
(紅梅は散っていたし) -
さて、小天守(左)、天守(右)のある本壇へ登閣。
松山城は慶長7年(1602)、『賤ケ岳の七本槍』でお馴染みの”加藤嘉明公”が築城を始めた城です。(その後四半世紀の時を経て完成)
嘉明公が築城した天守は五重でしたが、寛永19年(1642)に三重へ改築。
天明4年(1784)の焼失を経て、安政元年(1854)に再建されたものです。
現存12天守で最も新しい天守となり、昭和25年(1950)に旧国宝から改めて国指定重要文化財へ登録されました。
コチラから見ると、唐破風(弓みたいな形)の下に千鳥破風(三角屋根)
小天守は昭和8年(1933)放火により焼失、Wikipediaにも「松山城放火事件」として記載あり。
昭和43年(1968)に木造復元。
昭和10年(1935)年の天守などを旧国宝指定に指定する際の関連作業で、正確な図面を残していたのが幸いしたといわれている。
令和元年に登録文化財に指定され、格は違えど”文化財に返り咲いた”松山城 名所・史跡
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天守西側「天守広場」より天守を眺める。
右側が内門、左側が筋鉄(すじがね)門。
こちらから見ると、千鳥破風のツーコンボ。 -
小天守より南方、伊予鉄松山市駅(いよてつ高島屋)を眺める。
そのてっぺんにある大観覧車「くるりん」は最高地点が海抜106メートルなので、標高132メートルの松山城の景観を損ねないように条例で規制されているはず。
今も昔も、市内電車の1DAYチケット(現在700円)ほか伊予鉄のフリー切符を持っていると1回乗車700円(現在)のところ、1回タダで乗れるので、覚えても損ではない裏技である。
(私は使わなかったが) -
小天守より南東方向の本丸を眺める。
奥の建物は太鼓櫓と太鼓門、その関連櫓である。
太鼓櫓の手前の二重櫓は馬具櫓。
これも旧国宝だったが、昭和20年(1945)の空襲で焼失。
昭和33年(1958)にRCで復元され、管理事務所となっている。
エアコンの室外機がむき出しで、無粋な感じ。 -
小天守より北の天守をチラ見。
入母屋がうまく映らなかったけど、これはこれで面白い。 -
小天守より一ノ門方向を眺める。
ここから見える門と塀、3棟の櫓(奥が二ノ門南櫓、右が一ノ門南櫓、左が三ノ門南櫓)は昭和8年(1933)の火事を免れ、これも国の重要文化財である。 -
いよいよ天守から南の眺望。
小天守ごしに東堀端の市役所前電停を眺める。
路面電車がミニチュアみたい。 -
小天守の頭!
余は満足じゃ~
鯱が立派ですこと。 -
天守北方の眺め。
伊予北条駅の方向だね。
奥にかすむ島は安居島(あいじま・有人島)か。
ラウンドワン 松山店の方角だから間違いない。 -
天守西方の眺め。
手前の櫓は北隅櫓。
奥に見える山のような島は興居島(ごごしま)、今まで見てきた島の中で人口が1127人(2015年調べ)と多い。
フェリーも現在14往復している。 -
天守東方の眺め。
奥にかすむのは石鎚山。
緑色の鉄塔はNHKと南海放送の送信アンテナ。 -
リフトを辞退して、『黒門口登城道』を下り愛媛県庁に出た。
昭和4年(1929)築の本館は、イスラム教のモスクみたいなドームがついていてどこかエキゾチック。
映画『世界の中心で愛を叫ぶ』のロケ地。愛媛県庁舎 名所・史跡
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青空、ミカンの木、県庁の豪華三点セット!
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1電停先だけどもフリー切符を持ってるので、県庁前~大街道を路面電車で移動する。
待っているうちに撮り鉄タイム。
写真はモハ2003、元京都市電の車両(1965年製)
最近方向幕がLEDになったらしい。 -
路面電車を降りて、大街道でおやつタイム~
労研饅頭たけうち大街道支店です。
由来は昭和の初め、倉敷の労働科学研究所で中国の饅頭(まんとう)を日本人向けに改良して作ったのが始まり。
松山では夜学生の学費を稼ぐため、松山夜学校奨励会が学校の売店で販売したのが始まり。
ラインナップが豊富っ!迷うなあ~労研饅頭たけうち 大街道支店 グルメ・レストラン
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色からしてこしあんを選ぶ。
たぶん、粒あんを食べたかったんだと思うけど、売り切れだったのだと思う。
甘さもいい塩梅で、何個食べても食べ飽きない旨さ。
饅頭の皮は、酒饅頭みたいでしっとり、もっちり。
やっぱ皮がうまいんだな~ -
次にのま果樹園が経営するジューススタンド「noma-noma」でせとかのジュースを頂きます。
う~ん、ミカンのトロと言われるだけに、あまい!
フルーツジュースのなかで最高かも~noma-noma グルメ・レストラン
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その後、意味もなく道後温泉駅まで乗り倒し、偶然本町六丁目行きの電車が降りたところの向こうのホームに停まっていたので、『レア行先』に興奮して乗ることに。
レア度としては、1時間に1~2本。
なお、2018年3月に本町線の起終点が道後温泉から松山市駅に変更になったので、これも今見れない光景。
「78」という事はモハ50形・自社発注車のエンドか。
(1965年・帝国車輌製) -
空いていたので座席を撮った。
床が木という点は熊本市電の旧型車と同じ。
つり革も丸で古典的。
網棚も一部しかない。 -
その後、本町六丁目から環状線を左回りに進み、JR松山駅前電停で下車。
乗ったのはモハ52、先ほどのモハ69や78と同じ「モハ50形」だが、こちらは前期形と呼ばれるタイプ(1951年製)
車内は木がふんだんに使われており、懐かしさ満載。
車内が混んでいたので、まともな写真が撮れなかった。 -
母が「松山駅でお土産を見たい」というので、しばし物色。
とそのまえに、愛媛名物の『じゃこ天』も頂きたいところ。
ホタルジャコ(ハランボ)というノドグロ(アカムツ)の仲間を、骨ごとするつぶして作った蒲鉾。
写真の『安岡蒲鉾』はワッキーの地名しりとり(CBC)でお馴染み。
何気に見ていたけど(岩手での放送開始は2011年)その聖地とは知る由もなかった。 -
たしか宇和島じゃこ天は当時140円くらいだったような(現在190円)
パッケージがなかなかイカスね!
捨てるのがもったいないが、脂まみれなのでしゃあない。
なので写真に収める。 -
できたてアツアツをいただきや~す
んまいっ、当時未成年で酒は飲めなかったが今だったらビールと一緒につまんでいたかも。
骨ごとすりつぶしているので、イワシのつみれのような風味。
カルシウムたっぷりで栄養が付きそう。安岡蒲鉾 直売所 かけはし松山店 グルメ・レストラン
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その後、また路面電車に乗って道後温泉駅へ。
駅舎は1911年築の旧駅舎(2代目)の部材を利用して1986年に復元したもの。
1895年に松山中学に赴任した夏目漱石が見た駅舎は初代駅舎である。道後温泉駅 駅
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道後温泉は3000年の歴史を有し、開湯には2つの説がある。
まず1つは、国づくり神話で名高い少彦名命(すくなひこなのみこと)の病を治した説。
2つ目は白鷺が温泉で傷を癒した説。
それ以降霊験あらたかな道後の湯は景行天皇をはじめとした歴代天皇、聖徳太子などの皇族方に愛されてきました。
写真の道後温泉本館は1894年~1935年に渡って建造された共同浴場で、うち4棟の建物が国の重要文化財に指定されております。
写真中央にちょこんと乗っているような建物は、振鷺閣(しんろかく)といい、朝6時の開業・正午・夕方6時を告げる太鼓が吊り下げてあります。道後温泉本館 温泉
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さっきは玄関周りだけを撮りましたが、実際は奥にこれだけ長いです。
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休憩用の客室がある建物は1894年の建物で、重要文化財。
開業当時はこちら側が玄関でしたが、2019年1月から始まった復元工事でまたこちら側が玄関になったようです。
それに伴って、霊の湯、神の湯二階席、三階個室、又新殿が工事にともなって閉鎖となりました。
神の湯(現在420円)は通常営業しております。 -
玄関前で記念撮影。
もちろん温泉にも入りましたよ。
神の湯(当時400円)の入浴だけですけど。
高温(55度)と低温(20度)の源泉をブレンドしてるので、お湯の温度は熱すぎず、ぬる過ぎず。
源泉掛け流しなのはよいのですが、消毒しているのはやや残念なところ。
多くのお客さんが訪れるので、致し方なし。
でも、消毒臭はさほどでもなかったなあ~。
浴室には「坊っちゃん泳ぐべからず」の看板が!?
漱石ファンにはニクい仕掛けですね。 -
温泉に浸かったことだし、そろそろ夕食を食べに大街道まで戻ろうか。
今度乗る車両はモハ2110。
2007年・アルナ車両製で、モハ2100形のラスナン(ラストナンバー)
行き先表示がほんまもんの幕で、両端の2席ぶんと運賃箱の床が高い。
低床新型車両(当時)のわりにあべこべ。
まあ、床下機器があるからやむを得ずか。
これでも、コンパクトなほうなのかも。
某市電の吊り掛け駆動部分低床車両よりはましか。 -
これも車内が満員だった為、まともな写真は運転台しかないな。
メーターの右にある大きなレバーで加減速をやる(ワンハンドルマスコン)
そのさらに右にあるレバーは何かな、非常ブレーキ?方向幕? -
比較のためにモハ69のコントローラーもあげておきます。
操作がかなりオートメーション化されたようにうかがえます。
素人目から「直接制御」っぽい運転台ですが、「間接制御」だそうで。
直接制御だと左のコントローラーはもっと大きくなるはず。
※直接制御=コントローラーで直接で断続、抵抗器の操作を行う。
※間接制御=コントローラーから遠隔操作で制御機器を動かす、それにより2両以上で列車が運行できる。 -
お待ちかねの夕食は、「五志喜」でいただきます。
創業・寛永12年(1635)の素麺屋さんが経営する郷土料理店です。
鯛そうめん(切身・当時1280円、現在1600円)を頂きました。
冷たいのもありましたが、まだ季節柄温かいものを食べたい。
昼間の鍋焼きうどんの汁といい意味で180度違います。
鯛を家で焼いて食べたことがありますが、若干磯臭くなります。
これはそんなことはなくて、上品なお出汁ですね。郷土料理 五志喜 本店 グルメ・レストラン
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明けて3月13日(水)の大街道バス停
これから9:14発の「なんごくエクスプレス号」で高知市を目指します。
鉄道ファンですが松山~高知をワープするには高速バスのほうが早い・安いで便利なので、これを使うしかありません。
(はりまや橋まで2時間40分ほどかかりましたが、特急乗り継ぎだと現在でも4時間以上かかり、値段も倍です。) -
なぜ「なんごくエクスプレス」にしたかというと、伊予鉄他の「ホエールエクスプレス」の発車時刻がだいたい8時らへんで早かった為と、JRびいきだったためです。
それにしても「つばめマーク」かっこいいなあ~ -
座席は片側2列、横4列の昼行で一般的な座席です。
夜行だったらしんどいところ。
2017年に高崎に行ったときの夜行バスは横3列でしたが、やはり寝られたもんではなく、翌日夕方にストレスで胃がおかしくなりました。
昼行便でバスは3時間程度なら利用したいところですが、夜行は勘弁って感じですね。
外には伊予鉄市内電車の軌道がちらっと写っています。 -
昨日のモハ78と途中ですれ違い。
さらば、松山市。
また機会があったら、道後温泉で入浴したいぜ!
そして「鯛めし」他のグルメも攻略したいところだし、じゃこ天をビールでいただきたい。 -
写真は四国中央市のあたりかな。
写真右手は荘内半島、左手は伊吹島かな。
さらば愛媛県、後編の高知へ続く。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- フロンティアさん 2020/04/26 17:22:44
- いろいろ
- こんにちは。いつもお世話になります。
未作成の旅行記が多数あった為、他のトラベラーさんへの旅行記への書き込みは控えさせて頂いてましたが、ほぼ作成済みとなったので、今回、書き込みさせて頂きます。
愛媛・高知はJR四国等のフリーきっぷがある為、そちらのフリーきっぷを利用してそこそこ行かせてもらってます。
まずはやまびこ号で東京まで、あの時は車内販売で駅弁が買えましたが、食堂車の廃止に続き、いまや車内販売の廃止も相次いでいて寂しい世の中になりましたね~東北新幹線の場合、昨年から弁当やアイスクリームの販売を取り止めましたが、いまやコロナの影響で東北新幹線や山陽新幹線でも車内販売を休止する事態となりましたので、せめて車内販売が再開できる世の中になればと思います。(2020年4月21日現在、東海道新幹線はかろうじて車内販売がありました。)
そしてサンライズ瀬戸に乗り、坂出まで、乗ったことはありませんが、明るい雰囲気に驚きました。寝台列車は一度だけ北斗星のB寝台に乗りましたが、残念ながら乗り心地はイマイチで、あまり寝れなかったのを覚えています。
いしづちは今も8000系が走っていますが、8000系のアンパンマン列車仕様があったり、8600系という新型車両も走るようになりました。
そして松山では定番の松山城と道後温泉を堪能されたようで・・・でも大街道は立ち寄ったことがないので、機会があれば訪れてみようと思います。
その松山では鍋焼きうどんとじゃこ天、鯛そうめんを召し上がったのですね~
じゃこ天は食べたことがないですが、CBCテレビの「ノブナガ」という番組の中で「地名しりとり」をやっていた際、よく紹介していたので懐かしい思いで見ていました。
鍋焼きうどんも食べた記憶がないですが、讃岐うどんとは異なり柔らか目の麺らしいですが、汁とのハーモニーは良さそうですね~寒いときに特に良いですね。
時間が取れれば、またコメントを書かせていただきますので、引き続きよろしくお願いします。
長々と申し訳ありませんでした。
トラベラーネーム フロンティア
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/04/26 22:56:04
- Re: いろいろ
- フロンティアさん、いつもクチコミや旅行記へのいいねありがとうございます。
こちらこそコメントを寄せてくださいまして恐縮です。
フロンティアさんの旅行記やクチコミは大変簡潔で読みやすく、善悪はっきりしてるので、私なんかは言葉を書き散らかしてお恥ずかしい限りです。
私もどちらかというと活字がバーとか、写真がたくさんの旅行記を読むことは読むのですが、そればかりだと目が疲れるので、こういう旅行記もありがたいものです。
写真も30枚程度で読みやすいし。
旅行記やクチコミを書く上で何か心がけていることがあればお教え願いたいです。
私はどちらかし文字が少ないとさみしい感じになるので言葉をなるべく多目には書いてはいますし、皆様の話の種になればなあと思って基礎情報ではあるものの、それと自分が見聞きしたことを付け加えて面白くしてるつもりです。
寺社仏閣については創建年、建物の建築年、ご本尊あるいは御祭神についてはなるべく書くようにしては心がけておりますかね。
ただ、高知の板垣退助先生については書きたいままに書いてしまった例もありますがね、日本における民主主義の立役者があまり知られていないことをつい憂いてしまってるので。
竜馬先生については皆さんご存知なので、今さら解説書いてもあれなので、大分割愛したつもりです。
(詳しいこと知りたければお~い竜馬でも、竜馬がゆくでも、龍馬伝でも見たり読んだりしてくれればなあと思って、亀山社中と船中八策ぐらいしか書いてません。)
次の旅行記に京都大阪の備忘録を書いていますが、今のままだと旅行記に大変精神をすり減らして書くようなので、言葉を簡潔に書いてみようかなと思います。
フロンティアさんも1万3000円で乗り放題になる四国のバースデー切符の旅を拝見して新型の8600形や2700形などの列車のレポート大変参考になりました。
私もいつかそれを使って大洲城や丸亀城などの城、金比羅さんや善通寺などの寺社仏閣をめぐってみたいものだなあ~と妄想を膨らましております。
さて、車内販売の縮小ですか。
ふと去年まで東北新幹線で弁当、アイス、コーヒーが買えたんですものね。
アイスとコーヒー程度は残してほしかったと思います、熱々のコーヒーがのめるのは大きいし、期間限定のアイス(加賀のさつまいもとか、栃木のとちおとめとか)もよかったし。
先ほどテレビをつけたらBSフジで『列車伝説』をやっていて近鉄の新型特急『ひのとり』にはコンビニにあるようなコーヒーメーカーとお菓子の自販機がついていたみたいなので、そういう工夫があればいいなと思う今日この頃です。
それだと場所もとらないですし。
次に、大街道はたまたま紹介した店がそこに集中してたってだけで、魅力としては伊勢のおかげ横丁や外宮前なんか観光客を相手にしたところにはまあ正直及びませんがね。
でもそれがかえって『普通の商店街』としていいのかもしれません、実際地方都市にしては大きなアーケードで、活気もあったように思えますし。
その次に、じゃこ天はおすすめです。
骨のカルシウム風味がビールとマリアージュ間違いないです、矢張できたて熱々を頬張りたいものです。
まさかその当時はノドグロの仲間を擂り身にした贅沢なものと思ってなかったので、旅行記を編集しているうちにまた食べたくなりました。
コロナがあけたら、たしか『あら伊達な道の駅』でも揚げてではないものの、既製品を焼いたものがあったのでそこも再訪してみたいですね。
(大崎市と宇和島が確か友好都市か姉妹都市だったかの関係でおいてあるんだと思います。)
松山駅も2024年高架化予定なので、果たして安岡蒲鉾と付属のうどん屋『かけはし』が残るかちょっぴり心配ですが、期待しております。
最後に鍋焼きうどんですが、『アサヒ』のほかにも近くに『ことり』という店があり、そこも松山市民おすすめの店だそうで、食べ比べる楽しみがありますね。
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