2013/03/13 - 2013/03/15
704位(同エリア5823件中)
毛利慎太朗さん
- 毛利慎太朗さんTOP
- 旅行記140冊
- クチコミ386件
- Q&A回答5件
- 219,957アクセス
- フォロワー117人
この旅行記のスケジュール
2013/03/13
2013/03/14
-
三志士像
-
電車での移動
高知19:34(しまんと8)坂出21:27
-
電車での移動
坂出21:45(サンライズ瀬戸)東京7:08
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
母と2013年3月に行った愛媛・高知の旅、後編です。
13日(水)の行程としては、「なんごくエクスプレス」下車後、居酒屋「葉牡丹」で昼食をとり、土佐電気鉄道高知市内均一区間電車一日乗車券(当時500円・とさでん交通となった今でも500円)でほぼ電車に乗っていました。
観光といえば、山内神社にお参りしたり、旧山内家下屋敷長屋やはりまや橋を見学したり。
その後、「大衆割烹ときわ」「お茶漬け・おにぎりよこやま」で夕食をとりました。
14日(木)から15日(金)の行程としましては、木曜市をのぞいたあと、高知城を見学。
ひろめ市場で昼食をとったのち、地球33番地、藁工ミュージアム、自由民権博物館を見学し、高知大丸でお茶&夕飯の弁当を購入をしたのち、高知駅へ向かいました。
その後、特急しまんと→サンライズ瀬戸→東北新幹線で帰途につきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JR特急 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
はりまや橋バス停に11時54分ころ着いた私たちは、デンテツターミナルから堀詰の僅か数百メートルを路面電車で移動しました。
理由は傘を忘れたためです。
その後、「葉牡丹」という居酒屋で若足定食(当時750円)を頂きました。
名物の若鳥のもも(若足)を甘辛いたれで焼いたものでご飯が進みます。
小鉢も二つ付いていて、コスパはよいです。
酒場詩人・吉田類さんも訪れた店で、次回は昼呑みをしてみたいもの。居酒屋 葉牡丹 グルメ・レストラン
-
その後は洋品店で傘を買い、はりまや橋から県立美術館通をとでん(土佐電鉄の地元での愛称)で移動。
”とでん”というとなんだか荒川線みたいですがね。
今乗ってる600形も”都電7000形(車体更新前)”をモデルにして作られた車両ですから、まんざら他人ではない。
元ネタの7000形も車体更新、機器更新(VVVF制御+カルダン駆動+台車交換)を経て2016年5月より”7700形”として運用中。
まさに『テセウスの船』『川越線にいた103系3000番台』状態である。
(豊橋鉄道市内電車にはモーターを更新していないものが走っている。)
写真は知寄町三丁目~葛島橋東詰(かずらしまばしひがしづめ)電停中間にある国分川橋梁。
路面電車の橋梁というと大抵道路と共用でたいしたことなさそうですが、これは見事なアーチ橋。
前面展望を飽きさせませんね。
でも道路橋は葛島橋、軌道橋は国分川橋梁と名称があべこべ。 -
結局のところ、県立美術館は展示入れ替えの為、休館でした。
しゃあないので写真だけ撮って帰りました。
シャガールは常時展示しているらしく、興味深いですね。 -
あてなく、はりまや橋へ引き返す。
乗った車両は631号、あレレ~さきほどデンテツターミナルと堀詰の間で乗ったやつだ。
600形のラスナン。
622~631のグループは1963年製造開始・ナニワ工機(アルナ車両)製で、全鋼製。 -
とりあえず、一日乗車券を持っているのではりまや橋で乗り継ぎ、桟橋線に乗り換えます。
桟橋線ホームらへんは2011年に高知県の緑化政策で芝が敷かれております。
桟橋方面の電車を待ってる間に、高知駅方面の電車を撮影。
パチンコは敢えて否定も肯定もここではしないけど、『マルハン』ラッピングの202号です。
色が面白かったので、ついつい撮ってしまいました。
マルハンというと、アッコさん(和田アキ子)のママママ~♪(チャイコフスキーピアノ協奏曲・第1番・第1楽章より)のCMを思い出すな~ -
はりまや橋から桟橋通五丁目(終点)まで、元名鉄の591号に乗りました。
今更ながらに思いましたが、逆方面から撮ればよかったのですが、そっちから撮った写真がないので、これで勘弁です。
まあ、これも顔のアップで面白いアングルだけど。
2005年の美濃町線廃止で592号とともに”とでん”へ移籍した車両です。
古い車両ですが、冷房が付いているという理由だけで移ってきたみたいです。
移籍時にLED化、2009年に全面窓がHゴム固定され現在の顔立ちになったみたいです。 -
車内は後日撮った同型の592号のものですが、こんな感じです。
路面電車にしては、明るくて新品同様です。
魔改z…ゲフンゲフン、さすが釣り掛け駆動車の修繕に定評のある桟橋車庫の匠です。
その技術力の高さを表す話としては、2017年10月、210号の屋根に三菱電機「霧ヶ峰」を冷房装置として乗っけたみたいですけど。
木目調の伊予鉄モハ52とはまた違いますが、これもいい感じです。 -
左のコントローラー(車で言うアクセル)は、直接制御の上に間接制御のタイプがのっかているように見えますが、土台がデカいので直接制御です。
「TDK」とロゴがあるので、東洋電機製造のコントローラーです。
(TDKというと、フロッピー作っていたほうを連想する。ってかフロッピーっていつの時代よ、まあWindowsXPあたりまで読み込み機械が付いていたけどね。)
※直接制御=運転手がコントローラーで直接断続、抵抗器の操作を行う。
※間接制御=コントローラーから弱電流の信号を送って、遠隔操作で制御機器を動かす。
これにより、直接制御車ではできない2両以上の連結が可能。 -
降車ボタンはバスタイプです。
読者の皆さんはクイズ番組みたいに早押しするほうですか。 -
車両銘鈑も撮っておかないと。
昭和32年(1957)製、父の一コ上だ~
母(昭和42年)より年上の車両はいても、なかなか父親より年上の車両は現役車両で見たことがなかったので衝撃ですよね。
祖父(昭和11年)より年上だと、阪堺電気軌道161形(1928年)とか、SLぐらいだもんな。
これにて、591号の解説おわり! -
さあて、折り返しも591号に乗るだけじゃつまらないので、1本送らせます。
乗ったのは201号(日立製)、現在は新塗装になっております。
202、203(廃車)、204、205と竣工年月が同じ1950年4月で、製造より2020年で古希を迎えました。 -
中は590形、600形などと違って、中扉がなく、途切れなくずらーっと座席で壮観なり。
-
いやあ~この時はあんまり直接、間接制御とかこだわってなかったけど、なんか古典的な直接制御のコントローラーを今見返すとホッとするなあ~
コントローラーの違いに気が付いたのはごく数日前、この旅行記を編集し始めた時だもんなあ~
あの時、何気に撮っていた2013年の自分に感謝。 -
「主幹制御器」や「マスコン」とは本来であれば間接制御車のコントローラーに対する言葉なので、直接制御車の201号にこのステッカーが付いているのは違和感である。
主幹制御器の製造年を見ると「昭和24年」とある、車両の竣工と1年ズレがある。 -
製造ステッカーはなかったが改造ステッカーは発見した。
昭和55年(1980)、冷房化の時につけられた。
「アルナ工機」ってのがちょいナツい、現「アルナ車両」
ざっくりいえば阪急の子会社です。
1947年ナニワ工機→1970年アルナ工機→2002年会社分割でアルナ車両となる。
アルナの由来は「アルミのナニワ工機」から。
1957年~90年までアルミサッシを作っていたことも。 -
201号を始め、主力車両の降車ボタンは独特な形状。
左側を押すタイプ。
625号など例外もあるが(さっきのバスタイプ) -
高知駅到着、これにて桟橋線完乗。
先ほど写っていた「アンパンマン電車こと616号」に乗り込んで、県庁前電停を目指します。
作者のやなせたかし先生は、幼少期を高知市→南国市御免町で過ごされました。
まさに、とでんの沿線。 -
座席は200形と違って、千鳥配列です。
写真左手と、右奥に各々車掌台の痕跡があり、ボンネットバス同様ツーマン運行だったことがうかがえます。
現在そこにはICカード「ですか」のタッチ機があります。 -
又その上部には「車掌用ボタン」という痕跡もありました。
こういう設備を使って、安芸線(御免~御免町~安芸、1954年乗り入れ開始、1969年廃止)に乗り入れていた光景を想像するのも、面白や。 -
連結できるようにコントローラーは間接制御となっています。
1987年までその運用があったようです。 -
天井を見上げますとジャムおじさんとバタコさん。
ちなみにアンパンマンの登場人物は「妖精」とのこと。
※令和2年3月21日にお亡くなりになられた、増岡弘さんのご冥福をこの場を借りて申し上げます。
「ジャムおじさん」「マスオさん」「有吉くんの正直さんぽ」でお馴染みの声優さんでしたね。 -
高知方の運転台には「ばいきんまん」が
『ハヒフヘホ~』『出たなおじゃまむし!』『オレ様』でお馴染み。
中の人はドラゴンボールの「フリーザ」の声も兼ねている。
個人的には1990年放送開始の「楽しいムーミン一家」のスニフ(カンガルーみたいな、あの)の中の人という印象がある。
そのとき、ムーミンが『名探偵コナン』だし、スナフキンが『銀魂の高杉』だったし、声優陣も個性的であった。
その時はどちかしフリーザのオカマっぽい声だったが、改めて『アンパンマン』見たとき、「どこから声出してるんだろうな~」と思った。
(本人もかなりエネルギーを消費しているらしい)
これにて、アンパンマン電車の解説は終了。 -
続いて山内神社にやってまいりました。
御祭神は土佐藩歴代藩主と見性院さま(初代・山内一豊公の奥方)
山内神社には三つの起源があります。
一つは、文化3年(1806)に一豊公と見性院さま、第2代・忠義公の御霊を高知城内で祀った「藤並神社」
なお、ご神体は、見性院さまがまな板がわりにつかわれたという『枡』であった。(しかし残念なことに戦災で失われ、レプリカが残るのみ)
二つは、明治4年・藤並神社の御旅所に創建され、第3代・忠豊公~第14代・豊惇公の御霊を祀った村社「山内神社」(昭和7年・1933、御霊を藤並神社に合祀)
三つは、昭和9年(1935)に創建された、第15代・容堂公、第16代・豊範(とよのり)公の御霊を祀った別格官幣社「山内神社」
昭和20年(1945)の戦災で、藤並神社と山内神社が焼失し、昭和45年(1970)に山内神社の御社殿が再建された際、藤並神社の御霊が合祀されます。
神社本庁にはその発足当時(昭和21年・1946)から属さず、単立神社として現在に至ります。
写真は「大政奉還を慶ぶ山内容堂公」の銅像で、平成14年(2002)の建立。
藩政では吉田東洋を登用し、軍備の近代化・財政改革などを断行され、『幕末の四賢候』といわれました。
また、大政奉還(慶応3年)を上奏され、徳川をトップとした合議制での政権移行を目指されました。
最後に人となりといたしましては、銅像でも呑まれているように酒と、詩、女を愛され、『鯨海酔候』ともいわれております。山内神社 / 山内容堂像 名所・史跡
-
境内には山内家の家紋”丸に三ツ葉柏の紋所”の井戸がありました。
大河”功名が辻”を途中まで見ていたので、この紋所は名称まで覚えました。
確か、”三菱財閥”のロゴの由来になった紋ですよね。 -
その付近と鷹匠公園にはバラが植えられておりました。
これはお登紀さん(加藤登紀子)が寄贈されたバラ。
花を咲かせる時期になったら再訪したいですね。 -
山内神社に続いては、旧山内家下屋敷長屋を見学しました。
元治から慶応年間(1864年~1865年)に建てられた足軽の詰所で、国の重要文化財に指定されております。
かつてここには山内容堂公の屋敷がありました。
ホテル三翠園の敷地内ですが、市の施設のようです。
鷹匠公園側の道路から見ると一見平屋ですが。旧山内家下屋敷長屋展示館 美術館・博物館
-
三翠園側から見ると2階構造になっているのがわかります。
中は無料で見学ができ、1階は当時の生活を再現したスペース、2階は船の模型や土佐の偉人についての解説がありました。 -
さてお次はせっかく一日乗車券を持っているので、伊野線の列車が大抵折り返す、鏡川橋電停まで電車に乗ることに。
複線区間はここまでですが、曙町東町まで均一区間1日乗車券は有効です。
(結局乗らなかったが)
使用車両は627号 -
車両銘鈑をチェック。
昭和39年(1964)ナニワ工機製、前回のオリンピックがあった年。
中学の時の数学の先生と同い年だ。 -
と、ここで撮影タイム 。
後免方面から614号がやってきました。
600形613~615号のグループは1959年製造開始・若松町工場製・半鋼製。
ということは..... -
大型パンタ車が停留所で団子状態。
安芸線乗り入れ時代を彷彿とさせる。
627号に再び乗るのも面白くないので、1本見送ります。 -
なので、再び撮影タイム。
伊野行き電車が参りました。
今思えば、均一区間の西端・曙町東町まで言っても良かったなあ。
だって使用車両はラッピングの800形(元山陽電気軌道)
描かれている人KENあゆみちゃんは、法務省・人権キャラクターで、作者はこれも、やなせたかし先生。 -
さて、はりまや橋まで戻るとするか。
608、614、620号は窓が二段式という特徴がある。
上段がHゴムで固定されているけど。 -
車内はこんな感じ。
先程のアンパンマン・616号とモケットの色が違う。 -
また、はりまや橋電停に戻ってきたぜ。
せっかくなので、日本三代がっかり観光地の『はりまや橋』も見るとしましょうか。
この木造太鼓ばしは平成10年(1998)に復元されたもののほか、『はりまや橋』の名前を冠する橋が他に3つあるらしい。
近くの道路橋と、明治時代の橋を復元したものは近くにあって見つけたが、木造橋の地下にあるものは発見できなかった。
名前の由来は江戸時代に播磨屋(はりまや)と櫃屋(ひつや)という商家が川を挟んで建っており、その往来のために掛けられた橋なので、『はりまや橋』という。
また、竹林寺(四国八十八ヶ所・第三十一番札所)の僧侶・純信と鋳掛屋(鍋釜を治す職人)の娘・お馬が逢瀬を重ねた場所でもあります。
その事を唄にしたのが、高知県の民謡『よさこい節』であります。
♪土佐の~高知の~はりまや橋で~坊さんかんざし~買うをみた~♪って具合に
でも、それを引用した「南国土佐をあとにして」(歌唱・ペギー葉山)のよさに気がつく前だったので、特にそういうことも感じず、只々写真を撮るばかり。
今だったら、あの唄の聖地かと感慨に浸っていただろうに.....はりまや橋 名所・史跡
-
はりまや橋から大橋通までまた路面電車で移動。
先程、鏡川橋ですれ違った800形の色違い。
コントローラーは直接制御の大きいものでした。
窓回りは200形に似てるが、両脇が2段式ではない。
中央上部窓はどうやらHゴム固定されているみたい。
200形に比べ行き先表示器がコンパクトに収まる。
丸みを感じ、愛嬌のあるデザイン。 -
さて、「大衆割烹ときわ」で夕食とします。
赤ちょうちんが食欲をそそります。
この店も吉田類さんが訪れた店で、2010年の酒場放浪記にも登場しております。 -
鰹の酢〆、鶏の唐揚げ、厚焼き玉子などを注文いたしました。
特に美味しかったのはこの『鰹の酢〆』
透き通る薄さに鰹を切り、三杯酢をかけます。
にんにく、ミョウガ、大葉などの薬味がたっぷり。
にんにくがもつ辛味と臭いが、鰹の赤身とマリアージュする。 -
酢〆を食べ終え、その事を申し出ると薄切り玉ねぎを乗っけてくれます。
鰹の出汁が染み込んだ三杯酢と玉ねぎの相性は抜群、酢〆という名のごとく、〆まで美味しい。
食べ終えると、翌日の口臭は『お察しください』ですが、そんなの関係ねえ~ -
店にはご当地安芸市出身の栃煌山関のサインが。
令和2年3月場所では西前頭10枚目、最高位は東大関。
相撲には興味はないが、有名人のサインはチェックせねば。
相撲に詳しい父によると『ああ、まわしをきつくしめる人ね。』とのこと。
なので、白鵬関がかちあげ(エルボーに似てる)とか、猫だましをするのかな。 -
路面電車をはりまや橋で乗り継ぎ、蓮池町電停へやって参りました。
『大衆割烹ときわ』ではご飯ものが見当たらなかったので、『お茶漬け・おむすび よこやま』でそれを食べるとします。
お茶漬け・おむすび以外にもつまみメニューが豊富で、もちろんチューハイやビールなどの酒類もあります。 -
おむすびセット(当時600円)をまず頼みました。
汁物は普通の味噌汁、お吸い物、赤だしがありましたので、物珍しさから赤だしをチョイス。
高知で愛知名物が食べられるのはありがたいです。
出汁というよりか、味噌のコクが効いていましたね。 -
おむすびは鮭・おかか・昆布・梅・じゃこでワンセット。
一口サイズで食べやすい。お茶漬け・おむすび よこやま グルメ・レストラン
-
お次に太刀魚焼きを頼みました。
これも油がのって旨かったなあ。 -
酒はのめなかったけど、その当てにふさわしいであろう『むかご』も注文。
長芋の実なので、噛めば噛むほど口に粘り気が広がります。
じゃがいも同様、シンプルに塩でいただくのがいいですよね。 -
最後にメヒカリの唐揚げを頼みました。
衣がさくっとして、カレー粉をつけると若者向けの味になって、パンチがあって美味しいです。
ししゃもより肉厚なのがいい。
このあとははりまや橋まで路面電車で戻り、はりまや橋BTのコインロッカーに預けた荷物を受け取り、高知駅まで路面電車で戻り、『スーパーホテル高知天然温泉』へ投宿。 -
日付改まって、3月14日(木)
時刻は朝の8時40分すぎ、高知駅へやってまいりました。
昨日とうってかわって、清々しい天気。
現在の3代目駅舎は、2008年完成。
それに合わせて、とでん(土佐電鉄)の停留場も30メートル移設されました。 -
駅の内部はこの日の夜に撮りました。
中は県産杉を使ったドームで覆われて、木造駅舎とも違って別の意味でモダンな造りとなっておりました。 -
土佐の英雄、武市瑞山先生(左)・坂本龍馬先生(中央)・中岡慎太郎先生(右)の像で、「土佐三志士像」といわれており、高知駅前に堂々と鎮座しております。
台風で倒されないように移動することができ、材質も発泡スチロール製だが、銅像の風合いがよく出ている芸術作品。
まず、武市先生は土佐勤皇党の創設者で、尊王攘夷運動に生涯を投ぜられました。
顎が立派だったので、遠い親戚の龍馬先生からは「アギ(土佐の方言で顎)」とよばれておりました。
像は顎がりっぱかと問わば、シュッとして西洋人にも通ずる色男といったところか、あまり顎が悪くデフォルメされていませんね。
でも現実は龍馬先生同様、愛妻家。
なかなか子ができなかったので、弟子が妾を置こうとした時でも動じず、かえってその妾を送り返すくらいの堅b...ゲフンゲフン御仁だったみたいで。
とこぞの台徳院さまにもおなじようなエピソードがあったような。
尊皇攘夷の方と将軍さまを比較するのはいろんな意味で野暮だけど、わかる人にはわかると思う。
次にご紹介するのはみなさまご存知、海援隊隊長『坂本龍馬先生』
剣術を北辰一刀流の千葉定吉先生、砲術を佐久間象山先生、海軍について勝海舟先生より教えを授けられました。
慶応元年(1865)夏、長崎に日本初の商社「亀山社中」を立ち上げ、大量の小型銃(ミニエー銃・八重の桜でお馴染み”ゲベール銃”)や蒸気船を薩摩藩名義で長州藩にあっせん。
そのことが翌年の倒幕の密約である「薩長同盟」につながり、龍馬先生もその仲介人となります。
その一方で、慶応3年(1867)6月には「船中八策」を発表し、それに基づいて10月に大政奉還が行われました。
私の龍馬観といたしましては、明治維新は岩倉具視公や西郷南洲先生の功績が大きんだけれども、『龍馬』ときくだけで武田鉄矢同様浪漫を感じる。
この方は武力倒幕一辺倒ではなかったし、もし近江屋事件で生き残っていたのなら、大政奉還に基づいてなるべく血の流れない政権移行をめざしたのかな~とか、西南戦争の時に西郷先生を説得したのかな~とか、新政府の名簿に龍馬先生ご自身の芳名をいれれなかったので、私益は無視して公益のために世界を飛び回っていたんだろうな~とかいろいろな妄想を勝手にうかべる。
最後に陸援隊隊長・中岡先生
龍馬先生が船中八策を執筆しているとき同じうして、京都。
薩摩藩と土佐藩が武力倒幕のための密約を締結(薩土密約)、それに携わったのが中岡先生と後に出てくる板垣退助先生で、それを遂行するために立ち上げた軍事組織が『陸援隊』となります。
さて、きょうも均一区間一日乗車券を持って市内を巡るぞ~ -
路面電車の桝形行きに乗って、県庁前電停で降りました。
丁度木曜市がやっていたのでそれを覗き、土佐和牛の串(確か当時300円)、うなぎ串(同じく500円)を買いました。
肉は程よい弾力~ちょうどいい塩加減!
こつぶでも旨みを感じる肉、さすが和牛。
高級品を味見できて、コスパよし! -
次に高知城にやってまいりました。
写真は城の正門にあたる、追手門(おおてもん)と奥に天守がうかがえます。
享和元年(1801)築で、高知城に15ある国指定重要文化財の建物のうちの一つ。
天守と正門が現存する城は、ここと弘前城、そして丸亀城があります。
石垣もたぶん野面積みで、大きい石がゴロゴロ積み重なっています。
野面積みは加工しない石を積み上げる古来の石垣で、隙間があるので排水がよいとされ、打ち込みはぎや切り込みはぎにくらべ頑丈です。
初代・山内一豊公が慶長6年(1601)の築城時、近江(滋賀県)の穴太衆(野面積みのエキスパート集団)を動員したという逸話も残っています。
それにしても、鯱がかなり大きいですね。 -
追手門をくぐり、天守を見上げます。
上から高欄、唐破風、デカい入母屋と懸魚、城主のダイナミックなセンスと華やかさを現わすとともに、石落しと、それについているトゲトゲの武者返し、野面積みの石垣が敵を寄せつけないような威厳さを醸し出しています。 -
先ほどの場所付近、板垣退助先生之像より天守を望む。
お、『板垣死すとも自由は死せず』の方だ~
明治15年(1882)年岐阜での演説中、暴漢に襲われたときにおっしゃったそうですが、実際のところは脚色が入っておるとのこと。
なお、そのとき板垣先生の手当をした医師が”大風呂敷”による帝都復興・改軌論(1067ミリ→1435ミリ)でおなじみ後藤新平伯(奥州市・水沢出身)であり、板垣先生より『彼が政治家だったら』といわしめるほど。
さてここで略歴を一つ。
天保8年(1837)上級武士の家に生まれた先生は、幼き頃、行倒れの貧民に施しを与え、御母上から誉められるなど、この頃より弱者の目線にたっておられました。
(龍馬伝やお~い!龍馬では、上級武士の酷さを描いておりますが、先生や谷干城、佐々木高行のように下級武士に寛容であった御仁もいらっしゃるので、お忘れなく。)
竹馬の友であった公武合体派の後藤象二郎と異なり、早い段階から尊皇攘夷を主張されておりました。
なので、土佐勤皇党の方々とも誼(よしみ)を通じておられました。
文久3年(1863)年8月、板垣邸を訪れた中岡慎太郎先生(元は土佐勤皇党の志士)は板垣先生より「正直なところ、君はさきごろ京で僕を殺すつもりだったよね(意訳)」と問い詰め、あまりの剣幕に中岡先生は白状し、そこからお二人は交流を深められます。
なんかこの話を聞いて、いや待てよ、龍馬先生が勝先生に入門したときと似てるやんけ~と思って、興味深い話です。
慶応3年(1867)年の薩土密約により、土佐藩も戊辰戦争へ参戦するわけですが、板垣先生も参謀の要職を授かります。
翌年の甲州勝沼の戦いで新選組を打ち破ったり、棚倉城はじめ奥州諸城の攻略に成功するなど華々しい戦績がある一方で、八王子千人同心の調略、日光東照宮の保護、三春開城を成し遂げ、破壊や無益な殺戮をさけることにも尽力。
また『国民のための政治』を志したのもこの頃で、会津戦争の際、現地領民が重税を課す殿様に嫌気がさし、新政府に味方をする姿を見て封建制の矛盾を感じたそうです。
御一新ののち板垣先生は参議を務められましたが、明治6年(1873)に西郷南洲先生や江藤新平らとともに朝鮮へ軍隊ないし使節を送るという計画を三条太政大臣へ申し上げます。
目的は朝鮮を植民地化するためではなく、開国と近代化を迫り、南下してくるロシア帝国を牽制するのが目的でした。
また、廃藩置県で職を失った武士(士族)の不満を押さえるための計画でもありました。
仮に使節を送るだけでも、紛争を誘発させると考えた岩倉右大臣は明治大帝陛下へ計画反対を上奏、計画は白紙となり、板垣先生は職を辞せられます。
これにより士族の不満は再び高まり、西郷先生や江藤らは士族に担がれ滅びの道を辿ってしまいますが、板垣先生はその不満を利用し、国会開設の建白(明治7年・1874)や政党設立(明治14年・1881)などの自由民権運動に力を注ぎます。
そして、明治31年(1898)大隈重信とともに憲政党を立ち上げ、日本最初の政党内閣『第一次大隈内閣』を立ち上げる偉業を成し遂げます。
しかしながら、大隈は政敵であったので、内紛でうまく行くわけがなく、内閣は4カ月で瓦解してしまいます。
このあと明治33年(1900)伊藤博文も『立憲政友会』という政党を立ち上げ、第四次伊藤内閣が成立し、政党政治を普及させようとしますが、貴族院の妨害にあって内閣が瓦解してしまいます。
ですので、あの政治的センスのある伊藤公でも上手くいかなかったので仕方ない感じもします。
まあ、この立憲政友会は憲政党の板垣派の人たちが合流した政党ですが、伊藤公の狙いとしては国益のための政党を作り、大隈や社会主義などの反対意見を牽制する狙いがありました。
なので、国民の為の政治を目指す板垣先生とは正反対の主義なので、立憲政友会設立とともに政界を引退されます。
晩年は華族の世襲廃止を訴え、大正8年(1919)御子息に明治20年(1887)授かった伯爵位を返上するように伝え、身罷られます。
次にひととなりについて。
日本人として三番目にルイヴィトン製品を使用した方として識られておりますが、履物3足そろうと窮屈になる玄関がある家に住まわれ、自由民権運動に私財を投ぜられたので、維新の功績で賜った刀を売ろうとするほどでした。
最後にまとめて。
軍人としての技量も高い一方で、和平案も持ち合わせている、いわば『タフネゴシエーター(協力な交渉人)』の側面もあり、この点は大東亜戦争時の軍人及び政治家に爪の垢を煎じて飲ませたいほどでありました。
封建制の指導者つまり殿様と言われた方で、清貧を貫かれ、かつ曲がらない信念をもち、下情に通じた方(上杉鷹山公、細川重賢公など)は結構いましたが、民主主義の世の中になるとなかなかいないものです。
しかしながら、板垣先生はすべてに当てはまり、現代のへなちょこ政治家に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです
日本に立憲君主制を根付かせさせたのが伊藤公であるなら、民主主義を根付かせたのは板垣先生といっても過言ないのではないでしょうか。
国会にお二人と大隈重信の銅像があるのは、納得がいきます。 -
次に鉄門(くろがねもん)跡へやって参りました。
そこから本丸と二ノ丸を繋ぐ詰門(つめもん)を横に眺めます。
この門も重要文化財で、享和2年(1802)築。
1階が塩の貯蔵庫、2階が家老をはじめとした家臣の詰所となっておりました。 -
いよいよ、天守と本丸御殿を見学いたします。
第一に概要。
天守は延亨4年(1747)再建、本丸御殿は寛延2年(1749年)再建、ともに重要文化財。
入場料は当時400円、現在420円で障がい者手帳所持者は無料。
第二に本丸御殿について。
再建されても間取りが初代・一豊公がお住まいになっていた頃と同じ間取りで、第二代・忠義公以降は儀礼で使われていたそうです。
見所は殿様がお座りになる『上段の間』の脇に武者隠しがあることで、いざというときに警護の侍が出てこれるようになっております。
最後に天守について。
再建時に一回り小さくなったが、威厳はそのまゝ。
武具、高知城や土佐藩の歴史などの展示があったが、土佐藩は確認できる限りで4回藩政改革を行っており、それに積極的なんだなあと思いました。
平成29年(2017)3月に『高知城歴史博物館』ができたので、中の展示はどうなったのかそれも気になるところです。高知城 (高知公園) 名所・史跡
-
天守のてっぺん(6階)、南面からの眺めはこんな感じです。
擬宝珠を絡めてみました。
むかしの木造橋に擬宝珠がついていることは知っている方はいても、これが『葱ぼうず』だと思っている人は果たして?
城へ続く大通りの奥に路面電車がちゃっこく見えます。
真ん中に扉があるっぽいので、600形かな。 -
さて、お昼は『ひろめ市場』で!
市場とは名乗っているものの、屋台みたいな店々が立ち並ぶ飲み屋街。
お昼より酒豪で名高い高知県民のみなさまがぞろぞろ(笑)
右は『ひろめで安兵衛』の餃子です。
昭和45年(1970)の『屋台安兵衛』の分店で、その看板メニューであります。
味はというと、焼き餃子というかは揚げ餃子みたいなカリカリ感があり、これまたええのう♪
左は『ほてい茶屋』の文旦ジュースで、甘露、甘露。
そのとなりは、木曜市で買った文旦の実で、茶屋のおかみさんに剥いてもらいました。
グレープフルーツよりプリっとした実で、弾ける甘味。
勿論これだけでは腹が満たされないので、ラーメンを別の店で注文しました。ひろめ市場 グルメ・レストラン
-
そののちは路面電車で均一区間の東端、介良通(けらどおり)までいってみることに。
写真は文珠通の乗り換えですれ違った630号『コカ・コーラ』電車。
赤の塗装がまばゆい、撮れて良かった。 -
そのあとは宝永町まで電車で戻り、『地球33番地』を目指すことに。
東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒の『3』づくしの地点!
このモニュメントは昭和37年(1962)高知ロータリークラブによって建立されましたが、実際は北に30メートルずれた江ノ口川の中です。 -
そうなので、川の中にもモニュメントがあります。
これは平成5年(1993)建立で、現代的なデザインです。
しかしながら、平成14年(2002)に緯度や経度を求める方法が変わったので、また別の地点が地球33番地となったみたいですが、その地点は時間の都合上割愛させていただきました。地球33番地 名所・史跡
-
近くの障がい者施設「オープンハート」で『地球33番地到達証明書』を発行して頂きました。(無料、休日で不在でも郵送して頂けるとのこと)
本土最北端(宗谷岬)とか本州最南端(潮岬)の到達証明書は聞いたことがありましたが、こういう変化球は珍しいです。
極地マニアにはたまらないかも~ -
その次は『藁工ミュージアム』を訪ねました。
字のごとく、藁を保管した倉庫を改装したアートスペースです。
展示内容によって入館料が変動します。
当日は『VEGE ART FESTA』をやっていました。(当時入館料300円)
『野菜が主役の展覧会。』と銘打ってやっており、有志が書いた野菜の絵手紙がずら~っと並んでいました。
みな個性があり、味わい深いタッチで、美味しそうでした。
ほかに『深夜食堂』の原画展もやっていました。
作者の安倍夜郎さんが高知県四万十市出身とのこと。
あれから、7年たちますが知ってる限りでは『孤独のグルメ』『花のズボラ飯』『侠飯~おとこめし~』など食と人間とのかかわりがテーマのドラマが結構増えたように思えます。 -
さあて、宝永町からはりまや橋経由で桟橋車庫前電停まで電車でやってまいりました。
最後の観光は、高知市立自由民権資料館へやってまいりました。
当時も現在も入場料は320円、障がい者所持者は無料。
展示で一番気になったのは、やはり『民権ばあさん』かな。
楠瀬喜多さん(天保7年・1836~大正9年・1920)とおっしゃいまして、明治11年(1878)に「納税しているのに女性に選挙権がないのはおかしい、義務と権利は両立する!」と高知県に抗議したなかなか気骨のある女性、つまり土佐の言葉で言う『はちきん』ですね。
明治13年に4年間だけではあるものの婦人参政権が認められました。
この展示を見て母が「民権ばあさん、いいネーミングだね」と言っていました。高知市立自由民権記念館 美術館・博物館
-
そのあとは高知大丸BFにある『ケーキカフェノエル』でシュークリームを頂きました。
カスタードとアイスクリームが挟んであり1度で2度美味しいスイーツ。
フルーツも彩り鮮やかで、食欲をそそります。
残念ながら、この店は2019年12月で閉店してしまいました。 -
そのあと『住友不動産』ラッピングの603号に乗って駅まで戻ってしました。
とでんの最終ランナー。
あれまあ、運転士さんが窓ふき中です。 -
『ましな写真はないか』という方に朗報です。
さきほど桟橋車庫前ですれ違ったときの写真がありました!
右の車両がそうで、高知駅方がHゴム固定なのね。 -
ちなみに603~607、610、611号は直接制御のでっかいコントローラーです。
お、603号のコントローラーは三菱製か。 -
何気に台車の写真を撮っていたりして。
形状はスイングハンガーに近いかな。 -
比較対象に627号の台車ものせます。
こちらは横に梁がなくて、一直線の台車です。
なお、600形は前面窓、側面窓、コントローラー、台車が微妙に異なっているので金太郎(EH500)なみに奥が深いのである。 -
19:34 高知
↓しまんと8号
21:27 坂出
車両はJR四国御自慢の制御付き自然振り子のN2000系気動車。
揺れに揺れて、弁当が落っこちそうになった。 -
6号車窪川方の指定席に陣取ります。
一昨日乗った8000系電車と違い、今でも半室指定席が残っています。 -
シートピッチは8000系普通車と同じく980ミリでした。
-
8000系同様簡易フットレストがついておりました。
正直普通車につけるには?な感じもします。
せいぜい足が宙に浮いてつかれなくていいんだか。
布マスク同様慰め程度の効果。
なので2700系気動車より普通車からは撤去されたみたいです。 -
さて、酒は呑めぬが、宴じゃ宴じゃ~
弁当は高知大丸で買った「かつおめし」を頬張るとするか。
下手な駅弁よりいい、鰹フライのマヨネーズみたいなソースもチキン南蛮みたいで良かったし。
500円の3割引で百貨店を感じられる、コスパはよい。
それよりも右上の帽子パンがよかったなあ~
高知駅のウィリーウィンキーで購入。
ウィリーウィンキーはJR四国の子会社で、駅で焼きたてパンを売ってます。
初めてその名前を聞いたとき、ズームイン朝のワンポイント英会話のあの方をついつい思い出してしまった。
(ウィッキーさんね、ってか1994年3月に放送終わったけど、その少しあとに生まれたお前がなんで知ってんねん!いや、リアルタイムで見ていた父の影響だし、ズームイン30周年のときに復活したのを見たし。)
どうやら、アンデルセン童話に出てくる妖精の名前らしい。 -
21:45 坂出
↓サンライズ瀬戸 11号車 サンライズツイン3番
07:08 東京
2月14日にマルスを叩いた(みどりの窓口で発券して頂いた)際、これも座席希望はなかったが、何気に帰りだけは『サンツイ』になった。
ベット幅は607ミリ-750ミリらしい。
あんまし気にならなかったが窓側、通路側で幅は違うのか? -
明けて、3月15日(金)
熱海を過ぎると水平線から『サンライズ』!
列車の由来と言っても過言ではないか。
鉄塔が邪魔くさいけど、これに勝る感動はないね~
行きの瀬戸大橋から見る海もいいけど、この辺りの海もいいよね。 -
東京中央停車場、とうちゃこ!(by火野正平)
いやあ、2晩もお世話になりました。
見送りも兼ねて最後の1枚、名残惜しいね~
停止位置の看板(菱形の黒いやつ)が邪魔だけどいいや~ -
さて、列車も見送ったところで、朝食とします。
場所は東京駅1F改札内「日本食堂 グランスタダイニング店」で。
かつて特急の食堂車で料理の腕をふるっていた「日本食堂」がテーマのなかなか味のある店でしたが、残念ながら2016年2月、グランスタダイニングごと閉店してしまいました。
けれど鉄博(鉄道博物館)に「日本食堂」がテーマの店があるらしく、「にっしょく」の味が消えたわけではないので安心しました。
この時間帯は朝食メニューしかなくて、1000円ほどしましたが、それを頼みました。
パンはブルボン・ルマンドみたいにボロボロこぼれる形状でなかなか『曲者』でしたが、オムレツのデミグラスをつけると乙な味になりました。
ただ、全体量が若干少なかったな~ -
私の座った所には古い関東甲信越の路線図がありました。
東海道本線の熱海~沼津間が開業しているので、昭和9年(1934)以降の路線図。
飯山線、身延線、相模線、飯田線、白棚線がまだ私鉄の時代。
白棚線(白河~磐城棚倉)は昭和16年(1941)年に国有化され、3年後に戦争の激化とともに不要不急線となり、国鉄バスに転換されて現在に至る路線。
元祖BRTなんてよばれている。
フォートラベラー「BTSさん」の出身地のあたり、現・上田電鉄の路線も今や別所線しかないけど、西丸子線(1963年廃止)や真田傍陽線(1972年廃止)は当然あり、青木線(1938年廃止)も健在。
この欄最後に、昨年の台風19号で被災した「上田電鉄別所線」の早期復旧をお祈りいたします。
また赤い五連の千曲川橋梁(大正13年築)が見れる日を楽しみにしております。 -
母の座った席には四国の路線図が。
まだ予讃線は伊予上灘までの開業か、とするとこの地図はやっぱり丹那トンネルが開業した昭和9年のものかな。
下灘の開業がその翌年なので。
次に琴平町へのアクセス路線が4つもある。
このことは「ブラタモリ」でも触れられており、タモリさんが子供のころ食あたりで具合悪い中乗った琴平参宮電鉄(琴平~坂出・多度津、1963年廃止)や、幻の路線とされた琴平急行電鉄(琴平~坂出、1930~44)も存在しております。
最後にちらっと沖縄の路線図が写っている。
昭和20年(1945)3月に運行停止した沖縄県営鉄道の嘉手納線(22.4キロ)がデーンと載っている。
ナローゲージ(762ミリ)の軽便鉄道規格で、地元の人には「ケービン」と呼ばれていたらしい。
「坂下、首里」とあるのでこれは沖縄電気軌道であろうが、昭和8年(1933)に廃線になっているので、矛盾が生じる。 -
こちらは昭和26年頃の特急つばめ・展望車の様子。
まだ機関車が牽いていた時の写真だ。
こういう優雅に時を過ごすのもいいもんだ。 -
特急さくらのケツ撮り。
なぜに機関車の写真がない。 -
山陽鉄道(現・山陽本線など)食堂車の様子。
明治21年(1888)設立、明治39年(1906)日本鉄道などとともに国有化。
下の写真はホイシ9180形と思われる。 -
09:40 東京
↓やまびこ55号
12:13 一ノ関
帰りもE5系のやまびこです。
福島のあたりでチキン弁当(当時800円、現在900円)を食す。
まだ崎陽軒の『シウマイ弁当』(現在860円)の旨さに気が付く前だったので、コラムニスト・泉麻人氏が著書『地下鉄の友』でこの弁当をよく買うとおっしゃっていたことを思い出し、私もついつい購入した次第。
感想はというと、から揚げも揚げたての美味しい感じじゃなくてシナシナ、ケチャップライスも冷めていて、色が薄く、ボソボソ。
けれど、許せないくらいマズいわけでもない。
かえって昔からある懐かしい味だとも思う。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
西日本
-
愛媛・高知備忘録 前編
2013/03/11~
松山・道後
-
愛媛・高知備忘録 後編
2013/03/13~
高知・桂浜・土佐・須崎
-
大阪・京都備忘録 1日目
2015/04/01~
大阪
-
大阪・京都備忘録 2&3日目編
2015/04/02~
京都市
-
熊本旅行備忘録
2015/10/31~
熊本市
-
特急「やくも」で行く出雲の旅
2022/06/26~
松江・美保関・玉造
-
初飛行&姫路 1日目
2023/02/27~
姫路
-
初飛行&姫路 2日目
2023/02/27~
姫路
-
初飛行&姫路 3日目
2023/02/27~
兵庫
-
久々の大阪(+α)
2023/05/15~
大阪市
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- みかちゃんっすさん 2024/05/12 10:33:17
- フォローありがとうございます
- 毛利慎太郎さん、私の拙い旅行記見ていただきありがとうございます!
フォローまでして頂きありがとうございます!
アンパンマンのラッピングされた電車はカワイイですね~(⌒∇⌒)
押しボタンも何だか懐かしく感じました♪
また訪問させて頂きますね~(^^♪
- 毛利慎太朗さん からの返信 2024/05/12 11:41:37
- Re: フォローありがとうございます
- みかちゃんっすさん、引き続きのコメント&フォローバックありがとうございます。
アンパンマンのラッピングといえばJR四国が著名なところですが、土佐電鉄(現とさでん交通)のラッピング車両もなかなかワクワク感が詰まった車両でしたよ(^^
そして、押しボタンに着目されるとは流石です!
細かいところまで読んで頂いて旅人冥利につきます。
気軽にまたご訪問頂けると幸いに存じます。
毛利慎太朗
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
高知 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 西日本
2
84